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おやぢの部屋2
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カテゴリ:オーケストラ( 528 )
PROKOFIEV/Alexander Nevsky, Lieutenant Kijé
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Betty Allen(MS)
The Mendelssohn Club of Philadelphia(by Robert Page)
Eugene Ormandy
The Philadelphia Orchestra
DUTTON/CDLX 7362(hybrid SACD)



オーマンディが残した「4チャンネル」録音の復刻盤です。この指揮者の名前を見て、最初はCOLUMBIAでの録音だと思ってしまいましたが、実際はRCAのものでしたね。そう、確かにオーマンディとフィラデルフィア管弦楽団という黄金コンビは、「4チャンネル」の時代にはすでにRCAに移籍していたのでした。
このコンビはその前のストコフスキーの後任としてオーマンディが就任した1938年から、辞任する1980年まで42年間も続きました。就任当時からRCAに録音を行っていましたが、1944年にCOLUMBIAに移籍、さらに1968年に再度RCAに戻るという経緯をたどっています。
以前も書いたことがありますが、個人的にはずっとCOLUMBIA時代のクリアな録音になじんでいましたから、RCAに変わった時には、そのちょっとぼやけたサウンドには戸惑った記憶があります。
しかし、今回の、オリジナルは「4チャンネル」のLPとしてリリースされていた、1974年に録音された、プロコフィエフの「アレクサンドル・ネフスキー」を聴いてみたら、そのあまりのクリアさに驚いてしまいましたよ。実際の彼らのRCA時代の録音は、こんなに華やかなサウンドで録音されていたのですね。
オーマンディといえば、オールマイティに録音は行っていても、「新しい」音楽に対してはそれほど積極的ではなかったような印象がありますが、実際には、彼自身が初めてアメリカで紹介した同時代の作品はかなりあったようですね。
この「アレクサンドル・ネフスキー」もそんな作品でした。そもそもは1938年に、あのエイゼンシュタインの映画のサウンドトラックとして作られていたものを、カンタータという形に作り直して、それが1939年にモスクワで初演されています。それを、1945年にアメリカで最初にコンサートで演奏したのが、オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団だったのです(放送初演は、その2年前にストコフスキー指揮のNBC交響楽団によって行われています)。そして、同じ年にCOLUMBIAで世界初録音を行っているのです。
それを、RCAで再録音したものが、1974年のLPです。これはもちろん、普通のLPと「4チャンネル」のLPが同時にリリースされたのですが、それがCD化されたのはなんと2003年のことでした。しかも、それは日本の当時のRCAの窓口だったBMGファンハウスによって、世界で初めて行われていたのです。この時代のオーマンディの録音が、それまではほとんど忘れ去られていたのですね。
そして、今回はさらにそのサラウンド版を聴くことができるようになりました。これは、前回のレヴァインのマーラーのように、リスナーはしっかりオーケストラが演奏しているど真ん中、木管楽器と弦楽器の間あたりに指揮者に向かって座って聴いているような感じで、それぞれの楽器を聴くことができるようになっています。ですから、弦楽器はフロントに広がっていますし、管楽器はリアから聴こえてきます。ただ、ティンパニやバスドラムなどは、弦楽器の向こうから聴こえてきますが、グロッケンなどは後ろから聴こえる、というように、前と後ろに分かれているようです。さらに、ここでは合唱が入っていますが、それも当然後ろの方から聴こえてきます。ソリストは、しっかり前の中央ですね。
オーケストラの華やかなサウンドも聴きどころ満載ですが、メゾソプラノのアレンがロシア語で歌うアリアが、言葉のディクションも素晴らしく、圧倒されます。そして、オーマンディの右腕の合唱指揮者ロバート・ペイジが率いる合唱団も、とても厚ぼったい響きで花を添えています。
カップリングは、同じ年に録音されたやはりプロコフィエフの映画音楽が元になった「キージェ中尉」です。これは「4チャンネル」ではリリースされてはいませんでしたが、例によってこのSACDのリマスタリングを行ったマイケル・ダットンによって、オリジナルのマルチトラックのテープからサラウンド・マスターが作られていて、「ネフスキー」と同じ音場で楽しむことができます。

SACD Artwork © Vocalion Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-05-11 21:32 | オーケストラ | Comments(0)
MAHLER/Symphonies Nos.1 & 4, BRAHMS/Symphony No.1
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Judith Blegen(Sop)
James Levine/
Chicago Symphony Orchestra
London Symphony Orchestra
DUTTON/2CDLX 7344(hybrid SACD)


