おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
カテゴリ:合唱( 701 )
WAGNER/Das Liebensmahl der Apostel
c0039487_19570980.jpg



Marcus Bosch/
Männerchor der vocapella
Deutsche Staatsphilharmonie Rheinland-Pfalz
COVIELLO/COV91806


ワーグナーの「使徒の愛餐」という合唱曲を知ってますか?そもそも、ワーグナーがオペラの中で歌われる合唱曲以外の、コンサートで演奏される合唱曲を作っていたことすら、ほとんどの人は知らないのではないでしょうか。
この時代には、ドイツ各地に「リーダーターフェル」と呼ばれるアマチュア、というか「ブルジョワ」が集まって結成された男声合唱団が数多く存在していて、そこの指揮者(リーダーマイスター)になることは音楽家にとって一つのステータスとされていました。「リエンツィ」、「さまよえるオランダ人」を成功させた若き作曲家、リヒャルト・ワーグナーも、ドレスデンのリーダーターフェルの指揮者としてのオファーを嬉々として受け入れ、その団体のためにいくつかの男声合唱のための曲を作ったのです。
その中で、1843年に作られたこの「使徒の愛餐」は、ドレスデンのフラウエン教会でワーグナー自身の指揮で初演された時には、1200人の合唱と100人のオーケストラによって演奏されたという、大規模な作品です。そのスコアには「男声合唱と大オーケストラのための、聖書からの場面」というサブタイトルが書かれています。
ほとんど「秘曲」ですから、録音も少なく、LP時代にはブーレーズ/ニューヨーク・フィル(1974年)とウィン・モリス/ロンドン・シンフォニカ(1978年)による盤しかありませんでした。これが、当時持ってたモリス盤。もう手放して、手元にはありません。
c0039487_19570906.jpg
CD時代になってからは、プラッソン/ドレスデン・フィル(1996年)とティーレマン/シュターツカペレ・ドレスデン(2013年)の盤が加わります。今回のボッシュの盤は今年リリースされたので新録音だと思ったら、実は録音されたのは2003年、2005年に「COV30408」という品番でリリースされたもののリイシューでした。
キリストの12使徒が歌うとされているその男声合唱は、まずア・カペラで全員によって歌い始められますが、しばらくするとそれが3つの合唱団に分割され、「第2コーラス」のみの演奏になります。楽譜の指定では、「第1コーラス」は、「第2コーラス」と「第3コーラス」よりも少ない人数で、となっています。
そのあとは、しばらく「第3コーラス」だけの演奏になりますが、やがて「第2」と「第3」が一緒になって、8声部の合唱となります。その合唱が複雑なポリフォニーを奏でる中、「第1コーラス」が登場、彼らはユニゾンで勇壮な単旋律を歌います。
テンポが変わって、重々しくなったところで、また合唱の編成が変わります。バリトン1、2とベース1、2がそれぞれ3人ずつの12人で歌われるサブ・コーラスと、残りのフル・コーラスとに分かれるのです。やがてテンポは速くなり、サブ・コーラスが主導権をとって音楽は進みます。
そして、またゆったりとしたテンポに変わった時には、全体が4声のフル・コーラスとなり、最後はホモフォニックのコラールとなったところで、やっとオーケストラが加わってきます。その時のトップテナーは、「ハイC」を歌わなければいけません。
全部で26分かかるこの曲で、このア・カペラの部分は17分も続きます。普通は、そんなに長く歌えば音が下がって、オーケストラとピッチが合わなくなってしまうものですが、ここでは見事に合っています。ただ、その前を細かく聴いてみると、場所によっては半音ぐらい下がっているところもありました。おそらく、要所要所でぴっちり合うように誰かが修正をしているのでしょうね。
オーケストラと一緒の部分は、さっきのバリトンとベース12人のサブ・コーラスとフル・コーラスが交代で歌い、最後は全員で盛り上がります。ただ、この合唱団はそんなに人数は多くはないようで、かなりしょぼい印象があります。やはり、「1200人」とは言わないまでも、もっと大人数が必要だったのでしょう。それでも、このライブ録音では、演奏が終わるやいなや「ブラヴォー!」の声が聴こえます。

CD Artwork © Coviello Classics

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-07-28 19:59 | 合唱 | Comments(0)
PTX PRESENTS: TOP POP, VOL. 1
c0039487_21195853.jpg





