おやぢの部屋2
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カテゴリ:合唱( 723 )
MOZART/Messe c-Moll
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Christina Landshamer(Sop), Anke Vondunk(MS)
Steve Davislim(Ten), Tobias Berndt(Bar)
Howard Arman/
Chor des Bayerischen Rundfunks
Akademie für Alte Musik Berlin
BR/900917


モーツァルトの「ハ短調ミサ」の最新録音、使われている楽譜が2018年にBreitkopf und Härtelから出版されたばかりのクレメンス・ケンメというオランダの音楽学者による修復稿です。
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この名前を聞いてこちらの記事を思い浮かべる方は、かなりの通。ここでご紹介したダイクストラの演奏(SONY)でも、やはり「ケンメ版」が使われていました。その時のケンメ自身のライナーノーツによれば、この楽譜は2006年のモーツァルト・イヤーにオランダ・バッハ協会とフランス・ブリュッヘンのために作られたもので、その年の4月にブリュッヘン指揮の18世紀オーケストラとオランダ室内合唱団によって「初演」されています。
それは多くの指揮者によって取り上げられることになり、2012年には、このダイクストラとバイエルン放送合唱団の演奏が録音されて、CDになりました。その時には、ケンメによって最新の研究成果が織り込まれたとされる新しい「2012年版」が使われていました。
そして今回2018年に、2016年からダイクストラの後任としてこの合唱団の芸術監督に就任したハワード・アーマンの指揮で録音されたのが、このCDです。ここには、「2018年の修復稿」というクレジットがありました。
実は、その「2018年版」は、出版社のサイトで現物を見ることが出来ます。この修復稿は、基本的にモーツァルト自身が作っていたものの欠損部分を追加したという新全集版と同じポリシーによって作られたようです。それを、「2012年版」を使って演奏されたとされる先ほどのダイクストラ盤と比べてみると、全然違うのですよ。具体的には、「Sanctus」で、「2018年版」の楽譜では合唱は8小節目から入っているのに、ダイクストラのCDでは7小節目から入っています。さらに、「Credo」では、全集版のエーダーの補筆にはないトランペットとティンパニが頭から入っているのは楽譜と同じなのですが、そのリズムがCDでは全く異なっていて、同じような編成をとっているレヴィン版やベルニウス/ヴォルフ版と同じリズム(弦楽器のリズム)になっています。ですから、同じ「ケンメ版」とは言っても「2012年版」と、現実に出版されているので、決定稿と思われる「2018年版」とは、かなり異なったものなのでしょう。もちろん、その「2012年版」にしても、最初の「2006年版」とは異なっていたのでしょうね。なんか、そんなに頻繁に改訂を行っていいものなのか、と、不安になってしまいます。
しかも、今回のアーマンの録音ではその楽譜とも全く違う演奏が行われているのですよ。「Sanctus」では確かに楽譜通りですが、「Credo」では、合唱が入るまではトランペットとティンパニは入らず、合唱が始まってからそれらが入るという形になっています。しかも、そのリズムは先ほどのダイクストラ盤と同じリズムなのです。
これについては、やはりこちらのCDでもライナーノーツを執筆しているケンメは、「作曲家でもあるアーマンのアイディアを取り入れた」と言っていますね。いやいや、ここまで出版楽譜と違うことをやっているのでは、もはや「ケンメ版」とは言えず、「ケンメ/アーマン版」になってしまうのではないでしょうか。しょっちゅう改変は行うわ、演奏者の意見にそのまま従うわ、このケンメという人に学者としてのプライドはないのでしょうか。
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これがケンメの写真、けっしてイケメンではありません。
ちなみに、ケンメは2009年に「レクイエム」の修復稿も完成させているようで、まだ出版はされてはいませんがこちらで音だけは聴くことができます。既存の修復版のいいとこ取りという感じで、「Hosanna」がレヴィン版並みに拡大されているほかは、ジュスマイヤー版と同じ尺です。でも、これが決定稿だとは言い切れないのが悲しいところです。
ダイクストラとの録音ではモダン楽器のオケでしたが、今回はピリオド・オケ、きっちりと引き締まったいい演奏です。そこに、ソプラノのランツハーマーとメゾのフォンドゥンクが華を添えています。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH

by jurassic_oyaji | 2019-02-09 20:50 | 合唱 | Comments(0)
ORFF/Carmina Burana
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Aida Garifullina(Sop), Toby Spence(Ten), Ludovic Tézier(Bar)
Long Yu/
Shanghai Spring Children's Choir
Wiener Singakademie(by Heinz Ferlesch)
DG/483 6594



