おやぢの部屋2
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おやすみラフマニノフ
 東野圭吾の新刊を買おうと本屋さんに行ったら、すぐ隣に中山七里という人の「おやすみラフマニノフ」という文庫本が平積みになっていました。全く知らない作家ですが、タイトルにつられてパラパラ眺めてみたら、なんだかかなりマニアックな音楽用語などが飛び交っています。これは、もしかしたら私が読んでも対応できるぐらいの音楽的な内容を持った本なのかもしれない、と、買ってみました。
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 確かに、各章のタイトルにはイタリア語の表情用語らしきものが掲げられていますから、それなりのセンスの持ち主なのだろうと察しはつきます。ただ、そのイタリア語が、普通の作品にはまず使わないようなものですから、本物のマニアなのか、単にマニアを気取っているだけなのかの区別は、しっかり読んでみるまでは分かりません。
 内容は、一応ミステリーのようでした。音楽大学で高価な楽器が盗まれたり、ピアノに水が掛けられてダメにされたり、そんな犯人探しに、天才ピアニストが一役買って解決する、というメインのプロットがある中で、主人公であるヴァイオリン専攻の男子学生が、学生オケのコンサートマスターを任されて、苦労の末コンサートを大成功に導く、という、どこかで見たことのあるような別のプロットが絡みます。そう、これはまさに、「のだめ」と同じ手法でクラシックの世界を描いた小説なのですよ。
 「のだめ」では絵がありますが、ここでは文章だけで音楽を表現しなければなりません。いや、絵があろうがなかろうが、「音」を紙の上で描くのですから、そもそも無理は承知の上で、付き合う他はありません。ここで作者がとったのは、まるで「曲目解説」のように、細かいアナリーゼを行いながら、曲の流れを描くという方法でした。さらに、その間に、聴き手として、あるいは弾き手として感じているであろう事を、情感豊かに書き添えてあります。まあ、おそらくこれ以外に、きちんと「音楽」を伝える方法はないような気がしますが、これは全く音楽を知らない人にとってはちょっと厄介なものになりそう。「第2主題」とか「イ長調に転調」などと言われても、その概念が伝わらないことにはイメージを抱きようもありませんからね。つまり、ある程度の知識がないことには、これは単にクラシック・マニアが、訳の分からないことを言っているとしか受け取れないものなのですね。
 でも、これだけ熱心に書かれていると、全然意味が分からなくても、ある種の「迫力」として伝わってくることはあるかもしれません。「良く分からないけど、なんかすごいことが起こっているみたいだな」みたいな感じでしょうか。多分、そちらの方に作者は賭けたのでしょうね。
 実際、水害にあった避難所で、たまたまそこにいた「天才ピアニスト」と、ぶっつけの暗譜でチャイコフスキーのヴァイオリン・コンチェルトを演奏する時の描写などは、かなり引き込まれるものでした。しかも、舞台が舞台ですから、それがごく最近の「避難所」とオーバーラップして(もちろん、これは去年の作品ですから、そんなことは作者の想定外)音楽がそのようなシチュエーションで果たせる役目なども、疑似体験できることになります。いや、正直言って、ここだけではなく、いたるところで述べられている「なんのために音楽をやるのか」という作者の主張は、充分傾聴に値するものです。
 あと、主人公の名前が、一応謎解きの伏線になっているのですが、それもなんだか他人とは思えなくて。
 ヴァイオリンの奏法など、もしかしたら専門家?と思わせるところもありますが、おそらく作者は熱烈なクラシック・ファンではあっても、実際に音楽の現場に携わっているわけではないような気はします。そう思う根拠はとりあえず2つ。まず、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏するオーケストラで、ヴァイオリンがファースト、セカンドとも「8人」ずつ、というのは、いくらなんでも少なすぎます。学生オケだったら「8プルト」ぐらいがスタンダード。そして、例の避難所コンサートでのチャイコフスキーが、どう読んでもヴァイオリン・ソロから始まっているのですが、この曲はまずオーケストラの前奏があるので、まずピアノ・ソロから始まるはずなのですがね。
by jurassic_oyaji | 2011-10-31 22:01 | 禁断 | Comments(0)