おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
カテゴリ:現代音楽( 166 )
REICH/Drumming
c0039487_21293385.jpg




Colin Currie Group
Synagy Vocals
COLIN CURIE RECORDS/CCR0001


スティーヴ・ライヒのごく初期、1971年に作られた「ドラミング」の最新録音です。足の長い鳥ではありません(それは「フラミンゴ」)。この曲は、1974年にライヒ自身も加わったアンサンブルによって録音されていましたね。
c0039487_21293319.jpg
もちろん、まだCDは出来ていなかった頃ですから、これは、他の2作品とカップリングされて、LP3枚組のボックスとしてリリースされていました。レーベルが、そのような「現代音楽」とは無縁のように思われていたドイツ・グラモフォンだったのがとても意外だった思い出があります。
これはその後同じ曲目で2枚組のCDとしてリイシューされましたが、その時もこの「ドラミング」は1枚には収まらず、4つのパートの中の最後の1つが2枚目のCDに入っていました。しかし、今回は全曲が1枚のCDに収まっていました。かつては1時間半かかっていたものが今回は1時間弱にまで短くなっていたのです。
それは、この曲の演奏のされ方を考えれば納得できます。これがこの曲の基本的なリズムパターンです。
c0039487_21293302.jpg
ご存知のように、これは「ミニマル・ミュージック」の黎明期のもの。全ての演奏者が、このリズム全体、あるいは一部をそれぞれの楽器に応じたピッチや音色で演奏するだけなのですが、その際にほんの少しずつ他の人とはズレて演奏することによって、音の間に新たな音が生まれます。その結果、一人一人は全く同じリズムで叩いたり歌ったりしているだけなのに、時間とともにとても多彩で複雑なリズムパターンが現れることになります。そして、その時の「ズレ」のタイミングは演奏者に任されていますから、かなり自由度が高くなり、その結果演奏時間も大幅に変わってしまうことになるのです。
「ドラミング」というタイトル通り、ここでは最初に「調律されたドラム」が登場します。実際には「ボンゴ」と呼ばれる2つの小さな太鼓がペアになった楽器ですが、それがきちんと「gis-h」と「ais-cis」とに「調律」されたものが2組ずつ使われています。ただ、それだけが使われるのは、4つのパートに分かれているこの曲の最初のパートだけです。ここでは、4人の打楽器奏者が全部で8個の「ドラム」を叩きます。
「パート2」になると、「ドラム」はなくなって9人の打楽器奏者が演奏する3台のマリンバと2人のヴォーカルが登場します。「パート3」では3人の打楽器奏者による3台のグロッケンシュピールと2人のヴォーカリストによる口笛、そこにピッコロが加わります。「パート4」ではすべての楽器が12人の演奏者によって演奏されます。
これらの「パート」は、続けて演奏されるので、その変わり目は前の楽器に次の楽器が重なってきて、いつの間にか変わっている、という状態になります。そのような「いつの間にか」という感覚が、この曲の場合は重要になってくるのですが、これが最初にLPでリリースされた時には、2枚のそれぞれA面とB面に1パートずつ収録されていたために、その切れ目では一旦演奏を止めて盤を交換しなければいけませんでした(その変わり目はフェイド・アウトとフェイド・インになっていました)。これでは、せっかくのライヒの目論見が台無しですね。
それがCDになった時も、その演奏では1枚には収まらなかったので、「パート3」と「パート4」 の間で止めなければいけませんでした。それがやっと、中断なしに全曲を聴くことが出来るようになったのですね。それが今回のCDの最大の利点です。
もちろん、それだけではなく、40年以上の時間が経って世の中が全く変わってしまえば、演奏自体が大きく変わってしまうのは当然のことです。かつて、ひたすらパルスを生み出すことに専念していたストイックさはここでは姿をひそめ、内から湧き出るエクスプレッションに満ちていると感じられるのは、そんな一例です。「ミニマル」は、コリン・カリーによって確かな「変貌」を遂げていました。
第4部の途中で「食べてなかった」と聴こえるのが面白いですね。

CD Artwork © Colin Curie

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-04-19 21:35 | 現代音楽 | Comments(0)
PORRA/Entropia
c0039487_21290128.jpg


Paperi Ta(Rap), Joonas Riippa(Drum)
Aki Rissanen(Pf), Lauri Porra(E. Bass)
Jaakko Kuusisto/
Lahti Symphony Orchestra
BIS/SACD-2305(hybrid SACD)


