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カテゴリ:合唱( 688 )
FOLKETONER
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Anne Karin Sundal-Ask
Det Norske Jentekor
2L/2L-144-SACD(hybrid SACD)


アルバムタイトルの「FOLKETONER」というのが、ちょっと曲者でした。「Folkemusikk」が「民族音楽」という意味のノルウェー語なのは分かったのですが「Toner」が分かりません。でも、おそらく英語の「Tone」ではないかということで、勝手に「民族の音」とすることにしました。
それを、日本の代理店は「人々の心の調べ」と訳しました。これは、元の言葉の直訳ではなく、それこそその「心」までも含めて意味を伝えようとした気持ちのあらわれなのでしょう。半世紀前に「I Want to Hold Your Hand」というタイトルを「抱きしめたい」と訳した精神が、この業界には時代を超えて脈々と伝えられていることがよく分かる事例です。
実際は、ここではとても素晴らしい女声合唱団によって、ノルウェーのまさに「民族音楽」から、ロマン派の作曲家によるクラシックの「作品」、あるいは中世から伝わる聖歌など、様々な曲が歌われています。その女声合唱団は、初めて耳にした「ノルウェー少女合唱団」という名前の団体です。
この合唱団の起源は、1947年に作られた「ノルウェー放送局少女合唱団」まで遡れるのだそうです。やがて合唱団は放送局からは独立した団体となり、今に至っています。その間には、多くの音楽家、芸術家がここから巣立っていき、それぞれの分野で活躍しています。そもそも、ここは音楽だけではなく芸術全般に関するプロフェッショナルなスキルを身に付けるという目的を持った教育機関としての側面もあるのだそうです。さらに、そのような啓蒙はここで学ぶ少女たちだけではなく、その演奏を聴く聴衆に対しても行われているのだとか。
この合唱団のメンバーは6歳から24歳までの年齢層で成り立っています。そして、その中にはそれぞれのスキルに応じて4つの合唱団があります。それは、初心者のための「リクルート合唱団」、もう少し高いレベルの「アスピラント合唱団」、そしてメインの合唱団、さらに、おそらくそこから選抜されたメンバーによる「スタジオ合唱団」です。このSACDで演奏しているのは、その「スタジオ合唱団」です。
いつものように、DPAのマイクを使ってDXD(24bit/352.8kHz)で録音されたこのレーベルの音は、2.8MHzDSDというしょぼいフォーマットにダウンコンヴァートされたSACDであっても(今回はBD-Aは同梱されていません)、とびっきりのインパクトを与えてくれました。バランス・エンジニア、モーテン・リンドベリが選んだ録音会場の教会の豊かな残響に囲まれて、この合唱団の瑞々しいサウンドは、まるで乾ききった砂地に水がしみ込むようにたっぷりの潤いを届けてくれていたのです。彼女たちの声は、普通は「無垢」という言葉で表現される透明性を持ちつつも、そこにはほのかな「汚れ」すらも漂っていて、それがえも言えぬ味わいを出しているのですね。サラウンドで体験するこの音響空間は、まさに至福のひと時を与えてくれます。
歌われているのはさまざまなソースをア・カペラに編曲したものですが、ノルウェーの大作曲家、エドヴァルト・グリーグが作った曲も4曲歌われています。その中から、いきなり弦楽合奏のための「2つの悲しい旋律」からの「過ぎにし春」が聴こえてきたのには驚きました。おばあちゃんの名前(それは「杉西はる」)ではありません。これは、オリジナルは「ヴィニエの詩による12の旋律」という歌曲集を編曲したものですが、それがさらに合唱に編曲されていたのでした(ここでは同じ曲集からの「ロンダーネにて」も歌われています)。
弦楽合奏バージョンには、いかにもな濃厚な表現の正直うざったい曲のような印象があったのですが、このア・カペラ・バージョンはそれとは全然異なる爽やかさと明るさを持っていました。歌詞には、「これが私にとって最後の春だ」みたいな深刻な心情が現れているようですが、少女たちにとってはそこまで踏み込まずともこの音楽の神髄は伝えられるだろうという解釈なのでしょう。そう、明るさの中に込められた哀感の方が、時として鋭く伝わることもあるのです。

SACD Artwork © Lindberg Lyd AS

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by jurassic_oyaji | 2018-04-24 23:46 | 合唱 | Comments(0)
LANG/Statement to the Court, HEARNE/Consent, Lash/Requiem
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Jeffrey Douma/
Yale Choral Artists
Yale Philharmonia
NAXOS/8.559829


