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カテゴリ:フルート( 244 )
Belcanto for flute and piano
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Luisa Sello(Fl)
Bruno Canino(Pf)
STRADIVARIUS/STR 37131



10年以上前にこちらでご紹介したイタリアのフルーティスト、ルイザ・セッロが今年録音したアルバムです。あの頃でもかなりお年を召されていたはずなのに、まだしっかり演奏活動を行っていたのですね。
さらに、共演しているピアニストがブルーノ・カニーノですって。こちらは1935年生まれですから、とっくに80歳を超えているというのに、まだまだお元気そうですね。
そのかつての録音では、モーツァルトの協奏曲でとても豊かな「歌」を聴かせてくれたセッロは、今回はイタリアのオペラ作曲家の作品に挑戦しています。タイトルにある通り「フルートとピアノのためのベルカント」ということで、オペラの歌手が歌うところを、フルートで同じように朗々と歌い上げる、ということなのでしょう。
普通、オペラアリアをフルート用に編曲するときには、例えばドップラーの「リゴレット・ファンタジー」のように、まずはそのアリアをそのまま歌った後には、フルートならではの超絶技巧を駆使したとても複雑な変奏が続くという形をとるようになっています。これは、そのころもてはやされたスタイルで、聴衆はその曲芸のような華々しい演奏に酔いしれることになるのです。その一方で、肝心のアリアのメロディは、単なる「素材」として提示されるだけで、それ自体に味わいを感じることはそれほどなかったような気がします。お目当てはあくまでたくさんの細かい音符を連ねたアルペジオやスケールだったのでしょうね。
しかし、今回のアルバムでセッロが取り上げた曲は、その「アリア」自体をまずしっかりと聴かせる、というものでした。これはもう、彼女の円熟しきった美音と歌いまわしによって、とっても心地よく聴けるアルバムに仕上がっていました。特に、シャルル・コティニーという、主にロンドンで活躍していたフランスのフルーティストが編曲した、ロッシーニの晩年の歌曲集「Les Soirées musicales(音楽の夜会)」などは、ほとんどオリジナルと変わらない形ですからね。
オペラの方では、19世紀後半に活躍したラファエッロ・ガッリという、やはりフルーティストで作曲家だった人の編曲が、ここでは3つ紹介されています。ベッリーニの「ノルマ」、ヴェルディの「リゴレット」、そしてドニゼッティの「愛の妙薬」です。彼の場合は、アリアのあとにそれほど技巧的ではない装飾が続いています。その部分をセッロはさらに遅めのテンポで演奏しているので、スリリングさはありませんが、穏やかな印象を与えてくれます。
しかし、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」からの2つのアリアを、あのヴィルトゥオーゾ、ジャン=ルイ・テュルーが編曲したものは、さすがにかなりの難易度なので、ちょっと今のセッロには荷が重いところもあるかもしれません。
1曲だけ、編曲ではないオリジナルのフルートとピアノのための作品が入っています。それは、「愛の妙薬」のドニゼッティが作った「フルート・ソナタ」です。「ソナタ」とは言っても、ソナタ形式で作られた楽章が一つだけというとても短い曲ですが、フルートのレパートリーとしては貴重なものです。最近は、あまりにシンプルすぎる曲なので逆になかなか演奏されないようになっていますが、それをセッロが取り上げてくれました。
久しぶりに聴きましたが、やはりドニゼッティの魅力はゼッタイ先ほどの「愛の妙薬」の中の「人知れぬ涙」のような美しいメロディなのではという思いに駆られました。ここでは、ご丁寧に提示部の繰り返しも行っていますが、それは冗長さをそそるものでしかありませんでしたし、第1主題の最後の部分の下降スケールで、
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の音を「C」、「B♭」で演奏しているのには、違和感がありました。これは何種類かの楽譜が出ていますから、そうなっている楽譜もあるのでしょうか。このB♭の音は3拍目の属七だけの構成音ですから、1拍目と2拍目にこれはあり得ないと思うのですが。

CD Artwork © Milano Dischi S.r.l.

by jurassic_oyaji | 2019-07-16 21:07 | フルート | Comments(0)
C.P.E.BACH/Works for Flute and Piano
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Francesca Pagnini(Fl)
Annibale Rbaudengo(Pf)
VERMEER/40020



