人気ブログランキング |
おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
カテゴリ:ピアノ( 68 )
BURGMÜLLER/25 Études faciles et progressive, 18 Études de genre
c0039487_23072072.jpg





Carl Petersson(Pf)
GRAND PIANO/GP816


マニアックなピアノ曲ばかりを扱っているこのGRAND PIANOレーベルですが、こんな「有名」な曲のCDがリリースされました。「有名」になるためには「ヘビーローテーション」が欠かせませんが、なんたって、日本ではピアノ教室に通っている子供さんたちが、日々間違いなくこの曲に出会って聴いたり弾いたりしているのですからね。
それが「ブルクミュラー」です。その「25の練習曲」(正確には「ピアノのためのやさしく段階的な25の練習曲--小さな手を広げるための明解な構成と運指」という長ったらしいタイトル)は、おそらく日本中のピアニスト予備軍がその全曲を弾いたことがあるという、超ヒット曲なのではないでしょうか。
ここで注目すべきは、そんな、ピアノ教室に通っている人は、全てが音楽を職業にするわけではないということです。というか、実際にピアニスト、あるいはピアノ教師として生きることになる人など、ほんの一握りもいないはずです。さらに、ピアノ教室で教えるのは「クラシック音楽」の基本ですが、そこに通っている子たちが将来「クラシック音楽」が好きになるという可能性も、やはり非常に低いはずです。知り合いにしっかり音楽大学まで行って、今ではプロの音楽家になっている人がいますが、その人がワーグナーの「トリスタン」のことを「ウエスタン」と言っているのを、実際に耳にしたことがあるぐらいですからね。
しかし、そんな、大きくなって「クラシック音楽」などは全く聴くことがなくなってしまった「音楽家」であっても、かつてそばにあったはずのこのブルクミュラーだったら、確実に「知っている曲」になっているのですよ。大きくなった彼や彼女たちは、もはや作曲者の名前も知らずに、その作品の断片が記憶の片隅にしっかりと残っているのです。
そんな「ヒット曲」を改めてしっかりとした録音によってリリースしたこのレーベルのセンス、というか商魂には、敬意を払わずにはいられません。まず、このアルバムを聴き始めて驚くのは、ここで使われている「ファツォリ」という楽器の音色の素晴らしさです。しかも、その音色が、瞬時に変化しているのもはっきり聴きとれます。カール・ペテションという1981年生まれのスウェーデンのピアニストは、楽譜には何の指定もないペダルを注意深く操作して、聴きなれているはずのこれらの曲から、新たな魅力まで引き出してくれています。
タイトルにもあるように、「小さな手」でも弾けるように片手で押さえる音は最大で7度、1オクターブなどは出てきません。調号も少なくて、黒鍵を使うことはそれほど多くはありません。それでいて、美しいメロディと新鮮な和声、時には大胆なリズムの変化など、音楽的には非常に充実していますから、初心者が弾いても何かしっかりとした音楽を作り上げたという満足感が得られるはずです。
個人的には、16番の「Douce plainte(ちょっとした悲しみ)」などは、まるで哀愁に満ちた「歌謡曲(←死語)」のように聴こえますね。14番の「La Styrienne(シュタイヤー舞曲)」なども、ト長調で始まった優雅なテーマが途中で平行調のホ短調に変わる瞬間などは、ゾクっとします。
昔から使われている楽譜ですから、曲のタイトルの訳語なども最近では変わっていたりします。先ほどの「シュタイヤー舞曲(あるいは「スティリアンヌ」)」などは、以前は「スティリアの女」と呼ばれていましたね。もう、女はおらんな
さらに、楽譜そのものも変わっています。21番の「L'harmonie des anges」の最後から3小節目、「Più lento」に変わったところの二分音符の和音は、以前は再低音が「Eフラット」でしたが、
c0039487_23072032.jpg
今の楽譜ではほとんど「Eナチュラル」になっています。
c0039487_23072046.jpg
つまり、この和音が以前は「属七」だったものが「減七」になっているのですね。初版は「減七」だったものが、いつの間にか「属七」に直されてしまった楽譜が横行するようになったのですが、最近やっとオリジナルの形に戻ったということなのでしょう。もちろん、このCDでも「減七」で演奏されています。

CD Artwork © HNH International Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-08-06 23:09 | ピアノ | Comments(0)
STEWART GOODYEAR
c0039487_21473909.jpg