アメリカのコネチカット州ニュー・ヘイヴンにある名門、イェール大学(Yale University)には、大学院としてイェール大学音楽院(Yale School of Music)という教育機関が設けられています。ここからは、歴代の著名な音楽家たちによる教育によって、多くの世界的な音楽家が輩出されてきました。
2011年8月に、この音楽院とイェール大学のグリークラブによって設立されたのが、このアルバムでの演奏者、「イェール・コーラル・アーティスツ」という16人編成のプロフェッショナルな混声室内合唱団です。指揮をしているのは、2003年からグリークラブの指揮者を務めていたジェフリー・ドウマです。
この合唱団のメンバーは、アメリカ全土から集められました。それぞれ、すでにプロフェショナルな合唱団のメンバーだった人も含まれていて、その中にはあの「シャンティクリア」や「コンスピラーレ」といった団体に所属していた人もいます。
ここで彼らが、やはりイェール大学音楽院のオーケストラと共演しているのは、アメリカの3人の作曲家による3つの作品です。そのうちの2つは、これが世界初録音となります。
そもそも、このアルバムは、ハーバード大学で作曲を学び、現在はこの音楽院の教師でもあるハナー・ラッシュが作った「レクイエム」の世界初演が行われたコンサートのライブ録音です。こちらにあるように、2016年9月24日にニュー・ヘイヴンのセント・メリー教会で行われたコンサートでは、このアルバムと同じ曲目が演奏されています。それは、確かにジャケットのクレジットでも分かります。
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ところが、こちらの出版楽譜のサイトでの演奏記録を見ると、同じ日の初演の会場が別のところになっています。この日は土曜日ですから、まず大学内のホールで初演したのち、教会で夜のコンサート、でしょうか。さらに、翌25日にはニューヨークでも同じプログラムでコンサートが開かれているのに、CDではその日はニュー・ヘイヴンで録音していたことになっていますが、これもたかが150キロの距離ですから、行き来は可能なのでしょう。NAXOSのデータは決してデタラメではないのだと思いたいものです。
その、ラッシュが作った「レクイエム」は、テキストが本来のラテン語の歌詞ではなく、そこから彼女自身が英語に訳したものになっているのです。その訳も、原文の逐語訳ではなく、もっと自由奔放なものに変わっています。そこまでして彼女が作りたかった「レクイエム」は、単に一個人の死を悼むのではなく、人類全体が抱えている喪失感のようなものまでを表現することを目指しているのだそうです。
音楽的には、「Requiem aeternam」からは、まるでメシアンを超低速で演奏したようなものが聴こえてきます。その中で、アクセントとして機能しているのがハープのパルスなのですが、それを演奏しているのが作曲家自身というのも驚きです。彼女はハーピストとしても活躍しているのですね。この作品ではハープはのべつ聴こえてきます。
「Dies irae」では、複雑なポリリズムが展開されています。ただ、そこから聴こえてくるのは激しさではなく、混沌とした情景です。合唱はひたすら「嘆き」を演出しています。
「Agnus Dei」と「Lux aeterna」の間には、やはり自由に英訳された「詩編」の「深き淵より」が、ア・カペラの合唱によって歌われています。それは、まるでルネサンスのポリフォニーのようなフォルム、しかし、そこでの合唱の表情は、もっと生々しいものでした。
この合唱団は、さすがのソノリテで、見事にこの曲の精神を表現していました。それは、やはりイェールで教鞭を執っているミニマリスト、デイヴィッド・ラングが、労働運動活動家ユージン・デブスの1918年の裁判での陳述をそのままテキストにして作った「Statement to the Court」や、イェールの卒業生であるテッド・ハーンの多層的なア・カペラの作品「Consent」でも、的確なリアリティを産んでいます。思わずエールを送りたくなるような素晴らしい合唱です。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

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by jurassic_oyaji | 2018-04-14 21:40 | 合唱 | Comments(0)
ZACH/Requiem, Vesperae
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Michaela Šrůmová(Sop), Sylva Čmugrová(Alt)
Čeněk Svoboda(Ten), Jaromír Nosek(Bas)
Marek Štryncl/
Collegium Floreum
Musica Florea
SUPRAPHON/SU 4209-2


