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カテゴリ:合唱( 735 )
Edvard Grieg Kor Sings Grieg
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Audun Iversen(Bar)
Håkon Matti Skrede, Paul Robinson/
Edvard Grieg Kor
CHANDOS/CHSA 5232(hybrid SDCD)



ノルウェーの大作曲家の名前を冠して2002年にベルゲンで創設されたエドヴァルド・グリーグ合唱団は、基本的には8人編成のア・カペラ混声合唱団です。ただ、演奏する曲目によって、ゲストを迎えて大きめの人数になることもあるようですね。今回の彼らのデビュー・アルバム(いままで、アルバムは出していなかったんですね)でも、オリジナルの8人での演奏と、さらに8人が加わった16人での演奏の2種類の形態を聴くことができます。
まずは、増員された編成、この合唱団の指揮者であるホーコン・マッティ・スクレーデの指揮でグリーグの「4つの詩編」というバリトン・ソロを伴うア・カペラの合唱曲です。そのシンプルなメロディは、スカンジナビアの情緒たっぷり、まさにグリーグの作品にはたびたび登場して彼の音楽のテイストに重要な意味を持たせている要素そのものです。
次の3曲は、2015年にこの合唱団に加わったイギリス出身のテノール、ポール・ロビンソンがグリーグ以外の作曲家の曲をこの合唱団のために編曲したものです。指揮も、ロビンソン自身が行っています。
まずは、グリーグの遠い親戚(母方の伯母さんが結婚した相手の兄弟)という間柄の作曲家でヴァイオリニストのオーレ・ブルが作ったヴァイオリン・ソロと弦楽合奏のための作品「セーテルの娘の日曜日」です。ここではメンバーによるアルト・ソロが加わります。
次は、ノルウェーの伝承曲「夜更けて床についた」です。これは、ジャズ・コーラスのようなテンション・コードが使われたとてもモダンなアレンジです。
そして、グリーグの友人で、彼のピアノ協奏曲を3回演奏したこともあるピアニスト、アガーテ・バッケル・グロンダールが作った「夜は静まり」という歌曲が続きます。彼女は作曲家としても400曲ほどの作品を残しています。この民族的な美しいメロディを持つ曲を、ロビンソンはソプラノとバリトンのソロを伴う合唱曲に編曲しました。ここでのソロも、メンバーが担当しています。
ここで、デイヴィッド・ラングという現代アメリカの作曲家の「Last Spring」という作品が登場します。これは、グリーグの弦楽合奏のための作品として非常に有名ですが、もともとは歌曲だったものをやはりグリーグ自身が編曲したものです。その歌曲のテキストを使って、新たにラングがこの合唱団のために作った合唱曲が、ここでは歌われているのです。それは、この作曲家の持ち味である少ない音で表現された静謐さを持つものです
最後の2曲は、またグリーグの作品に戻ります。まずはピアノ伴奏の付いた歌曲として作られた「Ave Maris Stella(めでたし海の星よ)」を、グリーグ自身が編曲したものです。ここではメンバーは倍増、指揮はスクレーデです。
そして、最後を飾るのが、グリーグのピアノ曲を、やはりグリーグ自身が弦楽合奏に編曲したものが広く知られている「ホルベアの時代から」という組曲を、ジョナサン・ラスボーンがこの合唱団のために編曲したものです。
このラスボーンという人は、こちらにあるように、あの「スウィングル・シンガーズ」のリーダーを、創設者であるウォード・スウィングルから引き継いだ方です。ですから、ここではその「スウィングル」のスタイルである「ダバダバ」というスキャットで歌われています。
もともと、スウィングルはバッハの器楽曲をコーラスで演奏するために、このスタイルを取り入れたのですから、その時代の音楽を模倣したとされるこのグリーグの作品にそれを当てはめるのは、理にかなったことには違いありません。メンバーもその「スウィングル」と全く同じ編成ですし。しかし、この編曲はなんとも悲惨な結果を招いているのではないでしょうか。これは、半世紀以上前に大ブームを巻き起こしたものが、今の時代にも通用すると考えてしまったラスボーンの勘違いから産まれた駄作以外の何物でもありません。木でも切っててください(それは「与作」)。

SACD Artwork © Chandos Records Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-05-25 22:03 | 合唱 | Comments(0)
ROSSINI/Petite Messe Solennelle
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Eleonora Buratto(Sop), Sara Mingardo(Alt)
KennthTarver(Ten), Luca Pisaroni(Bas)
Tobias Berndt(Org)
Gustavo Gimeno/
Wiener Singakademie, Orchestre Philharmonique du Luxembourg
PENTATONE/PTC 5186797(hybrid SACD)