VERMEER(フェルメール)という、オランダのとても有名な画家の名前がレーベル名となっているイタリアのレーベルから、こんなCDが出ていました。リリースされたのは今年の6月で、海外のサイトでの価格は15ドルほど(国内のショップでは扱ってないようで)、ですから、そもそもがかつてのNAXOSのような「廉価盤」専門のレーベルなのでしょう。
注目したのは、エマニュエル・バッハのソナタを「ピアノ」と演奏しているというところでした。最近ではこの時代の音楽はそのころはまだなかったそのような楽器を使うことは絶えてなくなっていますから、こういう編成はとてもレア、もちろんフルートもモダンフルートでしょうから、個人的には馴染みがありますし。
しかも、現物を手にしてみると、その曲目がさらにレアなものでした。そこでのオリジナルの「ソナタ」は、とても有名な無伴奏のイ短調の「ソナタ」だけで、それ以外は、「ヴァイオリン・ソナタ」をフルートで演奏したり、オリジナルはフルートとヴァイオリンと通奏低音のための「トリオ・ソナタ」だったものを、フルートとピアノで演奏したりしていたのでした。
調べてみたら、ここでフルートを吹いているフランチェスカ・パニーニというおいしそうな名前の人は、このレーベルでベートーヴェンの初期のヴァイオリン・ソナタを、やはりフルートで演奏していました。そういうことが好きなのでしょう。
とにかく、全く素性のしれないフルーティストだったので、まずはどんな演奏をする人なのかを知るために、無伴奏の「ソナタ」を聴いてみることにしました。何度も聴いたことも、そして自分で吹いたこともある曲なので、細かいところまでよく知ってますからね。
まず、最初の低音の「A」がとても立派な音だったので、このフルーティストは一応正規の教育を受けて、正しい音の出し方を学んでいた人であることは分かりました。確かに、低音から高音まで無理なく芯のある音は出すだけのスキルは持っているようです。ですから、楽譜通りの音が次々と何の破綻もなく出てくるという点では、何の問題もないようでした。
ただ、なにか、ちょっとした「間」の取り方がとても不自然で、何の意味を持っているのか全く伝わってこないんですね。それと、この曲の最初の楽章は、低音と高音で音色や表情を変えないといかにも平板な演奏になってしまうのですが、彼はそのあたりの配慮にも全く欠けているようでした。
続く、テンポが速くなる楽章になると、明らかにメカニカルの面での基礎訓練が不足していることが露呈されてしまいます。ということは、エマニュエル・バッハに必要な疾走感などは、そもそも表現できるスキルがないということになりますね。
こうなると、ピアノ伴奏が入った時にどんなことになるか、逆の意味での期待が高まります。まずはヴァイオリン・ソナタ(Wq 71)です。ピアノの前奏に続いて入ってきたフルートは、まず、無伴奏の時のしっかりした音すらも、かなり怪しいものに変わっていました。ピッチも伴奏と合っていないような気もします。ゆっくりした楽章などでは、息の長いフレーズは切れ切れになってしまって、美しさなどさらさら感じることができないほどのお粗末なものになってしまいます。ですから、このあたりになってくると、もしかしたら、これは「あれ」なのではないか、と思うようになってきました。音痴なのカーネギーホールでリサイタルを開いたりしたフローレンス・ジェンキンス(映画にもなりましたね)のような「あれ」ですよ。
それが分かってしまうと、そのあとの「トリオ・ソナタ」(Wq 143, 145, 150)は「ネタ」としては一級品となります。オリジナルの2つのソリストのうちのヴァイオリンのパートをピアノの右手に置き換えたという編曲ですが、そこでフルートがメイン・テーマではなく伴奏を演奏している時などは、もう腹を抱えて笑うほかありません。まさに「珍盤」です。

CD Artwork © Vermeer

by jurassic_oyaji | 2019-07-04 21:20 | フルート | Comments(0)
Flute Music from the Harlequin Years
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Thies Roorda(Fl)
Alessandro Soccorsi(Pf)
NAXOS/8.579045



タイトルが「ハーレクイン」となっていたので、あの女性向け恋愛ライトノベルを連想して、いったいどんなアルバムなのかと思ってしまいましたよ。
いや、それは全くの勘違い、「ハーレクイン」は英語読みですが、フランス語では「アルルカン」、イタリア語だと「アルレッキーノ」となって、「道化役者」のことなんですね。このジャケットのひし形の模様は、そのアルルカンの衣装の特徴的なデザインなのでした。
それが音楽にどう結び付くのかというところで、フランスの芸術家、ジャン・コクトーの登場です。甘いものが好きなんですね(それは「黒糖」)。「アルルカン」というのは、彼が1918年に出版した小冊子「Le Coq et l'Arlequin(雄鶏とアルルカン)」のタイトルに使われていた言葉でした。この中でコクトーは、それまでの音楽の潮流であったワーグナーに代表される「ロマン主義」と、ドビュッシーが確立した「印象主義」を「アルルカン」に模して強烈に攻撃します。そして、それに対抗してエリック・サティの音楽を「雄鶏」という言葉で擁護したのです。「これからの音楽は、シンプルで素朴なものが求められる」という主張でしょうか。具体的には、サティの周辺に集まった作曲家たち、いわゆる「六人組」のメンバーの音楽を支持するという表明です。
この主張は、第一次世界大戦で疲弊したヨーロッパ文化に対する一つの指標として、「六人組」、あるいはフランス音楽のみならず、他国の作曲家にも大きな影響を及ぼすことになりました。そんな時代の一つの流れを、ここでは「アルルカンの年」と言っているのです。
このアルバムでは、そのような時代に活躍した11人の作曲家のフルートのための作品が紹介されています。それらの作曲家は必ずしも「六人組」のシンパだけではなく、ワーグナーやドビュッシーの信奉者も含まれていますから、作風は必ずしもコクトーの主張に沿ったものとは限らないあたりが、ユニーク、その中には、世界初録音のものもありますから、とても興味深い内容となっています。
取り上げられているのは、「六人組」の中からはオネゲル、ミヨー、オーリック、プーランクの4人、そこにフランス人のブレヴィル、ルーセル、デュカス、イベール、さらにフランス以外のタンスマン(ドイツ)、ハルシャーニ(ハンガリー)、アンタイル(アメリカ)が加わります。
最初を飾っていたのが、初めて名前を聞いたフランスの作曲家、ピエール・ド・ブレヴィルの「Une flûte dans les vergers(果樹園のフルート)」という、曲自体も初めて聴く(世界初録音)ものです。まずは、フルートだけで始まるのですが、その時に聴こえてきた高音の美しさに、驚かされてしまいました。それは、まるで日本の篠笛のような素朴な響きの中に、言いようもない魅力を秘めていたのです。途中からはピアノも入ってきますが、その絡みも絶妙です。これは、新しいレパートリーになるかもしれませんね。
ところが、聴き進んでよく知っている曲になると、なにか音楽がもっさりとしていることに気づきます。とても生真面目に演奏しているのですが、それが自然な流れを遮っているのですね。さらに、低音になるととても空虚な音のように聴こえてきます。ピッチもこのあたりは低め。
ライナーの中にこのロールダというフルーティストはカルク=エラートの作品も録音しているとあったので、確かめてみたら、しっかりこちらで聴いていました。確かに、この時にはテクニックは素晴らしいものの、音にはなじめませんでしたね。
実際、今回も聴き続けているうちにその不思議な低音と、だらしない歌い方にはだんだん我慢が出来なくなってしまいました。
とは言っても、プーランクのリコーダーとピアノのための作品「Villanelle」をピッコロで演奏したものとか、こちらも初録音のバルトークやコダーイの弟子のハルシャーニの「フルートとピアノのための3つの小品」などは、とても魅力的、ぜひ他の演奏家でも聴いてみたいものです。

