おやぢの部屋2
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カテゴリ:オーケストラ( 498 )
BEETHOVEN/Piano Concertos 4 & 5
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Nicholas Angelich(Pf)
Laurence Equilbey/
Insula Orchestra
ERATO/0190295634179


かつて、ロランス・エキルベイは、自身が作った「アクサンチュス」という合唱団とのアルバムをたくさんちゅくって(作って)いました。ですから、彼女は合唱しか指揮ができない「合唱指揮者」だとずっと思っていたのですが、2014年に録音したモーツァルトの「レクイエム」では、なんとその2年前に作った自らのオーケストラ、「インスラ・オーケストラ」の指揮をしていましたね。しかも、そのオーケストラはピリオド楽器を使っていたのですから、驚いてしまいました。
ただ、その時はあくまで主役は合唱団でしたから納得は出来ましたが、今回は合唱が全く入らないピアノ協奏曲、しかもベートーヴェンの「4番」と「5番」という王道中の王道のピアノ協奏曲のオーケストラを指揮しているではありませんか。またもやびっくりです。
彼女も先日のミンコフスキ同様、NAÏVEから ERATOに変わってしまったアーティスト、どちらのレーベルの趣味なのかは分かりませんが、このジャケットにあるそのベートーヴェンの肖像画は、なんかとても爽やかな感じですね。これらの協奏曲が作られたのは1805年から1809年にかけてですから、1770年生まれのベートーヴェンは30代後半、実際はこんな感じの若々しさだったのかも知れませんね(ということは、このブックレットに書いてある通り、再来年の2020年は彼の「生誕250年」ということになるのですね。個人的には、オリンピックよりもこちらの方がそそられます)。
このピアノ協奏曲が作られた時期には、交響曲では「4番」、「5番」、「6番」が作られています。まさに彼の作曲家としての黄金期ですね。当然、この2曲のピアノ協奏曲はコンサートもレコーディングもおびただしい数のものが存在していますから、そこで注目を集めるためには何らかのセールスポイント(「奇策」とも言う)が必要になってくるのでしょう。そこで、エキルベイとピアニストのニコラ・アンゲリッシュは、ピリオド・オーケストラとモダン・ピアノを協演させることにしました。ただ、いくらなんでも現代のスタインウェイではあまりにもアンバランスですから、「1892年に作られたプレイエル」というのを持ってきました。これは、ベートーヴェンの時代の「フォルテピアノ(=ピリオド・ピアノ)」とは一線を画した新しい楽器ではありますが、まだまだ鄙びた音色を残していて、ピリオド・オケとの共演もそれほど違和感がないものなのでしょう。何よりも、「この楽器だったら、ベートーヴェンが表現したかったことが完全に伝えられるだろう」という指揮者とピアニストの思惑が、ここには込められているはずです。
確かに、「4番」がピアノ・ソロで始まった時に、そのなんとも軽やかで輝きのある音には、先ほどの「爽やかな」ベートーヴェン象が眼前に広がりました。そこに入ってくるバックの弦楽器も、こちらはもちろんガット弦のソフトな感触でそのピアノを包み込みます。少なくとも、このあたりまでは音色的にはこの19世紀初頭と19世紀末とのコラボは成功しているかのように思えます。
しかし、「5番」になると、ピアノとオーケストラの間になにか相容れない溝のようなものが感じられるようになってきました。音色はソフトでも、ピアノはメカニカルな面では堂々たる押し出しを誇っていて、まさにベートーヴェンの時代を超えた大きな音楽を作ろうとしているのですが、オーケストラがなんともサロン的なまとまりに終始しているのですよ。特に木管パートの主体性のなさといったら、もう歯がゆくなってしまうほどです。例えば第2楽章でフルートがテーマを吹くシーンでは、ピアノに隠れてそのメロディが全然聞こえてきません。エキルベイは、「大ホールでも通用するようなピリオド・オケ」を目指しているのだそうですが、そもそもそのような用途に対応していない楽器を使っているのですからそれは無理なことだとは気が付かないのでしょうか。

CD Artwork © Parlophone Records Limited

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by jurassic_oyaji | 2018-10-16 23:12 | オーケストラ | Comments(0)
MAHLER/Das Lied von der Erde
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Magdalena Kožená(MS)
Stuart Skelton(Ten)
Simon Rattle/
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
BR/900172