アルバムのタイトルが「エントロピア」。これは、この中で演奏されている作品のタイトルですが、それはもちろん「エントロピー」にちなんだものだというのは容易に想像できます。寿司ネタではありません(それは、「エンガワ、トロ、ピーマン?」。この言葉は、「熱力学の第2法則」という難しい話の中に登場するタームです。
実際には、このタームはそのような物理学の範疇を超えて、たまに普通の会話の中でも使われることはあります。要は、「エントロピー」というのは「無秩序」の状態を定量的に表したもので、これが増大すると、それだけ「無秩序」になる、ということです。そして、「自然界ではエントロピーは増大する」というのが、この法則です。たとえば、冷水と熱湯を混ぜるといずれはぬるま湯になってしまいます。これは、それぞれ別の状態で秩序を持っていたものが、秩序のないものに変わってしまうことでエントロピーは増大しています。しかしその逆、ぬるま湯から冷水と熱湯を作り出すことはエントロピーが減少することなので、普通はできません。
などと、七面倒くさいことを言ってますが、ここでそんなタイトルを与えられた作品は、「エレックトリック・ベースとオーケストラのための協奏曲」です。つまり、通常はロックやジャズといったポップ・ミュージックとクラシックという全く別の秩序の中にある楽器なりアンサンブルを混ぜることによって新たな無秩序の状態を作り出そうという程度の発想なのですね。別に「コラボレーション」とか言ってみてもその意味は変わらないものを、ちょっと難しく言ってみました、ぐらいのノリなのでしょう。
そんな曲を作ったのは、1977年生まれのフィンランドの作曲家、ラウリ・ポラーです。このアルバムは、彼の作品集、そしてこの方は、なんとあのジャン・シベリウスの曾孫なのだそうです。こんな顔です。
c0039487_21290157.jpg
彼はフィンランドの伝説的なメタル・バンド「ストラトヴァリウス」に5代目のベーシストとして2005年に加入し、現在もメンバーとして活躍しています。しかし、それは彼の音楽活動の一面にしかすぎず、彼の興味はあらゆるジャンルを網羅しているのです。もちろん、それはクラシックにも及んでいて、このようなオーケストラを使った作品まで手掛けています。もっとも、オーケストレーションに関しては専門的なスキルをもったオーケストレーターと共同で作業を行っていますが、彼とはあくまで「仲間」として接していて、このアルバムでもプレーヤーとして参加させています。
「エントロピア」では、ポラーがソリストとしてクーシスト指揮のラハティ交響楽団と共演しています。これはもう、かつての「プログレッシブ・ロック」を彷彿とさせるようなロックとクラシックが高次元で融合した痛快な作品です。
もう一つの「協奏曲」、「ドミノ組曲」は、ドラム・セットとジャズ・ピアノがソリストです。これは意外とおとなしく、3つある最初と最後の楽章は、しっかり記譜されたパターンをピアノが延々と弾いているほとんどミニマル、真ん中の楽章だけドラムスが即興で暴れまわるという曲です。
さらに彼の興味はヒップ・ホップにも及んでいて、アルバムの最初に収録されているのはオーケストラをバックにラッパーが登場するというとんでもないコラボでした。でも、ここでのラッパー、パペリTは、自分で作ったテキスト(「リリック」でしょうね)を淡々と語るスタイルですから、いにしえの「現代音楽」の「シュプレッヒ・ゲザンク」のような味わいが醸し出されています。それを、ポストプロダクションで声を歪ませたりサラウンドの音場を作っていたりしていますから、もうたまりません。BISがSACDをやめないでくれて、本当によかったと思えてきます。
フィンランド語のラップは初めて聴きましたが、なかなか美しいと感じられるのは、日本語のラップがあまりに醜く貧しいからでしょう。
彼のひいおじいさんがこのSACDを聴いたら、なんと言うのでしょうね。

SACD Artwork © BIS Records AB

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-03-13 21:31 | 現代音楽 | Comments(0)
ZENDER/4 Canciones nach Juan de la Cruz
c0039487_21113002.jpg

Angelika Luz(Sop), Ernst Kovacic(Vn)
Sylvain Cambreling, Susanna Mälkki, Marcus Creed, Emilio Pomàrico
Chor des Bayerischen Rundfunks, SWR Vokalensemble Stuttgart
Klangforum Wien, Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks,
SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg
WERGO/WER 7336 2


