Raquel Camarhina(Sop)
Matteo Cesari(Fl)
Stéphanos Thomopoulos(Pf)
TIMPANI/1C1232
クセナキスのピアノ・ソロのための作品は、それほど多くはありません。それを全部網羅したはずの
高橋アキの2005年の録音では、2000年に出版された「6つのシャンソン」という若いころの習作までが含まれていましたね。今回、クセナキスに関しては信頼のできるTIMPANIレーベルから、やはりピアノ作品集がリリースされた時には、それよりもっと前の習作、というか、ほとんど学生の課題のようなものまでが取り上げられていました。
いちおうTIMPANIからのリリースとはなっていますが、よく見てみると録音されたのは2010年のことで、それはパリ高等音楽院のレーベルが担当していたようですね。そんなところから、もちろん出版なんかはされていない、自筆稿までも手にすることが出来たのでしょう。なんでも、それらはオネゲルやミヨーのクラスで学んでいる頃のもので、楽譜には「先生」による「赤ペン」が入っているのだそうです。全部で30曲ほどの楽譜が残っていて、ここではその中から3曲を選んで、「3つの出版されていない小品」というタイトルで演奏されています。
ここで、例によって日本語インフォの間違いさがしです。これには幸い「帯」はついていないので、それほど問題にはならないでしょうが、インフォの方ではこの「3つの出版されていない小品」というタイトルが抜けているのですね。さらに「A R.」というタイトルの曲の表記が「ア・ル」ですって。これは普通にアルファベを読めばいいだけの話ですから「ア・エル」でしょうね。駅前にありますね(それは「
アエル」)。さらに、フルーティストのラストネームが「チェザリーニ」になっていますが、「Cesari」はどう読んでも「チェーザリ」あたりですよね。
なぜ、こんな間違いをしたのかは、すぐわかりました。インフォを書いた人は、
NMLでの曲順や表記をそのまま何の疑いもなく使ってしまっていたのです。
まあ、演奏に今までにないようなきらめくものがあれば、そんな間違いは些細なこととして許されるのですが、クセナキスの大規模なピアノ作品としては最初のものとなる1961年の作品「ヘルマ」には、唖然としてしまいました。あんたはまじめにクセナキスと対決しようとしてるのか、と、作曲家と同郷のピアニスト、トモプーロスに本気で詰め寄りたい気持ちです。誤解を恐れずに言うと、この曲はもしかしたら「音楽」ではないのかもしれません。「音楽」に用いられている楽器は使われていますが、これはそんなちまちましたものを超えた「音によるアート」なのですよ。ここで求められているのは、人間業では不可能と思われていることへの挑戦です。まずは、「いかに速く弾くか」ということが、最大の課題となってくるのです。それが成功した時のカオスからは、それこそ「音楽を超えた」高揚感が与えられるはずです。
それを、トモプーロスは「音楽」にしてしまいました。もちろん、クセナキス自身は後に次第に「音楽的」な作品を作るようにはなりますが、この1961年という年代では、そんなことは全然ありませんでした。彼は、この21世紀の聴衆に迎合して、その「時代様式」の解釈を完全に誤ってしまったのです。それを端的に表しているのが、演奏時間です。高橋悠治は7分28秒、高橋アキでも7分43秒で演奏していたものに、彼はなんと9分15秒もかけているのですね。それによって、音はきちんとそれぞれの役割を果たしていることがとてもよく分かるようになりますが、そんなものは当時のクセナキスが求めていたものではありません。しかも、この時間というのは、高橋兄妹が演奏しているところまでの部分を比較したもの、このピアニストは、その最後のクラスターを、ペダルを踏み続けて音が完全に減衰するまで45秒間演奏を終わろうとはしません。そんなところで「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」を気取ってどうするつもりなんだ、と、またもや詰め寄りたくなりましたよ。
CD Artwork © Timpani Records