おやぢの部屋2
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カテゴリ:オーケストラ( 519 )
BERLIOZ/Harold en Italie, Les Nuits d'été
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Tabea Zimmermann(Va), Stéphane Degout(Bar)
François-Xavier Roth/
Les Siècles
HARMONIA MUNDI/HMM 902634


このレーベルのCDにはこんなシールが貼られていました。どうやら今年は、ベルリオーズ・イヤーだったみたいですね。亡くなったのが1869年ですから、「没後150年」ということになるのでしょう。いやあ、気づきませんでした。
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ただ、いまいち盛り上がりに欠けるように感じられるのは、なぜなのでしょう。ベートーヴェンなどは、来年の「生誕250年」に向けてもう今から大騒ぎが始まっているというのに。
まあ、ベートーヴェンだったらまずは記念に交響曲全集を作ったりするのでしょうね。でも、ベルリオーズの場合は確かに「交響曲」と名付けられた作品は4曲ほど作っていますが、今のところそれらをまとめて「全集」を作った人はいないのではないでしょうか。実際は、ベルリオーズのほぼすべてのオーケストラ作品を録音したコリン・デイヴィスとシャルル・デュトワは、「交響曲」を全曲録音はしていますが、それだけをまとめた全集を作ってはいないはずです。
というのも、ベルリオーズの場合の「交響曲」はそれぞれに個性的で、編成も異なっていますから、それらをまとめるという発想があまり湧いてこないのでしょうね。なんせ、最初に作られたのはあの「幻想交響曲」ですから、スタート時からそれまでの交響曲とはかけ離れた、規格はずれのぶっ飛んだものでした。次の交響曲が今回の「イタリアのハロルド」となるのですが、これにはヴィオラのソロが加わるので、形としては「協奏曲」ですしね。さらに3番目の交響曲では「劇的交響曲」というタイトルで、最初と最後の楽章はソリストと合唱が加わった大規模な「オラトリオ」になってしまいます。そして、最後の交響曲は「葬送と勝利の大交響曲」という、知る人ぞ知るレアな曲、基本的にブラスバンドによって屋外で演奏される作品です。オプションで弦楽器を加えることもありますが、やはり普通のオーケストラが演奏するには敷居が高いでしょうね。つまり、こんなヘンな曲が混ざっているので、なかなか「全集」は作れないのですよ。
とりあえず、「幻想」にははるかに及ばないまでも、この「ハロルド」もオーケストラの通常のレパートリーには入っています。その4つある楽章の中で、第3楽章の「アブルッチの山人が、その愛人によせるセレナード」だけは、かつてNHK-FMで放送されていた「トスカニーニ・アワー」という番組で一時期テーマ曲として使われていましたから、曲名が分からなくてもこのメロディが記憶に残っている人はたくさんいるのではないでしょうか。これを聴くと、そのときのMC村田武雄さんの声まで思い出してしまうのでは。
今回のロトとレ・シエクルによる新録音では、当然ピリオド楽器が使われています。その弦楽器が、ノンビブラートで第1楽章の序奏を演奏し始めたときには、なにか今まで聴いたことのないようなおどろおどろしい情感が伝わってきました。しばらくしてツィンマーマンのヴィオラ・ソロが入ってくると、それも極力ビブラートを抑えたストイックな響きが、なんとも印象的に感じられます。それが、「quasi niente(音がないかのように)」という、「幻想交響曲」にも登場するとんでもない指示の部分では、本当に無音一歩手前といったとても緊張感のあふれる演奏を聴かせてくれます。
第2楽章の「夕べの祈祷を歌う巡礼の行列」では、「Canto religioso(宗教的な歌)」という部分でソリストはスル・ポンティチェロ(駒のそばで弾く奏法)でアルペジオを弾き続けるのですが、それがあまりにピュアな音色だったので、最初はオンド・マルトノのような電子楽器でも使っているのかと思ってしまったほどです。そもそも、そのバックに流れる木管楽器の透き通ったハーモニーが、まるで電子音のように聴こえていましたからね。
そんな感じで、もうびっくりするような音色のオンパレードの中、とてもきびきびとした物語が進んでいくのでした。

CD Artwork © harumonia mundi musique s.a.s.

by jurassic_oyaji | 2019-02-21 21:10 | オーケストラ | Comments(0)
BARTOK/Concerto for Orchestra, The Miraculous Mandarin
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Pierre Boulez/
New York Philharmonic
DUTTON/CDLX 7360(hybrid SACD)