かつての「現代音楽」の生き残りのようなスタンスで、現在も難解な音楽を作リ続けているのが、1936年生まれの作曲家、ハンス・ツェンダーです。彼は指揮者としても活躍していて、1978年にNHK交響楽団の定期演奏会を指揮するために来日した時には、「Muji no kyo」という自作も演奏していました。「ムジノキョ」っていったいなんだろう?と思ったのですが、それは日本語で「無字の経」だということが分かった時には、なにか親近感が湧いてきました。彼は西洋音楽の「現代」理論だけではなく、「禅」のような東洋思想にも造詣が深く、それも作曲のツールとしていたのでした。とは言っても、やはりその曲は難解でしたね。何回聴いても
このアルバムのタイトルは、「十字架の聖ヨハネの4つの賛歌」です。それは、2008年から2014年にかけて作られた4つの作品がまとめられたもの。それぞれは編成も異なり、別々の機会に作られているのですが、そのテキストは同じところから取られています。
テキストというのは、16世紀のスペインのカトリックの司祭で、思想家でもあったサン・ホワン・デ・ラ・クルス(十字架の聖ヨハネ)の著書、「Cántico espiritual(霊の賛歌)」です。有名な旧約聖書の「ソロモンの雅歌」と並び称される、愛の歌です。
全体は40のスタンザ(連)から出来ていますが、ツェンダーはその中から14の連を選びました。4つの作品のタイトルは、それぞれの連の最初の言葉が使われています。
1曲目の「どこへ?」には第1連から第3連までが使われました。ここでは、ソプラノ・ソロとヴァイオリン・ソロに小編成のアンサンブル(クランクフォルム・ウィーン)が加わっています。指揮はシルヴァン・カンブルラン。ウィーンのコンツェルトハウスでのライブ録音ですから、お客さんの咳払いなども聴こえてきます。そんな中から始まったソプラノのソロは、今ではなかなか聴くことのできない無調のメロディ、それに対してヴァイオリンからはいくらかリリカルなメロディが聴こえてきます。
とは言っても、この刺激的なサウンドはかなり緊張感を強いられるもの、こんな敵対心をあらわにした音楽は久しぶりに聴きました。
2曲目の「おお、森よ」は2011年の作品。ここでは「霊の賛歌」の第4連から第8連までが使われています。楽器の編成は少し大きくなって、バイエルン放送交響楽団が演奏しています。そして、バイエルン放送合唱団も加わります。指揮はスザンナ・マルッキ。これも、ヘルクレス・ザールでのコンサートのライブ録音です。合唱はやはりある意味「素材」として使われているようで、相変わらずの人を寄せ付けない雰囲気が漂います。
3曲目、2011年に作られた「どうして?」は、無伴奏の合唱だけによる演奏。テキストは第9連と第10連で、これだけスタジオでの録音です。演奏しているのはSWRヴォーカルアンサンブル、指揮はおなじみ、マーカス・クリードです。無伴奏のはずなのに、最初のあたりでピアノのような音が聴こえるのは、ちょっとした錯覚でしょう。ツェンダーの合唱の書法は、半音をさらに6分割した微分音程が使われていると言われていますが、それを合唱でやるとただのクラスターにしか聴こえないのではないでしょうか。ただ、その微妙なピッチの差で、なにやら不思議な感覚を味わうことはできます。
その後の第11連はカットされていて、第12連から第15連が3つの曲になっている「水晶のような泉」が始まります。これは、1曲目は第12連と第13連の前半、2曲目は第13連の後半、3曲目は第14連と第15連が使われているからです。
ここではSWRバーデン=バーデン&フライブルク交響楽団がさっきの合唱に加わって、ドナウエッシンゲンでライブ録音されています。指揮はエミリオ・ポマリコ。2曲目に電子音が左から右にパン・ポットしているのが聴こえますが、これはライブではどのように聴こえていたのでしょう。

CD Artwork © WERGO

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-12-28 21:14 | 現代音楽 | Comments(0)
RZEWSKI/The People United Will Never Be Defeated!
c0039487_22482698.jpg





Daan Vandewalle(Pf)
ETCETRA/KTC 1589


ジェフスキの「不屈の民」変奏曲は、新しい録音が出れば必ずチェックしています。大昔に買った楽譜がいくら探しても見つからないようになっていたので、最近新たに買い直したりもしていました。なんせ「全音」が出版元ですから、簡単に入手できますからね。たった2,000円(税抜き)ですよ。
今回のCDは2016年の10月に録音されたもの、国内代理店の帯には、ほぼ定訳と化している「『不屈の民』変奏曲」と並んで、元のタイトルの直訳である「(団結した民衆は決して敗れることはない)による36の変奏曲」という表記が併記されているのがうれしいですね。余談ですが、有名なエルガーの「威風堂々」というタイトルも、元の「Pomp and Circumstance」を忠実に訳したものではなく、誤訳とは言えないもののかなりの意訳とされていますね。罰金が必要です(それは「違約金」)。
演奏しているのは1968年生まれのベルギーのピアニスト、ダーン・ファンドヴァールです。アイヴズやメシアンといった古典的な「現代音楽」から始まって、まさに同時代の音楽まで幅広く演奏している方で、ジェフスキ本人の作品の初演を行ったこともあるのだそうです。さらに、プロフィールを見ると、あの「大作」、カイコシュル・ソラブジの「オーパス・クラヴィチェンバリスティクム」を全曲演奏したことがある数少ないピアニストの一人だということで、それだけでも只者ではないことが分かります。
そんなヴィルトゥオーゾですから、さぞや切れの良い演奏をするのでは、と思って聴き始めると、最初のテーマはいともゆったりとしたテンポで、たっぷりルバートをかけたリリカルなものであったのが、ちょっと意外でした。確かに、全体の演奏時間は、「カデンツァ」の部分を引くと58分34秒ですから、かなり「遅い」テンポの部類に入ります。以前、そんなリストを作りましたが、それ以降の録音も含めて、改訂版を作ってみましたので、比較してみてください。

演奏家       全演奏時間/カデンツァ/カデンツァ抜き時間(録音年/レーベル)
オッペンス     49:17-00:00=49:17(1978/PIANO CLASSICS)
高橋悠治      58:01-01:22=56:39(1978/ALM)    
ジェフスキ     61:04-07:42=53:22(1986/HAT HUT)
ドゥルーリー    54:54-00:00=54:54(1992/NEW ALBION)
アムラン      57:22-06:24=50:58(1998/HYPERION)
ジェフスキ     63:47-05:56=57:51(1998-2001/NONESUCH)
ファン・ラート   62:30-06:00=56:30(2007/NAXOS)
シュマッハー    64:50-04:00=60:50(2009/WERGO)
キーレリチ     59:46-04:31=55:15(2009/BRIDGE)
オッペンス     50:43-02:38=48:05(2014/CEDILLE)
レヴィット     62:18-04:44=57:34(2015/SONY)
ファンドヴァール  61:20-02:46=58:34(2016/ETCETRA)

