おやぢの部屋2
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カテゴリ:オペラ( 224 )
MOZART/Zaide
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Sophie Bevan(Zaide), Allan Clayton(Gometz)
Jacques Imbrailo(Allazim), Darren Jeffery(Osmin)
Stuart Jackson(Sultan Soliman)
Ian Page/
The Orchestra of Classical Opera
SIGNUM/SIGCD473




モーツァルトには未完の作品がいくつかありますが、この「ツァイーデ」もその一つです。ただ、例えば、あの「レクイエム」とは違って、こちらは単に制作上の問題である程度作ったところでもうそれ以上の作業は必要がなくなり、別の作品に取り掛かることになったので、そのまま放っておかれた、というものです。
世間では、このオペラはのちに別の人の脚本によって作られる「後宮からの逃走」のプロトタイプという位置づけがなされています。確かに脚本の骨組みはどちらも全く同じですが、音楽的には、例えば「ツァイーデ」で使ったアリアを「後宮」に使いまわす、と言ったようなことは全く行われていません。モーツァルトにとっては、そんなせこいことをしなくても、台本が変わればそれに対応して別の曲を即座に作り出すことは、いとも簡単なことだったのでしょう。
もちろん、「後宮」同様、「ツァイーデ」もドイツ語によるジンクシュピール、つまり、音楽の間をセリフでつなぐという形式がとられています。モーツァルトの死後、1838年に楽譜が出版された際には、タイトルも付けられていなかったこのオペラに、主人公の女性の名前から「ツァイーデ」というタイトルが与えられました。現在の新モーツァルト全集では、モーツァルトが実際に作った部分だけが印刷されていますが、そこではタイトルは「ツァイーデ(後宮)」となっています。曲は全部で16のナンバーが残されていますが、序曲はなく、それぞれの頭には、歌い出しのきっかけとしてその前に語られていたセリフの最後の部分が書かれています。しかし、元のセリフそのものは、もうなくなってしまっているのですね。ですから、これを実際に上演する時には、それらしい措置がとられますが、そもそも3幕物として構想されたうちの第2幕までの音楽しか作られていませんから、合理的にオペラを完結させることは不可能です。ですから、いっそこれを全く別のオペラの「素材」にしてしまおうという企て(2006年のザルツブルク音楽祭で上演された「アダマ」)なども出てくるようになります。
2012年にLINNからリリースされた「アポロとヒュアキントス」から始まったイアン・ペイジが主宰する「クラシカル・オペラ」によるモーツァルトのオペラ全曲録音のプロジェクトですが、今はレーベルがSIGNUMに変わったようですね。これらは新モーツァルト全集を使って演奏されていますから、5作目となるこの「ツァイーデ」でも、しっかり「ベーレンライター版を使用」と書いてあります。したがって、アリアや重唱しか演奏されないバージョンです。ただ、序曲だけは同じ時期に作曲された劇音楽「エジプト王タモス」の間奏曲が流用されています。「皇帝」ではなく「高低差」(それはタモリ)。
このジンクシュピールでは、「メロローゴ」というちょっと変わった様式のナンバーが2曲作られていました。それは、オペラ・セリアでは「アッコンパニャート」に相当する、オーケストラで奏でられる音楽をバックに物語を述べるというものです。それが、メロディを付けられたレシタティーヴォではなく、単なるセリフで語られています。こういうやり方は後の「後宮」では見ることはできませんから、モーツァルトは一度作ってはみたけど、気に入らなかったのか、あるいはそれは単なる流行ですぐに世の中では廃れてしまっていたのか、そんなことに考えをめぐらすのも楽しいことです。
この中の曲では、単独でも頻繁に演奏されるツァイーデの最初のアリア「Ruhe sanft, mein holdes Leben」が、まさにモーツァルトのエキスが満載のとても魅力的なナンバーです。ただ、ここで歌っているソフィー・ビーヴァンはあまり調子が良くなかったのか、なにかピッチが不安定で心から楽しむわけにはいきませんでした。その他のキャストはそんなことはなかったのに。

CD Artwork © Signum Records
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by jurassic_oyaji | 2016-11-08 23:00 | オペラ | Comments(0)
WAGNER/Die Walküre:Act 1
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René Kollo(Siegmund)
Eva-Maria Bundschuh(Sieglinde)
John Tomlinson(Hunding)
Klaus Tennstedt/
London Philharmonic Orchestra
LPO/LPO-0092