去年の8月には、こんなレビューを書いていました。1972年に「4チャンネル」で録音され、翌年ノーマルLPとSQクワドラフォニックLPでリリースされたバルトークの「オーケストラのための協奏曲」がマルチチャンネルのSACDになって出ていたので聴いてみたら、それは本来のミックスとは全然違っていてがっかりした、というものですね。その時にぜひこれを録音したメーカーに正規の形でのSACDを出してほしいとお願いしていたのですが、そんな願いが半年も経たずにかなってしまいました。
とは言っても、今回オリジナルの4チャンネル・マスターをそのままマルチチャンネルSACDにトランスファーしたのは、それを録音したSONY(当時はCOLUMBIA)ではなく、「DUTTON(ダットン)」という、イギリスのヒストリカル専門のレーベルだったんです。
まあ、すでに録音されてから半世紀近く経った音源ですから、これももはや「ヒストリカル」という範疇に入ってしまうのですね。このレーベルは、メインはジャズやポップスのようですが、クラシックも扱っていて、最近は1970年代の「4チャンネル」の音源を、集中的にサラウンドSACDで復刻してくれていますから、ここのサイトはほとんど「宝の山」といった感じでした。それも、SONYのカタログが多数取り上げられていますので、全部欲しくなってしまうほどです。本家のSONYはSACDそのものもほとんど見放していましたが、こんなところに「救う神」がいたなんて。
このSACDは、ライナーノーツにも、オリジナルのSQのLPに掲載されていた、プロデューサーのトーマス・Z・シェパードのライナーそのものが転載されていました。そこには、こんなテーブルもありました。
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この録音では8チャンネルのマルチトラック・レコーダーが使われていますが、それぞれの楽器を録音したマイクの入力が、どのチャンネルに振り分けられているのかが記されています。これを見ると、まさに当時のSONYのマルチマイクの方式がよく分かります。最近の2Lのように、基本的にセンターアレイに付けたチャンネル数だけのマイクによる「ワンポイント」とは正反対のやり方でしたね。
そこで、指揮者の周りに楽器を配置して、その指揮者の場所で聴いているような音場設定の「オケコン」を初めて聴くことになりました。これはもう、マルチマイクならではのくっきりした音場が、まさに先ほどのテーブル通りの位置に広がっていました。そして、非常に大切なことですが、それは決してスピーカーから割り当てられた楽器が聴こえてくるということではなく、まさにスタジオの中の響きに包まれて、実物大の存在感をもって聴こえてきたのです。例えば、第5楽章の冒頭でホルンパートのソロがリアから聴こえてきますが、その休符の間にフロントからはきちんと残響が聴こえてくるのですよ。
そんな感じで、管楽器の場合は全ての奏者がどこで吹いているかわかるほどのリアリティがありますから、この頃のフルートの首席奏者、ジュリアス・ベイカーがすぐ後ろの手の届く場所に座って演奏しているようで、なんだか不思議な気持ちになれます。
ただ、管楽器と弦楽器は普段演奏しているのとは全然違う、とても離れた場所にいることになるので、それがもろにアンサンブルの乱れとなって表れている場所がかなりありました。弦と管との掛け合いなどが、もう見事にずれまくっていたりしているのですね。これも、別の意味でのリアリティが感じられて、面白いですね。
カップリングは、2002年のSACDと同じ1971年にホールで録音された「マンダリン」でした。こちらも、今回のSACDでは微妙にミックスが変わっていて、より会場の残響成分が増えているようでした。特に、最後のシーンに登場する合唱が、2002年盤ではリアともフロントとも思えるようなあいまいな音場だったのですが、今回ははっきりリアから聴こえてきます。
ただ、マスターテープの劣化までもはっきりわかってしまうのが、皮肉なところです。

SACD Artwork © Vocalino Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-02-19 23:50 | オーケストラ | Comments(0)
BEETHOVEN/Symphony No.9"Choral"
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Anna Tomowa-Sintow(Sop), Annelis Burmeister(MS)
Peter Schreier(Ten), Theo Adam(Bas)
Kurt Masur/
Radio Chorus Leipzig
Gewandhausorchester Leipzig
PENTATONE/PTC 5186 146(hybrid SACD)



