おやぢの部屋2
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カテゴリ:フルート( 237 )
MÜLLER/Flute Concertos
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Tatjana Ruhland(Fl)
Timo Handschuh/
Südswestdeutsches Kammerorchester Pfolzheim
CPO/777 956-2



アウグスト・エバーハルト・ミュラーは、1767年にノルトハイムというに生まれ、1770年にオルガニストだった父とともに家族でビュッケブルク近郊の大学都市、リンテルンに移ります。そこで、小さいころから父親の教育を受けたり、独学でフルートを演奏するようになっていたミュラー少年の音楽の才能に注目したのが、当時ビュッケブルクの宮廷楽長だった、J.S.バッハの息子ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハでした。ミュラー少年は1770年代半ばから数年間、ピアノ、オルガン、作曲、和声学のレッスンをJ.C.F.バッハから受け、父バッハの音楽にも触れることになります。
ミュラーは14歳ですでにフルート奏者としてコンサート・ツアーを行うまでになっていました。1788年4月には、すでに移り住んでいたマクデブルクで、その地の聖ウルリヒス教会のオルガニストの娘でピアニストのエリザベス・カタリーナ・ロベルトと結婚します。翌年の6月には義父が亡くなったので、後継者としてその教会のオルガニストに就任します。
やがて、彼の作品は出版されるようにもなりますが、それを目にしたベルリンの作曲家、音楽評論家のヨハン・フリードリヒ・ライヒャルトは、自分の雑誌でこれをほめちぎります。それがきっかけで、ミュラーは1793年にベルリンでコンサートを行い、大成功をおさめます。
その後、ライヒャルトの口添えもあってミュラーは1794年にライプツィヒのニコライ教会のオルガニストに就任、妻のエリザベス・カタリーナはピアニストとして活躍(ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番と第4番のライプツィヒ初演を行う)、彼もゲヴァントハウス管弦楽団の首席フルート奏者となりました。そのころには、こんな仕事もしていたようですね。
さらに、1801年には、J.S.バッハの4代後のトマス教会カントルにも就任、1810年にはヴァイマールの宮廷楽長と、市の音楽監督となり、1817年にその地で没します。
そんな、順風満帆な人生、作品もきちんと作品番号がつけられて出版されたものだけでも41曲あります。しかし、彼の死後は急速にその人気は衰え、現在では彼の作品はほぼ完璧に忘れ去られています。
その中でフルート協奏曲は全部で11曲、さらに、「ポロネーズ(op.23)」と「ファンタジー(op.40)」というフルートとオーケストラとの作品が2曲出版されています。それは彼の作曲家としての生涯の全ての時期に渡って作られていました。
ここでは、「第1番(op.6)」(1794年)、「第3番(op.10)」(1796年)、「第10番(op.30)」(1809年)の3曲が演奏されています。それぞれが、まるでモーツァルトを思わせるような、3つの楽章からなるとてもキュートな作品です。第1楽章はスケールを基本にしたシンプルなテーマを、細かいスケールとアルペジオで飾り立てるという華やかさにあふれたもの、第2楽章は、優雅なメロディが朗々と歌われる中、細かい装飾も加わります。そして最後の楽章は3拍子の伸び伸びとしたキャッチーな主題を使ったロンドです。
後半の2つの楽章では、例外なく真ん中が短調になっているように、モーツァルトとは一味違うところもあり、確かにミュラーとしての個性は感じることができます。10番の第2楽章ではイギリス国歌が使われています。1番と3番ではカデンツァは書かれてはいませんが、10番ではちゃんと楽譜に書いてあるのだそうです。それは、とても技巧的なうえに新鮮なアイディアに満ちたものでした。
このCDのソリストのルーラントは、低音から高音まで、全くムラのないパワフルな音で演奏していました。それはまさに完璧にコントロールされた音なのですが、ちょっとこの作曲家の音楽に対しては力がありすぎるような気がします。
1番と3番は、出版譜をIMSLPで見ることができます。1番の第2楽章を聴きながらそれを見ていたら、同じフレーズでタイがあったりなかったりした部分がありました。
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彼女はこれに忠実に吹いていました。これは、絶対パート譜のミスだと思うのですが。四分音符のあとは全部タイを付けた方がより音楽的。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück

by jurassic_oyaji | 2019-02-12 21:03 | フルート | Comments(0)
KAPUSTIN/Complete Chamber Works for Flute
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Immanuel Davis, Adam Kuenzel(Fl)
Pitnarry Shin, Käthe Jarka(Vc)
Tiimothy Lovelace(Pf)
NAXOS/8.579024