ロッシーニの最晩年にパリで作られた「Petite Messe Solennelle」というフランス語のタイトルの作品は、「小ミサ・ソレムニス」、あるいは「小荘厳ミサ」とも訳されます。「小」と「荘厳」という相容れない言葉がタイトルに混在していることについては、ロッシーニのジョークなのではないかなどと言われているようですが、そうではありません。
「荘厳ミサ」というのは、ベートーヴェンの作品で有名ですが、そのような大規模なミサのために作られた音楽です。そのためには、ミサの通常文がすべて含まれていることが必要になってきます。それに対して、前半の「Kyrie」と「Gloria」しかない「短い」ミサは「ミサ・ブレヴィス」と呼ばれています。
そして「小」というのは、そのような大規模な作品で、演奏時間は1時間半近くかかるというのに、編成はたった12人の歌手(ソリスト4人と、各パート2人ずつの混声四部合唱)と、ピアノ2台とハルモニウムだけという「小さな」ものだからです。
しかし、後にロッシーニはオーケストラのためのバージョンを作り、それに合わせて合唱も増員しています。このSACDで演奏されているのはその形、ですから、本当はタイトルから「Peteite」は外した方が良いのでしょうけどね。
これまでに最初のバージョンは何度か聴いたことがありますが、オーケストラ・バージョンを聴くのは今回が初めてです。それは、「Kyrie」が始まった時に、ヒメノが指揮をするルクセンブルク・フィルがとても起伏に富んだ雄弁な演奏を聴かせてくれたことによって、それまでのものがいかにショボいサウンドだったかが明らかになりました。この頃のロッシーニは、きらびやかなオペラの世界からはすっかり足を洗って、内省的な宗教曲の世界を追求していたのでしょうが、やはり聴いている人を楽しませようとする精神は失われてはいなかったのでしょうね。ここでは、真ん中の「Christe eleison」ではそのオーケストラが黙り、合唱だけのア・カペラになります。その対比も絶妙です。その合唱の中からは、ルネサンスあたりから脈々と受け継がれてきた合唱音楽のエキスまでをも感じることが出来ました。
そういえば、「Gloria」や「Credo」の最後の合唱などでは二重フーガも用いられています。これも、やはり古典やバロックへの回帰を目指したもの、あるいは、すでにそのようなことを行っていたハイドンやモーツァルトへのオマージュなのかもしれませんね。
4人のソリストたちも、アリアとアンサンブルで大活躍です。なんでも、ロッシーニがこの曲を作った動機の一つに、彼の昔の作品「セミラーミデ」がパリでリバイバル上演された時に歌っていた若い姉妹歌手、バルバラ・マルキジオ(姉・メゾソプラノ)とカルロッタ・マルキジオ(妹・ソプラノ)の存在があったということで、この二人のためのナンバーはとても美しいものです。最後の曲「Agnus Dei」では、バルバラを想定してか、とてもしっとりとした合唱との受け答えが用意されています。ここで歌っている二人は、ソプラノのエレオノーラ・ブラットがかなり暗めの声で、アルトのサラ・ミンガルドと区別がつかないほど、この二人がハープをバックに歌う「Qui tollis peccata mundi」は絶品です。
テノールを歌っているのは、以前モーツァルトのオペラで素晴らしいドン・オッターヴィオやフェランドを聴かせてくれたケネス・ターヴァーです。ここでも「Domine Deus」のアリアを、伸びのある声で楽しませてくれました。
ただ、バスの人はいまいち、他の3人のような流れが感じられませんでした。
この作品では、ミサ曲なのに1曲だけインスト・ナンバーが入っています。それが、「Credo」の最後の曲の次に演奏される「Preludio religioso - Ritornello」です。後半にはオルガンのソロもフィーチャーされていて、オーケストラ・バージョンならではの荘厳感が味わえます。この後アタッカでア・カペラの「Sanctus」が聴こえてきた瞬間には、極上の音楽に接した時の感動が確かにあったかな

SACD Artwork © Orchestre Philharmonique du Luxembourg & Pentatone Music B.V.

by jurassic_oyaji | 2019-04-30 21:11 | 合唱 | Comments(0)
VERDI/Requiem
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Dinara Alieva(Sop), Olesya Petrova(MS)
Francesco Meli(Ten), Dmitry Belosselskiy(Bas)
Yuri Temirkanof/
Bolshoi Theater Chorus(by Valery Borisov)
St.Petersburg Philharmonis Orchestra
DELOS/DE 3564