マーラーの「大地の歌」の作曲に関しては、たとえば昔のレコード(CD)の曲目解説には「『9番』の呪縛」といった言葉がよく使われていたものでした。マーラーが交響曲を作り続けてきて、それが「9番目」になった時に、彼の脳裏に「作曲家は交響曲を9つ作ると死ぬ」という「呪いの言葉」が浮かんだのだそうです。彼以前の作曲家で、たとえばベートーヴェンは確かに9曲しか作っていませんし、そのあとのドヴォルジャークやブルックナーも、そしてマーラーの時代の数え方ではシューベルトもやはり「9番」が最後の交響曲(ブルックナーの場合は未完)になってしまいました。そこで、この9番目の交響曲に番号を付けると、自分は死んでしまうのだと思い込み、それには番号ではなく「大地の歌」というタイトルを付けました。ところが、その次に出来てしまった「交響曲」は、さすがに番号なしというわけにはいかず、仕方なくそれに「第9番」という番号を付けますが、その後にもう一つ作ろうとした「第10番」はとうとう完成させることはできずに作曲家は亡くなってしまったので、やはりその「呪い」はあったのだと、世の中の人々は納得したのです。
しかし、現在ではこれはほぼ完全に事実誤認だとされています。この話のそもそもの出所は、妻のアルマ・マーラーが書き綴った回想録の1908年、つまり「大地の歌」を作っている時期の記述です。それは、
彼は縁起をかついで、あえてこれを交響曲とは呼ばなかった。それによって運命の手から逃がれようとしたのだった。(石井宏訳)
というものです。ただ、もちろん、マーラーは冗談半分にそんなことを周りの人に語ったことぐらいはあったかもしれませんが、本心はそんな深刻なものではなかったはずです。まあ、この曲は、言ってみれば「歌曲集」と「交響曲」が合体したような作品ですから、単に番号を付ける必要はないと考えただけなのでしょう。ですからこれは、マーラーを悲劇の主人公に祀り上げようというアルマの策略だったのではあるまいか、というのが、最近の学者たちの一致した見解のようですね。
同じように、この曲のテキストとして用いられたハンス・ベートゲの「シナの笛」と、その元になった中国の漢詩との関係も研究が進みます。そもそも、ベートゲは漢詩を直接ドイツ語に訳したわけではありません。最初はかなり主観の入ったフランス語に意訳されたテキストがあって、それがドイツ語に訳されたものを、ベートゲがさらに詩の形に直しているのです。そして、その最初のフランス語訳の段階で、漢詩の中にあった世界観は西洋的な似非オリエンタリズムに変換されてしまったとも言われています。その象徴的な「誤訳」が、第3楽章の「Von der Jugend」の冒頭の

Mitten in dem kleinen Teiche
Steht ein Pavillon aus grünem
Und aus weißem Porzellan.
(小さな池の真ん中に 緑とそして白の陶器による あずまやが立っている)

という部分です。
これの原作とされているのが李白の「宴陶家亭子」なのですが、そこでは「陶」は「陶器」ではなく「陶さん」という人物のことなのだそうなのです。だから、「あずまや」は普通の木造なんでしょうね。でなかったら、その中での宴会なんて、かなり危ないことになってしまいます。
そんな、いかにもあの時代にありがちな「西洋人が見た東洋」として、ラトルがこの曲を演奏しているのかどうかは分かりませんが、それは素晴らしい録音も手伝って、とてつもなく精緻な音楽に仕上がっていました。もう、全ての楽器が彼の意のままにそこにある、といった感じ。そういうマーラーも、たまにはいいものです。
スケルトンのテノールはちょっと一本調子ですが、コジェナーは相変わらずのハイテンションでの歌いっぷり。第4楽章の「Von der Schönhait」の途中の低音で、わざとピッチを外して歌っているのも、鬼気迫るものがあります。ただ、これは半世紀前に録音されたバーンスタイン盤でフィッシャー=ディースカウがやっていたことですけどね。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH

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by jurassic_oyaji | 2018-10-04 20:50 | オーケストラ | Comments(0)
RACHMANINOV/Piano Concerto No.3, SIBELIUS/Symphony No.2
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Gerard Aimontche(Pf)
Roderick Cox/
Chineke! Orchestra
SIGNUM/SIGCD548