PENTATONIX
RCA/19075-83647-2


5人組のア・カペラ・グループ「ペンタトニックス」から、ベース担当のメンバー、アヴィ・キャプランが脱退したのは去年の5月のことだったいね(仙台弁)。その後にリリースされたクリスマス・アルバムでは、残りの4人だけで録音したものや、ベースのサポートに新たなメンバーを入れて録音したものなどが含まれていましたが、その時には今後このグループはどうなってしまうのだろうという危惧を抱いてしまったものです。
しかし、彼らは、その時のサポート・メンバーだったマット・サリーを新たなメンバーに迎えて、再出発を図っていたようでした。そして、その新しい顔ぶれによるこのアルバムを、今年の4月にリリースしたのです。
まあ、これだけビッグになってしまったグループですから、それはある意味当然の成り行きだったのでしょう。おそらく、彼らはレーベルとの契約によって将来にわたってアルバムを作る義務を課されていたはずですから、なんとしても新しいメンバーを加入させて、今まで通りのレコーディングを行っていくしかなかったのでしょうからね。その辺のシビアさは、おそらく日本では想像できないほどのものがあるのではないでしょうか。巨大ビジネスとなってしまったポップ・ミュージックの世界では、「権利」という名のもとに膨大なマネーが飛び交っているのでしょう。
c0039487_21195801.jpg
これが、現在の彼らのポートレートです。右端にいるのが、新加入のマットくん、他の4人とのファッションのセンスが、まるで違っているのがすぐわかりますね。彼らもデビューした頃はもっと素朴ないでたちだったのでしょうが、「成功」してしまうとこんなにもセレブ感が漂うようになってしまうのですね。
ただ、音楽的には、このメンバー・チェンジは成功しているようです。マットくんのベースは明らかに前任者よりもパワフルで、格段の存在感があります。差別と取られるのは心外ですが、それはマットくんの肌の色に由来するもののような気が、強くします。これで、リズムボックスのケヴィンとの相性もよくなり、全体としてサウンドがワンランクアップしたような気がします。なんでも、メンバーのインタビューでは人間的な相性も抜群なのだそうですから、これからの活躍が楽しみになってきました。
今回のアルバムでは、すべてヒット曲のカバー、あるいはマッシュアップとなっています。これは、彼らがデビュー当時の原点にこだわった結果なのだそうです。毎回、彼らのオリジナルでは素晴らしいものが聴けたのですが、そんな楽しみは次回以降に取っておけ、ということなのでしょう。
ただ、「ヒット曲」とは言っても、最近はこういう「洋楽」を積極的に聴くことはなくなっていますから、ここで取り上げられている曲のオリジナルは、1曲もなじみがありませんでした。それはそれで、純粋に彼らのア・カペラを楽しめばいいことなのでしょうが、ちょっとさびしい気がします。いつから「洋楽」はこんなに近づきがたいものなってしまったのでしょう。もはや「カーペンターズ」のレコードがどんな家にも1枚はあったという時代は終わったのですね。
それでも、やはり、ヒットする曲には確かになにか訴えかけるものがあるのでしょう。そんな中で、ケシャのヒット曲「Praying」では、冒頭のスコット(たぶん)のソロからして、ただならぬものを感じてしまいました。そのオリジナルを聴いたり、その背景を調べたりすると、これがどれほどの重さを持った曲であったかが分かります。それは、今の巨大な音楽業界の恥部を、赤裸々に告発するという極めて勇気ある行動の結果としての曲だったのです。ソロはスコットからミッチ、カースティンと替わり、最後にはこの3人のリードが揃ってクライマックスを迎えます。そこから生まれるメッセージには圧倒されるばかり、オリジナルともども、まだまだすばらしい曲が作られていることに、ちょっと安心したのでした。

CD Artwork © RCA Records

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-07-26 21:21 | 合唱 | Comments(0)
GOUNOD/Saint François d'Assise
c0039487_20540562.jpg

Stanislas de Barbeyrac(Ten), Florian Sempey(Bar)
Karine Deshayes(MS), Deborah Nemtanu(vn)
Laurence Equilbey/
Accentus
Orchestre de Chambre de Paris
NAÏVE/V 5441


このCDは、輸入代理店であるキングインターナショナルのインフォによれば、「2011年に発見されたグノーの『アッシジの聖フランチェスコ』の世界初録音」なのだそうです。そんな珍しいものが聴けるというのであれば、何をおいても買ってみなければ。
それを入手してブックレットを見てみると、その作品はほんの22分ほどの短いものでした。それだけでは足らないので、リストの宗教曲もカップリングされているのですが、それを含めてもトータルで40分というのは、CDの収録時間としては異例の短さです。
そのブックレットには、当然この作品の成り立ちなども書いてありました。それを読んでみると、確かにこれは「世界初録音」には違いないのですが、「2011年に発見された」などということはどこにもありませんでした。ブックレットの内容は、以下の通りです。
曲が完成したのは1891年の1月で、同じ年の聖金曜日(3月27日)と、翌日の聖土曜日に、パリ音楽院管弦楽団の「コンセール・スピリチュエル(宗教的演奏会)」でグノー自身の指揮によって初演されました。この間に、グノーは友人の画家カロルス=デュランに肖像画を描いてもらっていて、自分がその演奏会で使っていたスコアの自筆稿を、この画家にプレゼントします。画家は、それを受け取った後、きちんと製本してしまっておきました。しかし、いつしかこの自筆稿は行方不明になってしまっていたのです。
それから100年以上経ったころ、フランスのFestival de musique d'Auvers-sur-Oise(オーヴェル・シュル・オワーズ音楽祭)の創設者のピアニスト、パスカル・エスカンドが、たまたまさる女子修道院の慈善団体の幹部の人と話をしている時に、その団体の蔵書の中になにかグノーの自筆稿のようなものがあることを知らされます。調べてみると、それがこの「アッシジの聖フランチェスコ」だったのです。
そこで、エスカンドは、この音楽祭のスタッフの手によってこのスコアのパート譜を作成、さらに、合唱用のヴォーカル・スコアをレイモン・アレッサンドリーニという作曲家に作らせ、出版します。そして、1996年6月20日にポントワーズのサン・マクルー教会で105年ぶりの「再演」が行われました。
さらに、その20年後、2016年6月22日に行われた、ポントワーズ教区の50周年の年の第36回オーヴェル・シュル・オワーズ音楽祭の一環のパリのフィルハーモニーでのコンサートでこの曲が演奏され、その録音がこのCDとなって全世界の注目を浴びることとなったのです。

