Michael Nagy(Bas)
Dieter Kurz/
Württembergischer Kammerchor
Chor der Staatlichen Hochschule für
Musik und Darstellende Kunst Stuttgart
Württembergische Philharmonie Reutigen
CADENZA/CAD 800 855(Hybrid SACD)このアルバムは、
1944年にスウェーデンで生まれ、
1950年から南ドイツ、シュトゥットガルトの近郊ビーティヒハイムに移り住んだ作曲家、ハンス・ゲオルク・プフリューガーが
1999年に亡くなってから5年経ったことを記念して、その命日の
2004年3月9日にビーティヒハイムの聖ローレンス教会で行われた彼自身のレクイエムの演奏会の模様が収録されたものです。
その演奏会では、それに先だってモーツァルトのレクイエムが演奏されました。これは、プフリューガーがこの曲を作る際に、この名曲について友人と真剣にディスカッションをした、ということも考慮してのことなのでしょう。しかし、それだけではなく、ここでは敢えて曲の本来演奏される順番を崩して、作曲された順番に演奏されているということが、暗示的な意味を持ちます。つまり、「
Kyrie」のあとには「
Offetorium」である「
Domine Jesus」と「
Hostias」が続き、そのあとに「
Dies irae」から始まる「
Sequenz」が演奏されて、絶筆となった「
Lacrimosa」の8小節目で打ち切るということを行っているのです。それにすぐ続けて、この新しいレクイエムを演奏するということはどういう意味を持つのか、想像に難くはありません。
素麺も固くはありません。
ちなみに、このモーツァルトのレクイエムは、オーケストレーションは後にジュスマイヤーが行ったものをそのまま使っています。かつて
シュペリングが録音していたように、本当にモーツァルトが作った部分だけを演奏するというような方法をとっていれば、その意図はより伝わったのでしょうが、実際の演奏会としてはこの折衷案をとる方が現実的なのでしょう。
その、プフリューガーの「
Memento mori 1995 Ein Requiem für tiefe Stimme, Chor und Orchester」というタイトルを持つレクイエムは、彼の住むビーティヒハイム市、および、そこの教区牧師であった友人のヨーゼフ・ディーマーの委嘱によって
1995年に作られました。タイトルにもあるように、ここで活躍するのは「深い声」です。もちろん、これはバスやバリトンの歌手を示すわけですが、その「深い」というファクターを求められるソロパートは、音域以外のキャラクターが重要になってくることでしょう。というのも、ここで彼が担当する音楽は、最近ではとみに馴染みのなくなった「無調」のテイストがふんだんに盛り込まれたものだからなのです。打楽器やチェレスタなどを多用した、まるで映画音楽のようなオーケストラの中で聞こえてくるその「深い」ソロは、まさに人間の不安な気持ちをかき立てるにはうってつけのものとして、迫ってきます。それは、本来の典礼文の中に挿入された、
27歳という若さで悲劇的な死を遂げたドイツの詩人ゲオルク・トラークルの詩をテキストとして使っている部分で効果的に発揮されています。
ただ、全体としては例えば「
Dies irae」や「
Sanctus」で見られるかなり楽天的な合唱の処理などによって、「聴きやすい」ものに仕上がっているのは事実です。不安なままでは終わらない、もっと音楽的な悦びに通じるものが、作品の根底に流れていることを感じないわけにはいきません。あれほど暗かった「深い声」が、最後の「
Lux aeterna」では、ニ長調の第3音
Fisを、まるで何かから吹っ切れたように朗々と歌い上げるのを聴けば、その印象はさらに強まるのです。
ニ短調のモーツァルトのレクイエムから始まったものを、明るいニ長調で終わらせる。これが何を意味しているのかは明白です。