おやぢの部屋2
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音楽という<真実>
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新垣隆著
小学館刊
ISBN978-4-09-388421-1




もはやすっかり「タレント」と化した感のある新垣隆さんの初めての著作が上梓されました。もちろん、これは彼が自ら「執筆」したものではありません。ここで「取材・構成」というクレジットを与えられた人物が彼にインタビューしたものを、本の形にまとめたものです。そのような職業は、広義では「ゴーストライター」と呼ばれます。「ゴーストライター」として売り出した新垣さんが「ゴーストライター」を使っていたというのでは全然シャレになりませんが、このようにクレジットさえ出しておけば、それはもはや「ゴーストライター」ではないのだ、という、まるで安倍晋三のようなお粗末な詭弁が、出版業界でも通用しているのでしょう。
不幸なことに、おそらく今回の「ゴーストライター」氏は、きちんとした音楽の知識や経験が皆無だったのでしょう。その道のプロの新垣さんの話を正確に理解できないままに原稿に起こしてしまったようなところがかなり見られます。例えば、「ライジング・サン」を作るときに、「依頼主」から「200人のオーケストラで」と言われて面食らった話が出てきます。それは、音楽の現場では当然のリアクションで、せいぜい「100人」もいれば間違いなく「超大オーケストラ」になるのが、この世界の常識です。ですから、その「200人」というのはまさに「アマチュアの発想だ」と新垣さんは言い切っていたはずなのに、いざ実際にスタジオで新垣さんが指揮しているシーンになると、それが突然「200人のオーケストラ」になっているのですよ。これは明らかに現場を知らない「ゴーストライター」氏の勘違い。最悪ですね(それは「ワースト・ライター」)。
そんな体裁はともかく、ここで初めて当事者自身の口から語られた彼の仕事ぶりはやはりとても興味深いものでした。今まで報道されていたイメージでは、依頼主はかなり具体的なイメージを持って新垣さんに「発注」したような感じでしたが、実際にはもっと大雑把な、単に「こんな風にしてくれ」という参考音源を与えることが最大の伝達手段だったようですね。いみじくも、この中で「黒澤明がマーラーの『大地の歌』みたいに作れと武満徹に言った」と語っているのと同じようなパターンなわけです。ですから、依頼者は、実際の「作曲」に対しては何も関与していないということになりますね(コメントなどは逆に邪魔だったと)。
そして、あの、後に「HIROSHIMA」となる「交響曲第1番」を作った時の「本心」には、誰しもが驚いてしまうことでしょう。依頼主からその話があった時には、もしそんなことが実現してしまえば、間違いなく本当のことがバレてしまうと思った新垣さんは、誰も聴こうとは思わないほどのばかでかい作品を作ったのだそうです。ですから、そんな演奏されるはずのないものが実際に広島で演奏されてしまった時には焦ったことでしょうね。もちろん、新垣さんはその初演には立ち会ってはいないのですよ。ですから、以前こちらでその初演の時の指揮者の証言をご紹介しましたが、スコアに指揮者が手を入れた際に激怒したのは、依頼主だということになりますね。そして、新垣さんのスコアは、実は手を入れなければ演奏できないほどのお粗末なものだったということも分かります。
最後に彼がのうのうと「私が行ったことのいちばんの罪は何かと言えば、それは私がワーグナー的に機能する音楽を作ってしまったことでしょう。人々を陶酔させ、感覚を麻痺させるいわば音楽のもつ魔力をうかうかと使ってしまったわけです」と語っていることこそが、彼の最大の「罪」なのだとは思えませんか?彼の作った音楽にそんな力があると思うこと自体が、そもそもの彼の思い上がり。そのような人が、憧れている武満徹ほどの作曲家になれるわけがありません。なれてもせいぜい「HIROSHIMA」をさんざん持ち上げた三枝成彰あたりではないでしょうか。それではあまりに悲しすぎます。

Book Artwork © Shogakukan Inc.
by jurassic_oyaji | 2015-06-21 18:58 | 書籍 | Comments(0)