Paul Hillier/
Ars Nova Copenhagen
DACAPO/6.220571(hybrid SACD)
北欧のミュージシャンの日本語表記にはいつも悩まされます。
15世紀フランドルの作曲家ヨハネス・オケヘムが、いわゆる「オケゲム」と同一人物なことぐらいはすぐ分かりますが、
20世紀生まれのデンマークの作曲家ベント・セーアンセンをこのスペルから読み取るのは至難の業です。日本の代理店のサイトではかろうじて「セアンセン」になっていますが、通販サイトあたりでは「セレンセン」とか「ソレンセン」とか、まるでカニ漁にでも行くみたい(それは「
ソ連船」)。
そういう二人の作曲家の作品をマッシュ・アップして、一つの「レクイエム」として演奏したのが、ポール・ヒリアーが指揮する「アルス・ノヴァ・コペンハーゲン」です。現存する世界最古のポリフォニーによる「レクイエム」として知られるオケヘムの作品(本当は、ギョーム・ド・マショーのものの方がもっと古いのだそうですが、あいにく楽譜が見つかっていません)は、今普通にみられる「レクイエム」の全曲は揃っていなくて、テキストも少し違っているのだそうですが、そんな足らない部分+アルファを、セーアンセンの作品で埋めようというコンセプトなのでしょう。よくある形では、ヒリアー自身が
1984年に「ヒリアード・アンサンブル」の一員として録音した
EMI盤のように、そこにプレイン・チャントを挿入して補うということも行われていました。このヒリヤード盤は、その先輩格の
PCAが
1973年に
ARCHIVに録音したもの(これは、オケヘムのオリジナルだけが収録されています)よりも、演奏も含めてはるかに柔軟性にあふれたものとして受け止められていたのではないでしょうか。
そうは言っても、この、
20世紀に男声だけの6人で歌われたオケヘムは、
21世紀になって女声も交えてその倍ほどの人数によって歌われた今回のオケヘムに比べれば、同じ指揮者による演奏とは思えないほどストイックに感じられてしまいます。それはもちろん、合唱団のキャラクターの違いにもよるはずです。このデンマークのハイテク集団のソノリテは、なんと艶っぽいことでしょう。
あるいは、そんなアプローチも一つの要因なのでしょう、ここでオケヘムとセーアンセンという5世紀ものスパンに隔てられている作品は、何の違和感もなく融合しているかのように見えてしまいます。というか、そのスパンの真ん中あたりで確立された「西洋音楽」の理論に基づいたいわゆる「クラシック音楽」の「ビフォー」と「アフター」が共に同じテイストを備えていると感じられてしまう体験によって認識すべきことは、まさに文化の歴史における「再現性」なのではないでしょうか。音楽が一つの方向に「進化」すると考えられていたのは遠い昔、今の歴史観は、古いものが形を変えて後の世にも表れることを明らかにしているのです。オケヘムとセーアンセンのそれぞれの作品の中から見えてくる「機能和声」からはちょっと距離を置いた響き、それらはともに、音楽を作るにあたってはいかなる束縛にもとらわれまいとする作曲家たちの強い意志のようにも思えてきます。
録音の方も、まさか「5世紀」とはいきませんが、それほど長くはない録音技術の歴史の中では充分に「大昔」と言える、
50年以上も前のテクノロジーがそのまま使われているというのも、「文化」の一つの形なのかもしれません。このアルバムでは、今までこのレーベルでは紹介されることのなかった録音機材がブックレットに掲載されています。たまたまこの「レクイエム」の中の「
Sanctus」や「
Benedictus」では、セーアンセンの指定で演奏家が聴衆を取り囲むように配置されるために、それをサラウンドで録音した時のマイクアレンジが明らかにされているのですが、メインは3本のマイクを三角形にセットしたという、あの
1956年に
DECCAによって開発された「デッカ・ツリー」そのものなのですからね(
EXTONあたりでも、この方式を採用しているようです)。
SACD Artwork © Dacapo Records