おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
カテゴリ:現代音楽( 170 )
UTOPIAS
c0039487_21561187.jpg





Kjell Tore Innervik(Perc)
2L/2L-141-SABD(hybrid SACD+BD-A)


ヤニス・クセナキスとモートン・フェルドマンという、ともに「現代音楽」の歴史に残る作曲家の打楽器のための作品が収録されているアルバムです。
まずは、1921年(1922年という説も)生まれのクセナキスが1975年に作った「プサッファ」です。彼の作曲技法は、「確率」や「統計」の数式を使った斬新なものでしたが、一応それは最終的には普通の楽譜に記載されています。つまり、音自体は誰が演奏しても作曲家が意図したとおりに出てくることが要求されているのです。
ただ、この作品に関しては、その楽譜は普通の五線紙ではなく、「方眼紙」が使われていました。このアルバムのジャケットにデザインされているのが、その方眼紙ですね。実際の「楽譜」は、裏ジャケットにあるこんなものです。
c0039487_21561175.jpg
一見難解なようですが、何回か見ているとその意味はすぐに分かります。縦線が時間軸、そして横線は楽器の種類で、点の部分で音を出すことが指示されているのです。使われているのがすべて打楽器ですから、この方がより正確に情報が伝わることになりますね。
ただ、その楽器はとてもたくさんあります。太鼓系、金属系など、全部で6つのグループに分けられていて、それぞれに様々な楽器が指定されています。もちろん、一度にそのすべてを演奏するわけではなく、その時に必要な楽器だけが、この方眼紙の上に書かれることになります。
そして、この曲の楽譜では演奏時間が「13分」になっています。実際、だいぶ前に聴いたこちらのCDでは13分59秒で演奏されていましたね。ところが、ほぼ同じテンポに感じられる、今回のノルウェーの打楽器奏者シェル・トーレ・インネルヴィークの演奏では、18分もかかっているのですよ。ネットでは11分台の演奏もあります。そのあたりで、クセナキスの作品が単なる音の羅列ではなく、その中にはしっかり人間の感情が反映されていることが分かります。さらに、ここで使われる打楽器は大まかな指示だけで実際は演奏家の裁量によって大きく異なってくるのでしょう。今回の演奏は、先ほどのCDと比べるとまるで別の曲のように、音色が全く違っていました。特に、真ん中以降で登場する金属片が、音色も、そして余韻も全く異なるものですから、これがかなり長いポーズが用意されている静寂の中で響き渡る時は、その長い余韻を存分に楽しむことが出来ます。なんせ、音が異様に多いことで知られるクセナキスの作品ですから、そこでこのような静寂を楽しめるのは、なかなかないことなのではないでしょうか。
そして、そんな豊穣な響きに生まれ変わったこの曲を、2通りのバージョンで聴くことが出来るというのが、録音媒体ならではの「ありえない体験」(これがアルバムタイトル「UTOPIAS」の由来)となるのです。まずはお客さんが演奏者の前にいて聴くという「二人称」バージョン。ここでは、ごく普通にマイク・アレイが楽器の前に設置されています。
そして、その次にはアレイを演奏家の頭上に設置して、まるで演奏家自身が自分の音を聴いているような「一人称」の音場になるような録音が行われています。その2種類のセッティングは、もちろん別のセッションで録音されていますから、おそらくマイクの位置によって演奏家のテンションまでが変わってくるかもしれませんね。こんな興味深い「実験」は、録音ならではのことでしょう。もちろん、それを体験するには、サラウンド用の再生装置が必要ですけどね。
もう1曲、1926年生まれのモートン・フェルドマンが1964年に作った「The King of Denmark」の楽譜は、同じ五線紙を使っていても、その升目の中に情報があります。クセナキスが「囲碁」だとすると、こちらは「将棋」ですね。
c0039487_21561128.jpg
演奏はマレットを使わず全て素手で打楽器を鳴らすという、静謐の極みです。そもそもこれは公開のコンサートで演奏されることは念頭に置いてなかった作品ですから、それが聴けること自体が「ありえない体験」となるのです。

SACD & BD-A Artwork © Lindberg Lyd AS

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-08-02 22:00 | 現代音楽 | Comments(0)
White Light/the space between
c0039487_23095829.jpg



Hugo Ticciati(Vn), Matther Barley(Vc) Gareth Lubbr(Voice)
Soumik Detta(Sarod), Sukhvinder Pinky Singh(Tabla)
O/Modernt Chamber Orchestra
SIGNUM/SIGCD532