こちらでご紹介した、「チネケ!オーケストラ」の第2弾アルバムです。2017年の7月16日にロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで開かれたコンサートのライブ録音、今回はおそらす全プログラムが収録されていて、正味1時間半の2枚組となっています。指揮者は前回とは別の人で、さらにピアノ・ソロが加わります。もちろん、どちらも「黒人」のミュージシャンです。
今回の曲目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番とシベリウスの交響曲第2番という、重量級の名曲です。前回は「フィンランディア」と「新世界」。一応このオーケストラのメンバーは2管編成の14型に決まっているようですから、それで賄える曲を当面は続けていく方針なのでしょう。ただ、それで演奏できるベートーヴェンあたりにはまだ手を出さないのは、やはりコテコテの「クラシック」に対しては確固たる自信がないのかもしれませんね。ここはまずCDではちょっと傍系の民族的な作品で勝負していこうという方針なのでしょうか。
もっとも、彼らの活動記録を見てみると、アンサンブルの形態のコンサートではベートーヴェンの七重奏曲なども取り上げていますし、オーケストラのコンサートでも曲目は分かりませんがベートーヴェンを演奏しているということですから、まあ普通にレパートリーにはなっているのかもしれませんね。
前回も録音はあまり感心しませんでしたが、まずラフマニノフの冒頭のピアノの音色が、なんとも薄っぺらなのにはがっかりしてしまいました。まるでサンプリングしたピアノの音源のように、ニュアンスが乏しいんですね。しかも、その音像が大きく左右に広がった巨大なものになっています。それこそ、右手と左手の打鍵の位置までが分かるほどに、鍵盤が広がっているイメージです。
オーケストラはというと、これもパートごとにきっちり浮かび上がって聴こえてくるのはいいのですが、全体としての響きが全く伝わってきません。メインマイクよりは、楽器ごとのサブマイクの方を重視したミキシングなのでしょうね。ですから、木管楽器のソロなどは、異様にくっきりと聴こえます。もちろん、定位もきっちりしていますが、フルートとオーボエが何メートルも離れているような位置にいるようで、とても不自然です。
演奏は、ピアニストはとても端正で正確この上ないのですが、それがオーケストラとねっとりと絡み合う、という感じにはなっていません。なにか、とても醒めたラフマニノフのような気がします。
シベリウスになると、やはり前回の「新世界」で感じたのと同じような、ちょっとちぐはぐなところがとても気になってしまいます。いや、もしかしたら彼らのDNAの中では北欧の音楽には共感できないような塩基配列が受け継がれているのかもしれません。日本人が演歌が好きなように。ですから、たとえば第2楽章の低弦のピチカートは、まるでスウィング・ジャズのベース・ランニングのように聴こえますし、それに乗って出てくるファゴットのオクターブ・ユニゾンはとても無表情です。
そういう無表情な歌い方は、第3楽章のゆったりとした部分ではさらに顕著になってくるようです。このしっとりとしたメロディ・ラインを、なぜこんなに淡泊に演奏できるのでしょう。
それはそれで、ある意味潔い行き方なのかもしれません。シベリウスの楽譜から彼らが「民族」として感じたことの答えがこれなのですから、尊重には値するものです。ただ、ひたすら西洋人になりきろうと勤勉に励んできた日本人としては、それはいささか安直なやり方のようにも思えてしまいます。
実は、このCDにはシベリウスの第4楽章のトラックナンバーがその楽章の半ば、最初のテーマがまた戻ってくる、スコアでは「K」の部分に付けられているという、プロの仕事とは思えないとんでもない編集ミスがあります。そんなこともあるので、もうこれ以上彼らのアルバムに付き合うことはないでしょう。

CD Artwork © Signum Records

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by jurassic_oyaji | 2018-10-02 23:26 | オーケストラ | Comments(0)
STRAUSS/Schlagobers, DEBUSSY/Jeux, LIGETI/Melodien
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Jonathan Nott/
Orchestre de la Suisse Romande
PENTATONE/PTC 5186 721(hybrid SACD)


かつては現代音楽には定評のあるマニアックな指揮者として知られていたジョナサン・ノットは、今では日本のオーケストラの音楽監督として活躍するなど、ずいぶんイメージが変わってきました。そのノットが、2017年の1月に、なんとあのスイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者になったのですから、これはもう押しも押されもせぬ「大」指揮者になったということになりますね。
ただ、そのスイス・ロマンド管弦楽団は、創設者のエルネスト・アンセルメの元ではとても輝かしい活躍を見せていたものが、彼が引退してしまった後はなにかパッとしないオーケストラになってしまったような印象はぬぐえません。そもそも、1968年に初来日した時には、その生演奏に接した評論家たちは口をそろえてこき下ろしていましたからね。当時はDECCAが録音したおびただしいレコードによって聴くことが出来たアンセルメとこのオーケストラのサウンドはとても評価が高かったものですから、「録音とは全然違う」と怒っていた人もいましたね。
最近では、山田和樹が昨年まで首席客演指揮者を務めていて、日本ツアーやこのPENTATONEレーベルへの録音などもあったので、往年の栄光、というまではいかないまでも、オーケストラの力量は確実にアップしているはずです。
そこに、ノットが指揮をした初アルバムが登場しました。今年の6月に録音されたものがもうSACDになっているのですから、これは異例の早さのリリースです。
そして、その曲目が、なんともノットらしい挑戦的なものでした。リヒャルト・シュトラウス、ドビュッシー、そしてリゲティというラインナップですからね。
しかも、シュトラウスは、「バレエ組曲『ホイップクリーム』」という、とてもレアな選曲です。これは、1922年に完成され、1924年に初演が行われた、シュトラウス自身の脚本によるオペラから8曲を抜粋して1932年に作られた組曲です。そのお話は、お菓子好きの女の子がたくさんのお菓子を食べた後に、夢の中でお菓子たちが踊り出す、という他愛のないものです。チャイコフスキーの「くるみ割り人形」をモデルにして作ったのでしょうね。ただ、そのバレエ自体の公演は失敗に終わったようで、今ではこの組曲だけが細々と生き延びているという状況です。
この時期のシュトラウスは、すでに「ばらの騎士」などを作り終えた円熟の作曲家で、この組曲の中もまさに「シュトラウス節」が満載です。濃厚なオーケストレーションからは、そんな後期ロマン派の残渣がまざまざと感じられます。2曲目の「紅茶の葉の踊り」では、フルートの長いソロがフィーチャーされていますが、それは「ばらの騎士」で登場するテノール歌手のアリアのイントロを思わせるようなゴージャスな(したがって、とても演奏するのは難しい)ソロです。次の「コーヒーの踊り」の真ん中の「夢」の部分では、とても美しいヴァイオリンのソロも披露されます。これだけは単独でも演奏される「ホイップクリームのワルツ」は重量級。
そして、最後の曲では、やはり「ばらの騎士」の第3幕の前奏曲のようなドライブ感あふれるリズムに乗って、それまでの曲の断片が現れます。エンディング近くではバンダが加わって盛り上がるのですが、この録音をサラウンドで聴くと、その4本のトランペットとスネアドラムが後ろから聴こえてくるというサプライズが待っていました。
リゲティの「メロディーエン」は、まさにノットの十八番ですね。そこからは、堅苦しい「現代音楽」の姿は見事に消え去り、このオーケストラが持つ色彩感が存分に楽しめます。
ただ、その2曲の間に入っているドビュッシーの「遊戯」からは、かつての匂いたつような「おフランス」の色彩感は、見事に消えていました。まるでリゲティのような音色のドビュッシー、このオーケストラは、もはやアンセルメ時代の呪縛からは完璧に解放されているようです。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.

