おやぢの部屋2
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カテゴリ:ピアノ( 59 )
GERSHWIN/Piano Meets Percussion
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Johanna Gräbner, Veronika Trisko(Pf)
Flip Philipp, Thomas Schindl(Perc)
PREISER/PR 91226




外国のテレビドラマに登場しそうな「濃い」顔の人たちが並んでいるジャケット写真は、かなりインパクトがありますね。左端の人は「エイリアス」のジャック役のヴィクター・ガーバーそっくりですし、2人目は「デスパレートな妻たち」のリネット役、フェリシティ・ハフマンでしょうか。見てない人にとっては何の事か、ですね。すみません。
ジャケットを開くと、この4人がスプレーを吹き付けてバックの壁にピアノとドラムスのグラフィティを描いている、という設定であることが分かります。なんだか、とてもポップ。
ただ、彼ら自身はバリバリのクラシックのアーティスト、ヨハンナ・グレープナーとフェロニカ・トリスコというピアノの二人(女性)はともにオーストリア人、ウィーンを拠点にクラシックのデュオとして活躍していますし、フリップ・フィリップとトーマス・シンドルという打楽器の男性たちは二人ともウィーン交響楽団の打楽器パートの団員です。「死んどる」なんて縁起でもない名前ですが、もちろんウィーンの人はだれも気にしません。ただ、もう一人の「フリップ・フィリップ」というのは、いかにも芸名っぽい感じがしませんか?調べてみたら、本名は「フリードリヒ・フィリップ=ペゼンドルファー」といういかにもなお堅い名前でした。なんでも、彼はポップス関係の仕事(「くるり」がウィーンで録音したアルバムでは、ストリングス・アレンジで参加)もしているそうで、そんな関係でこんなポップな芸名を使っているのでしょう。そんな彼らがなんとガーシュウィンの名曲をこの編成で演奏しています。音楽の方はどれだけポップな仕上がりなのか、ちょっと期待してしまいます。
まずは、「パリのアメリカ人」。ここで、「打楽器」の中身が明らかになります。それはマリンバ、グロッケン、ヴィブラフォンといった「鍵盤打楽器」が大々的にフィーチャーされたものでした。つまり、ここではリズムだけではなく、メロディのかなりの部分を打楽器が担っているのですね。逆に、ピアノがリズムを担当してたりしていて、想像していたのとはまるで違ったサウンドが聴けるのには驚いてしまいました。中でも、ヴィブラフォンの雄弁さは光っています。うまい具合に音を伸ばすような弾き方をさせると、まるで管楽器のような味が出てくるのですね。この曲は、オーケストラとはまた違ったアプローチで、楽しさを見せてくれています。
「ラプソディ・イン・ブルー」では、グレープナー(リネットに似た方)がソロ・パートを担当しています。あまりソリストっぽくない繊細なタッチで迫りますが、そのプレイはあくまで華麗、よくあるジャズ風に崩したような弾き方はせずに、格調高く迫ります。ところが、そこに打楽器群が加わると、なんとも不思議な雰囲気が漂います。それは、同じジャズでもガーシュウィンの時代のジャズではなく、もっと後の時代、いわゆる「モダン・ジャズ」と言われるあたりのものととてもよく似たテイストが生まれているのですよ。おそらく、ヴィブラフォンの独特の味が、そんな雰囲気を作るのにかなりの寄与をしているのではないでしょうか。そうなると、ガーシュウィンがとっても「新しい」ものに感じられてくるから不思議です。
最後の「ピアノ・コンチェルト・インF」では、トリスコ(こちらは「SATC」のキャリーでしょうか)がソリスト担当。彼女はさらに繊細なピアノで、正直あまり魅力のないこの曲から、思いもよらなかったような「クラシカル」な面を発見させてくれます。特に、今までは退屈だとしか思えなかった第2楽章では、いたるところでまるでドビュッシーのような響きが聴こえてくるではありませんか。もしかしたら、ガーシュウィンは自分のへたくそなオーケストレーションで、この曲の魅力を台無しにしていたのかもしれませんね。

CD Artwork © Preiser Records
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by jurassic_oyaji | 2013-07-12 20:42 | ピアノ | Comments(0)
WAGNER/Complete Piano Music
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Pier Paolo Vincenzi(Pf)
BRILLIANT/94450