Stewart Goodyear(Pf)
Wayne Marshall/
Chineke!
ORCHID/ORC100100



スチュワート・グッドイヤーさんは、1978年に生まれたカナダのピアニストです。作曲も行っています。すでにピアニストとしては、各方面で絶賛されていて、多くのアルバムも作られています。なんせ、10年ほど前には、ベートーヴェンの32曲のピアノ・ソナタを、5日間に行った9つのリサイタルで全て演奏するという、とんでもないことをやってのけているそうですから、すごいものです。同じベートーヴェンの、たった9曲の交響曲を連続して演奏することさえ「すごいこと」と言われてしまいますが、それが32曲ですから、どんだけすごいのかが分かります。
余談ですが、このように、ある作曲家のあるジャンルの曲が全て演奏されたときに、それは「ツィクルス(Zyklus)」と呼ばれます。この言葉はドイツ語ですが、英語の「サイクル(Cycle)」と同じですから、例えば野球で1回の試合にすべての種類のヒット(シングルヒット、2塁打、3塁打、ホームランの4種類)を打った場合には「サイクルヒット」と呼ばれるのと同じことです。6種類ではありません(それは「サイコロヒット」)。
このアルバムでは、そんなすごいピアニストであるグッドイヤーさんが、作曲家としてもすごい人であることを知らしめるために、彼の作品が「自作自演」されています。ですから、タイトルも、しっかり彼の名前になっているのですね。
ただ、それだけではいくらなんでも聴いてくれる人はいないだろうということで、アルバムの最後にはガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」が収録されていますから、ご安心ください。
最初に演奏されているのは、グッドイヤーさんが2016年に作った「カラルー」というタイトルのピアノとオーケストラのための作品です。彼はカナダ人ですが、そのルーツはトリニダード・トバゴ、カリブ海に浮かぶ島国です。「カラルー」というのは、そのカリブ諸国の名物料理のことで、様々な野菜やスパイスがごちゃ混ぜになった料理なのだそうです。
この曲が作られる2年前に、彼は先祖の故郷のトリニダード・トバゴで毎年行われているカーニバルを体験します。それは、彼にとっては様々な地方からの人々によるまさに「カラルー」のように思われました。そこで演奏されていたこの地方の有名な音楽「カリプソ」、も、ジャズやアフリカ音楽、さらにはフランス音楽の影響などが入り混じったものですが、彼は、カーニバルが行われた2週間の間、この「カリプソ」を聴き続けていたのだそうです。
このピアノとオーケストラのための組曲「カラルー」は、まさにそんな「カリプソ」に彩られた作品でした。しかし、そこで彼のソロによって演奏されるピアノのパートは、オーケストラとは全く異なる次元で、超絶技巧を発揮して、さらなる「ごちゃ混ぜ」感を演出しています。3つ目の楽章などは、ピート感もうすれたけだるい感じの音楽ですが、そこではオーケストラとピアノとでは全く別の調で演奏しているようにも聴こえてしまいます。
そのあとは、ピアノのカデンツァが演奏され、それに続いて、今度はカリプソにソウル・ミュージックの要素も加わった「ソカ」のリズムも登場します。
次は、1996年、彼が18歳の時に作った「ピアノ・ソナタ」です。これは、高校時代の「プロム」の時に聴いた、当時のポップ・ミュージックの影響が反映されている曲だ、とされています。とは言っても、今聴いてみるとここにはもっとハードなテイストが感じられます。特に、全曲を支配するオスティナートの音列と、それと同時に展開される、時には12音音楽の影響も感じられるフレーズとの対比は、とてもクールです。
そんなコンテクストで演奏されたガーシュウィンが、単なるジャズとクラシックの融合で終わるわけはありません。ここではまさに「カラルー」のごちゃ混ぜの世界までもが、盛大に顔を出しています。それは、バックのオーケストラがマイノリティによるオーケストラの「チネケ!」だったことも、決定的な意味を持っていたはずです。

CD Artwork © Orchid Music Limited

by jurassic_oyaji | 2019-06-22 21:49 | ピアノ | Comments(0)
BUSONI/Piano Concerto
c0039487_20564620.jpg


Kirill Gerstein(Pf)
Sakari Oramo/
Men of the Tanglewood Festival Chorus(by Lidiya Yankoskaya)
Boston Symphony Orchestra
MYRIOS/MYR024