ボヘミアの作曲家ヤン・ツァハはあまり有名ではありません。なにしろ、最近までは生まれた年まで間違われていたのですからね。正しくは1713年に生まれているのですが、たとえばWIKIPEDIAなどでは1699年生まれとなっていますからね。どうやら、彼の従弟の生年と間違われていたようです。かわいそうに。いずれにしても、子供の頃はやんちゃだったのでしょう。
彼は1730年代にはプラハに住み始め、教会のオルガニストとして働きますが、1745年にはマインツの楽長に就任します。しかし、何らかの事情でそこはクビになり、それ以後はヨーロッパ中を放浪することになるのです。
そんなツァハのプラハ時代に作られた2つの宗教作品「荘厳レクイエム」と、「聖母マリアの晩祷」が、このCDには収録されています。「レクイエム」の方は割と有名ですでに録音されたものがありますが、「晩祷」はこれが初めての録音となります。
「レクイエム」では、4人のソリストと合唱がオーケストラをバックに歌う点とか、伝統的なテキストがそのまま使われているという点では、その半世紀ほど後に作られることになるモーツァルトの作品と同じ形をとっています。作風も、もうすでにバロック時代の様式は薄れ、古典派の様式になっていることも分かります。ただ、「Dies irae」ではモーツァルトは全てのテキストを使っていますが、ツァハはその2/3をカットしています。
面白いのは、あちこちにそのモーツァルトの予兆のようなものが現れていることです。まず、冒頭の「Requiem」の後半「Te decet hymnus」ソプラノのソロによって歌われるのですが、そこにはモーツァルトの未完のハ短調のミサの中のソプラノのアリア、「Et incarunatus est」の中のフレーズに酷似したフレーズが登場しています。
さらに、それに続く「Kyrie」が4声のフーガなのですが、それがそのまま最後の曲の「Cum sanctis」に歌詞だけ変えて使われているというのも、モーツァルトの「レクイエム」と同じです。もっとも、モーツァルトの場合は「Cum sanctis」はジュスマイヤーが補作していますから、これは単に当時の様式に則っただけのことなのでしょう。
実は、このフーガ(もちろん、ツァハのものですが)は、そのままオルガン・ソロのために他の人によって編曲されたものがあって、これが結構有名なのだそうです。そのテーマは半音進行を多用したとても暗いものなのですが、それは少し前、バロック時代には広く知られていた「修辞学(レトリック)」で用いられる「フィグーラ」の一つ「Passus duriusculus(パッスス デュリウスクルス=辛苦の歩み)」に相当するのだそうです。しかも、そこでは1オクターブの中の12個の半音が全て使われているのです。これは、バッハの「ロ短調ミサ」の2番目の「Kyrie」と全く同じことが行われていることになりますね。
これは、1世紀以上後の同じボヘミアの作曲家ドヴォルジャークが作った「レクイエム」の中でも、主要なモティーフとして用いられることになります。
一応そんな暗い雰囲気に支配された曲ではありますが、「レクイエム」全体ではもう少し別の情感も表現されていて、なかなかの多様性が感じられるようです。「Domine Jesu Christe」の中の「Sed signifer」はソプラノのソロですが、オペラのアリアのような華やかなコロラトゥーラのフレーズが入っています。
このソプラノのミハエラ・シュロモヴァーという人は確かな力を持っているようですが、残りの3人のソリストは、発声や技巧の点でやや危なげなところが感じられてしまいます。バスのヤロミール・ノセクという人などは、コミカルなキャラで売っているのでは、とさえ思ってしまう時もありますね。合唱もそこそこの技量はあるものの、なにか無気力で面白味に欠けています。
カップリングの「晩祷」もなかなかヴァラエティに富んだ曲調。ヴィヴァルディの「冬」を思わせるような厳しい曲があると思うと、「Magnificat」では派手な鐘の音などが聴こえてきたりします。

CD Artwork © SUPRAPHON a.s.

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by jurassic_oyaji | 2018-04-12 21:23 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Mass in B Minor
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Katherine Watson(Sop), Tim Mead(CT)
Reinoud Van Mechelen(Ten), André Morsch(Bas)
William Christie/
Les Arts Florissants
HARMONIA MUNDI/HAF 8905293/94


ウィリアム・クリスティが「レザール・フロリサン」を創設したのは1979年ですから、もうすぐその活動期間は40年になりますね。バロック期の知られざる作品を数多く紹介していましたが、基本的には合唱がメインで、それを補助するために器楽アンサンブルがあったような印象がありますね。これまでに数多くのアルバムをリリースしていますが、それらはほとんどフランス・バロックのレパートリーだったのではないでしょうか。それ以外に取り上げられているのはモンテヴェルディぐらい、ですから、どうやらバッハの作品を取り上げた録音はおそらくこれが初めてのようなのですね。まあ、なんたってシャルパンティエの作品のタイトルをアンサンブルの名前にしているぐらいですから、基本的にフランス・バロック、というのが彼らの矜持だったのでしょう。
ただ、クリスティ自身は、幼少のころからバッハも含めて、バロック音楽全般を聴いていたようですね。それは彼の家庭環境のおかげ、お母さんがニューヨークの教会の聖歌隊の指揮者をしていたのだそうです。彼はバッファロー生まれのアメリカ人、ハーバード大学とエール大学に学んでいますが、後にフランス国籍を取得するのですね。
クリスティは10歳ぐらいの時にそのお母さんの指揮する教会での演奏で、オルガン伴奏による「Gloria in excelsis」と「Et resurrexit」を聴いて以来、「ロ短調ミサ」が大好きになったのだそうです。
そんな、待望の「ロ短調」全曲は、2016年から2017年にかけてのツアーで取り上げられていました。2016年6月にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われた「プロムス」でも演奏されていましたね。このCDは、2017年9月にパリのフィルハーモニーで行われたコンサートのライブ録音です。
CDが始まると、まずこの広大なホールのざわめきが聴こえてきます。これは、よくある「ライブ録音」とは言ってもお客さんが入っていない状態でリハーサルを録音して編集したものではなく、まさしく「ライブ」そのものであることが分かります。それは、聴きすすんでいくうちに現れる、ちょっとしたアンサンブルの乱れなどによっても、しっかり確認することが出来ます。もちろん、それらは些細な疵でしかなく、この演奏を支配する生命感にあふれたグルーヴの邪魔になるものでは決してありません。
そう、これは、宗教曲にはあるまじき、型破りなほどに「世俗的」な情感にあふれた名演です。それはクリスティ自身もライナーノーツで語っているように、バッハの作品がそもそも内包している「世俗性」、言い換えれば「人間臭さ」を前面に押し出した画期的な演奏だったのです。
まず、設定されたテンポはかなり速め、そして、先ほどの2曲、「Gloria in excelsis」と「Et resurrexit」のようなそもそも開放的に作られている曲はさらに華やかさにあふれて激しく盛り上がります。クリスティはアリアの時には指揮をせずに、通奏低音のチェンバロを演奏することに専念していますが、これもとても華やかなレアリゼーションを見せていて、心が躍ります。ソリストたちも、トリルなどの装飾は前打音を長く伸ばすというフランス的な表現がとられているので、優雅さはさらに増しています。
さらに、「Crucifixus」のような、本来は暗~い情感が漂うはずの曲でも、合唱はとことん「明るく」歌っていますね。面白いのは、この曲の最後で、ソプラノが最後の小節のひとつ前のD7の和音の7音である「C」を、小節線を越えて伸ばして最後の小節でアポジャトゥーラとして機能させていることです。こんなスリリングな演奏は、初めて聴きました。
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来年の3月には、ロンドンのバービカン・センターで「ヨハネ受難曲」を演奏するという予定があるというよさげな情報を見つけました。クリスティは本気でバッハに取り組むことにしたのでしょうか。おそらく、これも遠からず録音で耳にすることが出来るのでしょうね。とても楽しみです。