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by jurassic_oyaji | 2018-09-29 20:45 | オーケストラ | Comments(0)
SCHUBERT/Symphony 5, BRAHMS/Serenade 2
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John Eliot Gardiner/
Orchestre Révolutionnaire et Romantique
SOLI DEO GLORIA/SDG729


ジョン・エリオット・ガーディナーのプライヴェート・レーベル、「SDG」は、そのジャケットがとてもぶっ飛んでいることで有名です。特に一連のバッハのカンタータ集のあまり美しくないジャケットのように、ジャンルごとに決まったコンセプトがあるようですね。
今回のジャケットは、ただ曲のタイトルの文字だけが入ったという、なんともあっさりとしたものでした。これは、「Live at ○○」というのがキーワードで、そのような由緒あるホールでのコンサートのライブだ、というのがコンセプトなのでしょう。これまでに、ベートーヴェンの交響曲が2枚ほどと、ヘンデルとバッハなどの作品を集めたものが、やはりこんなジャケットでしたね。
今回は「Live at The Concertgebouw」とある通り、アムステルダムの音楽ホール「コンセルトヘボウ」で行われたコンサートであるというのがウリなのでしょうね。ここで演奏されているのは、シューベルトの「交響曲第5番」とブラームスの「セレナード第2番」です。まあ、ブラームスの方は交響曲ツィクルスの補遺という意味はあるでしょうが、シューベルトはまだこのオーケストラとの録音はなかったところから、これが彼のシューベルト・ツィクルスの始まりだ、と思ってしまってもおかしくはない状況にあるのですね。
実際、お馴染みの代理店、キングインターナショナルのサイトではこのように「ガーディナーのシューベルト・チクルスがスタート」という文字が躍っていますからね。でも、おそらくこれも、単発で何枚かは出ることがあるかもしれませんが、結局ベートーヴェンと同じように「チクルス」としてまとまることはないのではないか、と思っているのですが、どうでしょう。
このCDでは、いかにも「ライブ録音」であることを強調するかのように、演奏が始まる前には会場のノイズがかなり派手に入っています。たしかに、それも含めての、この世界最高の音響を誇るホールの響きは、素晴らしいものであることが伝わってきます。
そんな豊かな響きの中で、このオーケストラはとても伸び伸びと演奏しているように聴こえます。フルートなどは最初のシューベルトはかなり不安定なところがあるのですが、それは十分に鄙びた響きとして受け取れる範囲内に収まっています。それよりは、ガーディナーの包み込むような指揮ぶりの中で、プレーヤーたちがしっかり気持ちを一つにして表現を繰り出している様子が、とてもよく伝わってきます。
シューベルトの「5番」は本当に好きでよく聴く曲なのですが、第2楽章の途中で聴こえてくるこういうフルートのフレーズの
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「D♯=Dis」の音が、今まで普通のオーケストラで聴いていた時にはとても「ヘンに」聴こえていたんでぃすね。もちろん、これは「アポジャトゥーラ」ですから、ごく当たり前の緊張感が与えられるものなのでしょうが、何か違和感があったのです。それが、このガーディナーのピリオド・オケで聴いた時には、すんなり収まっていたのですね。いったい何が違っていたのでしょう。
もう1曲は、最近ハマっているブラームスの「セレナード」の中の、まだ生では聴いたことのない「第2番」です。この曲は、弦楽器の中にヴァイオリンが含まれていないという、とても珍しい編成をとっています。ですから、たとえばアマチュアのオーケストラで演奏会の曲目になるということはまずありえません。当然、生で聴く機会も非常に少なくなってしまうはずです。
つまり、オーケストラの花形であるヴァイオリンがいない代わりに、木管楽器がほとんどメインのメロディを演奏することで、サウンドとしてはとてもユニークなものになっているのです。そこで、ヴィオラ以下の弦楽器の役割も、「弦楽器の中の縁の下の力持ち」的なものから、「管楽器に刃向う異端児」といった存在に変わります。この演奏では、真ん中の第3楽章で、その様子がはっきり分かります。

CD Artwork © Monteverdi Productions Ltd

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by jurassic_oyaji | 2018-09-25 22:08 | オーケストラ | Comments(0)
BRAHMS/The Symphonies
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Daniel Barenboim/
Staatskapelle Berlin
DG/483 5251


