おやぢの部屋2
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母が90歳で亡くなりました
 今年も、角田での「第9」に行ってきました。昨日が午後4時からのリハーサル、そして今日が朝の9時45分からのリハーサルに続いて、2時半からの本番です。オーケストラは1か月前から練習を行ってきましたが、合唱やソリストが入るのはこれが最初の機会となっています。
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 その合唱団が、今回はなんと100人も集まったのだそうです。そのせいでしょうか、演奏していても後ろの合唱がとてもはっきり聴こえてきます。いつもだと指揮者の寿一さんに「合唱が少ないので、オケは音を控えめに」と指示されていたのですが、今回はそれが全くありません。それならば、と、普通の音量で吹いてみると、全然そんなことには左右されずにしっかり合唱が聴こえているようでしたから、もうそれでいくことにしてみましたよ。マーチのピッコロも、今までは抑えて最後の部分を楽譜通りに吹いていたのですが、今日は最後の本番でそこを1オクターブ上げて吹いてみました。
 今回の私のパートは「第9」がピッコロと1アシ、前半の合唱曲の伴奏が2番(ピッコロ持ち替え)です。もう最近はこの演奏会はずっとピッコロづいていますが、もはやこの楽器に対する苦手意識はほぼ解消できているので、まずは楽勝、汗一つかかずに本番が終わってしまいました。
 いつものお弁当に加えて、揚げ物などがメインになっているお弁当もあって、どちらかを選べるようになっていたのもうれしいですね。
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 ただ、残念なことが2つありました。まず、その合唱曲で、ピッコロとフルートが大活躍する部分が丸ごとカットされてしまったことです。結構タイミングが難しいので、その部分は特に神経を使って演奏していたのですが、何か他のパートとのつながりがいまいちうまくいっていなかったので、こんな仕上がりでは、とカットされたのでしょう。確かに難しいけど、うまくできたときの達成感もあったので、この措置にはちょっと納得がいきませんでした。
 それと、今まで20年以上にわたっていたこの合唱団との共演が、今回をもって終わりを迎えることが告げられたことです。一応、今までオーケストラが使っていたアリーナを客席にして収容人数を増やしたいということなのですが、なんだか別のオーケストラに鞍替えするような噂も伝わっていて、何か釈然としません。「熟年離婚」みたいなものでしょうか。まあ、来年になればわかることですがね。
 と、今年最後の演奏会が終わったところで、私からのご報告があります。私の母が、今月8日に90歳でこの世を去りました。
 母は私の職場である私の弟が住職を務める寺に住んでいました。4日の朝に私が出勤すると、駐車場に救急車が停まっていました。ついさっき、母がトイレで倒れて、意識がないので病院へ運ぶところだというのです。早速私も救急車に同乗して、労災病院に向かいます。そこで告げられたのが、母は「脳幹出血」を起こしていて、このまま意識が戻ることはないという事実でした。さらに、自分で嚥下する機能も失われているので、肺に唾液が入って肺炎を起こすリスクも極めて高く、そうなると救うことはできないとも言われました。実際、7日には肺炎と、さらには急性腎炎も併発していて、このまま呼吸数が落ち、尿が出ないようになればすぐに亡くなってしまうことも告げられました。
 そして8日の早朝5時半に病院にから呼び出しを受け、8時28分に息を引き取りました。
 余命宣告を受けたときには、可能性としては間近になった角田第9の指揮者練習と本番に影響があることが予想されたので、フルート・パートの人にだけはそのことを伝え、もしものことがあった時の対応をお願いしておきました。しかし、結果的にはお通夜が11日、葬儀が12日になったので、そのニューフィルのスケジュールには全く影響がないことが分かり、とりあえず本番が終わるまではほかの団員には何も言わずにおこうと思いました。
 ただ、私としてはもはや母の知り合いなども少なくなっていたので、ごく内輪の家族葬のようなものになるだろうと考えていたのですが、母は前住職の娘で、現住職の補佐もしていたということで、その葬儀はお寺の行事として執り行われることになりました。和尚だけで30人以上集まることになりましたし、当然新聞広告も掲載されたので、それで気づかれた方もいたようですね。
 ですから、一連の行事はお寺全体を使って行われることになり、お通夜の日に予定されていた技術委員会も、その会場が使えなくなったので翌週に繰り延べさせていただきました。
 母はこの年になったので、もはややりたいことはなくなっていたようでした。ニューフィルの友の会にも入っていて、定期演奏会には欠かさず聴きに来てくれていたのですが、そのような場所に行く力もなくなり、友の会もすでに退会していました。そして、以前「禁断」にも書いたように、56年前に亡くなっている私の父親の許に一刻も早く行きたいと切に望んでいたようです。
 出棺の時には、その父親の写真も一緒にお棺に入れました。今頃は極楽浄土で、再会を喜んでいることでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2018-12-16 23:53 | 禁断 | Comments(2)
持ってきた部品が余ってしまいました
