おやぢの部屋2
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カテゴリ:合唱( 695 )
GUBAIDULINA/Sonnengesang
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Christian Schmitt(Org), Ivan Monighetti(Vc)
Philipp Ahmann/
NDR Chor
Elbtonal Percussion
BIS/SACD-2276(hybrid SACD)


2016年にBISからリリースされたSACDですが、制作は2011年と2012年、北ドイツ放送(NDR)によるものです。ですから、録音フォーマットも24bit/48kHzとちょっとしょぼくなっています。そこからDSDにトランスファーされ、いちおうサラウンド・ミックスもされています。実際に聴いた感じは、2011年に録音されたものはやはりちょっと物足りない気がしますが、2012年に録音されたものはいつものBISのSACDと比べても何の遜色もありません。
このアルバムには、1931年にかつてのソ連のタタール自治共和国、現在のロシア連邦タタールスタン共和国に生まれ、現在はドイツを拠点に活躍しているソフィア・グバイドゥーリナの合唱曲が2曲と、オルガン曲が1曲収録されています。
最初に演奏されているのが、合唱とオルガンのための「Jaucht vor Gott(神の前に歓喜せよ)」という、詩篇66からのドイツ語のテキストによる曲です。1989年に、彼女とは縁の深いヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルからの委嘱で、ロッケンハウス音楽祭のために作られました。実際には、その年にはロッケンハウスのオルガンが使えなかったので、初演はケルンで1990年に行われています。それはなぜかずっと録音されることはなく、20年以上も経て2012年に初めて録音されたものを今回聴くことが出来るようになりました。
これが、とても素晴らしい録音、最初のア・カペラの合唱が、とても瑞々しい響きですし、合唱団のメンバーによるソロもとっても美しく聴こえてきます。始まりはシンプルな聖歌のようなものだったのが、次第に「崩れて」いっていかにもその当時の音楽を反映した不安定なものに変わるのが聴きどころの一つ。そして、そこに絡むオルガンも、意外性を多分に秘めた登場の仕方には驚かされます。最初のうちはオルガンはまともにオスティナートなどを流していますが、やがて訪れるクライマックスでは合唱と一緒になってのカオスの応酬、これはものすごいインパクトを与えてくれます。陳腐な喩ですが、そこにはペンデレツキの「スターバト・マーテル」とリゲティの「レクイエム」の残渣さえ感じることができます。そして最後は、また「聖歌」が戻って来て、ソプラノ・ソロ(「ケイコ」さんとありますから、日本人?)のロングトーンで静かに終わります。
次に、2011年に録音された、これも聴くのは初めとなる彼女のオルガン・ソロのための作品「Hell und Dunkel(明るさと暗さ)」です。これが、楽器も録音時期も前の曲とは違うということもありますが、ちょっと平板な音にしか聴こえないのが少し残念でした。タイトルのように2つの要素が対比される面白さにはとても惹かれるものがあります。高音が「Hell」で低音が「Dunkel」なのでしょうか。ただ、その「Dunkel」の象徴であるペダル音には、前の曲ほどのサラウンド感がありませんでした。
タイトルとなっている1998年に作られた「Sonnengesang」は、一応合唱曲で、「The Canticle of the Sun」という英語のタイトルか、それを日本語にした「太陽の賛歌」として、割と広く知られている作品です。これは1998年にあのロストロポーヴィチの委嘱で作られたもので、彼の演奏によるCDもありますからね。ただ、これはメインはあくまでチェロのソロで、そこに合唱と打楽器が色を添える、と言った趣の曲ですから、「合唱曲」というにはちょっと無理があるような気もしますが。
ここでのテキストは、アッシジの聖フランチェスコの「太陽の賛歌」です。そのフランス語の歌詞に乗って、延々とチェロの瞑想的なソロが40分間続くのを体験すると、おそらく精神的になにか「浄化」されるようなことが起こるのでじょうか、その結果、心地よい眠りに誘われるというのは、致し方のないことです。最初にチェロに現れるテーマが、なんとなくシュトラウスの「ドン・キホーテ」に似ているのは、単なる偶然でしょう。2011年のライブ録音ということもあるのでしょうか、なんか合唱の肌触りが鈍く感じられます。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2018-06-12 23:13 | 合唱 | Comments(0)
Seven Words from the Cross
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Matthew Guard/
The Skylark Vocal Ensemble
SONO LUMINUS/DSL-92219(CD, BD-A)


