おやぢの部屋2
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カテゴリ:現代音楽( 173 )
REICH/Drumming
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加藤訓子(Perc)
LINN/CKD 613(hybrid SACD)


加藤さんのLINNからのアルバム、毎回斬新なアイディアが込められていますが、ここではなんとライヒの「ドラミング」をたった一人で演奏しています。一本足ではありません(それは「フラミンゴ」)。まあ、これまでの彼女のライヒに対するアプローチを見てくれば、その可能性もありかな、という気はします。ただ、この作品で要求されているのは彼女の楽器である「打楽器」だけではなく、「ヴォーカル」や、さらには「ピッコロ」と「口笛」の演奏です。かなりのハードルの高さです。
ライヒが1971年に作った「ドラミング」は、全部で4つのパートに分かれている大作で、それぞれのパートで使われる楽器が変わります。最初のパートでは「調律された太鼓」という指定で、大小のボンゴをきっちりチューニングして使います。
このパートが、タイトルの「ドラミング」がそのまま演奏として行われている部分です。ここでは、4人の打楽器奏者だけが8個のボンゴを叩き続けるという、かなりストイックな情景が続きます。とは言っても、それはただ叩き続けるだけの単調なものではありません。一人一人は同じリズムパターンだけを叩いていますが、それが奏者ごとに微妙に「ズレて」行くというのが、ライヒの音楽の最大の魅力。8本のマレットによって叩き出される複雑に交錯したリズムと、それに伴って湧き上がってくる「メロディ」は、それまでの音楽の在り方に明確な風穴を開けるものだったのです。
さらに、この作品はボンゴだけのモノトーンの世界の中に、マリンバが入ってくることによって、色彩がガラリと変わります。最初はボンゴの後ろでかすかに聴こえてきたマリンバですが、それは次第に大きくなり、それに伴ってボンゴは徐々に消えていくという、一つの連続の中での「トランジション」が行われる場面、それは、聴いている者にとってはいったいいつの間に楽器が変わってしまったのだろうという不思議な感覚が湧いてくる瞬間となります。
それが、2番目のパートの始まり、そのころには、ボンゴを叩いていた人たちもマリンバのある場所に移ってきて、3台の楽器を9人の奏者が叩くことになります。さらに、このパートでは高い声と低い声の2人の女声ヴォーカリストが加わります。
同じように、3つ目のパートはマリンバからグロッケンへのトランジションによって始まります。ここでは、3台のグロッケンを5人の奏者が叩くとともに、一人は「口笛」をふき、さらに一人のピッコロ奏者が加わります。
そして、最後のパートにはすべての楽器の12人が全員参加して、一大スペクタクルが繰り広げられるのです。
そんな、とてつもなく複雑なことを、この録音では加藤さんが全部一人で行っているのですよ。もちろん、それは多重録音によるものですが、この音楽は言ってみれば「合わせない」音楽なのですから、普通に「一人ア・カペラ」のようなことを行うのとは全く異なる能力が必要になってくるのは明らかです。最後の方では、11人分の音を聴きながら、それに「合わせず」に、新たに別のリズムを刻むことになるのですからね。
それを、加藤さんはいとも楽しげにやってのけていたようです。しかも、ヴォーカルやピッコロまで、とても見事に演奏していました。ピッコロなどは、よくぞこんなにきっちりとした音が出せたものだと驚くばかりです。もしかしたら、うまくいったテイクをそのままサンプリングして使っていたのかもしれませんね。いずれにしても、これは世界で初めてこの作品を「一人だけで」録音したものとなりました。
そもそもこの録音は、ダンスとの共演でリアルタイムに演奏するために行われたものなのだそうです。一つのパートだけを抜いた「カラオケ」をバックに、一人で何種類もの楽器を叩き、歌い、それに合わせてダンサーが踊るというとんでもないことが、名古屋で行われていたんですね。
このアルバムが、サラウンドのSACDでリリースされたのも、日本国内だけなのだそうです。

SACD Artwork © Linn Records

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by jurassic_oyaji | 2018-10-11 22:49 | 現代音楽 | Comments(0)
BYE-BYE BERLIN
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Marion Rampal(Voc)
Raphaël Imbert(Sax)
Quatuor Manfred
HARMONIA MUNDI/HMM 902295


