おやぢの部屋2
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HAUSEGGER/Natursymphonie
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Ari Rasilainen/
WDR Rundfunkchor Köln
WDR Sinfonieorchester Köln
CPO/777 237-2



ドラマや映画の音楽というのは、本当は作るのがものすごく難しいものなのでしょうね。基本的な役割は、そのシーンを音によってより雄弁なものにすることなのでしょうが、そこで音楽だけが目立ってしまっては、肝心のドラマが食われてしまいます。理想的なのは、その存在が全く気づかれないものなのかもしれません。なんだか盛り上がっているようだけど、音楽そのものは全く気にならない、そんなシーンに出会えたときには、まさに「劇伴」のプロの仕事に感服してしまいます。「刑事コロンボ」にもあったじゃないですか。ある映画音楽の「大家」が書いたコテコテの音楽は監督にボツにされたのに、その弟子が代わりに作った本当に要所だけを押さえた薄~いスコアが採用されたという、あれですよ(そんな「秘密」を守るために、弟子は殺されるのでしたね)。
そういう意味で、最近のテレビドラマの音楽あたりはなにか勘違いをしているような気がしてなりません。今NHKで放送されている大河ドラマの音楽などは、そんな勘違いの最たるものなのではないでしょうか。音楽自体はとても美しく、心に訴えかけるところの多いものなのですが、あまりに主張が強すぎてそれ自体で完結してしまい、それが流れているときのドラマに全く溶け合っていないのですよ。もっと言えば、その時の物語の内容とは全く関係のない音楽が、のべつ幕なしに流れているのです。本当ですよ。ちょっと注意して耳を傾けていると、何でこんなしっとりとした場面に、こんな威勢のよい音楽を当てたのだろうといったような場面が殆どですから。
もっとも、これを作った作曲家にしてみれば、そんなことを言われても全く理解出来ないかもしれません。彼にとっては、それは完璧にそのシーンに合致した音楽、として聞こえているのでしょうからね。
「自然交響曲」という大層なタイトルを持つ音楽を作ったジークムント・フォン・ハウゼッガーは、もっぱらブルックナーの交響曲を、それまで用いられていたレーヴェなどによる改竄稿ではなく、ブルックナーの自筆稿に忠実な楽譜による演奏を初めて行った指揮者として知られています。1932年に交響曲第9番を初めて「原典版」によって演奏したことが、その後のハースによる旧全集への緒となるわけです(1938年のミュンヘン・フィルとの演奏が録音として残っています)。
この曲は、彼が39歳の時、1911年に作られました。彼の音楽のルーツは、ワグネリアンだった父親フリードリッヒ(だから、こんな名前を付けられたんですね)の影響でワーグナー、しかし、作られた音楽はそのワーグナーからドロドロとしたものを洗い流したような、非常に明快な情景描写に長けたものでした。これはまさに、殆ど勘違いに近い昨今のドラマの音楽そのものではありませんか。従って、この曲を聴くとき、我々は作曲者があるいは抱いていたかもしれないプログラムとは全く無関係な情景を、そこから思い浮かべることになるのでしょう。
曲は、オルガンと、最後の部分に合唱が加わるという大きな編成を持ったものです。一応4つの楽章に分かれていますが、それらは連続して演奏されます。オルガンソロに導かれる「第2楽章」は、最初のゆっくりとした部分にはとても満ち足りた情感が込められています。その穏やかさが、後半の同じパターンの繰り返しによって無惨にも砕け散る、といったあたりが、一つのクライマックスでしょうか。
「第4楽章」の合唱は、ゲーテの詩をテキストにしたものです。終わり近くに「Unermesslichkeit(無限の存在)」という言葉がア・カペラで歌われるところでは、まるでこの同じ年に作られたマーラーのあの交響曲第8番の大詰めのような引き締まった風景が見えてきます。もちろん、そこにはマーラーほどの屈折した感情は込められてはいませんが。
「自然Natur」と言うよりは、なにか芝居がかった作為を感じさせる曲でした。
by jurassic_oyaji | 2008-08-16 19:13 | オーケストラ | Comments(0)