ジェイムズ・レヴァインは、1974年から1980年にかけてRCAでマーラーの交響曲を録音しました。彼は、シカゴ交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、そしてロンドン交響楽団の3つのオーケストラを使って、全集の完成を目指したのでしょうが、結局「2番」と「8番」は録音できませんでした。そのうちの「2番」は、1989年の2月にイスラエル・フィル、同じ年の8月にウィーン・フィルとのライブを録音したものがリリースされましたが、「8番」に関しては今のところ世に出ているものはないようです。
そのRCAのセッション録音の最初に選ばれた曲が、シカゴ交響楽団との「4番」でした。それは1974年7月の22日と23日に、「4チャンネル」でのリリースを想定してシカゴのメディナ・テンプルで録音されていました。さらに翌月の24日と25日には、ロンドンのウォルサムストウ・タウン・ホールで、やはり「4チャンネル」でロンドン交響楽団と「1番」が録音されました。そして、この2曲を収めた3枚組のアルバムが、1975年にリリースされたのです。そのジャケットの現物がこちらです。
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そして、それをサラウンドSACDで現代によみがえらせたのが、今回のアイテムです。ジャケットはこのLPのものをそのまま使っていますね。そこで目を引くのが、下半分に描かれた2種類の同心円のデザインです。これは、よく見ると。
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このように、オーケストラの楽器の配置が記されています。真ん中にいるのは指揮者、その周りをオーケストラが囲む形ですね。それが実際に、左側(上)は「1番」、右側(下)は「4番」の録音の時にとられた配置になっているのです。
そういえば、以前これと同じような感じのSACDを聴いたことがありましたね。こちらの、ブーレーズの「オケコン」です。それは、RCAとは商売敵だったCOLUMBIAのサラウンドLPで、やはり同じように指揮者の周りにオーケストラが配置されているというものでしたね。それが録音されたのが1972年ですから、これはもろRCAがCOLUMBIAをパクったと思ってしまいますね。
しかし、録音スタッフの名前を見ると、そのあたりの事情が明らかになります。この「4番」の録音でのプロデューサーは、そのブーレーズの「オケコン」と同じトーマス・Z・シェパードなんですよ。1936年生まれのシェパードは1960年にCOLUMBIAに入社、多くのクラシック・アルバムなどを制作します。そして、1974年に、RCAに副社長待遇として「転職」するのです。その頃は「4チャンネル」の全盛期、彼は以前の職場でのブーレーズと同じことを、このレヴァインとの録音の場合でも行ったのです。
先ほどの「同心円」を見ていただくと、右(下)の「4番」の方が、シェパードが手掛けたものです。これは、ブーレーズの時と同じように弦楽器と管楽器が指揮者を介して対面するという配置になってはいますが、その軸が少し右に傾いていますね。そのあたりで、ブーレーズとの差別化を主張したかったのでしょう。
ところが、次に録音された「1番」では、チャールズ・ゲルハルトがプロデュースを行っていました。そこでは、そのオーケストラの配置は、基本的にステージでの並び方と同じものになっていますね。
レヴァインのマーラーで、「4チャンネル」のマスターが残っているのは、この2曲だけで、それ以降は普通のステレオになってしまいます。ここでのボーナストラックの、ブラームスの「1番」は1975年に録音されたので「4チャンネル」のマスターは存在していません。ただ、マスターテープはマルチチャンネルで録音されているので、それを元にこのSACDではマイケル・ダットンが独自のサラウンド・ミックスを行っています。それは、フロントは弦楽器、リアは管楽器という明快なものでした。
いずれの曲も、若き日のレヴァインならではの胸のすくような颯爽たる演奏でした。しかし、ロンドンの録音はとても瑞々しいのに、シカゴでの録音はかなり劣化が進んでいるようでした。

SACD Artwork © Vocalion Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-05-09 22:32 | オーケストラ | Comments(0)
MAHLER/Titan, Symphonic poem in symphonic form(Weimar version, 1893)
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Zsolt Hamar/
Pannon Philharmonic Orchesra
HUNGAROTON/HCD 30338