どうです?「2011年に発見」なんて、どこにもないでしょ?
このアルバムは、お馴染み、エキルベイ指揮の合唱団、アクサンチュスがメイン・アーティストとなっていますが、このグノーの作品では合唱の出番はほとんどありません。1曲目は、まるでプレーン・チャントのような敬虔なテーマによるオーケストラの前奏で始まります。それは、次第に少し俗っぽい美しいメロディに変わっていきます。そこに、テノールが聖フランチェスコとなって、小部屋の中の十字架に向かってとても心に染みる歌を歌います。そこには、時折ダイナミックな情感も加わります。
と、そこにイエスとしてのバリトンが現れ、フランチェスコの祈りにとても穏やかな歌で応えます。その奇跡に、フランチェスコは沈黙するしかありません。その後に奏されるオーケストラの音楽は、ハープも加わったいかにもグノーらしいとことん甘いものでした。
2曲目はフランチェスコの死の場面。暗い前奏に続いて、死の床にあるフランチェスコが周りの人たちに向かって語りかけます。そして、やっと登場した合唱が弟子たちや天使たちの歌を歌うことになります。しかし、それは、いつもながらの緊張感に欠けるこの合唱団の、上っ面だけで全く心に届かない貧しい歌でした。
これは、合唱ではなく、あくまで澄み切った音で穏やかな情感を伝えてくれるオーケストラと素晴らしいソリストを聴くべきアルバムなのでしょう。

CD Artwork ©c Naïve, A Label of Believe Group

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-07-19 20:55 | 合唱 | Comments(0)
VASKS/Laudate Dominum
c0039487_19474390.jpg


Ilze Reine(Org)
Sigvards Kļava/
Latvian Radio Choir
Sinfonieetta Riga
ONDINE/ODE 1302-2


前回はフルート協奏曲と交響曲でヴァスクスの「毒気」にあてられてしまいましたが、今回は合唱でまた別の面からのヴァスクスを体験してみましょうか。これは、2007年に録音されたこちらのアルバムと同じ演奏家によって2017年に録音されたもので、その10年の間、正確には2011年から2016年までに作られた合唱曲が収録されています。
まずは、弦楽合奏と合唱で「Da pacem, Domine(主よ、平和をお与えください)」という、2016年のヴァスクスの生誕70周年の記念行事の一環として、このアルバムの演奏家によって初演されたラテン語のテキストによる曲が演奏されます。これは、18分近くもかかる長大な作品ですが、そんな長さは感じられない高い密度の作品です。というか、メインはとてもシンプルなテーマですが、それがまるで寄せては返す大波のように迫ってくるので、聴いている人はひたすらそれに身を任せているうちに、曲が終わっている、という、ほとんど媚薬のような不思議な力を持った音楽です。まるで、バーバーの「アダージョ」と「アニュス・デイ」を、オーケストラと合唱が同時に演奏しているみたいな高揚感が与えられるのではないでしょうか。
思いっきり盛り上がった後にいきなりゲネラル・パウゼが入るのも効果的。その後にはとても澄み切った世界がまた広がってくるのですから、たまりません。そして、最後にはなんと控えめなシュプレッヒ・ゲザンクまで。まさに、人を感動させるツボを熟知した、職人技の世界です。もちろん、その「感動」には、いくばくかの胡散臭さが混じっているのはこの手の音楽のお約束です。
2曲目も同じ年に作られた、こちらは15世紀のスイスの聖人のドイツ語のテキストによる「Mein Herr und mein Gott(わが主とわが神よ)」という、ちょっと短めの曲です。これは分厚いハーモニーが身上で、ほとんどロマン派の合唱作品と変わらない外観を持った音楽です。そのような昔の形をまとってはいても、そこからは現代人が求めている平安な世界が体験できる、まるでヴァーチャル・リアリティのような機能が作用しているのが、すごいところです。もしかしたら、心が折れている時などは、本気ですがりつきたくなるような、やはり怪しい魅力が満載です。
この中に登場する、合唱のロングトーンは、もろに心に突き刺さってくるかもしれません。そのバックの弦楽器が、ワーグナーそっくりの耽美さを奏でていることも、そんな効用とは無関係ではないはずです。
3曲目がアルバムタイトルにもなっている「Laudate Dominum(主を讃えたまえ)」という、オルガンと合唱のための作品です。これは、オルガンと合唱との呼び交わし(応唱)でしょうか。ニンニク臭はありませんが(それは「王将」)。まずはオルガンが華々しいソロを繰り広げると、その残響の中から合唱が始まるというとてもカッコいいやりとりが3回ほど繰り返されます。その間に合唱は延々と「Laudate Dominum」という言葉だけを繰り返します。これはあの、「Ave Maria」だけを執拗に繰り返すだけという伝カッチーニの名曲「アヴェ・マリア」と同質の盛り上がりを生み出す手法ですね。そして、最後には初めて合唱とオルガンが一緒に演奏する場面となって、今度は「Alelulia」と歌い始めます。これも感動的ですね。
4曲目は、マザー・テレサの言葉がテキストになった「Prayer(祈り)」です。これも弦楽合奏と合唱ですが、途中でポリフォニーが出現するのがちょっと新鮮な印象を与えてくれます。相も変らぬ、泣きの入ったメロディ・ラインには、ちょっと食傷気味だったところに、思いもかけないインパクトが。
と、合唱音楽でもやはり押しつけがましさがてんこ盛りのヴァスクスでしたが、最後の、やはりマザー・テレサのテキストによる「The Fruits of Silence(静寂の果実)」だけは、無駄のないあっさりとした作品で、その分、他の曲に比べたら、いくらかは素直にメッセージを受け取ることが出来るのではないでしょうか。