ヒューゴ・ティチアーティというイギリスのヴァイオリニストは1980年生まれ、その名前から思い当たるかもしれませんが、指揮者のロビン・ティチアーティの3歳年上のお兄さんです。彼もロビン同様に才能に恵まれてヴァイオリニストとして大成、さらに現在はスウェーデンで「O/Modernt(オー・モダーン)」という音楽祭を自ら創設し、大胆な活動を展開しています。
この「O/Modernt」というスウェーデン語は、英語だと「Un/Modern」となるのだそうです。つまり、「Modern」と「Unmodern」、「現代」から「非現代」まで幅広い時代の音楽と関わっている、ということなのでしょう。
このアルバムには、その音楽祭が母体になったオーケストラがティチアーティとともに参加。タイトルの「White Light」というのは、ここで演奏されているアルヴォ・ペルトの言葉に由来、さらに、「the space between」という意味深なサブタイトルは、そこに西洋の音楽とは全く異なる文化と思想を持っているインドのミュージシャンが加わって、「お互いに」インスパイアし合っている様をあらわしているのでしょう。
さらに、ここではきちんと形になっている作品の間に、即興的なインタープレイが挟まって、このアルバムは2枚組という長大なものになりました。めげずに聴いてちょうだい
まずは、ペルトの「シルワンの歌」が、オーケストラの弦楽合奏によって演奏されます。ティチアーティがコンサートマスターとしてアンサンブルをリードしていますね。これはもう「ヒーリング」の定番、ピュアな和声の中に、無条件に身をゆだねてしまう、ある意味「危険」な音楽です。
そして、まずはインド音楽の擦弦楽器サロードと、ヴァイオイリンによる即興演奏です。サロードというのは、シタールよりは小振りの、ほとんどギターぐらいの大きさの楽器ですが、その独特の音色とポルタメントで、一気にインドの雰囲気が高まります。
次に登場するのは、お馴染み、ラトヴィアのヴァスクスです。「Distant Light」というタイトルのその曲は、演奏時間が30分以上かかる単一楽章のヴァイオリン協奏曲です。ティチアーティのソロは、先ほどのペルトよりもさらに浄化されたような、瞑想的な音楽を延々と奏でますが、しばらくするとこの作曲家ならではのヴァイオレンスが爆発、終わりごろにはなんと「ワルツ」まで登場するという起伏の激しさで迫ります。
もう一人の作曲家は、ジョン・タヴナー。この人の、本当は7時間もかかる「晩祷」のための曲の中の「Mother of God, Here」という曲が、最初はサロードの即興演奏が加わったバージョン、次に弦楽合奏だけのバージョンで演奏されます。
その2曲の間をつなぐのが、ギャレット・ルッベという、かつてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席奏者を務めたこともあるヴィオラ奏者の方の、ヴィオラではなく、「倍音唱法」による即興演奏です。なんでこんなところに入っているのかは謎ですが、このショッキングな「演奏」には圧倒されます。この唱法、モンゴルの「ホーミー」が有名ですが、ここでルッベがきかせてくれるのはそれよりももっと洗練された響きを持っています。全部で2時間かかるこのアルバムの中のたった2分間ですが、これが最大の収穫に思えてしまうほどのインパクトがありました。
しかし、曲はまだまだ続き、その後にはビートルズ・ナンバーが2曲演奏されています。ジョージ・ハリスンが作った「Within You Without You」という「Sg. Pepper」B面の1曲目は、元々インド音楽のパクリですが、それをインドのアーティストが演奏しているのが魅力的、彼らが最後にリリースしたアルバム「Let It Be」に収録されているジョン・レノンの「Across the Universe」では、もろペルト風の弦楽合奏への編曲で、このアルバムになじんでいます。
最後は、インドのメロディをもとに、チェロのマシュー・バーリーをソリストにしたしっかり20分ほどの作品が演奏され、この多くの要素が詰まったアルバムは終わります。

CD Artwork © Signum Records

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-07-24 23:10 | 現代音楽 | Comments(0)
AHO/Wind Quintets 1 & 2
c0039487_21165031.jpg





Berlin Philharmonic Wnd Quintet
BIS/SACD 2176(hybrid SACD)


「ベルリン・フィル木管五重奏団」の最新アルバムです。メンバーは、1988年の創立時から変わらない5人でしたが、やはり年を重ねれば「定年」というか「引退」ということを考えなければいけない人も出てくるので、2010年にはついにファゴットのパートがメンバーチェンジをすることになりました。下の写真の右端の人ですね。
c0039487_21165047.jpg
その後任者としてこのグループに参加したのは、オリジナルメンバーの娘ぐらいの世代のマリオン・ラインハルトという女性でした。「紅一点」というか、「美女と野獣たち」というか。
c0039487_21165016.jpg
彼女は、ベルリン・フィルには1999年に入団しました。そして、2010年にこのポストを得るのですが、その後2012年にはミラノのスカラ座のオーケストラにコントラファゴット奏者として転職してしまいます。ですから、もはや彼女は「ベルリン・フィル」の団員ではないのですが、このグループから脱退することはありませんでした。まあいいじゃないですか。あの「キングズ・シンガーズ」だって、最近ではグループ名の由来の「キングズ・カレッジ」の出身者なんてたぶん誰もいませんからね。
今回の彼らのレパートリーは、このレーベルではおなじみのフィンランドの作曲家、カレヴィ・アホの2曲の木管五重奏曲です。「第1番」は2006年にフィンランドのトゥルク・フィルの木管五重奏団のために作られました。そして、「第2番」はベルリン・フィル木管五重奏団の委嘱で2014年に作られ、翌年彼らによって初演されています。おそらくこれが初録音となるのでしょう。
アホの作品は、コンチェルトのような編成のものを結構聴いています。なんでも彼はオーケストラのすべての楽器のためのコンチェルトを作っているのだそうですし、「テルミン」という、普通のオーケストラではまず使われることのない楽器まで、しっかり起用していますから(器用なんですね)、もうどんな楽器に関しても、その使い方は熟知しているのではないでしょうか。
ですから、この「木五」のような室内楽でも、それぞれの楽器の勘所をしっかり押さえているようです。いや、それは単にその楽器「らしい」ところを見せつけるというのではなく、「らしくない」ところさえも強調して、その楽器の知られざる一面まで表に出す、という、ちょっといやらしいところにまでに至っているのです。
その結果、これらの「木五」は、およそ「木五」らしくないものに仕上がりました。「1番」の場合にはそれが顕著、最初にその冒頭を聴いた時には、金管アンサンブルではないかと思ってしまったほどですからね。実際は、それは単にホルンとファゴットで演奏していただけだったのですが、そこからは「木管」という感じは全く消え失せていました。ただ、それはその楽章の前半だけのこと、後半になるといとも穏やかな、それこそ「木五」らしい穏やかな響きが聴こえてくるのですが。
おそらく、この曲では、そのような「対比」を前面に押し出していたのではないでしょうか。それぞれの楽章では全く異なる音楽が同居しているという潔さです。そして、最後の第4楽章になると、さっきのホルン+ファゴットチームとフルート+オーボエ+クラリネットチームが、それぞれ別の場所で演奏するようになります。つまり、楽章の前と後でこのチーム同士がステージの上とオフステージで移動するように作られているのですね。これをサラウンドで聴くと、そんな位置関係がはっきりしてこの作曲家の「仕掛け」により浸ることが出来るようになります。それにしても、オーボエの超高音は、ほとんど「いじめ」。
「2番」になると、そんな危なげな関係は維持しつつも、それぞれの楽器に対する接し方にほんの少し愛情のようなものが加わってくるようです。持ち替えによって楽器の種類も増え、ピッコロやコールアングレのソロなどもふんだんに盛り込まれて、演奏家は「苦行」から少しは解放され、音楽の喜びを伸び伸びと伝えられるようになってきたのでは。