またまたゲルシュタインですけど、お許しくださいね。なんせ、一度は聴いてみたいと思っていたブゾーニのピアノ協奏曲をこの人が弾いた新録音ですから、外すわけにはいきません。
ただ、今まで聴いてきたこのレーベルのアルバムでは、必ず創設者であるコーエンがレコーディング・エンジニアを務めていましたが、今回は実際にレコーディングを行ったのはニック・スクワイヤという、ボストン交響楽団の録音のための専属エンジニアでした。コーエンはあくまでミキシングやエディティングといったポスト・プロダクションで関わっているだけです。レコーディング・フォーマットの「96kHz/24Bit」というのも、これまでのDSDやDXDに比べたらちょっと見劣りがします。
つまり、この演奏は、2017年3月10日と11日にボストンのシンフォニー・ホールで、客演指揮にサカリ・オラモを迎えて行われた演奏会のライブ録音だったので、コーエンは直接レコーディングに手を出すことは出来なかったのでしょう。その日には、このブゾーニの「ピアノ協奏曲ハ長調」と、シベリウスの「交響曲第3番」が演奏されました。
バッハの作品の校訂や編曲などで知られているピアニスト/作曲家のフェルッチョ・ブゾーニが残した唯一のピアノ協奏曲は、古くはジョン・オグドン(EMI)、最近ではマルク=アンドレ・アムラン(HYPERION)の録音がありましたね。全5楽章、演奏時間は70分超、さらに終楽章には男声合唱まで入るという型破りなフォルムに、まず驚かされます。
さらに驚くのは、「ピアノ協奏曲」と言いつつも、ソロ・ピアノの扱いが全くソロ楽器にふさわしいものではないということです。なにしろ、第1楽章が始まってピアノが登場するまでに3分40秒もオーケストラだけの演奏が続くのですからね。正確には、ピアノが演奏を始めるのは126小節目から、ラフマニノフの2番やベートーヴェンの4番だったら、いきなりピアノ・ソロで始まりますし、シューマンは1小節目の2拍目、グリーグでは2小節目ではもうピアノが登場していますが、ブゾーニの場合は小さな曲が終わってしまうぐらいの間待っていなければいけません。
しかも、そのピアノは、そこでソリスティックなメロディを弾き出すわけではなく、それこそチャイコフスキーの頭のようなアコードだけを延々と続けているのですからね。お年寄りには弾けません(「ワコード」でないと・・・)。
音楽が少し穏やかになって、第2テーマらしきものが登場するときも、そのテーマを演奏するのはオーケストラの中の楽器で、ピアノにはあくまでそのオブリガートといった役割しか与えられてはいません。
スケルツォ風の第2楽章では、ピアノは思い切り暴れまわっていますが、決して表に出てくることはありません。ワーグナー風の第3楽章では、ほとんど唯一と言っていい、ピアノが朗々と歌い上げるシーンが登場しますが、長くは続きません。
ですから、この「協奏曲」ではピアノはオーケストラと対峙するのではなく、ほとんどオーケストラの中の1つのパートとして、おそらくピアノ以外では成しえないようなサウンドを形作るために貢献する、という意味合いを持っているのではないでしょうか。
そこで思い当たるのが、バッハなどのバロック音楽での「通奏低音」です。ブゾーニがここで行ったのは、ピアノに20世紀ならではの通奏低音としての役割を与えることだったのではないでしょうか。
最後の楽章に合唱が登場するのも、バッハのカンタータからインスパイアされたものと考えれば、納得がいくかもしれませんね。たぶん違うでしょうが。
そんな「変な」曲ですが、ゲルシュタインの存在感には圧倒的なものがありました。オーケストラがフルパワーで迫ってくる中でも、決してピアノがかき消されることはありません。それだからこそ、ブゾーニがこの楽器に求めたものが明らかになっていたのでしょう。真の「ヴィルトゥオーゾ」にしか、それは成しえません。

CD Artwork © Myrios Classics

by jurassic_oyaji | 2019-05-23 20:58 | ピアノ | Comments(0)
The Gershwin Moment with Kirill Gerstein
c0039487_07475907.jpg

Kirill Gerstein(Pf)
Gary Burton(Vib)
Storm Large(Voc)
David Robertson/
St.Louis Symphony Orchestra
MYRIOS/MYR022



このMYRIOSというレーベルは、DSD録音によるとても音の良いアルバムを作ることで定評がありました。もちろん、それはハイブリッドSACDでリリースされ、マルチチャンネルによるサラウンドも楽しめるというスペックでした。
ところが、いつの間にかそのSACDから撤退して、ただのCDでのリリースしかなくなってしまったのはなぜなのでしょう。それと、録音もこのアルバムではDSDではなく「DXD」という超ハイレゾのPCMに変更されています。エンジニアは創設以来のシュテファン・コーエンだというのに。
ということで、ハイレゾという観点からはもはや何の魅力もなくなってしまったこのレーベルですが、看板アーティストのゲルシュタインが弾くガーシュインとあれば、聴いてみないわけにはいきません。
というのも、このヴィルトゥオーゾ・ピアニストは、かつてはバークリー音楽院でしっかり「ジャズ」を学んでいたというのですから、ガーシュウィンがただの演奏で終わるわけがありませんからね。しかも、彼をバークリーへと導いたビブラフォン奏者のゲイリー・バートンとの共演まであるというのですから、これはマストです。
まずは、セントルイス交響楽団との共演で、彼らの本拠地であるパウエル・ホールで2017年4月に行われたコンサートのライブ録音です。最初に収録されているのは、お馴染み「ラプソディ・イン・ブルー」です。これは、最近ではもはや珍しいことではなくなりましたが、バックのオーケストラも1924年の初演時のグローフェによる「ジャズバンドのための」バージョンが使われています。つまり、ジャズのビッグバンドに若干のストリングスが加わったという編成ですね。低音にはチューバが加わり、リズム・セクションにはバンジョーも入っているという形です。みんなで決めたのでしょうね(それは「バンジョー一致」)。
このバンド(もちろん、演奏しているのはセントルイス交響楽団のメンバー)が、そんな初演時の雰囲気を出した、とてもいい感じのサウンドを聴かせてくれています。それをバックに、ゲルシュタインも、持ち味の強靭なタッチから繰り出すタイトなリズムで、しっかり「ジャズ」のプレイを披露してくれています。
そこで重要なのは、「クラシック」と「ジャズ」とのバランスではないでしょうか。今では、山下洋輔や小曾根真といった、「本物の」ジャズマンがこの曲に果敢に挑戦している姿を頻繁に見ることがありますが、そこからは、なにかガーシュウィンからは少し距離を置いたものを感じてしまいます。それは、彼らの演奏にはあまりに「ジャズ」の要素が強すぎるからなのではないでしょうか。もちろん、それはそれでしっかりした魅力は感じられるのですが、このゲルシュタインのバランスの取れた節度のある演奏を聴いてしまうと、やはりそれは邪道としか思えなくなってしまいます。
熱狂的な拍手にこたえて、ゲルシュタインが演奏したアンコールは、アメリカのやはりヴィルトゥオーゾ・ピアニスト、アール・ワイルドが作った「Virtuoso Etudes after Gershwin 」から、「Somebody Loves Me」と「I Got Rhythm」の2曲です。いずれも、ガーシュウィンの有名な作品が超絶技巧を駆使して編曲されたものです。
ここで一旦、アルバムは別のコンサートに移ります。まずは、2012年に行われたゲイリー・バートンとのライブで、スタンダード・ナンバーの「Blame It On My Youth」。これはもう完全にジャズのセッションですね。バートンのビブラフォンは、チック・コリアとの録音のような乾いた音ではなく、かなり厚ぼったいサウンドになっているようです。
そしてもう一つは、2014年のライブで、「Summertime」のヴォーカルのバック。もちろん、オペラのバージョンとは全く異なる、ジャジーなピアノです。
そして、先ほどのオーケストラとのコンサートに戻り、「ピアノ協奏曲」と、それに続くやはりアール・ワイルドの編曲による「Embraceable You」です。もしかしたら、実際のコンサートではこちらの方が先に演奏されていたのかもしれません。