1970年代の「4チャンネル」音源を、SACDやBD-Aによって現代に蘇らせるというプロジェクトの先駆者PENTATONEレーベルの初期のリリース分にクルト・マズア指揮のライプツイヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のベートーヴェン全集が含まれていることを最近知りました。それはまだ廃盤にもならず購入できるようになっていたので、とりあえず「サラウンド映え」しそうな「第9」だけでも聴いてみることにしました。
マズアのベートーヴェンと言えば、個人的には「ペータース版による初めて全曲録音」というイメージがあります。かつては世界中のオーケストラが間違いだらけの旧全集版(ブライトコプフ&ヘルテル)を何の疑いもなく使っていました。そんなことではいけないということで、当時は東ドイツの国有会社だったライプツィヒの楽譜出版社ペータースでは、1977年のベートーヴェン没後150年にあわせてペーター・ギュルケとペーター・ハウシルトの校訂による、世界で初めてのまっとうなクリティカル・エディションを刊行したのです。それは、「西側」に対して「東側」の威信を誇示するかのような、まさに「国家事業」と言えるほどのものだったのです。ですから、後にその楽譜を使った全曲録音が、東ドイツのオーケストラ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とマズアによってまずは行われました。録音はもちろん東ドイツの国営企業DEUTSCHE SCHALLPLATTENのスタッフが担当し、PHILIPSレーベルによって全世界で販売されることになります。
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ただ、届いた商品でソリストの名前を見ると、ペーター・シュライアーとかテオ・アダムといった、かなり昔懐かしいものだったので、ちょっと違和感はありました。それでも、確かに木管の奥行きや、さらにその後ろに定位しているティンパニの音場などは、くっきりと浮かび上がってくる、紛れもない「4チャンネル」の音でした。ただ、前に聴いていたCDの音は、もっと生々しい感じがしていたような気がします。
そこで、CDの方を聴いてみると、確かにこちらの方が弦楽器などはクリアに聴こえますし、何よりもティンパニの存在感がとても大きくなっていました。ということは、4チャンネルを2チャンネルにするときに、楽器のバランスが変わってしまっていたのでしょうか。ただ、コントラバスの低域が、CDの方が明らかに伸びているのが不思議です。もしやと思って、リアスピーカーの位相を変えてみたのですが、それでも低音は変わりません。
それで、よくよくSACDとCDを比べてみたら、録音時期が全然違っていました。ソリストも別な人です。マズアは、同じオーケストラで2回ベートーヴェンのツィクルスを完成させていたんですね。うっかりしていました。このSACDは1974年の録音だったのですよ。まだペータース版は出来ていません。CDは1990年と1991年、もうこのころは「4チャンネル」なんかはなくなっていましたね。なんといううっかりミス。
まあ、仕方がありません。全盛期のシュライアーやアダムの歌を楽しむことにしましょうか。それは、今聴くととても個性的なことが分かります。オーケストラもなんだかあちこちでのどかな音を奏でていましたね。
それが、第4楽章のマーチの直前、「vor Gott!」のフェルマータで、オーケストラ全員がディミヌエンドをかけているのには、驚きました。最後には、合唱だけがア・カペラで残っているのですよね。これは、まさしくペータース版の先取りではありませんか。このころ使われていたはずの出版譜ではティンパニのパートだけがディミヌエンドでしたから、これは指揮者の裁量なのでしょう。
もしかしたら、「9番」の校訂を担当したハウシルトは、このマズアの演奏を聴いて、資料によってまちまちなこの部分に、オーケストラ全体のディミヌエンドを入れたのかもしれませんね(現在ではこのペータース版は東西ドイツ統合により絶版になっていますが、ハウシルトの校訂はそのままブライトコプフ&ヘルテルの新全集で再現されています)。

SACD Artwork © PentaTone Music b.v.

by jurassic_oyaji | 2019-02-14 23:23 | オーケストラ | Comments(0)
EARQUAKE
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Leif Segerstam/
Helsinki Philharmonic Orchestra
ONDINE/ODE1210-2



今から20年以上前に、あるCDがリリースされていました。そのタイトルは「Earquake」、「地震」という意味の単語「Earthquake」のもじりですね。「Earth」を「Ear」に変えたということで、日本でのタイトルは「耳震(じしん)」ですって。なかなかのセンスでしたね。その時のパッケージは、こんなものでした。
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CDのケースのヒンジの部分に、なんと「耳栓」が入っているのですよ。それに対するコメントが、「お隣さんのために」というのですから、笑ってしまいます。つまり、このCDには、大音量で演奏された曲ばかりが収録されているので、それを聴くときには隣の人の迷惑にならないように「耳栓」を配ってくださいというジョークですよね。
そんな「伝説的」なCDが、一昨年に発売20周年の記念ということで、再発売になりました。残念なことに、今回はその「耳栓」は入っていませんでしたし、ジャケットも別のものに代わっていましたね。
確かに、ここではとても「やかましい」音楽が演奏されていました。注目したいのは、それらはほぼすべてが、今まで聴いたことのない曲だということです。個人的には、聴いたことがあったのはハチャトリアンの「ガイーヌ」、プロコフィエフの「スキタイ組曲」、そしてショスタコーヴィチの「黄金時代」だけでした。よくこんなものを見つけてきたな、というマニアックさには驚かされます。作曲家の名前はほぼ知っていましたが、普通に知られている作曲家でも、初めて聴いた曲がありましたね。ニルセンの「アラジン組曲」なんて、全曲聴いてみたいものです。
ただ、しょせんはアコースティック楽器の集まりであるオーケストラの音ですし、せいぜい数千人の屋内の聴衆に向けて作られたものですから、野外で何万人という人に向けて放たれるロック・バンドのPAで増幅された大音響に比べたら、なんとかわいらしいものだ、としか思えないのではないでしょうか。正直、これらのどこが「耳震」なのか、と思ってしまいました。
ところが、最後の曲になって、これまでとはまるで異質の正真正銘の「大音響」が襲ってきました。それは、アイスランドの作曲家ヨウン・レイフスが作った「ヘクラ」という曲でした。あまり難しいので、オーケストラのメンバーがしょっちゅう失敗する(それは「へくる」)わけではなく、そういう名前のアイスランドの火山の噴火の様子を音で表わした作品だったのです。確かに、噴火の際の大爆発や、溶岩が流れ出てくる不気味さがとても上手に模倣されています。そのために使われている楽器がハンパではなく、何十種類という聴いたこともないような打楽器(「サイレン」などもあります)の他にオルガンと合唱、そして電子楽器であるオンド・マルトノまでが加わって、まさに信じられないほどの「やかましい」音を出し合っているのです。
おそらく、このアルバムは、この曲を聴かせたいためだけに作られたのでは、と思ってしまうほど、その音はけた外れです。
実際、この曲は1961年に作られた後、1964年にヘルシンキで初演されるのですが、その評判は散々でした。ですから、その再演、つまりアイスランド初演は、1989年まで行われることはありませんでした。その時に録音され、アイスランドのレーベルITMからリリースされたポール・ズーコフスキー指揮のアイスランド交響楽団の演奏が世界初録音となりました。しかし、ここには「オプション」としてスコアには書かれている合唱が入っていませんでした。
その次にこの曲の録音が行われたのが、このCDに収録されているセッションです。それは1997年の1月に行われ、そこでは合唱もしっかり参加されました。つまり、これは「合唱付き」の完全な形での最初の録音だったのです。
さらに、1998年、もしくは1999年に録音されたこの曲が入っているのがこのアルバム、邵恩指揮のアイスランド交響楽団のBIS盤です。
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この3種類が、おそらくこれまでに録音されたものの全てでしょう。このBIS盤のライナーノーツで、「これが初めての合唱入りの録音」と述べられているのは、完全な事実誤認。