CD Artwork ©c harmonia mundi musique s.a.s.

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by jurassic_oyaji | 2018-04-07 20:58 | 合唱 | Comments(0)
BERNSTEIN/mass
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Kevin Vortmann(Ten), Many Soloists
Yannick Nézet-Séguin/
Westminster Symphonic Choir, Temple University Concert Choir
The American Boychoir, Temple University Diamond Marching Band
The Philadelphia Orchestra
DG/00289 483 5009


バーンスタインの「生誕100年」ということで、レコード業界はこの指揮者/作曲家がらみのアイテムをここぞとばかりに「投げ売り」しています。そんな時だからこそ、この「ミサ」という問題作もこんな風にCDとしてリリースできることになるのでしょう。
とは言っても、確かに前世紀には作曲家自身の録音がほとんど唯一の音源だったためこのCDのインフォでも、「この記念碑的な作品は演奏機会もあまりなく、CDになることも珍しい作品です」とまで言い切ってしまったのでしょうが、今世紀に入ってからはもうすでに少なくとも3種類のCDがリリースされているのですから、決して「珍しい」わけではありません。
1971年に初演されたこの作品には、「歌手と演奏家とダンサーたちのためのシアター・ピース」というサブタイトルが付けられていました。そう、当時は世の中では「シアター・ピース」というものが流行っていたのですよ。おそらく、今では「それ、なに?」という人は多いのではないでしょうか。アニメじゃないですよ(それは「ワン・ピース」)。確かに、あれほど盛り上がっていた「シアター・ピース」のブームはいつの間にか終わってしまい、この21世紀の芸術のシーンでは見事に消え去っています。
それがどんなものなのかは、このCDのブックレットに載っている写真を見れば、その片鱗ぐらいは分かるかもしれません。フィラデルフィア管弦楽団の本拠地、ヴェリゾン・ホールのステージの上にはさらに一段高いステージが設けられ、そこには合唱団やソリスト、さらにはダンサーが入り混じっていますし、後ろにはブラスバンドのような一群も座っています。オーケストラ本体は下のステージで演奏していて、ネゼ=セガンがそれら全体を指揮する、という形ですね。
そのブラスバンドの最前列には、フルートの副首席奏者デイヴィッド・クレーマーの姿が見えます。そして、その隣には、これが録音された2015年には首席ピッコロ奏者だったはずの時任和夫さんの姿もありますよ。
そんなごちゃごちゃしたステージは、曲の進行に従って出演者の配置もどんどん変わっているようでした。つまり、そこで演奏される「音楽」も、さまざまに変わっていくのです。コロラトゥーラ・ソプラノがハイ・ノートでわめいた後にマーチング・バンドがノーテンキなマーチを演奏したり、唐突に弦楽合奏で「癒し系」が披露されたと思ったら、ギンギンのロック・ン・ロールが始まる、といった塩梅です。
確かに、1970年台にはそのようなスタイルの「ショー」がもてはやされる社会的な背景はありました。おそらく、音楽によって世の中が変えられるだろうと本気で思っていた人たちもいたかもしれません。そんな中で試みられたのがこのバーンスタインの「シアター・ピース」なのでしょう。
それから半世紀近く経って、「社会」は全く変わってしまいました。もはやそこではそのような試みは存在する意味も必要性も完璧に失っていたのです。もし仮にこの作品が今でも意味を持つのだとすれば、それは、時代を超えた普遍性がその中に秘められているからなのでしょう。たとえばモーツァルトの音楽の中には間違いなく存在している普遍性と同じものがバーンスタインの音楽の中にもあるのかどうか、2015年にこの「シアター・ピース」を上演し、2018年にその録音を販売するというのは、それを確かめる作業にほかなりません。
率直な感想ですが、ここではバーンスタインの提示した「素材」そのものは、間違いなく普遍性を持ったものであるにもかかわらず、それがそのままの形で演奏された時には、見事に今の社会からは乖離した異様な姿を晒すという結果に終わっていたのではないでしょうか。いかにも70年然としたベース・ギターの響きは、もっと「今」に適応した姿で現れれば、単なる懐古趣味に陥ることはなく、確かな意味を持つことも出来たはずです。

CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH

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by jurassic_oyaji | 2018-04-03 23:11 | 合唱 | Comments(0)
MADE IN BERGIUM/New Bergian Choral Music
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Helen Cassano/
Brussels Chamber Choir
ET'CETRA/KTC 1601