去年、2018年はドイツ・グラモフォン(DG)の創設120周年だったそうです。それをお祝いして中国ではなんと紫禁城で野外コンサートが開かれました。演奏家は中国の音楽家がメインで、オーケストラはロン・ユー指揮の上海交響楽団、CDには入っていませんが、ピアノ協奏曲ではラン・ランがソロを弾いていました。
「120周年」ですから、このレコード会社が作られたのは1898年だったということになります。それをもって「世界最古のクラシックレーベル」と言っているようですが、それはどうなのでしょう。
この会社の前身は、その前の年、1897年にエミール・ベルリナーの平板レコードの特許を元にイギリスに作られた「グラモフォン・カンパニー(英グラモフォン)」が、ドイツのハノーファーに1898年7月に作った工場でした。それが、その年の12月6日に、「Deutsche Grammophon Gesellschaft(DGG)」という名前の独立した会社になります。しかし、ここは翌年には英グラモフォンに買収されてその子会社となってしまうのです。英グラモフォンは、後にやはりイギリスに1897年に出来た「コロムビア・フォノグラフ・カンパニー・ジェネラル(英コロムビア)」と合併してEMIとなりますから、このEMIの方が「最古」、いや、もっと言えばベルリナーのアメリカの会社もその後RCAになるのですから、さらに「最古」という気がするのですがね。今でも「レーベル」としては、RCAもEMI(ポップスのみ)も健在ですから。
つまり、そもそも「DGG」は、最初のころは「EMI」の一部だったのですよ。ロゴマークも、そのころは「レコーディング・エンジェル」、そして「ニッパー」ですからね。ただ、第一次世界大戦によって、その関係は断ち切られ、英コロムビアは大戦後の1925年には「エレクトローラGmbH」という別の会社をドイツに作ります。この時点でDGGは独自の道を歩み始めるのです。ですから、このあたりが、DGの本当のスタート地点ではないかと思うのですがね。その後1941年にDGGはシーメンスの傘下に入り、再スタートを切ります。そして、1948年になって、DGG(クラシック)、POLYDOR(ポピュラー)、ARCHIV(古楽)という3本柱の体制となるのです。
ということで、実質的にはまだ100年も経っていないレーベルが行ったこのコンサートは、紫禁城の前の広場に集まった何千人というお客さんの前で開催されました。ですから、至近距離で見られない聴衆のための巨大モニターはステージの左右に設けられましたし、もちろん音響もPAを大々的に使っていて、ほとんど生音は聞こえなかったことでしょう。
それを録音すると、腕の良いエンジニアだと普通のホールで録音されたような自然な音に仕上がるのでしょうが、ここではそのPAの音が、派手にエコーとして聴こえてくるという、とんでもない音に仕上がっていました。まあ「臨場感」はあるのでしょうが、やはりCDではこんな音は聴きたくはありません。
ロン・ユーの指揮ぶりはとても颯爽としていて、1曲目の「O Fortuna」では、イントロのフェルマータをほとんど伸ばさずに「semper crescis」に飛び込みます。そこに打ち込まれるバスドラムの東洋的な乾いた響きとも相まって、なにか「中国的」な色彩豊かな音楽が広がります。ですから、この曲の中に登場する5音階のテーマが、ことごとく中国のイディオムの様に聴こえてくるから、不思議です。
そのようなコンテクストの中では、ソプラノとテノールのあまりに堂々とした歌い方には、かなりの違和感が伴います。特にテノールの人はあまりにもマジメ、ここはいっそ、京劇あたりの素っ頓狂な声を出す人に歌わせれば、もっと盛り上がったのではないでしょうか。
いや、なんといっても盛り上がったのはアンコールの「茉莉花」でしょう。この、「トゥーランドット」で頻繁に登場する「♪山のお寺の@山田耕筰」というメロディで、聴衆が喜ばないはずがありませんから。
そういえば、ちょうど20年前には、この同じ場所でそのプッチーニのオペラが上演されたのでした。

CD Artwork © Deutsche Grammopon GmbH

by jurassic_oyaji | 2019-02-02 20:58 | 合唱 | Comments(0)
FRANCE
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Marcus Creed/
SWR Vokalensemble
SWR/19065CD



マルクス(マーカス)・クリードが指揮をしたSWRヴォーカルアンサンブルの「世界の国」シリーズは、もう何ヵ国リリースされているのでしょうか。最近は、以前の縦に線が入ったデザインから、もっとシンプルなレイアウトのジャケットに変わってきていますね。
今回のテーマは「フランス」です。とは言っても、全てフランス人の作曲家というわけではなく、フランスで活躍しているギリシャ人のジョルジュ・アペルギスという人の作品が入っています。同じようなスタンスで、ほとんど「フランスの作曲家」と認知されている人にあのヤニス・クセナキスがいますが、アペルギスはそのクセナキスの弟子なのだそうです。
それ以外は、ドビュッシーから始まって、プーランク、ミヨー、ジョリヴェ、そしてメシアンと、それぞれの年代を象徴するような名前が並んでいるのはさすがです。とは言っても、これは意図してそのようなカップリングを目指したわけではなく、この合唱団が日常的に行ってきた録音の中からこれだけのものを選んだ、というスタイルのようですね。いつの間にかできていた、という感じ、なんだかうらやましいですね。
実際、ここで演奏されている曲は、2005年から2017年までの長いスパンで録音が行われています。クリードがこの合唱団の芸術監督に就任したのが2003年ですから、彼のこの合唱団とのキャリアとともに、折に触れて録音されていたということになりますね。
そして、この中で最も新しい録音である、プーランクの「Un soir de neige」(2017年録音)と、最も古い2005年に録音された同じプーランクの男声合唱曲「Quatre Petites Prières de Saint François d'Assise」とを比べると、録音状態も、そして作品に対する基本的なアプローチもほとんど変わっていませんから、アルバムとしてのまとまりには何の関係もありません。これは驚くべきことではないでしょうか。
そこで貫かれているのは、おそらく、変に「フランス風」に歌うのではなく、しっかり楽譜通りに歌うことによって、国籍を超えた作曲家の音楽性を的確に表現する、といった姿勢なのではないでしょうか。その結果、ここで聴けることになったのが、鋼のように強固なハーモニーです。彼らは、フランス音楽で多用される非和声音をふんだんに使った房状和音を、極度に磨き上げて常に妥協のない形で提示しています。そこから発散されるものは、なよなよとした「おフランスのエスプリ」ではなく、それぞれの和音の持つ独特の「力」です。
クリードの前任者、ルパート・フーバーの時代、1999年と2000年に録音されたアルバムでは、この合唱団はやはりフランスの作品を歌っていました。
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この中では、ドビュッシーの「シャルル・ドルレアンの3つの歌」と、ジョリヴェの「祝婚歌」が、今回のCDと共通していました。それらを聴き比べてみると、その頃はこのドイツの合唱団のメンバー(どいつなのかは分かりませんが)に何かフランス物に対するコンプレックスがあるように感じられてしまいます。それを克服するために、ことさらに見当違いの表現を多用しているのですね。しかし今回は、そんな「小技」ではなく、先ほどのハーモニー感を武器に、真正面からフランス音楽に取り組んでいるような印象があります。これは間違いなく指揮者の違いから生まれた「進化」なのでしょう。
この中で唯一ご存命(1945年生まれ)のアペルギスの作品は、多くの現代作曲家が素材として使っているスイスのアウトサイダー・アーティスト、アドルフ・ヴェルフリのアートが元になった「ヴェルフリ・カンタータ」の中の楽章として、この合唱団のために作られた「Die Stellung der Zahlen(数の配置)」です。これは、ヴェルフリの作品の中に登場する文字や記号、音符などを、まさにクセナキスのような複雑な手法で音楽に変換したという、とても難解なものです。ここでは、おそらく最も重要なファクターはリズムなのではないかと思われるのですが、この合唱団はそれを見事にクリアしています。