CD Artwork © Ondine Oy

by jurassic_oyaji | 2019-01-26 21:12 | オーケストラ | Comments(0)
MAHLER/Symphony No.2
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Ruby Hughes(Sop), Sasha Cooke(MS)
Osmo Vänskä/
Minnesota Chorale(by Kathy Saltzman Romey)
Minnesota Orshestra
BIS/SACD-2296(hybrid SACD)


オスモ・ヴァンスカがミネソタ管弦楽団の音楽監督に就任したのは、2003年のことだったんですね。いつの間にかもう15、6年も経っていたことになります。その間にはオーケストラのロックアウトなどがあって1年ほど辞めていたこともありますが、すぐに復帰していましたね。でも、どうやら2022年には本当に辞任することが決定したそうです。ですから、20年近くは同じオーケストラのシェフだったことになるわけで、今の世の中ではかなり長い就任期間と言えるのではないでしょうか。もっとも、その前任地のラハティ交響楽団では、1988年から2008年まで音楽監督を務めていましたから、そこまでの長期政権ではなかったのですね。
その間に、ヴァンスカはこのオーケストラとベートーヴェンとシベリウスの交響曲ツィクルスを完成させています。シベリウスは前のオーケストラとも同じレーベルでの録音がありますが、こちらはすべてハイブリッドSACDによるサラウンド録音です。
そして、最近ではマーラーのツィクルスへの挑戦を始めていました。これまでに「5番」と「6番」がリリースされています。ただ、「5番」を聴いた時にはせっかくのSACDなのに、あまりに録音がお粗末だったので、ちょっとがっかりしていましたね。なんか、弦楽器がとてもしょぼかったような。
そして、最新の録音がこの「2番」です。いやあ、驚きました。「5番」とは全然違った素晴らしい音じゃないですか。何よりも、前回はなんともバランスが悪かった弦楽器が、もろに前面に出て来るようになっていましたよ。いくら金管や打楽器が鳴っていても、決して弦楽器が埋もれることなくきっちり聴こえてきます。もしかしたら、録音のせいだけではなく、人数も増えているのかもしれませんね。
そして、ヴァンスカがこのパートに対して思いっきり「濃い」表情をつけているので、いたるところから濃厚なメッセージが漂ってきて、マーラーではこのパートがいかに大切かがとてもよく分かります。
ところで、第1楽章と第2楽章の間に、マーラーは「5分以上」の休みを取るように指示していますが、CDではあまり意味がないのでそんなに長く休むことはあり得ません。しかし、普通はここで10秒前後の少し長めのポーズを入れたものはよく見かけます。それが、このSACDでは25秒もとってあるので、なんとなく作曲家の気持ちが伝わってくるようです。
そして、第4楽章以降で登場する声楽陣もとても素晴らしいものでした。二人のソリストは浮ついたところのない暗めの音色で、確実な存在感を披露していましたし、特にこの合唱の出だしのピアニシシモは鳥肌が立つほどの見事な静寂感を生み出していました。そして、フル・ヴォイスになった時のインパクトも恐るべきものでした。
もちろん、サラウンドで聴いたのですが、最初のころはそれほどホール全体の響きが伝わってくるものではありませんでした。それが、終楽章でホルンのバンダが絶妙の距離感をもって聴こえてきたあたりから、サラウンドならではの魅力が加わってきました。そして、合唱が出てくる少し前のピッコロとフルートのソロの絡みのあたりでは、そのバンダの中のティンパニだけが後ろから聴こえてきました。サラウンドでは、打楽器の反響の方がそのように聴こえてくることが多いようですが、それを契機に、なんだか全体のサウンドがガラリと変わって、豊かなホールトーンがきちんと聴こえてくるようになったような気がしましたね。
そうなると、この部分ではいつもフルートとピッコロにしか耳が行ってなかったものが、バンダも含めた全体のサウンドがしっかり聴こえるようになっていました。不思議なものですね。
ヴァンスカの任期中に、このマーラー・ツィクルスを完成できるのかどうかはわかりませんが、今回みたいな体験ができるのなら、休みなどは取らずに(それは「ヴァカンス」)、せめて「8番」だけは録音して下さいね。

SACD Artwork © BIS Records AB

by jurassic_oyaji | 2019-01-13 21:28 | オーケストラ | Comments(0)
BRAHMS/Symphony No.4, DVOŘÁK/Symphony No.9
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Jakub Hrůša/
Bamberger Symphoniker
TUDOR/1744(hybrid SACD)