ウクライナ生まれのピアニスト兼作曲家、ニコライ・ギルシェヴィチ・カプースチンは、モスクワ音楽院で「クラシック」を学んでいますが、作るものは紛れもない「ジャズ」でした。主に、自分で演奏するために作ったものなのでしょう、彼の作品はピアノがらみのものが大半を占めています。最近になってアムランなどのヴィルトゥオーゾ・ピアニストまでがこぞって彼の作品を演奏するようになって、一躍脚光を浴びるようになりました。ですから、おそらく楽譜は、通常の「ジャズ」の譜面のようなアウトラインだけのものではなく、きっちり全ての音符が書かれているのでしょうね。確かに、ジャズピアニストがソロとして弾く分にはなんということはないものでも、それを楽譜に起こしたものをクラシックのピアニストが弾くのは、超絶技巧が要求されるのでしょう。
そんなカプースチンは、こんなフルートがらみの曲も作っていました。
このアルバムは、近年カプースチンとのコラボレーションの機会が多いアメリカのフルーティスト、イマニュエル・デイヴィスが中心になって制作されました。ここで演奏されている唯一の「フルート・ソナタ」(2004年)は、デイヴィスの委嘱によって作られています。さらに、これが世界初演となる「小さなデュオ」は、このアルバムのために作られた「新曲」です。実は、カプースチンの作品でフルートが加わっている曲は、このアルバムに含まれているものが全てなのだそうです。ですから「Complete」なのですね。
デイヴィスという人は、フルーティストとしてはとても幅広い分野で活躍しています。ジュリアード音楽院でジュリアス・ベイカーに師事しているのですが、さらにオランダでバロック・フルートをウィルベルト・ハーツェルツェットの元で学び、アーリー・ミュージックの分野でのキャリアも重ねています。バルトルト・クイケンとも、たびたび共演しているそうです。
それとは全くかけ離れたジャンルになりますが、ブロードウェイのピットで「屋根の上のヴァイオリン弾き」や「ショウ・ボート」などのミュージカルの伴奏を務めていたこともあるのだそうです。
そんなデイヴィスの演奏で、まずは先ほどのフルートとピアノのための「フルート・ソナタ」を聴いてみます。そんな経歴の割には、いともまっとうなスタイルで吹いているのが意外でした。ですから、この曲もひたすら難しい楽譜の音符と格闘している、という印象が強く伝わってきます。それはそれで、技術的な破綻は全くないものの、「ジャズ」というにはあまりにもストイック過ぎて、正直退屈な感じが先に立ってしまいます。もしかしたら、このあたりがこの作曲家の限界なのか、とも思ってしまいますね。なにか、「ジャズ」でもなければ「クラシック」でもないという、中途半端さがとても気になります。
それが、次に演奏されている1998年の作品「ディヴェルティメント」という2本のフルートとチェロとピアノのための曲になると、俄然様子が変わってきました。これは、なによりもたくさんのプレーヤーたちがとても楽しんで掛け合いを行っているのがとてもよく伝わって来るのですよ。3つある楽章の真ん中などは「フーガ」というクラシカルな形を取っていますが、ここではそんな堅苦しさなどは全くありません(風雅ではありません)。
そして、もちろんこれが初録音なる、フルートとチェロのための「小さなデュオ」(2014年)になると、また「ソナタ」のような重々しさが襲ってきます。どうも、彼の最近の作品は、そのような傾向が強いのかもしれません。
確かに、最後に演奏されている「トリオ」(1998年)では、フルート、チェロ、ピアノの3人のセッションの喜びが、とてもハッピーに伝わってきます。真ん中の楽章では、とてもジャジーな「けだるさ」が感じられますし、最後の楽章ではまるでハンガリー民謡のようなテーマも現れて、とても盛り上がります。

CD Artwork © Naxos Rights(Europe)Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-02-07 20:15 | フルート | Comments(0)
W.F.BACH/Six Duos for Two Flutes
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Patrick Gallois, 瀬尾和紀(Fl)
NAXOS/8.573768