 我が家のストーブの買い替え、第2部です。なんとも雑な「担当者」は、私の都合も聞かずに勝手に据え付け工事の日を決めてしまって、「これでお願いします」と言ってくるという具合に非常識な人でしたね。その工事の前にまず支払いをしなければいけないので今度は私の都合の良い日(その工事日の前にはそんな都合の良い日は全然なかったのですが、かろうじて時間が取れそうな日)を指定すると、その人は、「その日は、私は出社しないのでだめですね」なんて言い出しましたよ。この人は、自分がいなければほかの店員さんに対応を任せるということを考えたことはないのでしょうかね。そのあと、しぶしぶ「では、私がいなくでも大丈夫なようにしておいてあげますよ」ですって。いや、それが普通の対応でしょうが。
 ですから、私がお店に行ったときには、当然その「担当者」は、そこにはいませんでした。代わりに対応した人は、その人が言及していなかった「10パーセント割引セール」にも、きちんと応じてくれましたよ。たぶん、「担当者」では、そんなことはやってくれなかったはずですから、こちらのほうが私にとってはラッキーでした。
 ただ、その時に工事予定を確認してみると、それは「13日の朝一番から午後5時まで」なんて書いてありましたよ。確か電話では「13日の朝一」だったはずなのに。またまた「担当者」の仕事に悩まされることになりました。下手をしたら、丸1日がつぶれてしまいそう。
 そうして迎えた工事当日、私は一応出社は少し遅れることだけを連絡して、家で待っていました。そうしたら、9月半に業者がやってきたので、まずは一安心です。これで無駄な時間を過ごすことはなくなりました。なぜか、業者は3人もやってきましたよ。でも、実際に動くのは一人だけで、後の人はただ見てるだけでしたけどね。これもちょっと不思議。それから40分ほどで工事は完了しました。
 これが工事前。
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 そして工事後です。
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 配管用のパイプを延長してあって、その長さも少し変えられるので、こんな風にテレビ台から離して置けるようになりました。これで、もっと大きなテレビを買うことができます。というか、このテレビは大きさよりも画面に無数の縦筋が出るようになっていて、もう買い替えるしかないのですよ。
 予定より早く工事が終わったので、ちょっとした贈り物を発送するためにヤマト運輸のステーションまで行ってみました。手提げ袋に入ったお茶とお菓子を、そのまま発送したかったのですが、ここだとちょうどいい大きさの袋に詰めて送れそうで、おそらくこれからも同じものを送ることがあるはずなので、試しに送ってみようと思ったのです。
 予想通り、ぴったりの大きさの袋があって、それが使えそうでした。そこで、送り状を書くことになるのですが、そこで差し出されたのが今までよく使っていた手書きの伝票ではなく、タブレット端末でした。そのディスプレイに伝票が表示されていて、そこに入力していくようになっているのですね。そういえば、最近受け取った荷物でも、普通の個人から発送したものにこんな印字されたラベルが付いていましたね。50音のキーボードなのでとてもやりづらいのですが、何とかそれで入力して、「印刷」をタッチするとそれで送り状の現物が出来上がり、そのころには梱包も終わっていた荷物に店員さんが張り付けてくれたので、あとはお金を払ってそれでおしまいです。
 後で調べたら、企業などではまとめて住所のデータを送ると、顧客用の送り状がすぐできてしまうのだそうですね。たぶん、そのぐらいのことはできるようになっているのでは、と思っていたのですが、実際にそれを体験して、現実にこのシステムが確実に広まっていることを自覚するのでした。
 でも、まだ世の中にはこういうものに慣れていないひとも、相当数いるのではないかと思うのですけどね。そういう人たちをきちんとフォローすることができれば、それはとても「品位」のある社会といえるのではないでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2018-12-13 21:49 | 禁断 | Comments(0)
「宗さん」の番組ですね
 今年も押し迫ってきて、職場でも恒例の年末に送るDMの準備が始まっています。顧客に今年1年の主な行事を紹介したり、来年へ向けてのグッズや送金用のアイテムを送るという作業です。
 それを、遅くても12月下旬までには発送を完了させるためには、その前の封筒詰めが大体1、2週間はかかることを見越して、メインの行事案内のお便りを11月中には完成させなければいけません。まあ、そんなものは私にしてみれば赤児の腕をねじるようなものですから、2日もあれば完成してしまいます。
 ただ、今年は例年行っていた行事が一つなくなってしまったので、ちょっと分量的に少なくて、ページが余りそうになってしまいました。そこで、何かいいネタがなかったか考えてみたら、格好のものがあったことを思い出しました。
 それは、10月に職場がテレビで紹介されたというニュースです。ミヤテレで平日の夕方に放送しているワイド番組「OH! バンデス」のコーナーで、まあ、「たまたま」紹介された、というものなんですけどね。実際、それは何のアポもなしにいきなりやってきて、撮影やインタビューをやっていったということでした。放送されたのが、その2週間後でしたね。
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 これがコーナーのタイトル。バックが当社の前の石段です。ちょうどこの日の前の日に大きな台風が来て、松の枝が折れて石段の上に落ちていました。
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 キャスターはティーナカちゃん、スタート地点が北仙台駅で、バックにはTさんのマンションも見えますね。