バンベルク交響楽団の首席指揮者だったジョナサン・ノットが2016年にスイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者となるのと入れ替わりに、5代目の首席指揮者に就任したのが、ヤクブ・フルシャです。
彼は、チェコ人としては初めて、この、チェコに起源をもつオーケストラの指揮者となったのですね。彼自身は、チェコ国内のオーケストラとは深い関係にありましたが、それと同等の頻度で世界中、ヨーロッパからアメリカ、さらには日本(東京都交響楽団)でのポストも手に入れていました。ですから、彼がこのレーベルで最初に録音したのが、スメタナの「わが祖国」だったとしても、それは単にチェコのナショナリズムではなく、もっとグローバルな、音楽の本質に迫った演奏となっていたのではないでしょうか。
そんなフルシャが次にこのレーベルで開始したのが、ブラームスの4つの交響曲と、ドヴォルジャークの後期の4つの交響曲をカップリングしたアルバムの制作でした。彼は、この二人の偉大な作曲家の間に、ナショナリズムとグローバリズムとの両方の要素を見出したのでしょう。自己陶酔と野蛮さですね(それはナルシシズムバーバリズム)。
その第一弾となるのが、今回のSACD、それぞれの作曲家の最後の交響曲がカップリングされています。ただ、「カップリング」とは言っても、合計の演奏時間は86分33秒で、CDレイヤーでは収録可能時間ギリギリとなっているために、1枚には収められず、2枚組です。DSDの2チャンネルと5.1サラウンドだけだったら、おそらく1枚になったのでしょうがね。
そういう事情だと、例えばRCOレーベルあたりだと2枚組でも1枚分の価格で提供されていたりしたのですが、このTUDORレーベルはしっかり2枚分の価格設定になっています。このあたりは、指揮者の思いとは異なっているのではないでしょうかね。
もちろん、このようなカップリングはアルバム制作時のコンセプトで、実際にこの組み合わせでのコンサートを行ったわけではありません。さらに、この2曲は同じセッションではなく、ブラームスは2017年の5月、ドヴォルジャークは同じ年の10月に録音されています。
ブラームスの方は、それこそこのオーケストラの「伝統」を受け継いだ、まるでカイルベルトあたりが演奏しているような重厚な音楽が伝わって来るものでした。音色もとても渋く、フルートのソロなどはまさに「いぶし銀」といった感じの音色でした。
それが、ドヴォルジャークになると、ガラリとその様相が変わります。それはもっと重心の高い、何かワクワクさせられるような演奏でした。フルートは音色も歌い方も全然違っていたので、ブラームスとは別の人だったのでしょう。
使われている楽譜は、両方とも「Breitkopf & Härtel」というクレジットがありました。ブラームスの場合は、この楽譜はHenle版のクリティカル・エディションのリプリントですから、最新の情報が盛り込まれているものです。ドヴォルジャークでは、1990年にやはり独自のクリティカル・エディションが出ているようです。現物は見たことが無いのではっきりしたことは分かりませんが、それはおそらく、有名なプラハ版(Editio Supraphon Praha)と同じような内容なのではないでしょうか。
そこで、特に注目すべきは、第3楽章のトリオでの木管の音符の長さが、しっかりとクリティカル・エディションのものになっていることでしょう。

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↑初版のパート譜(1番フルート)

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↑プラハ版のパート譜(1番フルート)

プラハ版が出版されたのは1955年とだいぶ前のことなのですが、確実にこのような楽譜を使っているはずの指揮者(たとえばシャイー、アーノンクール、ノリントンなど)でも、なぜかこの部分だけは初版楽譜のように「短い音符」で演奏しているのですね。NMLで片っ端から聴いてみたのですが、「長い音符」で演奏している指揮者はネルソンス、ウルバンスキ、インマゼール、ダウスゴー、ティチアーティぐらいしか見つかりませんでした。
このティチアーティ盤は、2013年、彼がバンベルク交響楽団の首席客演指揮者だった時のTUDORへの録音です。

SACD Artwork © Tudor Recording AG

by jurassic_oyaji | 2019-01-05 21:37 | オーケストラ | Comments(0)
ROSSINI/Overtures
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Michele Mariotti/
Orchestra del Teatro Comunale de Bologna
PENTATONE/PTC 5186 719(hybrid SACD)



