おやぢの部屋2
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HERZOGENBERG/Totenfeier・Requiem
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Franziska Bobe(Sop), Barbara Bräckelmann(Alt)
Maximilian Argmann(Ten), Jens Hamann(Bas)
Matthias Beckert/
Monteverdichor Würzburg
Thüringen Philharmonie Gotha
CPO/777 755-2(hybrid SACD)




この前のヘルツォーゲンベルクの合唱曲に続いて、彼の「葬送」がらみの作品が全て収められている2枚組SACDです。それは、1890年に作られた「レクイエム」、1892年に作られた「葬礼」、そして、1895年に作られた「埋葬の歌」の3曲です。それぞれに、作られた動機も、そして用いられているテキストも全く異なるものが、彼の晩年に2~3年ずつの間隔をおいて作られたというのは、なんとも不思議な因縁です。
おそらく、「死者を悼む」という意味からは最も重要なものは、1892年の「葬礼」ではないでしょうか。それは、この年の1月に、44歳の若さで亡くなってしまった彼の妻のエリザベートのために作られたものなのですからね。ブラームスの弟子でもあったエリザベートは、夫の作曲活動にも多大の協力を惜しみませんでした。そんな大切な伴侶の突然の死に臨んで、ヘルツォーゲンベルクはいたずらに嘆き悲しむようなことはなかったそうなのです。そうではなく、彼女の想い出を、しっかり音楽の形にして、永遠の生命を持たせるように、と考えたのですね。なかなかできることではありません。そこで彼は、まず、彼女の助言を受けて作っていた作品を仕上げたり、彼女自身が作曲したピアノ作品のスケッチを校訂したりします。
そして、彼女の一周忌を迎えるまでに、と、この「ソリスト、合唱、管弦楽とオルガンのための『葬礼』」の作曲に着手するのです。これは、彼が聖書から選んだドイツ語のテキストが用いられ、音楽はバッハの大規模なカンタータ(全体が2部に分かれています)のスタイルを取り入れています。最初は「葬送行進曲」と題された合唱、それに続いてバス独唱によるレシタティーヴォとアリア、といった具合ですね。そのあとに、ボーイ・アルトのソロと合唱の応答という、ちょっとユニークなものが挟まり、第1部の最後を飾るソプラノ・ソロと合唱になります。その時の歌詞が「私は復活であり、生命である」というもの、ここには、確かに彼の妻に対する思いがしっかりと表れています。
続く第2部でも、合唱ではなくソリストの四重唱で歌われるちょっと民謡っぽい曲のバックにトランペットで静かにコラールが流れたり、ソプラノのアリアでは伴奏で小鳥のさえずりが聴こえてきたりと、最後までのどかで穏やかな風情、まさに天国で過ごしている妻の幸せな姿を思い浮かべているような音楽です。
その2年後に心不全で急死したのは、まだ52歳だったヘルツォーゲンベルクの盟友(ライプツィヒのバッハ協会をともに創設)フィリップ・シュピッタでした。その翌年に墓石を建立するにあたって、その屋外でのセレモニーのために作ったのが、「テノール・ソロ、男声合唱とブラス・バンドのための『埋葬の歌』」でした。ほんの5分程度の短い曲で、テキストはヘルツォーゲンベルク自身が書いています。それも彼の心がしっかりと込められたものでした。
お目当ての「レクイエム」は、実はそのような追悼の対象のないところで作られています。モーツァルトなどの先人にならって、あくまで「シンフォニックな宗教曲」を作りたい、という欲求を満たすためだけに作られた曲ですから、ラテン語の典礼文をテキストに用い、型どおりの手続きは踏んでいても(それにしてもオーケストラのイントロは長すぎ)なにか心に迫るものがほとんど感じられません。それを助長しているのが、ここで歌っている合唱団のあまりの無気力さ。正直、こんな型どおりの音楽を、こんな退屈な演奏で聴き通すには、かなりの忍耐力が必要なのではないか、という気がします。ソリストが入っていれば、多少のアクセントになったはずなのに、合唱とオーケストラだけで演奏するスコアですからどうにもなりません。
確か、これはSACDだったはずですが、録音会場の教会のアコースティックスのせいか、そのメリットも全く味わうことはできません。

SACD Artwork © Classic Produktion Osnabrück
by jurassic_oyaji | 2014-08-24 19:28 | 合唱 | Comments(0)