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おやぢの部屋2
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「バスのうた」とか
 最近、90歳を少し超えたあたりの人の訃報が目につきませんか?ちょっと前だと80歳を超えれば、もうそろそろ、という感じだったのに、なんだかとても寿命が延びたような気がするのは、気のせいでしょうか。こういうデータに関しては割と身近な私の職場の資料でも、もはや100歳を超えてからお亡くなりになるような人も珍しくなくなっていますからね。
 94歳でお亡くなりになったのが、大中恩さんです。だいぶ前から健康を害していたようなうわさは聞いていたので、ついに、という感じですね。そんなころから思っていたのが、この方がもし亡くなった時に報道で付けられるのは、絶対に「『サッちゃん』と『いぬのおまわりさん』の作曲家」という「肩書」なのではないか、ということでした。本当にその通りになりましたね。どちらの曲も、おそらく知らない人はほとんどいないほどの超ヒット曲ですが、おそらく曲は知っていてもその作曲家の名前を知っている人はあまりいなかったのではないでしょうか。
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 これらの曲は、言ってみれば昔の「小学唱歌」のような「パブリック・ドメイン」として広く認識されているような気がします。「サッちゃん」は矢野顕子もカバーしてましたからね。
 もちろん、小学唱歌にしてもきちんと作曲家は存在していますから、それよりずっと新しいこれらの曲では、その気になればそれを作った大中恩さんの名前はすぐにわかるはずです。さらに、この方は、あの「椰子の実」の作曲をした大中寅二の息子だということもわかるでしょうね。
 大中恩さんがこれらの、いわゆる「童謡」を作った時には、その前の世代の専門の童謡作曲家とは一味違う質の高い、言い換えれば鑑賞に堪えうるだけの「童謡」を目指していたのではないでしょうか。「ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね」という「ぞうさん」を作ったのが團伊玖磨、「♪ブランコ揺れる、お空も揺れる」という「ぶらんこ」を作ったのが、芥川也寸志といった重鎮たちですし、「インディアンがとおる、アッホイアッホイアッホイオイ」という「インディアンがとおる」を作ったのは「前衛作曲家」の湯浅譲二でしたからね。
 そんな中にこそ、大中恩さんの多くの子供のための作品が位置付けられるはずです。何より、大中さんはそんな作品を、大人が歌える「合唱曲」としても世に問うたのですからね。かつて彼が主宰していた「コール・メグ」という合唱団でそれらの曲を聴いた時の衝撃は、今でも忘れられません。もちろん、それは大中さんの中ではそのほかの合唱曲と同じスタンスで作られたものだったのでしょうね。そう、合唱関係者であれば、彼の名前を知らない人は誰もいなかったはずです。
 その大中さんに、実際に会ったことがありました。大学の時の合唱団の連絡組織のようなものが、そのコンサートの指揮者として、大中さんを招待したのです。その時には、混声合唱団の合同演奏を指揮したので、私たち男声合唱団は実際に指揮をされたわけではありませんが、その前に公開リハーサルのようなものがあって、それに参加することはできました。
 そこでの大中さんの指導ぶりにも、とても驚かされましたね。その曲の「楽しさ」を、体をもって表現してくれて、歌っていた人たちの意識がまるで変ってしまったのを、つぶさに感じることができました。
 ちょっと記憶があいまいですが、その時の男声合唱の指揮が、あの多田武彦さんだったのではないでしょうか。彼の指揮、というか指導は、大中さんに比べるとあまりに杓子定規で全然面白くなかったことだけは、よく覚えています。
 まあ、90歳を超えれば、誰しも自分のやりたかったことはあらかたやり終えているのではないでしょうか。そのあとは、だれにも迷惑をかけることなく、ひっそりと世の中から消えていくような生き方(死に方)ができれば、幸せではないかと、しみじみ思います。
by jurassic_oyaji | 2018-12-05 22:44 | Comments(0)