SACD Artwork © BIS Records AB

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-06-09 21:19 | 現代音楽 | Comments(0)
MacMillan/Trombone Concerto, Knussen/Horn Concerto, Ali-Zadeh/Nasimi-Passion
c0039487_21014425.jpg

Jörgen van Rijen(Tb), Félix Dervaux(Hr)
Evez Abdulla(Bar)
Iván Fischer, Ryan Wigglesworth, Martyn Brabbins/
Netherlands Radio Choir(by Klaas Stok)
Royal Concertgebouw Orchestra Amsterdam
RCO/RCO 17004(hybrid SACD)


ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による現代音楽のシリーズ「HORIZON」の最新アルバムです。2017年に行われた3つのコンサートから、ジェイムズ・マクミランの「トロンボーン協奏曲」とフランギス・アリ=ザデーの「ナシミ受難曲」のそれぞれの世界初演、そして、1994年に作られていたオリヴァー・ナッセンの「ホルン協奏曲」が収録されています。
マクミランの「トロンボーン協奏曲」は、このレーベルとしては初めて出会ったDXDによる録音でした。正確なデータは記載されてはいませんが、最低でも24biti/352.8MHzという、この間の2Lレーベルでお馴染みのものすごいPCMです。
この協奏曲は、コンセルトヘボウ管弦楽団の首席トロンボーン奏者のヨルゲン・ファン・ライエンからの要請に応えて作られたものです。それは、単なる協奏曲というよりは、ほとんど「オケコン」のような、オーケストラの個々の楽器やセクションがソリスティックに大活躍するという作り方になっています。なにしろ、曲の最後近くに入っているカデンツァでは、もちろんソリストが即興的なフレーズを演奏するのですが、それに呼応してこのオーケストラのトロンボーン・パートの人たちも参加してバトルを繰り広げる、といったスリリングな場面まで用意されていますからね。この時は、ソリストのファン・ライエンは客席に背を向けて、トロンボーン・セクションと一緒にインプロヴィゼーションのやり取りを行っていたんだそうです。
それ以外に印象的なのは、曲が始まってすぐに登場してトロンボーンにとてつもないハイテクで迫るフルートです。おそらくこれを吹いているのはエミリー・バイノンでしょう。
まるで映画音楽のように山あり谷ありのスペクタクルな音楽(サイレンまで入っています)は、どこを取ってもとても魅力的でした。こういうものこそ、しっかりサラウンドで聴きたいものです。金管のコラールで安らかに迎えるエンディングも感動的です。
これらの複雑に入り組んだオーケストラのテクスチャーが、まさにDXDならではの精緻な音で迫ってきます。正直、BD-Aならいざ知らず、SACDでここまでのものが聴けるとは思っていませんでした。
もう一つの世界初演は、アゼルバイジャンの作曲家アリ=ザデーがこの年のイースターのために作った「ナシミ受難曲」です。
このオーケストラには、初代指揮者のメンゲルベルクの時代から、この時期にバッハの受難曲を演奏するという伝統がありました。それは代々の指揮者に受け継がれ、一時アーノンクールが「HIP(=historically informed performance)」で演奏していたこともありました。最近では、バッハの受難曲だけではなく、何年かに一度は現代に作られた受難曲を演奏するようになっていて、2009年にはジェイムズ・マクミランの「ヨハネ受難曲」、2013年には、フランク・マルタンが1949年に作ったオラトリオ「ゴルゴタ」が演奏されていました。そして、2017年に演奏されたのが、この「ナシミ受難曲」です。
「ナシミ」という馴染みのない言葉は、この受難曲で通常の新約聖書からの福音書の代わりにテキストとして使われている、14世紀のアゼルバイジャンの詩人イマードゥッディーン・ナシミに由来しています。もちろん、それはアゼルバイジャン語で書かれたものでした。
彼女の作品は、伝統的な西洋のクラシック音楽と、中東の民族音楽とを融合したものと言われていますが、それはとても高い次元でのクロスオーバーがなされていて、決して安直なオリエンタリズムに陥ることはありません。バリトンのソリストとして起用されている、アゼルバイジャン生まれで世界中のオペラハウスで活躍しているイヴズ・アブドゥーラが、テキストに命を吹き込んでいます。
この曲と、ナッセンの「ホルン協奏曲」は、96kHzPCMによる録音だからなのでしょうか、DXDによるマクミランとは明らかにワンランク下がった音に聴こえます。その違いがここまではっきり分かるとは。