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 まずは「北山五山」をめぐるという趣向です。
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 石段を登ってきたティーナカちゃんを、副社長が出迎えるというヤラセですね。
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 お目当ては、敷地内にあるこの巨木です。
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 こんなキザなアングルで撮ってました。
 この日は私は休みだったので、現場にはいませんでした。いたら、生写真を撮ったんですけどね。あとで娘に「サインをもらってほしかった」と言われてしまいました。
 まあ、こんな写真を入れたら、見事に空いたスペースが埋まって、お便りは完成してしまいました。そして、ほかのものもそろえて、全部で1200通の郵便物の封筒詰めが始まりました。その作業は順調に進んで、300通まで行ったのですが、そこで、今年中に伝えておかなければいけない大きなことが起こりました。いまさら刷りなおすこともできないので、その件は「別刷り」にして追加することにしました。ですから、出来上がった300通の封筒を開いて、それを挿入するという作業が余計に入ってしまうことになっています。本当に、いくら時間があっても足りません。
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by jurassic_oyaji | 2018-12-12 23:46 | 禁断 | Comments(0)
ウォシュレットを買った時の店員さんとは大違い
 自宅の居間のストーブが壊れてしまいました。スタートさせてしばらくしたら「ピーピー」となりだしたかと思ったら、突然止まってしまったんですよね。ふつう、そういうことがあればなにかエラーのサインが出るはずなのですが、それも全くないまま、再起不能になっていました。「突然死」ってやつですかね。触るとものすごく熱くなっていましたから、これはもう肝心のバーナーの制御が聞きかない状態になっていたのでしょう。こうなっては修理してもかなりお金がかかりそうな感じなので、この際、新しいのを買うことにしました。
 これは、石油のFFという、今では珍しいタイプのストーブで、実際これを作っているのはもう3社ぐらいしかなくなっていることを、6年前にこれを買った時に知りました。おそらく、今ではこれと同じメーカー1社しか残ってはいないのではないでしょうかね。大きなホームセンターに行ったら、そこのカタログしか置いてありませんでしたから。
 結局、今のと同じような外観と性能のものにすることにしたのですが、その際に、FFでは置き場所が排気口の場所によって決まってしまうので、今の置き場所ではちょっと不自由なところがありました。でも、そのカタログによると延長管をつけてスペースを広げることもできそうだったので、据え付けに際してそれもお願いすることにしました。ただ、その場にいた店員さんはストーブ担当ではなかったようで、それを担当者に伝えてまた連絡させる、ということでした。
 しばらくして、その「担当者」から電話が来たのですが、なんだか話が全然伝わっていなかったようで、まず「マンションの壁に穴をあけることなんかできませんよ」なんて言い出しましたよ。いや、もうすでに穴は開いているので、そこにつけてもらうだけでいいんですけどね。それと、「配管の延長は、うちではできません」なんて言ってますから、いったい何を聞いていたのでしょうね。どうやら、今までのストーブの配管だけを延長するのだと思っていたみたいですね。こんないい加減な申し送りで、よく商売をやっていられるものですね。
 ですから、私はとうとうと、これは新しく買い替えるための注文で、カタログにはオプションの配管の案内もちゃんと書いてありますよ、みたいな、まるで私が店員で「担当者」がお客さんみたいなアホなやり取りをしなければいけませんでしたよ。そんなんでも、結局話がまとまったのですから、不思議です。いや、実際に据え付けが完了するまで油断はできませんよ。
 一応、同じ部屋にはエアコンもあるので、それを使えばとりあえず暖房はきくのですが、今までは冬場にエアコンを使ったことはありませんでした。ですから、昨日あたりはあまりに寒いのでまさに冬のエアコンデビューになってしまいました。結構温まるものなんですね。でも、私の部屋には電気ストーブしかないので、夕べはものすごく寒く感じましたね。
 ですから、明け方近くにマンションのすぐ下にある駐車場から、なにか雪を掻いているような音が聞こえてきたときには、「もしや」と思ってしまいました。窓を開けてみると
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 やはり、見事に雪が積もっていましたし、まだ薄暗い中、しんしんと降り続いていましたよ。早速この写真を撮ってみたのですが、今になって見返してみると、なかなか幻想的な風景に見えてきましたよ。車の轍が何本か見えますが、それが一つの物語になっているような気さえしてきます。
 ストーブよりもっと早くダメになっていたのが、私のノートパソコンでしたが、その後任は相変わらず素晴らしい動きを見せてくれています。やはり、なんたってプログラムがSSDに収納されているというのが大きいのでしょうね。とにかく、いままで使ったパソコンでは決して味わうことのできなかった立ち上がりには、感服し通しです。