少し前に「いくらワーグナー・イヤーでも、彼の全作品を録音するレーベルはないだろう」みたいなことを書きましたが、実はそれに近い動きはあったのですね。そうですよ、いくらCD不況だからって、そんなレアなものを出してワーグナーの布教を行う機会は、今を逃すと当分ありませんからね。
ということで、ピアノ曲に限ってのことですが、現存する全作品を録音したものが同じ時期に2種類もリリースされてしまいました。一つはDYNAMICからのダリオ・ボヌチェッリの演奏、そしてもう一つが、このヴィンチェンツィのものです。「全作品」と言っても、時間にしたら「ラインの黄金」1曲よりも短いものですから、CDに目いっぱい収録すれば2枚に収まってしまいます。それが、このBRILLIANTではDYNAMICの三分の一の値段で買えるのですから、なんと言ってもお買い得、しかも2012年の5月の最新録音ですし、使っている楽器はFAZIOLIF278なのですから、何の問題もありません。
ワーグナーのピアノ作品は、このアルバムの場合は全部で15曲収録されていますが、おそらくそれですべてを網羅しているのでしょう。ごく初期に作られたピアノソナタもあるようですが、それらは楽譜が散逸してしまっているようですし。
現存する「ソナタ」で最も早い時期の作品は、演奏に30分近くかかる4楽章のソナタ(変ロ長調 WWV21)です。1831年に完成していますから、ワーグナーは18歳ぐらいでしょうか。ベートーヴェンあたりの様式を巧みに取り入れた大作ですが、いかにも修行中の習作といった感じがミエミエのほほえましいものです。まるで交響曲のような楽章構成で、第3楽章はメヌエットになっていますが、その教科書通りの楽想には思わず笑いたくなってしまうほどです。なんと素直な音楽なのでしょう。
この時期には、WWV22とされている「幻想曲嬰ヘ短調」という、やはり30分近くの曲が作られています。これは、構成はソナタよりも自由な、めまぐるしく楽想が変わる作品ですが、モティーフや和声はいともオーソドックスな、その時代の様式がそのまま反映されたものです。
ところが、翌1932年に作られたイ長調の「大ソナタ」(WWV26)になると、いきなり音楽としての成熟度が増しているのに驚かされます。前のソナタがベートーヴェンの初期の模倣だとすれば、これは同じベートーヴェンでも後期のような充実ぶり、たった1年で、交響曲で言えば「1番」から「9番」までのレベルに到達してしまうほどの「進歩」を遂げているのですね。やはり、ワーグナーはただの女たらしではなかったんですね。
このソナタの最後の楽章は、Maestosoの堂々たる序奏に続いて、まるでウェーバーのような軽やかなテーマが登場するAllegroとなるのですが、実は、最初の構想ではこの間にフーガの部分がありました。出版の際にはそれは削除されたのですが、このCDにはその「フーガ付き」のバージョンも別に「おまけ」で演奏されています(これは、DYNAMIC盤にも入っています)。それは、出だしこそ「マイスタージンガー」になんとなく似ているテーマによる4声の堂々たるフーガですが、途中からポリフォニーではなくなっているので、やはり公にしない方が正解のような気はしますが。
こんな曲を作っていた若者が、それから四半世紀も経って「トリスタン」を作るころになると、全く彼独自の和声の世界を手に入れることになるのですから、驚きはさらに募ります。その時期の作風が反映されているのが、ヴィスコンティの「ルートヴィヒ」に使われて(オーケストラ版)有名になった「エレジー変イ長調 WWV93」です。
この時代の作曲家は、このように生涯をかけて新しい音楽、つまり、より複雑な音楽を作ることを目指していました。しかし、いつしかそれは行き場を失った結果、たとえばペンデレツキのような現代の作曲家は、逆に生涯をかけてよりシンプルな音楽を作るようになっているのですから、面白いものです。

CD Artwork © Brilliant Classics
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by jurassic_oyaji | 2013-06-16 20:17 | ピアノ | Comments(0)
MOZART/Piano Concertos Nos. 20 & 21
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Arthur Schoonderwoerd(Fortepiano)
Cristofori
ACCENT/ACC 24265




