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カテゴリ:書籍( 166 )
冗談音楽の怪人・三木鶏郎/ラジオとCMソングの戦後史
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泉麻人著
新潮社刊(新潮新書)
ISBN978-4-10-603842-6



この間テレビを見ていたら、「僕は特急の機関士で」という、もはや記憶の彼方にある歌の歌詞の一部を埋める、という問題が出ていました。
僕は特急の機関士で
可愛い娘が駅ごとに
いるけど3分停車では
○○するヒマさえありません
この「○○」に言葉を入れるのですが、その時の解答者には分からなかった答えが即座に分かってしまったのには、我ながら驚いてしまいました。もちろん、その曲が作詞も含めて三木鶏郎という作曲家の作品だったことも、しっかり覚えていました。しかし、3分もあれば楽々○○ぐらいはできてしまうのでは、と思ってしまいますけどね。でも、なんたってこの「特急」のモデルとなった「つばめ」は、東京―大阪間を8時間もかけて走っていたそうですし、なんと、途中の浜松では電気機関車から蒸気機関車に変わってしまうというのですから、時間はいまよりずっと緩やかに流れていたのでしょう。
なんてことを考えていたら、数日後に新聞広告でこんな本が出ていることを知って、さっそく入手してみましたよ。
現物を手にすると、「帯」には「伝説の傑物、初の評伝」とありました。ですから、さぞや体系的な「評伝」なのかと思って読みだすと、初めのあたりは鶏郎が作ったアニメの主題歌などを巡る著者の想い出などを綴ったエッセイのようなものが続きます。そして、半分近く読み進んだところで、初めて「評伝」らしいものが登場するという構成になっていました。この本の元になった原稿は、月刊誌に連載されていたものだそうですから、もしかしたら最初のうちは軽く何本かのエッセイを予定していたものが、途中で本格的な評伝にしてみようと思い始めたのかもしれませんね。
いずれにしても、この著者ならではのマニアックな筆致には圧倒されます。おそらく著者のところには、書籍やソノシートなどの「原資料」が数多く収集されているのでしょうね。さらに、放送台本の現物などにもアクセス出来ていますし、必要であれば実際に当時の関係者とのインタビューを行ったりと、そのフットワークの軽さには舌を巻きます。
そんなリサーチの結果見えてきたのは、単なる評伝ではなく、鶏郎の活躍のエリアを切り抜くことで明らかになったあの時代の世相の生々しい姿そのものでした。そこからは、敗戦を迎えてアメリカ軍に占領された放送局の社屋の中から、それまでには日本には存在してはいなかった音楽バラエティのラジオ放送を発信させていく様子が、とても生き生きと浮かび上がってきます。それぞれの登場人物のキャラが際立っているのですね。
ただ、ここでは、彼の音楽的なルーツが、いまいち伝わってきません。確かに、学生時代に多くのレコード(ほとんどがクラシック)を聴いたとか、ヴァイオリン、ピアノ、声楽のレッスンを受けたという話は紹介されていますが、肝心の作曲家としての素養が、どのように形作られてきたのかが、よく分からないのですよ。
そこで「山下達郎のBrutus Songbook」などを引用しているあたりは、達郎同様、アカデミズムとは無縁のところで自ら作曲のノウハウを身に着けたことを示唆しているのかもしれません。
最後のあたりに、先日「実写版」が公開されたディズニーの「ダンボ」が初めて日本で公開された時の吹き替え版(当時は「日本語発声版」)を制作した時の話が載っています。そんな仕事もやっていたんですね。アメリカからわざわざ吹き替え担当の監督がやってきて、声優のオーディションから関わっていたなんて、すごいですね。
ところで、「そう」で文章が始まると、「そうなんですよ」というニュアンスを感じてしまいますが、それでこの本を読んでいくと最後がつながりません。著者は「そういえば」という意味で使っているということに気づきませんでした。そう、そんな使い方がありましたね(これはどっち?)。

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by jurassic_oyaji | 2019-06-04 22:55 | 書籍 | Comments(0)
ベートーヴェンを聴けば世界史が分かる
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片山杜秀著
文藝春秋刊(文春新書 1191)
ISBN978-4-16-661191-1