これまで、大バッハの長男、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの作品には、「F」または「Fk」という作品番号が付けられていました。これは、1913年にマルティン・ファルクという人が出版したW.F.バッハの生涯と作品に関する著作「Wilhelm Friedemann Bach/Sein Leben und seine Werke mit thematischem Verzeichnis seiner Kompositionen und zwei Bildern」の中で制定しているものです。
それによると、このCDで演奏されている「2本のフルートのための6つのデュエット」には、「F54」から「F59」までの6つの番号が与えられています。したがって、これまではそのファルク番号の順に「1番」から「6番」までの番号が付けられていました。したがって、昔のレコードやCDではそのようなナンバリングになっていましたし、2017年に録音された今回の最新のCDですらそうなっています。
しかし、このファルクの番号は作曲年代順にはなっていないふぁるくさい(古臭い)ものですから、最近では時系列に沿った別の番号が付けられた楽譜も出版されています。たとえばCARUSではバッハ一族のすべての作曲家の作品全集を刊行するという壮大なプロジェクトを展開中ですが、フリーデマンの場合はプロジェクトの名前「BR(Bach-Repertorium」の中のW.F.バッハの作品目録ということで、それぞれの作品には新たに「BR-WFB」という略号が頭に付いた番号が付けられています。それとファルク番号を対照させてみると、
  • Sonata I e-Moll : BR-WFB B 1 / Fk 54(旧1番)
  • Sonata II G-Dur : BR-WFB B 2 / Fk 59(旧6番)
  • Sonata III(Duetto) Es-Dur : BR-WFB B 3 / Fk 55(旧2番)
  • Sonata IV(Duetto) F-Dur : BR-WFB B 4 / Fk 57(旧4番)
  • Duetto Es-Dur : BR-WFB B 5 / Fk 56(旧3番)
  • Duetto F-Moll : BR-WFB B 6 / Fk 58(旧5番)
となります。「B」というのは、カテゴリーの記号、ここでは「室内楽」でしょう。その後の数字が、同じ編成の中では作曲年代順になっています。そこで、このCDの演奏順を見てみると、
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何のことはない、しっかりこの順番になっているではありませんか。実は、このCDで使われているゲルハルト・ブラウン校訂のBREITKOPF新版でも、すでに「新しい」番号が使われているのですよ。ですから、この表記は明らかな誤記ということになりますよ。古くからの番号に愛着があったのかもしれませんが、せめて「No.2(No.6)」ぐらいの表記は出来たはずなのに。相変わらずお粗末なNAXOSでした。
先ほどの「新しい」リストを見ると、それぞれの曲のタイトルが2曲ごとにも微妙に違いますね。これは、作られた時期がかなり離れているということの名残なのでしょう。W.F.バッハが生まれたのは1710年ですが、このCDのライナーノーツによると「1番」と「2番」が作られたのはかなり早い時期、1729年ごろ、「3番」と「4番」は1741年以前、そして「5番」と「6番」は晩年のベルリン時代(1774年以降)だということです。ですから、それぞれの時期での作曲技法の差異も認められるはずです。確かに、最初のころは2つの声部が完全に独立したポリフォニーで書かれていますが、後の作品では古典、あるいはロマン派にも通じるような、主旋律と伴奏みたいなパターンが見つかりますね。
ガロワと瀬尾さんという師弟によるデュエットは、全ての曲で1番フルートがガロワ(左)、2番フルートが瀬尾さん(右)というパート分けのようでした。おそらく、楽器は同じエイベルの木管でしょう。それを使って、完全なノン・ビブラートで演奏しているのが、この時代の音楽に対するリスペクトのようです。もちろん、装飾なども特に繰り返しの後などはてんこ盛りなので、ひと時も聴き逃せません。この二人のことですから、アゴーギグもものすごく、時には他のパートとずれてしまうこともあるのですが、それも「芸」のうちだと感じさせられるのは、やはりすごいものです。そこからは、バロックの様式をはるかに超えた感情のほとばしりすら感じられた瞬間が何度あったことでしょう。
「6番」の第2楽章の本当に美しいメロディで、ガロワがついビブラートをかけていたことに気づいた時には、なにか愛おしさのようなものまで感じられてしまいました。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

by jurassic_oyaji | 2019-01-31 20:40 | フルート | Comments(0)
PAPANDOPULO/Flute Concerto, Harpsichord Concerto, Five Orchestral Songs
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Michael Kofler(Pic), Jörg Halubek(Cem), Miljenko Turk(Bar)
Timo Handschuh/
Südwestdeutsches Kammerorchester Pforzheim
CPO/777 941-2



ボリス・パパンドプロという、とても上手なおやじの楽団のような(それは「パパバンドプロ」)名前の作曲家のアルバムです。
この方は、1906年にギリシャ系の貴族の父親と、クロアチアの有名なオペラ歌手の間にドイツのボンの近くのホンネフ・アム・ライ(現在のバート・ホンネフ)というところで生まれました。しかし、3歳の時に父親が亡くなったため、母の実家のあるザグレブに移ります。
幼少のころから音楽的な環境で育ったパパンドプロは、地元のザグレブ音楽アカデミーを卒業しますが、そこの先生がストラヴィンスキーの知り合いであったことから、この大作曲家に会うことができ、そこでウィーンで学ぶように勧められます。彼は、1991年に亡くなるまでに450曲を超える作品を残しました。
ここで最初に演奏されているのが、1977年に作られた「ピッコロと弦楽オーケストラのための小さな協奏曲」です。これは、確かに演奏時間は15分という「小ささ」ですが、曲の雰囲気もとてもかわいらしいものです。何よりも、このピッコロというちょっと協奏曲とはあまり馴染まない楽器が使われるようになったいきさつが、とてもチャーミングなエピソードとして伝えられています。
ある時、パパンドプロと一緒にコンサート・ツアーに加わっていた若いフルーティストが、この大作曲家が「俺が作った協奏曲に使われていない楽器などないぞ」と豪語しているのを聞いて、勇気を出して「ピッコロのための協奏曲は、ありませんっ!」と言ったそうなのです。パパンドプロは一瞬たじろぎますが、それから数か月たったら、こんな素敵な「ピッコロ協奏曲」を作ってきて、その若いフルーティストに演奏させたのだそうです。
パパンドプロは実はピッコロという楽器は彼の作品の中ではよく使っていて、その特徴は熟知していたのですね。ですから、この曲はまさにピッコロの持ち味を存分に発揮したものに仕上がっていました。
第1楽章では、ピッコロによるまるで鳥の声のような軽々とした感じの、しかし技巧的なカデンツァが何度も現れる中で、それとは対照的な沸き立つようなダンスが登場しています。
第2楽章は、一転して寂しげな抒情性を表に出した曲想、しかし、それもとても技巧的なフレーズが伴ったものです。
そして最後の第3楽章は、まさにイケイケの3拍子のダンス、エンディングではさらにスピードアップして盛り上がります。
ソリストのコフラーは、ピッコロとはとても思えないような正確なイントネーションと音色で、見事にこの難曲を吹ききっていました。ブラヴォーです。
続いては、1966年にドイツのチェンバロ奏者で音楽学者でもあったハンス・ピシュナーのために作った「チェンバロと弦楽オーケストラのための協奏曲」です。これは、もろバロック時代の音楽の模倣によってできているような作品です。第1楽章の「トッカータ」は、まさにバッハの作品を思わせるような自由な楽想でチェンバロが軽快なテーマを披露しますが、その中にシンコペーションが入っているのが、ちょっとモダンな雰囲気を加えています。
第2楽章の「アリア」も、やはりバッハ風の装飾がたっぷりつけられたメロディアスな曲です。その中に、ほんの少し無調感が漂っているのが隠し味でしょうか。ただ、時折ロシア民謡の「トロイカ」の「♪走れトロイカ」というフレーズが聴こえてくるのが気になります。最後にはその「トロイカ」のテーマでチェンバロ・ソロがフーガを弾いたりしています。
最後の「ロンドー」では、骨太な音色が強調されているようです。このCDには何の表記もありませんが、おそらくここではこの当時の楽器「モダンチェンバロ」が使われていたのではないでしょうか。
最後の「5つの歌」は、3つの重たい曲と、2つの軽やかな曲が交互に現れます。その淡々とした歌い口は、なかなか魅力的です。ただ、ブックレットの対訳では、最後の2曲が逆になっています。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück

by jurassic_oyaji | 2018-12-08 22:27 | フルート | Comments(0)
ZANI, PIACENTINO, TORTI, SCHIATTI/Concerti per flauto, archi e continuo
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Raffaele Trevisani(Fl)
Natale Arnoldi/
Ensemble Baroque ≪Carlo Antonio Marino≫
TACTUS/TC720002


このジャケット、フルートのアルバムには昔から同じデザインのものがたくさんありましたね。ここでは横長の絵画をジャケットに合わせて両端をトリミングしていますが、オリジナルはこういうものです。
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これは、19世紀のドイツの画家アドルフ・フォン・メンツェルという人が描いた「サンスーシでのフリードリヒ大王のコンサート」という絵画です。大王はフルートをこよなく愛し、自らも演奏のみならず作曲家としてもかなりの量の作品を残していますが、それを支えた宮廷の音楽家がものすごいメンバーだったことでも知られていますね。この絵の中でチェンバロを弾いているのは大バッハの息子のカール・フィリップ・エマニュエル・バッハですし、ジャケットではカットされていますが、右端に心配そうに立っているのが、大王のフルートの先生で、当時の演奏様式を知ることの出来る教則本を著したことでも有名なヨハン・ヨアヒム・クヴァンツです。
とは言っても、この画家が生まれたころにはもう大王は亡くなっていますから、このいかにもリアルな作品も想像で描かれたものですが、今回のトレヴィザーニのアルバムはまさにこんな時代、18世紀の半ばごろにイタリアで作られたフルートと弦楽器と通奏低音のための協奏曲が集められたものです。
それらを作った作曲家は4人、アンドレア・ツァーニ、ロマーノ・ピアチェンティーノ、ジュゼッペ・トルティ、ジアチント・スキアッティという、誰一人として聞いたことのない名前の人たちです(最後の人は「じゃあちゃんと、付き合って」と言われそう)。当然のことながら、ここで演奏されている曲は全て「世界初録音」です。
それらの曲は、ドイツのさる図書館で見つかったパート譜をもとに復元されたスコアによって演奏されているのだそうです。そのパート譜は実際に演奏された時に作られたもののようですから、一度は実際に「音」にはなっていたのでしょうね。
その「初演」の時には、当然のことながらその当時の楽器が使われていたはずです。弦楽器はガット弦で駒が低いもの、そしてフルートはキーが一つしかついていないシンプルな楽器です。
それを、21世紀に「再演」したトレヴィザーニは、彼の楽器であるモダン・フルートを使っていました。ただ、一応その時代に敬意を表してか、いつものゴールドではなく木管(パウエル?)を使っていましたね。もちろん、バックのオーケストラもモダン楽器です。チェンバロだけはヒストリカルのようですが。
トレヴィザーニの演奏は、今まではDELOSという録音には定評のあるレーベルからリリースされたものを聴いていました。そこで聴こえていた彼の音は、師ゴールウェイ譲りのあくまでのびやかで輝かしいものでした。今回のTACTUSレーベルは、録音に関してはそれほど期待できないことは分かっていましたが、このアルバムはいくらなんでもそれはないだろう、と思えるほどのひどい録音だったのには、のけぞってしまいました。いくら楽器が違うとはいえ、トレヴィザーニのフルートからは、彼の持前の伸びやかさが全く伝わっては来なかったのです。あまりにオンマイク過ぎるので、ノイズばかりが聴こえてくるのですね。
しかし、しばらく聴いていると、それはあながち録音のせいだけではないような気がしてきました。彼のロングトーンは、伸ばしている間にどんどんピッチが下がっていくんですよね。ゼクエンツの繰り返しでも、なにか指は回らないしリズムはもたつくし、そもそも彼の演奏自体がかなりヤバくなっているように思えて仕方がないのですよ。彼は1955年生まれだそうで、還暦は過ぎていますから、もう衰えてしまったのでしょうか。もっと年をとっても立派な演奏をする人はいくらでもいるのに。
ここで初めて聴いた5つのフルート協奏曲は、そんな緊張感のない演奏のせいか、どれも同じように聴こえてしまいました。あるいは、こんなつまらない曲だから、演奏に熱が入らなかったのかも。