アルテュール・スホーンデルヴルトという、一度言われただけでは絶対に頭に入らない名前のオランダのフォルテピアノ奏者は、数年前ベートーヴェンのピアノ協奏曲を全部「1パート1人」という編成のオーケストラ(?)をバックに録音して、話題になりましたね(レーベルはALPHA)。さすがにベートーヴェンではオーケストラだけの部分ではあまりにしょぼ過ぎる音でちょっと無理があるように感じられましたが、今回はレーベルをACCENTに移して、モーツァルトの協奏曲を録音してくれました。これは、とても素晴らしい演奏、そして録音です。確かに春への一歩を踏み出そうとしている、まさに今の季節にぴったりの爽やかな印象を与えてくれるものでしたよ。
使われている楽器は1782年のアントン・ワルターのコピーということですが、まずこの音の素晴らしさに惹きつけられてしまいました。「20番」のイントロでは楽譜にある低音だけではなく右手のコードまでしっかり弾いているのですが、その音がとてもすっきりしているのです。フォルテピアノ特有の、ちょっと鈍目のアタックではなく、まるでチェンバロのようなくっきりとした音の立ち上がりなのですね。そして、そのままの音でソロが登場するわけですが、裸になって現れたその楽器の音は、録音会場であるブザンソンのノートル・ダム教会の豊かなアコースティックスにも助けられて、倍音成分がまるで高い天井に昇っていくような魅力的な響きを放っていたのです。常々フォルテピアノを聴くときには、まるでホンキー・トンク・ピアノのような濁った響きがいつもつきまとっていて、なにかこの楽器に「不完全さ」を感じていたものでした。しかし、それはまさに今まで「不完全」な状態の楽器しか聴いたことがなかったことを、この「完全に」チューニングが行われている楽器を体験して、初めて知るのでした。これは、なんという魅力的な楽器だったのでしょう。
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もう一つ、このCDで初めて知ったことがありました。スホーンデルヴルトが指揮も行っているこの「クリストフォリ」というアンサンブルは、写真のようにフォルテピアノのまわりを取り囲んでみんな立ったままで演奏しています。そして、ベートーヴェンの時と同じように「1パート1人」のはずが、なぜかヴィオラだけ「2人」の奏者がいます。なぜだろうとスコアを見ると、確かに「第1ヴィオラ」と「第2ヴィオラ」の2つのパートに分かれているではありませんか。交響曲でも、「32番(K318)」から「38番(K504)」の間は、全て「Viola I,II」という表記なんですね。この2曲の協奏曲はK466-467ですから、ちょうどこの間のものです。この時代に弦のパートが「6部」になっていたなんて、知ってました?
この写真で分かるとおり、これは「協奏曲」というよりはちょっと大きめのアンサンブルという感じで、お互いに相手を聴きながら演奏が進んでいきます。「20番」の第1楽章などは、ソロが出るところは完全にビート感による拘束がなくなり、フォルテピアノは思う存分に歌い上げてくれます。こういう自由さが思う存分発揮されて、今まで聴いてきたのとは全く違ったモーツァルトの世界が拡がります。もちろん第2楽章のフォルテピアノは、装飾満載、アルペジオを多用したかわいいフレーズが、とってもキャッチーです。そして、第3楽章のユルさには、思わず「やられた」という感じですね。この楽章でこれほど和むことが出来るなんて。
弦楽器が1本ずつでも、なんの違和感もありません。盛り上がるところでは、しっかり金管やティンパニが助けてくれますしね。それよりも、「21番」の第2楽章で、あの素敵なテーマがヴァイオリン・ソロで歌われるときの、なんと美しいことでしょう。
ACCENT(アクサン)ではこのアルバムを皮切りに、全集の完成を目指しているのだそうです。こんな驚きがもっとタクサン味わえるなんて、本当に楽しみです。

CD Artwork © Accent
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by jurassic_oyaji | 2012-03-12 20:52 | ピアノ | Comments(0)
The Red Piano
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Yundi(Pf)
Chen Zuohuang/
China NCPA Concert Hall Orchestra
EMI/0 88658 2




2000年のショパン・コンクールで優勝した中国出身のピアニスト、ユンディ・リは、鳴り物入りでDGの専属アーティストに迎えられ、何枚かのアルバムをリリースしていましたが、2010年からはEMIに移籍、アーティスト名もただの「ユンディ」となっていました(ユンディと呼んで)。でも、せっかくEMIに来たというのに、そこがDGの親会社であるユニバーサルに買収されてしまったのですから、移籍の意味がありませんね。
とりあえず、EMIからの3枚目となるアルバムでは、それまでのショパン路線からガラリと変わって、なんと「ピアノ協奏曲『黄河』」などというとんでもない曲と、中国の伝承歌をアレンジしたもののカップリングという、「中国路線」になっていました。ほんの数年前には、彼のライバル(?)であるラン・ラン(この人がEMIに来ると「ラン」になるのでしょうか)が、やはり「黄河」をメインにした同じようなアルバムを出していましが、これが中国のアーティストのトレンドなのでしょうか。
ピアノ協奏曲「黄河」と言えば、ほぼ半世紀近く前の中国での「プロレタリア文化大革命」との関連なしには語れない、と思っている人は、もはや少なくなってしまっているのかもしれません。この作品が1973年に初めて「西側」のアーティストによって録音された時には、作曲家の名前すら表記されることはなく、ただ「中央楽団集団創作」となっていました。「紅衛兵」によって「自己批判」を強いられた文化人が多かった中で、なんとも「プロレタリアート」的な作曲のされ方に、言いようのない嫌悪感を抱いたものでした。実際、最後の楽章では毛沢東賛歌である「東方紅」や、なんと「インターナショナル」までが引用されているのですからね。
しかし、今回のCDでは、この曲にはしっかり「洗星海が作曲した『黄河カンタータ』をもとに、殷承宗、触望?、盛禮洪、劉荘が編曲」と、ある程度の個人名が表記されたクレジットがあるので、一応「作品」としての体裁は整っているように見えてしまいます。とは言っても、「元ネタ」である1939年に作られたカンタータは、日本軍の中国侵略に対する抵抗の意味が生々しく込められた曲なのですから、そもそも「芸術的」なモチベーションは二の次、といったイメージはぬぐえません。
ところが、そんな怪しげな作品を、ユンディくんとこの「中国国家大劇院コンサートホール管弦楽団」は、いとも誇らしげに演奏しているのですね。実は、我々にとっては「ゲテモノ」に思われてしまうようなこの作品は、1969年に作曲された時から、まさに中国の近代化を象徴するような「名曲」として、多くの国民に親しまれてきたものなのですね。例えば、編曲者に名を連ねている、初演の時のピアニスト、殷承宗は、中国国内だけではなく、MARCO POLO(現在はNAXOSに移行)などというインターナショナルなレーベルにまでこの曲の録音を行っています。
そして、この正体不明のオーケストラは、紛れもない「西洋音楽」の音を出していました。そこに、ショパン・コンクール・ウィナーが加わるのですから、演奏自体は「西洋音楽」そのものです。終楽章でしつこく繰り返される変奏曲のテーマも、まるでラジオ体操のように元気が良いだけ、と思っていると、テーマの後半がまるでマーラーの交響曲第1番の第3楽章のテーマのようには聴こえてはきませんか?
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この曲のオーケストレーションは、普通の2管編成に、フルート奏者の持ち替えで「竹笛」が加わるほか、オプションで「琵琶」が入ることがあります。1973年のオーマンディ盤(↑)では、その琵琶はまさに「中国」をしっかり演出していましたが、今回の録音には用いられてはいません。確かに、ここにそんなものが入ってしまったら、せっかくの「西洋音楽」が台無しです。なんたって、このアルバムのターゲットは全世界なのですから。