ベルギーの新しい合唱音楽を集めたアルバムです。はっきり言って、大好きなマグリットの「ゴルコンダ」が目に入ってしまった結果のジャケ買いです。なんたって、この作品は東京まで見に行ったマグリット展の図録の表紙でしたからね。
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もちろん、このアルバムにはベルギーの作曲家たちの作品が収められているので、この有名なベルギーの画家の作品をジャケットにした、ということなのでしょう。
ここで演奏されているのは、基本的に無伴奏の小さな曲ばかり15曲です。そのうちの11曲が世界初録音なのだそうです。作曲家は、1931年生まれの物故者から1981年生まれの若者まで、幅広い世代の人が14人、完璧に初めて名前を聞く人ばかりでした。
なんせ、ベルギーの「現代音楽」などはほとんど未体験ですから、恐る恐る聴きはじめると、最初のルディ・タス(1957年生まれ)の作品「Ave Maria」ではとてもやわらかく美しいハーモニーに乗って、女声ソリストの声が聴こえてきました。名前を見ると、それはヘレン・カッサーノ、サッカーのコーチではなく、この合唱団の指揮者ではありませんか。指揮者が自らソロを歌うというのは、かつてはダイクストラあたりがやっていたことがありますね。彼女は、合唱指揮者であると同時に、ベルギーの多くの合唱団の団員として活躍してきたというキャリアがあるのだそうです。そんな、合唱を知り尽くした人のソロが、美しくない訳がありません。いや、この方は、声だけではなく、その姿もとても美しいことは、ブックレットの写真からも分かります。
このブリュッセル室内合唱団は、彼女が王立ブリュッセル音楽院の学生などと2007年に創設したもので、アマチュアとプロの集まり、メンバーは10ヶ国から集まっているのだそうです。その演奏レベルはものすごいものがあって、なんと言っても全てのパートの声の均質性と、ハーモニーを形作るピッチの正確さは比類のなさを誇っています。言いかえれば、そのサウンドは女声も男声もほとんど区別がつかないほどで、合唱団はまるで一つの楽器のように聴こえてきますし、どんな不協和音でさえ美しく響かせる術を、全員が備えている、ということになります。
ここで聴くことができる曲たちは、すべて、古典的な和声をベースにしたものばかりです。とは言っても、個々の作曲家の個性は歴然としていて、べつに前衛的な手法に頼らずとも、確かな主張を持った音楽を作ることは可能なのだという、ごく当たり前のことが再確認出来ます。そんな中で、1954年生まれのリュック・デュピュイという人が作った「Stabat Mater」では、プレイン・チャントからミニマルまでの幅広い素材を駆使して、とても聴きごたえがありました。
もう一人、ピート・シェルツという1960年生まれの方の「戦争」という作品は、シンプルな反戦の思いが、とても美しいハーモニーで訴えられています。サスペンデッド4から属七に移行してもそれから先は常に解決しないという和声は、なにかのメタファーなのでしょう。
こうして実際に曲を聴いてみると、ジャケットのマグリットにも意味があるのでは、という気になってきました。マグリットは一応シュール・レアリスムの画家ということになっていますが、同じ作風のダリなどに比べるとその「写実」のあり方がずっと穏やかな印象があります。そこには決して恐怖感のようなものはなく、もっと安心して身を委ねられるような肌触りがあるように感じられるのですが、そんな雰囲気がこのアルバムの中のどれを聴いても伝わって来るのですね。そういう意味で、このジャケットは見事にアルバムのコンセプトを反映しているように思えるのです。
ベルギーは、独立国家として成立したのは19世紀のことです。しかし、かつて「フランドル」と呼ばれていたこの地方は、ルネサンス期からポリフォニー音楽の中心地として、多くの作曲家を輩出してきました。そんな合唱音楽の沃野が現代に於いて見せる豊穣は、あまりに美しすぎます。

CD Artwork © Quintessence BVBA

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by jurassic_oyaji | 2018-03-31 21:24 | 合唱 | Comments(0)
SEBASTIANI/Matthäus Passion
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Collin Balzer(Eva), Christian Immler(Jes)
Ina Siedlaczek(Sop)
Paul O'Dette, Stephen Stubbs/
Boston Early Music Festival Chamber Ensemble
CPO/555 204-2