イギリスの作家クリストファー・イシャウッドが1939年に発表した短編集「Goodbye to Berlin(さらばベルリン)」は、1930年代のベルリンを舞台にして彼自身の体験をもとに書かれた小説です。これは1951年に「私はカメラ」というタイトルで戯曲化されますが、さらに1966年にはロッテ・レーニャがキャスティングされたミュージカル「キャバレー」となり、それが1972年にライザ・ミネリ主演で映画化されることによって、多くの人に知られるようになりました。
今回のCDのタイトルは、そのオリジナルのタイトルに対するリスペクトのあらわれでしょう。これは、「さらばベルリン」で描かれた時代に実際に作られていた曲を集めて、そのころ、つまりヒットラー政権前夜のなんともゆがんだ、ということは芸術的には極めて実りの多かった時代の空気を再現しようとしたものです。
ここでの主役は、フランスのシンガー・ソングライター、マリオン・ランパルです(ブックレットにはわざわざ「ジャン=ピエール・ランパルとは無関係!」とありました)。そしてそのバックを務めるのはマンフレッド・カルテット(弦楽四重奏)と、サックス界の鬼才ラファエル・アンベールです。
登場するのは、ワイル、シュルホフ、アイスラー、そしてヒンデミットにベルクと、まさにある時期「退廃音楽」とカテゴライズされた作曲家たちの作品です。これらは、ランパルのけだるいヴォーカルと、アンベールなどによって施されたぶっ飛んだ編曲によって、オリジナルをはるかに超えた「あぶなさ」を見せています。なにしろ、そのアンベールときたら、最初のうちはバス・クラリネットでワイルの「ユーカリ」などをしゃれっ気たっぷりにサポートしているのですが、同じワイルの「ベルリン・レクイエム」の中の「溺れた少女のバラード」では、サックスで「溺れる少女」が水の中でもがき苦しむ様子を狂ったように描写したりしているのですからね。
中には弦楽四重奏のオリジナルの作品も取り上げられていて、それらは「素」のままで見事なメッセージを伝えてくれています。特にシュルホフの「弦楽四重奏曲第1番」の第4楽章からは、不安だらけの音楽が切ないほどに聴こえてきます。同時に、同じシュルホフでもピアノ曲を編曲した「5つのジャズ・エチュード」からの「シャンソン」や、ワイルの「弦楽四重奏曲ロ短調」の第2楽章などからは、それとは正反対のロマンティシズムたっぷりの熟れた音楽さえ味わえます。
そんな文脈の中で、なんとヒンデミットの「さまよえるオランダ人」が登場します。これもオリジナルの弦楽四重奏のための作品ですが、正式なタイトルは「朝の7時に、湯治場の二流の保養楽団が初見で演奏しているような、『さまよえるオランダ人』の序曲」という、これだけでワーグナーを完全におちょくった曲であることが分かるものです。ですから、このCDではヒットラーのお気に入りだったワーグナーに対する痛烈なアイロニーとして、この曲を扱っているのですよ。私見では、これはそれほどのものではなく、もっと軽い冗談として受け取った方が良いような気がするのですが、ここでのマンフレッド・カルテットはあまりにまじめにそんなプロテスト感を込めて演奏しているものですから、その暑苦しさが逆に滑稽に思えてしまいます。というか、こんな演奏ではヒンデミットが仕掛けたおかしさは絶対に表現できないと思うのですけどね。
悪いことに、ここではそれを、ランパルたちに言わせれば「ダダイズム風のコラージュ」として使っているのですよ。つまり、この曲は最初と最後の一部分しか演奏されず、その間にアルノ・ビリング(ミシャ・スポリャンスキー)の「ラヴェンダー・ソング」という歌が歌われているのです。これで、ヒンデミット版「オランダ人」の中で一番面白いところが見事にカットされてしまいました。そんなの、おら、やんだ(東北弁)。その結果、このCDはしょうもないクズとなったのです。

CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s.

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by jurassic_oyaji | 2018-09-20 21:05 | 現代音楽 | Comments(0)
EICHBERG/Symphony No.3, Morpheus
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Robert Spano, Joshua Weilerstein
Danish National Concert Choir
Danish National Symphony Orchestra
DACAPO/8.226144


その作品が「パンク・ロックからオペラまで」と言われているデンマークの現代作曲家、セアン・ニルス・アイクベアは、1973年にシュトゥットガルトに生まれました。彼はデンマークとドイツでピアノと作曲、そして指揮法を学びますが、2001年にブリュッセルで行われた「クイーン・エリザベス作曲コンクール」で優勝してからは作曲家として活躍することになります。そして2010年にはデンマーク国立管弦楽団の最初の「コンポーザー・イン・レジデンス」に就任しました。それ以来、彼はこのオーケストラのために数多くの作品を提供することになります。
さらに、彼はオペラもこれまでに4つ作っています。その中でも、2014年にイギリスのロイヤル・オペラ(コヴェント・ガーデン)からの委嘱で作られた「Glare」は、「SFオペラ」、あるいは「ロボット・オペラ」と呼ばれて、センセーションを巻き起こしたそうです。ここではソプラノのロールがロボット(アンドロイド)なんですね。なんでも、男がそのロボットの包みを開くところがオープニングなのだとか。そこで鞭を出して(そ、それは「SMオペラ」)。
彼の作品は多岐にわたっていて、その中にはヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ピアノのために作られた「Natsukusa-Ya」というタイトルの室内楽もあります。もちろん、これはあの「夏草や 兵どもが 夢の跡」という芭蕉の句をモティーフにしているのでしょうね。
このCDで演奏されているのは、デンマーク国立管弦楽団でのポストでの2つの成果です。それぞれ、作曲された直後にデンマーク放送によって録音されています。
まずは2015年に作られた「交響曲第3番」です。これを指揮しているのはロバート・スパーノ。この作品は、作られたころにはもう余命いくばくもないと分かっていた作曲者の父親にささげられています(父親は2017年に亡くなりました)。この曲の中には、ですから作曲者の個人的な別離の思いが込められているのだそうです。
編成はオーケストラの他に混声合唱と電子音が加わります。電子音は、ほとんどバックグラウンドのように漂っていますが、合唱はかなり重要なファクターとして登場します。
CDでは曲は8つのトラックに分かれていますが、それは楽章の区分ではなく、音楽はほぼ切れ目なく続いています。
まず、冒頭では日本の祭太鼓のような大きな太鼓のリズミカルなイントロに続いて、電子音ともオーケストラのクラスターとも判別がつかないサウンドが響きます。その、なんとも不安を誘う響きは、かつて見たデンマークのテレビドラマ「キングダム」のサントラととてもよく似た雰囲気を持っています。そこに、なんともおどろおどろしい合唱が入ってきて、恐怖感をあおります。なにか、リゲティの「レクイエム」が思いおこされる部分です。
それが、一瞬にして静まり6/8のリズムに乗って聴こえてきたのは、ニルセンが作った子守唄「Solen er så rød(ご覧、お日様が赤いよ)」です。しかし、それも暴力的なクラスターで中断されます。
その後の「Ruhig aber genau(静かに、しかし正確に)」という部分では、まさに正確なリズムに乗って、安らかな音楽が進みます。そこに、「Wer kann es sagen(誰がそれを語れるだろう)」という、ほとんどア・カペラに静かなオーケストラのバックが付いた合唱曲が続きます。
さらに、煽り立てるようなオーケストラの部分(なぜか、ビートルズの「A hard day's night」の引用が)に続いて、合唱による壮大なコラールが登場します。これはヴォカリーズによって歌われ、オーケストラはまるで映画音楽のように感動的にそれを煽ります。それもなにかアイロニカルな変拍子のオスティナートで中断されますが、またコラールが再現、そこにはなんとも言えぬ平穏な世界が広がるのです。
もう1曲は2013年に作られたオーケストラのための協奏曲「Morpheus(眠りの神)」です。指揮はジョシュア・ワイラーステイン。こちらは文字通りオーケストラだけで、やはり目くるめく色彩的な音響世界を体験できます。