片山さんといえば、特に近現代日本音楽に関してのとても緻密な文体による文章がおなじみです。そんな片山さんの最新刊は、こんなぶっ飛んだタイトルの新書でした。なんか、この、よくあるヤクザな「音楽評論家」気取りのライターが付けそうなタイトルには、ちょっと引いてしまいます。さらに、本文を読み始めると、なんともすらすらと読みやすい「ですます調」だったのには驚きました。まあ、ベートーヴェンにもあるようですが(それは「デスマスク」)。
ただ、それは確かに親しみやすい文体ではあるのですが、時折ちょっと練れていないな、という感じがするところがあります。もしや、とは思ったのですが、あとがきを読んでそれは確実なものになりました。これは「語り物」だったのですね。いわば「インタビュー記事」です。もちろん、おおもとのラフな原稿はあるのでしょうが、基本的には片山さんが話したことをそのまま文章に起こした、というものですから、文体に一貫性がないのは当たり前なのでした。
もっと言えば、そのような出自ですから構成にも緻密さを欠き、時には何の脈絡もなくほかのテーマに「話」が移ってしまったりしていますから、なんとなく雑な感じは否めません。ここは、しっかりご自身でチェックを入れて、「片山ブランド」たる隙のない文章として仕上げてほしかったものです。
本書の目指したものは、「クラシック音楽」の作曲家、あるいはその作品を通して、その当時の社会的な構造を浮き出そう、ということなのでしょう。確かに、普通の「世界史」で音楽までが語られるのは稀ですし、逆に「音楽史」を「世界史」の一環としてとらえた書物も、あまり見かけませんから、これはなかなか鋭い着眼点ですね。そこでこの平易な文体ですから、普段あまり書物を読まない人にとっても、とても親切な体裁です。
ただ、そこで語られていることの基本は、すでに、例えば柴田南雄さんのような真の知識人によって披露されてしまっていることですから、これはその二番煎じであるような印象はぬぐえません。とは言っても、片山さんはある意味柴田さんをも凌駕するほどの知識人ですから、これまではなかったような新鮮な視点を感じる部分も確かに存在します。
それは例えば「学校」について語った部分あたりでしょうか。それまでは、たとえばハイドンが、自身の作品を聴衆の成熟度に合わせてスタイルを変えたり、ベートーヴェンが「第9」の終楽章であえて平易な旋律をテーマとした(これらも、かなり刺激的な指摘)というような相互作用が、作曲家とそれを受容する層との間にありました。「クラシック音楽は、その時代の支配者の庇護のもとに成り立っている」というのが、ここに至るまでのテーゼでした。
しかし、「学校」の中では、そのようなチェック機能が働かずに音楽だけが独り歩きをして、「一般の聴衆と乖離した」難解なものになっていく、というのが片山さんの指摘、これはかなり興味深いものです。
ただ、残念なことに、そのようなクラシック音楽の歴史が、ここではラヴェルあたりで終わってしまっているのです。おそらくこの本の読者は、「学校」についてあれほどのことを言っているのだからそれが「現代」ではどのように帰結しているのかは、ぜひ知りたい、と思うのではないでしょうか。それを「取り扱ってもなかなか喜んでもらえない領域なので、踏み込んでいません」ですって。それはないでしょう。
アカデミズムによって難解となったクラシック音楽が、その後どのような道をたどり、今この時代にはどうなっているのか、それを片山さんの「口」からぜひ聞きたかったと、切に思います。
ベートーヴェンの交響曲第8番の第2楽章が「メトロノームの音を模写した」などと、今ではほぼ真実ではないとされているネタを取り上げるまえに、やることがあったような。

Book Artwork © Bungeishunju Ltd.

by jurassic_oyaji | 2018-12-25 21:29 | 書籍 | Comments(0)
ベートーヴェン捏造-名プロデューサーは嘘をつく-
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かげはら史帆著
柏書房刊
ISBN978-4-7601-5023-6