CD Artwork © Myrios Classics

by jurassic_oyaji | 2019-05-21 07:49 | ピアノ | Comments(0)
RACHMANINOFF/Piano Concerto No.2, SAINT-SAËNS/Piano Concerto No.2, etc.
c0039487_20353596.jpg



Artur Rubinstein(Pf)
Eugene Ormandy/
The Philadelphia Orchestra
DUTTON/CDLX 7336(hybrid SACD)



このDUTTONの「4チャンネル」復刻シリーズで、かなり早い時期、2017年にリリースされていたのが、このアルトゥール・ルービンシュタインのピアノ協奏曲集です。大酒飲みだったんですね(それは「アルコール」)。1887年に生まれ、1982年に亡くなった往年の巨匠ルービンシュタインは、SP時代の1928年から引退する1976年まで、RCAに優に100枚を超えるおびただしい数のアルバムを残していましたが、ここでは1969年と1971年という80歳を超えてからの最晩年にオーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団とともに録音された2枚のアルバムが1枚のSACDとなっています。
まずは、1969年の「4チャンネル」録音です。正確なセッション日は1969年1月2日ですから、もうこの時期にはこの録音方式が確立されていたことになりますね。確かに、COLUMBIAによるマイルス・デイヴィスの「ビッチェズ・ブリュー」の録音も同じ年でしたね。
リリースされたのは1970年になってからですが、このSACDのデータによると、その時にはアメリカでは普通の2チャンネルステレオ盤しか出ておらず、その「4チャンネル」盤は、日本でだけ出ていたようですね。なんせ、この「CD-4」という方式は日本のビクターが開発したものですから、大々的にそれを盛り込んだ豪華ダブルジャケットで発売されたのだそうです。
ここで演奏されていたのはサン=サーンスのピアノ協奏曲第2番と、ファリャの「スペインの庭の夜」です。この時のルービンシュタインは81歳でしょうか。サン=サーンスの終楽章のタランテラなどは全く衰えを感じさせない颯爽たる演奏なのには驚かされます。
この録音は、音のクオリティとしては、例えば同時期のイギリス・デッカなどに比べたらまだまだ発展途上の感があります。そして、サラウンドの音場設定ですが、これまで聴いてきたフロントに弦楽器、リアに管楽器というこのレーベルのものとは大きく異なっています。確かに、そのような傾向は見られるものの、全ての楽器がほぼフロントとリアの真ん中あたり、つまりリスナーのいる場所に集まっているのです。ですから、そこではまるでヘッドフォンで聴いているような、耳のすぐそばに音場が広がるという感覚を味わうことになります。正直、スピーカーで聴いていてこれだけ音に密着させられるのは、なにか煩わしさを感じてしまいます。
それが、1971年のラフマニノフになったら、俄然すっきりした音場が広がるようになっていましたし、音のクオリティもワンランク上がっていました。ピアノは、リスナーの少し前に定位していて、それを囲むようにフロントに弦楽器と木管楽器、リアに金管楽器と打楽器という配置です。木管は弦楽器よりはすこし手前に設定されていて、第2楽章のフルート・ソロなどは、ピアノと一体になって聴こえてきます。
ただ、ジャケットの録音現場の写真などを見る限り、実際にそのような楽器配置がなされていたわけではありません。あくまで普通のコンサート用の配置で演奏したものをマルチトラックで録音して、それをミキシングでこのように定位させていたのでしょうね。
この頃になると、ルービンシュタインのテクニックには明らかに衰えが見られるようになっています。第3楽章あたりは、かなり遅めのテンポ設定になっているのに、なかなかついていけないようなところも見られてしまいます。しかし、それはそれで、機械のように弾きまくる昨今のピアニストからは絶対に感じられない「枯れた」味わいがあるのではないでしょうか。
そして、そのピアニストを支えるオーマンディのオーケストラのコントロールの巧みさには、恐れ入るしかありません。彼は、ルービンシュタインにぴったり寄り添って、包み込むように音楽を作り上げています。それでいて、そのオーケストラにはたっぷり歌わせることも忘れてはいません。終楽章に出てくる2つ目の有名な甘美なテーマがヴィオラで出てくる時のフレージングなどは、ため息が出るほどの美しさです。

