おやぢの部屋2
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BACH/Matthew Passion
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John Butt/
Dunedin Consort & Players
LINN/CKD 313(hybrid SACD)



ダンディン・コンソート&プレイヤーズというスコットランドの団体は、エディンバラ生まれのソプラノ歌手スーザン・ハミルトンが1996年に指揮者のバン・パリーとともに創設した、ヴォーカル・グループとオリジナル楽器のアンサンブルです。2003年には指揮者がパリーからジョン・バットに替わり、現在の布陣となっています。彼らは、バロックなどの古い音楽を演奏するだけではなく、現代の作曲家に新しい曲を委嘱するというような、こういうグループにしては異色な活動も意欲的に行っているそうです。
指揮者のバットは、音楽学者としても知られる人です。彼が今回バッハの「マタイ」を演奏するにあたって引っ張り出してきたものは、「1742年頃の最終演奏稿」というものでした。もちろん、これは世界初録音、これで、以前ビラーによって初録音された「初期稿」と、通常演奏されている「1736年稿」と合わせて、3種類の形態がすべて録音されたことになります。
ただ、この「最終演奏稿」という、おそらくバッハが最後に演奏したであろう楽譜を再現したものは、「初期稿」と「1736年稿」ほどの劇的な違いは見られません。最大の相違は、その頃のトマス教会では第2コーラスのための小さなオルガンが使えなかったために、第2コーラスの通奏低音にチェンバロが用いられているというあたりでしょうか。それに伴い、第2コーラスのテノールによって歌われる、第2部の2つ目のアリア(とレシタティーヴォ)「Gedult!」で、響きを充実させるためにヴィオラ・ダ・ガンバが加えられています。実は、このあたりの措置は、1736年稿に基づく新バッハ全集の楽譜(BÄRENREITER)にも反映されており、現行の演奏でもすでに行われていることなので、特段の目新しさはありません。
聴いたときに分かる明らかな違いといえば、例えば42番のバスのアリア「Gebt mir meinen Jesum wieder」のヴァイオリン・ソロや、49番のソプラノのアリア「Aus Liebe will mein Heiland sterben」のフルート・ソロのオブリガートで、後奏の部分に楽譜にはない装飾が見らることでしょうか。しかし、これが「最終演奏稿」できちんと記譜されたものであるのかどうか、というのは判断の難しいところです。それは、普通のセンスをもつ、この時代の音楽を専門に演奏しているプレイヤーであれば、当然即興で付けたくなるような装飾なのですからね。
この演奏を特徴づけるものは、したがって、稿うんぬんではなくこれが「リフキン・プラン」に基づく2度目の「マタイ」の録音だということになります。スコット・ジョプリンの作品を蘇らせたことで名が知られていたアメリカのピアニスト/音楽学者のジョシュア・リフキンが、バッハのミサ曲ロ短調の全ての声楽パートを1人ずつで演奏するという「アイディア」を提唱してそれを録音したのは、今から四半世紀も前のことでした。この「アイディア」はバッハの他の作品にも波及し、なかなか新鮮な演奏を生んだものです。「マタイ」に関しても、2002年にポール・マクリーシュが9人の歌手だけで演奏したものを録音し、大きな話題となりました。
今回のバットの録音は、このマクリーシュの試みで問題となった部分をかなり改良したもののように思えます。歌手は基本的にソロも歌う人が8人と、「1パート1人」の線は守りますが、その他にリピエーノと、レシタティーヴォ・セッコに現れる多くの配役のための要員としてもう4人追加されています。ハミルトンを中心とした歌手たちはアンサンブルにも長けていますから、コラールなどもきれいなハーモニーとよいバランスで楽しめます。そのハミルトンに見られるように、ソロになってもその声はあくまで軽め、変に深刻ぶらず、淡々とドラマが進行していく心地よさがあります。エヴァンゲリストのニコラス・マルロイが、とても身近な視点から親しみやすい表現に徹しているのも、そのように思える要因なのでしょう。
by jurassic_oyaji | 2008-04-08 23:30 | 合唱 | Comments(0)