サブタイトルの下の「サブサブ」タイトルはドイツ語で「または、アントン・フェリックス・シンドラーの伝記」です。
そう、これは「ベートーヴェンの伝記を書いた人」とか「『交響曲第5番』を『運命』と呼ぶようにさせた人」として音楽史に登場するあのシンドラーの伝記なのです。かつては、彼が作り上げた「偉人」としてのベートーヴェン像は絶対的なものとして世の中に広まっていましたが、研究が進む中ではそれに対しての疑問も浮かび上がってきています。なんと言っても、ベートーヴェンの耳が不自由になった時にベートーヴェンと出会ったシンドラーは、会話の時に相手が筆談のために使っていた膨大な量の会話帳(ベートーヴェンは喋ることは出来たので、それは記録されてはいません)を盗み出し、その大半を破棄したり、自分に都合の良いように新たな「会話」を書き込んだりしていたのですからね。これは、まさに「窃盗」と「公文書偽造」、れっきとした犯罪です。
ですから、現在では彼は「ベートーヴェンの研究における最大の汚点」とまで言われてしまっています。今ではその伝記にしても、「運命」という呼び名にしても、もはやだれも信用しなくなったのは当然のことです。
この本は、シンドラーがそのような「犯罪」に手を染めるベースになったであろう彼のベートーヴェンに対する熱い思いを克明に語ったものです。
そこで著者が用いたツールが、その「会話帳」の現物です。なんでも、この本の元になったものは、著者が大学院を卒業する時に書いた修士論文なのだそうです。当然、その論文と同じようにこの本の巻末にもその「参考文献」の一覧が表記されていて、本文中では終始参照されていますが、その数には圧倒されます。
そんな、データ的には学術論文に匹敵するものをバックボーンとして著者が作り上げたのは、とことんエンターテインメントに徹した「物語」でした。なんせ、シンドラーを始めとする登場人物のキャラの立っていること。もう一人の主役のベートーヴェンや、フェルディナント・リース、カール・ホルツといった敵役など、まるで顔が見えるように生き生きと描かれています。これがもし実写化されるようなことでもあれば、リース役はさだめし中村倫也あたりでしょうか。
このあたりの手法は、著者が前作「運命と呼ばないで」の中で「なるべく等身大のリアリティを感じてもらいたいので、流行のワードを入れたり、現代に通じる比喩的なイメージをまじえたりというデフォルメを行っています」と語っていることを踏襲しているのでしょう。あちらはマンガでしたからよかったのでしょうが、ここではそれはちょっとやり過ぎのような気もしますね。ただ、この作品の最後の最後には、当のシンドラーが涙目でワンカットだけ登場しています。それは、もしかしたら本作への伏線だったのかもしれませんね。
そのシーンは、ベートーヴェンの「第9」の初演のアンコールの現場でしたね。これを読んだ時には、その意味がいまいち分かりませんでしたが、今回の著作を読み終えた時には、この時のシンドラーの心境は手に取るようにわかるようになっていました。
なにしろ、文章のキレが良く、展開が鮮やかなんですよね。チャプターの終わりにいかにも謎めいた「これから何が起こるのか」と思わせられるようなフレーズを挟まれては、嬉々として読み続けるしかないじゃないですか。それこそ東野圭吾のミステリーを読むようなノリで、一気に読破してしまいましたよ。
ただ、残念なことに、何箇所か校閲の手をすり抜けてしまった部分が残ってしまったようですね。34ページの6行目の「懸命な判断」は「賢明な判断」でしょうし、167ページの10行目の一番下にある「シンドラー」は、文脈から考えると「ヴェーゲラー」ではないかと思うのですが。どうでしょう?

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by jurassic_oyaji | 2018-11-15 23:06 | 書籍 | Comments(0)
決定版 オーケストラ楽器別人間学
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茂木大輔著
中央公論新社刊(中公文庫)
ISBN978-4-12-206618-2


10年以上前にもご紹介しましたが、今回の茂木大輔さんの著作の文庫化の最新刊は「オーケストラ楽器別入門学」でした。これも、最初は杉原書店の雑誌「パイパーズ」に連載されていたものですが、まず1996年にハードカバー(草思社)として書籍化され、それが2002年に新潮文庫として文庫化、さらに今年、中公文庫として新たに文庫化されました。
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メインは、オーケストラのそれぞれの楽器を担当している人の「性格判断」ですが、それがあまりに的確過ぎるのには抱腹絶倒、というものでしたね。
新潮文庫では、ハードカバー刊行後に雑誌に掲載されたものが加わっていて、その中に「弦素、管素とその化合物」という、個人的には「いくら茂木さんでもここまでやるとは」と仰天してしまった思い出があるコンテンツが入っていたことに感激したものです。なんせ、ここでは楽器名の略語を「『元素』記号」と同じように扱って、ベンゼン環の水素に置換させたりしているのですからね(わかります?)。
今回の再文庫化にあたって、茂木さんは初版の文章に大幅に手を入れたのだそうです。22年前のことですから、今にして思えばあまりに過激すぎた言い回しを、「極力オンビン」に直されたのだとか。その一例はこんな感じです。「あるフルート奏者」。
洗練されたイメージ、というものも欠かせないので、東北の寒村で「かんじき」を履いて1メートルの雪を踏み、木造校舎の学校に通い(生徒数合計8)、大根の葉のみそ汁で育った、赤いホッペの「わらしこ」というわけにはいかない。
洗練されたイメージ、というものも欠かせないので、寒村で育った、赤いホッペの「わらしこ」というわけにはいかない。
さらに、ここには「付録」として「アマチュア・オーケストラ専門用語集」という描き下ろしエッセイが加わっています。茂木さんは最近は指揮者として、多くのアマチュア・オーケストラにも接しておられますが、その経験の中で見つけた様々なアマオケの中でしか通用しない言葉が、茂木さんの筆で面白おかしく紹介されているのです。これが結構目からうろこの指摘だったりします。
例えば、演奏会の曲目でアマチュアが普通に使っている前曲、中曲、メインのような言い方は、プロはしないのだそうです。これはちょっと意外。あとは、ブラームスの「大学祝典序曲」を「大祝(だいしゅく)」と略していうのも、プロにとっては顰蹙ものなのだとか。まあ、「白鳥の湖」を「白鳥湖(はくちょうこ)」なんて言っているぐらいですから、アマチュアのセンスの悪さは相当のものなのでしょう。
あとは、管楽器の「ローテーション」でしょうか。確かにプロの場合は最初からポジションが決まっていますから、こんなことはありえないのですが、いくらアマチュアだからと言っても、本当に良い演奏をしたいのなら、「公平に奏者をまわす」というやり方はあまりほめられたことではないでしょうね。
ここで茂木さんが語られているのは「アマオケにはあってプロオケにはないもの」ですが、逆に「プロオケにはあってアマオケにはないもの」だって見つけることはできます。それは「定年」です。日本の場合、プロのオーケストラの団員は、60歳で定年を迎えてその団から離れるのがほとんど「きまり」になっているようです。茂木さんが所属しているNHK交響楽団でも例外ではなく、1959年生まれの茂木さんは、2019年には60歳となるために、退団することになっているそうです。
でも、アマチュアの場合には、そのような制度はありません。というか、プロはお金をもらって演奏していますが、アマは「お金を払って」演奏しているのですから、いくら年をとってもきちんと演奏できるのなら辞めさせられる理由はないのですよ。さっきの「ローテーション」だって、お金を払っているのだから、おいしいパートをもらいたいと思うのは、ある意味正当な要求なのでしょうが・・・。

