おやぢの部屋2
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2018年 04月 03日 ( 1 )
BERNSTEIN/mass
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Kevin Vortmann(Ten), Many Soloists
Yannick Nézet-Séguin/
Westminster Symphonic Choir, Temple University Concert Choir
The American Boychoir, Temple University Diamond Marching Band
The Philadelphia Orchestra
DG/00289 483 5009


バーンスタインの「生誕100年」ということで、レコード業界はこの指揮者/作曲家がらみのアイテムをここぞとばかりに「投げ売り」しています。そんな時だからこそ、この「ミサ」という問題作もこんな風にCDとしてリリースできることになるのでしょう。
とは言っても、確かに前世紀には作曲家自身の録音がほとんど唯一の音源だったためこのCDのインフォでも、「この記念碑的な作品は演奏機会もあまりなく、CDになることも珍しい作品です」とまで言い切ってしまったのでしょうが、今世紀に入ってからはもうすでに少なくとも3種類のCDがリリースされているのですから、決して「珍しい」わけではありません。
1971年に初演されたこの作品には、「歌手と演奏家とダンサーたちのためのシアター・ピース」というサブタイトルが付けられていました。そう、当時は世の中では「シアター・ピース」というものが流行っていたのですよ。おそらく、今では「それ、なに?」という人は多いのではないでしょうか。アニメじゃないですよ(それは「ワン・ピース」)。確かに、あれほど盛り上がっていた「シアター・ピース」のブームはいつの間にか終わってしまい、この21世紀の芸術のシーンでは見事に消え去っています。
それがどんなものなのかは、このCDのブックレットに載っている写真を見れば、その片鱗ぐらいは分かるかもしれません。フィラデルフィア管弦楽団の本拠地、ヴェリゾン・ホールのステージの上にはさらに一段高いステージが設けられ、そこには合唱団やソリスト、さらにはダンサーが入り混じっていますし、後ろにはブラスバンドのような一群も座っています。オーケストラ本体は下のステージで演奏していて、ネゼ=セガンがそれら全体を指揮する、という形ですね。
そのブラスバンドの最前列には、フルートの副首席奏者デイヴィッド・クレーマーの姿が見えます。そして、その隣には、これが録音された2015年には首席ピッコロ奏者だったはずの時任和夫さんの姿もありますよ。
そんなごちゃごちゃしたステージは、曲の進行に従って出演者の配置もどんどん変わっているようでした。つまり、そこで演奏される「音楽」も、さまざまに変わっていくのです。コロラトゥーラ・ソプラノがハイ・ノートでわめいた後にマーチング・バンドがノーテンキなマーチを演奏したり、唐突に弦楽合奏で「癒し系」が披露されたと思ったら、ギンギンのロック・ン・ロールが始まる、といった塩梅です。
確かに、1970年台にはそのようなスタイルの「ショー」がもてはやされる社会的な背景はありました。おそらく、音楽によって世の中が変えられるだろうと本気で思っていた人たちもいたかもしれません。そんな中で試みられたのがこのバーンスタインの「シアター・ピース」なのでしょう。
それから半世紀近く経って、「社会」は全く変わってしまいました。もはやそこではそのような試みは存在する意味も必要性も完璧に失っていたのです。もし仮にこの作品が今でも意味を持つのだとすれば、それは、時代を超えた普遍性がその中に秘められているからなのでしょう。たとえばモーツァルトの音楽の中には間違いなく存在している普遍性と同じものがバーンスタインの音楽の中にもあるのかどうか、2015年にこの「シアター・ピース」を上演し、2018年にその録音を販売するというのは、それを確かめる作業にほかなりません。
率直な感想ですが、ここではバーンスタインの提示した「素材」そのものは、間違いなく普遍性を持ったものであるにもかかわらず、それがそのままの形で演奏された時には、見事に今の社会からは乖離した異様な姿を晒すという結果に終わっていたのではないでしょうか。いかにも70年然としたベース・ギターの響きは、もっと「今」に適応した姿で現れれば、単なる懐古趣味に陥ることはなく、確かな意味を持つことも出来たはずです。

CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH

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by jurassic_oyaji | 2018-04-03 23:11 | 合唱 | Comments(0)