おやぢの部屋2
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カテゴリ:ピアノ( 59 )
STRAVINSKY/Le Sacre du Printemps, Pétrouchka
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青柳いずみこ(Pf)
高橋悠治(Pf)
R-RESONANCE/RRSC-20003(hygrid SACD)


先日聴いた「ピアノ版『春の祭典』」は、2台のピアノで演奏されていましたが、ストラヴィンスキーが作った楽譜はピアノ連弾のためのものでした。つまり、1台のピアノの前に2人のピアニストが並んで座って演奏する、という形態です。それらがどう違うのか、分かりますよね?「2台ピアノ」だと、どちらの人もピアノのすべての鍵盤を弾くことが出来ますが、「連弾」では、鍵盤に向かって右の人は真ん中から高い方の半分、左の人は低い方の半分しか弾くことが出来ません。つまり、奏者は「高音」と「低音」とに担当が決まってしまうんですね。連弾の場合、「高音」は「プリモ」、「低音」は「セコンド」と呼ばれます。そして、多くの場合、楽譜も横長になっていて、開いて右のページにプリモ、左のページにセコンドの譜面が印刷されています。
ただ、ペダルはセコンドの人が踏むことになっているようですね。もちろん、右のダンパーペダルのことで、プリモの方が足が近いので踏みやすそうですが、そういうことではなく、音楽的にセコンドが担当している和声のパートで、和音が切り替わるタイミングで踏めるように、ということなのだそうです。
ただ、そういう大まかのテリトリーはありますが、楽譜の上では時折それぞれが担当する音符が同じ場所に出てくる時があったりします。そんな時には、お互いの指が鍵盤の上で絡み合ったりするのでしょうね。
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こんな感じ。そういえば、今回のセコンド担当の高橋悠治は、かつてコンサートでのトークで「作曲家は自分のかわいい生徒(もちろん女性)と演奏中にイチャイチャしたいから、そのために連弾曲を作ったのだ」というような意味のことを語っていましたね。
ですから、先ほどの2台ピアノ版のCDの時にもご紹介したように、マイケル・ティルソン・トーマスがこのバージョンの世界初演を行った直後の1968年に、彼と共演していた悠治が同じ曲をそれから半世紀後に録音した時には、迷わず「連弾版」を選んだのでしょう。相方は女性ですし。
というのは冗談ですが(こういうのを真に受けて怒りのコメントを送ってくる人がいたりします)そもそも作曲家がドビュッシーと一緒に世界で最初にこの曲を音にした時には「連弾」でしたから、この方がオーセンティックだと考えただけのことなのでしょう。
その、ドビュッシーのスペシャリストとして活躍している青柳いずみこが、悠治から連弾の誘いを受けた時には、自分はドビュッシーがこれを弾いたときのパートであるセコンドをやるのだと思っていました。しかし、悠治は彼女にプリモをやるように勧めたのだそうです。これも、別に悠治が歳をとって(もう80歳!)プリモの早いパッセージを弾けなくなったためではなく、昔からセコンド、あるいは第2ピアノを弾きたがっていたようですね。実際にコンサートでピーター・ゼルキンや佐藤允彦と共演していた時には、どちらも悠治は第2ピアノを弾いていましたから。ただ、普通2台ピアノというと奏者が向い合せになるように配置するものですが、その時には同じ方向に並べて、2人がすぐそばにいるという配置になっていました。これだと、連弾と同じように互いの呼吸を間近に感じることができるのでしょう。
今回の連弾でも、そんな悠治が目指しているアンサンブルを感じることが出来ます。というか、ソロの時もそうですが、彼は常に何か周りを煙に巻くようなオーラを漂わせていますから、そんな尋常ではない雰囲気が、ここからもぷんぷんと伝わってくるのですね。つまり、彼のパートは確かにアンサンブルは作っているのに、そこから彼ならではの個性的な弾き方がはっきり聴こえてくるのですよ。一度それに気が付いてしまうと、一瞬、そこで彼はいったい何をやりたかったのかを考えたくなってしまいます。そんなことが次々に押し寄せてくるスリリングな体験が味わえる、稀有なSACDです。

SACD Artwork © R-Resonance Inc.

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by jurassic_oyaji | 2018-03-06 23:12 | ピアノ | Comments(0)
BEETHOVEN/Triple Concerto, Piano Concerto No.3
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Lars Vogt(Pf. Cond)
Christian Tetzlaff(Vn)
Tanja Tetzlaff(Vc)
Royal Northern Sinfonia
ONDINE/ODE 1297-2