 でも、SSD自体はiPadを使い始めたときに体験していたんですよね。要は、それと同じことがパソコンでもできるようになったということなのでしょう。Macあたりはすでにそうなっていたんでしょうけどね。いや、本当はすでにWinでもしっかり使われていたのでしょうね。私が知らなかっただけのことでした。
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by jurassic_oyaji | 2018-12-09 21:02 | 禁断 | Comments(0)
ビートルズやカーペンターズも歌いました
 岡﨑光治さんが亡くなりました。行年83歳、まだまだ亡くなるのには早い年齢でした。
 私が岡﨑さんに初めて会ったのは、大学3年の時だったでしょうか。私が属していた男声合唱団のOBだということは知っていましたが、当時は仙台放送合唱団の指揮者を務められていましたね。そのころは、仙台の放送局が毎年芸術祭参加作品として、合唱曲を委嘱していて、一応そこの専属の合唱団だった仙台放送合唱団がそれを録音していました。その時に男声が足らないということで、我々後輩にエキストラとして参加が要請されたんですよね。
 面白半分に行ってみたら、そのなんともエネルギッシュな指揮ぶりには、とても圧倒されてしまい、とうとう大学の合唱団と掛け持ちでその合唱団にも入ってしまいました。ピアノを弾きながら各パートの音を的確に指示していく姿などは、ほとんど奇跡のように感じられましたね。
 岡﨑さんは作曲家でもあったので、そのほかのラジオの番組のために編曲も行っていました。ハワイアン・バンドと一緒にハワイアンを録音したこともありましたね。もちろん、しっかりした合唱のレパートリーもたくさん歌いました。今では私の最愛の曲となったデュリュフレの「レクイエム」を初めて知ったのも、岡﨑さんのおかげです。おそらく仙台初演だったはずのそのコンサートでは、今のようにヴォーカルスコアが簡単に手には入らなかったので、スコアをもとに岡﨑さんが自ら合唱譜を作り(手書き)、オーケストラのパートは確かピアノとハモンドB3、それにチェレスタとティンパニという編成で岡﨑さんが編曲したものを演奏していました。その時にチェレスタとティンパニの担当だったのが、今の合唱連盟の理事長、今井邦夫さんでした。今井さんは、岡﨑さんの元で副指揮者を務めていましたね。
 そして、何よりも楽しかったのが、これもおそらく仙台では初めての試みだった、合唱団による「ポップス・コンサート」です。もちろん編曲は岡﨑さん、それを、団員がそれぞれ楽器を演奏してバックを務めます。私はそのころはまだフルートはやっていなかったので、ギター(フォークギター)を弾いてましたね。
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 これは集合写真。
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 岡﨑さんのアップです。
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 それ以来、仙台からも合唱からも遠ざかっていたのですが、少し前にはまた岡﨑さんのそばで演奏するようなこともありました。こちらはひたすらご無沙汰を決め込んでいたのですが、あちらから駆け寄ってきて「やあやあ〇〇くん!」なんて握手してくれるんですから、うれしかったですね。
 お通夜は9日(日)の6時から、お葬式は10日(月)の2時からだそうです。会場は北四番丁の「斎苑」です。
 私も参加したいのですが、どうなりますか。というのも、私の身内が岡﨑さんが入院されていた病院と同じところに入院しているのです。しかも同じフロアの3つ隣の病室でした。身内の看病の時にそのことに気が付いてびっくりしましたね。岡﨑さんの病室の前まで行ってみると入り口が開いていたので、中を覗いてみたら、カーテンの陰で姿は見えませんでしたが、軽い寝息のようなものが聞こえてきました。それが昨日の4時頃だったのですが、そのあとの9時45分に鬼籍に入られたのだそうです。
 晩年こそ不義理を通してしまいましたが、若いころに私の音楽性を育んでくれた岡﨑さんの御恩は、忘れたことはありませんでした。安らかにお眠りください。
 その身内も、もうしばらくしたら天に召され、56年前にこの世から去った最愛の夫に再会できるはずです。
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by jurassic_oyaji | 2018-12-07 21:28 | 禁断 | Comments(0)
「ジュラシック」には16556個のファイルがあります
 新しいPCの話は続きます。きのうはまでは、ほぼ強制的にインストールされた「ATOK」を使って文章を書いていました。この日本語変換ツールはだいぶ前に使っていたことがあったのですが、なんかクセが強くて馴染めなく、結局IMEに戻っていました。でも、せっかくインストールさせられたのですから、しばらく使ってみようと思いました。確かに、昔とはかなり使い心地が変わっていますね。ケータイみたいに、「変換予測候補」なんてのも出てくるんですね。でも、これはかえって煩わしい気がします。いや、実は、そのあとIMEにしてみたら、こちらも同じように「変換予測」が出るようになっていましたよ。いつの間にかそんな世の中の流れになっていたんですね。
 まあ、ですからその点では仕方がないのですが、ATOKで一番気になったのが、「聴く」という漢字がすぐには出てこなかったことです。まあ「聴く」ぐらいでしたらしばらくやっていると出てきたのですが、ちょっと変化させて「聴きたくなる」なんてのになると、最初は絶対に出ませんでした。これは私にとっては一大事、なんたって、音楽は「聞く」のではなく「聴く」ものですから、それがすぐには出てこないというATOKのセンスは許し難いものです。
