おやぢの部屋2
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MOZART/Requiem
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Sandrine Piau(Sop), Sara Mingardo(Alt)
Werner Güra(Ten), Christopher Purves(Bas)
Laurence Equilbey/
Acceutus
Insula Orchestra
NAÏVE/V 5370




ついに、ロランス・エキルベイの合唱団アクサンチュスがモーツァルトの「レクイエム」を録音しました。しかし、このアルバムのジャケットを見てみると、その3つの名前の上にでかでかと掲げてある文字が気になります。「インスラ・オーケストラ」というのでしょうか、聞いたことのない名前でちょっとヒワイ(それは「インラン・オーケストラ」)。それもそのはず、これはこの合唱団を作った指揮者のエキルベイが2012年に自ら創設した、まさに出来たばかりのオーケストラだったのです。それにしても、この「インスラ」という言葉は何なのでしょうね。
実はこの「insula」という単語はラテン語で、もともとは「島」という意味です。この単語から派生した「インスリン」という言葉は有名ですね。血糖値を下げる薬でしょうか。これは膵臓のランゲルハンス島から分泌されるために、その「島」をとってこのように命名されたのですね。ということは、このオーケストラを聴くと血糖値が下がるという、糖尿病患者にとってはうれしい効能があるというのでしょうか。いや、この言葉には、他に「集合住宅」という意味もあります。このピリオド・オーケストラは、経験のあるセクション・リーダーを中心にして、若い人たちを集めて結成されているようですから、そんな「集合体」という意味合いをネーミングに持たせたのかもしれませんね。
ただ、このオーケストラが目指しているのが、「今日の大ホールでも通用するような音」というのが、ちょっと引っかかります。そういうことを目的に「改良」されてきたのがモダン楽器なのですから、それをやりたいのなら普通にモダン楽器を使えばいいのに、と思ってしまいます。ピリオド楽器を演奏するということは、単にその時代の楽器を使うということだけではなく、演奏様式までも含めてその時代の音楽を再現するという意味があるはず。ひいては、そのような様式を生んだ演奏環境までも、可能な限り再現する必要があるのではないでしょうか。ですから、このような姿勢は、明らかな矛盾をはらんでいます。現実には「ピリオド・オーケストラ」が「大ホール」で演奏するというケースは日常的に存在していますが、それは本当は間違ったことなのだ、という認識は必要です。
そんな団体が2014年の2月に録音を行ったのは、ヴェルサイユ宮殿の王室礼拝堂でした。その時の写真がブックレットに載っていますが、いかにも音が響きそうな高い天井と硬い材質の壁面による礼拝堂です。もちろん、ここに1000人規模のお客さんが入ることはありませんから、これこそが、「ピリオド」のロケーションということになるのでしょう。さっきの「大ホールでも通用する音」は、ここではとりあえず必要ないような気がします。
いともノーテンキな軽やかな足取りで「Introitus」が始まったとたん、やはりこの指揮者と彼女に率いられた演奏家たちには多くを望めないことは明らかになってしまいました。なにか、肝心なものが足りません。合唱にしても、テナーなどは今回はかなり頑張ってテンションの高さをアピールしているというのに、ソプラノがいつもながらのユルさなのですからね。オーケストラも、管楽器はバンバン聴こえてくるのに、弦楽器は本当に必要なフレーズが、その管楽器に隠れてしまっています。逆に、しっとり歌ってほしいところで無駄に張り切っているものですから、その部分だけ不必要にヒステリックに聴こえるだけですし。
そして、最大の誤算はこの礼拝堂のとてつもない残響でした。なにしろ、「Kyrie」のエンディングなどでは、休符の時間内にはとても残響が収まらないものですから、まるで無意味な時間が経過することになってしまいます。これがブルックナーだったらゲネラル・パウゼとしての意味も持てるのでしょうが、モーツァルトではただ間抜けなだけです。

CD Artwork © Naïve
by jurassic_oyaji | 2014-10-03 22:30 | 合唱 | Comments(0)