CD Artwork © Ondine Oy

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-07-07 19:49 | 合唱 | Comments(0)
WOLF/Jesu, deine Passion will ich jetzt bedenken
c0039487_21380837.jpg


Hanna Herfurtner(Sop), Marion Dijkhuizen(Alt)
Georg Popluts(Ten), Mauro Borgioni(Bas)
Michael Alexander Willens/
Kölner Akademie
CPO/777 999-2


これが世界初録音となる、エルンスト・ヴィルヘルム・ヴォルフという1735年にドイツのテューリンゲンに生まれた作曲家が作った受難オラトリオです。この年にはバッハの末子のヨハン・クリスティアン・バッハも生まれていますね。ヴォルフはテューリンゲンのイェーナの大学で学んだ後、ナウムブルク、ライプツィヒを経て最終的にはヴァイマールの宮廷に仕え、1772年にはカペルマイスターに就任します。
先ほどのクリスティアン・バッハの21歳上の異母兄カール・フィリップ・エマニュエル・バッハとは親交があって、音楽的に多くの影響を受けています。しかし、もちろんヴォルフの作品は時代様式を反映して、その「先輩」よりもさらに古典派への傾向が多く見られます。
この受難オラトリオの編成は、4人のソリストと合唱、そしてフルート、オーボエ、ホルンがそれぞれ2本ずつ入ったオーケストラというものです。作曲されたのは、ヴォルフのイェーナ大学時代の1756年あたりと考えられています。彼はその頃、この地の「コレギウム・ムジクム」の指揮者になっていますから、その団体で演奏するために作ったのでしょう。まだ彼が作曲家として有名になる前のことですから、出版もされずに忘れ去られていました。今回の録音では18世紀後半と19世紀前半にドイツ国内で発見された2種類の写筆稿をもとに、クラウス・ヴィンクラーという作曲家が用意した楽譜が使われています。
正式なタイトルは、「Passionoratorium" Jesu, deine Passion will ich jetzt bedenken"(受難オラトリオ「イエスよ、私は今でもあなたの受難を思い出す」)です。このページの読者であればご存知のように、「受難曲」ではなく「受難オラトリオ」というのは、バッハあたりの「受難曲」とはテキストが違うため。もはや聖書の福音書の言葉をそのまま使うことはなく、それを骨子にして自由に作られた「物語」が、ソリストたちによって歌われることになります。
まずは合唱によってタイトルの歌詞によるコラールが歌われた後、そのレシタティーヴォ、それもレシタティーヴォ・アッコンパニャートという、オケの伴奏が入ったものがソリストたちによって歌われるというのが、ヴォルフの新しいスタイルへの挑戦ということになるのでしょうか。これは、「語り」というよりは「歌」の要素が格段に増えていて、その時点でかなり楽しめます。
そして、その間を縫ってソリストによるアリアが4曲歌われます。これが、ダ・カーポ・アリアというA-B-Aという形のちょっと時代遅れの感のするスタイルなのですが、その真ん中の「B」の部分で例えばそれまで長調だったものがいきなり短調になるといったような極端なイメージ・チェンジが行われますから、とてもメリハリがきいていて聴きごたえがあるものばかりです。さらに、バックのオーケストラも、このアリアだけにはフルートやオーボエ、そしてホルンがオブリガートで参加して、色彩的な変化を与えてくれています。
そして、最後の最後になって、それまでのちょっと型通りと思えるようなコラール、レシタティーヴォ、アリアという機械的な繰り返しがガラリと覆され、それらがごちゃまぜになったようなとてもドラマティックなシーンが登場します。これは、たとえばこの頃にイタリアで生まれたばかりのオペラ・ブッファで幕の最後に登場する「フィナーレ」のようなものなのでしょう。そこでは、特にバスのソリストがコラールと交互にアリオーソ(小さなアリア)を何度も繰り返して、イエスの苦悩を代弁している様に心を打たれることでしょう。そのバックに流れるオーケストラも、とても雄弁にその情景を伝えています。
こんな風に、受難曲、いや、音楽そのものが時代とともに姿を変えていく過程が垣間見られるような、とても興味深い作品でした。これまでにも多くの知られざる作品を蘇らせてくれたウィレンズ指揮のケルン・アカデミーの録音では、今後も珍しい曲が聴けるんかな?。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-06-28 21:39 | 合唱 | Comments(0)
A Rose Magnificat
c0039487_23463457.jpg