各方面で活躍しているバレンボイムが、いつの間にか新しいブラームスの交響曲全集を録音していました。実際のセッションは2017年の10月ということですから、1993年のシカゴ交響楽団との録音から、もう24年も経っていたのですね。ついこの間だと思っていたのに、月日の経つのは早いものです。
そのDGのCDは、国内盤では今月の12日にすでに発売になっています。輸入盤も14日発売予定でした。普通はこの全集だとCD2枚か3枚に収まりそうなものですが、ここではそれぞれ1曲ずつの4枚組でした。そうしないと、曲の途中でCDを交換しなければいけなくなるのでしょう。ただ、お値段はCD2枚分相当というのは、良心的?
ところが、そんなCDの発売より前に、なんとNMLでの配信が始まっていましたよ。月に2000円ほど払えば聴き放題というこのストリーミング・サービスでは、こんなメジャーはレーベルまで扱っていたんですね。今までは、かなり前に発売されたものしかなかったような気がしていたのですが、こんな「出来立てほやほや」のアイテムまで聴けるなんて、すごすぎませんか?
そこで、せっかくですので聴いてみることにしました。まず、その演奏時間を見て、確かに4枚組にしたことに納得です。たとえばこの間聴いたヴェンツァーゴの全集だと「3番」と「4番」がまるまる1枚に収まっていたのに、バレンボイムの場合はどのように組み合わせても普通のCDの容量を超えてしまうのですからね。しかも、「1番」と「2番」では第1楽章の提示部の繰り返しを行っていないにもかかわらず、ですから。
つまり、ここでの彼のテンポはかなりゆったりしている、ということになります。確かに「1番」などは、とても遅いテンポでした。しかし、それは別に、いわゆる「巨匠」が重みを付けて遅く演奏するのとはちょっと状況が違っていました。バレンボイムは、それぞれのフレーズを納得のいくまで磨き上げていて、その結果テンポが遅くなっていただけなのです。ですから、そこからは手をかけられたことによってより情報が豊かになった音楽が伝わってきます。というか、これくらい丁寧に歌い上げないことには、本当のブラームスの姿は見えてはこないのだな、と実感できるのですね。
その上で、バレンボイムは、必要とあらばどんどんテンポを動かして、時には荒々しいほど切迫した場面を作ったりもしています。それも、ベースがこの遅いテンポだったからこそ、より際立った効果があげられたのでしょう。もちろん、いわゆる「巨匠」が多用する無意味は「タメ」は、この演奏には全くありません。
それに気が付くと、他の交響曲ではどうなのかが知りたくて、いつの間にか全曲を聴き通していました。時には、そんな予想できない動きについていけないメンバーもいるようで、管楽器と弦楽器が激しくずれていたりもしましたが、それもしっかり「味」となっていますしね。
弦楽器の配置は、ヴァイオリンが左右に分かれて、コントラバスが左手に来るという対向型、「第4番」のフィナーレでのヴァイオリンの掛け合いが楽しめます。殴り合いではありません(それは「対抗型」)。
このオーケストラにはフルートの首席奏者が2人いますが、1、4番と2、3番を吹いている人は別の人だとはっきり分かります。突き抜けるような存在感を示している人が、ソロが多い1番と4番を吹いているのは納得です。4番のソロなどは、わざわざサブマイクの入力を上げていますし。
それと、ティンパニの迫力はすごいですね。録音会場(ピエール・ブーレーズ・ザール)の音響特性も加わって、圧倒されます。
ただ、そんな素晴らしい演奏を楽しみつつも、やはりAACの音には不満が募ります。いや、最初のうちはなかなかやるじゃない、という気もしたのですが、さすがに4曲聴き通すと、その音の雑さ加減は鼻に付いてきます。
とは言え、おそらく、今のCDは店頭から撤去され、しばらくは入手できないでしょうから、これは貴重な音源です。

CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH

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by jurassic_oyaji | 2018-09-15 21:18 | オーケストラ | Comments(0)
TARP/Orchestral Works Vol.1
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Lena Kildahl(Fl), Stanislav Pronin(Vn)
Tobias Ringborg/
Aarhus Symphony Orchestra
DACAPO/6.220668(hybrid SACD)