CD Artwork © Naxos Deutschland Musik & Video Vertriebs-GmbH

by jurassic_oyaji | 2019-01-22 22:57 | 合唱 | Comments(0)
ARTYOMOV/Requiem
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Yelena Brilyova, Inna Polianskaya, Lyubov Sharnina(Sop)
Alexei Martynov(Ten), Mikhail Lanskoi(Bar), Andrei Azovsky(Treble)
Oleg Yanchenko(Org)
Sveshinikov Boy's Chorus(by Victor Popov)
Kaunas State Chorus(by Piatris Bingialis)
Dmitri Kitaenko/Moscow Philharmonic Symphony Orchestra
DIVINE ART/dda 25173


「レクイエム」という名前がついていさえすれば、どんなものでも紹介してみたいと思っているこのサイトですが、今回は非常にレアな、1940年にソ連に生まれた作曲家、ヴャチェスラフ・アルチョーモフが1988年に作った「レクイエム」です。
この曲のCD自体は、すでにソ連時代の国営レーベルMELODIYAから、1988年11月25に行われた初演のライブ録音がリリースされていました。なんでも、そのCDは販売直後に売り切れてしまったといいますから、それを聴いていた人はたくさんいたのでしょうね。ソ連では。これが、そのジャケットです。
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今回新たにイギリスのレーベルからリリースされたものは、そのMELODIYAの音源をリマスタリングしたものです。このレーベルは、この作曲家のやはり一連のMELODIYA録音を次々にリリースしていて、これがその7枚目となるのだそうです。
ただ、ブックレットのクレジットによると、今回の「レクイエム」に関してはさきほどのMELODIYAの音源ではなく、初演の前のリハーサルが行われたスタジオで録音され、作曲家自身が保有していた音源から新たにリマスタリングを行ったものだ、ということになっています。
しかし、それはどうも事実とは異なっているような気がします。というのも、今では廃盤となっているそのMELODIYA盤が、NMLでは聴くことができるので、それとこのCDとを聴き比べてみたのですが、ノイズの乗り方といい、ドロップアウトの場所といい、全く同じなんですよね。なによりも、メディア・プレーヤーで再生したら、先ほどのMOLODIYAのジャケットが現れたのですから、もう間違いはありませんよ。なぜこんな見え透いた嘘をついたのでしょう。
この曲の編成は、ソリストが6人、オルガン、大オーケストラと混声合唱と児童合唱という、かなり大規模なものです。オープニングは、まるでハリウッドの映画音楽のようなド派手な金管のファンファーレで始まりますが、そのあとに出てくるのが、なんとリゲティの「アトモスフェール」のようなテイストを持った木管のアンサンブルです。この万華鏡のようなサウンドや、さらにはトーン・クラスターといった、リゲティならではのオーケストレーションは、この曲のいたるところで耳にすることができます。
それと同時に多用されているのが、ミニマル・ミュージックの技法です。ここでは、執拗に繰り返される悲しみに満ちたモティーフの重なりが、言いようのない寂寞感を与えてくれます。
そんな、西欧諸国では少し前に隆盛を誇った音楽タームが、少し遅れた時代に、この作曲家の客観的な目によって選び抜かれ、この曲の中に開花している、といった印象を強く受けてしまいます。
そのような音楽を作っている人が、当時のソ連の体制の中で作曲活動をすることができたこと自体が、そもそも信じがたいものがあるのですが、アルチョーモフの音楽はソ連以外の国では絶賛されていたようですね。
ただ、この「レクイエム」の中では、そのような「前衛的」なアイテムだけではなく、とても安らぎに満ちたハーモニーが聴こえてくる部分もあります。さらに、「Domine Jesu Christe」の部分では、合唱はもろロシア聖歌風の重厚なコラールを歌っていたりします。そのバックには、まるでそれとは無関係な無機的なオーケストラのフレーズが流れているのですが、このコラールはゆるぎなく自己を主張しているように、孤高の姿を誇示しています。もしかしたら、このあたりがソ連という体制によって抑圧された「ロシア」を現わしているのかもしれませんね。
それまでは宗教上の理由からヴェルディやモーツァルトの名曲でも決して「レクイエム」という名の曲は流さなかったソ連のラジオから、このアルチョーモフの作品は全国に向けて放送されたのだそうです。ソ連が崩壊するのは、それからすぐのこと、この曲は、ソ連という体制への「レクイエム」だったのかもしれませんね。