SACD Artwork © Koninklijk Concertgebouworkest

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-04-28 21:05 | 現代音楽 | Comments(0)
REICH/Drumming
c0039487_21293385.jpg




Colin Currie Group
Synagy Vocals
COLIN CURIE RECORDS/CCR0001


スティーヴ・ライヒのごく初期、1971年に作られた「ドラミング」の最新録音です。足の長い鳥ではありません(それは「フラミンゴ」)。この曲は、1974年にライヒ自身も加わったアンサンブルによって録音されていましたね。
c0039487_21293319.jpg
もちろん、まだCDは出来ていなかった頃ですから、これは、他の2作品とカップリングされて、LP3枚組のボックスとしてリリースされていました。レーベルが、そのような「現代音楽」とは無縁のように思われていたドイツ・グラモフォンだったのがとても意外だった思い出があります。
これはその後同じ曲目で2枚組のCDとしてリイシューされましたが、その時もこの「ドラミング」は1枚には収まらず、4つのパートの中の最後の1つが2枚目のCDに入っていました。しかし、今回は全曲が1枚のCDに収まっていました。かつては1時間半かかっていたものが今回は1時間弱にまで短くなっていたのです。
それは、この曲の演奏のされ方を考えれば納得できます。これがこの曲の基本的なリズムパターンです。
c0039487_21293302.jpg
ご存知のように、これは「ミニマル・ミュージック」の黎明期のもの。全ての演奏者が、このリズム全体、あるいは一部をそれぞれの楽器に応じたピッチや音色で演奏するだけなのですが、その際にほんの少しずつ他の人とはズレて演奏することによって、音の間に新たな音が生まれます。その結果、一人一人は全く同じリズムで叩いたり歌ったりしているだけなのに、時間とともにとても多彩で複雑なリズムパターンが現れることになります。そして、その時の「ズレ」のタイミングは演奏者に任されていますから、かなり自由度が高くなり、その結果演奏時間も大幅に変わってしまうことになるのです。
「ドラミング」というタイトル通り、ここでは最初に「調律されたドラム」が登場します。実際には「ボンゴ」と呼ばれる2つの小さな太鼓がペアになった楽器ですが、それがきちんと「gis-h」と「ais-cis」とに「調律」されたものが2組ずつ使われています。ただ、それだけが使われるのは、4つのパートに分かれているこの曲の最初のパートだけです。ここでは、4人の打楽器奏者が全部で8個の「ドラム」を叩きます。
「パート2」になると、「ドラム」はなくなって9人の打楽器奏者が演奏する3台のマリンバと2人のヴォーカルが登場します。「パート3」では3人の打楽器奏者による3台のグロッケンシュピールと2人のヴォーカリストによる口笛、そこにピッコロが加わります。「パート4」ではすべての楽器が12人の演奏者によって演奏されます。
これらの「パート」は、続けて演奏されるので、その変わり目は前の楽器に次の楽器が重なってきて、いつの間にか変わっている、という状態になります。そのような「いつの間にか」という感覚が、この曲の場合は重要になってくるのですが、これが最初にLPでリリースされた時には、2枚のそれぞれA面とB面に1パートずつ収録されていたために、その切れ目では一旦演奏を止めて盤を交換しなければいけませんでした(その変わり目はフェイド・アウトとフェイド・インになっていました)。これでは、せっかくのライヒの目論見が台無しですね。
それがCDになった時も、その演奏では1枚には収まらなかったので、「パート3」と「パート4」 の間で止めなければいけませんでした。それがやっと、中断なしに全曲を聴くことが出来るようになったのですね。それが今回のCDの最大の利点です。
もちろん、それだけではなく、40年以上の時間が経って世の中が全く変わってしまえば、演奏自体が大きく変わってしまうのは当然のことです。かつて、ひたすらパルスを生み出すことに専念していたストイックさはここでは姿をひそめ、内から湧き出るエクスプレッションに満ちていると感じられるのは、そんな一例です。「ミニマル」は、コリン・カリーによって確かな「変貌」を遂げていました。
第4部の途中で「食べてなかった」と聴こえるのが面白いですね。

CD Artwork © Colin Curie

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-04-19 21:35 | 現代音楽 | Comments(0)
PORRA/Entropia
c0039487_21290128.jpg


Paperi Ta(Rap), Joonas Riippa(Drum)
Aki Rissanen(Pf), Lauri Porra(E. Bass)
Jaakko Kuusisto/
Lahti Symphony Orchestra
BIS/SACD-2305(hybrid SACD)


