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HERZOGENBERG/Weltliche Chormusik, Vol. II
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Marcus Utz/
Ensemble Cantissmo
CARUS/83.452




ロマン派後期の作曲家、ハインリッヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルクは、いかにもドイツ-オーストリア系の角ばった名前の持ち主ですが、その先祖はフランスの貴族だったのだそうです。それがオーストリアに移住し、1811年にはこの「ドイツ的」な名前に改名、その後1843年にグラーツでハインリッヒは生まれます。
彼はウィーンで法律と音楽を学びますが、最終的に音楽家への道を選択、3つの交響曲を始め、協奏曲、室内楽曲など、オペラ以外の一通りの「古典的」な作品のほかに、多くの合唱曲も残しました。彼の作品は、100曲以上に作品番号が付けられています。このアルバムはその中の世俗合唱曲を集めたものの第2集、無伴奏の混声合唱のための作品が集められています。このCARUSレーベルからは、その「第1集」である、女声合唱と四重唱のアルバムと、宗教曲のアルバムが1枚リリースされているはずです。もちろん、それらはすべてレーベルの親会社である出版社から楽譜が出版されています。
このアルバムでは、作曲家の活躍拠点が変わった折に、それぞれの機会で作られたものが集められています。最初の「6つの歌(Lieder)」作品10は、1870年に彼の合唱曲としては初めて出版されたもの、この頃彼は故郷のグラーツで合唱やオーケストラの作曲家として認められるようになるのですが、これは彼自身と、彼の妻となるエリザベート・フォン・シュトックハウゼンも所属していた「グラーツ・ジングフェライン」という合唱団のために作られました。エリザベートというのは、実はあのブラームスのピアノのお弟子さん、後に、ブラームスに私淑していたヘルツォーゲンベルクは、「嫁」とともにブラームスとの間に多くの手紙をやり取りするようになるのです。
1872年に、彼はライプツィヒに移り住み、そこで友人たちと「バッハ協会」を創設、1876年にはその指揮者に就任します。そこで、合唱曲のレパートリーを探しているうちに巡り合ったのが、1877年にマグヌス・ベーメというドレスデンの音楽学者によって編纂された「古いドイツの歌の本」という、12世紀から17世紀までの660曲にも及ぶ歌を集めたアンソロジーです。この中の曲を素材にして作られたのが、「12のドイツの宗教的民謡」作品28と、「151617世紀の12のドイツ民謡」作品35です。それらからの抜粋がこのアルバムに収録されていますが、これは世界初録音となります。この曲集は彼の友人たちには好評を博しますが、ブラームスはあまり気に入らなかったようですね。
さらに1885年には、ヘルツォーゲンベルクはベルリン高等音楽院の作曲家の教授に就任します。その1年後に無伴奏の混声合唱のために作られたのが、「6つの歌(Gesänge)」作品57です。
例えば作品10と作品57の間には、作曲技法上に大きな変化が見られますが、全体的に彼の合唱曲はオーソドックスなスタイルを逸脱することはなく、心地よい和声と、それほど複雑ではない対位法に彩られたとても聴きやすい、あるいは演奏しやすい曲ばかりなのではないでしょうか。
ここで演奏している、1994年にプロの歌手たちによって設立された20人ほどの合唱団「アンサンブル・カンティッシモ」は、そんなある意味キャッチーな作品を、まさにあるがままに深い共感をもって歌っています。何よりも、それぞれのメンバーがとても慈しみ深い声で暖かい音楽を届けてくれていますし、合唱としてのハーモニーやフレージングも完璧、その、まさに「オーストリアの魂」に触れるような優しさは、ストレートに心に響きます。こんな、無抵抗に受け入れられる合唱を聴いたのは久しぶりのような気がします。中でも、作品10の4曲目、「夜の歌」のようなしっとりした曲などはまさに至福です。
指揮者はマルクス・ウツという人、こんな素敵な合唱団を相手にしていれば、病にかかることもないでしょう。

CD Artwork © Carus-Verlag
by jurassic_oyaji | 2014-08-10 21:02 | 合唱 | Comments(0)