前回の「おやぢ」に続いて、マーラーの「巨人」がらみのCDです。
この作品については、3種類の稿が存在していることが知られています。「第1稿」は1889年にブダペストで初演された時の形。これは、2部、5つの楽章から出来ている「交響詩」で、タイトルは付いていませんでした。
次の「第2稿」は、1893年にハンブルク、そして1894年にヴァイマールで演奏された時に改訂されたもので、楽章の数は変わりませんが第1部と第2部、そしてそれぞれの楽章にタイトルが付けられ、さらに作品全体も「巨人」と呼ばれるようになっています。
そして「第3稿」は、1896年にベルリンで演奏された時に改訂されたもので、そこでは全てのタイトルが削除され、さらに第2楽章もカットされています。つまり、曲全体も単に「交響曲ニ長調」と呼ばれることになりました。これが、さらに「交響曲第1番」と改名されて出版されるのです。現在では、さらに細部で校訂が行われ、最終的には1992年に刊行されたマーラー協会の「新全集版」が最も新しい楽譜になっています。
このように、マーラー協会の全集は、常にアップデートされて「最新」の情報が盛られたものに置き換わるというポリシーが貫かれているようですね。
確かに、作曲家としては最後に残ったものを「決定稿」としたいという気持ちはあるのでしょうが、後世のリスナーにとっては、やはりそこにたどり着くまでのすべての過程を見てみたいという気持ちもあるでしょうし、結果的にはそこまで示されたときに初めて、その作曲家の全体像が明らかになるはずですから、そのような創作の全過程を明らかにするのは必要なことなのです。
ですから、マーラー協会も、この「交響曲第1番」の初期の形態の楽譜も出版しようとしたのでしょう。ただ、「第1稿」は、現在では自筆稿が失われてしまっているので、「第2稿」でその作業に着手し、2014年ごろにその校訂作業がほぼ終わった時点で、ヘンゲルブロックと北ドイツ放送交響楽団(現在のNDRエルプ・フィル)によって録音され、その全容が明らかになりました。
実は、マーラー協会がそのような作業に取り掛かるはるか前から、その「第2稿」の現物である1893年のハンブルクでの演奏で使われた自筆稿のファクシミリをそのままコピーした楽譜がTHEODORE PRESSERから出版されていて、それに基づく録音も何種類か出ていました。
ところが、マーラー協会が作った楽譜は、その自筆稿とは、多くの部分で異なっていました。そもそも編成も大きくなっていますし、聴いただけではっきり違いがわかる個所がたくさんありました。それは、ハンブルクでの演奏に際して手直しをした部分や、さらに翌年のヴァイマールでの演奏に向けて改訂を行った部分などが含まれた、別の楽譜をもとにしていたのです。ですから、その出版譜では「ハンブルク/ヴァイマール稿(1893-94)」という呼び方がされていました。つまり、現時点では「第2稿」には「ハンブルク稿」(THEODORE PRESSER)と「ハンブルク/ヴァイマール稿」(UNIVERSAL)という、全く異なる2種類の楽譜が存在しているのです。
さあ、そこで今回のCDです。これは新譜ではなく、2004年に録音されたものです。そもそもタイトルに「Weimar version, 1893」という表記があることからして怪しげなCDなのですが、これが発売された当時の代理店のインフォでは、その「ヴァイマール稿」というのを真に受けて「同じ第2稿とはいっても"ハンブルク・ヴァージョン"とは異なるらしいので、マーラー好きには見逃せないアルバムの登場といえるでしょう」などというコメントが載っていました。
実際に聴いてみると、これは「ハンブルク・ヴァージョン」そのものでした。つまり、現代のリスナーは、「ヴァイマール稿」がどんなものなのか知っているので、そういうことが即座にわかるのですよ。
このCDはすでに廃盤になっているので、騙されて買う人がいないのが救いです。そもそも、この演奏はなんとも気の抜けた、魅力に乏しいものでしたし。

CD Artwork © Hungaroton Records Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-04-26 21:04 | オーケストラ | Comments(0)
MAHLER/Titan Eine Tondichtung in Symphonieform
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François-Xavier Roth/
Les Siècles
HARMONIA MUNDI/HMM 905299



ロトとレ・シエクルの最新アルバムは、なんとマーラーでした。これまでの彼らのレパートリーは、まずはフランス物でしたから、ほとんどフランス音楽のピリオド演奏に命を懸けている団体だと思っていたところに、いきなりドイツ音楽の登場です。
ということで、彼らが使っている楽器をチェックしてみると、確かに管楽器からは、かつてのフランスのメーカーのものは一掃され、ドイツ系と思われるもので占められていましたね。オーボエあたりはどうやらウィンナ・オーボエのようですね。なんたって、マーラーはウィーンで活躍したのですからね。もちろん、以前は「バソン」だけだったファゴットパートは、見事に「ヘッケル」に入れ替わっていましたよ。ウィーンと言えばモーツァルトですからね(それは「ケッヘル」)。いやあ、よくこれだけの楽器を集めたものだと、それだけで驚いてしまいます。
そして、そのマーラーの曲が、「交響曲形式による音詩『巨人』」です。これは、今ではよく「交響曲第1番『巨人』」というへんてこな名前で呼ばれている作品の元の形であることは、ご存知でしょう。マーラーが1889年にブダペストで初演したこの作品は、2つの部分、5つの楽章から出来ている「交響詩」で、タイトルはついていませんでした。それを、改訂して、1893年にハンブルクで演奏されたものが、さっきのようなタイトルが付いた作品でした。これには、さらに改訂が施され、1894年にヴァイマールでも演奏されます。
そして、この中から第2楽章の「花の章」がカットされ、さらに改訂が施され、「巨人」というタイトルも外されたものが、現在普通に演奏されている「交響曲第1番」ということになるのですね。
ハンブルクのコンサートのために使われた自筆稿は、現在はイェール大学に保存されていますが、それはこちらで見ることが出来ます。そして、それはその自筆稿のコピーという形で世の中に出回っており、その形で録音されたものが何種類もリリースされています。たとえばこちらのデ・フリエントのSACDなどです。
それが、最近になってマーラー全集の一環として、UNIVERSALからクリティカル・エディションが刊行されました。実は、実際にそれが出版される前に、その楽譜を使って録音されたものがあり、それがこちらのヘンゲルブロックのCDとして2014年にリリースされていました。その時には、その楽譜は「ハンブルク稿/1893年」と呼ばれていました。その演奏は、当然現行の「交響曲第1番」とは大きく異なってはいましたが、先ほどの自筆稿とも微妙に異なった部分も見つかりました。
実際にUNIVERSALからその「ハンブルク稿」が刊行されたのは、2018年になってからです。それはこちらで入手できます。さらに、そのサイトではその楽譜の現物も途中までですが見ることが出来ます。そこには、
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という文字がありました。
つまり、ここでマーラー協会が採用した資料は、「ハンブルク稿」そのものではなく、翌年のヴァイマールでのコンサートで使われたであろう、いわば「ヴァイマール稿」だったのです。これは、楽器編成も3管から4管に増えていますし、聴いてはっきりわかる違い(例えば第3楽章の冒頭のティンパニの有無)も数知れずです。
今回のロトのCDでは、この出版譜が使われました。実際、今回のジャケットにも「HAMBURG/WEIMAR 1893-94 VERSION」という表記が見られます。「ハンブルク/ヴァイマール稿」ですね。そして、出てきた音は、「ハンブルク稿/1893年」とされていたヘンゲルブロック盤と全く同じだったのです。ですから、そのSONY盤の表記は明らかに不正確です。
おそらく、「ハンブルク/ヴァイマール稿」としては2番目の録音となる今回の演奏は、ピリオド楽器ということもあって、とてもユニークな響きが聴こえました。フルートなどは全く聴こえないこともあります。それが「ドイツの楽器」なのでしょう。表現も、かなり極端。正直好きにはなれませんが、「レコード芸術」あたりでは絶賛されるのでしょうね。

CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s.

by jurassic_oyaji | 2019-04-24 23:09 | オーケストラ | Comments(0)
Lucerne Festival in Summer 2018
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Riccardo Chailly/
Lucerne Festival Orchestra
ACCENTUS MUSIC/ACC10451BD(BD)


昨年夏のルツェルン音楽祭での祝祭管弦楽団のライブ映像が、早々とリリースされました。「ルツェルン音楽祭」というと、仙台在住のものとしては「ルツェルン・フェスティバル・アーク・ノヴァ・松島2013」という苦々しいイベントの記憶が今でもよみがえってきます。
東日本大震災の復興支援としてのイベントだったのでしょうが、肝心のアバドが病に倒れたため、このオーケストラの来日はキャンセルされてしまい、当初の計画は見る影もない、なんともショボいものになってしまっていましたね。
そのアバドも、結局その翌年に他界してしまい、このオーケストラの指揮者も何人かが登場していましたが、最終的に今のシャイーに固定されたようですね。
その、8月23日と24日のコンサートを編集したものが、このBDです。映像では、各パートにどこかで見たようなメンバーがたくさんいましたね。ただ、フルートの1番はジャック・ゾーン、この人のラヴェルはちょっと聴きたくないような気もします。
音声はもちろん5.1サラウンド。会場のルツェルン・カルチャー・コングレスセンター・コンサートホールを埋め尽くした聴衆の息遣いまで感じられるような気がします。もちろん、ホールは満席です。このホール、5階席まであってかなりお客さんが入りそうですが、実際の座席数は1840なんですって。意外とコンパクトなんですね。ここの豊かな残響は、そんな「狭さ」のおかげなのでしょう。
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曲目は、なんと全てラヴェルの作品です。1曲目は、「高雅で感傷的なワルツ」。とてもメリハリのきいた演奏ですし、ラヴェルのオーケストレーションが透けて見えるような精緻な録音なので、とてもくっきりとしたイメージが伝わってきます。そこからは、フランス音楽のエスプリのようなものは全然感じることはできませんが、グローバルに受け入れられそうな魅力は満載です。
そして、このあとシャイーは驚くようなことをやってくれました。この曲が終わっても指揮棒を下ろすことはせず、そのまま次の「ラ・ヴァルス」を始めたのです。同じ「ワルツ」を素材にした曲でも、この2つの作品はかなりテイストが異なっています。それをあえてあたかも1つの作品であるかのように続けて演奏するというのは、どのような意味を持っていたのでしょうか。確かに、このことによってそれぞれの違いと、そして共通する部分がはっきりと浮き出てきたことは間違いありません。そして、それはそのままそれぞれの曲の魅力をさらに高めることにつながっていたのだ、と思いたいものです。
そして、その次のプログラムも、「ダフニスとクロエ」の「第1組曲」と「第2組曲」を続けて演奏する、という方法をとっていました。ご存知のように「第1」は前半の抜粋、そして「第2」は後半の全曲ですから、この2つの組曲を続けて演奏しても決して全曲にはならないのですが、音楽的に必要な部分は網羅されていますからこれはこれで完結された演奏となるのでしょう。
この曲の中では打楽器で、「ジュ・ドゥ・タンブル」という指定のパートがあります。これは、「鍵盤グロッケンシュピール」のことですが、ここでは普通の「鉄琴」が使われていましたね。
そして、最後に演奏されたのが「ボレロ」です。管楽器のソリストたちが次々に名人芸を聴かせてくれるという曲ですから、このオーケストラにとっては聴かせどころが満載です。どの楽器も、しっかりと自分を主張した演奏を聴かせてくれていました。ですから、そんな中ではエキストラのソプラノ・サックス奏者などは、あまりに平凡すぎて、逆に目立っていましたね。ここでは、映像でもそれぞれの奏者が終わるときにフォーカス・アウトするという臭い演出を行っていました。
演奏が終わると、観客は全員総立ちになってのスタンディング・オベーション、こんな「のだめ」みたいなことが、本当に起こるのだね