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by jurassic_oyaji | 2018-08-21 08:34 | 書籍 | Comments(0)
音楽業界の動向とカラクリがよ~くわかる本[第4版]
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大川正義著
秀和システム刊
ISBN978-4-7980-5136-9


秀和システムから数多く出版されている「よ~くわかる本」というハウツー本のシリーズの一環で、こんなものを見つけました。なにやら、音楽業界の最新の情報が詳しく分かりそうなタイトルですね。しかも「第4版」というのですから、改訂を重ねてより新しい事項を盛り込もうという著者の熱意も感じられます。調べてみると、「第2版」は2010年、「第3版」は2013年、そしてこの「第4版」は2017年に刊行されていますから、それだけこの業界の変化は激しいのでしょう。
ただ、普通の「音楽ファン」が知りたいような情報は、ここにはあまり見当たりません。これはあくまで音楽産業という「ビジネス」の世界での話がメインになっている本で、正直ちっとも面白くありません。
そんなガチの業界本だと思っていると、ところどころに著者のレコーディング・エンジニア時代の体験談とかそれに関したスナップ写真などが現れます。ただ、この本の流れから行くと、そういうコンテンツにはとてつもない違和感を抱かざるを得ません。経営者としての視点と、現場の職人としての視点がごっちゃになっているんですね。
そんな、とんちんかんな感覚が如実に表れているのが、最後あたりの「補足」での「音楽業界の主な職種」というコーナーです。そこには、「音楽業界に就職しよう!」という見出しのもとに、「就職先」が語られているのですが、そこに「作詞家」、「作曲家」、「アーティスト」などという項目があるのですよ。そこに、「就職先として考えるのは無理があります」なんてコメントがあるんですから、完全に矛盾してますよ。
その「補足」の「資料編」というところをさらに読み進んでいくと、こんなページがあったのには本当に驚いてしまいました。
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なんと、これはまさに2000年2月29日に発行された「かいほうげん」のNr.116に掲載されていたものではありませんか。ということは、著者はこれを目にしたことがあったのでしょうか。いやぁ、可能性として考えられないこともありませんが、これはそのまま「ジュラシック・ページ」のコンテンツとしてこちらにアップしてありますから、それを見てパクったというのが正解なのでしょうね(作った者としてはパニクってしまいます)。
その行為自体はけっこう嬉しかったりもしますが、著者が作り直したこのチャートには問題がありすぎます。まず、右の上の方に「1895年 米国 ベルリーナ・グラフォフォン設立」というのは、「ベルリーナ・グラモフォン」の間違いです。どうせコピペするのなら、きちんと元の資料に忠実にやってほしいものです。年号も微妙に違っていますが、まあこれは諸説あるので許しましょうか。
そして、ここでは、「かいほうげん」にはない項目が追加されています。「かいほうげん」ではあくまでEMIに限ってのチャートを作っていますから、「世界のメジャーレコード」というからにはそれ以外のレーベルを追加しなければいけません。そこでまず、「1962年 英国 米デッカレコード買収」という箱を追加しています。これは主語がないという不思議な文章、しかも「英国」ではなく「米国」の話です。この年に、かつては英デッカの子会社から独立したレーベルだった米デッカが、MCAに買収されたということを書きたかったのでしょう。それと、ここではEMIはユニバーサルミュージックに吸収されたような書き方がされていますが、これもクラシックに関しては間違い、現在ではほとんどのクラシックのアイテムは、ユニバーサルではなくワーナーからリリースされています。
こんなデタラメなものが「かいほうげんをもとに作成」などと言われるのは、非常に迷惑です。その前に、「本書の全部または一部について、出版元から文書による承諾を得ずに複製することは禁じられています」と言っている「出版元」が、「かいほうげん」(あるいは「ジュラシック・ページ」)の作成者の承諾を得ようとしなかったのには、笑えます。

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by jurassic_oyaji | 2018-07-21 20:54 | 書籍 | Comments(0)
楽譜から音楽へ/バロック音楽の演奏法
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バルトルド・クイケン著
越懸澤麻衣訳
道和書院刊
ISBN978-4-8105-3001-8