SACD Artwork © Vocalion Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-05-18 20:38 | ピアノ | Comments(0)
BRUCKNER/Piano Works
c0039487_22481654.jpg




Ana-Marija Markovina(Pf)
Rudolf Meister(Pf)
HÄNSSLER/HC 17054



ブルックナーのピアノ作品などというものは、おそらくほとんどの人が聴いたことがないのではないでしょうか。なんたって、この作曲家のメインの作品は交響曲でしょうからね。
それでも、合唱曲などは、交響曲とは全く異なる側面を見せてくれるものとして、多くの合唱団によって愛唱されていますし、録音もたくさんあります。さらに、室内楽でも、1879年に作られた「弦楽五重奏曲」は、広く演奏されています。
しかし、ピアノ曲の場合は、作られていたのはかなり初期のころだけで、それも小曲ばかり、交響曲を作るようになってからはその分野で作品を生み出すことはありませんでした。ですから、CDも1994年に録音されたヴォルフガング・ブリュンナーのもの(CPO)と、2001年に録音された白神典子のもの(BIS)ぐらいしかなかったはずです。
その白神盤では、ソロ・ピアノのための作品が全部で7曲とり上げられていましたし、ブリュンナー盤ではそれにさらにピアノ連弾のための作品が2曲加わっていました。それが、その時点での「全曲」だったのです。つまり、出版されている楽譜はそれだけしかなかったということです。
しかし、今回、挑戦的なプログラムで知られるクロアチアのピアニスト、アナ=マリヤ・マルコヴィナによって2017年と2018年に録音されたこのCDには、なんと20曲以上の作品が収録されていました。それはいったいどこから出てきたものなのでしょう。
ご存知のように、ブルックナーは幼少のころからオルガン演奏に関しては秀でたものがあって、一通りの教育も受けていましたが、本格的に和声やオーケストレーションを学ぶようになったのはもう40歳にもなろうという頃でした。そんな教師の一人が、オットー・キッツラーという、指揮者でチェロ奏者だった人です。レッスンはきっつかったんでしょうね。
そして、ブルックナーがキッツラーの下で学んでいた時の「練習帳」の現物は、そのまま残っています。その期間は1861年から1863年までの間、そこには、ブルックナーの多くの習作やスケッチが残されているのです。
すでにそこからは何曲かの作品が出版されていました。ピアノ曲では先ほどの白神盤などに入っていた「ソナタ形式の楽章ト短調」が唯一のものでした。しかし、2015年に、その「練習帳」自体がそのままファクシミリで出版され、その全貌が広く知られるようになりました。そして、このCDではその中にあったピアノ曲が全て録音されています。それは全部で14曲、ですから、先ほどの「ソナタ」以外の13曲が、「世界初録音」となっているのです。
その「初録音」の曲たちは、ほとんど1分ほどの小さいものばかりです。タイトルも、「ギャロップ」、「ワルツ」、「マーチ」といった、後の交響曲にはまず登場しないような曲種のものとなっているのも、かわいらしい感じです。実際、これらの曲は、たとえばピアノ初心者用の練習曲として有名なあの「ブルクミュラー」のようなかわいらしさ、言い換えれば平易で素朴なキャラクターを持ったものばかりでした。「半音階的練習曲」という大仰なタイトルの曲でも、実際はコラール風のテーマの上で半音階が動いているだけというシンプルなものでした。
先ほどの「ソナタ」にしても、それこそソナタ形式の約束事に則って、生真面目に作っているな、という感じですね。
この「練習帳」以前の作品として、「ランシエ・カドリール」という、4つの踊りの曲集が聴けますが、これなども運動会のBGMで使われてもおかしくないような健康的な曲ばかりです。同じ時期の連弾のための作品も、基本的に初心者たちが楽しく演奏できることを心掛けたものなのでしょう。
ただ、「練習帳」以後の曲になると、さすがに後の作品の萌芽を感じないわけにはいかないものも出てきます。1863年に作られた「秋の夕べの静かな想い」では、斬新な和声が聴こえてきますし、1868年の「思い出」には、交響曲でよくみられる上向進行の和声がはっきり表れています。

CD Artwork © Profil Medien GmbH

by jurassic_oyaji | 2019-05-14 22:49 | ピアノ | Comments(0)
BERLIOZ/Symphonie Fantastique
c0039487_20120655.jpg





Jean-François Heisser, Marie-Josèphe Jude(piano vis-à-vis)
HARMONIA MUNDI/HMM 902503