アメリカの室内合唱団スカイラーク・ヴォーカル・アンサンブルの新作です。このSONO LUMINUSも、BD-Aでのリリースを続けている数少ないレーベルの一つです。以前のアルバムを聴いた時にはまだ2チャンネルの再生しかできませんでしたが、今回はDXDのサラウンドで録音されたものを、BD-Aに24bit/192kHzで収録されたサラウンドで聴けるようになっていました。これは、あの2Lレーベルの一連の録音にも匹敵するほどのクオリティでしたので、もうその音に浸るだけで興奮してしまいましたよ。録音会場の教会の残響が程よく加わり、クリアで芯のある豊かなサウンドに体全体が挟まれるよう(それは「サンド」)。
前作同様、タイトルやジャケット・デザインにはユニークなセンスを感じることが出来ます。今回はあの「十字架上の7つの言葉」ですって。
もちろん、こういうタイトルの作品は、古今の作曲家のものがたくさん存在しています。しかし、今回のアルバム名は作品のタイトルではなく、アルバム全体のコンセプトをあらわしたもののようでした。つまり、このアルバムは、アンサンブルの指揮者マシュー・ガードが、「7つの言葉」に呼応する曲を集めて構成した「コンピレーション」なのです。
まずは「言葉」に先立って「プロローグ」というパートが置かれています。ここで最初に歌われるのが黒人霊歌の「Were you there?」です。それは、まるで往年のロジェ・ワーグナー合唱団の黒人霊歌集の名盤で、サリー・テリーのソロによって歌われていたものととてもよく似たアレンジでした。ここでのソロはメンバーのCarrie Cheronという人、重厚な男声のハミングに乗って歌い出した彼女は、とても訓練されたハーモニー感を持つしっかりした合唱をバックに、まるでゴスペル・シンガーのような自由なフレージングで、「クラシックの合唱曲」を超えたオリジナルの魂に迫る歌を聴かせてくれました。もう、これが聴けただけで十分だと思えるような、すばらしい演奏です。
このパートにはもう1曲、アメリカではとても有名で、その聖歌がブラスバンドなどにも編曲されて広く親しまれているウィリアム・ビリングの「When Jesus Wept」が歌われています。この作曲家の作った聖歌は、このアルバムのメインのコンテンツとして、これ以後何度も歌われることになります。
 そんな中で、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンなどという人の単旋律の聖歌も登場します。これは、やはりメンバーのClare McNamaraという人が全曲一人で歌っています。こういう人たちは、合唱の中ではきっちり融け合う声なのに、ソロではしっかりと個性を主張していますから、それぞれに深い味を感じることが出来ます。
後半の「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」になると、プーランクの「悔悟節のための4つのモテット」から「Vinea mea electa(選ばれしわがぶどうの木)」などという、ちょっと毛色の違う曲が取り上げられています。しかし、彼らの硬質な音色による完璧なハーモニーからは、そのフランス的な妖艶な和声の中から確かな訴えかけが伝わってきます。
「私は渇いている」のパートで歌われるのは、前作でも新作を提供していたアイスランドの作曲家、アンナ・ソルヴァルドスドッティルの「Þann heilaga kross(聖なる十字架の上で)」です。現代的なドローンをバックに古代アイスランドの聖歌が流れるという、時代を超えた音楽を聴くことが出来ます。この曲は、まさにこのアルバムの白眉でしょう。
次の「終わった」のパートでは、フィンランドの人気作曲家マンティヤルヴィの、その名も「ウィリアム・ビリングの聖歌によるファンタジア」という、まさにさっきのアメリカの作曲家の曲をマンティヤルヴィが料理した痛快な曲です。
最後に付け加えられた「エピローグ」では、アメリカではゴスペルとしてとてもよく知られている「Just as I am」という伝承歌です。この曲でのDana Whitesideというバリトンのメンバーのソロは、涙が出るほど感動的です。

CD & BD Artwork © Sono Luminus, LLC.

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by jurassic_oyaji | 2018-06-02 20:33 | 合唱 | Comments(0)
ROSE/Choral Compositions and Arrangements
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Gregory Rose/
Latvian Radio Choir
TOCCATA/TOCC 0482