CD Artwork © Dacapo Records

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by jurassic_oyaji | 2018-09-13 22:18 | 現代音楽 | Comments(0)
UTOPIAS
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Kjell Tore Innervik(Perc)
2L/2L-141-SABD(hybrid SACD+BD-A)


ヤニス・クセナキスとモートン・フェルドマンという、ともに「現代音楽」の歴史に残る作曲家の打楽器のための作品が収録されているアルバムです。
まずは、1921年(1922年という説も)生まれのクセナキスが1975年に作った「プサッファ」です。彼の作曲技法は、「確率」や「統計」の数式を使った斬新なものでしたが、一応それは最終的には普通の楽譜に記載されています。つまり、音自体は誰が演奏しても作曲家が意図したとおりに出てくることが要求されているのです。
ただ、この作品に関しては、その楽譜は普通の五線紙ではなく、「方眼紙」が使われていました。このアルバムのジャケットにデザインされているのが、その方眼紙ですね。実際の「楽譜」は、裏ジャケットにあるこんなものです。
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一見難解なようですが、何回か見ているとその意味はすぐに分かります。縦線が時間軸、そして横線は楽器の種類で、点の部分で音を出すことが指示されているのです。使われているのがすべて打楽器ですから、この方がより正確に情報が伝わることになりますね。
ただ、その楽器はとてもたくさんあります。太鼓系、金属系など、全部で6つのグループに分けられていて、それぞれに様々な楽器が指定されています。もちろん、一度にそのすべてを演奏するわけではなく、その時に必要な楽器だけが、この方眼紙の上に書かれることになります。
そして、この曲の楽譜では演奏時間が「13分」になっています。実際、だいぶ前に聴いたこちらのCDでは13分59秒で演奏されていましたね。ところが、ほぼ同じテンポに感じられる、今回のノルウェーの打楽器奏者シェル・トーレ・インネルヴィークの演奏では、18分もかかっているのですよ。ネットでは11分台の演奏もあります。そのあたりで、クセナキスの作品が単なる音の羅列ではなく、その中にはしっかり人間の感情が反映されていることが分かります。さらに、ここで使われる打楽器は大まかな指示だけで実際は演奏家の裁量によって大きく異なってくるのでしょう。今回の演奏は、先ほどのCDと比べるとまるで別の曲のように、音色が全く違っていました。特に、真ん中以降で登場する金属片が、音色も、そして余韻も全く異なるものですから、これがかなり長いポーズが用意されている静寂の中で響き渡る時は、その長い余韻を存分に楽しむことが出来ます。なんせ、音が異様に多いことで知られるクセナキスの作品ですから、そこでこのような静寂を楽しめるのは、なかなかないことなのではないでしょうか。
そして、そんな豊穣な響きに生まれ変わったこの曲を、2通りのバージョンで聴くことが出来るというのが、録音媒体ならではの「ありえない体験」(これがアルバムタイトル「UTOPIAS」の由来)となるのです。まずはお客さんが演奏者の前にいて聴くという「二人称」バージョン。ここでは、ごく普通にマイク・アレイが楽器の前に設置されています。
そして、その次にはアレイを演奏家の頭上に設置して、まるで演奏家自身が自分の音を聴いているような「一人称」の音場になるような録音が行われています。その2種類のセッティングは、もちろん別のセッションで録音されていますから、おそらくマイクの位置によって演奏家のテンションまでが変わってくるかもしれませんね。こんな興味深い「実験」は、録音ならではのことでしょう。もちろん、それを体験するには、サラウンド用の再生装置が必要ですけどね。
もう1曲、1926年生まれのモートン・フェルドマンが1964年に作った「The King of Denmark」の楽譜は、同じ五線紙を使っていても、その升目の中に情報があります。クセナキスが「囲碁」だとすると、こちらは「将棋」ですね。
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演奏はマレットを使わず全て素手で打楽器を鳴らすという、静謐の極みです。そもそもこれは公開のコンサートで演奏されることは念頭に置いてなかった作品ですから、それが聴けること自体が「ありえない体験」となるのです。