ヨハン・セバスティアン・バッハではなく、ヨハン・セバスティアーニという、中途半端な名前の人が作った「マタイ受難曲」です。この方は1622年にワイマールで生まれ、1661年から1679年までケーニヒスベルクの宮廷楽長を務めます。その間の1663年に作られたのがこの「マタイ受難曲」、バッハの作品が出来る半世紀以上前のことです。
バッハが生まれるちょうど100年前に生まれた作曲家、ハインリヒ・シュッツの「マタイ受難曲」もやはり広く知られていますが、その様式はバッハとは大きく異なっていました。彼の場合は、ベースとなるテキストはバッハと同じくドイツ語訳の新約聖書のマタイ福音書ですが、その音楽は無伴奏で淡々とそのテキストを歌い上げる、というものでした。ですから、演奏時間も1時間もかかりません。そして、バッハみたいに、聖書の朗読の間に讃美歌や、まるでオペラのアリアのような独立した歌曲が挿入されることはまだありませんでした。
シュッツの37年後に生まれたセバスティアーニは、シュッツの受難曲のスタイルに、初めて讃美歌(コラール)を取り入れました。さらに、すべての曲に器楽の伴奏を加えたのです。これは画期的なこと、彼は若いころイタリアで音楽の勉強をしていますから、当時の最先端の音楽を知ることが出来たのでしょう。実際、シュッツの「マタイ」が作られたのは1666年ですが、セバスティアーニの曲はその3年前に作られていますからね。
ポール・オデットとスティーヴン・スタッブズという二人のリュート奏者が共同で音楽監督を務めるボストン・アーリー・ミュージック・フェスティヴァル室内アンサンブルがこの曲を演奏したのは、2014年の4月のそのフェスティヴァルの時でした。それから3年後、スタッブズとは縁の深いブレーメンでのセッションで録音されたのが、このCDです。
メンバーは、声楽のソリストが6人です。例によってエヴァンゲリストはテノール、イエスはバリトンが担当し、残りの歌手はそれぞれ他の登場人物と、コラールを歌います。そして、トゥルバ(群衆の合唱)は、この全員が歌っています。
器楽アンサンブルの編成は、ヴァイオリン2挺、ヴィオラ・ダ・ガンバ4挺に通奏低音というユニークなものです。通奏低音も、ここでは2挺のテオルボにオルガンとチェンバロというかなりの大編成になっています。もちろん、そのテオルボはオデットとスタッブズが演奏しています。つまり、ここでは「指揮者」というものは存在しておらず、お互いのメンバーが自発的にアンサンブルを作っているのでしょう。
その伴奏は、登場人物によってきっちりと楽器の割り当てが決まっているようです。エヴァンゲリスト(テノール)のバックはヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音、イエス(バリトン)のバックにはヴァイオリンと通奏低音、そしてトゥルバのバックは全部の楽器というのが、基本的なパターンです。コラール(ソプラノ・ソロ)ではヴィオラ・ダ・ガンバだけで、時折低音も入る、という形でしょうか。ですから、イエスが語りはじめるときには、ひときわ目立つ高音の響きに彩られることになって、いやでもありがたみが増す、ということになります。
さらに、最後にイエスがこと切れる場面、彼の「Eli, Eli, lama asabthani?」という言葉の時には、伴奏はオルガンだけになり、ひときわ引き締まったサウンドが響きます。それをエヴァンゲリストがドイツ語で復唱する時には、元はイエスの言葉だということでバックにはヴァイオリンが使われていますね。そして、その後に穏やかなコラールが続くというとても感動的なシーンを形成しています。
そのイエス役のイムラーが、ここではひときわ存在感を誇っています。エヴァンゲリストのバルツァーも、とても豊かな表現力で、真に迫った歌を聴かせてくれます。
1時間ちょっとで味わえる、シンプルでも中身の濃い「マタイ」です。ちょっと後味が残りますが(それは「マオタイ」)。

Artwork © Classic Produktion Osnabrück

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by jurassic_oyaji | 2018-03-29 20:49 | 合唱 | Comments(0)
ARNESEN/Infinity: Choral Works
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John Gunther(Sop Sax)
Alice Rigsby(Pf)
Joel Rinsema/
Kantorei
NAXOS/8.573788


1980年生まれのノルウェーの若手作曲家、キム・アンドレ・アルネセンは、この世代の他の作曲家同様、様々なジャンルの音楽がバックボーンになっています。特に彼が最も情熱を傾けているのが、合唱音楽です。その作風は、彼より10歳年上のアメリカの作曲家、エリック・ウィテカーにかなり近いものがあるね
今まで聴いたことがある彼の大きな作品としては、こちらの「マニフィカート」がとても印象的でした。このSACD(+BD-A)ではノルウェーのニーダロス大聖堂の合唱団が歌っていましたが、アルネセン自身もかつてはここの合唱団のメンバーだったのですね。このアルバムは、2016年のグラミー賞に録音部門のカテゴリーでノミネートされていました。
その時の超リアルなサラウンドのサウンドによって、ピュアそのものの児童合唱の声を味わっていましたから、同じ作曲家の作品をアメリカの大人の合唱団が歌った時にはいったいどんなものになるのかはちょっと不安なところもありました。
確かに、録音の面から言ったら、先ほどの2Lのある意味ぶっ飛んだ音には比べようもない、なんともレンジが狭くて盛り上がりに欠けるサウンドには失望させられました。さらに信じられないことに、この録音では会場のグラウンド・ノイズが派手に聴こえてくるのですからね。とは言っても、そんな怪しげな録音によって聴こえてくるこのデンバーを本拠地に活躍している「カントライ」という合唱団は、アメリカと言って連想される大味なものでは決してなく、まさに大人ならではのクオリティの高い演奏を味わわせてくれました。というより、ここで歌われているアルネセンの曲は全て英語かラテン語なので、テキスト上の共感までもしっかりと伝わってきます。何しろ、このアルバムの中の12曲のうちの4曲が、この合唱団の委嘱によって作られ、これが世界初録音というのですから、作曲家との信頼によって硬く結ばれているのでしょうね、曲によってはソリストが登場しますが、それらは全員この合唱団のメンバーで、それぞれに素晴らしい声ですから、かなりのスキルを持った人たちの集まりなのでしょう。
この中では、2010年に作られた「Cradle Hymn」という子守歌が、ホワイトハウスのあのオバマ大統領の前で歌われた、ということで広く知られているようです。とてもシンプルな分かりやすいメロディの繰り返しで、それぞれに細かくアレンジを変えて楽しませてくれます。これにはピアノ伴奏が付いていますが、ここで聴けるピアノ伴奏つきの曲が、大体同じようなソロでも歌えるような美しいメロディを前面に出したものになっています。
そんな中で、2013年に作られた大曲(演奏時間は50分近く)の「レクイエム」の中の「Pie Jasu」も、ピアノ伴奏で演奏されていました。オリジナルは弦楽合奏にトランペット1本と多くの打楽器という編成で、この曲の場合はソリストが2人用意されていますが、それが1人のソリストと合唱にピアノ伴奏という形に新たに編曲されています。なんでも、最初の「レクイエム」の構想では「Pie Jesu」は入れないつもりでいたものが、ある日突然このメロディが「降りてきた」ので、急遽その中に加えたのだそうですから、これは間違いなく心を打つ音楽なのでしょう。
とにかく、最初から最後まで美しいメロディと美しいハーモニーに彩られた、とてもゴージャスな曲ばかりなので、もったいないことに、ちょっと飽きてきたな、と思った頃、最後から2番目の「Infinity」というアルバムタイトルにもなっている曲になったら、それまでの曲とは一味違うとても厳しい曲調だったので、ちょっとびっくりしてしまいました。何か切迫したような合唱の最後に、ソプラノ・ソロがとても緊張感のある合いの手を入れるというシーンがあるのですが、そのソロはそれまでピアノ伴奏を弾いていた方なんですね。
これは、コンクールの自由曲に使ったら、とても受けるのではないでしょうか。