グレゴリー・ローズという1948年生まれのイギリスの作曲家の、ア・カペラの合唱曲を集めたアルバムです。なんでも、彼は今年生誕70周年を迎えることになるので、自らそれをお祝いするためにこのアルバムを作ったのだとか。なんだか可愛いですね。
録音が行われたのはラトヴィアのリガにある聖ヨハネ教会です。歌っているのはラトヴィア放送合唱団、そして指揮者はローズ自身です。
彼の父親は、教会音楽のフィールドで作曲家、指揮者、教育者として活躍していたバーナード・ローズという人です。グレゴリーは彼の影響で作曲家をめざし、実際に20歳前後の数年間オクスフォード大学のモードレン・カレッジで父親にも師事しています。その父親は1996年に80歳で亡くなってしまいましたが、グレゴリーは生誕100周年記念の2016年に、父親の宗教的な合唱作品を集めて自分が指揮をしたアルバムを、同じTOCCATAレーベルから出しています。周年を祝うのが好きな人なんですね(そういう人は執念深い)。
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そんな経歴から、彼の作風は穏健なものを連想してしまいますが、そうではありませんでした。そもそも、その父親の作品を聴いてみても、普通に教会で演奏するにはかなり尖がった感じがしましたからね。彼はウィーンの音楽院とオクスフォードではシェーンベルクの弟子だった作曲家の教えを受けています。そして、年代的にも第二次世界大戦後の「前衛音楽」の洗礼をもろに受けていて、ケージ、シュトックハウゼン、ライヒといった人たちとは実際にコラボレーションを行っていたこともあったのだそうです。
ここではそんなローズの1972年から2017年までの40年以上に渡る作曲活動のスパンの中で作られた曲を聴くことが出来ます。すべてが初録音です。
その、最も初期の1972年の作品「It's snowing」は、まさにあの頃の「前衛音楽」そのものでした。おそらく「偶然性」の要素もかなり取り入れられているのでしょう。その結果現れたクラスターの響きは、まさにあの時代を象徴するものです。
そのような作風は、1997年に作られた「Fragments for Four」という作品にまで影を落としています。これはもろジョン・ケージ風の「即興音楽」、それぞれのパートがあるフレーズをその場限りの即興で出し合い、予期されない効果を生むという試みです。ただ、そこにはケージのような乾いたテイストはなく、ある意味「きれいすぎる」という印象を持ってしまうのは、やはりローズ自身の内面の変化によるものなのではないでしょうか。
そして、2009年に作られた「Missa Sancti Dunstani」には、明らかにスティーヴ・ライヒ風の「ミニマル」の要素が入っていることが分かります。ただ、それは冒頭の「Kyrie」だけで、それに続く楽章ではもっと「美しさ」が際立ったシンプルさが前面に押し出されるようになっています。おそらく、このあたりから、彼の作風は、様々な現代的な手法を踏まえた上での、適度の抒情性を持った彼なりのスタイルにたどり着いたのではないでしょうか。それは、とても無理のない健全な変化のような気がします。2017年に作られた「Ave Maria」などは、それがとても美しく結実したものなのではないでしょうか。
一方で、彼はそのような「純音楽」とは別の、コマーシャルなシーンでの活躍もあったことが、最後に収録されている何曲かの編曲作品によって知ることが出来ます。彼は、ダイアナ・ロスやリンダ・ロンシュタットなどのアルバムでは編曲を担当、バックのオーケストラの指揮もしていました。
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ここでは、ダイアナ・ロスが2006年にリリースした「 I Love You」というアルバムのために編曲された、ビートルズの「ホワイトアルバム」の1枚目のB面にあったポールの曲「I Will」のア・カペラ・バージョンが歌われています。それは、オリジナルの味をそのまま残した素直なアレンジ、このあたりにはまさに「職人」としての手堅さが覗えます。
そんな、様々なスタイルの作品とアレンジを、この合唱団は見事に歌い分けています。

CD Artwork © Toccata Classics

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by jurassic_oyaji | 2018-05-26 20:10 | 合唱 | Comments(0)
BACH/ Magnificats
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Joélle Harvey(Sop), Olivia Vermeulen(MS)
Iestyn Davies(CT), Thomas Walker(Ten), Thomas Bauer(Bas)
Jonathan Cohen/
Arcangelo
HYPERION/CDA68157


「バッハのMagnificats」と複数形になっているのがミソです。もちろん、ヨハン・セバスティアン・バッハは「マニフィカト」は1曲しか作っていませんから、「バッハ」の方も複数形。つまり、ここではそのバッハの先妻の息子カール・フィリップ・エマニュエル・バッハと、後妻の息子ヨハン・クリスティアン・バッハがそれぞれ作った「マニフィカト」も一緒に演奏されている、ということになるのですね。「三大マニフィカト」、かと
セバスティアン・バッハの作品は、もちろんニ長調の「改訂稿」による演奏です。なぜ、改訂される前の変ホ長調の稿でないのかは、いずれ分かります。
これは非常に有名な作品なので聴く機会も多いのですが、今回のアルカンジェロの演奏は、そのどれとも異なるユニークさを持っていました。以前同じ団体の「ロ短調」を聴いた時に感じたのは、ここの合唱団は決してそれぞれの声をきれいにまとめようとはせずに、一人一人の個性を前面に出すという歌い方に徹しているなという点でした。今回もそれと同じ路線で突き進んでいくのですが、その度合いはさらに増しているようで、バッハを歌っていながらその中からはクラスターのようなテイストが感じられてしまったのですよ。具体的に言えば、彼らがメリスマを歌っている時には、それがあたかもリゲティの「レクイエム」の中のどこかのフレーズと共通したような味わいが聴こえてきたのですね。こんなブキミなバッハがあっていいのか、と思ってしまいますが、それがなにかとてもしっくりと来るんですね。2世紀半近くを隔てても、音楽の本質は変わっていない、と。
セバスティアンの息子エマニュエルが作った「マニフィカト」は、父親の作品よりも規模が大きくなっていました。時間で言うと、25分のものが40分までに拡大されています。もちろんテキストは全く一緒ですが、それらを個々の曲に割り振るところも違っています。
実は、この作品は以前もこちらで聴いていたことがありました。その時はそれが「世界初録音」ということだったので、かなり珍しいものなのだな、と思っていたのですが、今回確かめてみるとそれ以前に録音されていたものが続々と出てきました。それは「初録音」だったのが1749年に作られた「初稿」だったからで、その後1779年に再演された時に大幅に改訂された「改訂稿」は別に珍しいものではなかったようで、いくらでも録音があったのですね。
改訂されたものは楽器編成が大幅に変わっていて、トランペットとティンパニが加わりサウンドがガラリと別物になっていました。それと、3曲目の「Et misericordia」が全く別の曲に差し替えられています。今回のアルカンジェロの演奏では、一応改訂稿で演奏されているのですが、この「Et misericordia」だけは初稿のものが使われていました。確かに、この曲は元からあったものの方が格段にクオリティが高いような気がします。
以前も言及しましたが、エマニュエルの作品には父親の作品に対するオマージュが至る所で感じられます。調性もニ長調ですし、この改訂稿で加えられたトランペットとティンパニの感じもそっくりです。6曲目の「Deposuit」などはまさに父親のパクリですし。
最後の合唱の「Sicut erat in principio」は堂々たるフーガ、ここのメリスマでも、やはりリゲティが顔を出していました。何よりも、トランペットのド派手な演出には圧倒されてしまいます。別の演奏ではそれほどのインパクトはなかったので、これもおそらくアルカンジェロ独自のアプローチだったのでしょう。
この改訂稿が作られるより前の1760年に作られていたのが、クリスティアン・バッハの作品です。異母兄弟のエマニュエルとは20歳の年の差がありますが、その間に音楽は全く別の様式に変わっていたことを、まざまざと感じられるほど、これは「古典派」然とした音楽です。
ソリストで、テノールの人がかなりアバウトな歌い方なのが気になります。バスの人はとてもドラマティックなのに。

