Paul Hillier/
Ars Nova Copenhagen
DACAPO/6.220568(hybrid SACD)
このレーベルで
SACDで出ている合唱曲だったら、どんな時でも期待以上のものを聴くことが出来ました。それは、演奏ももちろんですが、録音の素晴らしさには、いつもほれぼれとさせられてしまいます。ですから、今回も「パートソング」なんてそんなに面白みはないレパートリーのはずなのに、まずは、このプレベン・イヴァンの手になる
DXD録音の冴えを聴くだけでも損はないと、買ってみました。
データを見てみると、このアルバムでは
2011年の5月と
2012年の5月の2回に分けて、同じ会場でセッションが行われています。さらに、それぞれのセッションの時のメンバーの違いも、しっかり記載されています。それによると、
2012年のセッションでは、それぞれのパートで1人ずつメンバーが増えていることが分かります。まず、その辺の違いが聴き分けられるか、試してみましょう。
これは、かなりはっきり音が違っているのが分かります。やはり2012年の方が人数が増えた分、全体の厚みが増しています。さらに、録音自体も、
2012年の方がよりピュアな音が聴こえます。
2011年の分はやや細部のフォーカスが甘く、合唱の音も少し薄っぺらだったものが、
2012年の分では音の密度がより高まっています。いや、もちろんこれはあくまでも比較の問題で、どちらも卓越した録音には違いありません。
2011年のものだって、すでにその辺のありきたりの録音が裸足で逃げ出すほどの凄さを持っているのですからね。当然のことですが、それはあくまで
SACDレイヤーで味わえるもの、
CDレイヤーでは「ありきたり」の音に変わります。
「パートソング」というのは、イギリスあたりで盛んに歌われた、仲間が数人集まって楽しく合唱できる曲、という理解しかありませんでした。それが、実はこのデンマークあたりでも、大きな勢いで盛んに作曲され、歌われていたのですね。その「黄金時代」と言われているのは、19世紀の前半ごろだったということです。
しかし、あのポール・ヒリアーが、そんな、言ってみれば歌っては楽しいけれども、真剣に聴くだけの価値があるかと問われたらちょっと躊躇しそうな曲ばかりを集めてアルバムを作るなんて、まずあり得ません。現に、ここで歌われているのはそんな「
19世紀」の作曲家のものだけではなく、
20世紀、それもかなり「現代」に近いところで作られたものも含まれています。そう、ヒリヤーがここで本当に聴いてほしかったのは、そのような、陳腐な「パートソング」の精神を受け継いで、現代でも鑑賞に耐えうるものを作り上げた人たちの作品だったのでしょう。まさに「心の歌」(それは「
ハートソング」)。
とは言っても、そんな鋭い視点からの演奏を聴いていると、
19世紀の作品の中でも、すでに単なる「パートソング」にはとどまらない、もっと未来を見据えた確かな志を見ることもできます。それが、
1817年生まれのニルス・ゲーデの「5つの歌
op.13」です。ここではその中から3曲だけ演奏されていますが、2曲目にあたる「睡蓮」などは、高度な対位法を駆使した緊張感あふれる作品に仕上がっていて、そこからは確かなメッセージが伝わってきます。同じゲーデの作品で、このアルバム中唯一の男声合唱曲「ヴァルデマール王の狩り」で、彼らはこの
6/8拍子の勇壮な曲をとことん「美しく」歌っています。これは、もしかしたらヒリヤーの仕掛けた「ジョーク」だったのかもしれませんね。
そして、「現代」の視点からの「パートソング」の再創造とでも言えるのが、
1931年生まれのイブ・ネアホルムの
1994年の作品「
Mine denske kilder」(英訳から推測すると「私のデンマークの原点」といった意味でしょうか)です。5つの小さな曲から出来ていますが、ここからはかつての「ロマンティック」な姿は消え去り、もっとローカリティを強調した民族的な素材が、逆に現代的なテイストを主張しています。これなどは、まさに「合唱組曲」として、普遍的な命を持ち得るものなのではないでしょうか。
SACD Artwork © Dacapo Records