デンマークの作曲家と言えば、交響曲第4番「消し難きもの」を作ったカール・ニルセンが有名ですが、このSACDはニルセン(1865年生まれ)よりずっとあと、1908年に生まれ、1994年に亡くなったスヴェン・エリク・タープという作曲家のオーケストラ作品を集めたものです。ただでさえ、デンマークの作曲家なんてニルセン以外にはほとんど知られていませんが、このタープさんもそんな一人。なんたって、北欧音楽のバイブルともいえるこの本の巻末にある、編集部が作ったマニアックなリスト「北欧の作曲家200人」にさえ登場していないのですからね。
このデンマークのレーベルDACAPOは、そんなどマイナーな作曲家のオーケストラ作品を、3枚のSACDに録音しました。それは、作曲年代順に構成されているようで、今回の第1集では最も初期の1932年から1942年までの間に作られたものが収められています。
このレーベルのエンジニア、プレヴェン・イワンによるサウンドには、だいぶ前から注目していたのですが、久しぶりに彼の音を聴いてみたくなって、そんな「初物」に挑戦してみました。とっかかりとして、「フルート協奏曲」もありますし。
あのショスタコーヴィチが生まれたのが1906年ですから、ほぼ同じ世代、その頃の音楽界の主流は「新古典主義」でした。19世紀の「ロマン主義」からは距離を置いて、あくまで古典的なストラクチャーを基本にしつつも、表現的には多くの転調を繰り返してスタイリッシュでクールな音楽をめざす動きです(ちょっと乱暴な言い方?)。
タープの音楽も、そんなところからスタートしたのでしょう。ただ、彼の場合はそこに「北欧」のテイストが加わります。このアルバムの最後に収録されている1933年に作られた「古いデンマーク民謡による組曲」では、タイトルの通り、民族的な素材が用いられています。ただ、それはいかにも郷愁を誘うかに見せて、その実結構複雑なリズムなどが用いられていて独特の魅力を放っています。
彼は舞台音楽でもオペラを2つ、バレエを2つ残しています。そのうちの一つ、1942年に作られたバレエ「王位を奪われた調教師」のための音楽がここでは紹介されています。そのお話は、調教師が団長として君臨しているサーカスが町にやって来て、その暴君たる調教師は、軽業師の恋人である美しいダンサーに、「おれの女になれ」とパワハラをもって言い寄るのですが、それを知った団員と、そして動物たちは団結して調教師に立ち向かい、サーカスには平和が訪れる、というあらすじなのだそうです。
これに付けられた9つの音楽は、それぞれにキャラが立っていて、そのシーンが目の前に迫ってくるような的確な描写が施されています。ライオンは、ものものしいオスティナートで不気味さを演出していますし、ダンサーはフルートがかわいらしいワルツを奏でます。道化師はスウィング調のおどけた感じ、鞭を振り回す調教師の暴君ぶりも良くできています。最後のフィナーレには、それらのモティーフが改めて登場するという、まるで「動物の謝肉祭」のような展開です。
フルート協奏曲は、ここで演奏しているオーフス交響楽団の首席奏者、レナ・キルダールがソロを担当、バロックを思わせるポリフォニックな第1楽章と第3楽章ではあくまで軽やかに、ゆったりした第2楽章では、うっとりするようなメロディを淡々と歌い上げています。
ヴァイオリン協奏曲も同じような曲調と構成、ここでのカデンツァは、作曲家でもあるこのオーケストラのコンサートマスター、スタニスラフ・プローニンの自作です。
もう1曲、2曲作られた「コメディのための序曲」のうちの「第1番」が演奏されていますが、これもイケイケの軽やかな音楽が、抒情的で穏やかな部分を挟むという、協奏曲と同じような構成の佳曲です。
録音は期待通りの素晴らしさでした。特に張りのある金管と繊細な弦楽器がリアルに迫ります。もちろん、サラウンドで長崎風に(それは「皿うどん」)。

SACD Artwork © Dacapo Records

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by jurassic_oyaji | 2018-09-04 23:08 | オーケストラ | Comments(0)
MENDELSSOHN/Symphony No.2"Lobgesang"
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Anna Lucia Richter(SopI), Esther Dierkes(SopII)
Robin Tritscheler(Ten)
Andrew Manze/
NDR Chor, WDR Rundfunkchor
NDR Radiophilharmonie
PENTATONE/PTC 5186 639(hybrid SACD)