1970年生まれの中堅ピアニスト、ラルス・フォークトは、最近では指揮者としても活躍しています。現在のポストは、ロイヤル・ノーザン・シンフォニアの音楽監督です。このオーケストラはフルサイズではなく2管編成、10型程度の「室内オケ」で、その名の通りイギリス北部の街ゲーツヘッドを本拠地に活躍をしている団体です。この街には、2005年に建設された「セージ・ゲーツヘッド」という文化施設があり、このオーケストラはここに所属しているのですね。
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この建物は、全面がガラスで覆われているというとてもインパクトのある外観で、観光スポットにもなっています。そこには1640席の「セージ1」と、700席ほどの「セージ2」という2つのメインホールのほかに、展示スペースなどが多数存在しています。
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クラシックのコンサートが行われるのは、「セージ1」、シューボックスの形の、いかにも音のよさそうなホールですが、アリーナの座席を取り払ったり、壁面に吸音カーテンを設置したりすることによって、多くの需要に対応できるようになっています。
このオーケストラは、この施設のプロジェクトに沿った連続コンサートなども催しています。2015年に音楽監督に就任したフォークトが、2016年から2017年にかけて行ったのが、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の全曲演奏でした。2016年の9月30日に「トリプル・コンチェルト」、10月29日に「第1番」、11月18日に「第5番」、2017年3月17日に「2番」と「3番」、6月10日に「第4番」と「合唱幻想曲」が演奏されています。
余談ですが、この6月10日のコンサートでは、それ以外にも「交響曲第5番」と「交響曲第6番」、そしてコンサート・アリアとミサ曲まで演奏されていました。この曲目を見て「もしや?」と思った人はかなりの通。そう、これは、これらの曲が初演された1808年12月22日のアン・デア・ウィーンで行われたコンサートを再現したものだったのです。すごいですね。
これらの「6つ」の協奏曲が、それぞれ2曲ずつ収まったCD3枚として、このレーベルからリリースされて「全集」が完成したようです。できれば「合唱幻想曲」もどこかに入れてほしかったと思うのですが、ちょっとカップリングが難しかったのでしょうかね。「トリプル・コンチェルト」まで入れたのですから、それこそ、「ヴァイオリン協奏曲」のピアノ版も演奏して「完全な全集」を作ればよかったのに。
ということで、普通の「全集」ではまず入っていない「トリプル」が入ったこの1枚を聴いてみることにしました。ここでフォークトと共演しているのは、彼の親友クリスティアン・テツラフと、その妹のターニャ・テツラフです。
この曲は、たとえば往年のリヒテル、オイストラフ、ロストロポーヴィチをソリストに迎えたカラヤンとベルリン・フィルの録音に見られるような、なんか、身の丈に合わない「立派すぎる」演奏が横行しているために、逆に引いてしまうところがあるという不幸な目に遭っています。この曲本来の魅力がどこかに行ってしまっているのではないか、という気が常に付いて回っていましたね。
しかし、ここでの3人のソリストたちは、そんな変な因習を一蹴してくれるような小気味の良い演奏を聴かせてくれていました。なんせ、それぞれがほとんどソリストとは思えないようなスタンスでまず登場してくれますから、ちょっと肩透かしを食らった感じがしたぐらいですからね。それは、オーケストラの一員がたまにソロを取るといった、「合奏協奏曲」のスタイルを持つこの曲に対しての、まさに望ましいスタンスだったのですよ。
ソロ・コンチェルトの「3番」になると、今度はピアニストとオーケストラの「掛け合い」とか「対話」といった、アンサンブルの妙味がストレートに感じられるものに仕上がっています。唯一短調のこの曲が持つ重さのようなものをほとんど感じさせないクレバーさも、とても心地よいものでした。

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by jurassic_oyaji | 2018-02-17 22:00 | ピアノ | Comments(0)
STRAVINSKY/The Rite of Spring
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Marc-André Hamelin(Pf)
Leif Ove Andsnes(Pf)
HYPERION/CDA68189