CD Artwork © Hyperion Records Limited
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by jurassic_oyaji | 2018-05-20 19:30 | 合唱 | Comments(0)
HÄNDEL/Johannes-Passion
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Roland Wilson/
La Capella Ducale
Musica Fiata
CPO/555 173-2


バッハとヘンデルは同じ年に生まれ、同じ眼科医のへたくそな手術のせいで亡くなったという共通点があるので、とかく並べて語りやすいところがあります。
ただ、バッハはカンタータを「量産」し、そのジャンルでの最高峰と言える「受難曲」も作りました。ヘンデルの場合は、それに近い人気を誇るのが「メサイア」というオラトリオだけなのでしょう。ですから、こんな「ヘンデルのヨハネ受難曲」などという作品が残されていたなんて、全然知りませんでしたよ。
ただ、同じ「受難曲」でも、1716年に作られ「ブロッケス受難曲」は割と有名ですね。ヘンデルだけではなくカイザー、テレマン、マッテゾンといった人たちがバルトルト・ハインリヒ・ブロッケスという人のテキストを使って競って作った、当時の大ヒット受難曲群ですね。妖怪ではありません(それは「ブロッケン)」。
今回の「ヨハネ受難曲」はそれより前、1704年に作られたとされています。もちろん、これは伝統的な福音書をテキストに用いています。
しかし、実際にこの曲を演奏している指揮者のローランド・ウィルソンが書いたライナーノーツを読んでみると、どうもこれはヘンデルの作品ではないようですね。そもそも、この楽譜が発見された時には、そこには作曲家の名前は記されていませんでした。その時に、発見者がヘンデルの作品だとして出版してしまったため、この「ヨハネ受難曲」は1960年代の後半ごろまでヘンデルの作品とされていただけなのです。
しかし、その後の多くのヘンデル研究家たちの調査によってそれが怪しくなってきました。これがヘンデルの作品ではないという最大の理由は、同じ時期に作られたとされる彼の最初のオペラ「アルミーラ」との様式上の一致を見出すことが出来ないということのようですね。ですから、今ではこれはゲオルク・ベームあたりの作品なのではないか、と言われています。
おそらく、実際に教会の礼拝で演奏されたと思われるこの受難曲は、バッハの作品のように間に説教を挟むために2つの部分に分かれています。ただ、演奏時間は全部で1時間足らずという短さです。それは、テキストが始まるポイントが、バッハよりかなり後の部分、もうイエスは捕えられてピラトの前に連れて行かれ、そこで民衆が「バラバ!」と叫ぶすぐ後からになっているからです。
さらに、この受難曲はこの時代の様式、福音書のテキストに音楽を付けて歌うというだけではなく、その間に自由詩のテキストによるアリアやデュエットが入るという形をとっていますが、それらの曲がとてもコンパクトだということもあります。ほとんどが1分前後のシンプルな曲、メロディも素朴です(1曲だけ、しっかりとしたダ・カーポ・アリアの形を取った「立派な」ものもあります)。面白いのは、バッハの場合ではイエスの言葉もレシタテイーヴォで歌われていますが、この「伝ヘンデル版」では限りなく「アリア」に近く、旋律もメロディアスで、同じテキストを何度も繰り返す形になっていることです。
ただ、この曲では「コラール」が歌われることはありません。その代り、ということでしょうか、おそらく指揮者のウィルソンの裁量で、ヨハン・クリューガーのコラールが、第1部と第2部の頭に演奏されています。
その、第2部に使われているコラールは、バッハが「マタイ」の中で3回使っている有名な曲でした。そして、それを用いて作られているのが、このアルバムのカップリング、やはりヘンデルの作品とは言われていても今ではほぼ偽作とされているコラールカンタータ「Ach Herr, mich armen Sünder(ああ主よ、哀れなる罪人のわれを)」です。
いずれも、ここで演奏している、それぞれがソリストの8人のメンバーが集まった「カペラ・ドゥカーレ」というアンサンブルは、とても澄み切った声とハーモニーで、これらの愛らしい作品に確かな命を吹き込んでいます。作曲家がだれであろうと、作品が美しければそれでいいんです。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück

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by jurassic_oyaji | 2018-05-15 09:07 | 合唱 | Comments(0)
TOUCHED BY THE STRINGS/Chorwerke mit Solovioline
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Ida Bieler(Vn)
Michael Alber/
Orpheus Vokalensemble
CARUS/83.481