ロシア出身で、世界的に活躍していたバリトン歌手、ドミトリー・ホロストフスキーが、まだ55歳の若さで亡くなったのは2017年11月22日のことでした。そんな予言があったのでしょうか(それは「ホロスコープ」)。美しい銀髪と端正な顔立ちというイケメンさと、理知的な歌い方で全世界のオペラハウスで引く手あまたの歌手でしたね。
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そんなホロストフスキーを追悼するために、それから一月も経っていない12月19日にサンクト・ペテルブルク・フィルハーモニアで開催されたのがこのコンサートです。演奏されたのはヴェルディの「レクイエム」ですが、この、まさに「ロシアの英雄」の追悼演奏を担ったのは、ロシアの指揮者とロシアの合唱団、オーケストラ、そしてソリストは一人を除いてロシア人でした。
オーケストラはサンクト・ペテルブルク・フィル、かつては「レニングラード・フィル」という名前で、ムラヴィンスキーの指揮の下で一糸乱れぬ演奏を披露していたスーパー・オーケストラですね。そのムラヴィンスキーも1988年には亡くなり、その後を継いだのがここで指揮をしているユーリ・テミルカーノフです。しかし、この指揮者には前任者のようなカリスマ性はなく、やがて来る「ソ連崩壊」という動乱の時期もあって、最近ではめっきり存在感が薄れているようでした。同じ街にはマリインスキー劇場管弦楽団という、こちらは現代のカリスマ、ゲルギエフに率いられたオーケストラもありましたからね。
今回の録音で久しぶりに聴いたこのオーケストラは、以前とはだいぶ様子が変わっているようでした。全体の響きがとても柔らかく、なにか温かみさえ感じられるものになっていたのです。管楽器などはかなり自由にそれぞれの歌いまわしを披露しているようでしたね。その分、迫力が少し薄れたような気がしますが、そのあたりはおそらく世界中の趨勢に従った傾向なのかもしれませんね。ですから、ロシアのオーケストラというよりは、インターナショナルなハイレベルのオーケストラ、という感じになってきているのではないでしょうか。
合唱は、モスクワのボリショイ劇場の合唱団です。こちらは、オーケストラとは対照的にもろ「ロシア的」な響きで迫ります。なにしろ、ダイナミックレンジがとてつもなく大きくて、ささやくようなピアニシモから、まさに大地を揺るがすようなフォルテシモまで、自由自在に出てきます。そのフォルテシモでのサウンドは、ベースあたりはもしかしたら「オクタヴィスト」が加わっているのでは、と思わせられるほどのものすごい低音を聴かせてくれていますからね。
しかも、決してそんな力で押し切る演奏ではなく、普通の合唱団のライブ録音だったら興奮のあまりリズムがいい加減になってしまうような楽譜の細かいところも、きっちりと歌っていますからすごいものです。
ここでの合唱指揮のヴァレリー・ボリソフは、レニングラード音楽院で合唱指揮と、オペラ/オーケストラ指揮を学び、1988年から2000年まではマリインスキー劇場の合唱指揮者を務めていました。2003年からはこのボリショイ劇場の合唱指揮者になっています。彼はボリショイで、「エウゲニ・オネーギン」の指揮者(もちろん全体の)を任されたこともあるそうです。
そして、ソリストたちもとても立派な声で、この音楽をまさに「劇的」に盛り上げます。一人だけイタリア人のフランチェスコ・メーリだけは、ほんの少しお上品なところが感じられますが、それはあくまでほかの3人のとてつもない存在感と比較してのことですから、全体としてはもう圧倒されっぱなしのソロ、そしてアンサンブルを味わうことができます。
中でも、ソプラノのディナーラ・アリエワは、高音はもちろん、「Libera me」では誰しも苦労している低音を朗々と響かせているのには脱帽です。
これは、そんな、とても威勢の良い「レクイエム」、そこにはホロストフスキーの死を悲しむような湿っぽさは、微塵もありません。

CD Artwork © Delos Pruductions, Inc.

by jurassic_oyaji | 2019-04-28 20:33 | 合唱 | Comments(0)
DURUFLÉ/Complete Choral Works
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Ken Cowan(Org)
Robert Simpson/
Houston Chamber Choir
SIGNUM/SIGCD571