ロッシーニの序曲などというと、かつてはコンサートの最初に「お飾り」のように演奏されるのが常だったのではないでしょうか。作曲家自身のイメージも、ただ明るいだけで底の浅い曲しか作らない人、ぐらいのものだったはずです。しかし、今では彼の業績は正当に評価されるようになっています。
それは、1970年ごろから始まったいわゆる「ロッシーニ・ルネサンス」と呼ばれる一連のムーヴメントがあったからです。楽譜はしっかりと原資料を基に校訂されたクリティカル・エディションが出版され、それによって今までの慣習とは異なる歌唱法も用いられるようになりました。さらに、それまではほとんど演奏されることのなかった、特に「オペラ・セリア」の様式で作られた「まじめな」作品が蘇演されることによって、この作曲家に対するイメージがそれまでの「軽い作風の作曲家」というものからは劇的に変わってしまったのですね。
そんな動きの中心となったのが、ロッシーニの生地ペーザロです。ここでは1980年から毎年「ペーザロ・ロッシーニ音楽祭」が開催され、リニューアルされたロッシーニのオペラが上演されています。そこはワーグナーのバイロイトのように、ロッシーニ愛好家にとっての「聖地」となっているのです。
そんなペーザロに生まれたミケーレ・マリオッティが、2015年から2018年まで音楽監督を務めていたボローニャ・テアトロ・コムナーレ管弦楽団(ボローニャ市立歌劇場管弦楽団)を指揮して、ロッシーニの序曲を9曲録音したのが、このSACDです。もちろん、楽譜はすべてアルベルト・ゼッダなどによって校訂されたペーザロ・ロッシーニ財団のクリティカル・エディション(Ricordi)が使われています。
収録されている9曲の中には、「マティルデ・ディ・シャブラン」や「コリントの包囲」といった、まだ一度も聴いたことのない曲がフィーチャーされているのも興味深いですね。
聴いたのは、もちろんサラウンド音源です。最初に感じたのは、とても遠くにオーケストラがあるような定位感です。録音会場がボローニャのサン・ドメニコ修道院の図書館ですが、写真を見るととても天井の高い、まるでシューボックス・タイプのコンサートホールのような形をしているスペースでしたから、その豊かな残響をしっかりと取り込んだ録音ポリシーなのでしょう。
そんな、まさにホール全体の響きが感じられる、ゆったりとしたリスニング環境の中から聴こえてきた「絹のはしご」の序奏のオーボエ・ソロは、まるで耳のすぐそばで演奏しているような立体感を持っていました。残響は伴っていても、その明瞭なアーティキュレーションははっきり伝わってきます。それに続くフルート・ソロも、やはり同じような立体感のある存在として迫ってきましたよ。そのふんわりとした肌触りは、まさにかつてのPHILIPSサウンドそのものでした。そこにサラウンドとしての立体感が加わっているのですから、これ以上の愉悦感はありません。もう最後まで、そんなサウンドの虜となってしまいましたよ。「泥棒かささぎ」あたりでは、2挺のスネア・ドラムがそれぞれリアの左右に定位していますから、うれしくなります。
マリオッティの指揮は、伝統にはとらわれない自由さを持っていました。たとえば、「ロッシーニ・クレッシェンド」と言われている連続したクレッシェンドでは、単に長いクレッシェンドをかけるのではなく、その途中に微妙に段差を付けて、豊かな表情を出しています。本当に有名な「セビリアの理髪師」などでは、手あかにまみれたそれまでの表現をあざ笑うかのような、とてもユーモラスなルバートが加わっていましたよ。
そんなサウンドと表現で聴く「ギョーム・テル」は、もはや「序曲」とは思えないほどの壮大な構造を持つ作品として眼前に現れてきました。これを聴けば、作曲家としてのロッシーニの偉大さは歴然たるものとなるはずです。単に、業務としてオペラを作っていたのではなかったのだ、と。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.

by jurassic_oyaji | 2019-01-03 20:18 | オーケストラ | Comments(0)
Debussy/Prélude à l'apres-midi d'un faune, Jeux, Nocturnes
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Marion Ralincourt(Fl)
François-Xavier Roth/
Les Cris de Paris(by Geoffroy Jourdain)
Les Siècles
HARMONIA MUNDI/HMM 905291