楽譜を見ながら続く変奏を聴いていると、かなり難しいそれこそセリー・アンテグラル風の変奏でも、ファンドヴァールはしっかり「歌って」いることがよく感じられます。その結果、今までの演奏ではちょっと分かりにくかった、そういう難しい変奏の中にちりばめられた「テーマ」が、しっかり浮き上がって聴こえてくることにも気づかされます。この作品は、そのようにしっかり「テーマ」が聴こえてきてこそのもの、単なる超絶技巧の見世物ではなかったのでしょう。
さらに、楽譜を見て初めて気づいたのが、この変奏曲の中で最も長い第27変奏の複雑な変拍子の世界です。この変奏自体がいくつものパーツから成っていますが、その中で延々と続く単調な左手のパルスに乗って右手が醸し出す変拍子や後半の執拗なオスティナートの応酬は、まさに「ミニマル・ミュージック」そのものです。ジャズの影響が強いことはよく知られていますが、こんな「最新」のファッションまで、ジェフスキは取り入れていたのですね。
ピアニストの個性がもろに出てくるのが、最後の第36変奏の後に設けられた「カデンツァ」の部分です。ここでは、ファンドヴァールは「前衛」とか安易な引用(バッハのコラールを引用している人もいます)には走らず、とても生真面目な、彼自身の「変奏」を聴かせてくれています。

CD Artwork © Quintessence BVBA

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-08-26 22:50 | 現代音楽 | Comments(0)
MESSIAEN/Quartuor pour la fin du temps
c0039487_20054748.jpg



David Krakauer(Cl), Matt Haimovitz(Vc)
Jonathan Crow(Vn), Geoffrey Burleson(Pf)
Socalled(Electronics)
PENTATONE/PTC 5186 560(hybrid SACD)


いつものPENTATONEのSACDですが、ジャケットの下の方に「PENTATONE OXINGALE SERIES」とあるのが、ちょっと気になります。これは、このオランダのレーベルが、カナダの「OXINGALE」というレーベルと提携してリリースしたアイテムなのだそうです。2000年に創設されたOXINGALEレーベルは、先駆的なアーティストを擁してクラシックのカテゴリーを超えた斬新なアルバムをリリースしてきました。レーベルのメインのアーティストは、チェリストのマット・ハイモヴィッツと、プロデューサーとしてもかかわっている作曲家のルナ・パール・ウールフです。
このメシアンの有名な作品「時の終わりのための四重奏曲」が収録されたアルバムも彼女のプロデュースで2008年に録音されたもので、すでに2014年にOXINGALEからCDがリリースされていましたが、今回は同じものがSACDになってPENTATONEからもリリース、という形になっています。ただ、最近の録音では最初からPENTATONEからリリースされていますから、実質的にはOXINGALEはPENTATONEのサブレーベルになった、ということなのでしょう。
このアルバムのタイトルは「AKOKA」、そして、その下には「メシアンの『時の終わりのための四重奏曲』の再構成」みたいなコメントが加えられています。確かに、トラックリストには、このメシアンの作品の前後には「Akoka」と「Meanwhile...」という聴きなれない曲名がありますね。これはライブ録音で、これらの曲がメシアンを挟む形で続けて演奏されていたのだそうです。これはいったいどういうことなのでしょう。
「AKOKA」は、ここでクラリネットを演奏しているデヴィッド・クラカウアーの作品、曲名はメシアンの曲を初演したクラリネット奏者、アンリ・アコカへのオマージュが込められているのだそうです(あ、そうか)。ブックレットにはこの曲の楽譜までしっかり載っていますよ。たった1ページしかない走り書きのようなものなので、日本語の帯には「自筆譜の一部を掲載」とありますが、これは間違いなく「全曲」の楽譜です。というより、この曲はきっちり作りこまれたものではなく、プレーヤーの即興的な演奏で成り立つもので、この「楽譜」はその単なる「きっかけ」のようなものを記したものなのですから。
それはまず、クラカウアーのクラリネットとハイモヴィッツのチェロとジョナサン・クロウのヴァイオリンが高い音から低い音までをグリッサンドでつなげるというフレーズで始まります。おそらく、PAでディレイを入れているのでしょう、それぞれのパートは少し遅れてかすかに聴こえてきます。やがて、ジェフリー・バールソンのプリペアド・ピアノも加わり、変拍子のオスティナートの上でのインプロヴィゼーションが始まります。ヘブライ音楽のようなモードが聴こえるのは、アコカがユダヤ人だったことの反映でしょうか。やがて、静かな経過部の後に、アタッカでメシアンの四重奏の鳥の声が聴こえてきます。
もちろん、ここではピアノのプリペアは完全になくなっています。瞬時に外したような気配はありませんでしたから、このライブではピアノが2台用意されていたのでしょうか。
このメシアンは、それぞれの奏者の個性が前面に出てきた、とてもエキサイティングな演奏でした。そこには、あのTashiの録音と同質の、「醒めた熱気」が感じられます。
そして、エンディングを飾るのが、ここでは「Electronics」というクレジットで参加しているカナダのユダヤ系ラッパーSocalled(本名:ジョシュ・ドルギン)のパフォーマンス「Meanwhile...」です。メシアンの演奏をサンプリングしたもののリミックスなどを駆使して、ヒップ・ホップの世界が広がります。これが、どのような状況で「演奏」されていたのか(メシアンの演奏家たちはステージに残っていたのか、とか)、非常に興味があります。
このような形で「再構成」されたメシアンですが、「だからなんなんだ?」という感じ。この作品にこんな小手先の策を弄する必要は、何も感じられません。