CD Artwork © Divine Art Ltd.

by jurassic_oyaji | 2019-01-19 22:14 | 合唱 | Comments(0)
VERDI and other 12 composers/Messa per Rossini
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María José Siri(Sop), Veronica Simeoni(MS)
Giorgio Berrugi(Ten), Simon Piazzola(Bar), Riccardo Zanellato(Bas)
Riccardo Chailly/
Coro e Orchestra del Teatro alla Scalla
DECCA/483 4084



1868年11月にロッシーニが亡くなった時に、その1周忌で演奏するためにヴェルディが出版社のリコルディに呼び掛けて実行したプロジェクトが、彼を含めた13人の作曲家の合作による、ロッシーニの追悼のためのミサ曲の制作です。彼のイニシアティブによって作られた委員会では、「レクイエム」のテキストを13のパートに分け、それぞれの曲の構成やテンポ、調性が決められて、それぞれの作曲家に作曲が託されたのでした。ヴェルディ自身は最後の「Libera me」を担当しています。
ただ、翌年の9月には全曲が完成したにもかかわらず、上演会場との調整がうまくいかず(ヴェルディは、このプロジェクトに関わる全ての人たちにボランティアを強いていました)実際にこの曲が演奏されることはありませんでした。
結局、これが「初演」されたのは、その119年後の1988年のことでした。その時のライブ録音が、これです。
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HÄNSSLER/98.949

ただ、それ以降はこの曲の録音が公式にリリースされることはありませんでした。ある意味「お祭り」としての性格が強い制作過程もあって、曲自体はそれほど魅力的ではないと評価されていたのかもしれませんね。
ですから、その新しい録音出るのには、ロッシーニの没後150年という新たな「お祭り」まで待たなければいけませんでした。そして、それに先立つ2017年11月に、ロッシーニには縁のあるミラノのスカラ座でライブ録音されたのが、このCDです。もちろん、リリースされたのは2018年ですから、「没後150年」で何の問題もありません。
このCDのブックレットには、ヴェルディがリコルディに送った手紙の全文が掲載されていました。それによると、ヴェルディはまず彼の先輩であったメルカダンテを、このプロジェクトの作曲家の筆頭に挙げています。「たとえ、それがほんの数小節でも」とありますから、実現は期待してはいなかったのでしょうが(この2年後に彼は亡くなります)、自分に対する妬みを抱いていたとされる老作曲家へのこれ見よがしのリスペクトととるべきなのでしょうね。
もう1点重要なのは、これに関わる人はイタリア人に限定していたことです。もし「外国人」が関与した時には、即刻手を引くとまで言ってます。
その結果、集められた作曲家はすべて当時活躍していたイタリア人作曲家たちでした。ただ、その中で現在も名前が残っているのは、私見では「妖精の踊り」というヴァイオリンの小曲(フルートのための編曲もあります)のみで知られているアントニオ・バッジーニだけなのではないでしょうか。これはとても明るい曲ですよ(陽性の踊り)。
一応その作曲家たちを列挙してみると、
1. Requiem e Kyrie:アントニオ・ブゾッラ
2. Dies irae:アントニオ・バッジーニ
3. Tuba mirum:カルロ・ペドロッティ
4. Quid sum miser:アントニオ・カニョーニ
5. Recordare Jesu:フェデリコ・リッチ
6. Ingemisco:アレッサンドロ・ニーニ
7. Confutatis:ライモンド・ブシェロン
8. Lacrimosa:カルロ・コッチャ
9. Domine Jesu:ガエターノ・ガスパリ
10. Sanctus:ピエトロ・プラタニア
11. Agnus Dei:ラウロ・ロッシ
12. Lux aeterna:テオドゥーロ・マベッリーニ
13. Libera me:ジュゼッペ・ヴェルディ

となります。
全曲演奏すると2時間近く、ソリストがソプラノ、アルト、テノール、バリトン、バスと5人、それに大編成の混声合唱とオーケストラが加わります。合唱はほとんどの曲に登場しますが、ソリストのアンサンブルだけという曲もあります。男声だけの3人でのトリオなどという、珍しい組み合わせも。
それぞれの曲は、みな力作揃い、それだけを聴けばなかなか魅力的なのですが、全部につきあうと結構疲れそうですね。そんな中で、シンプルなア・カペラの男声合唱で始まる「Lacrimosa」には惹かれます。
もちろん、最後の「Libera me」はヴェルディの「レクイエム」のプロトタイプで、これだけの録音もいくつかありました。「レクイエム」ではソプラノ・ソロが苦労する最後の超低音の部分が、ここでは合唱のベース・パートでやすやすと歌われていますね。