CD Artwork © Naxos Rights(Europe) Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-06-15 22:02 | フルート | Comments(0)
Live in Tokyo. 2016
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Denis Bouriakov(Fl)
石橋尚子(Pf)
LIVE NOTES/WWCC-7839


昨日、来日中のフルーティスト、デニス・ブリアコフのリサイタルに行ってきました。2009年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場のオーケストラの首席奏者に就任したと思っていたら、いつの間にか(2015年)ロサンゼルス・フィルの首席奏者になっていたのですね。
メイン・プログラムは、なんとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をフルートで演奏する、というものでした。以前シベリウスを聴いた時もショッキングでしたが、今回はさらに難易度の高いチャイコフスキー、それが生で聴けたのですから、それはもう圧倒的、聴き終わった後はほとんどめまいがするほどのクラクラとした感じに陥ってしまいましたよ。低音から高音まで全くムラのない響き、どんなに細かい音符でもすべて聴き手に届けることができる信じられないテクニック、彼は間違いなく、並みのフルーティストとは一線を画した高みに到達しているのだ、と確信しました。
その時に会場で販売していたのが、このCDです。2016年の東京でのリサイタルのライブ録音でした。国内盤の新譜はほとんどチェックしていないので、こんなものがあったことをすっかり見逃していました。
この中には、おそらく当日の曲目が、アンコールも含めて全て収録されているのでしょう。ごく普通のフルート・リサイタルで演奏されるような曲が並んでいます。
最初は、かつては多くのフルーティストがこぞって演奏していたヘンデルのロ短調のソナタです。それは、とても端正な中にも、余裕をもってバロックのヴィルトゥオーシティを見せつけてくれるものでした。
そして、シャミナードの「コンチェルティーノ」、サン=サーンスの「ロマンス」、ユーの「ファンタジー」といった「定番」が続きます。もう、それらは、様々のレベルの演奏を耳にタコができるほど聴いてきましたが、まるで次元の違う音楽が聴こえてきます。完璧に磨きこめば、ここまでのものが出来るのかといいう驚きがありました。
そして、おそらくこのリサイタルのメインと思われる、フランクのソナタです。もちろん、これはヴァイオリンとピアノのための作品をフルートで演奏したものですが、ブリアコフの手にかかるともはやフルートのオリジナル曲としてしか聴くことが出来なくなってしまうほどです。これも、競合盤はたくさんありますが、その最上位に置かれるものでしょう。特に、ゆっくりした第3楽章の息も詰まるような緊張感は、たまりません。ただ、このトラックの1:13あたりから数秒間、録音機材のトラブルによるノイズが聴こえます。ライブでの事故ですから仕方がありませんが、何らかのコメント(言い訳)は必要でしょうね。商品ですから、何もしないで良いわけはありません。
ここまでで、もう十分彼の魅力を堪能したと思っていたら、その後にもっとすごいものが待っていました。それは、サン=サーンスが作った「6つの練習曲 Op.52」というピアノのための練習曲集の6曲目「ワルツの形式で」を、ブリアコフ自身がフルートとピアノのために編曲したものです。ここで、ブリアコフは昨日のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲と同じ「クラクラ感」を味わわせてくれたのです。フルートでは絶対に吹けないだろうということを、軽々とやっているのですから、もう脱帽です。
その後のアンコールでも、ショパンの「幻想即興曲」をピアノとフルートに編曲して演奏してました。彼の場合は、そのような編曲のスキルもあるのですから、もうなんだって彼にしか吹けないような超難度の曲に仕上げることが出来てしまいますね。
それはそれですばらしいことなのでしょうが、昨日のチャイコフスキーでは、真ん中の楽章があまりにあっさりしていたのには、軽い失望感がありました。これは、シベリウスのヴァイオリン協奏曲を聴いた時にも感じたことです。
そもそも、そういうものはヴァイオリン以外では演奏できないのかもしれませんね。いや、ゴールウェイだったら、あるいは完璧な演奏が聴けたかも。