SACD & BD-A Artwork © Lindberg Lyd AS

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by jurassic_oyaji | 2018-08-02 22:00 | 現代音楽 | Comments(0)
White Light/the space between
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Hugo Ticciati(Vn), Matther Barley(Vc) Gareth Lubbr(Voice)
Soumik Detta(Sarod), Sukhvinder Pinky Singh(Tabla)
O/Modernt Chamber Orchestra
SIGNUM/SIGCD532


ヒューゴ・ティチアーティというイギリスのヴァイオリニストは1980年生まれ、その名前から思い当たるかもしれませんが、指揮者のロビン・ティチアーティの3歳年上のお兄さんです。彼もロビン同様に才能に恵まれてヴァイオリニストとして大成、さらに現在はスウェーデンで「O/Modernt(オー・モダーン)」という音楽祭を自ら創設し、大胆な活動を展開しています。
この「O/Modernt」というスウェーデン語は、英語だと「Un/Modern」となるのだそうです。つまり、「Modern」と「Unmodern」、「現代」から「非現代」まで幅広い時代の音楽と関わっている、ということなのでしょう。
このアルバムには、その音楽祭が母体になったオーケストラがティチアーティとともに参加。タイトルの「White Light」というのは、ここで演奏されているアルヴォ・ペルトの言葉に由来、さらに、「the space between」という意味深なサブタイトルは、そこに西洋の音楽とは全く異なる文化と思想を持っているインドのミュージシャンが加わって、「お互いに」インスパイアし合っている様をあらわしているのでしょう。
さらに、ここではきちんと形になっている作品の間に、即興的なインタープレイが挟まって、このアルバムは2枚組という長大なものになりました。めげずに聴いてちょうだい
まずは、ペルトの「シルワンの歌」が、オーケストラの弦楽合奏によって演奏されます。ティチアーティがコンサートマスターとしてアンサンブルをリードしていますね。これはもう「ヒーリング」の定番、ピュアな和声の中に、無条件に身をゆだねてしまう、ある意味「危険」な音楽です。
そして、まずはインド音楽の擦弦楽器サロードと、ヴァイオイリンによる即興演奏です。サロードというのは、シタールよりは小振りの、ほとんどギターぐらいの大きさの楽器ですが、その独特の音色とポルタメントで、一気にインドの雰囲気が高まります。
次に登場するのは、お馴染み、ラトヴィアのヴァスクスです。「Distant Light」というタイトルのその曲は、演奏時間が30分以上かかる単一楽章のヴァイオリン協奏曲です。ティチアーティのソロは、先ほどのペルトよりもさらに浄化されたような、瞑想的な音楽を延々と奏でますが、しばらくするとこの作曲家ならではのヴァイオレンスが爆発、終わりごろにはなんと「ワルツ」まで登場するという起伏の激しさで迫ります。
もう一人の作曲家は、ジョン・タヴナー。この人の、本当は7時間もかかる「晩祷」のための曲の中の「Mother of God, Here」という曲が、最初はサロードの即興演奏が加わったバージョン、次に弦楽合奏だけのバージョンで演奏されます。
その2曲の間をつなぐのが、ギャレット・ルッベという、かつてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席奏者を務めたこともあるヴィオラ奏者の方の、ヴィオラではなく、「倍音唱法」による即興演奏です。なんでこんなところに入っているのかは謎ですが、このショッキングな「演奏」には圧倒されます。この唱法、モンゴルの「ホーミー」が有名ですが、ここでルッベがきかせてくれるのはそれよりももっと洗練された響きを持っています。全部で2時間かかるこのアルバムの中のたった2分間ですが、これが最大の収穫に思えてしまうほどのインパクトがありました。
しかし、曲はまだまだ続き、その後にはビートルズ・ナンバーが2曲演奏されています。ジョージ・ハリスンが作った「Within You Without You」という「Sg. Pepper」B面の1曲目は、元々インド音楽のパクリですが、それをインドのアーティストが演奏しているのが魅力的、彼らが最後にリリースしたアルバム「Let It Be」に収録されているジョン・レノンの「Across the Universe」では、もろペルト風の弦楽合奏への編曲で、このアルバムになじんでいます。
最後は、インドのメロディをもとに、チェロのマシュー・バーリーをソリストにしたしっかり20分ほどの作品が演奏され、この多くの要素が詰まったアルバムは終わります。

CD Artwork © Signum Records

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by jurassic_oyaji | 2018-07-24 23:10 | 現代音楽 | Comments(0)
AHO/Wind Quintets 1 & 2
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Berlin Philharmonic Wnd Quintet
BIS/SACD 2176(hybrid SACD)