今回のアーティスト、オルフェウス・ヴォーカルアンサンブルはこのレーベルにはよく登場していますが、実際に聴くのは今回が初めてです。でも、彼らがこのレーベルにふさわしい最高の合唱団だということには再考の余地はありません。それは最初の音を聴いただけで分かりました。なんたって、合唱として必要なものがごく当たり前のようにそこにはあるのですからね。
この合唱団は、オクセンハウゼンにある国立音楽アカデミーの中のプロフェッショナルな室内合唱団として2005年に設立されました。メンバーは世界中から集まっているのだそうです。それぞれがソリストとしても活躍できるほどの力を持った人たちばかりなのでしょう。
それ以来、この合唱団は多くの著名な合唱指揮者と共演し、さらには多くの作曲家の作品の初演も行ってきました。このアルバムの中の曲も、これが世界初録音となるものが多く含まれています。
そして、このアルバムがユニークなのは、その合唱にアメリカ生まれのヴァイオリニスト、イダ・ビーラーが加わっていることです。ここで演奏されているのは、全てヴァイオリンと合唱が共演する形で作られた作品ばかりだったのです。確かに、サブタイトルは「ソロ・ヴァイオリンが加わった合唱作品集」となっていますね。
実際、合唱とヴァイオリンという組み合わせの作品は、すぐには思い浮かばないほど珍しいものなのではないでしょうか。普通のパートナーであるピアノのようにきちんと伴奏をするのはちょっと無理がありますから、ヴァイオリンが入ったとしてもそれはせいぜい単なるオブリガートのような使い方が無難なところでしょうね。
しかし、ここで演奏されているものでは、もっと踏み込んだところでの合唱とソロ・ヴァイオリンとのコラボレーションが行われていました。全曲聴き終わってみると、それがかなり刺激的な体験だったことが分かります。
演奏順に聴いていくことにしましょう。最初は、有名なノルウェー出身のアメリカの作曲家でピアニストのオラ・イェイロの「O Magnum Mysterium」です。まるで中世やルネッサンスのような美しいハーモニーの静かな曲ですが、ここにヴァイオリンがさりげなくからみます。時には、多重録音でまるで弦楽合奏のような味わいも出しています。誰が聴いても間違いなく癒されることでしょう。
それとは対照的に、初録音のドイツの作曲家、ヴォルフラム・ブーヘンベルクの「Splendor paterne glorie」では、合唱とヴァイオリンがまさに対決の様相を呈しています。無調のテイストもあって、かなり激しい音楽です。
この中では唯一の物故者、ノルウェーの有名な合唱音楽の作曲者クヌート・ニューステッドの「Ave Maria」は、ヴァイオリニストのピーラーが2004年に初めて合唱と共演した作品。これで、彼女はこの形態の魅力を知ったのでした。ここでは、合唱もヴァイオリンもそれぞれ独自に音楽を展開していながらも、一つのクライマックスを形作っています。
それ以降はすべて初録音、まずリトアニアのヴィタウタス・ミシュキニスのソロモンの雅歌による「In lectulo meo」は合唱のとてもメロディアスなテーマにヴァイオリンが寄り添うといったシーンとともに、ヴァイオリンのささやきを受けて合唱が同じテイストで歌い出すといった、お互いの相互作用がうれしいですね。
ドイツ生まれのヴァイオリニスト、グレガー・ヒューブナーが詩篇77のテキストで作った「Ich rufe zu Gott」は、前半はとても攻撃的な音楽ですが、後半はコラール風の穏やかなものに変わります。ヴァイオリンの長いカデンツァの後合唱が入ってくるところが、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲に似ているのが面白いですね。
最後のヨン・ホイビュはデンマークの合唱音楽界の重鎮。やはり詩篇の151の英訳をテキストにした「What a great blast」は、まさにジャズ・コーラスのテンション・コードやシンコペーションの中に、バロック風のパッセージがいきなり現れるという楽しい作品です。

CD Artwork © Carus-Verlag

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by jurassic_oyaji | 2018-05-02 21:11 | 合唱 | Comments(0)
PASSION
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Fritz Wunderlich(Ten)
Various Artists
PROFIL/PH17015