CD Artwork © EMI Records Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2012-02-20 21:07 | ピアノ | Comments(0)
GERSHWIN/Rhapsody in Blue, BERNSTEIN/West Side Story
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Katia & Marielle Labèque
KML/KML 1121




ともに還暦を過ぎてもとびきりの美貌とお色気を保ちながら演奏活動を続けているラベック姉妹を見ていると、やはり同じような年齢で若い頃と変わらないお色気を振りまいているデュオ、「ピンク・レディ」を、つい思い浮かべてしまいます。彼女たちが若さを保っているのは、いったいどんな魔法を使ったからなのでしょう。
ピンク・レディがもっぱら昔のヒット曲を歌っているように、ラベック姉妹もかつて録音していたものを新たに録音し直す、ということで、昔からのファンを喜ばせているように見えます。今回の新録音、あいにく正確な録音データはどこにもないので、いつ演奏されたのかは知る由もありませんが、「ラプソディ・イン・ブルー」にしても「ウェストサイド・ストーリー」にしても、1980年頃に一度録音されていたものです。
「ラプソディ・イン・ブルー」を、1980年の録音と今回のものを比べてみると、その間には大きな「成長」のあとを見いだすことが出来るはずです。旧録音では、若々しい感情にまかせて、それまでのクラシックの演奏家がためらっていたような大胆な表現を軽々と持ち込んだことがはっきり感じられます。例えば、楽譜では八分音符が並んでいるようフレーズを、ことさら「ジャズ」を意識して付点音符で「スウィング」して演奏する、といったようなところです。それは、もちろん全ての部分でその様なことをやっているのではなく、ごく限られたところで、極めて印象的に、場合によってはかなりあざとく「違い」を強調しているものでした。
しかし、新録音では、その様な部分的なサプライズは全くなくなっています。その代わりに、曲全体に渡ってほんのわずかだけ前の音を長目に演奏するという、極めて精密かつアバウトなことを行っているのですよ。その結果、この曲からは、決してこれ見よがしではないほのかな「スウィング感」が漂うようになりました。小手先だけの技巧ではなく、もっと深いところでこの作品の「ジャズ」としての本質を表現するすべを、彼女たちは手に入れたのでしょう。
「ウェストサイド・ストーリー」に関しては、この録音の2台ピアノと打楽器のための編曲を行ったのがアーウィン・コスタルだという点が、興味を引きます。あいにく前回の録音を聴いたことはありませんから、その時と同じものなのかは確かめようがないのですが、コスタルは1994年に亡くなっていますから、今回の録音のための編曲ではあり得ません。おそらく、かなり以前に彼女らのために作られた編曲なのではないでしょうか。
コスタルといえば、シド・ラミンとともに、この名作ミュージカルのオーケストレーターとして知られている人です。いわば、サウンド面でこの作品に寄与していた人物、彼の編曲であれば、この編成でもオリジナルの持つグルーヴがそのまま反映されたものに仕上がっているはず、ただの「仮装」で終わるわけはありません(それは「コスプレ」)。確かに、「プロローグ」などは、口笛の導入から始まる歯切れのよいピアノが、まさにオリジナルそのものでした。次の「ジェット・ソング」では、いきなり4ビートのジャジーな仕上がりで戸惑ってしまいますが、それ以降は期待を裏切らない出来になっています。面白いのは、こういうバージョンで聴いてみると、バーンスタインの音楽は歌詞がなくてもしっかり作品としての完成度が保たれているのが分かる、ということです。これは、先日のBDで、ソンドハイムが「バーンスタインの曲は、あくまでインストとして完結している」と語っていたことと見事に符合します。
ジャケットが、映画版の「ウェストサイド・ストーリー」のエンド・タイトルに呼応したものになっているのも、楽しめます。こちらはスプレー・アートによるグラフィティ風のデザイン、「半世紀後」の「ウェストサイド」です。