CD Artwork © Decca Music Group Limited

by jurassic_oyaji | 2019-01-17 23:23 | 合唱 | Comments(0)
LJOS
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Fauna Vokalkvintett
2L/2l-151-SACD(hybrid SACD)



去年の11月ごろにリリースされていた、ノルウェー語で「光」という意味のタイトルの、クリスマスの曲を集めたアルバムです。当然、その年のクリスマスでの需要に間に合うように、去年の6月と9月に録音が行われていたのですが、あいにくクリスマス前にはなにかと忙しくて聴くことができませんでした。
ここで演奏しているのは、ノルウェーの5人組女声ア・カペラ・グループ「ファウナ・ヴォーカルクィンテット」です。銭湯でライブをやってはいませんが(それは「サウナ・ヴォーカルクィンテット」)。彼女たちはそれぞれ合唱団の指揮者や作曲家、あるいはトラディショナルな民族音楽のアーティストなどと、様々なジャンルから集まってきているようです。
このレーベルは合唱関係では多くの編成のものを出してきていますが、このようなタイプのアンサンブルというのはあまりなかったのではないでしょうか。彼女たちが録音している風景を見てみると、真ん中に立てられたサラウンドのアレイを囲むようにして歌っています。つまり、それを再生すると、聴いている人はあたかも彼女たちに囲まれた真ん中にいるように感じられることになるのですね。この人数だからこそ、そんな親密な体験を味わえるのでしょう。
もちろん、この2Lレーベルのことですから、これは単に物珍しさを狙ってのことではありません。今世紀初頭にDVDオーディオやSACDが登場して、「サラウンド再生」が可能になった時には、いち早くそのフォーマットを支持します。2005年にリリースされたSACDのライナーノーツで、レーベルの主宰者モーテン・リンドベリは「モノラル録音は白黒写真、ステレオ録音はポラロイド写真、サラウンド録音はリアルな肉体」と言い切っていますからね。これは、サラウンドになって初めて、その生々しい存在感を実際に再現できるという比喩なのでしょう。
そして、よりリアルなサラウンドを目指して、チャンネル数も増え、それに従ってメインマイクが設置されたアレイの形もだんだん進化してきました(ハイフンの後の数字はサブウーハーの有無ですから、チャンネル数には関係ありません)。

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↑5.1:1本のアレイの上にフロントに3本、リアに2本のマイクをセットします。
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↑7.1:より緻密な音場を実現させるために、マイクをさらに2本増やします(7.1.4からの合成)。
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↑9.1:上下の音場を再現するために、5.1の上にさらに4本マイクを加えます。
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7.1.4:同じように、7.1の上にマイクを4本加えます。


ということで、現在ではこの「11チャンネル」での録音が、このレーベルで採用している最高のフォーマットになっています。こうなると、もう5.1までしかサポートされていないSACDでは再生できませんから、メディアはBD-Aになります。
しかし、今回はたった5人のアンサンブルということで、あえて「5.0」のフォーマットを採用しています。これで、5人の声は、それぞれ1本ずつのマイクに主に収録されることになりますね。それを再生すると、見事にフロントに3人、リアに2人のシンガーが立っているように聴こえてくるのです。
ここに収録されている2曲目、「Jeg er så glad hver julekveld(クリスマスイブは幸せな気持ちに)」は、こちらに映像がありますから、それを見るとだれがどのパートなのかがよく分かります。まず、全員暗譜なのがすごいですね。
最初にリア左からベース(アルト)のパターンが始まり、それを受けてフロントセンターがソロを歌います。そこにフロント左がベースの裏打ち、フロント右がカウンターメロディを加えます。残ったリア右は、ソリストとのハモリを入れます。
こうして聴いていくと、彼女たちの声は、それぞれに特徴があることがよく分かります。それが、ソロの時とハーモニーの時とでは全く歌い方を変えて、とろけるようなハーモニーの上に個性的なソロが展開されています。
こんな美しい歌声に囲まれるのはまさに至福のひと時、今年のクリスマスまで毎日聴いても飽きないぐらいです。

SACD Artwork © Lindberg Lyd AS

by jurassic_oyaji | 2019-01-15 23:06 | 合唱 | Comments(0)
SMITH/Requiem, KLEIBERG/Hymn to Love, The Light
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Trygve Seim(Sax)
Ståle Storløkken, Petra Bjøkhaug(Org)
Anita Brevik/
Nidarosdomens jentekor & TrondheimSokistene
2L/2l-150-SABD(hybrid SACD, BD-A)