CD Artwork © Tactus s.a.s.

by jurassic_oyaji | 2018-11-13 20:51 | フルート | Comments(0)
For You , Anne-Lill
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Agata Kielar-Długosz(Fl)
Andrzej Jungiewicz(Pf)
DUX/DUX 1475


アルバムタイトルがなんだかユニークですし、このジャケット写真ときたら不気味さすら感じられますが、これはポーランドの作曲家が作ったフルートのための作品のアンソロジー。タイトルは、ここで演奏されているグレツキの作品の名前、そしてこの眼球を失った人形の写真は、このアルバムの中の曲の大半が作られた20世紀半ばの「大戦後」の雰囲気を反映しているものなのだそうです。
演奏しているのは、アガタ・キーラル=ドウゴシュという女性のフルーティストです。「ドウゴシュ」という名前に聞き覚えがあったので調べてみたら、こちらでペンデレツキの「フルート協奏曲」を演奏していたウーカシュ・ドウゴシュの奥さんのようですね。お二人で一緒に録音していたアルバムも見つかりました。
ここで彼女が取り上げた作曲家は全部で7人、その中にはもちろんこのペンデレツキも入っています。しかし、その作品は「ミステリオーソ」という1954年、作曲家がまだ21歳の頃の、ほとんど「習作」といった感じのものでした。彼の作品リストにも載っていないようなレアな作品、もちろん初めて聴きました。それは、ピアノの7拍子のオスティナートに乗って、無調のフレーズが延々とフルートによって奏でられるという、そのすぐ後の「クラスター」の時代や、さらにそのあとの「ロマンティック」な時代とも全く異なるスタイルの作品でした。これが彼のスタート地点だったということを認識できる、貴重な録音ですが、それ以上のものではありません。
この中で最も早い時期に作られたのは、1925年のタンスマンの「ソナタ」でしょうか。これはすでに、フルーティストのレパートリーとして割と知られている作品です。作曲者は家具職人(それは「箪笥マン」)?若いうちにポーランドを出てパリで活躍していますから、当時の「6人組」などとも親交があり、ほとんどフランスの作曲家のような印象がある人です。この「ソナタ」も、そんな「おフランス」の情緒たっぷりのオシャレな楽章が5つ並んでいます。その真ん中の「スケルツォ」という楽章は、「フォックス・トロット」というジャズの前身ともいえるシンコペーションやスウィングのリズムを取り入れた軽快な曲です。
タイトル曲も含めたグレツキの作品が、この中では最も新しいもの。その「君のために、アンヌ=リユ」というのは、ノルウェーのフルーティスト、アンヌ=リユ・リエのために1986年に作られています。そのまんまですね。そしてもう1曲1996年に作られた「ヴァレンタイン・ピース」は、アメリカのフルーティスト、キャロル・ウィンセンスのためにヴァレンタイン・プレゼントとして作られました。もちろん、どちらのフルーティストも女性です。「ヴァレンタイン」の方はフルート・ソロの曲、最後に鈴の音が入るのが粋ですね。いずれもグレツキらしいミニマル・ミュージックです。「君のために」では、高音の難しいパッセージが執拗に続きます。
あとの4人の作品は、いずれも1950年前後に作られたものです。キラールの「ソナタ」は、当時の趨勢だった新古典主義の作風で、まるでヒンデミットのようなモティーフも現れます。
ルトスワフスキの「3つの断片」は、ラジオドラマのために作られた短い曲の集まり。キャッチーなメロディを持っています。
パヌフニクの「ショパンへのオマージュ」は、元々はソプラノとピアノのための5つの曲集だったものを、フルートのために書き直したもので、「ショパン」というよりはハンガリーのリズムや旋法があちこちに顔を出している不思議な作品です。
唯一、初めて聞いた名前の作曲家、ピオトル・ペルコフスキの「インテルメッツォ」は、やはりこの時代ならではの無調のテイストが色濃く表れた作品です。
キーラル=ドウゴシュの演奏は、曲によっては明らかに共感が薄いと思われるような雑なところがあるのが、ちょっと残念です。

CD Artwork © DUX Recording Producers

by jurassic_oyaji | 2018-10-30 23:49 | フルート | Comments(0)
KARG-ELERT, KRONKE, FRÜHLING, REGER, REINECKE/Works for Flute & Piano
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Christiana Fassbender(Fl)
Florian Wiek(Pf)
PROFIL/PH18005