ストラヴィンスキーの「春の祭典」は、オーケストラ曲としては非常に有名な曲ですね。録音もたくさん出ていますし、近頃ではアマチュアのオーケストラでもやすやすと演奏してしまいますからね。
この曲が初演され、歴史に残るスキャンダルとなったのは1913年のことですが、その前の年に作曲者はピアノ連弾のためのリダクション・スコアを作り、彼とドビュッシーの2人によってごく内輪の仲間のために演奏しています。ですから、この曲が最初に音になったのは、オーケストラではなくそのピアノ連弾版だったのですね。
この楽譜は1913年に出版されます(現在ではBoosey & Hawksから、1947年に改訂された楽譜が入手できます)が、それはあくまでバレエの練習などに使うようなものという認識でしたから、作曲者はそもそもコンサートでの演奏などは念頭になかったのでしょう。実際、マイケル・ティスソン・トーマスとラルフ・グリアソンによる「世界初演」が、1967年11月6日にロサンゼルスで行われるまで、誰もそんなことをしようとは思っていませんでした。
そして1972年には、その二人によって初めて録音されたLPがリリースされています。それは、かつてはこちらのCDとして入手できました。余談ですが、1968年にはタングルウッド音楽祭で、MTTは高橋悠治とこの編曲を演奏しています。しかし、録音の時に選んだ相手は悠治ではなく、初演の時のグリアソンでした。
いずれにしても、これを皮切りに多くのピアノ・デュオのチームがこの「連弾版『春の祭典』」を「堂々と」演奏するようになりました。さらには、ファジル・サイのように多重録音によって「一人で」演奏する人まで現れます(1999年の録音)。もっとも、サイの場合は音を増やしたりところどころで「プリペアリング」を行ったりしていますから、ストラヴィンスキーの楽譜を大幅に「イジル」という演奏でした。
ただ、ストラヴィンスキーが行ったのはあくまで「連弾用」のリダクションでしたから、それを「2台ピアノ」で演奏する時にはある程度音を加えることは可能です。
今回の最新録音で演奏しているのはマルク=アンドレ・アムランとレイフ・オヴェ・アンスネスという、いずれ劣らぬヴィルトゥオーゾの二人です。彼らももちろんこの楽譜を2台ピアノで演奏しているのでしょうが、少し手を加えている箇所はあります。
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たとえば上の楽譜の「春のきざし(乙女たちの踊り)」の部分では、こんな風に「セコンド」だけでこのパルスを演奏するようになっていますが、この録音ではアクセントが付いている音符を「プリモ」が重ねています。オーケストラ版ではここにはホルンが加わりますから、それと同じことをやっているのでしょう。ただ、先ほどのMTTの録音(こちらも2台ピアノ)では楽譜通りに演奏しています。
CDには何のクレジットもないので、二人がどちらのパートを弾いているのかは全く分かりません。ただ、「春の祭典」では左チャンネルから「プリモ」のパートが聴こえてきます。ブックレットの写真では向かって左のピアノにアンスネスが座っているので、彼が「プリモ」なのでしょうか。
演奏は胸のすくような颯爽たるものでした。さらに録音がとても豊かな響きに仕上がっているので、まるでオーケストラを聴いているような壮大さを感じることが出来ます。
カップリングは、全てストラヴィンスキーの作品で、新古典主義のスタイルの「2台のピアノのための協奏曲」と、「マドリード」、「タンゴ」、「サーカス・ポルカ」という3曲の小品です。それぞれに、絶妙のアンサンブルと洒脱さが魅力的です。
この録音が行われたのは、2017年の4月初め、そのあとこの二人はこれらの曲にドビュッシーの「白と黒で」とモーツァルトの「ラルゲットとアレグロ」を加えたプログラムで、アメリカやヨーロッパを回る大規模なツアーを敢行します。最後の3曲はアンコールとして演奏されました。

CD Artwork © Hyperion Records Limited

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by jurassic_oyaji | 2018-01-25 20:53 | ピアノ | Comments(0)
SCHIFRIN/Piano Works
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Mirian Conti(Pf)
GRAND PIANO/GP776


ラロ・シフリンと言えば、点の場所を間違えると大変なことになる(それは「ラロ氏・不倫」)名前の人ですが、「ミッション・インポッシブル」のテーマを作った人として、映画界ではとても有名な作曲家です。今年でもう85歳になりますがまだまだ元気。半年間に「新作」を10曲近くも作り上げて、こんなアルバムが出来ることになりました。
1932年にアルゼンチンのブエノス・アイレスで生まれたシフリンは、最初はクラシック音楽と法律を勉強していました。1950年代の前半に、専門の音楽家となるためにパリのコンセルヴァトワールに留学、そこであのオリヴィエ・メシアンの生徒となります。彼は同時にジャズのピアニスト、作曲家、編曲家としてヨーロッパで演奏と録音活動を行っていました。1950年代後半にはアルゼンチンに帰り、ブエノス・アイレスで自分のバンドを結成します。そこに訪れたジャズ・トランぺッターのディジー・ガレスピーに自分のバンドの作曲家と編曲家になってほしいと頼まれ、1958年にアメリカに渡ります。
それからのシフリンは、ジャズの世界にはとどまらず、映画音楽の分野でも売れっ子の作曲家として大活躍するのですが、それだけではなく彼のルーツであるクラシック音楽でも多くの作品を残すことになります。たとえば、1990年に行われた最初の「3 Tenors」のコンサートで、ズビン・メータの指揮によって演奏された「グランド・フィナーレ」あたりで、クラシック・ファンもシフリンの名前を聞くことになりました。
LAで1993年に初演された「ピアノ協奏曲第2番『The Americas』」もそんな1曲、そこで、作曲家の指揮のもと、ソリストを務めたのが、このアルバムのピアニスト、同じアルゼンチン出身のミリアン・コンティだったのです(と、ブックレットに彼女自身が書いていますが、シフリンの公式サイトでは初演はワシントンDCで1992年に行われていて、その時のピアニストはクリスティーナ・オルティスだということになっています。多分、コンティの時は「西海岸初演」だったのでしょう)。
そんな、シフリンとは縁のあった彼女が、2016年の1月にシフリンに電話をかけて、「アルバム1枚分のピアノ曲はないかしら?」と聞いたのだそうです。彼はすぐ「そんなに多くはないけど、なにか書いてあげるよ」と返事をくれて、6か月後にはこのアルバムに収録された曲が出来上がったのです。
その中には、1963年に作られた「ジャズ・ピアノ・ソナタ」を改訂したものや、「ミッション・インポッシブル」のように過去の映画音楽をピアノ・ソロのために書き直したもののほかに、新たに作られた「オリジナル・テーマによる10の変奏曲」という、それぞれの変奏は1分程度で終わってしまうかわいらしい作品がありました。
この変奏曲のテーマは、まるでベートーヴェンのようなロマンティックなメロディとハーモニーを持っていますが、それに続く変奏曲は、それぞれ有名な作曲家の作風を模倣している(つもり)という、粋な作り方になっています。それが誰の模倣なのか考えるのも楽しいのではないでしょうか。第9変奏などはウェーベルンみたいな無調の世界のように聴こえます。
「ジャズ・ピアノ・ソナタ」は、3楽章から出来ていて、全曲演奏すると24分という超大作です。タイトルに捕らわれると「どこがジャズ?」と思ってしまうかもしれませんが、これはシフリンならではのジョークなのでしょう。実際はメシアンの和声や旋法がふんだんに盛り込まれた、まぎれもない「現代音楽」です。
そして最後には、これも新作の「ジャックへの子守唄」という、シフリンのお孫さんのために作った、まさに赤ちゃんが聴いても喜ぶような曲が入っています。シフリンは、コンティに「この曲を録音したら、まず孫に聴かせたいので送ってくれ」という「ミッション」を与えました。もちろん彼女はそれを完遂し、赤ちゃんは毎日これを聴きながらスヤスヤ眠っていたのだそうです。

