おやぢの部屋2
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GOUNOD/Requiem, DVORÁK/Messe in D
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Anne Bretschneider(Sop), Christine Lichtenberg(Alt)
Holger Marks(Ten), Georg Witt(Bas)
Hye-Lin Hur(Org)
Polyphonia Ensemble Berlin
Risto Joost/Rundfunkchor Berlin
CARUS/83.386




フランスの作曲家シャルル・グノーは1818年生まれ、チェコの作曲家アントニーン・ドヴォルジャークは1841年の生まれと、一世代ほどの年の差がありますが、それぞれがほぼ同じ時期に作った2つの宗教曲がこのCDには収められています。ただ、それぞれ本来はオーケストラの伴奏が付けられていたものを、グノーはオルガンだけ、ドヴォルジャークは木管五重奏という縮小された編成で演奏されているのが、ユニークなところです。しかし、これは単に多くの合唱団があまりお金をかけずに演奏できるようにという、このレーベルの母体である楽譜出版社の策略からではなく、そもそもこれらの作品が作られた時にそのような編成を作曲家が望んでいたという事情も考慮してのチョイスなのだそうです。とは言ってますが、堂々と楽譜の品番がジャケットに載っているのを見ると、やはり本音はそちらなのだと思わざるを得ませんが。
グノーが作った「レクイエム」は、彼の遺作として1893年に完成しました。それは2管編成にコールアングレまで入るという編成のフル・オーケストラのスコアでしたが、その時点でグノーはオルガン伴奏のバージョンの作成にも着手していたのだそうです。ドヴォルジャークの「ミサ」の場合も、1889年に初演された時には伴奏はオルガンだけでした。しかし、出版社の「オーケストラ版なら出版してやれるよ」というそそのかしに乗って、フルートやクラリネットを欠いたちょっと小さめの編成のオーケストラ版を作って1892年に出版したのです。それ以来、この作品はオーケストラ版として知られるようになりましたが、ドヴォルジャーク自身は元のオルガン版で十分に満足していたのだそうです。
ここで録音されているグノー「レクイエム」のオルガン版は、ハンガリーのオルガニスト、ジグモンド・サットマリーが編曲したものです。その前奏で、いきなり半音の下降音階のあとに減七の和音が鳴り響くなどといったちょっとショッキングな場面が見られますが、聴きすすんでいくとこれはそれほど重要なモティーフではないように思えてきます。そのあとに続く音楽は、いとも平穏な、正直かなり退屈なものだったのですからね。合唱はほとんどホモフォニーの動きしか見せません。そして、それがつむぎだすメロディも、抑揚の少ないなんとも禁欲的なものがほとんどです。
特に、「Séquence」の楽章ではその長大なテキストはほとんど繰り返されることはなく、まるでプレーン・チャントのように淡々と進んでいきます。時折、アクセントのように生きの良い部分も見られますが、この淡白さは他の作曲家のこの部分に比べれば異例、もっと作り込んでちょうだい、と言いたくなるほどです。そして、「Benedictus」になったら、ソリストが思い出したようにすべてが半音階で作られたフレーズを歌い出すのですから、何か微笑ましいというか。
ドヴォルジャークの「ミサ」では、ベルリン・ドイツ交響楽団のメンバーによる木管五重奏団が、ヨアヒム・リンケルマンのスコアを演奏しています。これがとても素晴らしい編曲と演奏なのに、まず惹かれます。ドヴォルジャークの曲想は、宗教曲らしくしっとりとしたものをベースにして、その合間合間に彼らしいキャッチーな面や、ほんのりとしたたたずまいを忍び込ませるという奥の深いもの、それを彼らは見事に音にしているのですからね。フルートの人などは、とても渋い音色できっちりと合唱に寄り添っています。
こちらの方が、音楽としては格段の魅力が感じられます。特に「Benedictus」での深い情感は心に染みます。面白いのは、「Agnus Dei」の出だしがまるで「新世界」の第2楽章のコールアングレのソロのメロディそっくりなこと。そして、この曲のエンディングが、その同じ楽章の最初のコラールと、とてもよく似た雰囲気です。「新世界ミサ」というタイトルで売りだしたら、ヒットするかも。

CD Artwork © Deutschlandradio/roc berlin/Carus-Verlag
by jurassic_oyaji | 2015-01-18 20:22 | 合唱 | Comments(0)