パリのノートルダム大聖堂の火災がらみで、ここのオルガンがこのところテレビのニュースなどによく登場しますが、1902年に生まれて1986年に亡くなったフランスのオルガニスト、作曲家のモーリス・デュリュフレもこのオルガンとは少なからぬ縁がありました。パリ音楽院で作曲とオルガン演奏を学んだデュリュフレは、1927年にノートルダム大聖堂のオルガニストで作曲家でもあったルイ・ヴィエルヌの助手となったのですね。ですから、彼はヴィエルヌが演奏する時に横にいてこのオルガンのストップ操作などを行っていたのです。さらにヴィエルヌはゆくゆくは自分の後継者にデュリュフレを、と考えていましたから、もしかしたらそのままここのオルガニストになれたかもしれませんね。
しかしデュリュフレは、1929年に同じパリのサン・テティエンヌ・デュ・モン教会のオルガニストに就任し、長くその地位にいてオルガニストとして活躍することになるのです。
彼は、プーランクがオルガン協奏曲を作るときには助言を行い、1939年の初演ではオルガン・ソロを演奏しています。さらに、彼の演奏は多くの録音で聴くことが出来ます。その代表的なものはジョルジュ・プレートルがサン・テティエンヌ・デュ・モン教会で1961年に録音したそのプーランクの協奏曲と、1963年に録音したサン・サーンスの「交響曲第3番」でしょうか。サン・サーンスの録音は、オルガンとオーケストラのピッチが全然合っていないということでも有名ですね。
さらに、彼の代表作「レクイエム」がデュリュフレ自身の指揮で初めて録音された時も、この教会のオルガンが使われていたのでしょうね。その時にオルガンを演奏していたのは、彼の妻で同じ教会のオルガニスト、マリー=マドレーヌ・デュリュフレ=シュヴァリエでしたから。このレコードには録音場所のクレジットはないのですが、ジャケットの写真もサン・テティエンヌ・デュ・モン教会の祭壇ですから、間違いないでしょう
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作曲家としてのデュリュフレは、作品はきわめて少なく、生前に出版されたものは14曲しかありません。今回のCDに収録されているのは、その中の合唱のための作品のすべてです。「レクイエム」が作品9で1947年に作られていますが、その次の作品10である「グレゴリオ聖歌の主題による4つのモテット」が作られたのは1960年ですから、職業作曲家としては「空き過ぎ」ですよね。
このCDで演奏しているのは、1995年にここで指揮をしているロバート・シンプソンによって作られた「ヒューストン室内合唱団」という、初めて聴くアメリカの団体ですが、プロデューサーが、すでに他の団体で「レクイエム」のアルバムも作っていたブラントン・アルスポーなんですね。果たして、その手腕は。もちろん左投でしょうね(それは「サウスポー」)。
最初に演奏されているのが作品11(1966年)の「ミサ・クム・ユビロ」です。これは、合唱のバリトン・パートだけがユニゾンで歌って、そこにオルガンの伴奏が入るという曲です。実際に歌っているのはバリトンだけではなくほとんどの男声パートのメンバーなのでしょう。その声は、あくまでもソフトでなめらかです。それが、デュルフレのとても手の込んだオルガン伴奏に乗って、とてもさわやかに流れています。
次は、無伴奏の混声合唱のための「グレゴリオ聖歌の主題による、4つのモテット」と、最後の作品である「われらの父よ」作品14(1978年)です。これはもう、ア・カペラのお手本のような全く隙のないハーモニーで迫ります。女声の音色もとてもピュアでうっとりさせられます。
ところが、肝心の「レクイエム」になると、そんな美点がすべて裏目に出ているという感じ。この作品はただきれいに歌っただけでは何の感銘も与えることはできないことを、如実に証明してくれました。
アルスポーは、先ほどのアルバムではもっと深みのある音楽をプロデュースしていましたから、これはあくまでこの合唱団の資質なのでしょうね。

CD Artwork © Signum Records

by jurassic_oyaji | 2019-04-20 09:57 | 合唱 | Comments(0)
JACKSON/The Passion of Our Lord Jesus Christ
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Emma Tring(Sop), Guy Cutting(Ten)
Benjamin Nicholas/
Choir of Merton College, Oxford
Oxford Contemporary Sinfonia
DELPHIAN/DCD34222



1962年生まれのイギリスの人気作曲家、ガブリエル・ジャクソンの最新作、「われらが主イエス・キリストの受難」の、世界初録音盤です。この曲は、ここで演奏しているオクスフォード・マートン・カレッジ合唱団からの委嘱によって作られました。タイトルのようにこれは「受難曲」です。ただ、現代では例えば「レクイエム」というタイトルで作られた曲でも、かつての「レクイエム」とは構成やテキストが異なっているように、この「受難曲」も、バッハあたりの「受難曲」とは全く様変わりを見せています。
とは言っても、キリストの受難を題材にしたという点では何ら変わることはありません。この曲でも、そんなキリストの晩年の様子を記した新約聖書の福音書からの引用もしっかり使われて、「ストーリー」の骨子はきちんと押さえられています。そのほかに、どこかで聴いたことのあるようなラテン語のテキストとか、さらには最後の曲にはT.S.エリオットの詩からの引用が用いられています。彼はこのカレッジの卒業生なのだそうです。
演奏家は、ソプラノとテノールのソリストに合唱団、そして10人編成の楽器のアンサンブルが加わります。弦楽器はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスというまっとうな編成ですが、管楽器がピッコロ(アルトフルート持ち替え)、ソプラノサックス(アルトサックス持ち替え)、バスクラリネット、ホルンというちょっと変わった4人、そしてそこにハープと打楽器が加わります。
サックスが加わっていた時点で、このアンサンブルが古典的な響きからはかけ離れたサウンドを聴かせることは予想できました。まずは第1曲目の「Palm Sunday」で、そのソプラノサックスが奏でる素っ頓狂なフレーズに、強烈なインパクトを与えられるはずです。それはまるでジョリヴェの音楽のように、あたかも土俗的な見せかけをまとっているようで、実は心の深いところをわしづかみする力を持っています。
そして合唱も、それに呼応して、エネルギッシュこの上ないハイテンションの叫びを放っています。注目すべきは、メシアンかと思えるような変拍子、ジャクソンの創作ツールは、多岐に渡っていることがよく分かります。
それが、2曲目の「Anointing Bethany」になると、いとも穏やかで敬虔な音楽に変わります。そんな雰囲気を作り上げるのがハープとヴァイオリンでしょう。この2つの楽器が醸し出す平穏な世界に導かれ、合唱もさわやかな響きに変わります。
そのような対極の世界を繰り広げつつ、この受難曲は聖書にある最後の晩餐から磔までに至るキリストの最後の受難の物語を淡々と語り続けます。それぞれの曲は、3曲目「Last Supper and Footwashing」、4曲目「Gethsemane」、5曲目「Caiaphas, Peter and Pilate」、6曲目「Crucifixion」と別れていて、そこではソリスト以外にも、合唱団のメンバーがペテロやピラトといった登場人物となって音楽に参加しています。
そして、最後を締めくくる7曲目が、先ほどのT.S.エリオットの詩を素材にした「The End and Beginning」です。それは、いとものどかな情景が見えてくる音楽でした。ここでは、キリスト教の「受難」を超えたところでの、普遍的な世界観が語られているようです。しかし、チューブラー・ベルが鳴り響く中、次第に曲は盛り上がり、切実な訴えかけが伝わってくるようです。この曲の最後に、ピッコロによってマーラーの「交響曲第1番」の中のテーマが演奏されているのは、なにかのメタファーなのでしょうか。
ですから、この受難曲の中には決して十何曲もあるわけではありません。
ソリストの2人は、それぞれ多くの合唱団のメンバーとして活躍してきた人たちです。作曲者は、おそらくそのような人を想定してこのパートを書いたのでは、と思えるほど、彼らのここでの歌い方はソリスティックなものからは遠いところにあります。
そんなソリストと合唱は、付かず離れずの関係を保ちながら、この「受難曲」のユニークさを的確に伝えてくれています。