このレーベルのドビュッシーの没後100年の記念シリーズとしてリリースされたCDは全部で10枚ほどありますが、その中でオーケストラ作品のものはたった2枚しかありません。やはり、大編成のオーケストラの録音にはかなりの経費が必要ですから、今のご時世ではなかなか実現は難しいのでしょう。
それでも、今ではアルバムを出すたびに高い評価を得ている、ロトとレ・シエクルのコンビでしたら「安全牌」でしょうから、しっかりその一翼を担ってくれました。
このCDのための録音は、今年の1月にパリのフィルハーモニーで行われています。さらに、このパッケージにはボーナスとしてコンサートの映像が収録されたDVDも付いていますが、それはこのパリのコンサートではなく、その後の6月に行われたスペインのグラナダでのコンサートの模様が収録されているのです。ただ、演奏曲目がCDでの「牧神」が「民謡主題によるスコットランド風行進曲」に代わっていますから、肝心の「牧神」のソロ・フルートの映像を見ることはできません。そして、「ノクチュルヌ」の合唱も、スペインの合唱団に代わっています。
今年の6月といえば、このコンビが来日公演を行った時ですね。ワールド・ツアーの一環として、日本にも立ち寄っていたのでしょう。その時のコンサートは6月12日の東京オペラシティでの1回しかありませんでした。この時には、「牧神」は演奏されましたが、合唱が入る「ノクチュルヌ」ではなく、ストラヴィンスキーの「春の祭典」が演奏されましたね。
そんな情報を調べていたら、このコンビはこれが初来日ではなく、それ以前2007年と2008年にあの「ラ・フォル・ジュルネ」のために来日していたことも分かりました。今ではすっかり有名になってしまいましたが、その頃はそんなドサまわりもやっていたのですね。
まずは、ボーナスDVDで彼らの楽器などをしっかり見ることができました。ホルンがピストンのタイプなのが目につきましたね。それと、弦楽器の配置もヴァイオリンが両翼に分かれる「対向型」であることも分かりました。その効果は、CDで聴くとはっきりします。やはり、ドビュッシーはそのころのスタンダードだったこの配置を念頭において、曲を作っていたのですね。
面白いのは「ノクチュルヌ」での女声合唱の位置、彼女たちはなんと弦楽器と木管楽器の間に座っていましたよ。おそらく、ホールで聴くときには弦楽器の陰になってそこに合唱がいることはわからないのではないでしょうか。もちろん、歌う時も座ったままですから、お客さんはどこから聴こえてくるのか一瞬分からなくなってしまうかもしれませんね。
これは、スペインでのライブの模様ですが、CDに入っているパリでの録音では、合唱がなんだか移動しながら歌っているようにも聴こえます、以前「ダフニス」の時には、確かに動かしていたので、もしかしたらスペインとは別のスタイルで歌っていたのかもしれませんね。
ソロ・フルーティストのラリンクールの姿も、このDVDで初めて見ることができました。彼女は構えるときに、普通の奏者のように楽器が水平か右手が下がるのではなく、右手のほうを高くして演奏しているように見えます。ですから、2番奏者は右下がりなのでかなり異様な風景です。おそらく、彼女は唇の右側に穴ができるアンブシャーなのでしょう。
その音は、いつもながらのかなりおとなしい音色で、表現も穏やかでした。それは、ガット弦が使われている弦楽器の音色とは見事に合致していて、薄暗いモノクロームの世界が広がっていました。「ノクチュルヌ」の2曲目の「祭」のような派手な曲でも、ここからは普通のオーケストラのようなキラキラした世界は見えてきません。ドビュッシーの音楽を語るときに、よく北斎の浮世絵が引き合いに出されますが、こんなサウンドではそれよりも雪舟の水墨画の方が似合っています(ぼくが、そう思っているだけですが)。

CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s.

by jurassic_oyaji | 2018-12-23 20:29 | オーケストラ | Comments(0)
SCHUBERT/Symphonies 1 & 6
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René Jacobs/
B'Rock Orchestra
PENTATONE/PTC 5186 707(hybrid SACD)



かつてカウンター・テナーとして一世を風靡したルネ・ヤーコブスは、今ではもっぱら指揮者として大活躍をしています。もちろん、そのレパートリーは「前職」からの延長ということで、もっぱら声楽曲、時代的にもバロックが中心で、新しいものでもモーツァルトぐらいのところまで、という感じでしょうか。ですから、指揮をしているのはモダン・オーケストラではなく、小編成のピリオド・オーケストラです。
そんな彼が、いきなり古典派の作曲家、シューベルトの交響曲の全曲録音を開始しました。しかも、今までは全く関係を持つことはなかったPENTATONEレーベルからです。これはかなりのショッキングな出来事でした。しかしヤーコブスは、
シューベルトは、とても若い時から私の大好きな作曲家だった。私は彼の作品を多くの機会で歌ってきた。同時に私は、フィッシャー=ディースカウが歌うシューベルトの録音を聴きはじめ、彼の絶対的なファンにもなっていた。長い年月を経て、私は指揮者として再びシューベルトに対する別の形の愛を発見することになった。それは、私が最初に感じた彼への愛と同じほど熱烈なものだった。
と、平然と言いきっています。
まあ、それはそれで幸せなことなのでしょうが、実際に指揮者として、今までの経歴とはかなり隔たりのあるシューベルトの交響曲を演奏することについては、果たしてどんなものなのかな、という危惧はぬぐえません。
ヤーコブスは、確かに声楽曲以外のものも少しは録音していました。それが、モーツァルトの後期の交響曲です。その中の「39番」と「40番」のカップリングのCDを実際に聴いたことがあるのですが、それは結局「おやぢの部屋」にアップされることはありませんでした。普通だと、いいにせよ悪いにせよ、何かは書こうという気にはなるのですが、そのCDの場合はそれ以前のものだったのでしょうね。
今回、ヤーコブスがシューベルトの交響曲を録音するにあたってパートナーとして選んだのは2005年にベルギーで創設された「B'Rock Orchestra」という団体でした。「ビーロック・オーケストラ」と発音するのだそうです。もちろんピリオド楽器のオーケストラですが、単に「バロック」ではなく、もっと広がりのあるヴァ―サタイルな方向性を目指していることが、この名前からは分かります。
そういう顔ぶれでツィクルスの最初に録音されたのが「1番」と「6番」という、いずれもシューベルトの交響曲の中ではかなりマイナーどころだったのには、ちょっと驚きました。あるいは、有名な曲を最初にやってそれがコケたらまずいので、まずはあまり知られていない分、冒険が出来ると踏んだのでしょうか。
確かに、「1番」の序奏などは、およそ交響曲らしからぬ、派手ないでたちで始まったのは結構新鮮な体験でした。こういう演奏を聴くと、「交響曲」のそもそもの成り立ちがオペラの序曲だったのだな、ということが実感できます。それはまさに、これから起こる物語を大袈裟に紹介しているようなものでした。
しかし、果たして、そのようなアプローチがこの作品に合致したものであるのかは、ちょっと疑問です。普通のソナタ形式では、提示部の繰り返しは序奏の後の主部から行うようになっていますが、この曲では序奏から丸ごと繰り返されます。しかも、再現部になった時も、やはり同じ序奏から始まるという、かなりくどい作り方をされています。つまり、ここでは都合3回もこの仰々しい序奏を聴かされなければいけないものですから、正直ちょっと疲れてしまいます。
その他にも、例えばメヌエット楽章でトリオに移る時のフットワークが、なんともかったるいのがかなり気になります。やはり、ヤーコブスがシューベルトの交響曲を演奏するのはちょっと無理なのではないか、という印象を強く持ってしまいました。というか、もはやこのツィクルスには何も期待できないことが分かったような気がします。と、ほかの人にチクるっす