ベルリオーズの没後150年でもなければ出ないような珍盤です。あの「幻想交響曲」をピアノ用に編曲したものを演奏しています。まあ、古くはリストあたりが作ったソロピアノ・バージョンがありましたが、今回は2台ピアノのための編曲、それを「1台」のピアノで演奏しているというのが最大の特徴です。
c0039487_20120700.jpg
これがそのピアノ。1928年に作られたプレイエルの「piano vis-à-vis(向い合せピアノ)」です。2台のグランドピアノを向い合せに合体すれば、こんな長方形に収まってしまうのでしょう。これだったら、ピアノ・デュオの演奏家の需要がありそうな気がしますが、なんでも70台ほど製造されただけで、もはや生産はされていないのだそうです。この楽器は、録音が行われたパリのフィルハーモニーの楽器博物館に保存されていたものなのだとか。
今回使われた楽譜は、ここで演奏しているピアニスト、ジャン=フランソワ・エッセールが30年ほど前から手掛けていたものだそうです。複雑に入り組んだベルリオーズのスコアをピアノで再現するには、やはり一人では限界があるでしょうし、二人で分担するにしても連弾では音域も限られてしまいますから、2台ピアノというスペックには期待できます。
実際に聴いてみると、まず「1台」の楽器ではあっても、アクションの位置は左右に離れていますから、定位はしっかりその位置になっていて、それぞれの奏者の分担ははっきり聴き分けることができます。そうなると、オーケストラでは隠れてしまってほとんど聴こえないようなパートのフレーズもしっかり聴こえてくるので、色々新しい発見もありました。ただ、やはりオーケストラとしてのサウンドはすっかり染みついているので、別にそのようなものが聴こえても、それがこの作品に対する価値を高めるものではないような気もします。
逆に、オーケストラでは弦楽器が弓の木の部分で演奏(コル・レーニョ)したり、駒のそばで演奏(スル・ポンティチェロ)するような指定があって、そこではとても効果的なサウンドが実現できることになっているのですが、残念なことにピアノではそのような効果を出すことは絶対にできません。本当にやりたければ、もう1台「プリペア」された楽器が必要になってくるでしょうね。
ただ、第5楽章でその「コル・レーニョ」をバックに管楽器がこんな難しいことをやっているような場面では、ピアノはその機能性を発揮できるはずです。
c0039487_20120747.jpg
これはフルートのパート譜ですが、そこに指定されているトリルは、長い音符では可能ですが、赤丸のような八分音符に付いたものは、まず楽譜通りに演奏することはできません。でも、ピアノだったら難なく弾けてしまう・・・と思っていたのですが、今回のCDではその八分音符の上のトリルが見事になくなっているのですよ。そんなに難しかったんですね。フルートで演奏できないのは当たり前でした。
実は、リスト版でもここはトリルではなく前打音でごまかされていましたね。
c0039487_20120764.jpg
ただ、さっきのリンクの演奏では、ここはその部分だけではなく、このパッセージの中の全てのトリルが省略されていましたけどね。
もう一つ、今回のCDで気になったのが、同じ第5楽章の「鐘」の音です。ここではベルリオーズはしっかりCとGの音を指定していて、今ではオーケストラで演奏するときにはそのピッチの鐘を使うことが当たり前になっています。さらに、作曲家は「不正確なピッチの鐘しかない時は、ピアノで演奏した方がよい」とまで言っています。それを、ここでは半音を重ねて、わざわざ「不正確」な音で演奏しているのですね。これは全く理解不能です。
c0039487_20120784.jpg
さらに、この二人のアンサンブルにもかなり問題があります。アインザッツが合わないところがかなりあるのですね。しかも、第1楽章の最後の「アーメン終止」(↑のreligiosamente以降)のように、絶対に合わせてほしいところでも全然合ってないのですから、どうしようもありません。

CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s.

by jurassic_oyaji | 2019-03-02 20:16 | ピアノ | Comments(0)
SCARLATTI/Complete Keyboard Sonatas Vol.20
c0039487_08234557.jpg





Artem Yasynskyy(Pf)
NAXOS/8.573604


音楽史の上で「スカルラッティ」というと、「アレッサンドロ・スカルラッティ」と「ドメニコ・スカルラッティ」の2人の名前が挙げられます。どちらも偉大な作曲家ですが、これは親子、父アレッサンドロはオペラで、そして息子ドメニコは鍵盤楽器のためのソナタで有名ですね。
ここで演奏されているのは、そのドメニコのソナタです。彼が活躍したのは18世紀の前半でしたから、鍵盤楽器と言えばチェンバロが最も普及していた時代です。彼は、その楽器のために555曲もの「ソナタ」を作ったのです。それぞれは長くても5分程度のかわいらしい作品ばかりです。その作品番号は、現在ではカークパトリック番号(K. ただし有名なケッヒェルと区別するためにKk.とも)が主流ですが、以前はロンゴという大昔の(それは「論語」)番号もありました(L.)。さらに、ペストリ(P.)というのも使われています。
そんな膨大な数のソナタを全曲録音した最初の人はスコット・ロスでした。彼は1984年から1985年にかけて、ERATOにCD34枚分の録音を行いました。その次に全曲録音を完成させたのは、あのBRILLIANTレーベルです。2000年から2007年にかけて、ピーター=ヤン・ベルダーの演奏で、こちらはCD36枚の全集を作りました。さらに、2006年から2007年には、NIMBUSレーベルにリチャード・レスターがCD38枚の全集を録音しています。
もちろん、これらはオーセンティックな楽器による演奏なわけですが、バッハなどと同様、オリジナルはチェンバロのための作品でもあえて現代のピアノで演奏するという伝統は以前からありました。あのホロヴィッツなども、積極的にリサイタルでスカルラッティのソナタを取り上げていて、録音も数多く残しています。ただ、さすがにピアノで全曲を録音しようとした人は今まではいませんでしたね。
こういうレアな「全集」にかけては定評のあるNAXOSは、現在そのピアノによる全曲録音を進めているところです。ただ、ここでは一人のピアニストに任せるのではなく、アルバムごとに異なるピアニストが演奏しているという、興味深いことを行っています。
その記念すべき第1集は1994年に録音されました。演奏していたのは、ジョージアのピアニストで1974年のチャイコフスキー・コンクールに史上最年少で4位に入賞したというエチェリ・アンジャパリゼでした。この時の1位はアンドレイ・ガヴリーロフ、2位がチョン・ミョンフン、そして4位を分け合ったのがアンドラーシュ・シフというそうそうたるメンバーでした。
このCDがリリースされた頃は、NAXOSレーベルはまだ「アイヴィ」という愛知県あたりの小さな代理店を通して販売されていましたね。この頃はまだ「廉価盤専門のレーベル」という、品質は二の次のようなイメージがありました。実際、この第1集の音を聴くと、「ピアノによる初めての全集」という割にはその「ピアノ」の音がかなりお粗末な録音になっています。変に高音が強調されていて、まるで「モダンチェンバロ」のように聴こえてしまうんですね。
そんな時代に始まったプロジェクトは、2007年に日本の代理店がアイヴィからナクソス・ジャパンに引き継がれたあとも粛々と継続されていて、多くの演奏家によって1年に1枚程度のペースで録音が進んでいったようです。これまでに19枚がリリースされ、300曲以上のソナタを録音し終えました。しかし、まだまだ先は長いのではないでしょうか。
そして、今年になって20枚目のアルバムがリリースされました。これが録音されたのは、1枚目から22年後の2016年のことでした。演奏しているのは、1枚目が録音された時にはまだ6歳だったウクライナのピアニスト、アルテョム・ヤスィンスキイです。この方は、以前こちらでご紹介していましたね。
これはもう、まさにモダン・ピアニズムの極致。繊細な表情と落ち着いた音色によって、これらの曲からチェンバロとは全く異なるピアノならではの可能性をまざまざと感じさせてくれています。

