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MOZART/The Last Symphonies
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Philippe Herreweghe/
Orchestre des Champs-Elysées
PHI/LPH011




フィリップ・ヘレヴェッヘの自己レーベル、PHIは、当初の計画ほどの頻度ではありませんが、着実にリリースを進めているようです。品番は「011」ですが、これが10枚目のアイテム、3年半でこれだけというのは、今のCD事情を鑑みればまずは大健闘ということでしょうか。
今回は、このレーベルでは初めてとなるモーツァルト、最後の3つの交響曲です。ヘレヴェッヘの場合、以前のHARMONIA MUNDI時代にも、モーツァルトの声楽曲はともかく、管弦楽のための作品には消極的で、交響曲などは録音していなかったはずですから、これは彼にとっては初めての交響曲の録音ということになりますね。ちょっと意外な気がしてしまいます。
前作のドヴォルジャークではモダン・オーケストラの指揮をしていたヘレヴェッヘですが、モーツァルトで選んだのはピリオド・オーケストラのシャンゼリゼ管弦楽団でした。弦楽器は8.8.5.5.4という、「ピリオド」にしてはかなりの「大編成」です。例えば、1980年代初頭に、「オーセンティック」を目指してクリストファー・ホグウッドが録音した、世界初の「ピリオド」オケによるモーツァルト全集ではもうちょっと少なめの弦楽器でしたし、さらに、通奏低音として、この3曲にはフォルテピアノが参加していましたね。もちろん、今回のヘレヴェッヘの録音にはチェンバロやフォルテピアノは使われてはいません。というか、初期の作品はともかく、この時期の交響曲に通奏低音を使うケースは、近年はほとんど見られなくなっているようですね。
録音は、このレーベルではおなじみのTRITONUS、例によって重心の低い落ち着いた音に仕上がっていますから、さっきのホグウッドのような、ピリオド楽器の誤った印象を植え付ける効能しかなかったひどい録音とは、隔世の感があります。それだけ、演奏と録音での「ピリオド」の受容が、より賢いものに変わったということなのでしょう。しかも、チューニングがモダン楽器と殆ど変らないほど「高い」ピッチなのにも、驚かされます。A=435ぐらいでしょうか。ついに「ピリオド」もここまでの「妥協」が図られるようになってきたのですね。そう言えば、緩徐楽章ではトゥッティの弦楽器にほんのりビブラートもかかっているような。
しかし、楽譜に関しては、「新全集」の呪縛から完全に解放される、というステージにまでは達してはいないのかもしれません。ホグウッド版で最も驚かされたのは、楽譜にある反復を全て忠実に行うということでしたが、そんな退屈なことはそろそろやめてもいい時代になっているのではないでしょうか。楽譜、楽器、奏法はピリオドでも、それを聴く聴衆は「モダン」なのですからね。
いずれにしても、かつてのストイック(ヒステリックとも言う)な「ピリオド」からはすっかり趣が変わってしまったスタイルを前面に押し出したヘレヴェッヘの演奏は、時として「モダン」でも許されないほどのアバウトなたたずまいを見せることになります。特に「39番」の第1楽章あたりでは、拍の刻みがなんとも自信なさげで、音楽の推進力が聴こえて来ないもどかしさがあります。第3楽章のトリオで、クラリネットが不思議なところで装飾を入れているのも、いい加減と言えばいい加減。
しかし、「40番」になると、そんないい加減さがプラスに作用して、重苦しさの全くない風通しの良い「ト短調」を味わうことが出来ます。こういうのも、たまにはいいですね。
そして、「41番」では、トランペットが参加することによってサウンド的にも充実、そのせいか、ドライブ感も増してきて、華やかさはふんだんに味わえます。ここにきて、今まであんまり目立たなかったフルートも、くっきり聴こえるようになりました。楽器を変えたのか、高いピッチのせいなのか、それは分かりません。

CD Artwork © Outhere
by jurassic_oyaji | 2013-08-25 20:52 | オーケストラ | Comments(0)