Artem Yasynskyy(Pf)
NAXOS/8.573604
音楽史の上で「スカルラッティ」というと、「アレッサンドロ・スカルラッティ」と「ドメニコ・スカルラッティ」の2人の名前が挙げられます。どちらも偉大な作曲家ですが、これは親子、父アレッサンドロはオペラで、そして息子ドメニコは鍵盤楽器のためのソナタで有名ですね。
ここで演奏されているのは、そのドメニコのソナタです。彼が活躍したのは18世紀の前半でしたから、鍵盤楽器と言えばチェンバロが最も普及していた時代です。彼は、その楽器のために555曲もの「ソナタ」を作ったのです。それぞれは長くても5分程度のかわいらしい作品ばかりです。その作品番号は、現在ではカークパトリック番号(K. ただし有名なケッヒェルと区別するためにKk.とも)が主流ですが、以前はロンゴという大昔の(それは「
論語」)番号もありました(L.)。さらに、ペストリ(P.)というのも使われています。
そんな膨大な数のソナタを全曲録音した最初の人はスコット・ロスでした。彼は1984年から1985年にかけて、ERATOにCD34枚分の録音を行いました。その次に全曲録音を完成させたのは、あのBRILLIANTレーベルです。2000年から2007年にかけて、ピーター=ヤン・ベルダーの演奏で、こちらはCD36枚の全集を作りました。さらに、2006年から2007年には、NIMBUSレーベルにリチャード・レスターがCD38枚の全集を録音しています。
もちろん、これらはオーセンティックな楽器による演奏なわけですが、バッハなどと同様、オリジナルはチェンバロのための作品でもあえて現代のピアノで演奏するという伝統は以前からありました。あのホロヴィッツなども、積極的にリサイタルでスカルラッティのソナタを取り上げていて、録音も数多く残しています。ただ、さすがにピアノで全曲を録音しようとした人は今まではいませんでしたね。
こういうレアな「全集」にかけては定評のあるNAXOSは、現在そのピアノによる全曲録音を進めているところです。ただ、ここでは一人のピアニストに任せるのではなく、アルバムごとに異なるピアニストが演奏しているという、興味深いことを行っています。
その記念すべき第1集は1994年に録音されました。演奏していたのは、ジョージアのピアニストで1974年のチャイコフスキー・コンクールに史上最年少で4位に入賞したというエチェリ・アンジャパリゼでした。この時の1位はアンドレイ・ガヴリーロフ、2位がチョン・ミョンフン、そして4位を分け合ったのがアンドラーシュ・シフというそうそうたるメンバーでした。
このCDがリリースされた頃は、NAXOSレーベルはまだ「アイヴィ」という愛知県あたりの小さな代理店を通して販売されていましたね。この頃はまだ「廉価盤専門のレーベル」という、品質は二の次のようなイメージがありました。実際、この第1集の音を聴くと、「ピアノによる初めての全集」という割にはその「ピアノ」の音がかなりお粗末な録音になっています。変に高音が強調されていて、まるで「モダンチェンバロ」のように聴こえてしまうんですね。
そんな時代に始まったプロジェクトは、2007年に日本の代理店がアイヴィからナクソス・ジャパンに引き継がれたあとも粛々と継続されていて、多くの演奏家によって1年に1枚程度のペースで録音が進んでいったようです。これまでに19枚がリリースされ、300曲以上のソナタを録音し終えました。しかし、まだまだ先は長いのではないでしょうか。
そして、今年になって20枚目のアルバムがリリースされました。これが録音されたのは、1枚目から22年後の2016年のことでした。演奏しているのは、1枚目が録音された時にはまだ6歳だったウクライナのピアニスト、アルテョム・ヤスィンスキイです。この方は、以前
こちらでご紹介していましたね。
これはもう、まさにモダン・ピアニズムの極致。繊細な表情と落ち着いた音色によって、これらの曲からチェンバロとは全く異なるピアノならではの可能性をまざまざと感じさせてくれています。
CD Artwork © Naxos Rights US. Inc.