SACD Artwork © Oxingale Productions,

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-05-18 20:07 | 現代音楽 | Comments(0)
LEGRAND/Concertos
c0039487_23135529.jpg


Michel Legrand(Pf)
Henri Demarquette(Vc)
Mikko Franck/
Orchestre Philharmonique de Radio France
SONY/88985393722


ミシェル・ルグランといえば、まずは「シェルブールの雨傘」というミュージカル映画の音楽を作った人として、広く知られています。さらに、彼自身もジャズ・ピアニストとして大活躍、クラシックのアーティストと共演したこんなアルバムも作っています。
それだけではなく、彼はかつてクラシックのピアニストとしても、サティのアルバムを出したり、さらにはなんと指揮者として、シンフォニーオーケストラの指揮台に立っていたことだってありました。フォーレとデュリュフレの「レクイエム」がカップリングされたアルバムなどもリリースしていましたね。
c0039487_08113289.jpg
そして、今回は「クラシックの作曲家」として、自らの作品を世に問うアルバムまで作ってしまったのです。今年85歳を迎えた老人とはとても思えない、エネルギッシュな姿勢ですね。
ただ、ルグラン自身はもともとパリのコンセルヴァトワールでナディア・ブーランジェに師事していたのですから、「クラシックの作曲家」としての素養は十分にあったはずです。ジャズへの道に進んだのちも、いつの日かクラシックの作品で勝負したいという願望は持ち続けていたのでしょうね。そんな夢が、やっと叶ったことになります。
「ピアノ協奏曲」は、ミシガン州カラマズーで1991年から開催されている「ギルモア国際キーボード・フェスティバル」の2016年のファイナル・コンサートのために、そこのホスト・オーケストラであるカラマズー交響楽団からの委嘱で作られました。この音楽祭はクラシックだけではなくジャズやポップスのアーティストも参加する幅広いジャンルを誇っています。ルグランはそこで文字通りジャンルを超えた作品を披露することになったのですね。彼はまずジャズマンとして、自身のトリオによるステージを5月8日に行います。そして、5月14日のファイナル・コンサートのトリを、レイモンド・ハーヴェイ指揮のカラマズー交響楽団をバックに、彼自身のピアノ・ソロによって務めました。もちろん、そこで世界初演されたのは彼のピアノ協奏曲です。
そして、同じ年の9月に、今度はパリで、ミッコ・フランク指揮のフランス放送フィルとの共演で録音されたのが、このCDです。3つの楽章、演奏時間30分という、真正面からクラシックに取り組んだ「シリアス」な作品です。
その第1楽章は、ルグランの「速弾き」のソロがフィーチャーされた、目くるめく豪華な仕上がりになっていました。曲の感じはラヴェルのピアノ協奏曲によく似ています。打楽器のパルスをきっかけに繰り広げられるそのテクニックは軽やかそのもの、それはまさにジャズ・ピアニストの持つヴィルトゥオージティです。
第2楽章は型どおりのリリカルな曲想です。ここで興味を引くのはそのオーケストレーション。ピアノ・ソロが厚ぼったく和声づけされた美しいテーマを歌う時に、弦楽器がぴったりユニゾンでそれに合わせているのですね。かつてハービー・ハンコックがクインシー・ジョーンズのアルバムに参加していた時に、彼のアドリブ・ソロを採譜したものを弦楽器でハーモナイズして重ねるということをやっていましたが、これはそんな、クラシックの作曲家ではまず使わないような手法です。
第3楽章では、大胆に「無調」のテイストが導入されています。クラシック界では死に絶えた技法が、こんな形で蘇るのはとても新鮮です。
2012年に着想されたという「チェロ協奏曲」は、ここで演奏しているドマルケットのために作られました。こちらは、普通の3つの楽章の後に、まず「ソナタ」というタイトルの楽章が続きます。ここでは、なんと指揮者のフランクが指揮台から降りてピアノのところまで行って、チェロとのデュエットを披露するという「仕掛け」が施されています。それが終わると指揮者は何事もなかったようにまた指揮台に戻り、美しすぎる最後の楽章に入る、というぶっ飛んだ構成です。

CD Artwork © Sony Music Entertainment France

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-04-04 23:15 | 現代音楽 | Comments(0)
GENZMER/Works for Mixture Trautonium
c0039487_20515691.jpg


Peter Pichler(Mixturtrautonium)
Jan Kahlert, Tschinge Krenn(Volkstrautonium)
Manfred Manhart(Pf, Cond)/
Orchestra
PALADINO/pmr 0081