BD Artwork © Accentus Music

by jurassic_oyaji | 2019-04-06 20:26 | オーケストラ | Comments(0)
TCHAIKOVSKY/Symphony No.4, MUSSORGSKY/RAVEL/Pictures at an Exhibition
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Gianandrea Noseda/
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO 0810(hybrid SACD)


ロンドン交響楽団の首席客演指揮者、ジャナンドレア・ノセダは日本の大学を出ていますが(ノセダ大学)、今では世界中の主だったオーケストラとの共演のみならず、オペラハウスの指揮者としても大活躍です。かつては、外国人としては初めてロシアのマリインスキー劇場の首席客演指揮者を務めていましたし、アメリカのメトロポリタン歌劇場とも、長い関係を保っています。さらに、2024年からはチューリヒ歌劇場の音楽監督にも就任することが決まっています。そこでは、彼にとっては初めての、ワーグナーの「指環」ツィクルスの上演も予定されているのだそうです。
今回のアルバムは、2017年の10月に録音されたチャイコフスキーの「交響曲第4番」と、2018年6月に録音された「展覧会の絵」というカップリングです。
ノセダとロンドン交響楽団との共演では、こちらのヴェルディを聴いていましたから、今回のチャイコフスキーでもアグレッシブな演奏を期待していました。しかし、そんな期待は見事に裏切られてしまいました。冒頭の金管のファンファーレは、なんとも軟弱で、腰砕けだったからです。しかし、そのように感じたのも最初だけ、逆に、これはノセダがあえてこの部分をまるでハリウッド映画の冒頭のように「カッコよく」演奏することを避けていた結果なのではないか、と思えるようになってきます。これは、ある意味ステレオタイプに陥っていたこの曲の演奏に、全く別の方向から光を当てるという、恐るべき演奏だったことに、やがて気づくことになるのです。
それは、ここに続くメインテーマのアウフタクトが、まるですすり泣くような情感たっぷりの様相で現れたときに確信となりました。そう、このファンファーレは、まさに「葬礼」にこそふさわしいものだったのです。このアウフタクトが出現するたびに停滞するその歩み、そんな情景がこの曲から湧いてくることなど、考えてもみませんでした。
ですから、第2楽章のオーボエ・ソロも、そのような設定下ではただの「哀愁に満ちた」メロディで終わるわけはありません。そして、第3楽章では、弦楽器のピチカートの、ほとんど聴こえるか聴こえないほどのピアニシモにも驚かされます。楽譜上は「p」ですが、これはまさに最後の交響曲の中に現れる「pppppp」にも匹敵する世界でしょう。
そして迎える終楽章の爆発的な嵐。これまでの押し殺された情感が一気に爆発する瞬間です。別にそれをもってこれを「名演」と讃えるつもりはありませんが、これは確実に確かなメッセージが込められた演奏ではないでしょうか。
録音も、ホール全体が響きに包み込まれている中で、それぞれの楽器がしっかり存在感を示している素晴らしいものでした。ここではSACD(64fs)の倍のサンプリング周波数(128fs)のDSDというフォーマットが採用されていますから、そのおかげでしょう。
さらにより新しい「展覧会の絵」ではそのさらに倍の256fsというフォーマットが採用されていますから、いったいどれほどのサウンドが聴けるのかと期待したのですが、それほどのものではありませんでした。というより、いくらそのようなハイスペックで録音されていても、それはSACDのために64fsにダウンコンバートされてしまうのですから、実際に聴くのは不可能です。それを可能にするために、このレーベルのSACDには以前はBD-Aも同梱されていたのですが、最近はもうそういうことはやっていないようですね。かなり残念です。さらに、スペック云々以前にエンジニアのポリシーの違いもありますし。
演奏に関してはチャイコフスキーほどに惹かれるところはありませんでした。それより、こちらで指摘した「キエフの大門」での最後でバスドラムを他のパートより1拍遅らせて叩くという、新しい楽譜では完全にミスプリントとされている部分をそのまま演奏しているのは、ちょっとお粗末です。門下生としてはゲルギエフ先生に逆らうことは出来ないのでしょうか。

SACD Artwork © London Symphony Orchestra

by jurassic_oyaji | 2019-04-04 20:25 | オーケストラ | Comments(0)
BRUCKNER/Symphonie VII
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Rémy Ballot/
Altomonte Orchesrer St. Florian
GRAMOLA/99189(hybrid SACD)