CD Artwork © Naxos Rights(Europe) Ltd.

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by jurassic_oyaji | 2018-03-19 20:38 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Mass in B Minor
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Katherine Watson(Sop), Helen Charlston(MS)
Iestyn Davies(CT), Gwilym Bowen(Ten), Neil Davies(Bas)
Stephen Layton
The Choir of Trinity College Cambridge
Orchestra of the Age of Enlightenment
HYPERION/CDA 68181/2


最初このCDを聴いた時に、その音があまりに素晴らしいので驚いてしまいました。エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団の弦楽器の音が、ピリオド楽器にあるまじきエッジの立ったクリアな響きだったのですね。合唱もとても生々しい音で、メンバーひとりひとりの声まではっきり分かるほどのリアリティを持っていました。そうなると、これを録音したエンジニアの名前が気になります。そこでクレジットを見るとエンジニアはデイヴィッド・ヒニットという人でした。確かに、この名前は他のレイトンのCDでも見たことがあります。
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こんな顔、なんかひにっとした感じですね(どんな感じだ)。
調べてみると、驚いたことにこの方はオルガニストで、2005年にロンドンのサウスゲートにあるクライスト・チャーチのアシスタント・ディレクターに就任、その教会のオルガニストも務めていたのです。コンサートではこの「ロ短調」やヘンデルの「メサイア」、デュリュフレの「レクイエム」の伴奏などもしていたそうです。
レコーディング・エンジニアとしての経歴は、その前から始まっているようでした。2002年ごろからは「アシスタント・エンジニア」あるいは「編集」という肩書でクレジットが現れるようになっていて、本格的に「レコーディング・エンジニア」として独り立ちするのは2006年ごろからのようです。それから現在まで、すでに200枚以上のCDの製作にかかわっています。ヒニットは、まさに超売れっ子のエンジニアとオルガニストとして二足のわらじで大活躍をしていたのでした。
彼の名前がクレジットされているレーベルはこのHYPERIONが最も多いようですね。そのほかにNAXOSとかSIGNUMなども見当たります。もちろん、彼の「本職」である(どちらが本職かは分かりませんが)合唱関係の録音が大部分を占めています。その際にプロデューサーとしてクレジットされているのが、多くの場合エイドリアン・ピーコックという、かつてはバス歌手として活躍されていた人です。
実は、このピーコック/ヒニットというチームは、2013年にも同じHYPERIONレーベルに今回と同じ「ロ短調ミサ」を録音していました。それはこちらの、ジョナサン・コーエン指揮の「アルカンジェロ」のアルバムです。今回の録音が2017年ですから、たった4年で同じ制作チームが同じ曲を別の団体で録音していることになります。もちろん、いずれも同じピリオド楽器による演奏ですが、今回はコーエン盤に比べると各パートの人数は大幅に増えていますから、そんな違いが同じエンジニアの手によって比較できることになります。これはなかなか興味深いこと、さすがは合唱大国であるイギリスならではの快挙ですね。まだまだCD業界も捨てたものではありません。
以前、レイトンがバッハの「ヨハネ」を録音した時には、合唱は彼が主にかかわっている2つの団体のうちの「ポリフォニー」の方でした。その後、「クリスマス・オラトリオ」を録音した時には、もう一つの団体、「トリニティ・カレッジ聖歌隊」になって、今回も同じ「トリニティ」です。この2つの合唱団はいくらかその持ち味が異なっていたようで、こちらの方が比較的穏健のような印象がありました。
今回も、そんなスタイル自体はそんなに変わってはいないような気はしたのですが、例えば「Gloria」の最後の「Cum Sancto Spiritu」や「Credo」の最後の「Et expect resurectionem」では、そんな穏健さをかなぐり捨てたハイテンションな姿も見られます。
ソリストでは、ソプラノのキャサリン・ワトソンがとても豊かな表現力を披露してくれています。たとえば「Laudamus te」の中の歌詞「adoramus te」の最初の「a」の歌い方がまるで溜息のように聴こえるのが、とてもセクシーです。彼女がカウンターテナーのイェスティン・デイヴィスと一緒に歌う「Et in unum Dominum」では、イェスティンの淡白さもあってその奔放な表現は浮き出ています。