CD Artwork © KML Recordings
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by jurassic_oyaji | 2011-12-12 21:12 | ピアノ | Comments(0)
BRAHMS/Piano Concerto No.1
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Hardy Rittner(Pf)
Werner Ehrhardt/
l'arte del mondo
MDG/904 1699-6(hybrid SACD)




ブラームスの交響曲をピリオド楽器で演奏するという試みは、すでにかなり日常化しています。ノリントンやガーディナーの録音によって、モダン・オーケストラで演奏するのとはひと味違った、ちょっと無骨なブラームスの素顔のようなものを味わった方もいらっしゃることでしょう。しかし、なぜかピアノ協奏曲については、今までにピリオド楽器を使おうという人はいなかったようです。そんな、もうとっくに出ていたと思っていたブラームスのピアノ協奏曲第1番の、ピリオド楽器による世界初録音です。
この作品は、ブラームスがまだ20代だった頃に作られています。初演が1859年といいますから、その頃のピアノは当然現代のものとは全く異なったものでした。ここでは、1854年に作られたエラールのピアノが、修復されてそのまま使われています。もう、その音を聴くだけで、今のスタインウェイとは、同じ「ピアノ」と言っても全く別の楽器であることが分かるはずです。ただ、なぜフランス製のエラール?と思われるかもしれません。しかし、ブラームスは、場合によってはドイツやウィーンの楽器よりも、エラールを選択することもあったのだそうですね。
オーケストラは、ここで指揮をしている元コンチェルト・ケルンの指揮者/コンサートマスターのヴェルナー・エールハルトが2004年に設立したピリオド・オケ、「ラルテ・デル・モンド」です。スイーツみたいな名前ですが(それは、「プリン・アラ・モード」)、「世界の芸術」という意味のイタリア語、大きく出たものです。
この協奏曲のために用意された編成は、8人のファースト・ヴァイオリンから3人のコントラバスという、今日一般的に用いられている編成のほぼ半分のサイズです。そんな少ない弦楽器でブラームスの渋い音色が出せるのか、という疑問を抱きながら、まずこのライブ録音を聴いてみましょう。そうすれば、そんな疑問はそもそもなんの意味もなかったことに気づくはずです。まず最初に聴こえてきたオーケストラだけの長い序奏は、「渋さ」とは全く無縁の、いともストレートな力強さにあふれたものだったのですから。そう、これはまさにあごひげをたたえ丸々と太った肖像画のあのブラームスではない、もっと精悍な面持ちをたたえたイケメンの若きブラームスが作ったものであることがはっきり分かる演奏だったのです。
そんな、溌剌としたオーケストラの中にエラールのピアノが登場します。確かにそれは、スタインウェイのコンサートグランドを聴き慣れた耳にはなんとも奇異な印象を与えられるものでした。なんという素朴な音色とエンヴェロープなのでしょう。それと同時に、そこからは確かにブラームスの肉声のようなものが感じられたのです。20世紀以降の洗練された言葉ではなく、まさに19世紀半ばのセピア色の語り口、この頃のピアノには、まだ人と人とがお互いに相手の目を見ながら会話が出来るようなしゃべり方が残っていたのでしょうね。それに比べると、現代のピアノは、なんだか一方的に大勢に向かってがなりたてているような感じがしませんか?相手の意思に関係なく、自分の考えだけを声高に伝える、そんなツールになってしまってはいないでしょうか。
そんな、まるで相手のことを思いやるようなしゃべり方は、第2楽章ではさらにはっきり伝わってくるようになります。とても美しいフレーズは、決してこれ見よがしの華やかさを誇示することはなく、まるで「ありのままの私を知って」と言わんばかりの訴えかけで迫ります。虚飾にまみれた外見よりは、朴訥な誠実さの方が、時には美しく感じられることがあるものです。
フィナーレでは、中ほどでオーケストラに現れるフーガのいかにもな不器用さが、逆に親しみを感じられてしまいます。どこまでも純朴な田舎娘のようなブラームス、とても気に入りました。

SACD Artwork © Musikproduktion Dabringhaus und Grimm
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by jurassic_oyaji | 2011-12-01 20:59 | ピアノ | Comments(0)
Works for Pedal Piano
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Olivier Latry(Pedal Piano)
NAÏVE/V 5278