Paul McCreesh/
Gabrieli Consort
SIGNUM/SIGCD 536


2011年ごろにマクリーシュとガブリエリ・コンソートは自らのレーベル「Winged Lion」を創設して、それまでのDGに替わってSIGNUMからアルバムを出すようになります。ただ、レーベルが違っても、エンジニアリングはどちらもLSO LIVEでおなじみの元DECCAのスタッフ、ニール・ハッチンソンが一貫して手掛けています。
今回は、ガブリエリの合唱部門だけの演奏で、全てア・カペラで演奏されています。録音されたのは2017年の6月ですが、その頃のロンドンは暑かったようで、録音風景の写真を見ると、メンバーは短パンにサンダル、みたいなラフなスタイルでセッションに臨んでいます。
c0039487_23463452.jpg
それと、指揮者のマクリーシュを真横から見ると、彼がずいぶん丸っこく見えてしまいますね。全体的に。今まではもっと精悍な写真が多かったような気がしますから、こんな一面もなんだか和みます。
このアルバムのタイトルの「A Rose Magnificat」というのはこの中で最後に演奏されている1976年に生まれたイギリスの作曲家マシュー・マーティンの作品のタイトルですが、「Rose」というのは、聖母マリアのメタファーなのだそうです・・・とまで書いて、どこかで同じフレーズを使っていたな、と調べてみたら、マクリーシュはこのちょうど10年前にも、やはり「Rose」がらみで「A Spotless Rose」というアルバムを作っていたのですね。これはDG時代に作られたものですが、新しいレーベルでも同じコンセプトのものを作ろうとしたのでしょう。
ということで、ここでもルネサンスから現代までの「聖母マリア」関連の作品が並ぶことになるのですが、今回は全てイギリスの作曲家によるものだけを集めたというところが、新機軸でしょうか。
さらに、ここでは全く同じテキストに3人の作曲家が曲を付けたものが並べられています。これがなかなか興味深いものでした。その「Ave maris stella(めでたし海の星)」という歌詞で歌われる最初の曲は、イギリス作曲界の重鎮ジェイムズ・マクミランです。これは、とてもシンプルな作り方。1節目は最高音のパートが全て「A」の音だけで歌っている中で、下の声部がさまざまなハーモニーを付けるというものです。それが次の節になると最高音は「D」になります。その繰り返し、ある意味「ミニマル・ミュージック」という最近はもはや主流とは言えない技法の名残でしょうか。
そして次に、マクミランが生まれる400年前に亡くなったジョン・シェパードが作っていたのは、やはりその時代の作曲技法だった「定旋律」が使われた音楽です。1節目はプレーン・チャントのユニゾンで歌われた旋律が、2節目になると低音の声部へと移り、その上を多声部のポリフォニーで飾り立てるという、まるで神殿を建設するような華麗でおごそかなものに変貌します。
そして、最後に歌われるのが、1993年生まれの期待の天才作曲家、オワイン・パークの作品です。天才芸人ではありません(それは「オワライ」)。彼の作り方は、1節目はまるでマクミランとシェパードのいいとこ取りのように、高音が「D」のロングトーンを延ばしている間に下の声部が別のシンプルな聖歌を歌うという、「昔」の音楽への回帰です。それが、次の節になると今度はホモフォニックにテンションコードで迫るという、「モダン」な音楽にガラリとキャラクターを変えます。この繰り返しの間に、高音は「D」→「E♭」→「E」→「G」と変わっていくという斬新なアイディアです。この人には、ちょっと注目していたいところ。
おなじような多層的な音楽を作っていたのが、タイトル・チューンの「A Rose Magnificat」です。これは、このアルバムでもポリフォニー時代のロバート・ホワイト(Magnificat)と、1958年生まれのジョナサン・レイン(There is no rose)のそれぞれのテキストを合体させた作品。「Magnificat」では無調、点描といった「現代音楽」のツールで迫ったものが、古謡の「There is no rose」のリフレイン(Alleluia、Res Miranda等)の長三和音へ向かって進んでいくという怪作です。

CD Artwork © Signum Records

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-06-26 23:48 | 合唱 | Comments(0)
GUBAIDULINA/Sonnengesang
c0039487_23092202.jpg


Christian Schmitt(Org), Ivan Monighetti(Vc)
Philipp Ahmann/
NDR Chor
Elbtonal Percussion
BIS/SACD-2276(hybrid SACD)