CD Artwork © HNH International Ltd.

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by jurassic_oyaji | 2018-01-02 20:54 | ピアノ | Comments(0)
HÄSSLER/360 Preludes in All Major and Minor Keys
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Vitraus von Horn(Pf)
GRAND PIANO/GP686-87


タイトルが「すべての長調と短調のための360の前奏曲」ですよ。のけぞりますね。バッハの「平均律」という曲集が、やはり「すべての長調と短調のための前奏曲とフーガ」でしたよね。長調も短調も12ずつ存在しますから、全部で24曲、バッハはそれを2セット作りましたからそれでも48曲に「しか」なりませんよ。いったいどうやったら「360曲」も作れるのでしょう。
バッハの場合は、鍵盤の順番にハ長調→ハ短調→嬰ハ長調→嬰ハ短調と並べていますが、このヘスラーさんの場合は、ハ長調→ハ短調の次は、その5度上(シャープが一つ増えます)のト長調→ト短調というように「5度圏」で進んでいます。そうすると、これは「円」で表わすことが出来るようになりますから、その円の一回りの角度である「360度」にちなんで360曲作ってしまおう、という発想ですね。ほとんど「しゃれ」ですが、あまり笑えん
ヨハン・ヴィルヘルム・ヘスラーという人は、1747年にドイツのエアフルトに生まれたオルガニスト兼作曲家です。バッハの最後の弟子の一人であったヨハン・クリスティアン・キッテルの弟子ですから、バッハの孫弟子になります。若いころはヨーロッパ中を渡り歩いていましたが、その後ロシアに永住し、1822年にモスクワで亡くなりました。
現在では作曲家としては全く忘れられた存在ですが、彼はモーツァルトのお蔭でかろうじて音楽史に足跡を残すことが出来ました。それは、モーツァルトが1789年にベルリンへ向かう途中で立ち寄ったドレスデンでのこと、モーツァルトはそこに滞在していたヘスラーと、オルガンとピアノでの「弾き比べ」を行ったのです。その時の様子をモーツァルトはコンスタンツェに宛てた手紙の中で「彼は古いセバスチャン・バッハの和声と転調をおぼえているだけで、フーガを正しく演奏することはできない」とか「ぼくが、ヘッスラーにピアノをきかすことになった。ヘッスラーもひいた。ピアノではアウエルンハンマーだって、これと同じ位よくひく」(吉田秀和訳)とか、ぼろくそに書いています。
モーツァルトにしてみればそんな残念なヘスラーでしたが、彼はモスクワ時代にはなにか生まれ変わったようになって、それまでに作っていた作品に新たに「Op.1」から作品番号を付けて書き直したりしています。このアルバムにカップリングされている「Op.26」の「Grande Sonate」などは、ほとんどベートーヴェンの初期のピアノソナタのような高みに達しているのではないでしょうか。
この「360の前奏曲」は、それより後、彼の晩年の1817年にOp.47として出版されています。CDでは1枚半に収録されていますが、トラック数は24しかありません。つまり、一つの調の中にはそれぞれ15曲が入っているのです。24×15=360ですね。ところが、それぞれのトラックの演奏時間は4分とか5分といったとても短いものでした。ですから、前奏曲「1曲」はほんの10秒か20秒ほどで終わってしまうのですね。これはもうワンフレーズを演奏しただけのものですから、言ってみれば究極の「ミニマル・ミュージック」ではないですか。この世にそういう名前の音楽が生まれる1世紀半も前に、こんなことをやっていた人がいたんですね。
とはいっても、いくら短くても、それぞれが全く異なる「360個」のフレーズを作るなんて、ある意味ものすごい作業ですね。ただ、ヘスラーさんは意気込んで作り始めたものの、すでに「ト長調」のあたりではかなり投げやりな作り方になっているようですね。無理もありません。全体的に、長調よりも短調の方が楽想が豊かなのは、ロシア風の素材が使えたからでしょうか。
そして、何とか24トラック目の「ヘ短調」にたどり着くと、最後の気力を振り絞って、10分3秒という最長のトラックを作り上げました。その中の5曲目などは、なんと1分48秒「も」ありますよ。なんたって、一番短い前奏曲は3秒で終わってしまいますから、これは「大曲」です。

CD Artwork © HNH Intrnational Ltd.