アルバムのタイトルが「エントロピア」。これは、この中で演奏されている作品のタイトルですが、それはもちろん「エントロピー」にちなんだものだというのは容易に想像できます。寿司ネタではありません(それは、「エンガワ、トロ、ピーマン?」。この言葉は、「熱力学の第2法則」という難しい話の中に登場するタームです。
実際には、このタームはそのような物理学の範疇を超えて、たまに普通の会話の中でも使われることはあります。要は、「エントロピー」というのは「無秩序」の状態を定量的に表したもので、これが増大すると、それだけ「無秩序」になる、ということです。そして、「自然界ではエントロピーは増大する」というのが、この法則です。たとえば、冷水と熱湯を混ぜるといずれはぬるま湯になってしまいます。これは、それぞれ別の状態で秩序を持っていたものが、秩序のないものに変わってしまうことでエントロピーは増大しています。しかしその逆、ぬるま湯から冷水と熱湯を作り出すことはエントロピーが減少することなので、普通はできません。
などと、七面倒くさいことを言ってますが、ここでそんなタイトルを与えられた作品は、「エレックトリック・ベースとオーケストラのための協奏曲」です。つまり、通常はロックやジャズといったポップ・ミュージックとクラシックという全く別の秩序の中にある楽器なりアンサンブルを混ぜることによって新たな無秩序の状態を作り出そうという程度の発想なのですね。別に「コラボレーション」とか言ってみてもその意味は変わらないものを、ちょっと難しく言ってみました、ぐらいのノリなのでしょう。
そんな曲を作ったのは、1977年生まれのフィンランドの作曲家、ラウリ・ポラーです。このアルバムは、彼の作品集、そしてこの方は、なんとあのジャン・シベリウスの曾孫なのだそうです。こんな顔です。
c0039487_21290157.jpg
彼はフィンランドの伝説的なメタル・バンド「ストラトヴァリウス」に5代目のベーシストとして2005年に加入し、現在もメンバーとして活躍しています。しかし、それは彼の音楽活動の一面にしかすぎず、彼の興味はあらゆるジャンルを網羅しているのです。もちろん、それはクラシックにも及んでいて、このようなオーケストラを使った作品まで手掛けています。もっとも、オーケストレーションに関しては専門的なスキルをもったオーケストレーターと共同で作業を行っていますが、彼とはあくまで「仲間」として接していて、このアルバムでもプレーヤーとして参加させています。
「エントロピア」では、ポラーがソリストとしてクーシスト指揮のラハティ交響楽団と共演しています。これはもう、かつての「プログレッシブ・ロック」を彷彿とさせるようなロックとクラシックが高次元で融合した痛快な作品です。
もう一つの「協奏曲」、「ドミノ組曲」は、ドラム・セットとジャズ・ピアノがソリストです。これは意外とおとなしく、3つある最初と最後の楽章は、しっかり記譜されたパターンをピアノが延々と弾いているほとんどミニマル、真ん中の楽章だけドラムスが即興で暴れまわるという曲です。
さらに彼の興味はヒップ・ホップにも及んでいて、アルバムの最初に収録されているのはオーケストラをバックにラッパーが登場するというとんでもないコラボでした。でも、ここでのラッパー、パペリTは、自分で作ったテキスト(「リリック」でしょうね)を淡々と語るスタイルですから、いにしえの「現代音楽」の「シュプレッヒ・ゲザンク」のような味わいが醸し出されています。それを、ポストプロダクションで声を歪ませたりサラウンドの音場を作っていたりしていますから、もうたまりません。BISがSACDをやめないでくれて、本当によかったと思えてきます。
フィンランド語のラップは初めて聴きましたが、なかなか美しいと感じられるのは、日本語のラップがあまりに醜く貧しいからでしょう。
彼のひいおじいさんがこのSACDを聴いたら、なんと言うのでしょうね。

SACD Artwork © BIS Records AB

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-03-13 21:31 | 現代音楽 | Comments(0)
ZENDER/4 Canciones nach Juan de la Cruz
c0039487_21113002.jpg

Angelika Luz(Sop), Ernst Kovacic(Vn)
Sylvain Cambreling, Susanna Mälkki, Marcus Creed, Emilio Pomàrico
Chor des Bayerischen Rundfunks, SWR Vokalensemble Stuttgart
Klangforum Wien, Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks,
SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg
WERGO/WER 7336 2