「ベルリン・フィル木管五重奏団」の最新アルバムです。メンバーは、1988年の創立時から変わらない5人でしたが、やはり年を重ねれば「定年」というか「引退」ということを考えなければいけない人も出てくるので、2010年にはついにファゴットのパートがメンバーチェンジをすることになりました。下の写真の右端の人ですね。
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その後任者としてこのグループに参加したのは、オリジナルメンバーの娘ぐらいの世代のマリオン・ラインハルトという女性でした。「紅一点」というか、「美女と野獣たち」というか。
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彼女は、ベルリン・フィルには1999年に入団しました。そして、2010年にこのポストを得るのですが、その後2012年にはミラノのスカラ座のオーケストラにコントラファゴット奏者として転職してしまいます。ですから、もはや彼女は「ベルリン・フィル」の団員ではないのですが、このグループから脱退することはありませんでした。まあいいじゃないですか。あの「キングズ・シンガーズ」だって、最近ではグループ名の由来の「キングズ・カレッジ」の出身者なんてたぶん誰もいませんからね。
今回の彼らのレパートリーは、このレーベルではおなじみのフィンランドの作曲家、カレヴィ・アホの2曲の木管五重奏曲です。「第1番」は2006年にフィンランドのトゥルク・フィルの木管五重奏団のために作られました。そして、「第2番」はベルリン・フィル木管五重奏団の委嘱で2014年に作られ、翌年彼らによって初演されています。おそらくこれが初録音となるのでしょう。
アホの作品は、コンチェルトのような編成のものを結構聴いています。なんでも彼はオーケストラのすべての楽器のためのコンチェルトを作っているのだそうですし、「テルミン」という、普通のオーケストラではまず使われることのない楽器まで、しっかり起用していますから(器用なんですね)、もうどんな楽器に関しても、その使い方は熟知しているのではないでしょうか。
ですから、この「木五」のような室内楽でも、それぞれの楽器の勘所をしっかり押さえているようです。いや、それは単にその楽器「らしい」ところを見せつけるというのではなく、「らしくない」ところさえも強調して、その楽器の知られざる一面まで表に出す、という、ちょっといやらしいところにまでに至っているのです。
その結果、これらの「木五」は、およそ「木五」らしくないものに仕上がりました。「1番」の場合にはそれが顕著、最初にその冒頭を聴いた時には、金管アンサンブルではないかと思ってしまったほどですからね。実際は、それは単にホルンとファゴットで演奏していただけだったのですが、そこからは「木管」という感じは全く消え失せていました。ただ、それはその楽章の前半だけのこと、後半になるといとも穏やかな、それこそ「木五」らしい穏やかな響きが聴こえてくるのですが。
おそらく、この曲では、そのような「対比」を前面に押し出していたのではないでしょうか。それぞれの楽章では全く異なる音楽が同居しているという潔さです。そして、最後の第4楽章になると、さっきのホルン+ファゴットチームとフルート+オーボエ+クラリネットチームが、それぞれ別の場所で演奏するようになります。つまり、楽章の前と後でこのチーム同士がステージの上とオフステージで移動するように作られているのですね。これをサラウンドで聴くと、そんな位置関係がはっきりしてこの作曲家の「仕掛け」により浸ることが出来るようになります。それにしても、オーボエの超高音は、ほとんど「いじめ」。
「2番」になると、そんな危なげな関係は維持しつつも、それぞれの楽器に対する接し方にほんの少し愛情のようなものが加わってくるようです。持ち替えによって楽器の種類も増え、ピッコロやコールアングレのソロなどもふんだんに盛り込まれて、演奏家は「苦行」から少しは解放され、音楽の喜びを伸び伸びと伝えられるようになってきたのでは。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2018-06-09 21:19 | 現代音楽 | Comments(0)
MacMillan/Trombone Concerto, Knussen/Horn Concerto, Ali-Zadeh/Nasimi-Passion
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Jörgen van Rijen(Tb), Félix Dervaux(Hr)
Evez Abdulla(Bar)
Iván Fischer, Ryan Wigglesworth, Martyn Brabbins/
Netherlands Radio Choir(by Klaas Stok)
Royal Concertgebouw Orchestra Amsterdam
RCO/RCO 17004(hybrid SACD)


ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による現代音楽のシリーズ「HORIZON」の最新アルバムです。2017年に行われた3つのコンサートから、ジェイムズ・マクミランの「トロンボーン協奏曲」とフランギス・アリ=ザデーの「ナシミ受難曲」のそれぞれの世界初演、そして、1994年に作られていたオリヴァー・ナッセンの「ホルン協奏曲」が収録されています。
マクミランの「トロンボーン協奏曲」は、このレーベルとしては初めて出会ったDXDによる録音でした。正確なデータは記載されてはいませんが、最低でも24biti/352.8MHzという、この間の2Lレーベルでお馴染みのものすごいPCMです。
この協奏曲は、コンセルトヘボウ管弦楽団の首席トロンボーン奏者のヨルゲン・ファン・ライエンからの要請に応えて作られたものです。それは、単なる協奏曲というよりは、ほとんど「オケコン」のような、オーケストラの個々の楽器やセクションがソリスティックに大活躍するという作り方になっています。なにしろ、曲の最後近くに入っているカデンツァでは、もちろんソリストが即興的なフレーズを演奏するのですが、それに呼応してこのオーケストラのトロンボーン・パートの人たちも参加してバトルを繰り広げる、といったスリリングな場面まで用意されていますからね。この時は、ソリストのファン・ライエンは客席に背を向けて、トロンボーン・セクションと一緒にインプロヴィゼーションのやり取りを行っていたんだそうです。
それ以外に印象的なのは、曲が始まってすぐに登場してトロンボーンにとてつもないハイテクで迫るフルートです。おそらくこれを吹いているのはエミリー・バイノンでしょう。
まるで映画音楽のように山あり谷ありのスペクタクルな音楽(サイレンまで入っています)は、どこを取ってもとても魅力的でした。こういうものこそ、しっかりサラウンドで聴きたいものです。金管のコラールで安らかに迎えるエンディングも感動的です。
これらの複雑に入り組んだオーケストラのテクスチャーが、まさにDXDならではの精緻な音で迫ってきます。正直、BD-Aならいざ知らず、SACDでここまでのものが聴けるとは思っていませんでした。
もう一つの世界初演は、アゼルバイジャンの作曲家アリ=ザデーがこの年のイースターのために作った「ナシミ受難曲」です。
このオーケストラには、初代指揮者のメンゲルベルクの時代から、この時期にバッハの受難曲を演奏するという伝統がありました。それは代々の指揮者に受け継がれ、一時アーノンクールが「HIP(=historically informed performance)」で演奏していたこともありました。最近では、バッハの受難曲だけではなく、何年かに一度は現代に作られた受難曲を演奏するようになっていて、2009年にはジェイムズ・マクミランの「ヨハネ受難曲」、2013年には、フランク・マルタンが1949年に作ったオラトリオ「ゴルゴタ」が演奏されていました。そして、2017年に演奏されたのが、この「ナシミ受難曲」です。
「ナシミ」という馴染みのない言葉は、この受難曲で通常の新約聖書からの福音書の代わりにテキストとして使われている、14世紀のアゼルバイジャンの詩人イマードゥッディーン・ナシミに由来しています。もちろん、それはアゼルバイジャン語で書かれたものでした。
彼女の作品は、伝統的な西洋のクラシック音楽と、中東の民族音楽とを融合したものと言われていますが、それはとても高い次元でのクロスオーバーがなされていて、決して安直なオリエンタリズムに陥ることはありません。バリトンのソリストとして起用されている、アゼルバイジャン生まれで世界中のオペラハウスで活躍しているイヴズ・アブドゥーラが、テキストに命を吹き込んでいます。
この曲と、ナッセンの「ホルン協奏曲」は、96kHzPCMによる録音だからなのでしょうか、DXDによるマクミランとは明らかにワンランク下がった音に聴こえます。その違いがここまではっきり分かるとは。

SACD Artwork © Koninklijk Concertgebouworkest

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by jurassic_oyaji | 2018-04-28 21:05 | 現代音楽 | Comments(0)
REICH/Drumming
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Colin Currie Group
Synagy Vocals
COLIN CURIE RECORDS/CCR0001


スティーヴ・ライヒのごく初期、1971年に作られた「ドラミング」の最新録音です。足の長い鳥ではありません(それは「フラミンゴ」)。この曲は、1974年にライヒ自身も加わったアンサンブルによって録音されていましたね。
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もちろん、まだCDは出来ていなかった頃ですから、これは、他の2作品とカップリングされて、LP3枚組のボックスとしてリリースされていました。レーベルが、そのような「現代音楽」とは無縁のように思われていたドイツ・グラモフォンだったのがとても意外だった思い出があります。
これはその後同じ曲目で2枚組のCDとしてリイシューされましたが、その時もこの「ドラミング」は1枚には収まらず、4つのパートの中の最後の1つが2枚目のCDに入っていました。しかし、今回は全曲が1枚のCDに収まっていました。かつては1時間半かかっていたものが今回は1時間弱にまで短くなっていたのです。
それは、この曲の演奏のされ方を考えれば納得できます。これがこの曲の基本的なリズムパターンです。
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ご存知のように、これは「ミニマル・ミュージック」の黎明期のもの。全ての演奏者が、このリズム全体、あるいは一部をそれぞれの楽器に応じたピッチや音色で演奏するだけなのですが、その際にほんの少しずつ他の人とはズレて演奏することによって、音の間に新たな音が生まれます。その結果、一人一人は全く同じリズムで叩いたり歌ったりしているだけなのに、時間とともにとても多彩で複雑なリズムパターンが現れることになります。そして、その時の「ズレ」のタイミングは演奏者に任されていますから、かなり自由度が高くなり、その結果演奏時間も大幅に変わってしまうことになるのです。
「ドラミング」というタイトル通り、ここでは最初に「調律されたドラム」が登場します。実際には「ボンゴ」と呼ばれる2つの小さな太鼓がペアになった楽器ですが、それがきちんと「gis-h」と「ais-cis」とに「調律」されたものが2組ずつ使われています。ただ、それだけが使われるのは、4つのパートに分かれているこの曲の最初のパートだけです。ここでは、4人の打楽器奏者が全部で8個の「ドラム」を叩きます。
「パート2」になると、「ドラム」はなくなって9人の打楽器奏者が演奏する3台のマリンバと2人のヴォーカルが登場します。「パート3」では3人の打楽器奏者による3台のグロッケンシュピールと2人のヴォーカリストによる口笛、そこにピッコロが加わります。「パート4」ではすべての楽器が12人の演奏者によって演奏されます。
これらの「パート」は、続けて演奏されるので、その変わり目は前の楽器に次の楽器が重なってきて、いつの間にか変わっている、という状態になります。そのような「いつの間にか」という感覚が、この曲の場合は重要になってくるのですが、これが最初にLPでリリースされた時には、2枚のそれぞれA面とB面に1パートずつ収録されていたために、その切れ目では一旦演奏を止めて盤を交換しなければいけませんでした(その変わり目はフェイド・アウトとフェイド・インになっていました)。これでは、せっかくのライヒの目論見が台無しですね。
それがCDになった時も、その演奏では1枚には収まらなかったので、「パート3」と「パート4」 の間で止めなければいけませんでした。それがやっと、中断なしに全曲を聴くことが出来るようになったのですね。それが今回のCDの最大の利点です。
もちろん、それだけではなく、40年以上の時間が経って世の中が全く変わってしまえば、演奏自体が大きく変わってしまうのは当然のことです。かつて、ひたすらパルスを生み出すことに専念していたストイックさはここでは姿をひそめ、内から湧き出るエクスプレッションに満ちていると感じられるのは、そんな一例です。「ミニマル」は、コリン・カリーによって確かな「変貌」を遂げていました。
第4部の途中で「食べてなかった」と聴こえるのが面白いですね。