毎回ジャケット写真の中に「★」を探すのが楽しいロンドン・フィルの自主レーベル、今回は四半世紀前、1991年に録音されていたアーカイヴです。これがこんな形で世に出たのはおそらく初めてのことでしょう。なんと、テンシュテットによるコンサート形式の「ワルキューレ」第1幕のライブ録音です。
この幕は、出演者が3人しかいませんから、こんな風に手軽に演奏することはとても簡単です。もちろん、そのコンサートが成功するか否かは、ひとえにその3人の人選にかかっていることは言うまでもありません。ここでのソリストは、その当時のまさにドリーム・キャストですからとても楽しみです。指揮のテンシュテットも、キャリアの初めのころにはオペラハウスでの指揮も行っていて、ワーグナーも得意にしていましたが、実際のオペラの録音はほとんどありませんから(全曲録音は皆無)これはとても貴重な記録です。
まずは、そのテンシュテットの指揮ぶりを、前奏曲(日本語の帯には「序曲」とありますが、これは何かの間違いでしょう)から聴いてみましょう。録音状態もとてもよかったようで、低弦のエネルギーはものすごいもの、さらに金管の輝きが迫真の力で迫ってきます。ワーグナーはこうでなくっちゃ。さらに、普段はあまり聴こえてこない木管も、ここぞというところで顔を出してきますから、それはとても色彩的。そして、そのようなダイナミックなシーンと、もっと物語が進んでしっとり歌い上げるシーンとの切り替えがとても巧みです。ジークムントとジークリンデのデュエットのバックのオーケストラの柔軟さには、うっとりさせられます。
歌手では、やはりそのジークムント役のルネ・コロに注目でしょう。1969年に「オランダ人」のかじ取り役でバイロイトにデビューしてからは、ワーグナーのテノールのロールには無くてはならない歌手として世界中で活躍した人です。いわゆる「ヘルデン・テノール」として、オペラハウスに出演、もちろん多くの録音も残しています。さすがに晩年は声も衰えて往年の輝きはなくなっていましたが、このCDのコンサートが行われたはまだまだ現役として通用していたはずです。
ただ、ここで聴ける彼の声は、ちょっと「ヘルデン」というには力強さに欠けるような感じがしてしまいました。それこそカウフマンあたりが最近そのハイテンションぶりを見せつけてくれた「Wälse! Wälse!」という叫びが、あまりに弱々しいのですね。その代わりに、「Winterstürme wichen dem Wonnemond」からの甘いシーンでは、テンシュテットの指揮とも相まってまさに禁断の甘美さをおなか一杯味わうことが出来ました。これはこれで、幸福な体験です。
ちょっと気になったので、コロのデビュー頃の録音で、1970年の「マイスタージンガー」を聴いてみたら、大詰めのワルターのアリアは、カラヤンの指揮のせいもあるのでしょうが、ワーグナーの楽劇というよりは、ほとんどフランツ・レハールのオペレッタの世界でしたね。そう言えば、コロはオペレッタでも定評のある歌手でした。ということは、彼はまさに今や大人気の「えせヘルデン」、クラウス・フローリアン・フォークトの先駆けだったのですね。
他の二人、ジークリンデのブントシューとフンディンクのトムリンソンもワーグナー歌いとしては定評のある歌手でしたから、ツボを押さえた歌が聴けます。考えてみたら、ジークムントはまだ「英雄」ではないのですから、コロも適役だったのでしょう。
彼がノートゥンクを引き抜いた後は、テンシュテットは一気にシフト・アップしてエンディングへと向かいます。圧倒的な高揚感とともにこの幕の最後、トロンボーンのペダルトーンが響き渡る中、終止の直前に現れる何とも浮遊感が漂うCm6のコードの味わいは絶品です。G-durのアコードが打ち鳴らされた直後、瞬時に起こる拍手と叫び声、お客さんも大満足だったことでしょう。

CD Artwork © London Philharmonic Orchestra Ltd
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by jurassic_oyaji | 2016-11-01 23:02 | オペラ | Comments(0)
AKSEL!/Arias by Bach, Handel & Mozart
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Aksel Rykkvin(Tre)
Nigel Short/
Orchestra of the Enlightenment
SIGNUM/SIGCD435




「アクセル!」というタイトルのアルバムですが、歌っているのはアクセル・ローズではなく、アクセル・リクヴィンという、2003年生まれのノルウェーの男の子です。なんでも、「天才ボーイ・ソプラノ」として、今ブレイク中なのだそうです。録音が行われたのは今年の1月ですから、アクセルくんは12歳でしょうか。
ここで取り上げたのは、バッハとヘンデル、そしてモーツァルトのアリアなどです。いずれも、ただ声が美しいだけでは人を感動させることはできない、かなり高度なスキルが要求される曲ばかりです。それを、アクセルくんは難なくクリアしていきます。前半に置かれたバッハとヘンデルはとても見事、すごいのは、メリスマがただの音の羅列にはならずに、そこできっちりと「意味」が感じられるように歌われている、ということです。こんなことは、普通の大人では、いや、大人だからこそ、とてつもなく難しいことなのではないでしょうか。それをこともなげに成し遂げているアクセルくんは、確かに輝いています。
でも、そのあまりにも緻密なテクニックが、時として退屈さを呼ぶのはなぜでしょう。そんなことを思いながら、最後のコーナーのモーツァルト、ケルビーノのアリアが聴こえてきたときには、そんな気持ちはどこかに行ってしまいましたよ。大人の女声では絶対に表現できないようなはかなさが、そこからはあふれ出ていました。これこそは、「男の子」としてのケルビーノの理想の姿なのではないでしょうか。そして、最後の「アレルヤ」で聴かせてくれたメリスマは、バッハやヘンデルとは全く異なる次元のものでした。音の一つ一つから、喜びがあふれ出ていますよ。なんという美しさでしょう。
それは、こんな素晴らしい歌を聴けるのは、いや、歌えるのはあと2,3年だ、ということが分かっているからの、まさに最後の輝きだったのかもしれません。
しかし、オーケストラはこの間の「後宮」の時と同じなのに、その音が全然違います。弦楽器には潤いというものが全くなく、薄っぺらで安っぽい音です。これはCDではよくあることなので、一応ハイレゾが出ていたらそれを聴いてみてあらぬ疑いを晴らしてあげようと思ったのですが、あいにく「e-onkyo」でSIGNUMのレーベルを探してみても、まだこれは配信されていないようでした。
そこで、これは全くの余談なのですが、その中に今年の6月に配信が開始された、キングズ・シンガーズの「Postcards」というアルバムがありました。なんでも世界の民謡を集めたもののようなのですが、こんなのをCDで見たことはなかったので、配信だけのリリースかな、と思ってしまいましたね。
というのも、そこにはライナーノーツのようなものが付いていたのですが、その中のメンバー表にはテナーのジュリアン・グレゴリーの名前があったのですよ。さらに、そのライナーには「長い歴史を誇るグループだけあって、オリジナルメンバーはすでに残っていないが、最古参のデイヴィッド・ハーリーと2014年に加入したジュリアン・グレゴリーでは、グループ内活動歴は24年の違いがある」とまで書いてあります。これだけのデータがあれば、ここでは当然ジュリアンくんが歌っているのだ、と思ってしまいますよね。
ですから、この間のアルバムの他にも、すでにジュリアンくんが参加している録音があったのか、と思いましたね。ところが、実はこのCDはちゃんと2014年にリリースされており、そのインフォでは、テナーはまだポール・フェニックスになっていましたよ。これが録音されたのが2014年の3月ですから、それは当然のこと、ジュリアン君が加入したのは同じ年の9月なんですからね。
ということで、「e-onkyo」のライナーは、とんでもないデタラメだということになりますね。この会社は、いつまで「アカバネ電器製造」みたいなことを続けるつもりなのでしょう。
「余談」の方が長くなるなんてことも、あるのだよん