CD Artwork © Delphian Records Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-04-13 23:41 | 合唱 | Comments(0)
FAURÉ/Requiem
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Mathieu Romano/
Ensemble Aedes
Les Siècles
APARTE/AP201



あの「レ・シエクル」がフォーレの「レクイエム」を録音したというので、さっそく入手してみたら、指揮者はいつもこのオーケストラを指揮していたロトではありませんでした。というより、ここでの主役はオーケストラではなく合唱団だったのです。その合唱団とは、ロトとレ・シエクルがラヴェルの「ダフニスとクロエ」を録音した時に共演していた「アンサンブル・エデス」です。彼らとレ・シエクルは言わば仲間、今回は合唱団がその仲間のオーケストラを呼んだ、という形なのでしょうね。
この合唱団は2005年に、今回の指揮をしているマテュー・ロマーノによって創設されました。メンバーは全てプロフェッショナルな歌手たちです。今回のフォーレでは、ソリストも合唱団のメンバーが務めていますから、そのレベルの高さはかなりのものがあります。
レパートリーは多岐に渡り、有名な合唱曲はもとより、非常に珍しい作品も演奏し、時代的にも現代までの5世紀に及ぶ作品を取り上げています。もちろん、出来たばかりの新しい作品を演奏することもあります。
このCDのブックレットには、44人のメンバーがクレジットされています。ただ、ここではフォーレの他にプーランクとドビュッシーの作品が収録されていますが、それぞれのメンバーが微妙に変わっていますから、曲の編成に応じてフレキシブルにメンバーを集めているのでしょう。
指揮者のロマーノは、常々ロトとの共同作業を行っていて、オーセンティックな演奏を目指しているようです。今回の録音でもレ・シエクルのメンバーはしっかりこの曲が初演された時代の楽器を使っています。ただ、ご存知のようにこの曲では何度か改訂が行われてその都度曲の編成やオーケストレーションが変わっていますから、何をもって「初演」とするかは微妙です。
ここでは、しっかり「1893年1月21日に演奏されたときの楽器編成」と表記されており、楽譜については「1893年稿」とありますから、その時点、つまり「第2稿」が初演された時になるのでしょう。厳密なことを言うと、その時には「Offertoire」の両端の「O Domine」の部分は演奏されていなかったはずですが(その時の演奏を再現したものがこちらです)、ここではそれも含めて演奏されているのがちょっと謎です。このあたりは諸説あるようですから深くは追及しないでおきましょう。
ここで実際に使われている楽譜は、何の表示もありませんがその「1893年稿」のうちの「ネクトゥー/ドラージュ版」です。これを「ピリオド楽器」で演奏したものは、そもそもこの版の楽譜で演奏されて最初に評判になった1988年のヘレヴェッヘによる録音と、先ほどのリンクの2014年のクロウベリーによる録音しかなかったはずですから、それだけでもこれは貴重なアルバムです。というか、もう一つの「1893年稿」である「ラッター版」ではそのようなピリオド志向の録音がないのは、楽譜自体がオーセンティックではないことの表れなのでしょうか。
合唱の方も、しっかり「ピリオド志向」となっているのは、ラテン語の発音が通常聴かれるものとは全く異なっていることでわかります。これは、かつてヘレヴェッヘが1900年稿(第3稿)を録音した時に行っていたことですね。
その合唱は、フランスの合唱団とは思えないほど、機能的な演奏を聴かせてくれていました。ほとんどビブラートはかけないピュアな音色で、ハーモニーは最初からピッタリ合っていますし、表現も的確です。まさに胸のすくような歌い方なのですが、逆に物足りなさを感じてしまうのは贅沢な悩みです。
それが、カップリングのプーランクの「人間の顔」と、ドビュッシーの「シャルル・ドレルアンの3つの歌」では、ガラリと変わって肉感的な表情をさらけ出しているのですから、すごいものです。ドビュッシーでは、なんと初稿での演奏、3曲目などは全く別物になっていました。プーランクでの最後の「ハイE」も完璧です。