 それともう一つ、IMEではいったん変換が決定したもの、あるいはひらがなの部分を選択して「変換」キーを押すと、そこで別のものに変換できたのに、ATOKでは同じ作業をやると変なウィンドウが出てきて、先に進めなくなってしまうのですよ。この作業はもう完全に習慣になっているので、これをやるたびにこんな風に邪魔が入ってしまうのでは、全く使い物にはなりません。ですから、もはやATOKを使うことはないでしょう。2度まで見捨てられたのでは、もう関係を修復することは不可能だと思ってください。
 Windows10自体は、昨日も書いたような煩わしいパスワードの件を除いては、内容的にはそんなに大きな変化はないような気がします。ただ、最初ちょっと困ったのが、エクスプローラーの右クリックメニューで「プレビュー」がなくなってしまったことです。同じウィンドウの中にプレビュー画面を作って、選択したファイルだけを見ることはできるのですが、前のように「スライドショー」のようなことができる機能がなくなってしまったのかと、最初は思ってしまいました。でも、よく見たら
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 確かに、以前は上のほうにあった「プレビュー」という項目はなくなっていますが、その代わりに「プログラムから開く」というのがあって、そこで「CyberLink Power Media Player 14 for FUJITSU」を選択すると、
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 前とよく似た、こんな画面が登場しました。以前はただの「Media Player」だったんですね。でも、これは「for FUJITSU」とあるぐらいですから、OSの違いだけではないのかもしれませんが。
 でも、やはりマシン自体の速度が格段に向上しているので、今まではあきらめていたことがサクサクできるようになったのは、うれしいことです。めでたくインストールが成功した、もう20年近くも前のHTMLエディターでは、前のPCではもはや大きなサイトになるとそれらをきちんと「サイト」とみなして編集することができなくなっていました。その「サイト」を作ろうとすると、あまりにファイルが多いのでフリーズしてしまうのですよね。仕方がないのでリンクを外して個別に編集を行うことになるのですが、そうするとファイル間で設けたリンクが、「絶対パス」になってしまうのですよ。それは、そのPCの中でしか使えないパスなので、ネットにアップするときには「相対パス」にいちいち書き換えなければいけません。ですから、これができなくなってからは、かなり作業効率が落ちていました。しかし、それを新しいPCでやってみたら、昔と同じように「サイト」ができるようになって、最初から相対パスが生成されるようになっていました。
 もう一つ、これにはサーバーに転送するときにも、更新したファイルだけを選択して転送するという機能が付いていたのですが、それがもう使い物にならなくなっていました。ですから、手作業でいちいち更新したファイルを選んで一つずつFTPで転送してましたね。それも、今回の引っ越しで完全に復旧できていました。もう駄目になっていたのだと思っていたアプリが、新しい環境で息を吹き返したんですね。これは、全く予想していなかった出来事でした。この状態が末永く続くことを、切に願っています。
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by jurassic_oyaji | 2018-12-03 22:30 | 禁断 | Comments(0)
ソリッドステート・ドライブ
 いろいろ迷っていましたが、ついに新しいPCを買いました。Windows10です。今まで自宅で使っていたノートPCは、その少し前に買ったデスクトップ(もちろんWindows7)がとても快調に動いたので同じメーカーのものにしたのですが、それがとんだ食わせ物でした。両方とも通販でカスタマイズしたものを買ったのですが、自宅の方はディスプレイの解像度が高すぎて、とても文字が小さくなってしまいました。「ハイビジョン対応」なんて言っていたので信用したのですが、それはものすごく見づらいものでした。
 それと、肝心の速度が明らかにデスクトップよりも劣っていました。インターネットも遅いし、Wordなどはイライラするほど鈍くさい動きです。さらに、キーボードを使った感じがとても安っぽいんですよ。キーによって叩いたときの音が違うんですから、気になって仕方がありません。完全な粗悪品でしたね。
 それが届いたのは、2015年2月8日でした。でも、交換してもどうせ同じものしか来ないでしょうから、我慢して使い続けましたよ。もう最近ではアプリの立ち上がりがすっかり遅くなって、起動してから他のことをやっていないともう時間がもったいなくて仕方がありません。起動しても何かというとフリーズしてしまいますしね。それでも使い続けたのは、ひとえにOSを変えたくなかったからです。
 ただ、逆に、もし今まで使って慣れ親しんでいた古くさいアプリが「10」で使えないことがわかったとしても、まだ今までのPCが使えるうちはなんとか時間を稼いで、その間に新しいバージョンのアプリを試すことができるはずですから、それを確かめるためにも、早いうちに「10」を体験しておきたいような気にもなってきました。
 そして、きのう、もう通販は信用できませんから、ヨドバシまで行って前から目をつけていたFujitsuを買ってきました。このメーカーは、私が最初に使ったデスクトップ(Win95)と同じです。それ以降IBM(ノート/98)→Fujitsu(ノート/XP)→Hitachi(デスクトップ/Vista)→Dell(ノート/7)→Epson(デスクトップ/7)→Epson(ノート/7)→Fujitsu(ノート/10)というのが、私の「遍歴」です。