CD Artwork © Naxos Rights US. Inc.

by jurassic_oyaji | 2018-08-07 08:25 | ピアノ | Comments(0)
GULDA/Piano Works
c0039487_21042197.jpg





Martin David Jones(Pf)
GRAND PIANO/GP759


かつて「ウィーンの三羽烏」と呼ばれていた3人のピアニストがいましたね。モー、ラリー、カーリーじゃないですよ(それは「三ばか大将」)。その3人というのは、1927年生まれのパウル・バドゥラ=スコダ、1928年生まれのイェルク・デームス、そして1930年生まれのフリードリヒ・グルダです。一番若いグルダだけが、2000年に亡くなってしまいましたね。別に本人たちはあの「三大テノール」みたいにユニットを作って活躍していたわけではありませんでした。
その中でグルダだけは他の二人とはちょっと毛色が違っていたようです。もちろん、それこそウィーン古典派の作曲家の演奏には定評がありましたが、グルダの場合は単なる演奏に終わることはなく、当時としては珍しく、モーツァルトあたりでは自由な装飾を施していたこともありましたね。さらに、クラシックの枠にはとどまらず、ジャズ・ピアニストとしても名を馳せていたのです。
作曲家としても多くの作品を残しています。もちろん、ピアノのためのものが大半を占めていますが、「チェロ協奏曲」のようなものも作っていましたね。
今回のアルバムは、そんなグルダの作品を他のピアニストが演奏する、という企画です。演奏しているのは、アメリカ人のピアニスト、マーティン・デイヴィッド・ジョーンズ。彼は自身もクラシックを演奏するだけではなくジャズ・ピアニストとしても活躍しているのだそうです。
まず、最初に演奏されているのは、1970年に作られた「Variations on 'Light My Fire'」です。「Light My Fire」は、ドアーズの1967年のヒット曲で、邦題は「ハートに火をつけて」ですが、もしかしたらホセ・フェリシアーノのカバーの方が有名かもしれませんね。グルダはこの曲をテーマにして、演奏時間が15分にも及ぶ大規模な変奏曲を作りました。もちろん、それらはクラシカルな変奏から、ジャズのコードで味付けされたもの、さらにはロック・コンサートさながらの大げさな盛り上がりが演出された部分など、とてもユニークなものです。まるで、その5年後に作られることになる「不屈の民変奏曲」みたいですね。
そして、その後に30分以上の大作「Play Piano Play '10 Pieces for Yuko'(1971)」が続きます。タイトル通り10曲から出来ていますが、「Yuko」というのは彼の2番目の妻、ジャズ・ピアニストの「祐子グルダ」さんのことだそうです。
これは、ジャズ・ピアノのためのエチュードのような作品です。全10曲のうちで、全ての譜面がきっちり書いてあるのは4曲だけ、それ以外の4曲は部分的にインプロヴィゼーションが要求される場所が用意されていたり、残りの2曲ではコードが指定されているだけで、あとは全てインプロヴィゼーションで自ら曲を完成させなければいけないようになっています。
つまり、これらの曲ではそんなインプロヴィゼーション、言い換えれば「アドリブ・プレイ」のセンスが問われることになります。
とは言っても、1曲目などはバッハの曲のパロディになっていますから、ジャズとの相性は抜群、とても楽しめる曲に仕上がっています。この後演奏されている「Prelude and Fugue (1965)」なども、しっかりバッハ風、そのフーガはもしかしたらバッハよりも演奏するのは難しいかもしれませんね。
いずれもジャズのイディオム満載の3つの楽章から成る「Sonatine (1967)」に続いて、最後に1974年に作られた、グルダの2人の息子たちのために作られた小品「Für Paul」と「Für Rico」が演奏されています。そのうちの「Rico」というのが、先ほどの祐子さんとの間に生まれた息子の名前です。
この「Für Rico」も、もろにバロック風の曲ですが、中間部ではアドリブで演奏されるようになっています。その部分をグルダ自身が演奏していたものと今回のジョーンズのものとを比べてみると、ジョーンズは単に教科書的なパターンの繰り返しなのに比べて、グルダにはそんなものを超えたぶっ飛んだオリジナリティが感じられました。そのセンスまでもきっちりと再現したものでないと、きっと「グルダの作品」とはならないのでしょうね。