2016年にBISからリリースされたSACDですが、制作は2011年と2012年、北ドイツ放送(NDR)によるものです。ですから、録音フォーマットも24bit/48kHzとちょっとしょぼくなっています。そこからDSDにトランスファーされ、いちおうサラウンド・ミックスもされています。実際に聴いた感じは、2011年に録音されたものはやはりちょっと物足りない気がしますが、2012年に録音されたものはいつものBISのSACDと比べても何の遜色もありません。
このアルバムには、1931年にかつてのソ連のタタール自治共和国、現在のロシア連邦タタールスタン共和国に生まれ、現在はドイツを拠点に活躍しているソフィア・グバイドゥーリナの合唱曲が2曲と、オルガン曲が1曲収録されています。
最初に演奏されているのが、合唱とオルガンのための「Jaucht vor Gott(神の前に歓喜せよ)」という、詩篇66からのドイツ語のテキストによる曲です。1989年に、彼女とは縁の深いヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルからの委嘱で、ロッケンハウス音楽祭のために作られました。実際には、その年にはロッケンハウスのオルガンが使えなかったので、初演はケルンで1990年に行われています。それはなぜかずっと録音されることはなく、20年以上も経て2012年に初めて録音されたものを今回聴くことが出来るようになりました。
これが、とても素晴らしい録音、最初のア・カペラの合唱が、とても瑞々しい響きですし、合唱団のメンバーによるソロもとっても美しく聴こえてきます。始まりはシンプルな聖歌のようなものだったのが、次第に「崩れて」いっていかにもその当時の音楽を反映した不安定なものに変わるのが聴きどころの一つ。そして、そこに絡むオルガンも、意外性を多分に秘めた登場の仕方には驚かされます。最初のうちはオルガンはまともにオスティナートなどを流していますが、やがて訪れるクライマックスでは合唱と一緒になってのカオスの応酬、これはものすごいインパクトを与えてくれます。陳腐な喩ですが、そこにはペンデレツキの「スターバト・マーテル」とリゲティの「レクイエム」の残渣さえ感じることができます。そして最後は、また「聖歌」が戻って来て、ソプラノ・ソロ(「ケイコ」さんとありますから、日本人?)のロングトーンで静かに終わります。
次に、2011年に録音された、これも聴くのは初めとなる彼女のオルガン・ソロのための作品「Hell und Dunkel(明るさと暗さ)」です。これが、楽器も録音時期も前の曲とは違うということもありますが、ちょっと平板な音にしか聴こえないのが少し残念でした。タイトルのように2つの要素が対比される面白さにはとても惹かれるものがあります。高音が「Hell」で低音が「Dunkel」なのでしょうか。ただ、その「Dunkel」の象徴であるペダル音には、前の曲ほどのサラウンド感がありませんでした。
タイトルとなっている1998年に作られた「Sonnengesang」は、一応合唱曲で、「The Canticle of the Sun」という英語のタイトルか、それを日本語にした「太陽の賛歌」として、割と広く知られている作品です。これは1998年にあのロストロポーヴィチの委嘱で作られたもので、彼の演奏によるCDもありますからね。ただ、これはメインはあくまでチェロのソロで、そこに合唱と打楽器が色を添える、と言った趣の曲ですから、「合唱曲」というにはちょっと無理があるような気もしますが。
ここでのテキストは、アッシジの聖フランチェスコの「太陽の賛歌」です。そのフランス語の歌詞に乗って、延々とチェロの瞑想的なソロが40分間続くのを体験すると、おそらく精神的になにか「浄化」されるようなことが起こるのでじょうか、その結果、心地よい眠りに誘われるというのは、致し方のないことです。最初にチェロに現れるテーマが、なんとなくシュトラウスの「ドン・キホーテ」に似ているのは、単なる偶然でしょう。2011年のライブ録音ということもあるのでしょうか、なんか合唱の肌触りが鈍く感じられます。

SACD Artwork © BIS Records AB

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-06-12 23:13 | 合唱 | Comments(0)
Seven Words from the Cross
c0039487_20245099.jpg




Matthew Guard/
The Skylark Vocal Ensemble
SONO LUMINUS/DSL-92219(CD, BD-A)