「ペダル・ピアノ」という楽器をご存じでしょうか。1位になった時にもらえるピアノじゃないですよ(それは「メダル・ピアノ」)。その名の通り、「足鍵盤(ペダル)」がついたピアノのことです。オルガンと同じように、右手と左手、そして足によってそれぞれ鍵盤を操作して音楽を奏でるという楽器ですね。バッハの時代あたりでも「ペダル・チェンバロ」とか「ペダル・クラヴィコード」という、やはりペダルを付け足した鍵盤楽器はあったそうです。さらに、モーツァルトの時代でも、ピアノのアクションを用いた同じような「ペダル付き」は存在していたそうなのです。ただ、これらの楽器は、あくまでオルガンの練習用としての用途がメインだったようですね。確かに、教会にしかない大きなオルガンはそうそう練習に使うわけにはいきませんから、その様な「代用品」は必要だったのでしょう。
しかし、19世紀の中頃に、この楽器を特定して作曲を行った作曲家が現れます。同時に、ピアノ制作者も、きちんとした楽器を製造するようになりました。しかし、そんな「ブーム」は長続きすることはなく、いつしかこの楽器は忘れ去られて博物館の棚の中に眠ってしまうことになります。そんなペダル・ピアノの一つ、1853年にエラールによって作られ、作曲家のアルカンが愛用したシリアル・ナンバーが24598という楽器が2009年に修復されて、この録音に使われました。
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ご覧のように、ペダル専用の弦が入ったユニットが取りつけられた楽器ですが、オルガンのペダルのように手鍵盤の1オクターブ下の音が出せるわけではなく、最低音は普通のピアノの最低音と同じです。そこから2オクターブ半の音域をカバーしています。
この楽器のための曲を、積極的に作ろうとした最初の人が、アレクサンドル・ピエール・フランソワ・ボエリという、フランスの作曲家です。全く聞いたことのない作曲家ですが、ここで演奏されている5曲の中では、「ファンタジーとフーガ」が、まさにこの楽器ならではの対位法の扱いで、新鮮な驚きを与えてくれます。ただ、その他の曲は、曲そのものが凡庸で、特に魅力は感じられません。
ブラームスの若いころの作品、ト短調の「プレリュードとフーガ」は、この作曲家のバッハへの思いがまざまざと感じられる、とてもロマン派とは思えないような曲です。というか、もはや殆どバッハのパクリにしか聴こえません。フーガの最後もピカルディ終止になってますし。ただ、そのフーガのテーマが、途中で「2音3連」になっているあたりが、いかにもブラームスらしい個性の表れでしょうか。
シューマンの「4つのスケッチ」という曲も、ペダル・ピアノのためのオリジナルの作品です。特にペダルを強調したという使い方ではなく、同時に広い音域を使うという、いわば「連弾」を一人でやっているようなメリットが感じられます。
この楽器の持ち主だったアルカンの曲は、もっとペダルの効果を派手に見せつけるものでした。カプラーのようなものが付いているのか、手鍵盤の左手の音域とのユニゾンが、とてつもない迫力で、まさにこの楽器のアイデンティティを主張しているものでした。
リストの2つの作品は、それぞれ対照的なアプローチで、この楽器の魅力を引き出しています。「システィナ礼拝堂の祈り」というしっとりとした曲では、この場所にゆかりのアレグリの「ミセレレ」がサンプリングされているそうなのですが、それは言われなければ分からないほどの使い方でした。もう1曲の引用、この場所でその曲を「聴音」してしまったというモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は、恥かしいほどそのまんまですが。そして、オルガン曲としてはさんざん聴いたことのある「B-A-C-Hによるプレリュードとフーガ」は、ピアノならではの激しいアタックで、決してオルガンでは表現できないような世界を見せてくれています。きっと、リストがラトリーに憑依して、この曲の本来の魅力を伝えてくれたのでしょう。

CD Artwork c Naïve
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by jurassic_oyaji | 2011-09-18 22:58 | ピアノ | Comments(0)
BRAHMS/Piano Concerto No.3
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Dejan Lazic(Pf)
Robert Spano/
Atlanta Symphony Orchestra
CHANNEL/CCS SA 29410(hybrid SACD)