CD Artwork © Little Tribeca・Aedes

by jurassic_oyaji | 2019-04-09 22:51 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Magnificat, HELMSCHROTT/Lumen
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S. Thornhill, M.Graczyk, S. Körber, A.Karmasin(Sop)
T.Holzhauser, F.Losseau(Alt), Markus Schäfer, Robert Seiller(Ten)
Andreas Matterberger, Kiklas Mallmann(Bas)
Theona Gubba-Chkheldze(Vn), Robert Helmschrott(Pf)
Franz Hauk/Simon Mayr Chorus, Concerto de Bassus
NAXOS/8.579049



バッハの「マニフィカト」の新しい録音だと思って聴いてみたら、それはバロックと現代の音楽を、同じミュージシャンたちが同じ時期に同じ会場で録音していたという驚くべきアルバムでした。
まずバッハの方は、最近はめっきり少なくなってきた、「1パート2人」という少人数の合唱で、その人たちがソロも歌うという形の演奏です。もちろん、オーケストラはピリオド楽器を使った「コンチェルト・デ・バッスス」という団体です。この名前は、バロック音楽の基本が低音(Bassus)だということで付けられたそうですから、バロック時代の作品を主に演奏しているのでしょう。
それは、早めのテンポでとても生きのいい演奏でした。アリアでは、ソリストたちはこの曲ではあまり聴いたことのない、大幅に装飾を加えた歌い方で、「バロック」を演出してくれています。
ただ、その人たちが合唱パートを歌う時になると、なにかソリストとしてのクセが出てきてしまって、ちょっと居心地が悪く感じられてしまいます。例えば、細かいメリスマなどを、あまり正確には歌わずに適当に切り上げてしまう、といったような歌い方ですね。
そして、2017年に作られた、ロベルト・マクシミリアン・ヘルムシュロットというドイツの作曲家の新作「ルーメン」が続きます。ブックレットにはこの1938年生まれの重鎮作曲家自身が執筆したコメントが掲載されていますが、どこから委嘱されたものなのかということには全く触れられていません。まあ、裏ジャケットには2017年の宗教改革500年のロゴなどが入っていますから、そのあたりの関係者からの委嘱なのでしょう。
ただ、ここでは、そんなキリスト教がらみのテキストだけではなく、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教という3つの宗教のコラボレーションという形を取っています。さらにそこには、ゲーテなどの詩人によるテキストも加わります。作品全体は「過去」、「現在」、「やがて来る時」という3つの部分からできていて、全てを演奏するには40分以上かかるという大作に仕上がっています。
ここで、オーケストラのメンバーはモダン楽器に持ち替え、現代のフルオーケストラの編成に拡大されます。特に、そこでは打楽器が広範にフィーチャーされて、とても派手なサウンドが繰り広げられています。
一応、「マニフィカト」に出演していたソリストたちによるソロのほかに、ここではちゃんとした合唱も加わります。それは、「ジモン・マイール合唱団」という団体で、彼らが自分たちの名前にした作曲家の作品を演奏したCDで一度聴いたことがありました。ここで指揮をしている、この合唱団の創設者のフランツ・ハウクが、今回のCDでも指揮をしています。
音楽は、とてもリズミカルな、まるで異教徒の踊りを思わせるような派手なオープニングで始まりました。そのあとには、オーケストラの全ての楽器が全く別の動きをするという混沌のシーンが何度も現れます。
このオーケストラの創設者の一人であるコンサートマスター、ジョージア生まれのテオナ・グッバ=チケルトは、モダンヴァイオリンとバロックヴァイオリンの双方の奏法をきちんと学んできた方です。彼女は、何度も出てくるとても技巧的なソロを、いとも楽々と演奏していました。
そんな中で、ソリストや合唱は、時にはヘブライ語で歌われるユダヤの旋法や、もろオリエンタルなテイスト、あるいはシュプレッヒ・ゲザンクといった様々なイディオムを交えての熱演。最後にはヘブライ語の聖歌が、まるでロシア民謡のようなメロディーラインをもって登場し、この「オラトリオ」の締めとなっています。
そこに、作曲家自身のピアノによる、まるでメシアンのような和声のソロがしばらく続き、終わりを迎えます。先ほどのコメントで作曲家が熱く語っていた3つの宗教の隔たりを超える試みは、これで完結していたのでしょうか。

CD Artwork © Naxos Rights(Europe) Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-04-02 23:14 | 合唱 | Comments(0)
Zeit und Ewigkeit
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Simone Rubino(Perc)
Kelvin Hawthorne(Va)
Katerina Gannitsioti(Vc)
Martin Steidler/
Audi Jugendchorakademie
FARAO/B 108102