CD Artwork © Nami Records Co., Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-06-11 22:37 | フルート | Comments(0)
Debussy et ses amis
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Duo Mattick Huth/
Christian Mattick(Fl), Mathias Huth(Pf)
GENUIN/GEN 18600



ジャケットの写真には、かなりお年寄りに見える2人の男性が写っていますが、彼らは「デュオ・マティック・フート」というフルートとピアノのチームです。なんか、ドラマティック
ここでのフルーティスト、ドイツ人でパウル・マイゼンやオーレル・ニコレに師事したというクリスティアン・マティックは、トーマス・エッチマンというギタリストともやはり同じように「デュオ・マティック・エッチマン」という安易な(笑える)ネーミングのチームを作っているようです。
昨年リリースされた彼らのアルバムは、ドビュッシーの没後100年ということで作られたもので、「ドビュッシーと彼のお友達」というタイトルがつけられています。ドビュッシーにはフルートとピアノという編成の作品はありませんから、ここではフルート・ソロのための「シランクス」を除いては全てピアノ曲を編曲したものが演奏されています。
そして、「お友達」として、同時代に活躍したルーセル、デュカス、プーランク、ラヴェルの作品がカップリングされています。
まずは、ドビュッシーの「2つのアラベスク」と、「ベルガマスク組曲」を、それぞれレオポルド・ラフルーランスとホセ・ベイランが編曲したものです。それらは非常にシンプルで、オリジナルの味を全く損ねることはないデュオに仕上がっています。
そんなナチュラルな編曲の下、このフルーティストは、見かけよりははるかに若々しい演奏を聴かせてくれていました。何より、その音色が非常にピュアで、アクの強さなどは全くありませんし、妙な歌い方でアンサンブルを台無しにすることもありません。ただ、いくらか低めのピッチで若干不安感を誘うのと、表現が素直すぎて、ドビュッシーの音楽を聴いているという気が全くしないというのが、ちょっとした難点でしょうか。
次の曲は、フルートのレパートリーとしては昔から有名だったルーセルのフルートとピアノのための作品「Joueurs de flûte(笛吹きたち)」です。これはもろドビュッシーの流れをくむ作風の曲ですから、やはり杓子定規なマティックの芸風とは相いれない感は募ります。
そんな違和感は、次の「シランクス」でさらに高まります。ドビュッシーの音楽を凝縮したようなこの小さな曲には、ドビュッシーのもつ浮遊感のようなものは全く漂ってはいませんでした。この曲の最後から3小節目から続く「H」の音の途中にある「アクセント」は、一時「ディミヌエンド」の間違いだということになっていましたが、最近はその根拠となった自筆稿自体の真贋が問われているとかで、やはり「アクセント」だという意見が主流となっているようですから、ここでもそのように演奏されていました。
そして、「魔法使いの弟子」で有名なデュカスが、ドビュッシーへの追悼の意味で作ったピアノ曲「La plainte, au loin, du faune …(牧神のはるかな嘆き)」を、先ほどのラフルーランスがフルートとピアノ用に編曲したバージョンです。これは明らかに、ドビュッシーの最も有名なオーケストラ作品の「牧神の午後への前奏曲」へのオマージュで、この編曲は元ネタのフルート・ソロを彷彿とさせるものです。しかし、やはりマティックさんは、この半音進行からエスプリのようなものを感じさせることはできませんでした。
しかし、続いてプーランクの「フルート・ソナタ」が始まった時に、彼は「化け」ました。なんというキレのある、颯爽としたプーランクでしょう。これこそ水を得た魚のよう、ドビュッシーの呪縛から放たれて生き生きと演奏する姿は、実に見事なものでした。
そう、ここでは、「お友達」とは言ってもドビュッシーとプーランクの音楽は全く別物であることが、この生真面目なフルーティストによって見事に明らかにされていたのです。それと同じことが、最後のラヴェルの「ハバネラ形式の小品」(ルイ・フルーリー編曲)でも起こっていたのは、当然のことです。

CD Artwork © GENUIN classics

by jurassic_oyaji | 2019-05-16 20:04 | フルート | Comments(0)
Origins
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Toon Fret(Fl)
Veronika Iltchenko(Pf)
FUGA LIBERA/FUG 612