CD Artwork © Hyperion Records Limited

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by jurassic_oyaji | 2018-03-15 20:59 | 合唱 | Comments(0)
BACH & SANDSTRÖM/Motetten Volume2
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Stephan Doormann/
Kammerchor Hannover
La Festa Musicale
RONDEAU/ROP 6152


スウェーデンの作曲家スヴェン=ダーヴィド・サンドストレムは2003年から2008年までの間にバッハの6つのモテット(BWV225-230)を下敷きにして「6つのモテット」を作りました。仕上げはきちんと磨いて(それは「サンドペーパー」)。ですから、それぞれの作曲家が同じテキスト、同じ構成で作った「モテット」を聴き比べてみようと思い立つ人は当然出てきます。そんな一人が、シュテファン・ドールマンというドイツの合唱指揮者。彼は自分の合唱団、「ハノーファー室内合唱団」を率いてその試みを実践し、CDを作ります。
そこで2014年に録音されて翌年リリースされたのが、以前にご紹介したこちらのアルバムです。ただ、2人分の「6つのモテット」、つまり12曲のモテットを収録するのには、CD1枚では無理なので、まず1枚だけを出す時には、2つの選択肢が考えられることになります。1枚に入るのは半分の6曲ですから、同じテキストの曲をそれぞれの作曲家が作ったものを3曲だけ取り上げるのか、すべてのテキストを、それぞれ3曲ずつバッハの作品とサンドストレムの作品に分けるかという選択です。
彼らが取ったのは後者。ですから、そこではそれぞれの作曲家の「聴き比べ」はできませんでした。その結果、バッハはともかく、残りのサンドストレムの曲はぜひ聴いてみたいという願望が募ることになります。そんなリスナーの心理を読んだのか、3年後に残りの曲を録音したのが、この「Vol 2」です。
これで、ジャケットのデザインが良く似たCDが2枚手元に届いたことになります。曲目はもちろんどちらも同じタイトル、曲順も「Komm, Jesu, komm」、「Jesu, meine Freude」、「Der Geist hilft unser Schwachheit auf」、「Fu()rchte dich nicht, ich bei dir」、「Lobet den Herrn, alle Heiden」、「Singet dem Herrn ein neues Lied」、いわゆる「5番」、「3番」、「2番」、「4番」、「6番」、「1番」と、全く同じです。
ただ、前回はサンドストレムの曲はタイトルしかありませんでしたが、今回はきちんと編成まで表記されていました。それによると、バッハは4声、5声、そして8声の二重合唱で、そこにコラ・パルテで楽器が加わっていますが、サンドストレムではそれがもっと細かくパート分けされていることが分かります。最大が「8声から16声までの二重合唱」というものでした。もちろん、ア・カペラ。こうなると、もうリゲティの「Lux aeterna」の世界ですね。
ですから、サンドストレムの「モテット」は、テキストはバッハとは同じでもその音楽は全くの別物に仕上がっています。特に、その細分化された声部によって生み出されるトーン・クラスターの魅力は、一つの聴きどころでしょう。
とは言っても、彼は間違いなくバッハの精神は受け継いでいます。それが端的に表れているのが、コラールの扱いでしょう。バッハの「モテット」の中には多くのコラールが使われていて、それが聴くものに親しみを抱かせるものになっていますが、サンドストレムもそのコラールのテキストの部分は、極力ホモフォニックで美しい和音進行を使っています。
そんなことに気づいたのは、この「Vol 2」を聴いてからでした。「Vol 1」では、バッハでは何かおざなりな歌い方だし、サンドストレムでは技術的なほころびがあちこちに見られたので、そこまで聴き取れなかったのですが、今回は違います。確かにバッハが薄味であることに変わりはありませんが、サンドストレムではものの見事に自分たちのものとして歌えているのですね。
それは、最後の「Singet dem Herrn ein neues Lied」を聴いて、強く感じました。以前のレビューで同じ曲を歌っている別の団体にはとても及ばないだろう、みたいなことを書いていましたが、実際はそれをはるかに凌駕する出来だったのですよ。1曲目のとてつもないメリスマもやすやすと歌っていますし、2曲目では、「コラール」と「アリア」を交互に歌うというバッハと同じ手法が取られていますが、その対比が見事に歌い分けられているのですからね。

CD Artwork © Rondeau Production GmbH

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by jurassic_oyaji | 2018-03-10 20:30 | 合唱 | Comments(0)