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BERIO/Rendering, SCHUBERT/Symphony No.9(8)
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Christoph König/
Solistes Européens, Luxembourg
RUBICON/RCD 1025



ベートーヴェンの「エロイカ」などを演奏していたこちらの、ケーニッヒ率いるソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルク(SEL)のファースト・アルバムに続く今回は、シューベルトのアルバムでした。とは言っても、ベートーヴェンではびっくりするような曲をカップリングさせていたので、シューベルトでももちろん普通に交響曲だけを並べるような真似はしていませんでした。
ここで持ってきたのは、シューベルトの最後の交響曲である「交響曲第8番ハ長調」、いわゆる「ザ・グレイト」です。ただ、このCDでは相変わらず業界の掟に従って「9番」という表記になっているのは困ったものです。
そして、もう1曲の「シューベルトの交響曲」は、作曲家が最晩年に作り始めたものの、完成をみずに亡くなってしまったために、その断片的なスケッチだけが残された「最後の未完の交響曲」です。これには「D936a」というドイッチュ番号も与えられています。
この曲は、これまでにペーター・ギュルケ、ブライアン・ニューボールド、ピエール・バルトロメーなどの手によって修復作業が行われ、「完成された」交響曲として聴くことができるようにはなっていました。
2003年に亡くなった、イタリアの現代作曲家ルチアーノ・ベリオも、やはりこの曲を「修復」したものを1989年に完成させています。しかし、その作業は、それまでのものとは決定的に異なるコンセプトによって行われました。ニューボールドたちが行ったのは、残された素材をもとに、「シューベルトが生きていれば、おそらくこのように作っただろう」と「想像」して、整合性のある形に仕上げることでした。ですから、シューベルトが「作っていない」部分は、極力シューベルトの様式と個性に忠実に仕上げるような努力がなされていたのでしょう。
しかし、ベリオはそんな面倒くさいことには、最初から興味はなかったのでしょうね。彼は、例えば描かれてから何百年も経ってあちこち剥げ落ちたフレスコ画を修復する時に、あえてそのなくなってしまった部分には手を付けないでそのままにしておくというようなやり方をとりました。ただ、絵画でしたらそのなくなった部分は白い漆喰などで置き換えられるでしょうが、時間芸術である音楽ではそのような「空白」を作ることは不可能ですので、その部分はベリオ自身の音楽で埋めるということになります。
ですから、それは結果的には「修復」でもなんでもなく、現代芸術にはよく見られる「コラージュ」、あるいは、「サンプリング」という手法で自作を完成させた、ということになってしまいました。そんなべリオの思いは、「レンダリング」という、多くのデータから新しい画像などを創出するという意味のコンピュータ用語をタイトルに使ったことでも、明らかです。
さらに、ベリオはどこまでがシューベルトで、どこからがベリオなのかがすぐ分かるような仕掛けも施していました。ベリオのパーツでは、シューベルトの時代にはまだこの世になかった楽器、チェレスタが使われています。つまり、彼はしっかり「ここからはおれが作ったんだぜ」ということを分かりやすい形で伝えているのですね。
そんなねじまがった作品を、ケーニッヒたちはいとも楽しく演奏しているようでした。そこからは、シューベルトの魅力も、ベリオの魅力もしっかりと伝わってきます。
そして、純粋にシューベルトの作品である「ザ・グレイト」からは、今まで聴いてきたこの曲からはあまり感じることが出来なかった、とても風通しの良い音楽が聴こえてきました。それは、このオーケストラの持ち味であるそれぞれのプレーヤーの自発的な演奏がもたらしたものなのでしょう。ほんと、なんと1154小節もある終楽章が、いとも楽しげに聴こえるのには、嫉妬心さえ感じてしまいます。実際にこの曲を演奏した時には、それは苦役以外の何物でもありませんでしたからね。まるで囚人みたいでした(それは「服役」)。

CD Artwork © Rubicon Classics

by jurassic_oyaji | 2019-05-07 20:10 | オーケストラ | Comments(0)