「起源」という言葉がタイトルになっている、フルートとピアノによるアルバムです。ここで使われているその言葉は、もっぱら「音楽の起源」といった意味を持っているようです。ここでは、クラシック音楽の世界では「辺境」と思われている国の作曲家たちが、主に20世紀前半に自らの音楽のよりどころ、つまり「起源」としていた「民族音楽」を取り入れて作った作品が集められています。
一人だけ、「辺境」とは程遠いフランスの作曲家、ケックランが入っていますが、彼の場合は「民族音楽」とは違った意味での、作曲家の「起源」、つまり、子どものころに歌った素朴な童謡や、聴かされた子守歌などが素材となって作られています。子供の「機嫌」を取る音楽ですね。
それは、1940年に作られた「フルートとピアノのための14の小品」という、それぞれの曲は1分にも満たないものを集めた、まさに「小品」集です。そのメロディはあくまでシンプル、しかし、ピアノ伴奏はやはり彼ならではの印象派風の仕上がりとなっています。最後から2番目の「Marche fune[]ble」という曲が、2分半ほどかかるこの中では最長のものですが、「葬送行進曲」としての重みはあまり感じられないのは、そのメロディが「中国地方の子守歌」(♪ねんねこしゃっしゃりま~せ)に酷似しているせいでしょう。
演奏しているフルーティストは、ベルギー人のトーン・フレットという方、なんでもグラーフなどとともに、クイケンにも師事してトラヴェルソも演奏できるのだそうですね。彼の音はかなり重ためですが、この作品に関しては極力穏やかな吹き方に徹しているようです。
そして、次からは紛れもない「辺境」の作曲家たちの、民族色がてんこ盛りの曲が始まります。まずは、チェコのシュルホフです。ここでは1927年に作られた「フルート・ソナタ」が演奏されています。ルネ・ル・ロワによって初演されたこの曲は、ジャズの要素も含まれていて、なかなか刺激的です。そのなかでも、やはり民族的な香りはぷんぷん匂っています。
次は、コーカサス地方。アルメニアのアルノ・ババジャニアンと、アゼルバイジャンのフィクレト・アミロフという、全く聞いたことのない名前の2人の作曲家の作品です。ただ、ピアノストとしても活躍したババジャニアンの曲は、ピアノ・ソロで、フルートの出番はありませんでした。そのことは、どこにも書かれていなかったので、いつになったらフルートが出てくるのかと待っていたら、いつの間にか曲が終わっていた、という感じですね。そういえば、フルートの伴奏にしては、あまりに技巧的でインパクトのあるピアノでした。もちろん、ここでも民族的な素材ははっきり提示されています。
アミロフの「フルートとピアノのための6つの小品」は、冒頭からイケイケのダンス音楽で始まりますが、しっとりとした「子守歌」や、「アゼルバイジャンの山々にて」など、変化に富んでいて楽しめます。
そして、最後を飾るのが、バルトークのピアノ曲を弟子のパウル・アルマが編曲した有名な「ハンガリーの農民の歌による組曲」です。確かにハンガリー民謡のエキスが詰まっているような曲ですが、そこにフルートの超絶技巧も加わるという油断のできないところがある難曲です。ここでのソリストは、先ほどのケックランよりは、このような曲の方が得意のようで、息もつかせぬテクニックの冴えを披露してくれています。
ただ、彼は感情の高まりを冷静にコントールするというタイプではないようで、ついついオーバーアクションで乱暴に聴こえてしまうところがないわけではありません。
それを助長しているのが、あまりにもクリアすぎる録音です。フルートの高音などはもっと美しく聴こえるようにできるはずですし、ブレスの音が汚すぎます。ピアノのパートもペダルの音がはっきり聴こえてしまうほどのマイクのセッティングは、あまり感心できません。

CD Artwork © Outhere

by jurassic_oyaji | 2019-05-02 20:43 | フルート | Comments(0)
JOLIVET/Complete Works for Flute 1
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Hélène Boulègue(Fl)
François Dumont(Pf)
NAXOS/8.573885