CD Artwork © HNH International Ltd.

by jurassic_oyaji | 2018-05-29 21:06 | ピアノ | Comments(0)
STRAVINSKY/Le Sacre du Printemps, Pétrouchka
c0039487_23112668.jpg




青柳いずみこ(Pf)
高橋悠治(Pf)
R-RESONANCE/RRSC-20003(hygrid SACD)


先日聴いた「ピアノ版『春の祭典』」は、2台のピアノで演奏されていましたが、ストラヴィンスキーが作った楽譜はピアノ連弾のためのものでした。つまり、1台のピアノの前に2人のピアニストが並んで座って演奏する、という形態です。それらがどう違うのか、分かりますよね?「2台ピアノ」だと、どちらの人もピアノのすべての鍵盤を弾くことが出来ますが、「連弾」では、鍵盤に向かって右の人は真ん中から高い方の半分、左の人は低い方の半分しか弾くことが出来ません。つまり、奏者は「高音」と「低音」とに担当が決まってしまうんですね。連弾の場合、「高音」は「プリモ」、「低音」は「セコンド」と呼ばれます。そして、多くの場合、楽譜も横長になっていて、開いて右のページにプリモ、左のページにセコンドの譜面が印刷されています。
ただ、ペダルはセコンドの人が踏むことになっているようですね。もちろん、右のダンパーペダルのことで、プリモの方が足が近いので踏みやすそうですが、そういうことではなく、音楽的にセコンドが担当している和声のパートで、和音が切り替わるタイミングで踏めるように、ということなのだそうです。
ただ、そういう大まかのテリトリーはありますが、楽譜の上では時折それぞれが担当する音符が同じ場所に出てくる時があったりします。そんな時には、お互いの指が鍵盤の上で絡み合ったりするのでしょうね。
c0039487_23111950.jpg

こんな感じ。そういえば、今回のセコンド担当の高橋悠治は、かつてコンサートでのトークで「作曲家は自分のかわいい生徒(もちろん女性)と演奏中にイチャイチャしたいから、そのために連弾曲を作ったのだ」というような意味のことを語っていましたね。
ですから、先ほどの2台ピアノ版のCDの時にもご紹介したように、マイケル・ティルソン・トーマスがこのバージョンの世界初演を行った直後の1968年に、彼と共演していた悠治が同じ曲をそれから半世紀後に録音した時には、迷わず「連弾版」を選んだのでしょう。相方は女性ですし。
というのは冗談ですが(こういうのを真に受けて怒りのコメントを送ってくる人がいたりします)そもそも作曲家がドビュッシーと一緒に世界で最初にこの曲を音にした時には「連弾」でしたから、この方がオーセンティックだと考えただけのことなのでしょう。
その、ドビュッシーのスペシャリストとして活躍している青柳いずみこが、悠治から連弾の誘いを受けた時には、自分はドビュッシーがこれを弾いたときのパートであるセコンドをやるのだと思っていました。しかし、悠治は彼女にプリモをやるように勧めたのだそうです。これも、別に悠治が歳をとって(もう80歳!)プリモの早いパッセージを弾けなくなったためではなく、昔からセコンド、あるいは第2ピアノを弾きたがっていたようですね。実際にコンサートでピーター・ゼルキンや佐藤允彦と共演していた時には、どちらも悠治は第2ピアノを弾いていましたから。ただ、普通2台ピアノというと奏者が向い合せになるように配置するものですが、その時には同じ方向に並べて、2人がすぐそばにいるという配置になっていました。これだと、連弾と同じように互いの呼吸を間近に感じることができるのでしょう。
今回の連弾でも、そんな悠治が目指しているアンサンブルを感じることが出来ます。というか、ソロの時もそうですが、彼は常に何か周りを煙に巻くようなオーラを漂わせていますから、そんな尋常ではない雰囲気が、ここからもぷんぷんと伝わってくるのですね。つまり、彼のパートは確かにアンサンブルは作っているのに、そこから彼ならではの個性的な弾き方がはっきり聴こえてくるのですよ。一度それに気が付いてしまうと、一瞬、そこで彼はいったい何をやりたかったのかを考えたくなってしまいます。そんなことが次々に押し寄せてくるスリリングな体験が味わえる、稀有なSACDです。

SACD Artwork © R-Resonance Inc.

by jurassic_oyaji | 2018-03-06 23:12 | ピアノ | Comments(0)