1930年に生まれて、1966年にまだ30代の若さで亡くなってしまったのが、ドイツのテノール、フリッツ・ヴンダーリヒです。幸い、その「晩年」にはDGなどのレーベルに多くの録音を残したので、今でもその伸びのある美しい声は、素晴らしい録音で聴くことが出来ます。ベームの指揮による「魔笛」全曲盤などは、ハイレゾのSACDもリリースされていますから、彼のタミーノを極上の音で味わえます。
そのような正規のレコード録音だけではなく、コンサートを放送用に録音したものなども、かなりの数のものが残っているのではないでしょうか。それらは、すでに海賊盤っぽいものでは出回っているはずです。もちろん、きちんとライセンスを取って正規盤としてリリースされているものも有ります。
今回は、ふつうヴンダーリヒと言って思い浮かべるオペラやリートではなく、主にバッハの受難曲などという珍しいレパートリーをそのような音源から集めて作った12枚入りのボックスです。何しろ、このジャンルのスタジオ録音盤は、1964年にカール・ミュンヒンガーの指揮するシュトゥットガルト室内管弦楽団とDECCAに録音した「マタイ」ぐらいしかありませんからこれは貴重です。
ここに収録されているのは、「マタイ」と「ヨハネ」がそれぞれ2種類、ヘンデルの「メサイア」と、宗教曲ではありませんが、1955年に録音されたベートーヴェンの「第9」全曲です。これはすでにLPでリリースされていて、そのジャケットのライナー(ジャケットの裏側のこと)がこれです。
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右下に「STEREO」と書いてありますから、リリースされたのは録音されてからかなり経ってからなのではないでしょうか。1955年にはまだステレオはありませんでしたからね。ですからこれはLPを作る時に電気的にモノラル録音をステレオにしたものです。たしかに、よく見ると「ELEKTRONISCHES STEREO」となってますね。
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いわゆる「疑似ステレオ」というやつで、「ブライトクランク」というのもありました(もはやだれも知らないでしょうね)。
これは、このボックスの中では最も古い録音、ヴンダーリヒはまだ24歳の時なのですが、例のピッコロが入るマーチに乗って出てくる彼のソロには驚いてしまいました。それは、例えば今超売れっ子のテノール、某フォークトのように、とても甘く美しい声なのにそこからは何のパワーも感じられないものだったのです。「第9」のこの部分はなんたって勇壮なマーチをバックに歌うのですから、そこにパワーがなければ何にもなりませんね(そういうこと)。
余談ですが、この録音でピッコロはこの部分派手にヘクってます。しかも、ど頭とオクターブ上がったところの2か所も。ということは、これもやはりライブ録音だったのでしょうか。
こんな「貴重」な声は、そんなに長くは続かなかったようで、その2年後1957年の「マタイ」と「ヨハネ」では、あのお馴染みの張りのある声が聴けるようになります。この2曲は、その年のアンスバッハ・バッハ音楽週間に聖グンベルトゥス教会で「マタイ」が7月24日、「ヨハネ」が7月31日に演奏されたもので、あのカール・リヒターがミュンヘン・バッハ合唱団&管弦楽団を指揮していました。フルート・ソロはオーレル・ニコレという豪華版です。ヴンダーリヒはここではアリアを担当、エヴァンゲリストは彼より20歳年上のピーター・ピアーズでした。
もう一つの1958年の「ヨハネ」は、テオドール・エーゲル指揮の南西ドイツ放送管弦楽団のフライブルクでのコンサートのライブで、ここではヴンダーリヒがエヴァンゲリスト、アリアはハンス=ヨアヒム・ロッチュでした。
そして、1962年の「マタイ」は、カール・ベーム指揮のウィーン交響楽団がムジークフェライン・ザールで行ったコンサートです。ここではヴンダーリヒはついにエヴァンゲリストとアリアを全部一人で歌っています。
いずれも、録音はあまりにひどいものですが、その混沌の中でもヴンダーリヒの声だけは豊かに響き渡っています。

CD Artwork © Profil Media GmbH

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by jurassic_oyaji | 2018-04-26 21:01 | 合唱 | Comments(0)
FOLKETONER
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Anne Karin Sundal-Ask
Det Norske Jentekor
2L/2L-144-SACD(hybrid SACD)


アルバムタイトルの「FOLKETONER」というのが、ちょっと曲者でした。「Folkemusikk」が「民族音楽」という意味のノルウェー語なのは分かったのですが「Toner」が分かりません。でも、おそらく英語の「Tone」ではないかということで、勝手に「民族の音」とすることにしました。
それを、日本の代理店は「人々の心の調べ」と訳しました。これは、元の言葉の直訳ではなく、それこそその「心」までも含めて意味を伝えようとした気持ちのあらわれなのでしょう。半世紀前に「I Want to Hold Your Hand」というタイトルを「抱きしめたい」と訳した精神が、この業界には時代を超えて脈々と伝えられていることがよく分かる事例です。
実際は、ここではとても素晴らしい女声合唱団によって、ノルウェーのまさに「民族音楽」から、ロマン派の作曲家によるクラシックの「作品」、あるいは中世から伝わる聖歌など、様々な曲が歌われています。その女声合唱団は、初めて耳にした「ノルウェー少女合唱団」という名前の団体です。
この合唱団の起源は、1947年に作られた「ノルウェー放送局少女合唱団」まで遡れるのだそうです。やがて合唱団は放送局からは独立した団体となり、今に至っています。その間には、多くの音楽家、芸術家がここから巣立っていき、それぞれの分野で活躍しています。そもそも、ここは音楽だけではなく芸術全般に関するプロフェッショナルなスキルを身に付けるという目的を持った教育機関としての側面もあるのだそうです。さらに、そのような啓蒙はここで学ぶ少女たちだけではなく、その演奏を聴く聴衆に対しても行われているのだとか。
この合唱団のメンバーは6歳から24歳までの年齢層で成り立っています。そして、その中にはそれぞれのスキルに応じて4つの合唱団があります。それは、初心者のための「リクルート合唱団」、もう少し高いレベルの「アスピラント合唱団」、そしてメインの合唱団、さらに、おそらくそこから選抜されたメンバーによる「スタジオ合唱団」です。このSACDで演奏しているのは、その「スタジオ合唱団」です。
いつものように、DPAのマイクを使ってDXD(24bit/352.8kHz)で録音されたこのレーベルの音は、2.8MHzDSDというしょぼいフォーマットにダウンコンヴァートされたSACDであっても(今回はBD-Aは同梱されていません)、とびっきりのインパクトを与えてくれました。バランス・エンジニア、モーテン・リンドベリが選んだ録音会場の教会の豊かな残響に囲まれて、この合唱団の瑞々しいサウンドは、まるで乾ききった砂地に水がしみ込むようにたっぷりの潤いを届けてくれていたのです。彼女たちの声は、普通は「無垢」という言葉で表現される透明性を持ちつつも、そこにはほのかな「汚れ」すらも漂っていて、それがえも言えぬ味わいを出しているのですね。サラウンドで体験するこの音響空間は、まさに至福のひと時を与えてくれます。
歌われているのはさまざまなソースをア・カペラに編曲したものですが、ノルウェーの大作曲家、エドヴァルト・グリーグが作った曲も4曲歌われています。その中から、いきなり弦楽合奏のための「2つの悲しい旋律」からの「過ぎにし春」が聴こえてきたのには驚きました。おばあちゃんの名前(それは「杉西はる」)ではありません。これは、オリジナルは「ヴィニエの詩による12の旋律」という歌曲集を編曲したものですが、それがさらに合唱に編曲されていたのでした(ここでは同じ曲集からの「ロンダーネにて」も歌われています)。
弦楽合奏バージョンには、いかにもな濃厚な表現の正直うざったい曲のような印象があったのですが、このア・カペラ・バージョンはそれとは全然異なる爽やかさと明るさを持っていました。歌詞には、「これが私にとって最後の春だ」みたいな深刻な心情が現れているようですが、少女たちにとってはそこまで踏み込まずともこの音楽の神髄は伝えられるだろうという解釈なのでしょう。そう、明るさの中に込められた哀感の方が、時として鋭く伝わることもあるのです。