CD Artwork © Signum Records Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2016-09-10 20:24 | オペラ | Comments(2)
MOZART/Die Entführung aus dem Serail
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Sally Matthews(Konstanze), Edgaras Montvidas(Belmonte)
Tobias Kehrer(Osmin), Brenden Gunnell(Pedrillo)
Mari Eriksmoen(Blonde), Franck Saurel(Selim)
David McVicar(Dir)
Robin Ticciati/
The Glyndebourne Chorus(by Jeremy Bines)
Orchestra of the Age of Enleightenment
OPUS ARTE/OA BD7204 D(BD)




2014年からユロフスキの後任としてグラインドボーン音楽祭の音楽監督を務めているティチアーティが、2015年7月19日に上演された「後宮」の指揮をした映像です。このカンパニーではモダン・オーケストラのロンドン・フィルと、ピリオド・オーケストラのエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団の2団体がピットに入っていますが、バロック・オペラだけではなくこの音楽祭の看板であるモーツァルトのオペラも最近ではこのピリオド・オーケストラによって演奏されるようになっています。
映像の始まりは、開演前の客席、ドレスコードにはうるさいこの音楽祭ですから、タキシードやイブニング・ドレスに身を飾った紳士淑女がホール内をうずめています。初夏に行われた公演ですから、白いタキシードも目立ちますね。そこに、久しぶりに見る「動く」ティツアーティの登場です。なんだか恥ずかしそうにピットの隅から現れた指揮者は、とても物腰の柔らかい印象を与えてくれました。往年のマエストロのような威圧的にオーケストラと、そして音楽を支配しようとする姿は、ここからは全く見ることはできません。前に見た2006年のザルツブルク音楽祭の時にはちょっと緊張気味、その時は指揮棒をもっていましたが、今回は指揮棒はなし、とてもリラックスして軽やかな動きでした。
彼の作り出す音楽は、透明感があふれ、オーケストラの各パートの「歌」がまさに透けて見えるような心地よいものです。演出の方では「トルコ」という場所を強調していたようですが、音楽ではよくあるような「異国趣味」を変に強調するような見え透いたことはせずに、あくまでモーツァルトを前面に出し、その中にほんの少し「異国のテイスト」を持ち込むというクレバーなスタンスを取っていたのではないでしょうか。打楽器群がアホみたいに騒ぎ立てるようなことはしないで、ピッコロあたりのほんのちょっとしたトリルだけでシーンを飾るというようなスマートさですね。
デイヴィッド・マクヴィガーの演出は、デザイナーのヴィッキー・モーティマーとともにとてもリアリティにあふれたステージを作り上げていました。最近の「読み替え」の演出に慣れた目には、この、とことんトルコの後宮の現物に迫ろうというマニアックなほどにリアルで高級感あふれるセットには驚かされます。
そこでは、普段はカットされたり改変されたりしているセリフを、かなりオリジナル通りに使っているのだそうです。ですから、この前のCDでちょっとご紹介した、第3幕の最初だけに登場する「クラース」という人の姿をここでは実際に見ることができるようになっています。楽譜には一応「船乗り」という肩書でセリフ役としてこの名前があるのですが、彼が出てくるのは第3幕の第1場だけ、それも、いったいどこから現れたのか、という正体不明の人物なので、たいていの上演ではこの部分がカットされてしまうという情けないロールです。演出家のマクヴィガーは、きちんとその人を紹介するために、オープニングから登場させています。普通はベルモンテだけが登場するこのシーンに彼もいて、ベルモンテの世話を焼いているのですね。おそらくここまで彼を運んできた船の関係者なのでしょう。
もう一人、これは楽譜にもなく、もちろんセリフも全くないのですが、常にどこかに登場していて、それをカメラがとても意味ありげにアップで撮っている人がいるのですよ。セリムの側近という感じの女性でしょうか。これも、おそらく、最後のどんでん返しのあまりの唐突さを解消するための役割を持たせているのでしょうね。このように、あまりにリアリティを追求しすぎると、却って煩わしいことになってしまう、ということがよく分かる演出でした。
それにしても、オスミンだけがやたらファッショナブルなのは、なぜなのでしょう。