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by jurassic_oyaji | 2017-12-09 22:36 | ピアノ | Comments(0)
Vers la Lumière
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Jens Harald Bratlie(Pf)
David Bratlie(Ele)
2L/2L-132-SABD(hybrid SACD, BD-A)


フランス語で「光へ向かって」という意味を持つ言葉がタイトルになったアルバムです。なんでも、ここでは「闇」と「光」がテーマになっていて、普通にピアノ・ソロの作品を演奏する間に、電子音でこのタイトルと同じ「光へ向かって」という作品が演奏(録音)され、結果的に頭から終わりまで音楽は全く途切れずに聴こえてくることになっています。クラシックのアルバムとしては珍しい構成ですが、これは最近では「リミックス」というカテゴリーで広く使われている技法です。
ここでの演奏家は、ノルウェーのイェンス・ハーラル・ブラトリというベテランピアニスト(1948年生まれ)ですが、その「つなぎ」の部分を作ったのが、彼の息子のダーヴィド・ブラトリ(1972年生まれ)です。
最初の曲は、ノルウェーの現代作曲家(故人)アントニオ・ビバロのピアノソナタ第2番「夜」という、15分ほどの単一楽章の作品です。とは言っても、それに先だってやはりダーヴィド・ブラトリが用意した電子音のイントロがまず聴こえてくるので、そこでイメージが予測できることになります。そのイントロがまだ続いている中から、おもむろにピアノ・ソロが始まる、という仕掛けです。それは、ピアノの鍵盤をフルに使って音の粒子がちりばめられた、まるで万華鏡のような情景を見せてくれる音楽でした。その音の粒立ちを、この2Lのエンジニアは、細大漏らさずマイクでとらえてくれました。もう、ピアノの弦の一本一本が生々しく迫ってくる有様は、ほとんど奇跡です。
これは、いつもの通り教会の豊かなアコースティックスの中で録音されたもの、そのレコーディングの時の写真を見ると、メインはDPAのマイクが9本設置された9.1サラウンド用のアレイですが、ピアノの屋根は取り外されていて、そのむき出しになった弦のすぐ上にもう1本マイクが立っています。これが間近で弦の音を拾っているのでしょう。それと、その写真ではペダルの周りの床の上に、薪のような木片が何本も並べられています。想像ですが、これは固い床からの反響を抑える意味があるのではないでしょうか。
正直、斬新なサウンドではあっても手の内が分かってくると多少退屈さが襲ってくるこのソナタが終わると、そこに重なって電子音による「光へ向かって1」が始まります。と、今度はそれとは全く異質なリストの「オーベルマンの谷」が始まります。確かに、超絶技巧の粋を凝らしたこの作品からは、ピアノの機能を最大限に引き出した成果は感じられますが、そのあまりに秩序立った古典的なたたずまいには、この流れの中では違和感しかありません。ここはひたすら、押し寄せる極上の音の洪水に身を任せて時が過ぎるのを待つしかありません。と、突然現れる燦然たる光。それまでホ短調を基調としていた音楽が、ここでホ長調に変わったのですね。ほう、なんというサプライズでしょう。
この後の「光へ向かって2」では、この長調のテーマがサンプリングされてその変調されたものが流れます。そして現れるのがこのアルバムのメイン、メシアンの「幼子イエスにそそぐ20のまなざし」です。まずは第10曲の「喜びの精霊のまなざし」。メシアン特有のギラギラとした和声がこれでもかというように襲いかかります。そこに広がるのは、もはやピアノという楽器を超えた極彩色の世界、それは聴く者の理性さえ奪い去ってしまうほどのものです。
「光へ向かって3」で一息ついた後に訪れるのは、1曲目の「父なる神のまなざし」による、この上ない癒しの世界です。ここまで来るとちょっと予定調和という感じもしてきますが、アルバム全体で語りたかったことは明白に伝わってきます。
このようなゴージャスなサウンド・メッセージは、BD-Aでははっきり聴き取れますが、同梱のSACDではそこから「くどさ」が失われ、ありきたりのものに変わります。それがDSDのキャラクターなのかもしれません。