第一次世界大戦後、テクノロジーをベースにした「電子楽器」が次々と発明されました。1920年にロシアで誕生した「テルミン」、その流れを汲んで1928年にフランスで作られた「オンド・マルトノ」、そして同じころにドイツで発明されたのが「トラウトニウム」です。
それはプロシアの文化大臣が1928年にベルリンに設立した「ラジオ実験センター(Rundfunkversuchsstelle)」のエンジニア、フリードリヒ・トラウトヴァインが中心になって開発された電子楽器です。そこでは作曲家のパウル・ヒンデミットも協力していました。そして1930年にヒンデミットの「3つのトラウトニウムのための7つのトリオ」という作品が作曲者自身ともう2人のピアニストによって演奏されて、この楽器は初めて公の前に姿を現したのです。この楽器には鍵盤はなく、オンド・マルトノのような「リボン・コントローラー」で音階やグリッサンドを操作します。
この時に演奏に加わっていた、ヒンデミットの生徒のオスカル・ザラは、その後もこの楽器と関わり続けます。翌年にはドイツの電機メーカーTELEFUNKENとの共同開発によって出来上がったコンパクトな「フォルクストラウトニウム」という商品が販売され200台ほど売れたのだそうです。
c0039487_22243831.jpg
ザラは、この楽器を多くの場所で演奏、さらには映画音楽にも携わります。最も有名なものはヒッチコックの「鳥」のサントラに使われた、鳥の大群の効果音でしょう。さらに彼は、この楽器を高機能のものへと改良することに情熱を注ぎました。オシレーターやバンドパス・フィルター、エンヴェロープ・ジェネレーターなどのモジュールも組み込み、リボンも2段装備して、2声部での演奏も可能にしました。これが「ミクストゥーアトラウトニウム」という楽器です。これはまるでモーグのモジュール・シンセサイザーのような外観ですね。それに対して、さっきのフォルクストラウトニウムはミニモーグそっくり。これは単なる偶然なのでしょうか。
c0039487_22243250.jpg
そしてもう一人、この楽器の魅力に取りつかれた人がいました。それが、やはりヒンデミットの生徒だった作曲家、ハラルド・ゲンツマーです。ゲンツマーはザラからのサジェスチョンを受けながら、この楽器のための作品を数多く残したのです。
しかし、オスカル・ザラは、弟子を育てるということは全く行わなかったため、彼が2002年に亡くなった後はこの楽器の奏法を習得していた人は誰もいなくなってしまったのです。そんな時に、全くの独学で、この楽器の奏法をマスターしていたのが、このアルバムの演奏家、ペーター・ピヒラーです。彼は多数の楽器を演奏できるだけでなく、作曲家、編曲家としても活躍しています。彼が使っている楽器は、上の写真のドイツの「トラウトニクス」というところで作られたカスタムメイドの楽器です。
c0039487_22242597.jpg
彼は、この写真のように楽器と同時にミキサーも操作して、それぞれの声部の音を左右に振り分けたり、リバーブをかけたりしています。そのようにして録音されたゲンツマーの作品から聴こえてきたこの楽器の音からは、大戦間の古色蒼然としたノスタルジーなどは全く感じることはできません。そこには、最新のデジタル・シンセサイザーをも凌駕する新鮮なサウンドがありました。
中でも衝撃的だったのが、1958年に作られた「電子楽器のためのダンス組曲」です。これは、そもそもはザラのスタジオでテープに音を重ねて作られたものです(その音源によるLPは、1972年にERATOからリリースされました)。
c0039487_22241834.jpg
それを、ピヒラーは1台のミクストゥーアトラウトニウムと2台のフォルクストラウトニウムでライブ演奏ができるように書き換えました。これはもう、「電子音」がまさに「踊って」いるかのような新鮮な音楽です。4つの曲で出来ていますが、最後の「Ostinato accelerando」などは、その「オスティナート」がまるで低音のリフのようで、今のダンス・シーンでも立派に通用するほどのポップな作品です。

CD Artwork © paladino media gmbh

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-03-30 20:54 | 現代音楽 | Comments(0)
LIGETI/Concertos
c0039487_23503537.jpg


Christian Potéra(Vc)
Joonas Ahonen(Pf)
Baldur Brönnimann/
BIT20 Ensemble
BIS/SACD-2209(hybrid SACD)