SACD Artwork © Lindberg Lyd AS

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by jurassic_oyaji | 2018-04-24 23:46 | 合唱 | Comments(0)
LANG/Statement to the Court, HEARNE/Consent, Lash/Requiem
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Jeffrey Douma/
Yale Choral Artists
Yale Philharmonia
NAXOS/8.559829


アメリカのコネチカット州ニュー・ヘイヴンにある名門、イェール大学(Yale University)には、大学院としてイェール大学音楽院(Yale School of Music)という教育機関が設けられています。ここからは、歴代の著名な音楽家たちによる教育によって、多くの世界的な音楽家が輩出されてきました。
2011年8月に、この音楽院とイェール大学のグリークラブによって設立されたのが、このアルバムでの演奏者、「イェール・コーラル・アーティスツ」という16人編成のプロフェッショナルな混声室内合唱団です。指揮をしているのは、2003年からグリークラブの指揮者を務めていたジェフリー・ドウマです。
この合唱団のメンバーは、アメリカ全土から集められました。それぞれ、すでにプロフェショナルな合唱団のメンバーだった人も含まれていて、その中にはあの「シャンティクリア」や「コンスピラーレ」といった団体に所属していた人もいます。
ここで彼らが、やはりイェール大学音楽院のオーケストラと共演しているのは、アメリカの3人の作曲家による3つの作品です。そのうちの2つは、これが世界初録音となります。
そもそも、このアルバムは、ハーバード大学で作曲を学び、現在はこの音楽院の教師でもあるハナー・ラッシュが作った「レクイエム」の世界初演が行われたコンサートのライブ録音です。こちらにあるように、2016年9月24日にニュー・ヘイヴンのセント・メリー教会で行われたコンサートでは、このアルバムと同じ曲目が演奏されています。それは、確かにジャケットのクレジットでも分かります。
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ところが、こちらの出版楽譜のサイトでの演奏記録を見ると、同じ日の初演の会場が別のところになっています。この日は土曜日ですから、まず大学内のホールで初演したのち、教会で夜のコンサート、でしょうか。さらに、翌25日にはニューヨークでも同じプログラムでコンサートが開かれているのに、CDではその日はニュー・ヘイヴンで録音していたことになっていますが、これもたかが150キロの距離ですから、行き来は可能なのでしょう。NAXOSのデータは決してデタラメではないのだと思いたいものです。
その、ラッシュが作った「レクイエム」は、テキストが本来のラテン語の歌詞ではなく、そこから彼女自身が英語に訳したものになっているのです。その訳も、原文の逐語訳ではなく、もっと自由奔放なものに変わっています。そこまでして彼女が作りたかった「レクイエム」は、単に一個人の死を悼むのではなく、人類全体が抱えている喪失感のようなものまでを表現することを目指しているのだそうです。
音楽的には、「Requiem aeternam」からは、まるでメシアンを超低速で演奏したようなものが聴こえてきます。その中で、アクセントとして機能しているのがハープのパルスなのですが、それを演奏しているのが作曲家自身というのも驚きです。彼女はハーピストとしても活躍しているのですね。この作品ではハープはのべつ聴こえてきます。
「Dies irae」では、複雑なポリリズムが展開されています。ただ、そこから聴こえてくるのは激しさではなく、混沌とした情景です。合唱はひたすら「嘆き」を演出しています。
「Agnus Dei」と「Lux aeterna」の間には、やはり自由に英訳された「詩編」の「深き淵より」が、ア・カペラの合唱によって歌われています。それは、まるでルネサンスのポリフォニーのようなフォルム、しかし、そこでの合唱の表情は、もっと生々しいものでした。
この合唱団は、さすがのソノリテで、見事にこの曲の精神を表現していました。それは、やはりイェールで教鞭を執っているミニマリスト、デイヴィッド・ラングが、労働運動活動家ユージン・デブスの1918年の裁判での陳述をそのままテキストにして作った「Statement to the Court」や、イェールの卒業生であるテッド・ハーンの多層的なア・カペラの作品「Consent」でも、的確なリアリティを産んでいます。思わずエールを送りたくなるような素晴らしい合唱です。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