ブラームスのピアノ協奏曲「第3番」ですって。確か、ブラームスのピアノ協奏曲というのは2曲しかなかったはず、とは言っても、別に新しく楽譜が発見されたとかいうわけではなく、これは有名な「ヴァイオリン協奏曲」を、ピアノ協奏曲に作り直したものなのですよ。たしか、ベートーヴェンも自らそのようなトランスクリプションを行っていましたね。しかし、これはブラームス自身ではなく、ごく最近、クロアチア生まれの若手ピアニスト、デヤン・ラツィック(代理店による表記)が、なんと完成まで5年の歳月をかけて作り上げたバージョンなのだそうです。そのラツィックくん自らのピアノ独奏によって、200910月にアメリカのアトランタで行われた「世界初演」の模様が、ここでは聴くことが出来るのです。当然のことながら、これが「世界初録音」ですね。そのような「初物」には弱いものですから、つい手が伸びてしまいました。
ここで、ラツィックくんがお手本にしたのが、さっきのベートーヴェンと、そしてバッハの「ピアノ協奏曲」なのだそうです。バッハの場合は元々作曲の際に特定の楽器にこだわっていたわけではありませんから、そもそもお手本にするのは問題のような気がします。ベートーヴェンの場合には、未だにピアノ版の持つ違和感には馴染めませんし。
とにかく、お手並み拝見、あれこれ考えずに聴いてみることにしましょうか。しかし、第1楽章でピアノ・ソロが登場するところで、すでにヴァイオリンの時とは全く別の世界が広がっていたのは、まさに予想通りのことでした。オーケストラの間をかいくぐってソリストが低音からのスケールを披露するという場面、ヴァイオリンが1本の時には堂々とした中にも、なにか孤高さを秘めたストイックなイメージがあったものが、分厚い和音で飾られたピアノでは、それがやたら華やかでけばけばしいものに変わっていたのです。当然、単旋律の楽器であるヴァイオリンをピアノに置き換える時には、それなりの「加工」が必要になってくるのですが、それはあくまでブラームスのピアニズムに合致したものでなければ、成功したとは言えません。この登場のシーンは、まるでラフマニノフかなんかのよう、ちょっと引いてしまいます。そして、この楽章の間中、ピアノからはまるでベートーヴェンのような語法が漂って来ているのですね。いや、それは「お手本」ではないだろう、と言いたくなるほどの勘違いです。
第2楽章では、ピアノよりもオーボエ・ソロに耳が行ってしまいます。それほどのピアノの存在感のなさ、それはヴァイオリンならではのリリシズムが決定的に欠けているせいなのかもしれません。ちなみに、ここでオーボエを吹いているアトランタ響の首席奏者は、きちんと「エリザベス・コッホ」とクレジットが与えられています。このラストネームを見て、あのローター・コッホの親族なのでは、と思ってしまいましたが、全くの赤の他人のようですね。候補ですらありません。いや、その元ベルリン・フィルのトップ奏者のような繊細な音色だったものですから、つい。
そして、第3楽章では、あのロンドのテーマがピアノによって演奏されると、なんとも不思議なテンポ感になってしまうことに気付かされます。あのフレーズは、ヴァイオリンでは軽快に聴こえますが、ピアノではあまりに遅すぎます。
ブラームスに限らず、後期ロマン派などと称されるこの時代の作曲家は、楽器の選択にはこだわりがあったはずです。例えば、彼のクラリネット・ソナタは、自身の編曲によるヴィオラ版ではかろうじて原曲のテイストを保てますが、それをフルートで演奏したりすると悲惨な結果が待っています。まして、表現パターンの全く異なるヴァイオリンからピアノへの変更などは、そもそも無理な話だったのでしょう。そうでなければ、130年以上も手を付けられなかったはずがありません。

SACD Artwork © Channel Classics Records bv
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by jurassic_oyaji | 2011-04-23 19:49 | ピアノ | Comments(0)
それは、懐かしい時の始まり。
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田原さえ(Pf)
MHK'S MUSIC/LLCM-1003



こういう、日本語のタイトル、いいですね。最近のCDのタイトルといったら、「Smile」だの「Tears」だのと、一見ファッショナブルでも中身は空っぽというわけの分からない英語もどきが氾濫していますから、こういうのを見ると何かほっとさせられる思いです。
アルバムのリーダー田原さんという方は、仙台市を中心に活躍されているピアニストですが、ピアノだけではなくチェンバロも演奏されるなど、多彩な方面での演奏を行っています。さすがに馬に乗ったりはしませんが(それは「ジンガロ」)。さらに、美術館のロビーで、バロックダンスとのコラボレーションを行うなど、ユニークな活動もなさっています。特にバッハの演奏には定評があり、ご自身でも「仙台バッハゼミナール」というものを主宰して、後進の指導にも尽力されています。
以前、最も尊敬に値する世界的なフルーティスト、ペーター・ルーカス・グラーフとの共演を聴いたことがありますが、この巨匠の作り出す堅牢な音楽を、しっかりと支えていたのは印象的でした。多少気紛れなところもある巨匠は、興が乗ると即興的な「仕掛け」を繰り出してくるのですが、そんなアド・リブにも的確に対応していたのを見るに付け、この方のアンサンブルに対する鋭いセンスを感じたものです。
最近でも、チェロや弦楽四重奏とのアンサンブルを聴く機会がありましたが、他のプレーヤーが伸び伸びと演奏できるような心配りが至るところで見られ、とても気持ちのよい一時を過ごすことが出来ました。
今回のCDは、田原さんにとっては初めてとなる、録音のためのセッションを設けて、制作されたものです。そのために用意された楽器とロケーションは、田原さんの思いがとことん反映されたものとなっています。まず、録音された場所は、仙台市から少し北に離れた町、黒川郡大和町にある「仙台ピアノ工房」というところの木造のドーム型をしたホールです。ここは、まるで天文台のような形をした十角形の建物、収容人員は60名ほどですが、木造ならではのとても暖かい響きを持っています。そして、楽器はそこの備え付けの、1960年に作られたというD型スタインウェイです。生まれてから半世紀も経った名器が、ホールの主である伊藤さんという調律師の手によって最良のコンディションに調整され、それをとてもナチュラルな響きのホールの中で演奏するという、何かとてもうらやましくなるような環境で録音されたものが、ここには収められています。
そんな良心的な心遣いは、1曲目のバッハの「プレリュードとフーガ嬰ヘ短調」(BWV883)で、まずはっきり聴き取ることが出来ます。それはまさに、タイトルにあるような「懐かしい」思いがこみ上げてくるようなものでした。それは、最近ありがちな鋭角的なバッハではなく、あくまで流れるような心地よさを持ったもの、そして、ピアノの音はなんともまろやかで、潤いに満ちています。そのまわりを囲む木製の空間がまるで眼前に広がるような、爽やかな空気感までも、確かに聴き取ることが出来ることでしょう。
次の、ショパンの「24のプレリュード」では、ショパンならではの技巧的なパッセージを誇示することはなく、もっぱらしっとりとした、ピアノによる「歌」を伝えているように感じられます。。そこからこみ上げてくる田原さんの息づかいは、まさに「懐かしさ」を誘うものでした。
最後は、曲自体がとても懐かしい、シューマンの「子供の情景」です。幼いころラジオから流れてきた、あるいは、たどたどしい指づかいで実際に弾いてみたかもしれないあのかわいらしい曲たちが、まるで包み込むような暖かい音色で聴こえてきた時、思わずウルウルしたとしても、何も恥ずかしがることはありませんよ。
リリースはプライベート・レーベルからですが、こちらこちらなどでも容易に入手できます。