メンデルスゾーンの「交響曲第2番(賛歌)」は、まるでベートーヴェンの「交響曲第9番」のような形を取っていますね。堂々とした第1楽章、軽快な第2楽章、しっとりとした第3楽章に続いて、最後の楽章には合唱と独唱が入るのですからね。
でも、外見は似ていても、ベートーヴェンとメンデルスゾーンがそれぞれの作品で目指したものはかなり違っていたはずです。ベートーヴェンはあくまで「交響曲」の進化した形を作ろうとしたのでしょうが、メンデルスゾーンの場合は交響曲の最後の楽章の代わりに「カンタータ」をはめ込んだということですからね。そもそも、2009年に発表されたラルフ・ヴェーナーの作品目録(MWV)によれば、この曲はもはや「交響曲」ではなく「大編成宗教的声楽作品」としてカテゴライズされているのですからね。
実際、楽譜では「交響曲」としての最初の3つの「楽章」の部分はひとまとめで「Sinfonia」となっていて、その後に「No.2」から「No.10」まで、それぞれ編成の異なる曲に番号が付けられています。これは、最初に「シンフォニア」があって、その後にレシタティーヴォやアリア、重唱、さらには合唱のための曲が続くという、「カンタータ」の構成とまったく同じものですよね。つまりここで言う「Sinfonia」は、文字通り「序曲」にあたるものなのですよ。
それは、3つの部分から出来ている、かなり長~い「序曲」だったのでした。しかも、最初の部分の最後にはクラリネットのカデンツァがあって、休みなく次の部分につながるようになっていますし、最後の部分との間も、ほとんど休みなしに演奏するようになっていますから、これ全体は完全に一つの曲と受け取ることができます。
そうなると、この曲はますます「交響曲」とは呼びづらくなってしまいますね。このSACDのライナーノーツには、だから、「Eine Sinfonie-Kantate」というタイトルが付けられているのです。
マンゼは、2016年から始めたメンデルスゾーンの「交響曲」の録音を締めくくる形で、2017年の6月にこの曲を録音しました。このツィクルスの流れでは、指揮者とオーケストラとの関係はどんどん良くなっていくように感じられていましたが、ここに来てそれは完璧な親密さを見せるようになったのではないでしょうか。
それは、決して自分のやり方をオーケストラに強いるものではなく、あくまで自発的に求める表現が出てくることを辛抱強く待っている、という姿勢のような気がします。
今回は、そこにさらに合唱が加わりました。それは、このオーケストラの所属するNDR(北ドイツ放送)の合唱団だけではなく、WDR(西ドイル放送)の合唱団も一緒になった、総勢60人を超える大合唱です。その合唱は、もちろんプロフェッショナルなメンバーの集まりで、よく訓練されていますが、マンゼはそこからとても自然で暖かい音楽を引き出しています。オーケストラの中の合唱というと、とかく張り切りすぎて細かい表情がおろそかになりがちなのですが、ここではそういうことは全くありません。ア・カペラのコラールはあくまでソフトに迫り、そしてトゥッティのオーケストラとの演奏ではきっちりとコントロールされたフォルテシモを提供してくれているのです。
ソリストたちも、かなりの節度を持って演奏に向き合っているようです。これもアリアなどはオペラティックに歌いたくなるような面もあるのでしょうが、あえてそれは避けて、真摯に歌うことを心掛けているのでしょう。その結果、最も出番の多いテノールには少し物足りなさを感じてしまいますが、ソプラノ1の可憐さは光ります。さらにほんの少ししか出番のないソプラノ2が、とても深みのある声で魅力的です。
このオーケストラとの録音は、NDRのスタッフが行っているようですね。派手さはないものの、バランスの良い録音です。ただ、合唱が入ったトゥッティでわずかに歪むところがあるのは、ライブならではの疵なのでしょうか。ほとんど気づかないかもしれませんが。

SACD Artwork © PENTATONE Music B.V.

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by jurassic_oyaji | 2018-09-01 21:55 | オーケストラ | Comments(0)
BRAHMS/Symphonies 1-4, Serenades 1&2
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Mario Venzago/
Tapiola Sinfonietta
SONY/19075853112


なにかと話題の多いスイスの中堅指揮者マリオ・ヴェンツァーゴです。このページでもブルックナーシューベルトを聴いていますし、中にはシャロン・ベザリーの伴奏などという渋いアイテムもありましたね。それぞれ全く別のオーケストラと別のレーベルというのも、彼の幅広い活躍ぶりが反映されています。ブルックナーでは、5つのオーケストラを使ってのツィクルスでしたからね。
そして、今回はそのブルックナーでも起用されていたフィンランドの室内オケ、タピオラ・シンフォニエッタとともにブラームスのツィクルスです。杏仁豆腐にも入ってますね(それは「タピオカ」)。2015年から2017年にかけて4つの交響曲と、それに、2つのセレナードが録音され、それが3枚組のCDとなっています。
このCDのパッケージは、ジャケットにデザインされているのが「計算尺」の目盛りという、意味不明のものです。おそらく、このデザインを考えた人はブックレットに掲載されているブラームスとその周辺の作曲家の生涯や作品を時間軸で並べたリストとの連携を考えていたのでしょう。この中には、そのリストの一部分もそんな「目盛り」の中に散在させていました。ただ、そこでは年号などが本文とは異なったものになっているのが、非常に目障りです。単なるコピペなのにこんなお粗末な間違いを犯し、それを誰も直さなかったというあたりには、かなり杜撰な制作の姿勢が垣間見られてしまいます。物を作る時のこういう細かさは、けっこう大事ですよ。
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一応、そのリストによって、「セレナード」と「交響曲」がブラームスの生涯のどのようなポイントに作られていたのかが分かります。1833年に生まれたブラームスが1860年に完成させたのが、2つのセレナードなんですね。作曲家はまだ20代でした。正確には、「1番」はそれ以前に室内楽の編成で作られていましたが、それをオーケストラ用に編曲したのが、この年になります。
そして、40歳を過ぎた1876年に、初めて交響曲が作られるころになります。
演奏しているタピオラ・シンフォニエッタは、弦楽器が9.7.6.4.3.という、フル・オーケストラの半分の編成です。ブックレットにある彼自身の言葉によると、ブラームス自身が指揮をしたオーケストラのサイズから、この編成を選んだようですね。そして、そこから現在普通の人が抱いているブラームスの交響曲のイメージを一新する、というのが彼の目論見のようなのです。
確かに、モーツァルトやベートーヴェンでは、最近の演奏スタイルの主流はかつての重厚なものからは大幅に変わっています。しかし、それはあくまであまりにロマンティックになり過ぎた演奏を、本来の古典の形に戻しただけのことなので、それをそのままブラームスに当てはめるのは無理があるような気がします。なんたって、さっきのリストで分かるように、彼の生前にはあのマーラーがすでに活躍していたのですからね。
ですから、ここでかなり少なめの弦楽器で、極力あっさり目を目指して演奏しているヴェンツァーゴの演奏からは、壮年期のブラームスの姿は全く浮かんできません。「人数が多くなければできない音楽がある」と言っていた指揮者がいますが、ブラームスの場合はその典型、ここで演奏されている交響曲のどの瞬間も、「もっと弦楽器がたっぷりの響きで聴きたい」と思ってしまいます。「第4番」の冒頭など、もう爆笑もののしょぼさですからね。
それに対して、セレナードは、等身大の若いブラームスが感じられて、とても楽しめました。そんな中でも、「1番」の第4楽章スケルツォのトリオで見せるヴァイオリン・ソロのように、ちょっと油断のできない表現が聴かれるところも満載です。「2番」にはそもそもヴァイオリンが必要とされていませんから、編成的にも何の引け目もありませんし。
ですから、この「ブラームスの交響曲全集」は、おまけの「セレナード全集」があったから、かろうじて面目を保つことが出来たようなものなのです。

