おやぢの部屋2
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プログラム・ノーツが出来ました
 このところ、毎週のように練習に通っているのが、3月21日に最後のコンサートを開く「杜の都 合奏団」です。結成者のマエストロがもう仙台にはいないので、物理的に続けることはできないのですから、残念ですがこれ以上コンサートは出来なくなっています。ぜひ、そんな最後の姿を、見に来てくださいね。
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 私も、ずっとこのコンサートのためにプログラム・ノーツを書いてきたので、それもこれが最後となります。今回はそういうことでいつもの5割増しの3ページ分のテキストです。
演奏会に寄せて
 「ウィーンへのオマージュ」というタイトルの今回のコンサート、まずは19世紀後半にウィーンで大活躍していた「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス二世の作品を3曲お聴きください。彼が作ったワルツやポルカは、毎年ウィーンから生中継されるウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート」のメインの曲目として、たびたび耳にする機会があるはずです。

ヨハン・シュトラウス二世:喜歌劇「ジプシー男爵」序曲
 最初に演奏するのは、喜歌劇「ジプシー男爵」序曲です。実は、今年の「ニューイヤー・コンサート」では、この喜歌劇の中の「入場行進曲」が最初に演奏されていました。その時の解説によると、この喜歌劇(オペレッタ)は、第一次世界大戦が終わり、ハプスブルク帝国が崩壊したことによって独立したハンガリーとオーストリアを舞台にしており、当時の政治状況に不満を抱えていたハンガリーとウィーンの人々に一体感を与えようと作曲されたのだそうです。
 この序曲には、そんな「ハンガリーの人々」が喜びそうなジプシー(ロマ)の音楽がふんだんに盛り込まれています。さらに、この中で披露されるワルツやポルカのメロディの、なんと親しみやすいこと、シュトラウスという人は、美しいメロディを作ることにかけてはまさに天才だと思えてしまいます。それは、彼自身も自覚していたようで、同じ今年の「ニューイヤー・コンサート」では、この序曲にも出てくる、オペレッタの中のアリアのテーマをそのまま使った「フランス風ポルカ『花嫁探し』」という曲も演奏されていましたね。

ヨハン・シュトラウス二世:常動曲
 次に演奏される「常動曲」は、オリジナルのタイトルは「Perpetuum mobile」というラテン語です。これは、「永久機関」という意味で、産業革命による機械信仰が高まった結果生まれた想像の産物、「外部からエネルギーを補給しなくても、永久に動き続ける機械」のことです。「常動曲」はその思想を音楽で表現しようとしたもので、パガニーニなどにもひたすら忙しく音符を作り出す機械のような音楽がありますね。シュトラウスの場合はもうちょっとチャーミングで、オーケストラの中の楽器がそれぞれ名人芸を披露しながら楽しく音楽が「動いて」いるという趣向です。
 ただ、この曲は最後まで演奏したところで、また最初に戻るように指示されています。ですから、放っておいたらそれこそ「永久に」演奏し続けなければいけませんから、指揮者は「et cetera(そして、その他)」とか「und so weiter(この後も引き続き)」と客席に呼びかけて、笑いを取りながら曲を締めくくるのが慣例となっています。あのカール・ベームが日本でこの曲を演奏した時には片言の日本語で「い・つ・ま・で・も」と言って曲を閉じていましたね。本日のマエストロは、なんと言ってくれるのでしょうか(それとも、何も言わない?)。
 この曲の中で、クラリネット2本の流れるようなソリが終わった後にホルンによって奏でられるメロディを聴いて懐かしいと思える人は、年季の入ったクラシック・ファンなのではないでしょうか。それは、1972年から1983年まで放送されていた「オーケストラがやって来た」というテレビ番組でこの曲がオープニング・テーマに使われていたからです。毎回、指揮者の山本直純がこのホルンのメロディに続けて、マイクを片手に客席に向かって同じメロディで「♪おーけすとらがやってきた~」と、指揮棒を振りながらだみ声で歌い出す光景を思い出せる人は、少なくなってしまいました。