BD Artwork © Royal Opera House Enterprises Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2016-09-03 20:41 | オペラ | Comments(0)
MOZART/Die Entführung aus dem Serail
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Jane Archibald(Konstanze), Norman Reinhardt(Belmonte)
Misha Schelomianski(Osmin), David Portillo(Pedrillo)
Rachele Gilmore(Blonde), Christoph Quest(Selim)
Jérémie Rhorer/
Le Cercle de L'harmonie
ALPHA/ALPHA 242




以前、モーツァルトの交響曲のアルバムなどで、とてもセンスの良いピリオド楽器の演奏を聴かせてくれていたジェレミー・ロレルとル・セルクル・ド・ラルモニーという黄金コンビが、ついにモーツァルトのオペラを録音してくれました。とは言っても、これはその交響曲のようなセッション録音ではなく、2015年の9月にパリのシャンゼリゼ劇場で上演されたもののライブ録音です。それも、レーベルによる録音ではなく、放送局が録音した音源がそのまま使われています。おそらく、本番だけのテイクで、編集もされていない、本当の「ライブ」なのでしょうね。同じピリオド楽器のスターたち、ヤーコブスやクレンツィスはきちんとセッションで納得のいくまで手をかけているというのに。
もう一つ気になったのは、このオーケストラをロレルとともに創設したコンサートマスターのジュリアン・ショヴァンの名前が、オケのメンバーからは消えていることです。彼は2015年の1月に「ル・コンセール・ド・ラ・ロージュ」というアンサンブルを新たに作ったために、このオーケストラから去っていってしまったのです。
そんなことを知ったのは、全曲を聴き終わってからでした。今までのアルバムが本当に素晴らしかったので、とても期待してこれを聴きはじめたのですが、なにかが違います。序曲からして、なんのサプライズもないどこにでもあるような平凡な演奏です。別に平凡が悪いというわけではありませんが、今までの彼らの演奏には確かな「意志」が感じられる瞬間が必ずあったものが、ここではそれが全く見当たらなかったのですね。そんなはずはない、と、あちこち検索してみたら、そんな事実が分かったということです。この「脱退」と演奏の間にはなんの因果関係もなかったんだったい、と思いたいものですが・・・。
さらに、この録音を聴いていまいちノレなかったのは、ベルモンテ役のテノールのせいです。このノーマン・ラインハートというアメリカ人は、テノールというよりはバリトンのような、低いところで共鳴させているような声ですから、かなり重めの音色、さらに歌い方もかなり重々しいのでこの役を歌った時に大方のリスナーを満足させることはできないのではないでしょうか。なんせ、序曲が終わって最初に声を出すのがこの役ですから、それで自ずとこのオペラ全体のテイストが決まってしまいます。そこにこの声が出てくるのは、ちょっと辛いものがあります。「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のアンダンテ楽章に酷似した15番のアリア「Wenn der Freude Tränen fließen」なども、とても繊細なオーケストラの前奏に続いて、この力の入り過ぎた歌が出てくると、がっかりしてしまいます。あくまで、個人的な感想ですが。
コンスタンツェ役のソプラノも、やはりちょっと重めでコロラトゥーラなどは悲惨ですが、その他のキャストは善戦しているのではないでしょうか。ブロンデ役のギルモアも、ペドリッロ役のポルティロもなかなかいい味を出していますし、オスミン役のシェロミャンスキーも、この役にはもったいないほどの知的な歌い方で、なおかつ粗野さを表現するというすごいことをやっていました。冴えないと思われていたオーケストラも、彼のナンバーのバックでは見違えるような生き生きとした姿を見せていたような気がします。セリム役の語りの人は、ちょっと甲高い声で、ほとんど威厳が感じられません。ルックス的にはかなり堂々としているのでしょうが。
対訳を見ていて、第3幕が第3場から始まっていることに気づきました。楽譜では第1場と第2場としてセリフだけのシーンがあるのですが、ここはカットされるのが慣習なのでしょう。他の録音や映像でも、ほとんどカットされていました。ここだけセリフがある「クラース」という人(セリムの家来?)の唯一の出番なのに。

CD Artwork © Alpha Classics/Outhere Music France
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by jurassic_oyaji | 2016-08-16 22:39 | オペラ | Comments(0)
MOZART/Die Zaubeuflöte
c0039487_23085140.jpgFranz Crass(Sarastro), Roberta Peters(K. d N.)
Fritz Wunderlich(Tamino), Evelyn Lear(Pamina)
Dietrich Fischer-Dieskau(Papageno), Lisa Otto(Papagena)
Karl Böhm/
RIAS Kammerchor, Berliner Philharmoniker
DG/UCGG-9089/90(single layer SACD)