このレーベルの音は、どんなアルバムでも無条件で凄いなと思われるものばかりでしたが、それをサラウンドで聴けるようになってくるとその凄さがさらに際立つことが分かります。というか、これを今までサラウンドで聴いていなかったなんて、なんてもったいないことをしていたなとしみじみ思います。
今回のアルバムも、録音の時の写真を見ると、いつもの教会でのセッションでは真ん中に立ったメインのアレイを囲むように、合唱や楽器が配置されている様子がよく分かります。
ここで演奏されているのは、いずれもこれが世界初録音となる、アンドルー・スミスの「レクイエム」と、その前後にストーレ・クライベルグの作品が1曲ずつです。スミスの作品では合唱のほかにアルト・サックスとオルガンが加わっていますが、クライベルクの場合は弦楽合奏も入ります。
3曲とも編成が異なっているので、サラウンドの音場もそれぞれ違えているのも憎い演出です。ある時はヴァイオリンが後ろから聴こえるかと思えば、別な曲では同じ場所にチェロがいたり、合唱も時には聴き手をすっかり囲むような配置になっていたりしますから、もうそれだけでうれしくなってしまいます。もちろん、DXDで録音された音そのものも、声や楽器の肌触りまでがはっきり聴こえてくるという、恐ろしく繊細なものですから、たまりません。
メインとなる「レクイエム」を作ったスミスは、1970年にイギリスのリヴァプールで生まれ、14歳の時に両親とともにノルウェーに移住した音楽家です。作曲家であると同時に、ノルウェーの出版社の合唱部門でも働いているのだそうです。
2011年に、ここで歌っているニーダロス大聖堂少女合唱団からの委嘱によって作ることになった「レクイエム」は、その年の7月にオスロと、その近郊のウトヤ島で起こった連続テロでの犠牲者を悼むためのものでした。同じ年の3月に起こった大惨事の陰になってしまって、日本の人にはほとんど関心を持たれなかったような気がしますが、なんでも一人の男が77人もの命を奪ったという無差別殺人事件だったのだそうです。特に、その中に、この合唱団の団員と同じ世代の人たちが多数いたことも、この委嘱の発端となっていたのでしょう。
この作品、合唱はグレゴリオ聖歌などが素材として使われていて、とても美しい曲が並びます。テキストは本来の「レクイエム」の歌詞以外にも、聖書からの言葉、例えば詩編23の「神は私の羊飼い」なども使われています。そのピュアな響きを聴いているだけでとても癒される曲なのですが、そんな穏やかな雰囲気をぶち壊すかのように、ジャズ・サックス・プレーヤーのソロが頻繁に入ってきます。時には、やはりジャズ畑のオルガン奏者と、かなり長いインプロヴィゼーションを行ったりもしています。それは、音楽的にはまさに水と油、正直何でこんなことをしたのか、作曲家のセンスを疑うような組み合わせなのです。しかし、おそらくこれは、作品の成り立ちにも関わったあの非人道的な行いに対する抗議の意味が込められていると取るべきなのでしょう。美しいものを際立たせるために、あえて醜いものを配したのだ、と。
とは言うものの、実際にここまでしつこく、生々しいサックスの音を聴かされると(せっかくの超ハイレゾ録音で、こんな汚い音は聴きたくありません)、もうやめてほしいと思ってしまいます。こんなことをしなくても、もっとまっとうな形で惨事を伝えることは、才能のある作曲家にとってはそれほど難しくはないはずでは、と思うのですが。
最後の「In paradisum」は、もろグレゴリオ聖歌が使われた結果、それはデュリュフレの同じ曲と酷似することになってしまいました。そんなところも、ちょっと芸がなさすぎます。
その「額縁」としての役割で作られた1958年生まれのノルウェーの作曲家、クライベルグの2つの作品の方が、音楽的な密度ははるかに高いような気がします。

SACD & BD © Linberg Lyd AS

by jurassic_oyaji | 2019-01-10 21:30 | 合唱 | Comments(0)
FAURÉ, DURUFLÉ/Requiem
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Julie Boulianne(MS), Philippe Sly(Bar)
Les Pettits Chanteurs du Mont-Royal
Jonathan Oldengarm(Org), Elinor Frey(Vc)
Jean-Sébastien Vallée/
Chœur de L'Eglise St.Andrew and St.Paul
ATMA/ACD2 2779