かつての「現代音楽」の生き残りのようなスタンスで、現在も難解な音楽を作リ続けているのが、1936年生まれの作曲家、ハンス・ツェンダーです。彼は指揮者としても活躍していて、1978年にNHK交響楽団の定期演奏会を指揮するために来日した時には、「Muji no kyo」という自作も演奏していました。「ムジノキョ」っていったいなんだろう?と思ったのですが、それは日本語で「無字の経」だということが分かった時には、なにか親近感が湧いてきました。彼は西洋音楽の「現代」理論だけではなく、「禅」のような東洋思想にも造詣が深く、それも作曲のツールとしていたのでした。とは言っても、やはりその曲は難解でしたね。何回聴いても
このアルバムのタイトルは、「十字架の聖ヨハネの4つの賛歌」です。それは、2008年から2014年にかけて作られた4つの作品がまとめられたもの。それぞれは編成も異なり、別々の機会に作られているのですが、そのテキストは同じところから取られています。
テキストというのは、16世紀のスペインのカトリックの司祭で、思想家でもあったサン・ホワン・デ・ラ・クルス(十字架の聖ヨハネ)の著書、「Cántico espiritual(霊の賛歌)」です。有名な旧約聖書の「ソロモンの雅歌」と並び称される、愛の歌です。
全体は40のスタンザ(連)から出来ていますが、ツェンダーはその中から14の連を選びました。4つの作品のタイトルは、それぞれの連の最初の言葉が使われています。
1曲目の「どこへ?」には第1連から第3連までが使われました。ここでは、ソプラノ・ソロとヴァイオリン・ソロに小編成のアンサンブル(クランクフォルム・ウィーン)が加わっています。指揮はシルヴァン・カンブルラン。ウィーンのコンツェルトハウスでのライブ録音ですから、お客さんの咳払いなども聴こえてきます。そんな中から始まったソプラノのソロは、今ではなかなか聴くことのできない無調のメロディ、それに対してヴァイオリンからはいくらかリリカルなメロディが聴こえてきます。
とは言っても、この刺激的なサウンドはかなり緊張感を強いられるもの、こんな敵対心をあらわにした音楽は久しぶりに聴きました。
2曲目の「おお、森よ」は2011年の作品。ここでは「霊の賛歌」の第4連から第8連までが使われています。楽器の編成は少し大きくなって、バイエルン放送交響楽団が演奏しています。そして、バイエルン放送合唱団も加わります。指揮はスザンナ・マルッキ。これも、ヘルクレス・ザールでのコンサートのライブ録音です。合唱はやはりある意味「素材」として使われているようで、相変わらずの人を寄せ付けない雰囲気が漂います。
3曲目、2011年に作られた「どうして?」は、無伴奏の合唱だけによる演奏。テキストは第9連と第10連で、これだけスタジオでの録音です。演奏しているのはSWRヴォーカルアンサンブル、指揮はおなじみ、マーカス・クリードです。無伴奏のはずなのに、最初のあたりでピアノのような音が聴こえるのは、ちょっとした錯覚でしょう。ツェンダーの合唱の書法は、半音をさらに6分割した微分音程が使われていると言われていますが、それを合唱でやるとただのクラスターにしか聴こえないのではないでしょうか。ただ、その微妙なピッチの差で、なにやら不思議な感覚を味わうことはできます。
その後の第11連はカットされていて、第12連から第15連が3つの曲になっている「水晶のような泉」が始まります。これは、1曲目は第12連と第13連の前半、2曲目は第13連の後半、3曲目は第14連と第15連が使われているからです。
ここではSWRバーデン=バーデン&フライブルク交響楽団がさっきの合唱に加わって、ドナウエッシンゲンでライブ録音されています。指揮はエミリオ・ポマリコ。2曲目に電子音が左から右にパン・ポットしているのが聴こえますが、これはライブではどのように聴こえていたのでしょう。

CD Artwork © WERGO

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-12-28 21:14 | 現代音楽 | Comments(0)
RZEWSKI/The People United Will Never Be Defeated!
c0039487_22482698.jpg





Daan Vandewalle(Pf)
ETCETRA/KTC 1589


ジェフスキの「不屈の民」変奏曲は、新しい録音が出れば必ずチェックしています。大昔に買った楽譜がいくら探しても見つからないようになっていたので、最近新たに買い直したりもしていました。なんせ「全音」が出版元ですから、簡単に入手できますからね。たった2,000円(税抜き)ですよ。
今回のCDは2016年の10月に録音されたもの、国内代理店の帯には、ほぼ定訳と化している「『不屈の民』変奏曲」と並んで、元のタイトルの直訳である「(団結した民衆は決して敗れることはない)による36の変奏曲」という表記が併記されているのがうれしいですね。余談ですが、有名なエルガーの「威風堂々」というタイトルも、元の「Pomp and Circumstance」を忠実に訳したものではなく、誤訳とは言えないもののかなりの意訳とされていますね。罰金が必要です(それは「違約金」)。
演奏しているのは1968年生まれのベルギーのピアニスト、ダーン・ファンドヴァールです。アイヴズやメシアンといった古典的な「現代音楽」から始まって、まさに同時代の音楽まで幅広く演奏している方で、ジェフスキ本人の作品の初演を行ったこともあるのだそうです。さらに、プロフィールを見ると、あの「大作」、カイコシュル・ソラブジの「オーパス・クラヴィチェンバリスティクム」を全曲演奏したことがある数少ないピアニストの一人だということで、それだけでも只者ではないことが分かります。
そんなヴィルトゥオーゾですから、さぞや切れの良い演奏をするのでは、と思って聴き始めると、最初のテーマはいともゆったりとしたテンポで、たっぷりルバートをかけたリリカルなものであったのが、ちょっと意外でした。確かに、全体の演奏時間は、「カデンツァ」の部分を引くと58分34秒ですから、かなり「遅い」テンポの部類に入ります。以前、そんなリストを作りましたが、それ以降の録音も含めて、改訂版を作ってみましたので、比較してみてください。