「桂冠シリーズ」というタイトルが付いたアルバムですが、べつに「ペッパー警部」が入っているわけではありません(それは「警官」)。これは、神戸国際フルートコンクールで優勝した「ご褒美」に、NAXOSがリリースしてくれたアルバムです。
その栄誉に預かったのは、1990年生まれ、弱冠28(29)歳のフルーティスト、エレーヌ・ブレグです。彼女はパリのコンセルヴァトワールに入ってからまだ半年しか経っていない19歳の時から、ルクセンブルク・フィルの2番奏者として「プロ」としての活動を始めていました。2015年にはプラハの春国際コンクールで第2位、さらに2017年の神戸で第1位となります。そして2018年には、SWR放送交響楽団の首席奏者に就任します。タチアナ・ルーラントと同じポストですね(現在、このオーケストラのフルートパートは全員女性です)。
彼女が選んだ曲は、なんとジョリヴェでした。しかも全曲です。ジョリヴェのフルートのための作品は、フルーティストにとっては魅力的なものばかりですが、その録音は特定の曲目に集中していますから、その全曲を録音している人はあまりいません。これまでのものとしては、1992年の10月から12月にかけて録音されたピエール=アンドレ・バラード盤(ACCORD/MUSIDISC)と、1984年から1995年にかけて録音されたマニュエラ・ヴィースラー盤(BIS)などでしょうか。多くの曲で初演を担ったランパルは、全曲は録音してなかったのでは。
これらはいずれもCDで2枚。アンサンブルや協奏曲も含めるとちょうどこれで全曲が収まります。ただ、今回の「1」はフルートのソロかピアノ伴奏の曲ばかりでしたが、これ以外の曲ではオーケストラを始め弦楽器、クラリネット、ファゴット、ハープ、打楽器などが必要ですから、ブレグの「2」はすぐにはリリースされないような気がするのですが。
ジョリヴェのフルートのための作品は、彼の活動時期の全般に渡って作られています。その中でも、最初の3曲、「5つの呪文」(1936年)、「呪文」(1937年)、「リノスの歌」(1944年)は、よく演奏されています。最初の2つ、タイトルは似ていますが、全く別の曲です。
「5つの呪文」はジョリヴェがアラビアのフルーティストの演奏を聴いて作ることになった、とてもエキゾティックな作品で、その後のジョリヴェの作曲姿勢の根幹のようなものが端的に示されているものです。無伴奏のフルート1本で、この楽器の可能性がとことん追求されていますから、演奏するのはとても大変です。1曲目では、低音の「呪文」と、高音のフラッタータンギングによる「叫び」が交互に登場します。その最初の部分で楽譜には「最低3回は繰り返しなさい」という指示がありますが、ランパルやヴィースラーは3回繰り返しているところを、ブレグは4回繰り返しています。若さ、ですね。
「呪文」は、もともとはヴァイオリン・ソロのために作られましたが、すぐにフルート、アルトフルート、そしてオンド・マルトノのためのバージョンも作られました。ここではアルトフルートで演奏されています。その音色が、ブレグの場合はこの楽器の少しハスキーな部分が全く感じられない、とても密度の高い音に聴こえます。さらに、ビブラートもさっきの2人ほどは目立たせていないので、とてもストイックな雰囲気が漂っています。
「リノスの歌」は、パリのコンセルヴァトワールの卒業試験のために作られました。それを演奏したのが、ランパルだったそうです。ここではピアノとフルートの編成ですが、後に弦楽三重奏とハープがフルートの伴奏を務めるバージョンも作られています。「2」ではそれも演奏されていることを期待しましょう。
それから30年近く経って作られたのが、アルトフルートかフルートのための「Ascèses」という、5つの曲から成る大曲です。「苦行」という意味のこの曲、「5つの呪文」よりは少しはリリカルになっていますが、その底に流れる姿勢は全く変わっていないことを感じさせられます。ここでも、彼女のアルトフルートはとても芯のある音色で、存在感を示しています。

CD Artwork © Naxos Rights(Europe) Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-03-21 20:14 | フルート | Comments(0)
MÜLLER/Flute Concertos
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Tatjana Ruhland(Fl)
Timo Handschuh/
Südswestdeutsches Kammerorchester Pfolzheim
CPO/777 956-2



アウグスト・エバーハルト・ミュラーは、1767年にノルトハイムというに生まれ、1770年にオルガニストだった父とともに家族でビュッケブルク近郊の大学都市、リンテルンに移ります。そこで、小さいころから父親の教育を受けたり、独学でフルートを演奏するようになっていたミュラー少年の音楽の才能に注目したのが、当時ビュッケブルクの宮廷楽長だった、J.S.バッハの息子ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハでした。ミュラー少年は1770年代半ばから数年間、ピアノ、オルガン、作曲、和声学のレッスンをJ.C.F.バッハから受け、父バッハの音楽にも触れることになります。
ミュラーは14歳ですでにフルート奏者としてコンサート・ツアーを行うまでになっていました。1788年4月には、すでに移り住んでいたマクデブルクで、その地の聖ウルリヒス教会のオルガニストの娘でピアニストのエリザベス・カタリーナ・ロベルトと結婚します。翌年の6月には義父が亡くなったので、後継者としてその教会のオルガニストに就任します。
やがて、彼の作品は出版されるようにもなりますが、それを目にしたベルリンの作曲家、音楽評論家のヨハン・フリードリヒ・ライヒャルトは、自分の雑誌でこれをほめちぎります。それがきっかけで、ミュラーは1793年にベルリンでコンサートを行い、大成功をおさめます。
その後、ライヒャルトの口添えもあってミュラーは1794年にライプツィヒのニコライ教会のオルガニストに就任、妻のエリザベス・カタリーナはピアニストとして活躍(ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番と第4番のライプツィヒ初演を行う)、彼もゲヴァントハウス管弦楽団の首席フルート奏者となりました。そのころには、こんな仕事もしていたようですね。
さらに、1801年には、J.S.バッハの4代後のトマス教会カントルにも就任、1810年にはヴァイマールの宮廷楽長と、市の音楽監督となり、1817年にその地で没します。
そんな、順風満帆な人生、作品もきちんと作品番号がつけられて出版されたものだけでも41曲あります。しかし、彼の死後は急速にその人気は衰え、現在では彼の作品はほぼ完璧に忘れ去られています。
その中でフルート協奏曲は全部で11曲、さらに、「ポロネーズ(op.23)」と「ファンタジー(op.40)」というフルートとオーケストラとの作品が2曲出版されています。それは彼の作曲家としての生涯の全ての時期に渡って作られていました。
ここでは、「第1番(op.6)」(1794年)、「第3番(op.10)」(1796年)、「第10番(op.30)」(1809年)の3曲が演奏されています。それぞれが、まるでモーツァルトを思わせるような、3つの楽章からなるとてもキュートな作品です。第1楽章はスケールを基本にしたシンプルなテーマを、細かいスケールとアルペジオで飾り立てるという華やかさにあふれたもの、第2楽章は、優雅なメロディが朗々と歌われる中、細かい装飾も加わります。そして最後の楽章は3拍子の伸び伸びとしたキャッチーな主題を使ったロンドです。
後半の2つの楽章では、例外なく真ん中が短調になっているように、モーツァルトとは一味違うところもあり、確かにミュラーとしての個性は感じることができます。10番の第2楽章ではイギリス国歌が使われています。1番と3番ではカデンツァは書かれてはいませんが、10番ではちゃんと楽譜に書いてあるのだそうです。それは、とても技巧的なうえに新鮮なアイディアに満ちたものでした。
このCDのソリストのルーラントは、低音から高音まで、全くムラのないパワフルな音で演奏していました。それはまさに完璧にコントロールされた音なのですが、ちょっとこの作曲家の音楽に対しては力がありすぎるような気がします。
1番と3番は、出版譜をIMSLPで見ることができます。1番の第2楽章を聴きながらそれを見ていたら、同じフレーズでタイがあったりなかったりした部分がありました。
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彼女はこれに忠実に吹いていました。これは、絶対パート譜のミスだと思うのですが。四分音符のあとは全部タイを付けた方がより音楽的。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück

by jurassic_oyaji | 2019-02-12 21:03 | フルート | Comments(0)
KAPUSTIN/Complete Chamber Works for Flute
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Immanuel Davis, Adam Kuenzel(Fl)
Pitnarry Shin, Käthe Jarka(Vc)
Tiimothy Lovelace(Pf)
NAXOS/8.579024



ウクライナ生まれのピアニスト兼作曲家、ニコライ・ギルシェヴィチ・カプースチンは、モスクワ音楽院で「クラシック」を学んでいますが、作るものは紛れもない「ジャズ」でした。主に、自分で演奏するために作ったものなのでしょう、彼の作品はピアノがらみのものが大半を占めています。最近になってアムランなどのヴィルトゥオーゾ・ピアニストまでがこぞって彼の作品を演奏するようになって、一躍脚光を浴びるようになりました。ですから、おそらく楽譜は、通常の「ジャズ」の譜面のようなアウトラインだけのものではなく、きっちり全ての音符が書かれているのでしょうね。確かに、ジャズピアニストがソロとして弾く分にはなんということはないものでも、それを楽譜に起こしたものをクラシックのピアニストが弾くのは、超絶技巧が要求されるのでしょう。
そんなカプースチンは、こんなフルートがらみの曲も作っていました。
このアルバムは、近年カプースチンとのコラボレーションの機会が多いアメリカのフルーティスト、イマニュエル・デイヴィスが中心になって制作されました。ここで演奏されている唯一の「フルート・ソナタ」(2004年)は、デイヴィスの委嘱によって作られています。さらに、これが世界初演となる「小さなデュオ」は、このアルバムのために作られた「新曲」です。実は、カプースチンの作品でフルートが加わっている曲は、このアルバムに含まれているものが全てなのだそうです。ですから「Complete」なのですね。
デイヴィスという人は、フルーティストとしてはとても幅広い分野で活躍しています。ジュリアード音楽院でジュリアス・ベイカーに師事しているのですが、さらにオランダでバロック・フルートをウィルベルト・ハーツェルツェットの元で学び、アーリー・ミュージックの分野でのキャリアも重ねています。バルトルト・クイケンとも、たびたび共演しているそうです。
それとは全くかけ離れたジャンルになりますが、ブロードウェイのピットで「屋根の上のヴァイオリン弾き」や「ショウ・ボート」などのミュージカルの伴奏を務めていたこともあるのだそうです。
そんなデイヴィスの演奏で、まずは先ほどのフルートとピアノのための「フルート・ソナタ」を聴いてみます。そんな経歴の割には、いともまっとうなスタイルで吹いているのが意外でした。ですから、この曲もひたすら難しい楽譜の音符と格闘している、という印象が強く伝わってきます。それはそれで、技術的な破綻は全くないものの、「ジャズ」というにはあまりにもストイック過ぎて、正直退屈な感じが先に立ってしまいます。もしかしたら、このあたりがこの作曲家の限界なのか、とも思ってしまいますね。なにか、「ジャズ」でもなければ「クラシック」でもないという、中途半端さがとても気になります。
それが、次に演奏されている1998年の作品「ディヴェルティメント」という2本のフルートとチェロとピアノのための曲になると、俄然様子が変わってきました。これは、なによりもたくさんのプレーヤーたちがとても楽しんで掛け合いを行っているのがとてもよく伝わって来るのですよ。3つある楽章の真ん中などは「フーガ」というクラシカルな形を取っていますが、ここではそんな堅苦しさなどは全くありません(風雅ではありません)。
そして、もちろんこれが初録音なる、フルートとチェロのための「小さなデュオ」(2014年)になると、また「ソナタ」のような重々しさが襲ってきます。どうも、彼の最近の作品は、そのような傾向が強いのかもしれません。
確かに、最後に演奏されている「トリオ」(1998年)では、フルート、チェロ、ピアノの3人のセッションの喜びが、とてもハッピーに伝わってきます。真ん中の楽章では、とてもジャジーな「けだるさ」が感じられますし、最後の楽章ではまるでハンガリー民謡のようなテーマも現れて、とても盛り上がります。