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by jurassic_oyaji | 2018-04-14 21:40 | 合唱 | Comments(0)
ZACH/Requiem, Vesperae
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Michaela Šrůmová(Sop), Sylva Čmugrová(Alt)
Čeněk Svoboda(Ten), Jaromír Nosek(Bas)
Marek Štryncl/
Collegium Floreum
Musica Florea
SUPRAPHON/SU 4209-2


ボヘミアの作曲家ヤン・ツァハはあまり有名ではありません。なにしろ、最近までは生まれた年まで間違われていたのですからね。正しくは1713年に生まれているのですが、たとえばWIKIPEDIAなどでは1699年生まれとなっていますからね。どうやら、彼の従弟の生年と間違われていたようです。かわいそうに。いずれにしても、子供の頃はやんちゃだったのでしょう。
彼は1730年代にはプラハに住み始め、教会のオルガニストとして働きますが、1745年にはマインツの楽長に就任します。しかし、何らかの事情でそこはクビになり、それ以後はヨーロッパ中を放浪することになるのです。
そんなツァハのプラハ時代に作られた2つの宗教作品「荘厳レクイエム」と、「聖母マリアの晩祷」が、このCDには収録されています。「レクイエム」の方は割と有名ですでに録音されたものがありますが、「晩祷」はこれが初めての録音となります。
「レクイエム」では、4人のソリストと合唱がオーケストラをバックに歌う点とか、伝統的なテキストがそのまま使われているという点では、その半世紀ほど後に作られることになるモーツァルトの作品と同じ形をとっています。作風も、もうすでにバロック時代の様式は薄れ、古典派の様式になっていることも分かります。ただ、「Dies irae」ではモーツァルトは全てのテキストを使っていますが、ツァハはその2/3をカットしています。
面白いのは、あちこちにそのモーツァルトの予兆のようなものが現れていることです。まず、冒頭の「Requiem」の後半「Te decet hymnus」ソプラノのソロによって歌われるのですが、そこにはモーツァルトの未完のハ短調のミサの中のソプラノのアリア、「Et incarunatus est」の中のフレーズに酷似したフレーズが登場しています。
さらに、それに続く「Kyrie」が4声のフーガなのですが、それがそのまま最後の曲の「Cum sanctis」に歌詞だけ変えて使われているというのも、モーツァルトの「レクイエム」と同じです。もっとも、モーツァルトの場合は「Cum sanctis」はジュスマイヤーが補作していますから、これは単に当時の様式に則っただけのことなのでしょう。
実は、このフーガ(もちろん、ツァハのものですが)は、そのままオルガン・ソロのために他の人によって編曲されたものがあって、これが結構有名なのだそうです。そのテーマは半音進行を多用したとても暗いものなのですが、それは少し前、バロック時代には広く知られていた「修辞学(レトリック)」で用いられる「フィグーラ」の一つ「Passus duriusculus(パッスス デュリウスクルス=辛苦の歩み)」に相当するのだそうです。しかも、そこでは1オクターブの中の12個の半音が全て使われているのです。これは、バッハの「ロ短調ミサ」の2番目の「Kyrie」と全く同じことが行われていることになりますね。
これは、1世紀以上後の同じボヘミアの作曲家ドヴォルジャークが作った「レクイエム」の中でも、主要なモティーフとして用いられることになります。
一応そんな暗い雰囲気に支配された曲ではありますが、「レクイエム」全体ではもう少し別の情感も表現されていて、なかなかの多様性が感じられるようです。「Domine Jesu Christe」の中の「Sed signifer」はソプラノのソロですが、オペラのアリアのような華やかなコロラトゥーラのフレーズが入っています。
このソプラノのミハエラ・シュロモヴァーという人は確かな力を持っているようですが、残りの3人のソリストは、発声や技巧の点でやや危なげなところが感じられてしまいます。バスのヤロミール・ノセクという人などは、コミカルなキャラで売っているのでは、とさえ思ってしまう時もありますね。合唱もそこそこの技量はあるものの、なにか無気力で面白味に欠けています。
カップリングの「晩祷」もなかなかヴァラエティに富んだ曲調。ヴィヴァルディの「冬」を思わせるような厳しい曲があると思うと、「Magnificat」では派手な鐘の音などが聴こえてきたりします。

CD Artwork © SUPRAPHON a.s.

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by jurassic_oyaji | 2018-04-12 21:23 | 合唱 | Comments(0)