ベルギーのフルーティスト、バルトルド・クイケンが2013年に著した「The Notation is not the Music: Reflections on Early Music Practice and Performance」の全訳です。訳者さんのお名前がものすごいのに一瞬たじろぎましたが(「こしかけざわ」と読むのだそうです)、この訳文は非常に読みやすく美しい日本語になっていることに、まず嬉しくなりました。ただ、出版社の意向なのでしょうか、タイトルの訳が原本とはあまりにかけ離れているのには、ちょっと失望です。特にサブタイトルが最悪、ここは「バロック音楽」ではなくぜひとも「古楽」と言ってほしかったところですし、「演奏法」というのが、いかにも高圧的な感じがして馴染めません。
というのも、クイケンがまず前書きで語っているように、これは「研究書」や「実践的な手引書」では全くないのですからね。ここで語られているのは、彼の「古楽」演奏家としての長いキャリアの中で考え続けてきたことから導かれた、あえて言えばとても慎ましい主張なのですから。
そして、その語り口は、ほとんどユーモラスとも感じられる親しみやすいものです。ですから、メインタイトルも本当は「楽譜は音楽じゃないんだよ」ぐらいのノリだったのではないでしょうか。
そうなんですよ。「クイケン兄弟」として、ヴィーラント、シギスヴァルト、バルトルドの3人が華々しく古楽界にデビューした頃のことは鮮明に覚えていますが、正直、彼らのあまりにストイック(?)な演奏にはすんなり馴染むことはできませんでした。ですから、バルトルドが書いたものだったら、さぞや小難しい本なのではないか、と思って読み始めたのですが、そんな先入観などはまったく無用だったのです。例えば、「ピッチ」の話で彼が「18世紀から19世紀初期にかけて、ピッチは上がり続けたが、同じ標準ピッチのなかでさえ、木管楽器の演奏音域の『重心』は徐々に上へシフトした」ということを証明するために彼がとった方法が紹介されているのですが、それがなんとも原始的なやり方なんですね。低い音から順番に番号を付けて、それらが曲の中にいくつあるか数え、その番号を掛けた総数を音符の数で割るのだそうです。ご苦労さんとしか言えません。
もちろん、彼の音楽への態度は真摯そのものです。当時の楽譜が、現在の楽譜ほどの情報を有していないというのはもはや常識ですが、クイケンがそこで実際の演奏を知るために研究した資料は膨大な量にのぼることが、あちこちの文章でうかがえます。どんな場合でもさりげなく提示される資料によって、彼のバックボーンとなっている情報の多さと拡がりを知ることが出来るのです。
ただ、その「資料」の扱いについては、同業者に対して手厳しい面も見せています。巻頭ではいきなり、
古楽の演奏家には、偉大な芸術性やカリスマ性をもち、権威ある教育者、商業的な成功者となったものもいるが、そこには危うさもある。聴衆も音楽家仲間も学生も、皆このような「スター」が古楽のすべてを知っていると安易に信じ込んでしまい彼らの演奏を、何も考えずに模倣すべきモデルと見なしてしまう。だが、言うまでもなく、私たちは歴史的な事実を自分で取捨選択し、それに基づきつつ、各自の強力な才能をプラスして、新しい演奏の伝統を作り上げている。そのようにして私たちは、歴史的な資料そのものから一歩離れるのである。

と、強烈なパンチを放っていますからね。そして、この段落の後半は彼の「クレド(信条告白)」なのでしょうね。こんな彼のスタンスが、この本のいたるところで語られ、彼の求めているものが明らかになってくれど
同じ作品なのに、「複数の異なる原典版」が存在する、という苦言には、とても同意できます。結局、クイケンは「自分の頭でしっかり考えるために」さらに「もう一つの異なる原典版」を作らなければいけなかったのですからね。

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by jurassic_oyaji | 2018-07-10 23:09 | 書籍 | Comments(0)
山下達郎のBrutus Songbook/最高の音楽との出合い方
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ブルータス2018年2月15日号
株式会社 マガジンハウス刊
雑誌コード 27753-2/15