アメリカの室内合唱団スカイラーク・ヴォーカル・アンサンブルの新作です。このSONO LUMINUSも、BD-Aでのリリースを続けている数少ないレーベルの一つです。以前のアルバムを聴いた時にはまだ2チャンネルの再生しかできませんでしたが、今回はDXDのサラウンドで録音されたものを、BD-Aに24bit/192kHzで収録されたサラウンドで聴けるようになっていました。これは、あの2Lレーベルの一連の録音にも匹敵するほどのクオリティでしたので、もうその音に浸るだけで興奮してしまいましたよ。録音会場の教会の残響が程よく加わり、クリアで芯のある豊かなサウンドに体全体が挟まれるよう(それは「サンド」)。
前作同様、タイトルやジャケット・デザインにはユニークなセンスを感じることが出来ます。今回はあの「十字架上の7つの言葉」ですって。
もちろん、こういうタイトルの作品は、古今の作曲家のものがたくさん存在しています。しかし、今回のアルバム名は作品のタイトルではなく、アルバム全体のコンセプトをあらわしたもののようでした。つまり、このアルバムは、アンサンブルの指揮者マシュー・ガードが、「7つの言葉」に呼応する曲を集めて構成した「コンピレーション」なのです。
まずは「言葉」に先立って「プロローグ」というパートが置かれています。ここで最初に歌われるのが黒人霊歌の「Were you there?」です。それは、まるで往年のロジェ・ワーグナー合唱団の黒人霊歌集の名盤で、サリー・テリーのソロによって歌われていたものととてもよく似たアレンジでした。ここでのソロはメンバーのCarrie Cheronという人、重厚な男声のハミングに乗って歌い出した彼女は、とても訓練されたハーモニー感を持つしっかりした合唱をバックに、まるでゴスペル・シンガーのような自由なフレージングで、「クラシックの合唱曲」を超えたオリジナルの魂に迫る歌を聴かせてくれました。もう、これが聴けただけで十分だと思えるような、すばらしい演奏です。
このパートにはもう1曲、アメリカではとても有名で、その聖歌がブラスバンドなどにも編曲されて広く親しまれているウィリアム・ビリングの「When Jesus Wept」が歌われています。この作曲家の作った聖歌は、このアルバムのメインのコンテンツとして、これ以後何度も歌われることになります。
 そんな中で、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンなどという人の単旋律の聖歌も登場します。これは、やはりメンバーのClare McNamaraという人が全曲一人で歌っています。こういう人たちは、合唱の中ではきっちり融け合う声なのに、ソロではしっかりと個性を主張していますから、それぞれに深い味を感じることが出来ます。
後半の「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」になると、プーランクの「悔悟節のための4つのモテット」から「Vinea mea electa(選ばれしわがぶどうの木)」などという、ちょっと毛色の違う曲が取り上げられています。しかし、彼らの硬質な音色による完璧なハーモニーからは、そのフランス的な妖艶な和声の中から確かな訴えかけが伝わってきます。
「私は渇いている」のパートで歌われるのは、前作でも新作を提供していたアイスランドの作曲家、アンナ・ソルヴァルドスドッティルの「Þann heilaga kross(聖なる十字架の上で)」です。現代的なドローンをバックに古代アイスランドの聖歌が流れるという、時代を超えた音楽を聴くことが出来ます。この曲は、まさにこのアルバムの白眉でしょう。
次の「終わった」のパートでは、フィンランドの人気作曲家マンティヤルヴィの、その名も「ウィリアム・ビリングの聖歌によるファンタジア」という、まさにさっきのアメリカの作曲家の曲をマンティヤルヴィが料理した痛快な曲です。
最後に付け加えられた「エピローグ」では、アメリカではゴスペルとしてとてもよく知られている「Just as I am」という伝承歌です。この曲でのDana Whitesideというバリトンのメンバーのソロは、涙が出るほど感動的です。

CD & BD Artwork © Sono Luminus, LLC.

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-06-02 20:33 | 合唱 | Comments(0)
ROSE/Choral Compositions and Arrangements
c0039487_20075475.jpg




Gregory Rose/
Latvian Radio Choir
TOCCATA/TOCC 0482


グレゴリー・ローズという1948年生まれのイギリスの作曲家の、ア・カペラの合唱曲を集めたアルバムです。なんでも、彼は今年生誕70周年を迎えることになるので、自らそれをお祝いするためにこのアルバムを作ったのだとか。なんだか可愛いですね。
録音が行われたのはラトヴィアのリガにある聖ヨハネ教会です。歌っているのはラトヴィア放送合唱団、そして指揮者はローズ自身です。
彼の父親は、教会音楽のフィールドで作曲家、指揮者、教育者として活躍していたバーナード・ローズという人です。グレゴリーは彼の影響で作曲家をめざし、実際に20歳前後の数年間オクスフォード大学のモードレン・カレッジで父親にも師事しています。その父親は1996年に80歳で亡くなってしまいましたが、グレゴリーは生誕100周年記念の2016年に、父親の宗教的な合唱作品を集めて自分が指揮をしたアルバムを、同じTOCCATAレーベルから出しています。周年を祝うのが好きな人なんですね(そういう人は執念深い)。
c0039487_20075474.jpg
そんな経歴から、彼の作風は穏健なものを連想してしまいますが、そうではありませんでした。そもそも、その父親の作品を聴いてみても、普通に教会で演奏するにはかなり尖がった感じがしましたからね。彼はウィーンの音楽院とオクスフォードではシェーンベルクの弟子だった作曲家の教えを受けています。そして、年代的にも第二次世界大戦後の「前衛音楽」の洗礼をもろに受けていて、ケージ、シュトックハウゼン、ライヒといった人たちとは実際にコラボレーションを行っていたこともあったのだそうです。
ここではそんなローズの1972年から2017年までの40年以上に渡る作曲活動のスパンの中で作られた曲を聴くことが出来ます。すべてが初録音です。
その、最も初期の1972年の作品「It's snowing」は、まさにあの頃の「前衛音楽」そのものでした。おそらく「偶然性」の要素もかなり取り入れられているのでしょう。その結果現れたクラスターの響きは、まさにあの時代を象徴するものです。
そのような作風は、1997年に作られた「Fragments for Four」という作品にまで影を落としています。これはもろジョン・ケージ風の「即興音楽」、それぞれのパートがあるフレーズをその場限りの即興で出し合い、予期されない効果を生むという試みです。ただ、そこにはケージのような乾いたテイストはなく、ある意味「きれいすぎる」という印象を持ってしまうのは、やはりローズ自身の内面の変化によるものなのではないでしょうか。
そして、2009年に作られた「Missa Sancti Dunstani」には、明らかにスティーヴ・ライヒ風の「ミニマル」の要素が入っていることが分かります。ただ、それは冒頭の「Kyrie」だけで、それに続く楽章ではもっと「美しさ」が際立ったシンプルさが前面に押し出されるようになっています。おそらく、このあたりから、彼の作風は、様々な現代的な手法を踏まえた上での、適度の抒情性を持った彼なりのスタイルにたどり着いたのではないでしょうか。それは、とても無理のない健全な変化のような気がします。2017年に作られた「Ave Maria」などは、それがとても美しく結実したものなのではないでしょうか。
一方で、彼はそのような「純音楽」とは別の、コマーシャルなシーンでの活躍もあったことが、最後に収録されている何曲かの編曲作品によって知ることが出来ます。彼は、ダイアナ・ロスやリンダ・ロンシュタットなどのアルバムでは編曲を担当、バックのオーケストラの指揮もしていました。
c0039487_20075457.jpg
ここでは、ダイアナ・ロスが2006年にリリースした「 I Love You」というアルバムのために編曲された、ビートルズの「ホワイトアルバム」の1枚目のB面にあったポールの曲「I Will」のア・カペラ・バージョンが歌われています。それは、オリジナルの味をそのまま残した素直なアレンジ、このあたりにはまさに「職人」としての手堅さが覗えます。
そんな、様々なスタイルの作品とアレンジを、この合唱団は見事に歌い分けています。