SACD & BD Artwork © Lindberg Lyd AS

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by jurassic_oyaji | 2017-03-25 20:40 | ピアノ | Comments(0)
BACH/The Complete Keyboard Works
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Zuzana Růžičková(Cem)
Josef Suk(Vn)
Pierre Fournier(Vc)
Jean-Pierre Rampal(Fl)
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ズザナ・ルージッチコヴァーというチェコのチェンバロ奏者の名前を懐かしく思い浮かべられるのは、ある年代より上の人だけのはずです。1927年生まれでまだご存命ですが、今では演奏活動からは全く遠ざかっていますから、もはや完全に「過去の人」になっています。
とは言っても、現役で活躍していたころには、FMの音楽番組ではかなり頻繁にその名前を聞くことが出来ました。なんせ「ルージッチコヴァー」などという、一度聞いたら忘れられない(いや、正確には「一度聞いても覚えられない」)不思議な名前ですからね。ラジオで彼女の名前を告げるアナウンサー(たとえば後藤美代子さん)や音楽評論家(たとえば大木正興さん)の口調には、この難しい名前を流暢に発音できることに対するなにか自慢げなニュアンスが感じられましたね。
彼女がそのようなメディアで紹介され始めた頃は、チェンバロ奏者と言えばヘルムート・ヴァルヒャかカール・リヒターといった重厚な演奏家が人気を博していたようですが、そんな中にちょっと「傍系」といった感じで、彼女は紹介されていたのでは、というぼけっとした印象があります。
チェコのミュージシャンですから、やはり当時の国営レーベルだったSUPRAPHONEへの録音がメインだったのでしょうが、なぜかフランスのERATOレーベルのプロデューサー、ミシェル・ガルサンは、彼女を使ってバッハのチェンバロ作品の全集を作ることを考えました。そして、1965年から1973年にかけて録音が行われ、1975年から22枚(品番はERA 9030からERA 9051)のLPとしてリリースされました。手元には1975年に発行されたERATOのカタログがありますが、そこにはマリー=クレール・アランが最初に作ったLP24枚組のオルガン曲全集と並んで、このルージッチコヴァーのチェンバロ全集が大々的に紹介されています。当時としては、それほど画期的な偉業だったのですね。確か、同じような全集では、DG(ARCHIV)のカークパトリック、EMIのヴァルヒャに次ぐ3番目のものだったのではないでしょうか。
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今回のCDボックスでは、その22枚が17枚のCDに収まっています。さらに、同じ時期にやはりERATOに録音したヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ(チェロで演奏)とヴァイオリン・ソナタの全曲、そして、トリプル・コンチェルトとブランデンブルク協奏曲第5番のアルバムも、3枚のCDになっていて、ちょうど20枚組のボックスとなっています。協奏曲に登場するフルーティストはランパル、彼はすでに1962年にロベール・ヴェイロン=ラクロワとのフルート・ソナタのアルバムを作っているので、ルージッチコヴァーとの共演はこれだけです。
彼女がこの録音を始めた頃は、世の中はモダン・チェンバロ一辺倒の時代でした。もちろん彼女も、ドイツのメーカー、アンマー、ノイペルト、そしてシュペアハーケという3種類の楽器を使っています。しかし、次第に訪れるヒストリカル・チェンバロの波にも敏感だった彼女は、このツィクルスのセッションの終わりごろ、1973年(資料によっては1972年)には「小さなプレリュード」(ERA 9049)と「組曲」(ERA 9050)のLP2枚分を、1754年と1761年に作られた2台のジャン=アンリ・エムシュの復元楽器を使って録音しています。
スリーブには録音年代と使用楽器が詳細に記載されていますから、モダンとヒストリカルの違いをはっきり確かめることが出来ます。最近ではほとんど聴くことのできないモダン・チェンバロの音はどういうものだったのか、これではっきり知ることが出来ることでしょう。こういう時代もあったのです。しかし、それに対してヒストリカル・チェンバロだとされている録音を聴いても、音色は確かに別物であるにもかかわらず、そのあまりにも非現実的な録音レベルの高さに驚かされます。モダンに慣れ親しんだエンジニアが、ヒストリカルの音を聴いて取った行動は、こういうものだったという、まさに「歴史的」な記録がここには残されているのです。

CD Artwork © Parlophone Records Limited
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by jurassic_oyaji | 2016-10-27 20:51 | ピアノ | Comments(0)
British Music for Harpsichord
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Christopher D. Lewis(Cem)
NAXOS/8.573668