1964年に録音されたカール・ベームの指揮による「魔笛」が、シングル・レイヤーSACDになってリリースされました。今まで幾度となく形を変えてリリースされていたヒット作ですが、SACDになったのはこれが初めてなのではないでしょうか。まだ、ハイレゾ音源も配信はされていないようですし。
個人的には、これは生涯で初めて自分のお金で買ったオペラ全曲盤という、記念すべきアイテムです。おそらく、国内盤が最初にリリースされた時に購入したのでしょう。ただ、その頃はまだきちんとした再生装置までそろえるほどの余裕はありませんでしたから、回転式のサファイヤ針のカートリッジが付いた安物のプレーヤーにラジオをつないで聴いていましたね。しばらくして何とかまともな「ステレオ」一式がそろったので、ちゃんとしたダイヤ針のMMカートリッジで聴けるようになった頃には、そのLPはさんざん高針圧にさらされて聴くも無残な音に変わっていたのでした。しかも、30㎝Φのターンテーブルに乗せてみると、それはいい加減なプレスでお椀状に反り返った盤だったことも分かりました。
そんなわけで、このレコードからは音自体もなんだか安っぽいもののような印象を、最初から受けていましたね。CD化された時はすぐに入手したのですが、やはりそんな印象はぬぐえませんでしたから、全曲を聴きとおすこともありませんでした。
ですから、このシングル・レイヤーSACDは、久しぶりに、まともに向き合ってしっかり聴く機会を与えてくれたものとなりました。まずは、今まで入手していた2種類のCDとの音の比較になります。元々はLP3枚、6面に収録されていたものですが、最初に買った時には、それが3枚組のCDになっていました。つまり、第2幕が77分以上かかっていたので、当時ではCD1枚にすることが出来なかったのですね。ただ、それではあまりにも余白が多くなってしまうので、同じモーツァルトのたった5曲の音楽しかないジンクシュピール「劇場支配人」全曲がカップリングされていました。
そのCDはジャケットもオリジナルとは違っていたので、それこそ「オリジナルス」で1997年に、今度は2枚組で出たものも買ってありました。それらを今回のSACDと比べてみると、意外にも初回のCDがかなり健闘していたことが分かります。当時のクレジットでは録音エンジニアのギュンター・ヘルマンス自身が「デジタル・リミックス」を行ったとありますから、そのあたりが原因なのでしょうか。オリジナルスの方は変に音を作っている感じがして、なじめません。そして、SACDは最初のヒス・ノイズからしっかり入っていて、とてもナチュラルな雰囲気が漂っています。それは、今まで抱いていた悪印象を払拭するには十分なものでした。
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ただ、今回のジャケットは、なぜかLP(↑)のものとは微妙に異なっています(特に出演者のフォント、もちろん、チューリップの下は2行)。
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さらに、パッケージのどこを探しても録音スタッフの名前が見当たりません。これはどうしたことでしょう。ふぉんとにこの会社の仕事ときたら。
演奏自体は、今まで多くの人によって語られてきたものですから、いまさら付け加えることはありません。ヴンダーリヒは最高のタミーノを聴かせてくれますし、フィッシャー=ディースカウのパパゲーノという超豪華なキャスティングもうれしいところ、ただ女声陣はちょっと弱体、特にピータースの夜の女王は間違いなくミスキャストでしょう。それと、やはり「3人の童子」は少年に歌ってほしかった。
この録音の特徴は、グスタフ・ルドルフ・ゼルナーという、当時ベルリン・ドイツ・オペラの総監督だった演出家の手によって、セリフの部分がきっちり演出されているということです。そこまでやっているレコードなんて、ありませんよ。ここでは、おそらくゼルナーによってコンパクトに切り詰められたセリフが、歌手たちによってとても生き生きと語られています。

SACD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-07-21 23:12 | オペラ | Comments(0)
BERG/Wozzeck
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Franz Grundheber(Wozzeck)
Hildegard Behrens(Marie)
Philip Langridge(Andres)
Heinz Zednik(Hauptmann)
Walter Raffeiner(Tambourmajor)
Aage Haugland(Doktor)
Claudio Abbado/
Chor und Orchester der Wienerstaatsoper
ARTHAUS/109 156(BD)



