おやぢの部屋2
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2018年 02月 06日 ( 1 )
MUSSORGSKY/St. John's Night on the Bare Mountain
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Anatoli Kotcherga(Bar)
Claudio Abbado/
Südtiroler Kinderchor, Rundfunkchor Berlin
Berliner Philharmoniker
SONY/88697319882-5


ムソルグスキーの「禿山の一夜」の成り立ちについて調べていたら、どうも今まで漠然と認識していたこととは違うのではないか、と思い立ったので、こんな昔(1995年9月)の録音を聴いてみることにしました。
こんな、ある意味「歴史」を感じさせるアイテムを入手したのは、その「禿山の一夜」の、現在普通に演奏されているものとは異なったバージョンが収録されていると知ったからです。これは、「原典版」と「リムスキー=コルサコフ版」の間に作られたバージョンです。
最近ではこの曲の「原典版」も広く演奏されていて、従来の「リムスキー=コルサコフ版」と簡単に比較できるようになっています。そして、その違いがあまりにも大きいものですから、「リムスキー=コルサコフは、オリジナルにあった粗野な面を変えてしまった」という評価が広まることになります。それは、単にオーケストレーションが洗練されたものに変わっただけではなく、たとえば曲の最後にリムスキー=コルサコフ版ではは原典版にない穏やかなシーンが加わっているあたりが、そのような評価の主たる要因なのでしょう。
ところが、リムスキー=コルサコフ版の最後にクラリネットとフルートのソロで現れるその甘美なメロディ(夜明けの情景)は、実際はリムスキー=コルサコフが勝手に挿入したわけではなく、すでにムソルグスキー自身が作っていたのですよ。
それが分かるのが、ここで演奏されている未完のオペラ「ソロチンスク(ソローチンツィ)の定期市」の中にある「若い農夫の夢」というタイトルの音楽です。ここで作曲家は、作ってはみたものの多くの仲間から批判され、とうとう演奏もされずにお蔵入りとなった「原典版」を改訂して、バリトン・ソロと合唱が加わった形に作り変えたものを使っているのです。
正確には、1880年にピアノ・スコアを作った段階で中断してしまったこのオペラの前に、1872年に企画された複数の作曲家の合作によるオペラ-バレエ「ムラダ」の中でも、同じようなことをやっているのですが、これは企画が頓挫してスコアも残っておらず、どんな音楽なのかは知る由もありません。
「ソロチンスクの定期市」の方は、1930年にヴィッサリオン・シェバリーンによって再構築とオーケストレーションが施されました。1934年にはスコアも出版されています。
このアバドの演奏を聴く前に、このオペラの全曲盤(NMLにあります!)を聴いてみると、第1幕の最後近くに問題の「夜明け」のメロディが聴こえてきます。これは、主人公の若い農夫が歌う「なぜ泣き嘆くのか」というアリア(ドゥムカ)で、このオペラ全体のライトモティーフのような使い方もされています。ですから、これは紛れもなくムソルグスキーのオリジナルなのですね。
そして、第3幕の第1場と第2場をつなぐ形で演奏されているのが、「若い農夫の夢」です。オペラでは、この曲が始まる前に、さっきのドゥムカのメロディがまず聴こえます。そして始まったその曲は、合唱が入って雰囲気は少し違っていますが、曲の構成自体は前半ではリムスキー=コルサコフ版とほとんど同じです。原典版には入っていない金管楽器によるファンファーレも、合唱ではっきり聴こえてきます。そして、最後には、まさにリムスキー=コルサコフ版の最後、鐘の音とともに魔物たちが退場して夜明けが来る、というシーンがそのまま演奏されているのです。
これを聴いた後に原典版を聴くと、後半のテーマの扱いがいかにも精彩に欠けていることがよく分かります。彼自身も、おそらく原典版の欠点を理解したからこそ、このような「新化形」を自ら作ろうと思ったのではないでしょうか。
アバドは1980年に「原典版」をロンドン交響楽団と録音、さらに1993年にはベルリン・フィルと録音しています。その時点ではこの「若い農夫の夢」の存在は知らなかったのかもしれませんね。「若い情婦」は存在してたりして。

CD Artwork © SONY BMG Music Entertainment

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by jurassic_oyaji | 2018-02-06 23:20 | オーケストラ | Comments(0)