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 新しいPCは、何よりもセットアップが大変なことになっていました。とにかくやたらユーザー登録が求められるのですよ。そのたびにキーワードも設定しなければいけませんし、もうこれだけで嫌気がさしてくる人はいるのではないでしょうか。そのせいなのでしょうが、メーカーのサポートに関してもかなりしつこく勧誘を迫られたりします。実際、この機種ではストレージがHDDの他にSSDも使われていて、それぞれDドライブ、Cドライブに分かれています。ですから、プログラムはCドライブ、ファイルはDドライブに保存するようになっているはずです。そのあたりがちょっと引っかかったので店員さんにも聞いてみたら、「自動的に振り分けられますよ」と言ってましたから、大丈夫なのでしょう。
 ところが、家へ帰って箱を開けてみると、マニュアルが入っている袋の中に、1枚だけ特別なご案内として別の紙が入っていました。そこには、「ドキュメントや写真などを収納するフォルダーはCドライブ(SSD)に入っているので、使用前にそれらをDドライブ(HDD)に移してください」と書いてあります。話が違いますね。というか、こういうことはメーカーでやっておくべき案件なのではないでしょうか。正直、それはかなり面倒くさい操作が必要でしたから、あまり知識のないユーザーだったら絶対に挫折してしまいますよ。だから、サポートが必要だというのなら、本末転倒じゃないですか。あくまで、使いやすい製品を提供するのが、メーカーとしての務めだと思うのですがね。
 そんなことで手間取ってしまいましたが、心配だったHTMLエディターと画像処理ソフトは、何の問題もなくインストールできてしまいました。あまりにあっけないので、拍子抜けしてしまいましたよ。やってみるもんですね。ただ、今までは32ビットだったものが64ビットになったせいでしょうか、画面の見え方がそれこそWin95みたいなクラシカルな感じに変わっていましたね。まあ、使えればいいんです。
 そんなわけで、昨日のサイトの更新は、なんとかその日のうちには終わらせることができました。
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by jurassic_oyaji | 2018-12-02 20:38 | 禁断 | Comments(0)
20.5周年記念
 私が最初に自分のウェブサイト「ジュラシック・ページ」を作ったのは、1998年のことでした。ということは、今年はその「20周年」の年になっていたんですね。うすうすそんな気はしていたのですが、なんとなく確かめられなくて「先送り(@僕らは奇蹟でできている)」してました。たしか、そのサイトにそのあたりの日付を記録していたページがあったはずだと思って探して見たら、やはりこちらにありました。それによると正式開通は1998年5月31日午前11時30分となっていますね。もう半年も前に「20周年」は終わっていたのでした。
 まあ、遅まきながら自分でお祝いをしてやりましょう。
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 それにしても、よくこんなに長く続いたものです。というか、これを作った時に最初に目指したのが「相互リンク」作りで、その頃有名だったサイトとつながった時はうれしかったですね。その「リンク」もずっと更新していなかったのでこの間チェックしてみたのですがすでにリンクも消えていてサイトがなくなっているところもある中で、結構その頃のサイトがまだしっかり生き延びていることも分かりました。私の感覚では、最近は一から自分で作るサイトはほとんどなくなっているような印象がありますね。というか、どっちかと言うとウェブサイトではなくブログとかが主な発信の元になっているのでしょうし、さらにはSNSで何もしなくても簡単にネットでのつながりをもてるようになっていますから、手間暇をかけてサイトを運営するようなことはなくなっているのではないでしょうか。
 ただ、それとは別に、その20年前にウェブサイトを作っていたような人は、淡々と自分のスタンスでサイト作りを続けていたのでしょう。私もそんな中の一人、ということにしておいてください。
 さっきの「顛末」のページにも書きましたが、私のサイトはニューフィルの団内紙「かいほうげん」のコンテンツを集めたものが最初の形でした。これは、第16号から私が担当するようになっていて、その時点では100号近くになっていました。それまで「かいほうげん」の中でその時どきの演奏曲目に関する様々なエッセイを書き続けていて、それがある程度好評だったしけっこうの量がたまっていたので、これだったらよそに出してみてもいいかも、と始めたのでした。
 「ジュラシック」が出来る前に、ニューフィルのウェブサイトというものもすでにありました。もちろんそれは別の団員が作っていたのですが、私はまだパソコンが使えなくて、「かいほうげん」も当時の「ワープロ」を使って作っていたぐらいでした。ですから、そんなネットの仕事も広報係の私の仕事なのに、と、そういうスキルを持っていないことをとても残念に思っていましたね。