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.

by jurassic_oyaji | 2018-12-20 20:25 | オーケストラ | Comments(0)
BEETHOVEN/9 Symphonies
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Gwyneth Jones(Sop), Hanna Schwarz(Alt)
René Kollo(Ten), Kurt Moll(Bas)
Leonard Bernstein/
Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor
Wiener Philharmoniker
DG/479 7708(CD, BD-A)



DGが1970年代に制作した「4チャンネル」によるベートーヴェン全集の中で最も時期の遅い(1977-1979)バーンスタインとウィーン・フィルによるツィクルスまでもが、昨年「サラウンド」で復刻されていました。どうやら、この「4チャンネル音源によるサラウンド化」のブームは本物のようですね。ただ、世の「ブーム」はすべて「一過性」のものと決まっていますから、この間のカラヤンのツィクルスのように「ドルビー・アトモス」まで登場したのでは、あともう少しでこのブームは去ってしまうような気がしてなりません。
そのフォーマットですが、これに関してのデータはボックスの裏側では「24/192」、
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BDのディスプレイでは「24/96」です。
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いったいどちらが正しいのでしょう。
ただ、今回のリミックスと、サラウンドのために4.0から5.0へのミキシングを行ったのは「Polyhymnia」、そう、あのかつてのPHILIPSのエンジニアたちが作ったスタジオです。彼らは同じDGの4チャンネル音源であるラファエル・クーベリックのツィクルスでも、PENTATONEのために同じ仕事を行っていましたね。
そのためなのでしょうか、このバーンスタインの一連の録音は、この前のカラヤンによる録音とは、同じレーベルでありながらまるで異なったサウンドで聴こえてきました。もちろん、オーケストラも録音会場も、そしてエンジニアも違いますから当たり前なのですが、やはり、リマスタリングの際の趣味の違いがもろに現れた結果であることは間違いないはずです。
実は、録音会場に関しては、カラヤン盤でも「9番」の合唱の部分で今回のバーンスタインと同じムジークフェライン・ザールが使われていましたね。その時には、それまでのベルリンのフィルハーモニーでの録音との違いは全く分かりませんでした。
今回も、「1番」から「8番」まではムジークフェライン・ザールでの録音ですが、「9番」だけはウィーンのシュターツオーパーで録音されています。これははっきりその違いが分かります。それまでのものに比べて、オーケストラの音像が小さく感じられ、ホールトーンの中に埋没しているように聴こえます。
バーンスタインの演奏は、カラヤンと比べるとかなり演奏時間が長くなっています。それは、テンポが遅めのこともあるのですが、楽譜の繰り返しをほぼ全部行っているせいでしょう。そのために、このパッケージにはBD-Aのほかに5枚のノーマルCDが入っているのですが、その1枚目のカップリングが「1番」と「3番」になっています。それは仕方がないのですが、当然のことながら全曲が1枚に入っているBD-Aまでもが、その順番にカッティングされているのが、とても不思議。「1番」から聴き始めたら、次にいきなり「3番」が始まったので、びっくりしてしまいましたよ。
バーンスタインのベートーヴェンをきっちり聴いたのは今回が初めてのことでした。この、多少の劣化は認められますが、丁寧なリマスタリングでウィーン・フィルの美しい音色を存分に味わうことのできるアルバムを聴き通すと、今まで抱いていたこの指揮者のイメージを少し修正したくなってきました。そのイメージとは「大げさな身振りによる大時代的な演奏」というものでした。確かに、例えば「3番」の第2楽章などは、本当にこのまま息絶えてしまうのではないかというほどの息苦しさを感じさせられるものでしたが、それ以外ではいともオーソドックスなテンポ設定と過剰過ぎない表情付けに終始しているようでした。
そんな中で、「2番」だけは、なにか憑き物がなくなったかのような、ちょっとぶっ飛んだ表現が見られるのが、面白いところです。あくまで私論ですが、バーンスタインはこれほど有名で多くの指揮者がそれぞれの主張を繰り広げているベートーヴェンの交響曲では、あえて際立った特徴を出すことは避け、最も演奏頻度が低いと思われる「2番」で「勝負」に出ていたのではないでしょうか。この曲の第2楽章の美しさは絶品です。

CD & BD Artwork © Deutsche Grammophone GmbH

by jurassic_oyaji | 2018-12-14 20:54 | オーケストラ | Comments(0)