CD Artwork © Colin Curie

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by jurassic_oyaji | 2018-04-19 21:35 | 現代音楽 | Comments(0)
PORRA/Entropia
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Paperi Ta(Rap), Joonas Riippa(Drum)
Aki Rissanen(Pf), Lauri Porra(E. Bass)
Jaakko Kuusisto/
Lahti Symphony Orchestra
BIS/SACD-2305(hybrid SACD)


アルバムのタイトルが「エントロピア」。これは、この中で演奏されている作品のタイトルですが、それはもちろん「エントロピー」にちなんだものだというのは容易に想像できます。寿司ネタではありません(それは、「エンガワ、トロ、ピーマン?」。この言葉は、「熱力学の第2法則」という難しい話の中に登場するタームです。
実際には、このタームはそのような物理学の範疇を超えて、たまに普通の会話の中でも使われることはあります。要は、「エントロピー」というのは「無秩序」の状態を定量的に表したもので、これが増大すると、それだけ「無秩序」になる、ということです。そして、「自然界ではエントロピーは増大する」というのが、この法則です。たとえば、冷水と熱湯を混ぜるといずれはぬるま湯になってしまいます。これは、それぞれ別の状態で秩序を持っていたものが、秩序のないものに変わってしまうことでエントロピーは増大しています。しかしその逆、ぬるま湯から冷水と熱湯を作り出すことはエントロピーが減少することなので、普通はできません。
などと、七面倒くさいことを言ってますが、ここでそんなタイトルを与えられた作品は、「エレックトリック・ベースとオーケストラのための協奏曲」です。つまり、通常はロックやジャズといったポップ・ミュージックとクラシックという全く別の秩序の中にある楽器なりアンサンブルを混ぜることによって新たな無秩序の状態を作り出そうという程度の発想なのですね。別に「コラボレーション」とか言ってみてもその意味は変わらないものを、ちょっと難しく言ってみました、ぐらいのノリなのでしょう。
そんな曲を作ったのは、1977年生まれのフィンランドの作曲家、ラウリ・ポラーです。このアルバムは、彼の作品集、そしてこの方は、なんとあのジャン・シベリウスの曾孫なのだそうです。こんな顔です。
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彼はフィンランドの伝説的なメタル・バンド「ストラトヴァリウス」に5代目のベーシストとして2005年に加入し、現在もメンバーとして活躍しています。しかし、それは彼の音楽活動の一面にしかすぎず、彼の興味はあらゆるジャンルを網羅しているのです。もちろん、それはクラシックにも及んでいて、このようなオーケストラを使った作品まで手掛けています。もっとも、オーケストレーションに関しては専門的なスキルをもったオーケストレーターと共同で作業を行っていますが、彼とはあくまで「仲間」として接していて、このアルバムでもプレーヤーとして参加させています。
「エントロピア」では、ポラーがソリストとしてクーシスト指揮のラハティ交響楽団と共演しています。これはもう、かつての「プログレッシブ・ロック」を彷彿とさせるようなロックとクラシックが高次元で融合した痛快な作品です。
もう一つの「協奏曲」、「ドミノ組曲」は、ドラム・セットとジャズ・ピアノがソリストです。これは意外とおとなしく、3つある最初と最後の楽章は、しっかり記譜されたパターンをピアノが延々と弾いているほとんどミニマル、真ん中の楽章だけドラムスが即興で暴れまわるという曲です。
さらに彼の興味はヒップ・ホップにも及んでいて、アルバムの最初に収録されているのはオーケストラをバックにラッパーが登場するというとんでもないコラボでした。でも、ここでのラッパー、パペリTは、自分で作ったテキスト(「リリック」でしょうね)を淡々と語るスタイルですから、いにしえの「現代音楽」の「シュプレッヒ・ゲザンク」のような味わいが醸し出されています。それを、ポストプロダクションで声を歪ませたりサラウンドの音場を作っていたりしていますから、もうたまりません。BISがSACDをやめないでくれて、本当によかったと思えてきます。
フィンランド語のラップは初めて聴きましたが、なかなか美しいと感じられるのは、日本語のラップがあまりに醜く貧しいからでしょう。
彼のひいおじいさんがこのSACDを聴いたら、なんと言うのでしょうね。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2018-03-13 21:31 | 現代音楽 | Comments(0)
ZENDER/4 Canciones nach Juan de la Cruz
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Angelika Luz(Sop), Ernst Kovacic(Vn)
Sylvain Cambreling, Susanna Mälkki, Marcus Creed, Emilio Pomàrico
Chor des Bayerischen Rundfunks, SWR Vokalensemble Stuttgart
Klangforum Wien, Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks,
SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg
WERGO/WER 7336 2