フォーレとデュリュフレの「レクイエム」をカップリングしたアルバムは珍しくありませんが、それがどちらもオルガン伴奏というものは、ありそうでなかなかありませんでした。これは、そんな、ちょっと珍しい編成のアルバムです。
デュリュフレの場合は、作曲者自身が作ったオルガン伴奏によるバージョンが出版されています。これには、オプションとして「Pie Jesu」に独奏チェロが加わっていて、ほぼすべての録音でそれは守られています。
しかし、フォーレの場合は、オーケストラのための多くのバージョンが残されていますが、自身でオルガン用に編曲したものはありません。一応ヴォーカル・スコアにはピアノのためのリダクションが付いています(実がいっぱい入ってるんですよね・・・それは「具沢山」)が、それは最も頻繁に演奏されているバージョンのオーケストレーションを行った弟子のジャン・ロジェ=デュカスが作ったものですし。
この録音は、2018年の4月と5月にカナダのモンレアル(モントリオール)にある聖アンデレ&パウロ教会で行われました。この年は、第一次世界大戦が終わってから100年という記念の年だったのですが、ここではその大戦で犠牲になったこの教会に関連した人々への追悼の意味が込められているのだそうです。合唱はこの教会の合唱団ですが、それ以外に「モン・ロワイヤル少年合唱団」の団員が7人参加しています。この子たちは「ソリスト」扱いになっていますね。もちろん、オルガンはそこにある1931年に作られた7000本のパイプを持つ楽器です。
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このオルガン、写真(演奏は別の人)で見ると本体は聖堂の真正面の祭壇の上に設置されているようですね。水平トランペット管のようなパイプが突き出しているのも見えます。コンソールはそこからかなり離れた場所に設置されていますから、電動アクションなのでしょう。
曲が作られた順に収録されているこのCDを聴き始めると、まずフォーレの曲の「Introït et Kyrie」が流れてきます。この曲の冒頭はオリジナルでは弦楽器と管楽器のユニゾンでアクセントが付いたフォルテシモの音にピアニシモまでディミヌエンドをかけるようになっています。ただ、それをオルガンで演奏するときには、特別な装置(「スウェル」といいます)がない限り、途中でストップを減らしていくしかありません。つまり、音の出るパイプの本数を減らしていくのですね。それが、この演奏でははっきりわかってしまいます。音が階段状に小さくなっていき、そのたびに音色までガラッと変わってしまうのですよ。これほど気持ち悪いものもありません。
それだけではなく、それ以降の曲でもストップの選択がなんとも異様なんですね。しっとりとしたメロディで歌い上げるはずのフレーズを、とても目立つリード管あたりを使って朗々と響かせているのは、勘違いとしか思えません。そして、その演奏自体もなにかフットワークの悪いモタモタした感じで、安心して聴いていられません。
メインの合唱団は、プロの歌手とアマチュアが一緒に歌っている団体なのだそうですが、まあそつなく歌ってはいるのですが、なにか合唱として最低限必要なものに欠けているという印象は最後までぬぐえませんでした。全員で揃って歌う分にはそれほどアラは目立たないのですが、パート・ソロになってくるとなにか方向性が定まっていないような気になってしまいます。
少年合唱は、フォーレでは「Pie Jesu」のソロを任されていました。これも、一人で歌わせるには心もとないので、何人か集めて一緒に歌わせた、という次元の発想からの人選のように思えてなりません。
両方の曲で大活躍のバリトン・ソロは、とても立派な声で安心して聴いていられました。ただ、この人もいまいち表現の詰めが甘いというか、少し雑なところがありますね。
この2つの名曲から、真の穏やかさを感じさせるためには、何が必要なのかを教えてくれたアルバムでした。

CD Artwork © Disques Atma Inc.

by jurassic_oyaji | 2019-01-08 23:13 | 合唱 | Comments(0)
HARBISON/Requiem
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Jessica Rivera(Sop), Michaela Martens(MS)
Nicholas Phan(Ten), Kelly Markgraf(Bar)
Giancarlo Guerrero/
Nashville Symphony Chorus and Orchestra
NAXOS/8.559841


1938年生まれのアメリカの作曲家、ジョン・ハービソンが2002年に完成させた「レクイエム」です。アメリカの現代作曲家と言ったらレナード・バーンスタインとスティーヴ・ライヒぐらいしか思い浮かばないので、もちろん初めて聞いた名前の方です。ただ、その経歴を見ると「1987年にピューリッツァー賞を受賞」とありますから、アメリカ国内では有名な方なのでしょうね。
でも、その「ピューリッツァー賞」って、確かに有名ですが、普通はその賞はジャーナリズム関係者に対する賞だったような気がするので、作曲家がそれをもらったというのには、何か違和感がありませんか。いや、実際はだいぶ前からこの賞の「作曲部門」というのはあったそうで、それこそコープランドやアイヴズといった人たちも受賞していたようですし、最近ではさっきのライヒも受賞していましたから、それなりのステータスではあるのでしょう。ただ、今年の受賞者がラッパーのケンドリック・ラマーだったというのは、どうなんでしょうね。そもそもラッパーって「作曲家」なんでしょうか。ただ辛いだけじゃないですか(それは「ペッパー」)。個人的な印象では、彼らは音楽的な作業は何一つしていないような気がするのですが。というより、過去に受賞した「クラシック」の「作曲家」たちは、自分の業績がラップと同じ評価基準で審査されたことで、気分を害したりはしなかったのでしょうかね。
そんな過去の受賞者であるハービソンが「レクイエム」を作り始めたのは、1985年だったのだそうです。完成するまでに17年もかかっていたのですね。ただ、その間の1995年には、あのヘルムート・リリンクがシュトゥットガルト・バッハ・アカデミーで行った「和解のレクイエム」のプロジェクトに参加していたそうです。確かに、そのCDのジャケットには彼の名前がありますね。
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これは、世界中から集まった全部で14人の作曲家が分担して、第二次世界大戦の犠牲者を悼むために作られた、まさに「国境を越えた」プロジェクトで、日本からは湯浅譲二が参加していましたね。この中でハービソンが担当したのは、「Dies irae」の中の「Juste judex」から「Confutatis」の前までの部分のテキストです。前半はバリトン・ソロがバルカローレ風のオーボエのオブリガートに乗った穏やかなメロディを歌いますが、変拍子によるピアノ、グロッケン、ハープの間奏の後はメゾ・ソプラノのソロで無調っぽい旋律が歌われ、そのあと荒々しいオーケストラの間奏を挟んで、ソリが歌う、というものでした。
彼は、自らの「レクイエム」では、その前に「Ricordare」から始まるテキストを加え、それをソプラノとテノールのソロに歌わせ、最後のソリは合唱に直しています。
最終的には、ボストン交響楽団からの委嘱に応える形で全曲を完成させ、2003年3月6日にベルナルド・ハイティンク指揮のボストン交響楽団によって初演されました。
全曲は1時間弱の演奏時間、「Offertorium」の前で一旦音楽は終わり、その前後のパートは全く休みなく演奏されます。
始まりの「Introit」は、なんとも不安を誘われるような雰囲気です。というのも、ベースの音がとても気持ち悪いピッチで他のパートと合っていないんですね。これはおそらく意図されたもの、「多調」という手法なのでしょうが、その上で歌っている合唱はそれに合わせているのか、あるいはもともととてもヘタなのかは分からないような歌い方なので、聴くものにしてみればどのようなスタンスで対峙すべきかが分からなくなってしまいます。
全体の音楽は、ほぼそんな感じ。作曲家の目指しているものが今一つよく分からないために、最後までその音楽に浸ることが拒否されているような感じが付いて回ります。
そんな中で、たとえば「Sanctus」などは、とても分かりやすい7拍子の明るい曲調なので、さらに戸惑いは募ります。なによりも、合唱の主体性がまるで感じられないいい加減な歌い方が、もしかしたらあったのかもしれないこの曲の魅力をぶち壊しています。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

