山下達郎
ワーナーミュージック・ジャパン/WPCL-10228
1998年の「
COZY」以来、7年ぶりのオリジナルアルバムは、マルセル・モイーズが作ったフルートの教則本のようなタイトルになりました(あちらは、最後の
Eにアクサンが付きますが)。そんなに間が開いたとは思えないのは、その間に
「ON THE STREET CORNER 3」(
1999年)というひとりア・カペラ・アルバムと、「
RARITIES」(
2002年)という、アルバム未収録の曲を集めたものを出していたせいなのかもしれません。
山下達郎は、もちろん曲を作って歌うというミュージシャンとしての才能はトップクラスのものがありますが、それだけではなく、商品としてのアルバムを作り上げ、さらにはそれを流通させるという、プロデューサーとしての才能にも非常に長けているのは、ご存じの通りです。特に、彼のようなジャンルの音楽に欠かせない、「音楽を録音する」という点でのスキルには、並々ならぬものがあります。彼は、自身でDJを務めるラジオ番組を持っていますが、その中で、今まで体験してきたレコーディングについてしばしば述べている場面がありました。その時に、レコーディングの現場がアナログからデジタルに変わった時期に、最も苦労をしたと語っていたのは、我々クラシック・ファンにとっては興味深いことでした。デジタル録音が登場した時には、私達は諸手をあげて歓迎をしていたはずです。ダイナミック・レンジは広いし、ノイズは少ないし、まさに良いことずくめの媒体であるCDが出現したために、今まで持っていたLPを、役立たずの場所ふさぎとして処分してしまった人は一体どのぐらいいたことでしょう。実は、音としてはアナログ録音はデジタルをしのぐものがあるということに人々、特にクラシック関係の人が気づくには、少し時間が必要でした。それから
20年を経て、やっとアナログと同等の音を保存できるSACDという媒体を手中にすることが出来たのですから。
しかし、そんなデジタル録音の欠陥など、達郎のような現場の人間は最初から痛いほど分かっていたのだそうです。ですから、今までのアナログの音をデジタルで可能にするために、まさに血のにじむような苦労が必要だったと、しみじみと語っていたのでした。
そして、今回の録音を行う頃には、同じデジタルでも「ハードディスク・レコーディング」というテクノロジーが登場していました。これもやはり、実際に使ってみてさまざまな「弱点」を感じることになります(「
ハイリスク・レコーディング」)。なんでも、繊細な音には滅法強いのに、爆発的な音には弱いのだとか。そのような機材を前にして、達郎は音楽の表現自体を、機材に合わせて変えていくようになったという、またまた私達には興味深い事実を明らかにしてくれています。例えば、ベースとキーボードがこの機材では相性が悪かったので、思い切ってベースを省いてしまったら、結果的に面白いアレンジが誕生したとか、ヴォーカルのテイストも張り上げるような歌い方はあまりしなくなったとか、音楽の表現を作り上げる要因の中に録音機材までもが重要な位置を占めているという、クラシックの世界ではまずあり得ないことを知らされたのでした。
といっても、このアルバムの中での私のお気に入りは、NHKのアニメの主題歌としてさんざん聴かされたカンツォーネ「忘れないで」と、ホーンセクションをバックにした殆どバカラックのコピー「白いアンブレラ」という、非常にアナログ的な曲なのですがね。