 まあでも、私は、とりあえず今までやって来た紙媒体による広報を地道にやっていこうと思って、そんなネットのことは関わることはないだろうと思っていました。でも、しばらくして、ひょんなことからパソコンを使い出したら、ほぼ自動的に自分のウェブサイトが出来てしまったので、そこに公式サイト的なコンテンツも作るようになっていました。そしてちょうどその頃は、元からあった公式サイトは更新もされずにほったらかしにされていたので、そちらの面倒も私が見るようになったのです。それで、サーバーも新しくして、1999年の9月1日に私独自のデザインでリニューアルされています。
 それ以来、私は「ジュラシック」と「仙台ニューフィル公式サイト」の2つのウェブサイトを管理することになり、それぞれと関連付けたブログとFacebookも同時に管理、そして、もちろん「かいほうげん」の編集、制作と、言ってみればニューフィルのすべての情報の発信元としてたった一人で頑張っているのです。
 いずれは、他の人にこの仕事を引き継いでもらうことになるのでしょうが、これだけのコンテンツを有する、とても複雑なサイトが構築されてしまったので(公式サイトの方は、階層が入り乱れて私でもファイルのありかが分からないことがあります)、任された人は大変でしょうね。私だったら、最初から作り直しますね。
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by jurassic_oyaji | 2018-11-30 23:45 | 禁断 | Comments(0)
「90歳を超えても生きている」と歌ってます
 もはや旧聞に属しますが、この間の日曜日は竹内まりやのファーストアルバムがリリースされた日ということで、まさに「デビュー40周年」にあたるその日だったんですね。それは、同じ日に放送された東京FMの山下達郎の「サンデーソングブック」でも語られていて、そのファーストアルバムからの曲が流れていましたね。しかし、それだけではなく、なんとNHK-FMでは5時間45分に渡って竹内まりやの特集番組を流していたんですね。そのことを当日、何人かの人からの情報で知って、あわててカーラジオをかけてみたら、確かにそんな番組をやっていました。
 もうそれは終わり近かったのですが、どうせラジコの「タイムフリー」で聴けるだろうと思っていました。でも、あとで聴こうとしたら「この番組は対象外です」みたいな扱いでしたね。確かに、前にN響のライブを聴こうと思った時もそうでしたから、この局はほとんど「タイムフリー」の恩恵にはあずかれないんでしょうね。残念でした。
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 ただ、その、ほんの少しだけカーラジオで聴いた中で、MCが「まりやさんは、プロテスト・ソングのような曲は絶対に歌いたくないと言っていた」と言っていたことが、とても印象に残っていました。確かに、彼女はあくまで音楽は楽しいものだというスタンスで歌を歌い、曲を作っていたような気がします。おそらく、そのあたりが私が好きになれたポイントだったのでしょう。
 ですが、この間のシアターライブを見た時に「『人生の扉』みたいな歌は彼女には歌ってほしくないな」と書いていましたよね。あれはずっと前から感じていたことなのですが、なぜそのように感じたのかが、うまく説明できませんでした。それが、さっきのMCの言葉によってとてもすんなり納得がいきました。あの曲は、まさに「プロテスト・ソング」ではありませんか。普通「プロテスト」というと「抗議」といった意味になるのでしょうが、この動詞には「主張する」という意味合いもあるので、そこまで含めた意味での「プロテスト・ソング」ということなのですね。
 この曲は、曲調もなにか「軍歌」のような感じもありますし、何よりも歌い方が強烈に「主張」しまくっているんですよ。ライブの時には、こぶしを振り上げていましたからね。これが、私が抱いた違和感の原因だったんですよ。彼女は、いつの間にか歌いたくないと言っていた「プロテスト・ソング」を堂々と歌う人になってしまっていたのです。とても悲しいですね。私にできるのは、これから毎月リリースされるデビュー時代のアルバムを買い集めて、あの頃の彼女を偲ぶことだけです。
 その時に一緒に見た「ボヘミアン・ラプソディ」がらみで、とうとうクイーンのLPまで買ってしまいましたよ。それは、あしたの「おやぢ」のネタですが、そこにはやはりまりやも登場します。アルバムの中にあった「You're My Best Friend」という曲のイントロが、まりやがやはりライブで歌っていた「Forever Friends」とそっくりなんですよね。彼女は確かクイーンも好きだったはずですから、つい刷り込まれていたんでしょうね。
 この曲では、歌い方に関してとても気になることがあります。最初のフレーズの
どんなに長く 無沙汰をしてても
電話ひとつかけるだけ 学生(くせい)に戻れる
で、「」と「」を鼻濁音で歌っているのですよ。
 これも、どっかのアイドルが言っていたことで、まりあの曲を歌った時に「鼻濁音で歌う」ようにアドヴァイスされたというのがありますから、これは彼女の信条なのでしょう。確かに、本来鼻濁音になる音を濁音にするのは、非常に醜いものですが、その逆も同じように醜いことを彼女は知るべきです。特に、NHKのアナウンサーは頻繁にこの間違いを犯していますからね。「毒ス」とか「窓ラス」とか。
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by jurassic_oyaji | 2018-11-28 21:50 | 禁断 | Comments(0)
ライブの二本立て
 三連休の真ん中の日、特に予定もなかったので久しぶりに映画を見に映画館に行ってきました。たまたま見たいものが2本あったので、この際だから両方見てやろうと「二本立て」の計画を立てようとしたら、その「竹内まりやシアター・ライブ」と「ボヘミアン・ラプソディ」の上映時間が見事に重なっていました。この2本は客層が違うのだと判断されてしまったのでしょうかね。でも、「ボヘミアン」はIMAXでもやっていて、それだと「まりや」の初回を見てから昼ご飯を食べても十分に間に合う時間に始まりますから、それに決めました。