リゲティの最新アルバム、作曲順に「チェロ協奏曲」、「室内協奏曲」、「メロディエン」、そしてと「ピアノ協奏曲」、という、「協奏曲」の形態をとった作品が演奏されています。リゲティのアルバムは、つい最近こちらのロト盤を聴いたばかりなのに、またまた新録音の登場です。なんで今頃?と思ったら、去年2016年はリゲティ没後10年という記念年だったのでした。どちらのアルバムも確かに去年のうちにリリースされていましたね。
両方のアルバムに共通しているのが、「室内協奏曲」です。「室内」というぐらいですから、編成も室内楽的で、5声部の弦楽器はそれぞれ一人ずつしかいません。ロトたちはそこでは木管五重奏の作品を録音していたので、編成的には全て「室内楽」ということになります。でも、今回は普通に「協奏曲」というタイトルが付けられている作品が2曲演奏されていますから、普通のサイズのオーケストラと独奏楽器、という編成なのかな、と思ってしまいますよね。しかし、それは名ばかりのことで、そんな「協奏曲」でも、弦楽器は5本しか使われてはいないのです。言ってみれば「一つのパートに一人の奏者」となりますね。これって、ちょっと前まで世の中で騒がれていた「OVPP」ではありませんか。ピコ太郎じゃないですよ(それは「PPAP」)。いや、どちらも「一発屋」という点では同じことでしょうか。
いや、考えてみれば、リゲティが世に知られるようになったのは、まだYoutubeなどがなかった時代に、「動画」によってその作品が多くの人の間に広まったからだ、という見方だってできなくはありませんから、「一発屋」という点ではリゲティその人も当てはまるのではないでしょうか。その「動画」というのは、ご存知「2001年宇宙の旅」というスタンリー・キューブリックの映画です。公開されたのは1968年ですから、もう少しで「公開50周年」を迎えることになりますね。この中で、キューブリックは「映画音楽」としてリゲティの作品を何曲も使っていました。それらはまさに、当時の最新の「現代音楽」ばかりでした。なんせ、公開の1年前にミュンヘンで演奏されたばかりの「レクイエム」の音源を、この映画のとても重要な場面でのライトモティーフとして使っているぐらいですから、キューブリックのリゲティに対する嗅覚には驚くほかはありません。この映画のクライマックスともいうべきボウマン船長のトリップのシーンは、「アトモスフェール」を聴いてもらうために作ったのではないか、とさえ思えてきますからね。
今となっては、この映画でリゲティの曲が使われていなければ(当初は、別の作曲家に新曲を作らせるつもりでした)、彼の作品はごく一部のマニア以外にここまで広く知られることはなかったと断言することが出来ます。そんな「2001年~」で使われた曲のようなテイストを色濃く残しているのが、このアルバムの最初の3曲ではないでしょうか。「チェロ協奏曲」などは、まさに「アトモスフェール」の小型版、といった感じです。
しかし、リゲティは次第にこのようなクラスターを主体にした作風を変えていきます。そして、ここで最後に収録されている「ピアノ協奏曲」では、例えばミニマル・ミュージックの影響などを受けたとされる作風を見せていますし、第4楽章では武満徹が使った音列まで登場します。しかし、全体としてはバルトークなど、彼が作曲家としてスタートした時にモデルとした作曲家の影響が見て取れます。それは、「ムジカ・リチェルカータ」という、初期のピアノ曲集にとてもよく似たテイスト。つまり、リゲティは一回りして「過去の自分」に戻っていたとは言えないでしょうか。
キューブリックが1999年公開の「アイズ・ワイド・シャット」で、この「ムジカ・リチェルカータ」からの曲を使ったのも、それで頷けます。彼は、本物の「リゲティおたく」だったのでしょう。

SACD Artwork © BIS Records AB

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-02-28 23:53 | 現代音楽 | Comments(0)
LOHSE/Hieronymus Bosch Triptychon
c0039487_20383423.jpg


Christoph Maria Moosmann(Org)
Robert Hunger-Bühler(Voice)
Aldo Brizzi/
Bamberger Symphoniker
NEOS/11604(hybrid SACD)


15 世紀のオランダの画家、ヒエロニムス・ボッシュの「七つの大罪と四終 」という作品にインスパイアされた曲なのだそうです。その絵の現物はこれ。
c0039487_21384208.jpg
真ん中に大きな円が描かれていますが、これは人間の「眼」を描いたものなのでしょう。「瞳孔」中にいるのはイエス・キリスト一人です(同行する弟子はいません)。その周りは7つに分割されていて、それぞれに「大罪」を現す絵が描かれています。さらに、その外側にはもう4つの円があって、それが「四終」と呼ばれる、人間の最後の出来事です。左上は「死」、右上は「最後の審判」、左下は「地獄」、右下は「天国」です。
その「七つの大罪」と「四終」に、もう一つ、さっきのイエス・キリストのすぐ下に書かれている文字も、この音楽のモティーフになっています。そこには「Cave cave Dominus videt」と書かれているのですね。それは「気をつけよ、気をつけよ、神は見たまう」という意味です。だから、「眼」の中に書かれているのですね。
この三つのモティーフを使って「三部作」を完成させたのは、1943年に生まれたドイツの作曲家、ホルスト・ローゼです。作曲をヘルムート・エーダーとベルトルト・フンメルに師事したそうで、その作品は多岐にわたっています。多くの詩人の歌詞による声楽曲を始め、実験的な劇場音楽や舞踊音楽、さらには哲学や神話、絵画などとのとのコラボレーションによるアンサンブルやオーケストラの作品など、膨大なものです。
とりあえず、このアルバムを聴く限りでは、彼の作風は、あくまでドイツの「正統的」な流れを汲むもので、決して聴きやすいとは言えませんが、昨今の軟弱な「現代音楽」に慣らされた耳には、適度の緊張感が与えられるものであるような印象を受けました。
ローゼは、まず1989年に、オルガン独奏のために「七つの大罪」を元に7つの曲から成る作品を完成させます。それは、先ほどのキリストの真下にある「憤怒」から始まって、反時計回りに「虚栄」、「淫欲」、「怠惰」、「大食」、「貪欲」、「嫉妬」の順に曲が並んでいます。それぞれが2分ほどの短いものですが、そこにはとても切りつめられた極限的な表現が見られます。そこでは、オルガンの機能を最大限に発揮させたダイナミック・レンジと、多彩な音色が駆使されています。「怠惰」では、鐘の音の連打が聴こえますが、ここで使われているオルガンには、そのようなストップが備わっているのですね。さらに、この録音が行われたロッテンブルクの大聖堂には、祭壇の向かい側に設置された大オルガンの他に、祭壇の右上の壁面に設置されたクワイヤ・オルガン、さらに、持ち運びできる小さなチェスト・オルガンと、全部で3つのオルガンがあって、この録音ではそれらをすべてシンクロさせて演奏されていますから、その表現力はハンパではありません。
音楽としては、ボッシュの絵の持つニヒルな側面ではなく、もっと暖かい視点を感じることが出来ます。「淫欲」の音楽からは、なにか恍惚感のようなものが感じられてしまいます。
「四終」では、大オーケストラとオルガンの共演が楽しめます。これは、1997年の初演の時のライブ録音、バンベルク交響楽団のホームグラウンド、「ヨーゼフ・カイルベルト・ザール」には、立派なオルガンが備えられていますが、それが大活躍です。この曲では「Sinfonia da Requiemのような」という注釈がついています。最後の「天国」の楽章は、そんな「救い」の音楽になっていて、エンディングのリコーダー・ソロが不思議な魅力を醸し出しています。
最後の2012年に作られた「Cave cave Dominus videt」は、ミヒャエル・ヘルシェルという人が書いたそのイエスの言葉に対する問いかけから始まるテキストが、ナレーターによって朗読され、そのバックにオルガンが流れる、という作品です。
いずれも、これが世界初録音(「四終」以外は初演ではありません)、SACDならではの精緻な音色が堪能できます。