ヨハン・シュトラウス二世:ワルツ「美しく青きドナウ」
 そして、このコーナーの最後の曲は、シュトラウスと言えばこの曲というほど有名なワルツ「美しく青きドナウ」です。もちろん、今回はオーケストラで演奏されますが、この曲は合唱曲としても有名で、たとえばウィーン少年合唱団あたりがよく歌っているのを聴くことができるはずです。「Donau so blau, so sch?n und blau(青きドナウよ、なんと美しく青いことか」という歌詞ですね。実際、この曲は最初は合唱曲として作られていました。ただ、その時の歌詞は「Wiener, seid froh(ウィーンっ子よ、陽気にやろうぜ)」というものだったそうです。作曲された当時、プロイセンとの戦争(普墺戦争)に負けて意気消沈していたオーストリアの国民を元気づけようという作詞家の意図があったのですね。もちろん、今ではそんな由来もすっかり忘れられ、「ニューイヤー・コンサート」では、必ずアンコール曲として演奏されるほどの特別な曲になっています。
 そのコンサートでは、この曲の冒頭の静かなヴァイオリンのトレモロが聴こえるやいなや、ホールを埋め尽くしたお客さんからは盛大な拍手が起こり、それをきっかけに指揮者は演奏を中断して年頭のあいさつをする、という「お約束」のシーンが用意されています。そんなことも含めて、世界中の人に愛されているワルツなのです。ただ、本日のコンサートでは、そんな臭い演出はありませんから、途中で拍手などはせずに最後までゆっくりとお聴きください。

グスタフ・マーラー:交響曲第9番
 シュトラウスが先ほどの「常動曲」を作る前年に生まれたグスタフ・マーラーが長じて指揮者・作曲家となり、ウィーンで活躍する頃には、世の中の音楽は全く別のものに変わっていました。マーラーはそんな中で、彼独自の方法で伝統的な「交響曲」というものを、形式的にも、そして精神的にもかつてなかったほどの高みに引き上げます。その最終的な成果が、今回演奏する「交響曲第9番」です。
 よく言われていることですが、マーラーが交響曲を作り続けてきて、それが「9番目」になった時に、彼の脳裏に「作曲家は交響曲を9つ作ると死ぬ」という「呪いの言葉」が浮かんだのだそうです。彼以前の作曲家で、たとえば交響曲という音楽の形を完成させたベートーヴェンは、確かに9曲しか作っていませんし、そのあとのドヴォルジャークやブルックナーも、やはり「9番」が最後の交響曲になってしまいました(ブルックナーの場合は未完)。もっと言えば、シューベルトの交響曲も、マーラーの時代は最後のものは「第9番」と呼ばれていました。そこで、この9番目の交響曲に番号を付けると、自分は死んでしまうのだと思い込み、それには番号ではなく「大地の歌」というタイトルを付けました。ところが、その次に出来てしまった「交響曲」は、さすがに番号なしというわけにはいかず、仕方なくそれに「第9番」という番号を付けますが、その後にもう一つ作ろうとした「第10番」はとうとう完成させることはできずに作曲家は亡くなってしまったので、やはりその「呪い」はあったのだと、世の中の人々は納得したのです。
 しかし、現在ではこれはほぼ完全に事実誤認だとされています。この話のそもそもの出所は、妻のアルマ・マーラーが書き綴った回想録の1908年、つまり「大地の歌」を作っている時期の記述です。それは、
彼は縁起をかついで、あえてこれを交響曲とは呼ばなかった。それによって運命の手から逃がれようとしたのだった。(石井宏訳)
というものです。ただ、もちろん、マーラーは冗談半分にそんなことを周りの人に語ったことぐらいはあったかもしれませんが、本心はそんな深刻なものではなかったはずです。まあ、この曲は、言ってみれば「歌曲集」と「交響曲」が合体したような作品ですから、別に番号を付けなくてもよかったと考えたのでしょう。ですからこれは、マーラーを悲劇の主人公に祭り上げようというアルマの策略だった、とするのが、最近の学者たちの一致した見解のようですね。実際、マーラーはその次の交響曲を作り始めた時に、何のためらいもなくそれに「第9番」という番号を与えていたことは、彼の手紙によって明らかになっているそうですから。
 ただ、現存する作曲家でもそのような「迷信」、あるいは「都市伝説」を真に受けている人はいるようで、クシシュトフ・ペンデレツキというポーランドの大作曲家は、まだまだ曲を作る力は残っているのに、「8番」を最後に交響曲を作ることをやめてしまいました。あるいは、それを逆手にとって、ドミトリー・ショスタコーヴィチあたりは、「9番」をわざと軽妙な曲に仕上げることによって、この「迷信」をネタにしていましたね。もちろん彼はその後も生き続け、交響曲は15曲も作ることになります。