CD Artwork © Naxos Rights(Europe)Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-02-07 20:15 | フルート | Comments(0)
W.F.BACH/Six Duos for Two Flutes
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Patrick Gallois, 瀬尾和紀(Fl)
NAXOS/8.573768



これまで、大バッハの長男、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの作品には、「F」または「Fk」という作品番号が付けられていました。これは、1913年にマルティン・ファルクという人が出版したW.F.バッハの生涯と作品に関する著作「Wilhelm Friedemann Bach/Sein Leben und seine Werke mit thematischem Verzeichnis seiner Kompositionen und zwei Bildern」の中で制定しているものです。
それによると、このCDで演奏されている「2本のフルートのための6つのデュエット」には、「F54」から「F59」までの6つの番号が与えられています。したがって、これまではそのファルク番号の順に「1番」から「6番」までの番号が付けられていました。したがって、昔のレコードやCDではそのようなナンバリングになっていましたし、2017年に録音された今回の最新のCDですらそうなっています。
しかし、このファルクの番号は作曲年代順にはなっていないふぁるくさい(古臭い)ものですから、最近では時系列に沿った別の番号が付けられた楽譜も出版されています。たとえばCARUSではバッハ一族のすべての作曲家の作品全集を刊行するという壮大なプロジェクトを展開中ですが、フリーデマンの場合はプロジェクトの名前「BR(Bach-Repertorium」の中のW.F.バッハの作品目録ということで、それぞれの作品には新たに「BR-WFB」という略号が頭に付いた番号が付けられています。それとファルク番号を対照させてみると、
  • Sonata I e-Moll : BR-WFB B 1 / Fk 54(旧1番)
  • Sonata II G-Dur : BR-WFB B 2 / Fk 59(旧6番)
  • Sonata III(Duetto) Es-Dur : BR-WFB B 3 / Fk 55(旧2番)
  • Sonata IV(Duetto) F-Dur : BR-WFB B 4 / Fk 57(旧4番)
  • Duetto Es-Dur : BR-WFB B 5 / Fk 56(旧3番)
  • Duetto F-Moll : BR-WFB B 6 / Fk 58(旧5番)
となります。「B」というのは、カテゴリーの記号、ここでは「室内楽」でしょう。その後の数字が、同じ編成の中では作曲年代順になっています。そこで、このCDの演奏順を見てみると、
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何のことはない、しっかりこの順番になっているではありませんか。実は、このCDで使われているゲルハルト・ブラウン校訂のBREITKOPF新版でも、すでに「新しい」番号が使われているのですよ。ですから、この表記は明らかな誤記ということになりますよ。古くからの番号に愛着があったのかもしれませんが、せめて「No.2(No.6)」ぐらいの表記は出来たはずなのに。相変わらずお粗末なNAXOSでした。
先ほどの「新しい」リストを見ると、それぞれの曲のタイトルが2曲ごとにも微妙に違いますね。これは、作られた時期がかなり離れているということの名残なのでしょう。W.F.バッハが生まれたのは1710年ですが、このCDのライナーノーツによると「1番」と「2番」が作られたのはかなり早い時期、1729年ごろ、「3番」と「4番」は1741年以前、そして「5番」と「6番」は晩年のベルリン時代(1774年以降)だということです。ですから、それぞれの時期での作曲技法の差異も認められるはずです。確かに、最初のころは2つの声部が完全に独立したポリフォニーで書かれていますが、後の作品では古典、あるいはロマン派にも通じるような、主旋律と伴奏みたいなパターンが見つかりますね。
ガロワと瀬尾さんという師弟によるデュエットは、全ての曲で1番フルートがガロワ(左)、2番フルートが瀬尾さん(右)というパート分けのようでした。おそらく、楽器は同じエイベルの木管でしょう。それを使って、完全なノン・ビブラートで演奏しているのが、この時代の音楽に対するリスペクトのようです。もちろん、装飾なども特に繰り返しの後などはてんこ盛りなので、ひと時も聴き逃せません。この二人のことですから、アゴーギグもものすごく、時には他のパートとずれてしまうこともあるのですが、それも「芸」のうちだと感じさせられるのは、やはりすごいものです。そこからは、バロックの様式をはるかに超えた感情のほとばしりすら感じられた瞬間が何度あったことでしょう。
「6番」の第2楽章の本当に美しいメロディで、ガロワがついビブラートをかけていたことに気づいた時には、なにか愛おしさのようなものまで感じられてしまいました。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

by jurassic_oyaji | 2019-01-31 20:40 | フルート | Comments(0)