CD Artwork © Sony Music Entertainment Switzerland GmbH

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by jurassic_oyaji | 2018-08-17 08:47 | オーケストラ | Comments(0)
Sinfonieorchester Wuppertal LIVE Vol.2
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Julia Jones/
Sinfonieorchester Wuppertal
HD-KLASSIK/3D-801801(hybrid SACD)


「幻想」の新録音(今年の3月)をまともな「バイノーラル録音」で体験できるアルバムです。それ以上の体験は「バイアグラ」で。
いや、そういう録音自体は、こちらの音源ですでに体験していたのですが、それはもうお粗末極まりないものでした。この録音には人間の頭を模したマイクが使われていますが、そこではそのマイクを客席の中に置いてしまったものですから、音の広がりはほとんど感じられない、ほとんどモノラルのような音場になってしまっていたのです。さらに、そこで使われていたマイクもかなりいい加減なものでしたから、音質は最悪でした。
ということで、もう「バイノーラル録音」に関わることはないだろうと思っていたのですが、このSACDの案内を見ていたら、かなり真剣に追及されているような気迫が伝わってきたので、怖いもの見たさで聴いてみることにしました。なんたって、ただの「バイノーラル」ではなく「3D バイノーラル」ですからね。
このSACDでは、最初に「トレーラー」というのが入っています。「予告編」ですよね。そこでは女性の声でこの録音が目指すものについて語られた後、デモンストレーションが始まります。その人の声が、頭のまわりを回り始めるのですね。そして、「私の声との距離が1メートルになるように調節してください」みたいなことをしゃべっています。そう、確かにその声は、右も左も、そのぐらいの距離を隔てて聴こえてきます。あいにく、前後ではその距離感はいまいちはっきりしないので、これをもって「3D」というのはちょっと無理があるような気はしますが、左右では普通にヘッドフォンで聴く時の音場とは明らかに異なる、幅広いスケール感が体感できます。
まずは、ワーグナーの「タンホイザー」の「序曲」と「ヴェヌスベルクの音楽」です。最初の木管とホルンによるコラールは、とても澄み切った音で、眼前にほぼ原寸大に広がっています。おそらく、マイクは指揮者の頭の上あたりにセットされているのではないでしょうか。そして、チェロによるテーマと、それに寄り添うヴィオラが現れるのですが、その距離感や位置関係もはっきり分かります。さらに、そこにヴァイオリンが入ってきた瞬間、まるで幕が開いたようにステージそのものが「原寸大」で迫ってきたのです。これは、ちょっとすごいことなのではないでしょうか。スピーカーによる再生では、サラウンドでもその音場はあくまでスピーカーで囲まれた空間の中でしか体験できないのに、ここではそれ以上の幅広さが感じられるのですからね。
そして後半の「ヴェヌスベルク」になると、多くの打楽器が横一列になって華々しく踊り出す様子が眼前に広がります。
そのような楽器の定位だけではなく、それぞれの音がとても明瞭に聴こえてくるのも素晴らしいところです。「マイクは2本しか使わず、いかなるフィルターやエフェクターも用いられてはいない」と明言しているので、もちろんサブ・マイクなども使われていないのでしょう。それでこれだけの細部までが完璧にとらえられているのですから、すごいものです。
「幻想」でも、そのクオリティは変わりません。ピッコロなどはとかく他の楽器に埋もれて聴こえないものですが、ここではオーケストラがどんな大音量になってもくっきりと聴こえてきます。最後の楽章の「コル・レーニョ」(最近の楽譜では、「frappez avec le bois de l'archet」と具体的に指示されています)で、ヴァイオリンとヴィオラが弓の木の部分で弦を叩くというところは、もう目の前のそこら中から気持ち悪い音が聴こえて背筋が凍りつくようです。
そして、ライブ録音ですから最後には拍手が入っています。それも、見事にホール全体の広さが感じられるぐらいの広がりが再現されていました。
ここで演奏しているウッパータール交響楽団は、かつて上岡敏之が首席指揮者だったオーケストラですね。こんな過酷な録音に耐えうるだけの腕を持った、素晴らしいオーケストラです。

SACD Artwork © Cybele Records GmbH

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by jurassic_oyaji | 2018-08-11 22:09 | オーケストラ | Comments(0)