いわゆる「ロマン派」の時代の5人の作曲家によるフルートとピアノのための作品を集めたCDです。この中でマックス・レーガーだけは普通のクラシック・ファンにはよく知られている(?)作曲家ですが、カール・ライネッケはかなりマイナー、そして、フルート関係者だったら知っているかもしれないジークフリート・カルク=エラート以外は、おそらく誰も知らないエミール・クロンケとカール・フリューリンクという人たちです。
この中ではライネッケだけが19世紀の前半に生まれていて、それ以外の4人はその50年ぐらい後の生まれ、中にはライネッケの教えを受けた人もいます。そう、ライネッケはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者であるとともに、ライプツィヒ音楽院の教授でもあったのです。
アルバムの構成としては、最初と最後に大きな「ソナタ」、そしてその間に小品を挟む、といった形になっています。もちろん、「トリ」はこの時代、ほとんど唯一のフルートのためのソナタとして異彩を放っている、ライネッケの「ウンディーヌ」です。
このようにロマン派の時代にフルートをソロ楽器として使った作曲家が少なかったのには、楽器自体の未熟さも一つの要因になっていました。ロマン派の作品では、多彩な表現を追求するために、複雑な転調が用いられていましたが、その当時主流だった楽器ではムラのない半音を出すことは難しく、そのような転調に的確に対応することが出来なかったのです。しかし、1850年ごろにテオバルト・ベームが完成させた新しい楽器は、そのような欠点を見事にクリアした、まさにロマン派特有の表現にも十分に耐えうるものでした。ライネッケもそのベーム・フルートの可能性を信じて、細かい転調を用いたこのソナタを作ったのです。
ただ、この曲を献呈された、当時のゲヴァントハウス管弦楽団の首席奏者ヴィルヘルム・ベルゲは、まだベーム・フルートは使ってはいなかったので、初演を行ったのはベルギー生まれのフルーティスト、アメデ・ドゥ・フロエでした。
このCDのフルーティストで、ベルリンのコミッシェ・オーパーの首席奏者などを務めたこともあるクリスティーナ・ファスベンダーは、そんなライネッケの思いを、時には想定以上のパッションを込めて演奏しています。そして、第2楽章の中間部の「ビブラートをかけないで」という指示にも、かなりきちんと従って、幻想的な味を出しています(こういう指示があるのは、当時でもビブラートをかけるのが普通だったということなのですね)。
アルバムの頭の、3つの楽章から成る15分ほどの「ソナタ」を作ったカルク=エラートは、ライプツィヒ音楽院でライネッケの弟子でした。そして、自身もそこの教授となったのです。彼の作品はロマン派末期ならではの、ドビュッシーの印象主義や、シェーンベルクの12音技法までもが感じられる幅広さを持っています。
このソナタは、まるで同世代のR.シュトラウスのような華やかなパッセージ満載の第1楽章の最後に、低音のピアニシモでロングトーンが伸ばされ、そのままゆったりとした第2楽章に続くという粋な構成を持っていました。こういう低音のロングトーンで倍音を抜いて空ろな音を出すのが、このフルーティストは上手です。その楽章は、無調っぽいパッセージも交えながらゆったりと進み、さらに軽やかなワルツ風で名人芸が随所に秘められた第3楽章に続きます。
カルク=エラートのライプツィヒ音楽院での前任者が、レーガーです。ここでは「アレグレット・グラツィオーソ」と「ロマンツェ」というかわいらしい2曲が演奏されています。この演奏はちょっと力み過ぎのような気がします。
クロンケとフリューリンクの作品も、なかなか魅力的でした。特にフリューリンクの「ファンタジー」は、演奏時間が13分という大作、全音音階も交えた新鮮な和声感が印象的ですし、中間部のテーマもとても美しいメロディが光ります。

CD Artwork © Profil Medien GmbH

by jurassic_oyaji | 2018-08-19 20:26 | フルート | Comments(0)
MOZART, MYSLIVEČEK/Flute Concertos
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Ana de la Vega(Fl)
English Chamber Orchestra
PENTATONE/PTC 5186 723(hybrid SACD)