「アウディ・ユーゲント・コール・アカデミー(アウディ青少年合唱団)」というのはドイツの自動車メーカー「アウディ」が、2007年に文化活動の一環として創設した合唱団です。そんなのがあうでぃ(意味不明)。現在では16歳から27歳まで、80人の男女が集まって、日々合唱のリハーサルや個人レッスンに明け暮れています。これまでに多くの国際コンクールで輝かしい成績を残し、多くの指揮者の下で世界的なオーケストラと共演もしています。
このFARAOレーベルには、ケント・ナガノの指揮によるCDも録音していて、実際に聴いたことがあります。
そのアルバム同様、ここには合唱以外のゲストが登場しています。前回はそれがホルンだったのですが、今回は打楽器などと合唱のために作られた曲が集められているのと同時に、その打楽器奏者のソロのトラックも用意されているという、前回と同じ構成になっています。さらに興味を惹かれるのが、あのニューステットのア・カペラの名曲「Immortal Bach」がマリンバと共演しているというクレジットです。いったい、どんなものに仕上がっているのでしょう。
「時と永遠」という意味深なタイトルを受けて、まず、最初の3曲では、全く知らない作曲家の作品が並びます。1962年生まれのヴォルフラム・ブーヘンベルクの「O Nata Lux」は、イエスの「変容」についてのラテン語のテキストを歌う合唱に、ビブラフォンが共演しています。シモーネ・ルビーノが演奏するそのビブラフォンによる導入部は、マレットでたたくのではなく、弓によって擦られて音が出されていますから、とても静かな、まるでグラスハーモニカのような音が響き渡ります。それに続いて登場する合唱も、穏やかこの上なく、とても癒される音楽を奏でています。
次に、アンナ・イグナトヴィチという1968年生まれの作曲家が作ったマリンバのソロ作品「トッカータ」が、やはりルビーノによって演奏されます。これは、作曲者の亡くなった父親の思い出のために作られた曲、やはり穏やかなテイストに支配されていますが、真ん中の部分でリズミカルな音楽になっているのがアクセントでしょうか。ここでのルビーノのマリンバは、とても繊細な音色で迫ります。時には、全く異なるリズムが同時に演奏されたりしていますから、おそらく本来は複数の演奏家が必要なところで多重録音を行っているのでしょう。
3曲目の「...Wie die Zeit vergeht...(このように時は過ぎてゆく)」は、1963年生まれのトビアス・シュナイトが作った、ヴィオラ・ソロと打楽器が合唱に加わるという編成です。これまでの曲とは一転、とても激しいアヴァン・ギャルドの世界が広がります。
そして4曲目になって、やっと馴染みのある作曲家、1977年生まれのエシェンヴァルズの「In Paradisum」の登場です。テキストはもちろん「レクイエム」の中の一章ですね。これは、もろヒーリング、ここでは打楽器は入らず、ヴィオラとチェロのソロが、それぞれに息の長いオブリガートで「楽園」を演出しています。
5曲目は、打楽器のルビーノ自身の作品で「Chorale per Marimbaphone」です。文字通りマリンバで4声のコラールを演奏するという試み、特に低音がかなり充実した楽器が使われているようです。持続音を出すために細かいトレモロを使って音を伸ばしていますが、それが低い音では本当に「声」のようなロングトーンになっているのには驚きます。それを広い音域の中にある4パート分同時に行うのはとても人間業とは思えません。もしかしたら、これも多重録音なのかもしれませんね。
そして、「トリ」が「Immortal Bach」。もしかしたら、先ほどのマリンバのコラールはこの曲を演奏するための伏線だったのでは、と思えるほどの、見事に合唱に溶け込んだマリンバのロングトーンが、この曲の節目で和声を支えていました。若々しい声がとても魅力的なこの合唱団は、訓練も行き届いていてハイレベルのハーモニーを聴かせてくれました。この曲に、新たな名演が加わりました。

CD Artwork © FARAO Classics

by jurassic_oyaji | 2019-03-28 23:26 | 合唱 | Comments(0)
Les 4 Saisons
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Swingle Singers
VOCALION/CDLK 4606(hybrid SACD)



