おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
2018年 02月 04日 ( 1 )
引きものはお茶と羊羹
 今日は、夕方の7時からSさんのお通夜があるというので、少し早目に夕食を食べてから出かけようと思っていました。会場がちょっと遠くて広瀬文化センターのあたりですから、まあ6時ごろには出発する必要がありましたからね。そこで、妹も一緒に行くことになったので、その頃に迎えに行くとメールを出した後、念のためということで時間を確認してみたら、そこには「17時」とありましたね。どうも、連絡を受けてからの動揺がまだ収まっていないのでしょうか、なんか注意が散漫になっています。あわてて訂正のメールを出しましたよ。
 結局、少し早めに行っておきたかったので、4時少し前に出発して、会場に向かいます。途中で広瀬文化センターによって、出来たばかりのチラシとポスターを置かせてもらいます。いつもはわざわざここまでやってこなければいけないのに、「ついで」で済んでしまったのも、Sさんのお蔭です。
 会場についたら、けっこう広いはずの駐車場がもうほとんど満車になっていました。幸い私は駐車スペースに停められましたが、あとはもう通路の中に押し込まれるように係員に誘導されていましたね。中に入ると、昔の合唱団の仲間が受付をやっていました。そして、ホールに入っていくと、すぐそこにニューフィルの人たちがまとまって座っていましたよ。正直、ニューフィルの人はそんなに来ないのではないか、と思っていたのですが、どうやらコントラバスのパートはほぼ全員、それに他の弦楽器の人もたくさん来ていましたし、金管の人も2人は見かけましたね。改めて、Sさんの交友関係の広さを思い知らされました。いや、それよりも、なんでこんな人まで、と思われるような音楽界の重鎮の顔触れがゴロゴロしていましたから、ちょっとびっくりです。おそらく、200人近くの人が集まっていたのではないでしょうか。椅子に座りきれず後ろに立っている人もたくさんいましたね。
 ホールには、オルガン・バージョンのフォーレの「レクイエム」が、とても小さな音で流されていました。Sさんらしい、素敵なチョイスです。
 ただ、案内に「通夜祭」とか「葬儀祭」とあったので、もしかしたら、と思っていたのですが、これはキリスト教ではなく、私は初めて体験する神道による葬儀でした。というか、そちらではすべての儀式が「祭」と呼ばれるのだそうで、それでこういう呼び方になっていたのですね。ですから「祭」は宮司さんが仕切ります。祝詞というのでしょうか、あまり意味の分からない言葉を述べるところで、なんだか具体的な名前や日にちがでてきたのでちゃんと聴いてみると、そこでは故人の経歴を、宮司さんが語っていましたね。その中に、故人の仕事に関係して「デザイン」とか「バランス」などという言葉が入っているのが面白かったですね。でも、これで初めて、Sさんの詳細な経歴と、家族構成までを知ることが出来ました。
 そして、最後には参列者の「焼香」ではなく「玉串奉納」が始まります。そんな人数ですから、途中で玉串が足らなくなって、奉納されたものを回収してさらに配る、ということをやっていましたね。全部で3回も。ですから、とても時間がかかり、結局全部の「祭」が終わったのは18時半でした。
 残された私たちにとっては、とても残念に思えて仕方がないSさんの死ですが、さっきの宮司さんの祝詞や、最後にあったご遺族のご挨拶などを聴いていると、彼自身はとても充実した一生を送ったのでは、という気になってきました。これだけ多くの人たちに送ってもらえるというのが、その証拠です。
 ホールには、彼の「遺品」が展示してありました。帰り際に見てみると、
c0039487_08240865.jpg
 カープ・ファンだったSさんならではのカープ・グッズ
c0039487_08242342.jpg
 そして、彼の最後のステージだったニューフィルでの、まさにこの間まで使っていた、チャイコフスキーのパート譜です。
 そういえば、ニューフィルで現役の団員を見送ったというのは、今回が初めてだったのではないでしょうか。次は私の番?
[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-02-04 22:13 | 禁断 | Comments(0)