かつての「現代音楽」の生き残りのようなスタンスで、現在も難解な音楽を作リ続けているのが、1936年生まれの作曲家、ハンス・ツェンダーです。彼は指揮者としても活躍していて、1978年にNHK交響楽団の定期演奏会を指揮するために来日した時には、「Muji no kyo」という自作も演奏していました。「ムジノキョ」っていったいなんだろう?と思ったのですが、それは日本語で「無字の経」だということが分かった時には、なにか親近感が湧いてきました。彼は西洋音楽の「現代」理論だけではなく、「禅」のような東洋思想にも造詣が深く、それも作曲のツールとしていたのでした。とは言っても、やはりその曲は難解でしたね。何回聴いても
このアルバムのタイトルは、「十字架の聖ヨハネの4つの賛歌」です。それは、2008年から2014年にかけて作られた4つの作品がまとめられたもの。それぞれは編成も異なり、別々の機会に作られているのですが、そのテキストは同じところから取られています。
テキストというのは、16世紀のスペインのカトリックの司祭で、思想家でもあったサン・ホワン・デ・ラ・クルス(十字架の聖ヨハネ)の著書、「Cántico espiritual(霊の賛歌)」です。有名な旧約聖書の「ソロモンの雅歌」と並び称される、愛の歌です。
全体は40のスタンザ(連)から出来ていますが、ツェンダーはその中から14の連を選びました。4つの作品のタイトルは、それぞれの連の最初の言葉が使われています。
1曲目の「どこへ?」には第1連から第3連までが使われました。ここでは、ソプラノ・ソロとヴァイオリン・ソロに小編成のアンサンブル(クランクフォルム・ウィーン)が加わっています。指揮はシルヴァン・カンブルラン。ウィーンのコンツェルトハウスでのライブ録音ですから、お客さんの咳払いなども聴こえてきます。そんな中から始まったソプラノのソロは、今ではなかなか聴くことのできない無調のメロディ、それに対してヴァイオリンからはいくらかリリカルなメロディが聴こえてきます。
とは言っても、この刺激的なサウンドはかなり緊張感を強いられるもの、こんな敵対心をあらわにした音楽は久しぶりに聴きました。
2曲目の「おお、森よ」は2011年の作品。ここでは「霊の賛歌」の第4連から第8連までが使われています。楽器の編成は少し大きくなって、バイエルン放送交響楽団が演奏しています。そして、バイエルン放送合唱団も加わります。指揮はスザンナ・マルッキ。これも、ヘルクレス・ザールでのコンサートのライブ録音です。合唱はやはりある意味「素材」として使われているようで、相変わらずの人を寄せ付けない雰囲気が漂います。
3曲目、2011年に作られた「どうして?」は、無伴奏の合唱だけによる演奏。テキストは第9連と第10連で、これだけスタジオでの録音です。演奏しているのはSWRヴォーカルアンサンブル、指揮はおなじみ、マーカス・クリードです。無伴奏のはずなのに、最初のあたりでピアノのような音が聴こえるのは、ちょっとした錯覚でしょう。ツェンダーの合唱の書法は、半音をさらに6分割した微分音程が使われていると言われていますが、それを合唱でやるとただのクラスターにしか聴こえないのではないでしょうか。ただ、その微妙なピッチの差で、なにやら不思議な感覚を味わうことはできます。
その後の第11連はカットされていて、第12連から第15連が3つの曲になっている「水晶のような泉」が始まります。これは、1曲目は第12連と第13連の前半、2曲目は第13連の後半、3曲目は第14連と第15連が使われているからです。
ここではSWRバーデン=バーデン&フライブルク交響楽団がさっきの合唱に加わって、ドナウエッシンゲンでライブ録音されています。指揮はエミリオ・ポマリコ。2曲目に電子音が左から右にパン・ポットしているのが聴こえますが、これはライブではどのように聴こえていたのでしょう。

CD Artwork © WERGO

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by jurassic_oyaji | 2017-12-28 21:14 | 現代音楽 | Comments(0)