人気ブログランキング |
おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
ビートルズやカーペンターズも歌いました
 岡﨑光治さんが亡くなりました。行年83歳、まだまだ亡くなるのには早い年齢でした。
 私が岡﨑さんに初めて会ったのは、大学3年の時だったでしょうか。私が属していた男声合唱団のOBだということは知っていましたが、当時は仙台放送合唱団の指揮者を務められていましたね。そのころは、仙台の放送局が毎年芸術祭参加作品として、合唱曲を委嘱していて、一応そこの専属の合唱団だった仙台放送合唱団がそれを録音していました。その時に男声が足らないということで、我々後輩にエキストラとして参加が要請されたんですよね。
 面白半分に行ってみたら、そのなんともエネルギッシュな指揮ぶりには、とても圧倒されてしまい、とうとう大学の合唱団と掛け持ちでその合唱団にも入ってしまいました。ピアノを弾きながら各パートの音を的確に指示していく姿などは、ほとんど奇跡のように感じられましたね。
 岡﨑さんは作曲家でもあったので、そのほかのラジオの番組のために編曲も行っていました。ハワイアン・バンドと一緒にハワイアンを録音したこともありましたね。もちろん、しっかりした合唱のレパートリーもたくさん歌いました。今では私の最愛の曲となったデュリュフレの「レクイエム」を初めて知ったのも、岡﨑さんのおかげです。おそらく仙台初演だったはずのそのコンサートでは、今のようにヴォーカルスコアが簡単に手には入らなかったので、スコアをもとに岡﨑さんが自ら合唱譜を作り(手書き)、オーケストラのパートは確かピアノとハモンドB3、それにチェレスタとティンパニという編成で岡﨑さんが編曲したものを演奏していました。その時にチェレスタとティンパニの担当だったのが、今の合唱連盟の理事長、今井邦夫さんでした。今井さんは、岡﨑さんの元で副指揮者を務めていましたね。
 そして、何よりも楽しかったのが、これもおそらく仙台では初めての試みだった、合唱団による「ポップス・コンサート」です。もちろん編曲は岡﨑さん、それを、団員がそれぞれ楽器を演奏してバックを務めます。私はそのころはまだフルートはやっていなかったので、ギター(フォークギター)を弾いてましたね。
c0039487_21251973.jpg
 これは集合写真。
c0039487_21251990.jpg
 岡﨑さんのアップです。
c0039487_21251998.jpg
 それ以来、仙台からも合唱からも遠ざかっていたのですが、少し前にはまた岡﨑さんのそばで演奏するようなこともありました。こちらはひたすらご無沙汰を決め込んでいたのですが、あちらから駆け寄ってきて「やあやあ〇〇くん!」なんて握手してくれるんですから、うれしかったですね。
 お通夜は9日(日)の6時から、お葬式は10日(月)の2時からだそうです。会場は北四番丁の「斎苑」です。
 私も参加したいのですが、どうなりますか。というのも、私の身内が岡﨑さんが入院されていた病院と同じところに入院しているのです。しかも同じフロアの3つ隣の病室でした。身内の看病の時にそのことに気が付いてびっくりしましたね。岡﨑さんの病室の前まで行ってみると入り口が開いていたので、中を覗いてみたら、カーテンの陰で姿は見えませんでしたが、軽い寝息のようなものが聞こえてきました。それが昨日の4時頃だったのですが、そのあとの9時45分に鬼籍に入られたのだそうです。
 晩年こそ不義理を通してしまいましたが、若いころに私の音楽性を育んでくれた岡﨑さんの御恩は、忘れたことはありませんでした。安らかにお眠りください。
 その身内も、もうしばらくしたら天に召され、56年前にこの世から去った最愛の夫に再会できるはずです。
by jurassic_oyaji | 2018-12-07 21:28 | 禁断 | Comments(0)