SACD Artwork © NEOS Music GmbH

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-02-25 20:44 | 現代音楽 | Comments(0)
KANNO/Symphony No.1 "The Border"
c0039487_20491951.jpg




藤岡幸夫/
関西フィルハーモニー管弦楽団
DENON/COGQ-103(hybrid SACD)


菅野祐悟さんといえば、映画やドラマの音楽ではおそらく今一番良い仕事をしている作曲家だとゆうごとが出来るのではないでしょうか。「MOZU」の音楽を聴いたときには、圧倒されてしまいました。そんなに大げさなしぐさではないのに、一瞬ですべての世界を変えられるような力を持っている人だな、と思いましたね。それと同時に、決して音楽がでしゃばらないという点を非常にわきまえているのだ、とも感じました。ですから、おそらく最新作であろう「東京タラレバ娘」の音楽を彼が担当しているのは知っていたのに、最初の数回分はそれが全く聴こえてきませんでした。最近ではやっと聴こえてくるようになりましたが、それ自体は非常にシンプルなのに、それだけで全体の雰囲気を作り出しているんですよね。たしか、武満徹もそんな映画音楽を作りたい、みたいなことを言っていたのではないでしょうか。
そんな菅野さんの初めての「交響曲」、全体は古典的な「交響曲」そのままのフォルムを持っていました。そしてその4つの楽章も、かっちりと作り上げられた堂々たる第1楽章、少し軽妙な第2楽章、ゆったりとして抒情的な第3楽章、そして圧倒的な迫力で締めくくるフィナーレいう、まさに「交響曲」のパーツとしての性格を持っています。しかも、第1楽章などは紛れもない「ソナタ形式」で作られていますから、これは次第にその本来の枠を超えて肥大化してしまい、最近ではペンデレツキのようにいったいどこが「交響曲」なんだ、と思えるようなものまでが作られるようになってしまった「交響曲」の世界では、きっちりとそのあるべきフォーマットを押さえているという、まさに「交響曲」の原点に帰ったものとなっているのです。
そのように外枠を決めてしまえば、あとは稀代のメロディ・メーカーでもあり、卓越したオーケストレーターでもある菅野さんにとっては、現代人の耳にとっても十分なインパクトを与える「交響曲」を作り上げることなど、たやすいことだったのではないでしょうか。
ドラマ音楽のクライアントは様々なことを要求してきますから、それに応えるための引き出しを菅野さんはたくさん持っていることは容易に想像できます。その中には、単に美しく響く曲調だけではなく、今では見捨てられてしまった前衛的な作曲技法とか、もちろん、ジャズやラテン音楽といった「非クラシック」のジャンルの音楽も含まれていることでしょう。この「交響曲」を作るにあたっては、菅野さんはそんな「素材」を惜しげもなくひっぱり出してきて、作品全体に深みを持たせています。
菅野さん自身は、タイトルの「Border」の意味を「意識と無意識の境界線」という難解な言葉で語っていますが、もしかしたら音楽的にはクラシック的な要素と、それ以外、例えば頻出する「無調」や「ジャジー」、あるいは「ミニマル」といった要素との境界を意味しているのでは、とも思えるのですが、どうでしょう?いずれにしても、これは、まさにそんなさまざまな要素が混在している「現代」でなければ作ることのできない、紛れもないマスターワークです。
ブックレットでは、あの前島秀国さんが、詳細な「楽曲解説」を著しています(ここでも、先ほどいくつかのタームをその中から引用させていただいています)。その的確な解説は、間違いなくこの作品を正当に鑑賞する際の指針となることでしょう。今ではあまり見ることのなくなった「〇小節からの第1主題は・・・」みたいな表現も、なにか懐かしさを感じます。ただ、ここまで書くのなら、音楽の時系列を「小節」ではなく「〇分○秒」で表示してほしかったように思います。これはマンフレート・ホーネックなども、自分の録音を解説する時に使っている手法。なんせ、聴いている人はスコアは持っていないのですからね。これだと、単に「おれはスコアも読めるんだぞ」という自慢に見えてしまいますし(笑)。

SACD Artwork © Nippon Columbia Co., Ltd.

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-02-11 20:51 | 現代音楽 | Comments(0)