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TSCHAIKOWSKY/Symphonie Nr.7, Klavierkonzert Nr.3
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Lilya Zilberstein(Pf)
Dmitrij Kitajenko/
Gürzenich-Orchester Köln
OEHMS/OC 672(hybrid SACD)




先日「交響曲第4番」が出たときに、「キタエンコとケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団とのチャイコフスキーの全交響曲のツィクルスが完了した」などと書いてしまいましたが、実はまだ「完了」はしていなかったのでした。今回のアルバムの日本語の帯には、もしかしたらそれを読んでいたのでしょうか「前作で全集が完成したと思っていた方も多いのではないでしょうか?」という、揶揄とも取れるようなやや気になるフレーズが載っていましたね。しかし、まさか「7番」でツィクルスを完成させようとは。
実はロシアでは、この作品を取り上げる指揮者は結構いるそうなのです。ですから、レニングラード(当時)生まれの指揮者のキタエンコは「ドイツではほとんど知られていない」この作品をあえて取り上げようと思ったのだそうです。
もちろん、この世にチャイコフスキーが作曲した「交響曲第7番」という作品は存在していません。ただ、「5番」と「6番」の間の時期に、もう一つの交響曲を作ろうとしたことはありました。一応スケッチは4楽章分出来上がったというのに、チャイコフスキーはその出来に満足できず、これ以上この素材で交響曲を作ることを断念してしまいます。ただ、それではあまりにももったいない、と思ったのかどうかは分かりませんが、この「交響曲」の第1楽章をそのまま、単一楽章の「ピアノ協奏曲」に作り替えました。それが、ここでのカップリングである「ピアノ協奏曲第3番」です。もちろん、これはまぎれもなくチャイコフスキーの作品です。まあ、「2番」でもめったに演奏されないのですから、この「3番」に至ってはほとんど演奏されることはありませんが。
そんな、作曲家自身が見切りをつけた素材を使って、1950年から1955年までの間に「交響曲」を復元(「でっちあげ」とも言う)したのは、セミョン・ボガティレフというロシアの作曲家です。第1楽章は、もちろん「ピアノ協奏曲第3番」をそのままピアノ・ソロのパートをオーケストラの中のパートに置き換え、最後にある長いカデンツの代わりに10小節ほどのつなぎの部分を挿入し、金管のちょっとした「おかず」を加えて完成です。同じように、第2楽章と第4楽章は、チャイコフスキーのスケッチを弟子のタネーエフがピアノ協奏曲としてオーケストレーションを施し、「アンダンテとフィナーレ」というタイトルで完成させています(「作品79」というチャイコフスキーの作品番号が与えられています)から、それをさらにオーケストラだけの編曲に直せば済むことです。ただ、第3楽章だけは、この時点でもはやスケッチは残っていなかったのでしょう、同じ時期に作られた「18の小品作品72」というピアノ曲の10曲目「スケルツォ-ファンタジー」にそのままオーケストレーションを施したものを用いました。1957年にモスクワで初演され、1962年には、オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団によってCBSに初録音されています。もちろんステレオです。
ちなみに、2006年にピョートル・クリモフという人が行った、他の曲で補った「第3楽章」を省いて、全3楽章という形にし、新たににオーケストレーションを施した「修復」は、ボガティレフの仕事とは全くの別物です。
SACDのハイレゾを存分に体験できる、いつもながらの素晴らしい録音は今回も健在、特に「7番」では、さらにワンランク瑞々しさを増した、殆どLP並みの音を聴くことが出来ます。それによって、この交響曲のとても華やかでキャッチーな側面がストレートに伝わってきます。やはり、これはそのあとに作られる「6番」とは全く別の世界、もっとあっさりした心情から生まれた曲のような気がしてなりません。
「ピアノ協奏曲第3番」では、カデンツァでまさに「玉を転がす」ような鮮やかな演奏を聴かせてくれるジルバーシュタインに耳が釘付けになってしまいます。

SACD Artwork © OehmsClassics Musikproduktion GmbH
by jurassic_oyaji | 2014-05-24 20:31 | オーケストラ | Comments(0)