アルバン・ベルクが「ヴォツェック」を作ろうとしたきっかけは、原作であるゲオルク・ビュヒナーの戯曲のウィーン初演を1913年のある晩に観たことでした。ベルクは、すぐさまオペラ化の決心をして作曲にとりかかり、1922年には完成させます。原作は、1821年に実際に起こったヨハン・クリスティアン・ヴォイツェックという下級軍人が、愛人を殺害するという事件をモデルにして書かれています。ただ、戯曲やオペラでは彼は愛人を殺した後で、すぐに入水自殺を図るのですが、リアル・ヴォイツェックは殺人の罪で逮捕され、処刑される1824年までは生きていました。その際の取り調べでの精神鑑定書を元に、ビュヒナーは戯曲を創作したのですね。
ただ、この戯曲は完成することはなく、断片を記した自筆稿だけを残して、ビュヒナーは1837年に亡くなってしまいます。それが、カール・エミール・フランツォースという編集者によって1879年に出版されます。その際に、判読不明の個所が多い自筆稿からは「Woyzeck」が「Wozzeck」と読み取られたために、タイトルも「ヴォツェック」となっていたのですが、後に改訂された時にはきちんと「ヴォイツェック」と直されました。しかし、ベルクが参照したのは1879年版だったので、オペラだけは「ヴォツェック」というタイトルになってしまったのです。
オペラ化にあたって、ベルクは全部で26の場面に分かれていた原作を、それぞれ5つの場面を持つ3幕構成に直しました。そして、音楽的にも、それぞれの場面は一つの音楽形式(「組曲」とか「ラプソディ」)をとり、さらに幕の中の5曲にも緊密な関係をもたせ、まるでオペラ全体が巨大なオーケストラ作品であるかのように作られています。そこではワーグナーのような「ライトモティーフ」的なものも使われていますが、最初にヴォツェックに髭を剃られている大尉に与えられたモティーフが、ベートーヴェンの「田園」の第1楽章のテーマそっくりなのは、なぜでしょう。
この映像は、クラウディオ・アバドがウィーン国立歌劇場の音楽監督に在任中の1987年に行われたアドルフ・ドレーゼンの演出による公演のライブです。実は、おそらくこれと同じものの音声だけが、DGからCDとしてリリースされています。そのせいなのかどうか、この時代の映像にしてはあまりに音が良いことに驚かされます。画面が4:3の古臭いサイズなので、このいい音とのギャップがたまりません。それによって、特にオーケストラの個々の楽器がとても粒が立って聴こえてきて、ベルクの複雑なスコアが眼前に広がる思いです。とくに、チェレスタがくっきり聴こえてくるのはなかなかのもの、この華麗なオーケストレーションを、まず耳だけで楽しむだけでも価値がありそうです。ただ、歌手に関してはやはりライブですから、いくらか不満足なところも出てきますし、場合によってはプロンプターの声がはっきり聴こえてきたりするので、ちょっと興ざめですが。
映像監督は、この頃のオペラの映像を撮らせたらこの人しかいないというほどの売れっ子、ブライアン・ラージ。おそらく彼はスコアまできちんと読み込んでカメラのアングルなども決めているのでしょう、まさに今そこで最も重要なシーンが間違いなくアップになって示されているのは、感激ものです。そんなシーンで最も頻繁に使われているのが、アバドが指揮をしているシーンだ、というのはちょっと反則っぽいやり方ですが、この作品に限っては場面の合間に演奏されるオーケストラだけの部分も一つの「見どころ」ですから、仕方がありません。おかげで、アバドはこの複雑な作品を全曲暗譜で振っていることも、超絶技巧が必要なフルートのトップを、ヴォルフガング・シュルツが吹いていることもよく分かります。
歌手では、なんといってもマリー役のベーレンスのノーブラ姿でしょうか。ラージは、彼女の乳頭を見事にアップでとらえてくれていました。

BD Artwork © Arthaus Musik GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-05-21 20:40 | オペラ | Comments(0)
MOZART/Don Giovanni
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Alan Titus(D.G.), Thomas Moser(D.O.)
Julia Varady(D.A.), Arleen Augée(D.E.)
Edith Mathis(Zerlina), Rolando Panerai(Leporello)
Rafael Kubelik/
Chor und Orchester des Bayerischen Rundfunks
SONY/88875194802