マガジンハウス社に「ブルータス」という隔週誌があります。黄色を緑にするんですよね(それは「ブルー、足す」。今年の2月1日に発行した号では山下達郎の特集を組んでいました。それは、彼がDJを務める東京FMの全国ネット番組「Sunday Songbook」が放送25周年を迎えたことを記念して企画されたもので、その番組の中でOn Airされたすべてのデータが網羅されているものだ、とされていました。
いや、それは単なる勘違いだと後に分かるのですが、最初にその新聞広告を見た時には、すごいものが出たのだな、と思ってしまいました。その時に買っておけばよかったのですが、その後達郎自身がその番組の中でそのことについて語りはじめる頃には、それは書店からは姿を消していました。もちろん、ネット書店であるAmazonでも同じ状況、入手できるのはぼったくりに近い価格が付けられた中古本だけでした。
その達郎の番組では、毎回その雑誌の特集がらみの特集を組んでいて、そこで紹介される雑誌を買ったリスナーたちの反応を聴いていると、これは絶対入手しなければいけないと思うようになってきましたね。何しろ内容がとても濃いようで、それを収めるためにとても小さな字で組まれているのだそうです。多くの人が、「これでは読めない」というほどの小ささ、いったいどんだけの情報が詰まっているのでしょう。
そうしたら、最新の放送で「増刷されたそうですね」と言っていたではありませんか。即刻Amazonで入手したのがこれです。もちろん定価の680円(税込)でしたよ。こういう隔週誌で増刷というのはかなり異例のことのようですが、なんでもこれが「ブル史上3度目」なんだそうですね。
めでたくゲット出来たその雑誌を見てみると、そこには軽い失望感がありました。言われているほど「濃く」はないのですね。それは25年のすべてのデータを再現したものではなく、番組の中で時折行われていた「特集」をいくつか集めただけのものだったのです。考えてみれば当たり前の話で、そもそもそんな膨大なものがこんな雑誌1冊に収まるはずもないのですね。
気を取り直して、その「特集」の再現を読んでみると、非常にコンパクトにまとまってしまっていますが、それらは達郎が番組の中で事あるごとに強調していたタームばかりでした。確かに、こうして1ケ所に集まっていると、その精緻さは尋常でないことに気づきます。これは、ポップ・ミュージックの成り立ちを幅広い視野で語った、恐るべき資料です。
そのタームは、音楽のジャンルについてのものと、それらを支えた個人についてのものに分かれています。圧巻は、主にプロデューサーなどが登場する「個人」の部分、それらは、ほとんどこの番組を通して知った名前ばかりですが、音楽シーンを支えていたのは間違いなく個別の人間なのだということがよく分かります。というか、ポップ・ミュージックではヒットした曲だけにとかく注目が向きがちですが、そこに製作者のサイドからの視点を盛り込むことはとても斬新に感じられます。
というか、その手法は馴染みのあるクラシック音楽では常套手段だったことにも気づかされます。達郎と言えばクラシック音楽には無縁のように思われがちですが、長年この番組に付き合っていると、そちらの方面でも彼はしっかりとした審美眼を持っていることも分かります。なんたって、彼の最大のヒット曲「クリスマス・イブ」は、パッヘルベルの「カノン」が下敷きになっているのですからね。
それに関しては、「Sunday Songbook」のプロトタイプとも言うべき、その前にNHK-FMで3年間放送されていた「サウンドストリート」の中で、この曲が出来たばかりの時に「パイヤールが演奏した『パッヘルベルのカノン』を聴いて、作った」というようなことを言っていたことを思い出しました。クリスマスとは縁もゆかりもなかったこの曲を、クリスマスの定番にしてしまったのは達郎だったのです。

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by jurassic_oyaji | 2018-04-05 21:07 | 書籍 | Comments(0)
楽器博士 佐伯茂樹がガイドする オーケストラ楽器の仕組みとルーツ
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音楽の友編
音楽之友社刊(ONTOMO MOOK)
ISBN978‐4‐276-96278-1


「ONTOMO MOOK」と言えば、かつては全て書き下ろしの原稿を使って作られていたような気がします。カラヤンの全ディスコグラフィーや、すべてのコンサートのデータまで収録されていたという、ものすごいものもありましたね。
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それから、何度か刊行されたオーケストラや指揮者に関する膨大なリストも、ある一定の時期の世界のオーケストラ事情が的確に反映されているものとして、未だに「資料」としての価値を失うことはありません。
ただ、最近は、この出版社が発行している雑誌が、目に見えてページ数が減っているように感じられます。もしかしたら、それはこの出版社自体の体力が次第に弱ってきているせいなのかもしれませんね。
ですから、このムックにしても、かつてのような勢いが失われて、以前雑誌に掲載されていたものを、特定のテーマに沿って集めて一つの本にするというような、まあCDで言えば「コンピレーション」のような手法によって作られるものが非常に多くなっているな、という印象を強く受けるのですね。これであれば、一度発表されたものをそのまま使えますから、経費も手間もかかりませんからね。
ただ、そのようなネガティブな側面だけではなく、雑誌に長期で連載されたものなどをまとめたものでは、通常はその雑誌に目を通すことが無いような人に対してはとても親切なものが出来上がるかもしれません。
今回のムックが、まさにそのようなものです。ここでは佐伯茂樹さんが「音楽の友」という雑誌に2年半にわたって連載していたコラムを、まとめて読むことが出来ます。
正直、この「音楽の友」も、同じ出版社から刊行されている「レコード芸術」(これが、先ほどのページ数がみるみる少なくなっている雑誌)も、毎月購入するような習慣はとうの昔になくなっていました。こういう本はあまりに内容が薄いので、とてもお金を出して読むだけの価値が見出せないのですね。
とは言っても、ごくたまに本屋さんで流し読みをしていると、中にはちょっと目を引くような読み物に出会えることもあります。佐伯さんの連載が、そんなものでした。彼の著作はそのとことんマニアックな楽器の話で非常に魅力のあるものですから愛読していますが、それは主に管楽器に対する知識が膨大だという点での魅力でした。ですから、そのような興味とはちょっと離れたところにある「音楽の友」での連載というのがちょっとミスマッチだったのですが、たまたま見かけた号で「キーボード・グロッケンシュピール」のことを語られていたのですよ。この楽器に関しては、かつてかなりのところまで調べたことがあったのですが、資料がなくて一部は分からないところが残ってしまっていました。佐伯さんのその記事は、そんな疑問点に見事に答えてくれていたのです。それは、彼に対するイメージが、単なる「管楽器オタク」から、「すべての楽器のオタク」に変わった瞬間でした。
それっきり、雑誌連載を読む機会はありませんでしたが、それが全て1冊にまとまってムックになったというのですから、これは買うしかないじゃないですか。そこには「楽器博士 佐伯茂樹」という、まさに彼にぴったりの肩書まで付いていましたからね。
しかし、確かに、「マリンバ」と「シロフォン」との違いについての記述では、あの「キーボード・グロッケンシュピール」と同等のサプライズを与えてもらえましたが、それ以外の大部分はこれまで別のところで読んできたことの焼き直しだったのには、軽い失望感を覚えてしまいました。
それと、連載にはなかった、まさに「書き下ろし」のフルートとバセットホルンの話が巻頭に追加されているのは良いのですが、そこに使われている歴史的フルートの写真のあまりの解像度の低さには、もろに、この本を作るスタッフの熱意のなさを感じてしまいました。