まるで平野ノラみたいな太い眉毛のこの女性は、オーストラリアでイギリス人とアルゼンチン人の両親の間に生まれたフルーティスト、アナ・デ・ラ・ヴェガです。ブックレットの中の彼女自身の言葉によると、彼女はそれまでフルートのことも知らず、クラシックのコンサートに行ったこともなかったのに、ある日たまたま両親が家でかけていたレコードでジャン・ピエール・ランパルが演奏したモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」の第2楽章を聴いた時、「わたし、フルートが吹きたいっ。パリに行って、ランパルさんの弟子になるわ。」と両親に告げたというのです。
結局、彼女がパリのコンセルヴァトワールに入学した頃にはランパルはすでに亡くなっていましたが、ランパルの高弟のレイモン・ギオーのもとでフレンチ・スクールの後継者となるべく学ぶことになるのでした。
彼女が一躍注目を集めたのは、2010年にイギリス室内管弦楽団とヨゼフ・ミスリヴェチェクの「フルート協奏曲」を演奏したロンドンのコンサートでした。ミスリヴェチェクはチェコで生まれ、イタリアでオペラ作曲家としての名声を確立した作曲家です。モーツァルトとも親交があり、モーツァルト自身も彼のことを高く評価していました。彼が作った唯一のフルート協奏曲は、すっかり忘れ去られていましたが、ヴェガはパリにいたころにわざわざチェコまで行ってその楽譜を探し出したのだそうです。
このコンサートの模様はBBCのラジオでも放送され、各方面で絶賛されたそうです。その同じメンバーで、2016年にセッション録音を行ったものが、このSACDです。ただ、これが世界初録音というわけではなく、1988年にブルーノ・マイヤーが録音したものが、Koch-Schwannレーベルから1989年にリリースされていますけどね。
ミスリヴェチェクは、モーツァルトよりも20歳ほど年上でした。ですから、その様式をモーツァルトも取り入れていたのでは、と言われています。実際、以前聴いた彼の受難曲からは、モーツァルトそっくりのテイストを感じることが出来ましたからね。
今回のフルート協奏曲は、第1楽章などはモーツァルトというよりはその一世代前の前古典派の音楽のように聴こえます。なんとなく、モーツァルトのお父さんのレオポルドが作ったとされるカッサシオン(おもちゃの交響曲)に似たようなフレーズも現れますし。しかし、2楽章あたりは、紛れもなくモーツァルトと同質の和声とメロディ・ラインが感じられるのではないでしょうか。今では楽譜もBÄRENREITERから出版されていますから、これからはどんどんこの曲をコンサートやレコーディングで取り上げる人が出てくるような気がします。その時には、このアルバムのようなモーツァルトの作品とのカップリングがよく行われるようになることでしょう。
こうして、新しいレパートリーの嚆矢となったヴェガの録音ですが、彼女の演奏に関してはあくまで珍しい曲をきっちり音にしただけ、という印象以上のものを感じることはできませんでした。というか、そもそも「前座」として演奏されているモーツァルトの協奏曲が、なにか聴いていて物足りないのですよね。両端の早い楽章は確かにテクニックに破綻はありませんが、なにかおとなしすぎてお上品な演奏にしか聴こえません。そして、真ん中の楽章が、なんともイマジネーションに欠けているな、という気がするのですね。
モーツァルトのト長調の協奏曲のその第2楽章ではオーケストラにもフルートが入るのですが、そこでは、そのオーケストラのフルートの方が、ソリストより明らかに音楽性が感じられるのですね。ここでは、かつてカラヤンがベルリン・フィルのメンバーをソリストにしてモーツァルトの管楽器の協奏曲を録音した時の、アンドレアス・ブラウ(ソロ)、とジェームズ・ゴールウェイ(オーケストラ)の場合とまったく同じことが起こっていたのです。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.

by jurassic_oyaji | 2018-07-14 20:40 | フルート | Comments(0)
VASKS/Flute Concerto, Symphony No.3
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Dita Krenberga(Fl)
Atvars Lakstīgala/
Liepāja Symphony Orchestra
WERGO/WER 7349 2


バルト三国の一つラトヴィアの作曲家、ペーテリス・ヴァスクスが、いかに自国民に愛されているかというのは、2010年に初録音された「フルート協奏曲」が、2016年に再度録音されたことでも分かります。「現代音楽」でのそのような厚遇は非常に稀なことですからね。さらに、初演と初録音のフルーティストは献呈者のミヒャエル・ファウストでしたが、もちろん今回は「自国民」のディタ・クレンベルガが演奏、バックも作曲家の生地に近いリエパーヤのオーケストラという、自国愛に満ちた布陣です。
その「フルート協奏曲」の再録音は、初録音盤と比べると印象がかなり変わっていました。それは、当然のことですが、フルーティストの違いが大きな要因です。
初録音盤のファウストは、もちろんテクニックは完璧で、とても難しいパッセージでも楽々とこなしていましたが、表現がどこか淡々としていたな、という気がしていました。しかし、今回のクレンベルガはとても「熱い」演奏に終始しているようでした。これは彼女の資質なのでしょうが、とにかくビブラートが豊富なために、全ての音に「気合」が入っているのですね。これは、この協奏曲の両端のゆったりとした楽章では、ほとんど涙を誘うほどの情熱となって伝わってきます。
さらに、かなり攻撃的な真ん中の楽章では、とても難しい細かなパッセージに果敢に立ち向かっていますし、超絶技巧満載のカデンツァでも圧倒的な存在感を見せつけています。低音にはありったけのパワーが込められていますし、ジャズ・フルートのように声を出しながら同時にフルートを吹くという技法で書かれたところでも、正確なソルフェージュを見せてくれています。
ただ、何事も度を越してしまうとうざったく感じられるもので、ここでのフルートはそんなパワーに圧倒されつつも、そのあまりのヒステリックさには正直付いていけないところがありました。
しかし、もしかしたら、そんなうざったさはある意味この作曲家の本質なのではないか、という思いにもかられてしまうのが、カップリングの「交響曲第3番」です。
この交響曲はフィンランドのタンペレ・フィルからの委嘱で作られ、2005年11月25日にジョン・ストゥールゴールズの指揮で初演されています。そして、翌年3月には同じメンバーによってONDINEレーベルに録音されました。やはり2006年の3月には、ノルムンズ・シュネ指揮のリガ・フェスティバル管弦楽団によってラトヴィア初演が行われました。それから10年間はこの交響曲は演奏されることはありませんでしたが、2016年の5月にこのアルバムのための録音がリエパーヤのコンサートホールで行われ、10月には同じ場所でコンサートも行われています。
そもそもは、15分程度の序曲のようなものという委嘱だったものが、「内なる声」に従って作曲を進めるうちに、曲想はどんどん膨らんでいってこんな40分もかかる作品が出来上がってしまったのだそうです。
曲は切れ目なくつながっていますが、その雰囲気によっていくつかのパートには分かれています(このCDではとりあえず6つの部分に分けています)。しかし、それぞれのパートの中でも、突然曲調が変わったりしていますから、それはほとんど意味をなしません。
全体的には、とても賑やかな部分が大半を占めているのという印象を受けます。それは、打楽器を多用した派手なオーケストレーションで迫ってきますが、時折滑稽とも思えるようなパッセージ(「ちゃっちゃかちゃっちゃっちゃ」という、軽薄なリズム)が現れるのには、和みます。
それとは対照的に、まるで心が浄化されるような透明性の溢れる部分が出現するのが、一つのサプライズでじょうか。曲全体のエンディングで、アルトフルートのソロが延々と続くところでは、それまでの、しつこいほどに盛り上がりを繰り返すだけの押しつけがましい音楽を、つい忘れてしまいそうになります。