CD Artwork © MHK'S MUSIC
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by jurassic_oyaji | 2010-12-13 22:24 | ピアノ | Comments(0)
RAVEL/Boléro, HONEGGER/Pacific 231, R.-KORSAKOV/Scheherazade
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Piano Duo Trenkner-Speidel
MDG/330 1616-2




エヴェリンデ・トレンクナーとゾントラウト・シュパイデルという、ドイツの女性二人によるピアノ・デュオのアルバムです。言ってみれば、ドイツ版ラベック姉妹のようなものでしょうか。ただ、あちらはいくつになっても美しいままなのに、こちらのお二人はかなり崩れた容姿、ビジュアル的な訴求はちょっと難しいお年頃です。
ですから、彼女たちはレパートリーである意味勝負に出ているのでしょう。もうすでにこのレーベルから出ているアルバムはかなりの数に上っていますが、それらは他ではなかなか聴くことのできない堅実、というかマニアックなもので占められています。なんたって、バッハの「ブランデンブルク協奏曲」や、いわゆる「管弦楽組曲」までもピアノ2台(あるいは4手)で弾こうというのですからね。さらに、マーラー(6番と7番、メンバーが一人別の人)やブルックナー(3番)の交響曲ですよ。すごすぎます。というか、こういう、いわば「試奏」のバージョンを、ふつうのコンサートで取り上げるという姿勢自体が、なんともユニークです。
今回取り上げているのも、リムスキー・コルサコフの「シェエラザード」とオネゲルの「パシフィック231」、そしてラヴェルの「ボレロ」という、すべてフル編成のオーケストラで演奏してこその曲ばかり、はたして、4本の腕だけによるピアノの演奏で、どこまで魅力を引き出せることでしょう。
実は、「シェエラザード」については、以前も同じ楽譜で演奏されたものを取り上げていました。その時には、演奏者のスキルが作曲者自身の編曲の能力を超えてしまっていることが如実に分かってしまうような印象を持ってしまったものでした。リムスキー・コルサコフのこの曲は、オーケストレーションを施されないことには、なんとも魅力に乏しいことに、その時には思い知らされたのです。しかも、彼はピアノの演奏ではそれほどのものを持ってはいませんでしたし。しかし、今回の二人は、そんなスカスカな楽譜から、なんとも言えない味を出しているではありませんか。正直、この人達は年も年ですしそれほどキレの良いテクニックや、精密なアンサンブル能力があるわけでもありません。その代わり、楽譜の裏側に込められた情感を表現することにかけては、まさに年の功、非常に長けたものがあるのでしょう。ここからは、とても懐の深い味わい深さが感じられるのです。さすがに、最後の楽章などは細かい音符で指がまわらなくなっていたりしますが、それでもなにかそこからはひたむきさが伝わってくるのですから、面白いものです。
オネゲルの「パシフィック231」は、1923年に作られた、オーケストラによって蒸気機関車の動きを模倣するという痛快な曲ですが、彼自身によって翌年作られたこのピアノ・デュオバージョンでは、「シェエラザード」とは逆に、オーケストラの色彩感が抜け落ちた分、作品自身の音楽的なしたたかさがより明確になっています。次々と飛び出してくる不思議な和声と旋法をもつ刺激的なフレーズの応酬は、オケ版を聴いているときにはほとんど感じられないものでした。しかも、彼女たちの演奏が持っているリズム的なユルさが、ここでは(おそらく意図したものではないのでしょうが)なんとも言えないポリリズムの雰囲気を生み出しているのです。これは、かなり強烈なインパクトとして迫ってくるものでした。
しかし、「ボレロ」では、そんな面白さなどは、見つけられるはずもありません。この単純なリズムと、陳腐なメロディの繰り返しだけで成り立っている音楽は、ピアノだけで演奏されるとまさに出来の悪いミニマル・ミュージックのような姿をもろにさらけ出すだけのものに成り下がってしまいます。なんとイジワルな。

CD Arwork © Musikproduktion Dabringhaus und Grimm
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by jurassic_oyaji | 2010-05-12 20:44 | ピアノ | Comments(0)