演奏家       全演奏時間/カデンツァ/カデンツァ抜き時間(録音年/レーベル)
オッペンス     49:17-00:00=49:17(1978/PIANO CLASSICS)
高橋悠治      58:01-01:22=56:39(1978/ALM)    
ジェフスキ     61:04-07:42=53:22(1986/HAT HUT)
ドゥルーリー    54:54-00:00=54:54(1992/NEW ALBION)
アムラン      57:22-06:24=50:58(1998/HYPERION)
ジェフスキ     63:47-05:56=57:51(1998-2001/NONESUCH)
ファン・ラート   62:30-06:00=56:30(2007/NAXOS)
シュマッハー    64:50-04:00=60:50(2009/WERGO)
キーレリチ     59:46-04:31=55:15(2009/BRIDGE)
オッペンス     50:43-02:38=48:05(2014/CEDILLE)
レヴィット     62:18-04:44=57:34(2015/SONY)
ファンドヴァール  61:20-02:46=58:34(2016/ETCETRA)

楽譜を見ながら続く変奏を聴いていると、かなり難しいそれこそセリー・アンテグラル風の変奏でも、ファンドヴァールはしっかり「歌って」いることがよく感じられます。その結果、今までの演奏ではちょっと分かりにくかった、そういう難しい変奏の中にちりばめられた「テーマ」が、しっかり浮き上がって聴こえてくることにも気づかされます。この作品は、そのようにしっかり「テーマ」が聴こえてきてこそのもの、単なる超絶技巧の見世物ではなかったのでしょう。
さらに、楽譜を見て初めて気づいたのが、この変奏曲の中で最も長い第27変奏の複雑な変拍子の世界です。この変奏自体がいくつものパーツから成っていますが、その中で延々と続く単調な左手のパルスに乗って右手が醸し出す変拍子や後半の執拗なオスティナートの応酬は、まさに「ミニマル・ミュージック」そのものです。ジャズの影響が強いことはよく知られていますが、こんな「最新」のファッションまで、ジェフスキは取り入れていたのですね。
ピアニストの個性がもろに出てくるのが、最後の第36変奏の後に設けられた「カデンツァ」の部分です。ここでは、ファンドヴァールは「前衛」とか安易な引用(バッハのコラールを引用している人もいます)には走らず、とても生真面目な、彼自身の「変奏」を聴かせてくれています。

CD Artwork © Quintessence BVBA

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-08-26 22:50 | 現代音楽 | Comments(0)
MESSIAEN/Quartuor pour la fin du temps
c0039487_20054748.jpg



David Krakauer(Cl), Matt Haimovitz(Vc)
Jonathan Crow(Vn), Geoffrey Burleson(Pf)
Socalled(Electronics)
PENTATONE/PTC 5186 560(hybrid SACD)


いつものPENTATONEのSACDですが、ジャケットの下の方に「PENTATONE OXINGALE SERIES」とあるのが、ちょっと気になります。これは、このオランダのレーベルが、カナダの「OXINGALE」というレーベルと提携してリリースしたアイテムなのだそうです。2000年に創設されたOXINGALEレーベルは、先駆的なアーティストを擁してクラシックのカテゴリーを超えた斬新なアルバムをリリースしてきました。レーベルのメインのアーティストは、チェリストのマット・ハイモヴィッツと、プロデューサーとしてもかかわっている作曲家のルナ・パール・ウールフです。
このメシアンの有名な作品「時の終わりのための四重奏曲」が収録されたアルバムも彼女のプロデュースで2008年に録音されたもので、すでに2014年にOXINGALEからCDがリリースされていましたが、今回は同じものがSACDになってPENTATONEからもリリース、という形になっています。ただ、最近の録音では最初からPENTATONEからリリースされていますから、実質的にはOXINGALEはPENTATONEのサブレーベルになった、ということなのでしょう。
このアルバムのタイトルは「AKOKA」、そして、その下には「メシアンの『時の終わりのための四重奏曲』の再構成」みたいなコメントが加えられています。確かに、トラックリストには、このメシアンの作品の前後には「Akoka」と「Meanwhile...」という聴きなれない曲名がありますね。これはライブ録音で、これらの曲がメシアンを挟む形で続けて演奏されていたのだそうです。これはいったいどういうことなのでしょう。
「AKOKA」は、ここでクラリネットを演奏しているデヴィッド・クラカウアーの作品、曲名はメシアンの曲を初演したクラリネット奏者、アンリ・アコカへのオマージュが込められているのだそうです(あ、そうか)。ブックレットにはこの曲の楽譜までしっかり載っていますよ。たった1ページしかない走り書きのようなものなので、日本語の帯には「自筆譜の一部を掲載」とありますが、これは間違いなく「全曲」の楽譜です。というより、この曲はきっちり作りこまれたものではなく、プレーヤーの即興的な演奏で成り立つもので、この「楽譜」はその単なる「きっかけ」のようなものを記したものなのですから。
それはまず、クラカウアーのクラリネットとハイモヴィッツのチェロとジョナサン・クロウのヴァイオリンが高い音から低い音までをグリッサンドでつなげるというフレーズで始まります。おそらく、PAでディレイを入れているのでしょう、それぞれのパートは少し遅れてかすかに聴こえてきます。やがて、ジェフリー・バールソンのプリペアド・ピアノも加わり、変拍子のオスティナートの上でのインプロヴィゼーションが始まります。ヘブライ音楽のようなモードが聴こえるのは、アコカがユダヤ人だったことの反映でしょうか。やがて、静かな経過部の後に、アタッカでメシアンの四重奏の鳥の声が聴こえてきます。
もちろん、ここではピアノのプリペアは完全になくなっています。瞬時に外したような気配はありませんでしたから、このライブではピアノが2台用意されていたのでしょうか。
このメシアンは、それぞれの奏者の個性が前面に出てきた、とてもエキサイティングな演奏でした。そこには、あのTashiの録音と同質の、「醒めた熱気」が感じられます。
そして、エンディングを飾るのが、ここでは「Electronics」というクレジットで参加しているカナダのユダヤ系ラッパーSocalled(本名:ジョシュ・ドルギン)のパフォーマンス「Meanwhile...」です。メシアンの演奏をサンプリングしたもののリミックスなどを駆使して、ヒップ・ホップの世界が広がります。これが、どのような状況で「演奏」されていたのか(メシアンの演奏家たちはステージに残っていたのか、とか)、非常に興味があります。
このような形で「再構成」されたメシアンですが、「だからなんなんだ?」という感じ。この作品にこんな小手先の策を弄する必要は、何も感じられません。