Book Artwork © Ongaku No Tomo Sha Corp.

by jurassic_oyaji | 2018-03-01 20:57 | 書籍 | Comments(0)
オーケストラ解体新書
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読売日本交響楽団編
中央公論新社刊
ISBN978-4-12-005007-7


この間、カンブルランが指揮をした読売日本交響楽団によって日本初演されたメシアンの「アッシジの聖フランチェスコ」全曲のコンサートの時に、CDやDVDとともに即売コーナーに山積みになっていたので、買いたいと思ったのがこの本でした。
基本的な内容は、このオーケストラの事務局の2人、飯田政之さんという方と松本良一さんという方が中心になって執筆やインタビューを行ってまとめられた、オーケストラの内部の説明本なのですが、それだけではなく、日本のオーケストラが抱えている問題にまで踏み込んでいるような部分もあります。
なんと言っても面白いのは、オーケストラがコンサートを開くまでに行うことが本当に事細かに描かれていることでしょうね。特に圧巻なのが、かつては読売新聞の文化部の記者として多くのインタビューなどを行っていた松本さんが執筆した「ドキュメント・オブ・ザ・コンサート」と名付けられた「第3章」です。それはまさにコンサートが出来上がるまでを生々しく追った「ドキュメンタリー」そのものでした。
そこで取り上げられている五嶋みどりをソリストに迎えたコンサートのくだりは、刻一刻変わっていくリハーサルの現場を、ある時はソリストの心の中まで覗き込むほどの鋭さを持って語った卓越したものでした。そこからは、まさにそこにいた人しか知りえない極度の緊張感が、まざまざと伝わってきます。
オーケストラの団員たちが指揮者について語っている言葉も、とても興味深いものでした。テミルカーノフなどは、手の動きを見ただけでどんな音楽をやりたいのかが一瞬で分かってしまうのだそうですね。
さらにこの本からはこのオーケストラが持っている温かい雰囲気を伝えたいという気持ちがとても強く伝わってきます。巻頭にカラーで紹介されているかつて正指揮者だった下野竜也さんの写真をフランケンシュタインのように修正したチラシには、笑えました。
そんな、とても充実した内容の本なのですが、1ヵ所だけ、とても愚かなことが書いてあることによってすべてが台無しになっています。それは、「コンサートのマナー」というコラムです。その中で、コンサートで配られる月刊誌で「マナー」について掲載されていることが語られているのですが、とりあえずその現物を見て頂きましょう。
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どれも、至極当たり前のように思えますが、最後の「拍手はタクトが降ろされてから」というのはいったいなんなのでしょう。確かに、最近ではまるで「自分はこの曲をよく知っているのだぞ」とアピールしているような早すぎる拍手やブラヴォーが顰蹙を買っているのは十分に承知していますが、それを阻止するために全ての曲について一律に「タクトを降ろしてから」という「マナー」を「強制」するのは愚の骨頂です。「悲愴」や「マーラーの9番」ではこれは当てはまるかもしれませんが、ほとんどの曲ではタクトを降ろすまで待っていたのでは拍手の意味がなくなってしまいます。早い話が、これを買った時のコンサートの最後は、オーケストラと合唱がクライマックスを作り上げて終わるのですが、それまでに何度となくこの「マナー」がアナウンスされていたために、聴衆はタクトが降りる何十秒かの間、「余韻」はとっくになくなっているのに拍手をすることが出来ませんでした。その後でまるで強制されるかのように起こった拍手の、なんと白々しかったことでしょう。せっかくの感動が、この「マナー」のために吹っ飛んでしまいましたよ。この件のオーソリティ、茂木大輔さんの名著「拍手のルール」の中には、「一呼吸おいてから」という見事なサジェスチョンがあるというのに。
同じ場所で即売されていたDVDでは、まさに音楽が終わって「一呼吸おいてから」、嵐のような拍手が起こっていましたね。このオーケストラを聴きに来た人は、一生そのような体験を味わうことが出来ないのでしょうね。かわいそうに。