SONYから続々リリースされている過去のオペラ録音のアーカイヴ、その中にまだ聴いたことのなかったクーべリックの「ドン・ジョヴァンニ」がありました。オリジナルはEURODISC、BMGの時代には「RCA」などと表記されていたりしましたが、今ではきちんとそのあたりが明記されるようになっているのはうれしいですね。
1985年に録音されたもので、オーケストラは彼がこの数年前まで首席指揮者を務めていたバイエルン放送交響楽団です。確か、1980年にはこのコンビでモーツァルトの後期の交響曲も録音していましたね。デジタル録音の黎明期で、そのCDは物珍しさも手伝って、なかなか魅力的でした。当時のこのオーケストラの首席フルート奏者はアンドラーシュ・アドリアンとイレーナ・グラフェナウアーでしたが、この二人の音色や音楽性は全く異なっていて、どちらが吹いているのかはすぐわかりました。この交響曲集でも、曲によって奏者が違っていましたから、もっぱらグラフェナウアーが乗っている方の録音だけを聴いていましたね。
この「ドン・ジョヴァンニ」では、10日間以上の録音セッションが組まれていたようですが、カラヤンのように序盤に吹いていた人が後半では別の人になるようなことはなく、最初から最後までそのグラフェナウアーの音が聴こえてくるのが、このアルバムの最大の魅力です。このオペラには、例えば「魔笛」のようにフルート・ソロが活躍するような場面は全くないのですが、時折オーケストラから聴こえてくるさりげないフルートのフレーズが、とてものびやかで心を奪われてしまうのです。たとえば第2幕のフィナーレの直前のドンナ・アンナのアリアの中で一瞬聴こえてくるだけのフルートのソロでさえ、言いようのない感銘を与えられるものでした。
クーべリックにはコンサート指揮者というイメージがありますが、実際は多くのオペラハウスでの経験も持っている人でした。ただ、彼が指揮するオペラは、初めて聴いたような気がします。おそらく、モーツァルトではこれ以外の録音はないのではないでしょうか。ただ、この「ドン・ジョヴァンニ」を聴く限りでは、彼の資質はやはりコンサート向きなのではなかったのかな、という印象を強く受けてしまいます。それは、彼の持っている様式感がそうさせるのでしょうが、とても重みと深みを感じさせる彼の指揮からは、音楽そのものが持つ崇高さは十分に伝わってくるものの、「ドラマ」としてもエネルギーが決定的に欠けているのでは、と思えてしまうのです。要は、あまりにもくそまじめに音楽に向き合っているな、という感じ、今の時代にこれを聴くと、やはりダ・ポンテ/モーツァルトを味わうにはもっと切迫感や、洒脱さが欲しくなってしまいます。
録音もなんだかきれいすぎ、そんな中でかなり音場を操作してステージ感を演出しているような工夫が見られますが、それがあんまり成功しているとは思えないのは、なにか中途半端なところが見られるからでしょうか。墓地で石像が現れるシーンのサウンドの、なんとしょぼいこと。
そんな指揮者をフォローするかのようにふるまっていたのが、レポレッロのパネライです。彼はレシタッティーヴォ・セッコだけではなく、アリアでさえ存分に羽目を外して楽しんでいましたね。「カタログの歌」では、まるでロックのヴォーカルのようにフレーズの最後を下げたりしていましたから。
タイトル・ロールはアラン・タイタス、この人のラストネームは「Titus」ですから、モーツァルトとはゆかりがあるのでしょうが(笑)、なんせもっぱらバーンスタインの「ミサ」の初演を担った人としての記憶が強いものですから、いくら将来はバイロイトの常連になるとは言ってもこの時点での貫録のなさにはほほえましいものがあります。というか、そのタイタスをフィーチャーしたオリジナルのジャケットが不気味すぎ。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2016-03-31 23:15 | オペラ | Comments(0)
ORFF/Gisei - Das Opfer
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Kathryn Lewek, Elena Zhidkova(Sop)
Ulrike Helzel, Jana Kurucová(MS)
Ryan McKinny, Markus Brück(Bar)
Jacques Lacombe/
Chor und Orchester der Deutschen Oper Berlin
CPO/777 819-2




1937年に作られた「カルミナ・ブラーナ」が突出した人気を誇っているカール・オルフの作品は、もちろんそれだけではありません。でも、それ以外の作品が演奏される機会は殆ど無いに等しいようなものですから、これをもってオルフのことを「クラシック界の一発屋」と呼ぶ人は少なくはありません。
したがって、オルフがまだ20代だったころの1913年に作られた「Gisei」というオペラのようなレアな作品を初めて聴くという貴重な体験にも遭遇できることになります。これは、2012年と言いますから、作曲されてほぼ100年後にベルリン・ドイツ・オペラで上演された際のライブ録音です。
日本語の「犠牲」がそのままローマ字で表記されているように、このオペラは日本のオペラ、つまり歌舞伎や文楽の演目でとても有名な「菅原伝授手習鑑」の中の「寺子屋の段」をテキストに用いています。それは、こんなお話。
菅原道真の家のトイレには鏡があったわけではなく(それは「菅原便所手洗鏡」)、道真の8歳になる息子菅秀才をかくまっているかつての道真の家臣源蔵とその妻戸浪の寺子屋に、道真の政敵時平の家来玄蕃が菅秀才の首を差し出せとやってきます。実はこの日、見知らぬ女が自分の息子小太郎を寺子屋に預けていったのですが、それが菅秀才に瓜二つと気づいた源蔵は、小太郎の首を差し出します。それを見て、首実検のために同行した松王(松王丸)が「菅秀才に間違いない」と言ったので、玄蕃はそれを持ち帰ります。そこにやってきたのが、さっき小太郎を連れてきた女。彼女は実は松王の妻の千代、小太郎は松王の息子だったのです。松王は、そもそもは道真の家臣の息子、今の主君の時平よりは道真への忠義心の方が勝っていたので、わが子を犠牲にしても菅秀才を守りたかったのでしょう。

