Yann Beuron(Ten), Vélonique Gens(Sop)
Stephan Loges(Bar), Alastair Miles(Bas)
Robin Ticciati/
Swedish Radio Symphony Orchestra & Choir
LINN/CKD 440(hybrid SACD)
ベルリオーズの「キリストの幼時」という、よほどの
用事がないことには聴かない曲は、例えば同じ作曲家の代表作と言われる「幻想交響曲」や「レクイエム」とはかなり異なったテイストを持っています。そんな、ほとんど気が触れたのではないかと思われるほどの非日常的な佇まいがベルリオーズの姿だと信じきっている人にとっては、この作品はまるで別の人が作ったのではないかというほどの静謐さを湛えています。
そのわけは、この作品の成り立ちを知れば納得できることでしょう。当時の楽壇でも彼に対する印象は、ベルリオーズにとっては偏見に満ちたものでした。そこで、彼はそれを逆手にとって、たまたま思いついた「ベルリオーズらしくない」メロディに歌詞を付けて、「羊飼いたちの別れ」という合唱曲を作り、当時は忘れ去られてしまった往年の作曲家という設定で架空の名前をでっち上げ、その作曲家の作品として演奏したのです。確か、フリッツ・クライスラーも、同じようなことをやっていましたね。
この「いたずら」は大成功、批評家たちはこぞってこの作品を絶賛したのです。これで溜飲を下げたベルリオーズは、これが実は自作であったことを公表、今度は堂々とこの「路線」で、「羊飼い~」の前後に曲を書き足して、全3部から成るオラトリオ「キリストの幼時」を完成させたのです。
以前、スコットランド室内管弦楽団と共に素晴らしい「幻想」を聴かせてくれたティチアーティが、今回はスウェーデン放送管弦楽団とともに、この大作を録音してくれました。もちろん、今ではペーター・ダイクストラが音楽監督を務めているスウェーデン放送合唱団も演奏に加わりますから、この、重要なポイントで合唱が活躍するオラトリオにとっては頼もしい限りです。
作品はマタイによる福音書の第2章に登場する「エジプト逃避」のエピソードを元にしたものです。第1部「ヘロデの夢」ではヘロデ王がキリストが生まれたことを知り、自身の地位が脅かされるのを防ぐために生まれたばかりの幼児を皆殺しにしようとする様子が、ほんの少し荒々しい音楽で語られます。しかし、マリアとヨゼフのもとに天使が現れて、エジプトへ逃げるように告げる時の天使の言葉は、遠くから聴こえるオルガン(「あるいはハルモニウム」という指示もあり、ここでは、ごく薄いストップで演奏されています)とともに、やはりオフステージの音場の女声合唱によって清らかに歌われています。
さらに、第2部「エジプトへの逃避」では、ベツレヘムの馬小屋の前で、聖家族を見送った羊飼いたちの合唱が聴かれます。これが先ほどの「羊飼いたちの分かれ」ですね。いかにも素朴で敬虔な曲です
そして、第3部「サイスへの到着」では、砂漠の中を旅した聖家族が、エジプトのサイスに到着しても、どの家でも門を閉ざして彼らを受け入れてはくれない中で、さる家の家長が暖かく迎え入れてくれ、そこで歓迎の宴を催してくれます。その時に演奏されるのが、フルート2本とハープという編成によるとても美しい曲です。エピローグではその後のキリストの奇跡が語られ、静かな合唱が全曲を締めくくります。
ここでは、オーケストラは終始柔らかい音色と落ち着いた表現で、淡々とこの物語を彩っています。フルートとハープのトリオでも、奏者たちが見事に自分の主張を消して、まるで「祈り」のような静かな音楽を届けてくれています。ソリストたちも、とても滑らかな声で、安らぎを与えてくれます。これで合唱にもう少しイノセントな面があれば完璧だったのですが。
そんな繊細さを余すところなくとらえているのが、
LINNの録音による、
SACDのハイレゾ音源です。実は、この音源は
NMLからも配信されています。しかし、
128kbpsの
AACというスペックのその音からは、残念ながら
SACDが持っていた音楽のテクスチャーは完璧に失われてしまっています。
SACD Artwork © Linn Records