ブルックナーの生地、オーストリアのリンツでは、毎年9月から10月にかけて、「ブルックナー音楽祭(Brucknerfest Linz)」というイベントが開催されています。これは1974年に、ブルックナーの生誕150周年を記念して創設されたものです。
ただ、今回のCDの案内にも、「ブルックナー音楽祭のライブ録音」とありますが、これが録音されたのは2018年の8月となっていますから、ちょっと時期が合いませんね。なぜでしょう。実は、その音楽祭の期間より前に開催される「Brucknertage」というもう一つの「ブルックナー音楽祭」があるのですよ。
この「Brucknertage」は正式には「St. Florianer Brucknertage」というもので、先ほどの「Brucknerfest Linz」とは全く別物です。こちらはブルックナーの没後100年に当たる1996年から始まったようですね。名前の通り、ザンクト・フローリアン修道院が中心になって開催されています。
そして、このSACDで演奏している「ザンクト・フローリアン・アルトモンテ管弦楽団」という1996年に創設されたオーケストラも、やはりその修道院と、このBrucknertageに深い関わりがあります。ちなみに、「アルトモンテ」というのは、この修道院の天井のフレスコ画を描いたバロック期の画家の親子の名前なのだそうです。絵の具の代わりにケチャップを使います(それは「デルモンテ」)。
2013年にこのオーケストラの首席客演指揮者に就任した人が、レミ・バローという1977年生まれのフランスの指揮者です 彼は元々ヴァイオリニストを目指していて、パリの高等音楽院を卒業しますが、16歳の時から3年間、パリで静養していたチェリビダッケの個人レッスンを受けることが出来たのだそうです。それは、チェリビダッケの最晩年になりますから、バローはほとんど「最後の弟子」となるわけですね。そこでは、最初は室内楽のレッスンでしたが、後には指揮者になることを勧められ、指揮者としてのレッスンも受けるようになったそうです。
そして、バローは2004年にはウィーンへ移り、ほどなくしてウィーン・フィルのメンバーとなり、さらには指揮者としても活躍することになるのです。
バローは、2013年からこのBrucknertageでブルックナーの交響曲を1曲ずつ演奏し、それを録音してCDをリリースしてきました。翌年からはフォーマットがSACDに変わり、サラウンド録音になっています。そのようにして、2017年までに5曲(3、5、6、8、9番)のリリースを終え、今回は7番がリリースされました。
まずは、その録音に注目です。この礼拝堂の豊かな残響をたっぷり取り入れたそのサウンドは、まさにサラウンド映えするものでした。オーケストラそのものの音像もとても立体感のある広がりを見せていますし、なんと言ってもその残響に包み込まれる感じがたまりません。特に、フォルテシモになった時の金管はその残響成分がまるでリアにバンダが設置されているのではないかと思えるほどに、しっかりとした存在感を持って聴こえてきます。木管だけのアンサンブルでも、増員はしていないのに、とてもくっきりと響き渡っています。
バローの指揮ぶりは、確かにチェリビダッケの影響が感じられる堂々としたテンポがベースになっているものでした。ただ、そんなテンポの割には重苦しさは全く感じられないのは、次のフレーズに入る時のタメがないせいでしょう。時には、まるでカラヤンのようにフライング気味に入ったりしますから、音楽が停滞することは決してありません。
ただ、ライブ録音で修正は一切行っていないようなので、アンサンブルの乱れなどは結構目立ちます。特に第3楽章あたりでは、疲れてきたこともあるのでしょうか、弦と金管がズレまくっていましたね。
それでも、ライブならではの熱気というか、緊張感は最後まで続いています。フィナーレの最後が、とてつもないクレッシェンドでいったいどうなってしまうのかと思っていると、いともあっさりと終わってしまったので、おそらくお客さんは唖然としていたのでしょう、拍手が始まるまでには20秒近くもボーッとしていた様子が、そのまま記録されています。

SACD Artwork © Gramola

by jurassic_oyaji | 2019-03-12 23:06 | オーケストラ | Comments(0)
MOZART/Symphonies 40&41
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Andrew Manze/
NDR Radiophilharmonie
PENTATONE/5186 757(hybrid SACD)



