Wolfgang Katschner/
Calmus Ensemble
Lautten Compagney
CARUS/83.381 お気に入りのコーラス・グループ、「カルムス・アンサンブル」のニューアルバムは、ドイツのオリジナル楽器のアンサンブル「ラウッテン・カンパニー」との共演でした。タイトルは「バッハ・アルカーデン」、「もう亡くなっているのだから、
バッハは歩かんでん」という、関西弁のツッコミに応えるように、せわしなく歩き回っているアーティストたちの写真がジャケットになっていますね。
ドイツ語の「
Arkaden」は英語では「アーケード」、ライナーノーツによれば、このアルバムのコンセプトは、コラールという支柱の上に広がっている丸屋根から降り注ぐそのコラールの現在、過去、未来の姿を、アーケードの中を歩く人たちに聴いてもらいたい、というものなのだそうです。だから、みんな歩いているんですね。
そんな、分かったような分からないような御託に惑わされるよりは、実際にその演奏を聴いてみれば、彼らがいったい何をやりたいのかは、すぐにはっきりするはずです。それは、時代と、そしてジャンルさえも超えた音楽を、バッハのコラールを主たる素材にして作り上げた、ということになるのでしょうか。なんと言っても、カルムス・アンサンブルのボーダーレスな活動はお馴染みのものですし、この、初めて聴く器楽アンサンブルも、「アーリー・ミュージック」と言いながらその編成にサックスやマリンバが入っている時点で、カビの生えた「古楽」の世界とはそもそも無縁な団体であることが分かるはずですからね。本来はかなり大人数の団体のようですが、ここではフルート、サックス、ガンバ、打楽器、テオルボの5人が参加、テオルボ奏者のヴォルフガング・カッチュナーが全体の指揮を担当しています。コーラスは5人組ですから、総勢
10人ですね。
1曲目のバッハのモテット
BWV225が、軽快なパーカッションのリズムに乗って始まった時には、ある種のデジャヴュのようなものを感じてしまいました。これは、まるで
1974年の「
Love Songs for Madrigals and Madriguys」という、シンセサイザーをバックにスウィングル・シンガーズ(正確には「スウィングル
II」)が歌っていたアルバムではありませんか。いにしえの音楽に現代風のリズミカルな伴奏を付け、合唱はあくまで軽やかでハスキー、これは、絶対スウィングルがモデルだったに違いありません。そういえば、アルバムの中ほどの
BWV645のオルガン・コラール「
Wacht auf, ruft uns die Stimme」のスキャットも、初期のスウィングルそっくりですね。
それに続いて、「現代」という意味合いで取り上げられているのがアルヴォ・ペルトの「
Fratres」。そもそも楽器指定のない音楽ですから、この合唱が入った編成ではその中世回帰の嗜好が際立ちます。そして、そのあとにもう1回バッハを挟んだ後、6世紀のスパンを飛び越えて本物の「中世」であるギョーム・デュファイにつなげるというのも、予想された展開でしょう。ここで「現代」もしくは「未来」とされているのは、このペルトとジョン・タヴナー(彼は、もう「過去」になってしまいましたが)というあたりが、いかにもな気がします。
最後近くに、
BWV227のモテットが演奏されています。これを聴けば、「時代を超えた」バッハがどのようなものかが、如実に分かるはずです。「
Trotz dem alten Drachen」でのショッキングな叫び、「
Gute Nacht, o Wesen」でのひたむきなリリシズム、それを彩る「モダン」なバック、こんな生々しいバッハは、なかなか聴けるものではありません。
ところで、サックスの出番は?確かにパーセルの「ディドの死」あたりで、まるでショームのような音色でこの楽器が鳴っていることがありましたね。しかし、やはりそれは本来の使われ方ではなかったようで、ボーナス・トラックでの有名な偽作のメヌエットでは、思いきりジャジーなソロを披露して、ストレスを発散させているようでした。これこそが、この「現代」に於いては「最前線」の音楽、つまり「前衛」と呼ばれるべきものです。
CD Artwork © Carus-Verlag