Book Artwork © Chuokoron-Shinsha, Inc.

by jurassic_oyaji | 2017-11-30 20:56 | 書籍 | Comments(0)
ティンパニストかく語りき
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近藤高顯著
学研プラス刊
ISBN978-4-05-800818-8


現役のオーケストラ奏者が書いた文章には、どんなライターさんでも決してかなわないリアリティが存在しているものです。たとえば、N響の首席オーボエ奏者の茂木大輔さんがお書きになった「オーケストラは素敵だ」を始めとする一連のエッセイ集など。そこには、茂木さんの修業時代から始まって、様々な体験を通じてオーケストラや、そこで演奏している人々の等身大の姿が描かれていました。
それと同質のテイストを持っていたのが、新日本フィルの首席ティンパニ奏者、近藤高顯(こんどうたかあき)さんが書かれたこの本です。茂木さんの本と同様に、これまで他の出版物の中で披露されていた体験談などをまとめて1冊に仕上げたものです。
「高顯」などという、まるで明治時代の政治家のような難しいお名前なので、さぞかし古風な家系の方なのだろうと想像したら、どうやらごく普通のご家庭みたいだったのでそのあまりのギャップに驚いてしまいました。なにしろ、最初は「家具調のステレオでヴェンチャーズを聴いていた」のだそうですからね。
しかし、そのバンドのドラマー、メル・テイラーのコピーを始めたというのが、彼の楽器演奏の始まりだというのですから、やはり打楽器に対する興味は備わっていたのでしょうね。それから、学生時代は別の楽器を演奏することになっても、最後はやはり打楽器に戻っていくのですが、その時も、あくまでクラシックのオーケストラの中の打楽器であるティンパニを志望したというのは、やはりその「家具調ステレオ」で聴いたベートーヴェンの交響曲、それも、他人のLPのおかげだったんですね。しかも、そのLPの中にプレゼント企画として入っていた応募ハガキを投稿したら、なんとカラヤンとベルリン・フィルのコンサートのチケットが当選してしまったというありえない偶然が重なって、しっかりクラシックへの思いが強まっていきます。
さらに、彼の「出会い」は続きます。藝大の音楽科に進んだのちに再度聴いたカラヤンとベルリン・フィルとのコンサートで、ティンパニを演奏していたオスヴァルト・フォーグナーという人の圧倒的な演奏に衝撃を受けて、ぜひこの人に弟子入りしたいと思ったのだそうです。結局、それも実現することになるのですが、このあたりの、しっかり目標を見据えて、その達成のために全力を尽くすという姿勢はすごいですね。というか、これほどの目標に出会えたということ自体が、なんか現実とは思えないほどの「運命」のようなものを感じてしまいます。確か、オーボエの茂木さんの場合もギュンター・パッシンという「目標」があったんでしたね。
ここではまず、ティンパニには「アメリカ式」と「ドイツ式」という2つの種類があることを知らされます。漠然と、奏者から見て左から低音→高音と並ぶのが「アメリカ式」で、その逆に高音→低音と並ぶのが「ドイツ式」だな、ぐらいは知っていましたが、ここではそれぞれ起源が異なることや、音楽的な意味(ドイツ音楽は低音を重視するので、力が入る右手で低音を叩く)まで教えられました。
もちろん、近藤さんは日本ではまだ知られていなかった「ドイツ式」を勉強することになるのですが、そこではマレットは竹で出来ていて、しかもそれを自作しなければいけないのだそうですね。これも、オーボエのリードを自作するようなものなのでしょうか。
そして、なんと言っても面白いのが、ここで描かれている近藤さんが実際に共演した指揮者たちの素顔ではないでしょうか。山田一雄などは秀逸ですね。指揮が止まってしまった時にオーケストラの奏者たちがどのような対応をとったのか、まさにドラマのようです。
ソロで共演した、同じ打楽器奏者の林一哲(和太鼓)とのバトルの様子などは、まるでジャズのセッションを味わっているようで、とても興奮させられました。
ところで、ティンパニストって、女たらし?(それは「ナンパニスト」)。

Book Artwork © Gakken Plus Co.,Ltd.

by jurassic_oyaji | 2017-11-16 20:15 | 書籍 | Comments(0)