マンゼと北ドイツ放送フィル(ハノーファー)は、この間までメンデルスゾーンの交響曲集をリリースし続けていましたね。それらが録音されたのは、2016年1月から2017年6月までの間でした。それと同時期の2017年2月に録音されたのがモーツァルトの交響曲第40番、そして、その後2018年の3月に録音されたのが交響曲第41番です。いずれもコンサートのライブ録音で、北ドイツ放送の制作によるものです。
もうこんな感じで、マンゼは漫然とコンサートをこなしているうちに、いつの間にかツィクルスが完成している、という幸福な環境にあるのですね。今のところ、モーツァルトに関してはこれからツィクルスに発展していくかは不明です。このアルバムの評判次第、といった感じでしょうか。
今でこそ、フツーのシンフォニー・オーケストラのシェフとして、さまざまな時代のオーケストラ作品を指揮しているマンゼですが、かつてはヴァイオリニストとして、ピリオド楽器のフィールドでとても異色なアプローチを試みていた演奏家でした。モーツァルトでもそのスタイルは変わらず、ソナタ協奏曲ではとてもアグレッシブな演奏を聴かせていたはずです。
ですから、彼が指揮者となった時には、どうしてもそのような「特色のある」演奏を期待したくなってしまいます。しかし、実際にそのような録音を聴いてみると、それはあまりにも「フツー」のものだったので、ちょっと失望してしまいました。
ただ、メンデルスゾーンを聴き続けていくうちに、どうやらその「フツー」さが、今のマンゼのスタンスなのではないか、と思うようになってきました。もしかしたら、彼はアーノンクールやノリントンの轍は踏まないようにしてきたのではないか。と。
今回のモーツァルトでは、そのあたりがとてもうまくオーケストラともかみ合っているような印象を受けます。ここには、モダン・オーケストラにピリオド楽器の演奏法を導入した時の不自然さが、全く感じられないのですね。
確かに、弦楽器はほとんどビブラートなしで演奏していますが、そこからはピリオド楽器にありがちなギスギスとしたところが全く感じられません。特に、どちらの曲でも第2楽章の弦楽器のサウンドは、ビブラートがかかっていないにもかかわらず、とても芳醇なものになっています。
そこに加わるのが、普通の奏法でモダン楽器を演奏している木管楽器のプレーヤーたちです。彼らは、きっちりしたハーモニーで弦楽器に色を施すと同時に、ソロの受け渡しでも見事な均質性を披露してくれていました。特に心地よいのがフルートのピッチです。ピリオド楽器のオーケストラでいつも不満に感じてしまうのがこのパート、確かに、そこで的確な演奏を聴かせてくれる名手がいないわけではありませんが、モダン・オーケストラの心地よさに慣れた耳には、わざわざ無理をしてそんなものを聴くこともないようにも思えてしまいます。
そんなことは、ここでは全く感じることはありません。何のストレスもなく、ほどよいストイックさを伴ったモーツァルトを味わうことができるのです。
41番になると、そのサウンドがさらに明るいものへと変わります。それは、ティンパニがとても目立つようにフィーチャーされているためです。これもおそらく、バロック仕様のチマチマした楽器ではなく(改めてホグウッドとAAMの録音を聴いてみましたが、そこではティンパニの音がほとんど聴こえませんでした)、それこそブルックナーあたりで使われるような大きな楽器なのではないか、と思えるほど、その音は迫力満点に響きます。
まるで、ファッションが一回りして、昔に戻ったようなしっとりとしたモーツァルト、しかしそこにはマンゼならではの隠し味もしっかり込められていました。例えばこの曲のフィナーレのコーダが始まる前のブリッジの部分などでは、今まで誰からも聴いたことのないような不思議な音楽が出現していました。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.

by jurassic_oyaji | 2019-02-26 22:48 | オーケストラ | Comments(0)
RAVEL/Daphnis et Chroé
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冨田勲(Synth)
VOCALION/CDSML 8554(hybrid SACD)



レーベルは「VOCALION」ですが、先日のブーレーズの「オケコン」の「DUTTON」と同じスタジオで、マイケル・ダットンという人がリマスタリングを行っているSACDです。今回のアイテムは冨田勲によるラヴェルの作品集、もちろん、富田が自分一人でモーグなどのシンセを多重録音して制作していた音源です。かつてはアメリカのRCAから全世界へ向けてリリースされ、ビルボードのチャートをにぎわせていたアルバムたちの一つです。それが、SONYからライセンスを得てSACDを作っているこのスタジオの網にかかりました。それは、RCAがSONYに吸収されてしまったから。そのために、あの頃は日本でもRCAの社員が大量にリストラされ、九州のド田舎に引っ込んでしまった人もいたようですが、そのおかげでこんなに面白いサラウンドSACDがリリースされるようになったのですから、世の中、何が幸いするかわかりません。
今回のリマスターにあたっては、アメリカ盤ではなく日本盤のタイトルと(アメリカ盤は「Bolero」)とジャケットが使われていました。それが、この磯野宏夫によるイラストです。お気づきのように、これは一種の「だまし絵」になっていますね。これはもちろん、「ダフニスとクロエ」(第2組曲)の世界を再現したものなのでしょう。遠くには中間部の「無言劇」で大ソロを吹くフルーティストまでリアルに描かれていますね。
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ただ、このフルートは、拡大してみると指孔の位置がとても狭いところに集まっているようになっているのが、気になります。
冨田は、この「ダフニスとクロエ」を作るにあたっては、ラヴェルが書いた楽譜をほぼ忠実に再現しているようでした。というか、もう少し時代が進んで、MIDIなどを使って自由にオーケストラの個々の楽器が再現できるようになると、シークエンス・ソフトさえあれば、スコアをそのまま入力すれば簡単にラヴェルのサウンドが再現できるようになってしまいます。冨田の時代でも、かろうじてローランドの「MC-8」というシークエンサーが出来ていましたから、それらの細かい音符を入力するのはそれほど面倒なことではなかったはずです。
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その結果、冒頭の木管の、人間が演奏するととてつもなく難しい細かいフレーズのループは、いともさりげなく完璧な音となって聴こえてきます。ただ、それはあまりに完璧すぎて、逆にラヴェルらしくなくなっています。これを聴くと、もしかしたら、ラヴェルはわざと吹けそうもないような音符を書いて、それをシャカリキになって演奏するときに生まれる時の微妙なずれ具合まで計算して、最終的なサウンドを予想していたのではないかとまで思えてしまいます。
次の「ボレロ」では、冨田は最初から楽譜に忠実に「演奏」を行うことを諦めてしまっているようです。原曲の最大の魅力は、全く同じメロディを楽器やオーケストレーションを変えてただひたすら繰り返す中から、サウンドの変化が味わえることなのではないでしょうか。それを実現させるために、ラヴェルは細かく楽器の組み合わせを変えて、巧みに音をブレンドしているのです。
ところが、冨田は最初のうちはそのプランに従って、音源を細かく変化させているようですが、それだけではなかなか「変化」がつけられないとなると、そこに新たなメロディを加えるなど、別の小技を挟んでくるようになります。ただ、そこまでしても、結局もうアイディアが底をついてしまって、原曲よりもかなり早い段階で曲を終わらせてしまっています。オリジナルのオーケストレーションにシンセが「負けて」しまったんですね。ですから、エンディングも原曲のようなスリリングな展開は起こらず、だらだらとフェイド・アウトで終わらせてしまっています。
ただ、そんな退屈な編曲も、サラウンドで音たちが空間を動き回っているのを聴いていると、俄然魅力的になってきます。このミキシングを行ったのは冨田自身のようです。