こちらこちらで、チェンバロという楽器についての様々な問題を投げかけてくれたクリストファー・D・ルイスの、NAXOSへの3枚目のアルバムです。1枚目では「ヒストリカル」、2枚目では「モダン」の楽器を演奏していたルイスですが、ここではなんとその2種類の楽器を同じアルバムの中で弾き分けています。おそらく、今までにそんなことをやった人はほとんどいないのではないでしょうか。ということは「ヒストリカル・チェンバロ」で演奏されていた曲に続いて、「モダン・チェンバロ」で演奏された曲が弾かれているのですから、その違いはどんな人にでもはっきり分かるということです。なにしろ、この楽器は非常にデリケートですから、会場の響きやマイクのセットの仕方で音が全く違って聴こえてしまいます。その点、このアルバムでは、おそらく全く同じ条件でその2種類の楽器を聴き比べることができるはずですからね。
ここで使われている楽器は、「ヒストリカル」は1638年に作られたリュッカースのフレミッシュ・モデルのコピー、「モダン」は1930年代に作られたプレイエルです。さらに「おまけ」として、1曲だけヴァージナル(1604年に作られたリュッカースのミュゼラー)で演奏されたトラックも加わっています。
まずは、レノックス・バークリーの2つの作品がモダン・チェンバロで演奏されます。彼がチェンバロのための曲を作るきっかけとなったのが、オクスフォード大学時代に同室だったヴェレ・ピルキントンというおせち料理のような名前(それは「クリキントン」)の友人でした。彼はアマチュアの音楽家で、みずからチェンバロを弾いていましたから、彼のために何曲かのチェンバロ曲を作ったのです。「ピルキンソン氏のトイ」というのは、バロック時代のチェンバロ曲のタイトルとして使われた「トイ」をそのままタイトルにした、いかにもバロッキーな舞曲、「ヴェレのために」は、もう少しモダンなフランス風のテイストを持った作品です。これらが作られたのは1930年ごろ、まさに伝説の楽器チェンバロが、モダン・チェンバロという形をとって復活したころですね。バークリーはこの楽器にいにしえの時代を感じながら、「モダン」な曲を作ったのでしょう。その楽器の音は、まさに「新しい」、言ってみれば「文明的」な音がしていました。
それに続いて、ヒストリカル・チェンバロによるハーバート・ハウエルズの「ハウエルのクラヴィコード」という曲が聴こえてきた時には、誰しもが「これが同じチェンバロか?」と思うはずです。その繊細な音の立ち上がり、鄙びた音色、まさにこれこそが昔からあったチェンバロそのものの響きです。ただ、ちょっと気になるのが、マイクアレンジ、あるいは録音レベルの設定、まるで楽器の中に頭を突っ込んで聴いているようなあまりに近接的な音場です。ですから、これでも明らかにモダン・チェンバロとは異なる音であることはしっかり分かりますが、もっと適切な録音方法であったならば、その違いはさらに決定的なものになっていたことでしょう。
この作品は、20年以上にも渡って書き溜められた20曲から成る曲集ですが、ここではその中から13曲が抜粋されて演奏されています。それぞれには、まるでエルガーの「エニグマ変奏曲」のように作曲者の友人などの名前が実名(エルガーの場合は匿名)でタイトルになっています。サーストン・ダートとか、ジュリアン・ブリームといった、我々にもなじみのある名前も登場するのには親しみが感じられますが、作風はとても生真面目でとっつきにくい面がありますね。全体のタイトルにあるように、この曲集は本来クラヴィコードのために作られたものです。ですから、その雰囲気をと、最後のトラックでは1曲目だけヴァージナルで演奏されています。しかし、これもやはりマイクが近すぎるために、この楽器の本当の味が分からなくなっているのが残念です。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-08-23 23:14 | ピアノ | Comments(0)
20th Century Harpsichord Music
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Christopher D. Lewis(Cem)
NAXOS/8.573364




こちらで、20世紀のチェンバロのための協奏曲を演奏していた、ウェールズで生まれアメリカで活躍しているチェンバロ奏者のクリストファー・D・ルイスの、NAXOSへの2枚目のアルバムです。前回はオーケストラをバックにした演奏でしたが今回は彼だけによるソロ、さらに、大きく異なるのは使っている楽器です。前回の楽器は「ヒストリカル・チェンバロ」と呼ばれている、現在世界中でほぼ100%使われているバロック時代の楽器を復元したタイプのものでしたが、今回は「モダン・チェンバロ」が使われています。このアルバムに登場するプーランクやフランセが「チェンバロ」のための曲を作った時にはこの世には「モダン・チェンバロ」しかありませんでしたから、それは当たり前のことなのですが、今ではこの楽器自体が非常に貴重なものになっています。
ここでルイスが使っているのは、そんな「モダン・チェンバロ」の代表とも言える、プレイエルのランドフスカ・モデルです。おそらく、このジャケットの写真と同じものなのでしょう、2弾鍵盤ですがストップは16フィート、8フィート×2、4フィートという4種類、さらに、音色を変える「リュートストップ」やカプラーなども加わっているので、それを操作するには、足元にある7つのペダルが必要です。このペダルの中には、ピアノの右ペダルと同じ「ダンパー・ペダル」も含まれています。なんせ、ピアノに負けない音をチェンバロで出そうとして開発された楽器ですから、ダンパーがないと音を切ることが出来ないほどの大きな音が出るのですね。
そんな楽器の音を、まずプーランクの「フランス組曲」で味わっていただきましょう。オリジナルはブラスバンドにチェンバロという編成ですが、それをチェンバロだけで演奏しています。バロック時代の宮廷舞曲をモデルにした7つの曲から成っていますが、ここでのストップの切り替えによる音色やテクスチャーの変化には驚かされます。そこに、朗々と響き渡る残響が加わるのですから、これはまさに「ピアノを超えた」新しい楽器という印象を与えるには十分なものがあります。
次の、これが世界初録音となるフランセの「クラヴサンのための2つの小品」になると、その音色に対するチャレンジには更なる驚きが待っています。1曲目の「Grave」という指示のある曲は、まるで葬送行進曲のような重々しい歩みで進んでいきますが、もっぱら使われるのが16フィートのストップを駆使した超低音です。それも、ヒストリカルでは絶対に出すことのできない分厚い音ですから、その「ビョン・ビョン」というお腹に響くビートは、例えば最近のダンスミュージックにも通じるものを感じさせます。クラヴサンによるクラブサウンドですね。
チェコの作曲家マルティヌーの作品も、ここには3曲収められています。その中で最も初期に作られた「クラヴサンのための2つの小品」では、やはり「モダン・チェンバロ」ならではの鋭い打鍵を駆使した音楽が聴かれます。
もう一人、「6人組」のメンバーの中では最も知名度の低いルイ・デュレが、様々な2つの楽器のために作った「10のインヴェンション」をピアノソロに編曲したものをが、チェンバロで演奏されています。タイトル通りのバッハを意識したポリフォニックな2声の曲ですが、中には半音階を駆使した無調を思わせるようなものも有り、それが妙にこの楽器とマッチしています。
かつて、「モダン・チェンバロ」が「ヒストリカル・チェンバロ」の代わりを務めることが出来なかったように、「ヒストリカル」では「モダン」のために作られた曲を演奏することはできません。これは全く別の楽器として共存すべきものなのに、今では「モダン」はすっかり衰退してしまい、絶滅の一歩手前です。こんなCDを聴くにつけ、このまま博物館の中でしか見られない楽器になってしまうのは、あまりにもったいないような気がします。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-11-29 19:58 | ピアノ | Comments(0)
Music in Life
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Umi Garrett(Pf)
NAXOS/NYCC-10004