 初回は9時からなので、映画館は8時半にオープンすることは分かっていました。ただ、ここが入っているパルコ2はそんなに早くは開かないので、1階から特別に入れるようになっているのは、前にも同じことがあったので知っていました。その時は、2階の前で待っていても開く気配がなかったので、変だと思ったら1階だと分かってそれからあわてて行ったので、後れを取ってしまいました。今回は、まだ時間前だったのに1階は開いていたので入って行ったら、エレベーターの前にもう行列が出来ていましたね。しばらくして映画館のスタッフがやって来て、ちょっと早めにエレベーターが使えるようにして、そのまま中に入れました。
 座席の予約状況はネットで見ていたのですが、どちらもかなり早い時点で半分近く埋まっていました。私が狙っていた席はどちらまだ空いていたのでもほぼ希望通りの席をゲットできました。
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 まずは「まりや」の方からです。こちらは圧倒的に中高年の世代が多かったですね。彼女がアイドルの頃をリアルタイムで知っている世代でしょう。それから40年も経っているのですから、ファンも年を取るはずです。
 この映画は、彼女の最近のライブの映像を編集したものです。2000年、2010年、2014年の3回のツアーが収録されています。2000年の頃はまだ35ミリのフィルムで撮っていたのでしょうか、サイズもスタンダードで画質もさえませんが、それ以降のものはワイドになって別物のようなクリアな画質に変わります。この頃は当然HDのビデオ撮影でしょうね。
 音も、やはり後期の方がよりクリアですが、そのあたりはあまり期待はしていませんでしたから、クオリティは二の次です。というか、この2000年のライブは、すでにCDになっているんですよね。それと、この映像自体もそのあとのアルバムの初回限定おまけのDVDで見たことがありました。ただ、それはほんの数曲しか入っていなかったので、今回、そのCDの元になった映像をきちんと見られたのは幸せでした。「駅」などは、本当に号泣ものでしたね。
 ただ、それ以降のライブでは、歌われているのが割と最近の曲だったりすると、ちょっとつまらないな、と思うところもなくはありません。「人生の扉」みたいな歌は彼女には歌ってほしくないな、と思っていますからね。
 そんなライブ映像のほかに、インタビューとか、初めて見る達郎の録音スタジオの内部などは、とても興味深いものでした。まあ、これで2800円というのは妥当なところでしょうか。ただ、ブックレットが3500円もするのは、ちょっとぼったくり。帰りにこれが入ったポリ袋を後生大事に持って帰る中高年の方を見かけましたが、私にはそれほどの思い入れはありませんから。
 しかし、彼女は本当にいつまでも若々しいですよね。なんか、いつもよく似た人を見ているな、と思ったら、ヴァイオリンのYさんでした。どちらもとてもお美しい。
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 そして、ランチタイムを挟んで「ボヘミアン」ですが、その前にリニューアルしたエスパルの地下街へ。めざす「まめだ」は、地下通路に面してました。さすが、長蛇の列です。
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 「ボヘミアン」が上映されていたのは、このシネコンで一番大きいIMAX用のスクリーン6。ここは300席近くあるのですが、それがほぼ満席だったのが、まずすごいことでした。こんなにお客さんがたくさんいるところで映画を見たのは本当に久しぶりです。こちらも、平均年齢はかなり高め。
 やはり、まずはサウンドをチェックですが、これはまさに生のコンサートをそのまま聴いているようなものすごい音でしたね。もちろん、クオリティは度外視したあくまで音量と超低音で迫るというロックコンサートならではの音ですけどね。それを、300人のお客さんがじっと座って聴いているというのが、ちょっと不気味。てっきり、これのために新しく録音したのかと思ったら、オリジナルをそのまま使っていたようですね。
 映像的にも、あの最後のアリーナのシーンはものすごいリアリティでしたね。あれはCGだったのでしょうか。
 物語は、事実をかなり都合よく捻じ曲げて、しかし、そのためにドラマはとても感動的に仕上がっていました。映画だからそれでいいんでしょう。オープニング・クレジットでマイク・マイヤーズの名前があったのでいったいどの役なのだろうと見ていたのですが、最後まで分かりませんでした。後で調べたら、「ボヘミアン・ラプソディ」をボツにしたEMIのお偉方でした。これは、知ってても分からなかったでしょうね。それと、「ジュラシック・パーク」で恐竜オタクの子供を演じていたジョセフ・マゼロが、ベースのジョン・ディーコンを演じていましたね。これは、確かに面影がありました。大きくなりましたね。
 ベースと言えば、「まりや」でのバンドのベーシスト伊藤広規は、2000年には達郎みたいな長髪だったのに、それ以降は短髪になって、なんだか普通のおじさんみたいになってましたね。
 「現実」の「まりや」と「非現実」の「ボヘミアン」、それぞれに刺激的な部分がたくさんあって、とても楽しめました。
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by jurassic_oyaji | 2018-11-24 20:51 | 禁断 | Comments(0)