SACD Artwork © Vocalion Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-02-23 22:49 | オーケストラ | Comments(0)
BERLIOZ/Harold en Italie, Les Nuits d'été
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Tabea Zimmermann(Va), Stéphane Degout(Bar)
François-Xavier Roth/
Les Siècles
HARMONIA MUNDI/HMM 902634


このレーベルのCDにはこんなシールが貼られていました。どうやら今年は、ベルリオーズ・イヤーだったみたいですね。亡くなったのが1869年ですから、「没後150年」ということになるのでしょう。いやあ、気づきませんでした。
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ただ、いまいち盛り上がりに欠けるように感じられるのは、なぜなのでしょう。ベートーヴェンなどは、来年の「生誕250年」に向けてもう今から大騒ぎが始まっているというのに。
まあ、ベートーヴェンだったらまずは記念に交響曲全集を作ったりするのでしょうね。でも、ベルリオーズの場合は確かに「交響曲」と名付けられた作品は4曲ほど作っていますが、今のところそれらをまとめて「全集」を作った人はいないのではないでしょうか。実際は、ベルリオーズのほぼすべてのオーケストラ作品を録音したコリン・デイヴィスとシャルル・デュトワは、「交響曲」を全曲録音はしていますが、それだけをまとめた全集を作ってはいないはずです。
というのも、ベルリオーズの場合の「交響曲」はそれぞれに個性的で、編成も異なっていますから、それらをまとめるという発想があまり湧いてこないのでしょうね。なんせ、最初に作られたのはあの「幻想交響曲」ですから、スタート時からそれまでの交響曲とはかけ離れた、規格はずれのぶっ飛んだものでした。次の交響曲が今回の「イタリアのハロルド」となるのですが、これにはヴィオラのソロが加わるので、形としては「協奏曲」ですしね。さらに3番目の交響曲では「劇的交響曲」というタイトルで、最初と最後の楽章はソリストと合唱が加わった大規模な「オラトリオ」になってしまいます。そして、最後の交響曲は「葬送と勝利の大交響曲」という、知る人ぞ知るレアな曲、基本的にブラスバンドによって屋外で演奏される作品です。オプションで弦楽器を加えることもありますが、やはり普通のオーケストラが演奏するには敷居が高いでしょうね。つまり、こんなヘンな曲が混ざっているので、なかなか「全集」は作れないのですよ。
とりあえず、「幻想」にははるかに及ばないまでも、この「ハロルド」もオーケストラの通常のレパートリーには入っています。その4つある楽章の中で、第3楽章の「アブルッチの山人が、その愛人によせるセレナード」だけは、かつてNHK-FMで放送されていた「トスカニーニ・アワー」という番組で一時期テーマ曲として使われていましたから、曲名が分からなくてもこのメロディが記憶に残っている人はたくさんいるのではないでしょうか。これを聴くと、そのときのMC村田武雄さんの声まで思い出してしまうのでは。
今回のロトとレ・シエクルによる新録音では、当然ピリオド楽器が使われています。その弦楽器が、ノンビブラートで第1楽章の序奏を演奏し始めたときには、なにか今まで聴いたことのないようなおどろおどろしい情感が伝わってきました。しばらくしてツィンマーマンのヴィオラ・ソロが入ってくると、それも極力ビブラートを抑えたストイックな響きが、なんとも印象的に感じられます。それが、「quasi niente(音がないかのように)」という、「幻想交響曲」にも登場するとんでもない指示の部分では、本当に無音一歩手前といったとても緊張感のあふれる演奏を聴かせてくれます。
第2楽章の「夕べの祈祷を歌う巡礼の行列」では、「Canto religioso(宗教的な歌)」という部分でソリストはスル・ポンティチェロ(駒のそばで弾く奏法)でアルペジオを弾き続けるのですが、それがあまりにピュアな音色だったので、最初はオンド・マルトノのような電子楽器でも使っているのかと思ってしまったほどです。そもそも、そのバックに流れる木管楽器の透き通ったハーモニーが、まるで電子音のように聴こえていましたからね。
そんな感じで、もうびっくりするような音色のオンパレードの中、とてもきびきびとした物語が進んでいくのでした。

CD Artwork © harumonia mundi musique s.a.s.

by jurassic_oyaji | 2019-02-21 21:10 | オーケストラ | Comments(0)