 ということで、マーラーの10番目の交響曲である「交響曲第9番」の第1楽章は、とても静かにチェロとホルンが同じ音で呼び交わす「ターッタ・ンター」というシンコペーションのリズムで始まります。このリズムは「死の打撃」と呼ばれていて、後に大きな意味を持って盛大に登場しますから、気に留めておいてください。そして、次に第2ヴァイオリンで出てくる「ミレ(移動ド)」という2度の下降の音型で始まるテーマが、この楽章の重要なテーマとなります。この「2度下降」のモティーフは先ほどの「大地の歌」でも、最終楽章の歌詞の最後「ewig(永遠に)」にも使われていて、バロック時代の音楽でも修辞学的に「ため息のモティーフ」として知られるものです。このモティーフはこの楽章のいたるところで登場しますから、ぜひ耳をそば立ててみてください。
 それまで静かな音楽だったものが、初めての「フォルテ」になった瞬間に第1ヴァイオリンによって現れるのが、もう一つのテーマです。これらのテーマが入り乱れて、楽章は進んでいきます。冒頭のシンコペーションのリズムもホルンなどによって時折聴こえてきます。そして、始まってから20分近くに、そのリズムが銅鑼や大太鼓を伴ってトロンボーンで現れるところでは、誰しもが強烈なインパクトを与えられるはずです。これこそが「死の打撃」です。確かにここで「死」は訪れ、その後には葬列の音楽が続くのです。
 と、その行進がいきなり止まったと思ったら、そこにはフルートやホルンなど何人かのソリストがそれぞれに即興的なフレーズを競い合う、異様な浮遊感が漂う空間が現れます。それはまるで、夢の中で自分の亡骸を見ているような不思議な情景です。そして、楽章の最後には「ため息」の「ミレ」の「レ」の部分がオーボエによっていつ果てるともなく長く伸ばされ、なんとも不安定でやるせない状態が続きますが、それは弦楽器とピッコロの出す「ド(もちろん移動ド)」の音によってやっと解決されます。

 そんな、恐ろしいまでに緊密に作り上げられ、思わず背筋を伸ばさざるを得ないような第1楽章に続く第2楽章は、ちょっとホッとしたくなる、ゆったりとした3拍子の舞曲「レントラー」で始まります(パート1)。ところが、それはいきなり攻撃的でアップテンポのワルツに変わります(パート2)。この鋼のような冷たいテイストは、なんだかショスタコーヴィチの「交響曲第5番」の第2楽章のテーマに通じるものがあると感じるのは、なぜでしょう。それも、やはりいきなり、今度は冒頭よりもっとゆったりとしたレントラー(パート3)に変わります。このテーマの中にも、第1楽章の「ため息のモティーフ」が含まれていることにご注目。この3つのパートを、規則性を持たせずに全くランダムに登場させているというのが、いかにもマーラーらしいところです。

 第3楽章は、「極めて反抗的に」という表記のある、とても賑やかで激しい楽章です。言い換えれば、細かい音がたくさんあって、演奏するのはとても大変だということです。冒頭のロンド主題が何度も形を変えて登場し、時には多くのテーマが入り乱れてのフーガなども始まりますから、聴く方も演奏する方も多大のプレッシャーを与えられることでしょう。ただ、そんな楽章でも、真ん中あたりにちょっとした息抜きの部分が用意されているのには救われます。それは、シンバルの一撃とヴァイオリンとフルートの高音のトレモロによって始まる部分で(フルートには「フラッター・タンギング」という特別な奏法が要求されます)、まずはトランペットが、クリスマスの定番曲「ホワイト・クリスマス」に酷似したモティーフを演奏、それが次第に全体にいきわたってなにかほっこりとした気分を誘います。それが終わると、また音楽は激しいものに変わり、そのまま一気にエンディングを迎えます。

 第4楽章は、それまでの「最後は元気良く終わるのが交響曲」というルールをものの見事に破って、ゆったりとしたテンポでたっぷりと歌い上げられた後に、消え入るように終わるという、最後の楽章にあるまじき形をとっています。あ、でも、チャイコフスキーの「交響曲第6番(悲愴)」でも、同じことをやっていましたね。ただ、あちらはいかにも重苦しいテーマで始まるのに比べて、ヴァイオリンによる荘厳な前奏に続いて、全ての弦楽器で奏されるこちらのテーマは、なんという高貴さを湛えていることでしょう。そして、それに並んで聴こえてくるのが、第3楽章で現れていた「ホワイト・クリスマス」です。ここでは、この二つのテーマが何度も微妙に形を変えて、3つの変奏曲が演奏されます。その3つ目の変奏が始まる直前に、ヴァイオリンの高音で、第1楽章の「死の打撃」のリズムも現れます。そして最後には弦楽器しか残らなくなり、いつ果てるともしれぬ静謐な音楽が続きます。それは次第に浄化され、ついにはこと切れます。
 マーラーの交響曲はこんな風に去っていきました。私たち「杜の都合奏団」もこれでお別れですが、皆さんの心の中には残り続けます。「い・つ・ま・で・も」。

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by jurassic_oyaji | 2018-03-02 20:56 | 禁断 | Comments(0)