「8歳でオーケストラと共演」とか、「9歳でアルバムをリリース」といった騒がれ方をされているまさに「天才少女」、ウミ・ギャレットが、「12歳」の時に録音したセカンド・アルバムです。もともとは2013年に録音されて、アメリカのインディーズ・レーベルからリリースされたものですが、それが2年も経ってからナクソス・ジャパンからリリースされた時には、彼女はもう「14歳」になっていましたね。ちょっと「天才少女」として売り出すには、微妙な年齢です。
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このアルバムのジャケットは、インディーズ時代のデザイン(↑)がそのまま使われています。ただ、その時にはあった作曲家の文字が、今回はなくなっていました。ショパンから始まってベートーヴェン、ドビュッシー、ガーシュウィン、モーツァルト、そして最後にもう一度ショパンで締めくくるというラインナップです。ここには、おそらく今回のリリースに合わせて書かれたであろう、アーティスト自身のライナーノーツを読むことが出来ます。ここで演奏している曲への思いとともに、2013年に来日した際に訪れた東日本大震災の被災地のことなどが、そこには語られています。
彼女はアメリカ在住のピアニストですが、写真を見ればわかるようにアジア系の顔立ち、もしかしたら岩手県民なのかもしれませんが(それは、「ウニ・ギャレット」)、そのあたりのことはプロフィールでは全く触れられていません。でも、確実に日本人にとっては親近感のわくルックスであることは間違いありません。
こういう「天才」の演奏を聴くときには、その人が将来どんなピアニストになるのかということを考えないわけにはいきません。単に「若い」というだけでもてはやされて終わってしまうのか、真の巨匠へと成長するのか、というのをこの「原石」から予想するのは、とても楽しみなことです。
正直、最初にとても豊かな残響の伴った音でショパンのエチュードが聴こえてきたときには、なにか真綿にくるまれたようなふわふわとした印象を受けてしまいました。その「黒鍵」というニックネームの付いた曲は、刺激的なところが全くない、つるつるしたものだったのです。続くノクターンも、あまりにあっさり演奏されているので、そこからはショパン特有の「いやらしさ」がほとんど感じられません。
次のベートーヴェンの「月光ソナタ」でも、やはり薄味の印象は免れません。そつなくまとめてはいるのだけれど、そこから一歩踏み込んだ表現がほとんど見られないようなのですね。例えば最後の激しい楽章で、最初のテーマが終わって次のちょっとイメージが変わる優美なテーマに移るときに、彼女は何もしていないように感じられてしまうのですよ。聴いているものにとっては、これだけ楽想が変わるシーンなので、それがはっきり分かるような方向付けが欲しいところなのに、そのまんまの状態で連れて行かれるような、とてもちぐはぐな感じを受けてしまいます。そのあとで聴こえてきてほしいトリルも、ほかの声部とのバランスのとらえ方の違いでしょうか、ほとんど聴こえなくなっていたので、別な楽譜を使っているのでは、と思ってしまったほどです。
そのあとに、唐突にドビュッシーの「月の光」が演奏されています。まあ、そういう「名曲集」なのでしょうから別にいいのですが、それが「ドビュッシー」である必然性が感じられない、ほとんどベートーヴェンの流れの中の音楽だったのには、ちょっと失望させられます。メロディラインだけが聴こえてきて、ハーモニー感がとても稀薄なんですよね。次のガーシュウィンの「前奏曲」も、ブルースっぽい感じは皆無ですし。
ただ、最後に演奏されているもう1曲のショパン、「スケルツォ第1番」は、今までのものとはちょっと別格、そこからは確実に迷いのない彼女自身の音楽が聴こえてきました。これが彼女のポテンシャルだとしたら、いいピアニストに育つかもしれませんね。

CD Artwork © Naxos Japan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-08-08 21:19 | ピアノ | Comments(0)