SACD Artwork © Oxingale Productions,

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-05-18 20:07 | 現代音楽 | Comments(0)
LEGRAND/Concertos
c0039487_23135529.jpg


Michel Legrand(Pf)
Henri Demarquette(Vc)
Mikko Franck/
Orchestre Philharmonique de Radio France
SONY/88985393722


ミシェル・ルグランといえば、まずは「シェルブールの雨傘」というミュージカル映画の音楽を作った人として、広く知られています。さらに、彼自身もジャズ・ピアニストとして大活躍、クラシックのアーティストと共演したこんなアルバムも作っています。
それだけではなく、彼はかつてクラシックのピアニストとしても、サティのアルバムを出したり、さらにはなんと指揮者として、シンフォニーオーケストラの指揮台に立っていたことだってありました。フォーレとデュリュフレの「レクイエム」がカップリングされたアルバムなどもリリースしていましたね。
c0039487_08113289.jpg
そして、今回は「クラシックの作曲家」として、自らの作品を世に問うアルバムまで作ってしまったのです。今年85歳を迎えた老人とはとても思えない、エネルギッシュな姿勢ですね。
ただ、ルグラン自身はもともとパリのコンセルヴァトワールでナディア・ブーランジェに師事していたのですから、「クラシックの作曲家」としての素養は十分にあったはずです。ジャズへの道に進んだのちも、いつの日かクラシックの作品で勝負したいという願望は持ち続けていたのでしょうね。そんな夢が、やっと叶ったことになります。
「ピアノ協奏曲」は、ミシガン州カラマズーで1991年から開催されている「ギルモア国際キーボード・フェスティバル」の2016年のファイナル・コンサートのために、そこのホスト・オーケストラであるカラマズー交響楽団からの委嘱で作られました。この音楽祭はクラシックだけではなくジャズやポップスのアーティストも参加する幅広いジャンルを誇っています。ルグランはそこで文字通りジャンルを超えた作品を披露することになったのですね。彼はまずジャズマンとして、自身のトリオによるステージを5月8日に行います。そして、5月14日のファイナル・コンサートのトリを、レイモンド・ハーヴェイ指揮のカラマズー交響楽団をバックに、彼自身のピアノ・ソロによって務めました。もちろん、そこで世界初演されたのは彼のピアノ協奏曲です。
そして、同じ年の9月に、今度はパリで、ミッコ・フランク指揮のフランス放送フィルとの共演で録音されたのが、このCDです。3つの楽章、演奏時間30分という、真正面からクラシックに取り組んだ「シリアス」な作品です。
その第1楽章は、ルグランの「速弾き」のソロがフィーチャーされた、目くるめく豪華な仕上がりになっていました。曲の感じはラヴェルのピアノ協奏曲によく似ています。打楽器のパルスをきっかけに繰り広げられるそのテクニックは軽やかそのもの、それはまさにジャズ・ピアニストの持つヴィルトゥオージティです。
第2楽章は型どおりのリリカルな曲想です。ここで興味を引くのはそのオーケストレーション。ピアノ・ソロが厚ぼったく和声づけされた美しいテーマを歌う時に、弦楽器がぴったりユニゾンでそれに合わせているのですね。かつてハービー・ハンコックがクインシー・ジョーンズのアルバムに参加していた時に、彼のアドリブ・ソロを採譜したものを弦楽器でハーモナイズして重ねるということをやっていましたが、これはそんな、クラシックの作曲家ではまず使わないような手法です。
第3楽章では、大胆に「無調」のテイストが導入されています。クラシック界では死に絶えた技法が、こんな形で蘇るのはとても新鮮です。
2012年に着想されたという「チェロ協奏曲」は、ここで演奏しているドマルケットのために作られました。こちらは、普通の3つの楽章の後に、まず「ソナタ」というタイトルの楽章が続きます。ここでは、なんと指揮者のフランクが指揮台から降りてピアノのところまで行って、チェロとのデュエットを披露するという「仕掛け」が施されています。それが終わると指揮者は何事もなかったようにまた指揮台に戻り、美しすぎる最後の楽章に入る、というぶっ飛んだ構成です。

CD Artwork © Sony Music Entertainment France

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-04-04 23:15 | 現代音楽 | Comments(0)