おやぢの部屋2
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LANCINO/Requiem
LANCINO/Requiem_c0039487_22105490.jpg
Heidi Grant Murphy(Sop), Nora Gubisch(MS)
Stuart Skelton(Ten), Nicolas Courjal(Bas)
Eliahu Inbal/
Choeur de Radio France(by Matthias Brauer)
Orchestre Philharmonique de Radio France
NAXOS/8.572771




ティエリー・ランシーノという、1954年生まれのフランスの作曲家が、2009年に完成した最新の「レクイエム」です。もちろん、これが世界初録音らしいのお。ラジオ・フランスなどの団体から委嘱を受けた時には、「レクイエムの伝統を一新するようなものを作ってくれ」と言われたそうなのですが、果たしてそんな注文通りのものは出来上がったのでしょうか。
まず、最近の「レクイエム」と言えば、前世紀のブリテンがあの駄作で拓いたような、昔からあるラテン語のテキスト以外の歌詞を持つ音楽を挿入するという作り方が広く行われているような印象を受けますが、この作品でもやはり同じような手が使われています。やはり、「現代」における「レクイエム」の意義を考えた時には、単にカトリックの宗教行事にとどまるだけでは許されないのでは、という意識が働くのでしょうね。
しかし、この作品の場合、その「別のテキスト」の割合がそれほど多くなく、きっちりと「伝統的」な「レクイエム」のスタイルが保たれているのには、なにか安心できるものがありました。気持ちは分かりますが、テキストはあまりいじらないで、音楽で勝負して欲しいな、というのは、この手の作品を聴く時にいつも感じていたことですからね。
ランシーノの場合、その「音楽で勝負」というところが、かなり徹底しているような印象が与えられます。まず、最初に、パスカル・キニャールによるフランス語の歌詞で「Prologue」が演奏されますが、その始まりがバスドラム、タムタム、チューブラー・ベル(+α)という打楽器だけで13回のパルスを叩く、という斬新なアイディアであることに、まず軽い衝撃をおぼえてしまいます。これなら、なにか期待しても良いのではないか、とね。そんな期待に違わず、そこにはまるでペンデレツキの「ルカ受難曲」のような風景が拡がっているではありませんか。メゾ・ソプラノのグビッシュが、ほとんど「語り」のようなものを重々しくわめき続けるのも、まさにそんな景色の登場人物のあるべき姿です。もちろん、オーケストラには打楽器の喧噪でしっかり「アヴァン・ギャルド」を演出して頂きましょう。
合唱が入って、通常文のテキストの部分になると、今度はクラスターによるポリフォニーの登場です。これなどは、リゲティの「レクイエム」の世界ですね。もちろん、ランシーノはリゲティのアグレッシブな混沌の精神はしっかり受け継ぎながらも、「現代」の聴衆に向けての微調整には余念がありません。それが、紙一重のところで「換骨奪胎」という概念の少し前にとどまっているというあたりが、すごいですね。
ですから、「Lacrimosa」で、とても深い男声合唱のクラスターをバックに、ソリストたちがいともリリカルな「歌」を奏で始めたとしても、驚くことはありません。それも、決して「媚び」にはならないだけの逞しさを備え持ったものなのですからね。
Sanctus」になると、さまざまな打楽器を軽やかにブレンドしたオーケストレーションからは、まさに「武満サウンド」そのものの、耳慣れた響きが感じられるようになるはずです。そのあまりに露骨な模倣には、一瞬この作曲家への信頼を失いかけますが、これはリゲティ同様、偉大な過去の作曲家へのオマージュだと思えば、それほど気にはならなくなります。要は、結果です。
つまり、ア・カペラの女声合唱で始まる「Agnus Dei」があまりに美しいものですから、いくらこれがリゲティの「ルクス・エテルナ」を下敷きにしたものだと分かっていても、つい許せてしまうのでしょう。最後の「Dona eis requiem」は、「F」の単音が伸ばされて曲が終わります。そこからほのかに五次倍音の「A」が聴こえてくるのを感じると、人は、「音楽」が全てのもの「許して」いることを悟るのです。

CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.
by jurassic_oyaji | 2012-02-24 22:12 | 合唱 | Comments(0)