CD Artwork © Toccata Classics

[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-05-26 20:10 | 合唱 | Comments(0)
BACH/ Magnificats
c0039487_19272212.jpg


Joélle Harvey(Sop), Olivia Vermeulen(MS)
Iestyn Davies(CT), Thomas Walker(Ten), Thomas Bauer(Bas)
Jonathan Cohen/
Arcangelo
HYPERION/CDA68157


「バッハのMagnificats」と複数形になっているのがミソです。もちろん、ヨハン・セバスティアン・バッハは「マニフィカト」は1曲しか作っていませんから、「バッハ」の方も複数形。つまり、ここではそのバッハの先妻の息子カール・フィリップ・エマニュエル・バッハと、後妻の息子ヨハン・クリスティアン・バッハがそれぞれ作った「マニフィカト」も一緒に演奏されている、ということになるのですね。「三大マニフィカト」、かと
セバスティアン・バッハの作品は、もちろんニ長調の「改訂稿」による演奏です。なぜ、改訂される前の変ホ長調の稿でないのかは、いずれ分かります。
これは非常に有名な作品なので聴く機会も多いのですが、今回のアルカンジェロの演奏は、そのどれとも異なるユニークさを持っていました。以前同じ団体の「ロ短調」を聴いた時に感じたのは、ここの合唱団は決してそれぞれの声をきれいにまとめようとはせずに、一人一人の個性を前面に出すという歌い方に徹しているなという点でした。今回もそれと同じ路線で突き進んでいくのですが、その度合いはさらに増しているようで、バッハを歌っていながらその中からはクラスターのようなテイストが感じられてしまったのですよ。具体的に言えば、彼らがメリスマを歌っている時には、それがあたかもリゲティの「レクイエム」の中のどこかのフレーズと共通したような味わいが聴こえてきたのですね。こんなブキミなバッハがあっていいのか、と思ってしまいますが、それがなにかとてもしっくりと来るんですね。2世紀半近くを隔てても、音楽の本質は変わっていない、と。
セバスティアンの息子エマニュエルが作った「マニフィカト」は、父親の作品よりも規模が大きくなっていました。時間で言うと、25分のものが40分までに拡大されています。もちろんテキストは全く一緒ですが、それらを個々の曲に割り振るところも違っています。
実は、この作品は以前もこちらで聴いていたことがありました。その時はそれが「世界初録音」ということだったので、かなり珍しいものなのだな、と思っていたのですが、今回確かめてみるとそれ以前に録音されていたものが続々と出てきました。それは「初録音」だったのが1749年に作られた「初稿」だったからで、その後1779年に再演された時に大幅に改訂された「改訂稿」は別に珍しいものではなかったようで、いくらでも録音があったのですね。
改訂されたものは楽器編成が大幅に変わっていて、トランペットとティンパニが加わりサウンドがガラリと別物になっていました。それと、3曲目の「Et misericordia」が全く別の曲に差し替えられています。今回のアルカンジェロの演奏では、一応改訂稿で演奏されているのですが、この「Et misericordia」だけは初稿のものが使われていました。確かに、この曲は元からあったものの方が格段にクオリティが高いような気がします。
以前も言及しましたが、エマニュエルの作品には父親の作品に対するオマージュが至る所で感じられます。調性もニ長調ですし、この改訂稿で加えられたトランペットとティンパニの感じもそっくりです。6曲目の「Deposuit」などはまさに父親のパクリですし。
最後の合唱の「Sicut erat in principio」は堂々たるフーガ、ここのメリスマでも、やはりリゲティが顔を出していました。何よりも、トランペットのド派手な演出には圧倒されてしまいます。別の演奏ではそれほどのインパクトはなかったので、これもおそらくアルカンジェロ独自のアプローチだったのでしょう。
この改訂稿が作られるより前の1760年に作られていたのが、クリスティアン・バッハの作品です。異母兄弟のエマニュエルとは20歳の年の差がありますが、その間に音楽は全く別の様式に変わっていたことを、まざまざと感じられるほど、これは「古典派」然とした音楽です。
ソリストで、テノールの人がかなりアバウトな歌い方なのが気になります。バスの人はとてもドラマティックなのに。

CD Artwork © Hyperion Records Limited
[PR]
by jurassic_oyaji | 2018-05-20 19:30 | 合唱 | Comments(0)