これを日本語学者のカール・フローレンツが独訳したものを読んだオルフは、それに独自の構成を施して台本を書き上げました。この寺子屋のシーンの前に、原作にはない導入部が用意されています。そこには2人の顔を隠した男女が登場します。それは松王役と千代役の歌手なのですが、この時点では正体は明らかにされていません。二人は、これから起こることを予言し、嘆き悲しみます。
それ以後は、ほぼ原作に忠実に物語が進行して行っているようです。一応ブックレットには英語の対訳があり、丁寧なト書きも入っているので、細かいプロットにもついていけるはずです(でも、ミスプリントが多すぎ)。
音楽は驚くべきものでした。ここには、後にオルフの作品のベースとなる、あの何とも即物的なテイストが全く存在していないのですよ。その音楽はとてもロマンティックで、とろけるような美しさに満ち溢れています。さらに、この題材に即した配慮として、日本的な音階も頻繁に登場しますし、「さくらさくら」などはオリジナルがそのままの形で(もちろん日本語の歌詞で)戸浪によって歌われます。最後のフレーズだけちょっとリズムが変わっていますがそれは別に問題ありません。あるいは、日本の僧侶を意味するのでしょう「Bonzo」という言葉が頻繁に使われていますが、そのあたりが、この作品の10年ほど前に初演されたプッチーニの「蝶々夫人」と酷似していると感じられるのは、ただの偶然でしょうか。そう思いながら聴いていると、オーケストレーションにもプッチーニ、あるいはリヒャルト・シュトラウス(こちらにも生首が登場しますね)と同質のものがあることにも気づきます。
しかし、そののちオルフはそのようは作風とは全く異なる様式を身に付けるようになります。なんでも、「『カルミナ・ブラーナ』以前の作品はなかったことにしたい」と公言していたそうですが、それはちょっとさびしい気がします。それは、このオペラの最後のシーンの緊迫感などは、「カルミナ後」の様式では絶対に描くことはできなかったような気がするからです。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück
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by jurassic_oyaji | 2016-03-05 19:59 | オペラ | Comments(0)
MOZART/The Weber Sisters
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Sabine Devieilhe(Sop)
Raphaël Pichon/
Pygmalion
ERATO/0825646016259




フランスの新進オペラ歌手、サビーヌ・ドゥヴィエルの新しいCDです。しかしこのドゥヴィエル嬢のかわいらしいこと。歌なんか聴かなくても、このジャケットだけでCDが欲しくなったりしませんか?
バロック・オペラの歌い手として売り出した彼女は、2013年にラモーのアルバムでこのレーベルからデビューしましたが、今回はモーツァルトの「ウェーバー姉妹」というタイトルのアルバムです。モーツァルトの伝記には必ず登場するヨゼファ、アロイジア、コンスタンツェの「ウェーバー三姉妹」、もちろんコンスタンツェは妻、アロイジアはモトカノですが、モーツァルトは彼女たちにそれぞれの思いを込めていくつかの曲を作っています。それらを集めたのが、このアルバムです。
曲目の構成もちょっと凝っています。全体は4つのコーナーに分かれていて、最初は「プロローグ」として4つのトラック、そしてそのあとにそれぞれの女性の名前を付けた3つのコーナーが続きます。それらは、やはり4つずつのトラックが用意されているのですが、なぜか最後のコンスタンツェだけ3つしかありません。なぜなのでしょう?
「プロローグ」では、全体の序曲ということで、「レ・プティ・リアン」の序曲が演奏されています。そこで、この初めて聴く「ピグマリオン」というピリオド楽器のオーケストラの音を味わうことが出来ます。このアンサンブルは、2006年にここで指揮をしているラファエル・ピションによって創設されましたが、元々はバッハの声楽作品を演奏するためのもので、メンバーには合唱団と楽器のメンバーが両方とも含まれています。今ではレパートリーは大幅に拡大されて、あらゆる国のバロックからロマン派の作品が取り上げられています。趣味のよいサウンドで広がるその演奏は、ピリオドとはいっても一部の人にしか受け入れられないような極端な表現は皆無で、とても耳あたりの良いものでした。
序曲に続いて聴こえてきたのが、無伴奏のドゥヴィエル嬢の声。とても澄んだ響きで歌い出したのは、なんとフランス民謡の「Ah, vous dirais-je maman」ではありませんか。いわゆる「キラキラ星」として知られている、モーツァルトが変奏曲を作ったことで有名な歌ですよね。これを、ドゥヴィエルは言葉を大切にしてとてもドラマティックに歌っています。そこにはいつの間にかフォルテピアノの伴奏が入っていましたが、歌が終わると今度はオーケストラも加わって、なんと「パンタロンとコロンビーネ」というパントマイムのための音楽が始まりましたよ。確かにこれは「キラキラ星」とよく似た音楽ですから、無理なくつながります。こんな面白いアレンジを行ったのはヴァンサン・マナックという作曲家。彼のそんなちょっとしたいたずらは、このアルバムの中で何度も登場します。
ドゥヴィエルのすばらしさは、ヨゼファが歌うために作られた、「魔笛」の夜の女王のアリアを聴けば分かります。コロラトゥーラのテクニックは万全、余裕をもって軽々と歌うのは当たり前とばかりに、その難しいフレーズを「エコー」にして繰り返すなどという超絶技巧まで披露してくれますよ。楽しみな新人が現れました。
さっきの、コンスタンツェのコーナーだけトラックが3つというのは、最後のハ短調ミサの「Et incarnatus est」(これも、素晴らしい演奏です)が終わっても「針を上げないで」しばらく待っていると謎が解けます。そこにはもう一つ「隠しトラック」があったのです。それは、合唱も加わって盛大に盛り上げる6声のカノン「Leck mich im Arsch」です。これを「言葉を大切に」歌っているドゥヴィエルの姿には、ある種ブキミなかわいさがあります。そして、この「ド・レ・シ・ド」というテーマから、「ド・レ・ファ・ミ」という、よく似たテーマを持つハ長調の交響曲の終楽章風に仕立て上げたのも、ヴァンサン・マナックの仕事。このアルバムは壮大に「尻をなめて」幕を閉じるのです。

CD Artwork © Parlophone Records Limited
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by jurassic_oyaji | 2016-01-21 21:33 | オペラ | Comments(0)