by jurassic_oyaji | 2018-11-17 21:19 | 合唱 | Comments(0)
SOMMERRO/Ujamaa, The Iceberg
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Lena Willemark(Voc), Jon Pål Inderberg(Sax), Rik Geyter(B. Cl)
Espen Aalberg(Perc), Eir Inderhaug(Sop), Florian Demit(Bar)
Ingar Heine Bergby/
Trondheim Symphony Orchestra and Choir
2L/2L-146-SABD(BD-A, hybrid SACD)


ヘンニング・ソンメッロという、1952年生まれのノルウェーの作曲家の2曲の作品が収録されているアルバムです。このレーベルの超高音質録音に対応するために、例によって同じ内容のBD-AとSACDの2枚組です。
この作曲家、全く聞いたことのない名前ですが、ノルウェー国内では広く知られているのだそうです。彼がそもそも最初に作ったのは「タンゴ」なのだそうですが、それ以降ありとあらゆる音楽ジャンル、いや、それ以外の分野にも幅広く視野を広げて、多くの作品を世に送り出しています。
ここでは、フル・オーケストラに声楽のソリストが加わった、いわゆる「カンタータ」というフォルムを持つ作品が取り上げられています。なによりも、そのスペクタクルな音楽をより生々しく味わえるように、このレーベルならではの、おそらく今の時点では最も洗練された形に進化しているサラウンド録音のためのノウハウを駆使してのレコーディングが行われていますから、それをきちんとしたサラウンド・システムで体験する時にこそ、作曲家と製作者の思いがきっちりと伝わってくるはずです。
まずは、2008年に作られた「ウジャマー」という作品です。伴淳三郎ではありません(それは「アジャパー」・・・知らないだろうな)。これは、ジャズ・フェスティバルからの委嘱で作られたもので、ソリストとしてジャズのサックス奏者が起用されています。それ以外にもバス・クラリネットとジャズ・パーカッション、そして、スカンジナビアの民族唱法で、元々は放牧している家畜を呼ぶための発声法だった「クルニング」の使い手、レーナ・ヴィッレマルクも加わっています。
このタイトルは、スワヒリ語で「仲間」というような意味を持つ言葉だそうです。全体は「ヨーロッパ」、「アフリカ」、「アメリカ」、「アジア」、「オーストラリア」そして「フィナーレ」の6つの部分からできていて、演奏時間は40分を超える大曲です。
まず、サラウンドのオーケストラのなんともノーテンキなトゥッティに続いて、とても存在感を持って聴こえてくるのが、ヴォーカルのヴィッレマルクの声です。それはしっかりセンターに定位していて、かすかな呟きから力強い叫び声まで、細かいニュアンスをもってくっきりと伝わって来ます。彼女の声の質、そして歌い方は、オーケストラの響きとはまるで異なる別世界のようなたたずまい、そこにはクラシック音楽とは全く相容れない空間が広がります。
そこに、やはり同じような存在感でサックスとバス・クラリネットが登場します。この二人、特にサックスはもろジャズの世界を繰り広げます。彼らは、時にはパーカッションとも関わって、ひたすらジャズの空間を主張しています。
一方では、リア寄りのセンターに定位しているパーカッショニストは、オーケストラの後方の左右に陣取った2人の打楽器奏者とも密接な関係を築いていて、リズム的な核となっています。
そんな多層的な空間で、多層的な音楽が提供されるというのが、この曲の形です。それぞれのタイトルでは微妙に用いられている素材が異なり、多様性を発揮しています。特に「アメリカ」の楽章では、いかにもなシンコペーションとキャッチーなテーマの応酬で、もしかしたらこの地域の音楽的な「貧しさ」を表現しているのかもしれません。
もう1曲、2003年に現在では「北極・室内フィル」として知られるオーケストラの前身だった、トロムソ室内オーケストラによって初演された「氷山」は、「太陽」、「氷」、「海」、「戦い」、「展望」という5つの楽章で出来た20分ほどの曲です。それぞれの楽章にソプラノ・ソロ、バリトン・ソロ、そして混声合唱が加わり、こちらはより「クラシカル」なテイストが醸し出されています。
いずれにしても、音楽そのものよりは「音響」をしっかり味わいたくなるアルバムです。そのためには、SACDではなくぜひBD-Aを聴いてほしいものです。

BD & SACD Artwork © Lindberg Lyd AS

by jurassic_oyaji | 2018-11-06 23:25 | 合唱 | Comments(0)