CD Artwork © Schott Music & Media GmbH

by jurassic_oyaji | 2018-07-05 20:49 | フルート | Comments(0)
BEETHOVEN/Works for Flute・2
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瀬尾和紀(Fl)
上野真(Pf)
児玉光生(Fg)
NAXOS/8.573570


先日の「1」に続いて、瀬尾和紀さんによるベートーヴェンのフルート作品のアルバムの「2」が登場しました。今回は、前回と同じメンバーはファゴットの児玉さん、そして、ピアノの上野さんが新たに参加しています。
前回は瀬尾さんの最近のポートレイトをご紹介しましたが、たまたま来月仙台市内で瀬尾さんと、ギタリストの大萩康司さんのコンサートが開かれることになっていて、そのチラシを手にしたら、大萩さんの方も年相応の貫録が付いていたことが分かりました。
これがデビューしたころの大萩さんのCDのジャケット。
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これが、最近のポートレイトです。
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瀬尾さん以上に印象が変わってしまっていますね。
ということは、お二人とも長年にわたって順調にキャリアを築き上げてきている、ということになるのでしょうね。これからも、末永いご活躍を期待したいものです。
今回の「2」では、最初の曲は、なんと前回と同じ「セレナード」でした。ただ、前回はフルート、ヴァイオリン、ヴィオラという編成だったものが、今回はフルートとヴィオラに変わっていますし、作品番号も「Op.25」だったものが「Op.41」になっています。
この時代は作曲家自身が自分の作品に番号を付けるということはなく、この番号は、言ってみれば商品の品番のように、出版社が付けていました。ですから、この「セレナード」の場合も、ベートーヴェンが以前の作品に手を入れて新しい作品として出版したのではなく(それだったら、作品番号も「Op.25a」みたいにするはず)、出版社が勝手に旧作に手を入れて、より需要の高い編成に直し(フルートではなく、ヴァイオリンで弾いても構わないようになっています)さも新しい作品であるかのように、新たな作品番号を与えて出版したのです。現に、ベートーヴェンは出版社に対して、「これは私の作品として出版してはいけない」と抗議していますからね。
まあ、そんな経緯は関係なく、今ではとても貴重なベートーヴェンによるフルートとピアノのためのレパートリーとして、リサイタルでは重宝されています。オリジナルの編成ではなかなか手軽に演奏できませんからね。
一応、この「編曲」は、オリジナルのフルートのパートはそのままに、残りのパートをピアノに弾かせるようにしているようになってはいます。ただ、フルートのパートは全く同じではなく、編曲者の裁量で少し変わっている部分がないわけではありません。例えば、第2楽章では、オリジナルが冒頭からフルートが優雅なメヌエットのテーマを演奏しています。
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しかし、この編曲ではその前半はピアノだけで演奏されています。そして途中からフルートが本来のパートを吹き始めるのですが、
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その音が、こんな風にオクターブの跳躍で始まっています。せっかくのフルートの美しいメロディをピアノに横取りされたうえに、こんな乱暴な入り方を強いられるのですから、これはとてもダサいセンスですね。
それと、第4楽章のスケルツァンドでも、トリオに入るところで、同じようにピアノがフルートのとてもおいしい旋律を持って行ってしまっています。
続いて演奏されているのが、「フルート・ソナタ」ですが、これは今では完全に偽作とされていますから、単にベートーヴェンの同時代の作曲家の何ということはない作品という以上の感慨はありません。
ただ、最後の「三重奏曲」は、きちんとベートーヴェンの自筆稿が残っているので、真作であることは間違いありません。これも編成は特殊で、正式なタイトルは「クラヴィチェンバロ、フルート、ファゴットのためのトリオ・コンチェルタント」というのだそうです。これは、自らがファゴットを演奏し、息子はフルート、娘はピアノを演奏するヴェスターホルト伯爵一家のために作られたのだそうです。これは、その3人に成り代わったこの録音での3人の名人芸をいかんなく堪能できるとても楽しい作品です。ここには確実に一過性には終わらない魅力があります。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

by jurassic_oyaji | 2018-06-23 22:58 | フルート | Comments(0)