旧聞に属しますが、2015年1月19日に、「スウィングル・シンガーズ」の創設者ウォード・スウィングルが亡くなりました。半世紀ほど前には一世を風靡していたコーラス・グループのリーダーでしたが、もはやその知名度はほとんどなくなっていたのでしょう、彼に対しての特別な追悼アクションが起こったという話は聞くことはありませんでした。
彼がパリでこの8人編成のコーラス・グループを作ったのは1962年のことでした。彼自身はテナーのメンバーでしたが、その編曲を一手に引き受けています。翌年にバッハの曲をベースとドラムスをバックにジャズ風にスキャットで歌うというアルバムを出したところスカッと大ヒット、一躍世界中にその名を知られる存在となりました。
そのファーストアルバムはPHILIPSからリリースされました。パリ時代のグループは、全部で13枚のアルバムを残していますが、そのうちの11枚がPHILIPSのものです。その中で、1972年にリリースされた最後のアルバム「Les Quatre Saisons」(英語圏でのタイトルは「The Joy of Singing」)が、なんとDUTTON/VOCALIONからマルチトラックSACDとなってリリースされました。
このアルバム、フランスでは普通のステレオLPで出ただけですが、当時のPHILIPSの日本での窓口だった日本ビクターから、「CD-4」という方式でカッティングされた4チャンネルLPが出ていたのですね。これは、親会社のビクターが開発した独自の方式で、SONYあたりが推進していた「SQ」のような「マトリックス方式」ではなく、1本の溝に4チャンネル分の信号をすべてカットするという「ディスクリート方式」でした。その原理は、可聴帯域にはフロントとリアの和信号、それよりも高い周波数(15kHzから50kHz)では差信号をFM変調したものを収録し、それを出力時に加算と減算を行って独立した信号を取り出すというものです。
これは、普通の2チャンネルで再生しても、それぞれのチャンネルはフロントとリアがミックスされた信号になるので、何の問題もないという利点もありました。ただ、そのためには50kHzまでの信号に対応できる周波数特性を持つ特別なカートリッジが必要でした。
もちろん、現代のSACDのマルチトラックでは、そんな大層な技術がなくても4つのチャンネルはきれいに分離されて完璧なサラウンドを楽しむことができます。
どうやら、スウィングル・シンガーズのアルバムで4チャンネルで録音されたものはこの1点だけだったようですね。この後スウィングルはロンドンで別のメンバーを集めて「スウィングルII」というグループを結成します。その時のレーベルがやはり4チャンネルには積極的だったCBSだったので、もしやと期待したのですが、そこでは2チャンネステレオの録音しか行っていなかったようですね。
というのも、このSACDのシリーズはほとんどが「2 on 1」でアルバム2枚分が収録されているのですが、ここでは1枚分、たったの30分しか入っていないのですよ。なんとももったいない話ですね。もしも、ロンドンでの第1作「Madrigals」(1974年)が4チャンネルで録音されていたら、めでたくレーベルを超えた「2 on 1」が出来ていたはずなのに。
このアルバムは、タイトル通りヴィヴァルディの「四季」から「春」が全楽章演奏されています。そのほかにもパッヘルベルの「カノン」やバッハのコンチェルトなどと、モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲までが「ダバダバ」で歌われています。サラウンドの定位は、フロントがソプラノ(左)とアルト(右)、リアがテナー(左)とバス(右)ときっちり四方に分離していて、それらに囲まれてベースとドラムスが入っています。
このような完全に分離された定位で聴くと、男声のパートがはっきり聴こえてきて、なかなか粋なアレンジが施されていることがよく分かります。それに乗って、クリスティアンヌ・ルグラン(つい最近亡くなったミシェル・ルグランの姉、彼女も2011年に亡くなっています)の卓越したソルフェージュのヴィヴァルディのソロが冴えわたります。

SACD Artwork © Vocalion Limited.

by jurassic_oyaji | 2019-03-19 07:31 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Matthäus-Passion
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Georg Poplutz(Ev), Matthias Winckhler(Jes)
Julia Kleiter, Jasmin Maria Hörner(Sop)
Gerhild Romberger, Nohad Becker(Alt)
Daniel Sans, Christian Rathgeber(Ten)
Christian Wagner, Danie. Ochoa(Bas)
Ralf Otto/Bachchor Mainz & Bachorchester Mainz
NAXOS/8.574036-38



1年ほど前に、同じ指揮者と団体が録音した「ヨハネ受難曲」をご紹介していましたが、その時にはもっぱらそこで表記されていたバージョンに関する間違いを指摘するだけで終わってしまい、演奏そのものに関しては全く触れていませんでした。その間違いには演奏者は関与していなかったのでしょうから、ジャケットやブックレットの製作者のミスのためにそんなことになってしまったのは、ちょっとかわいそうですね。
それから1年経って、今度は「マタイ」が録音されました。これは、バージョンについてはそれほど問題のない作品なので、きっちり聴いてみることができました。
それは、思いがけずなかなかのものでしたね。
ここで指揮をしているラルフ・オットーは、このバッハのような時代の音楽はもちろん定評がありますが、現代の音楽に対してもそれと同じほどの情熱を注いでいるようです。同じように、彼が首席指揮者を務めているこのマインツ・バッハ管弦楽団というオーケストラも、ルネサンスから現代までの作品に対応できるような体制が出来ているのだそうです。
合唱団の方は、1950年ごろにディートハルト・ヘルマンによって創られました(この方は、こちらの「マルコ受難曲」の修復版を作った人として記憶にありました)。そして、1986年にラルフ・オットーが指揮者を引き継ぎ、先ほどのオーケストラと密接な関係を持って活動をしています。もちろん、この合唱団も「バッハ」だけではなく、広く現代までのレパートリーを誇っています。
そんな指揮者と演奏家が繰り出す演奏は、ピリオド演奏にありがちな堅苦しさからは無縁のものでした。かなり早めのテンポで進むその音楽は、現代人と共有できる感覚で、とても分かりやすい情熱を放っていたのです。
それは、とてもドラマティックな歌い方で、この曲のドラマ性を見事に描き出していたエヴァンゲリストのゲオルク・ポプルッツによるところも大きかったはずです。もちろん、それはあくまで作品の時代様式にしっかり沿った中でのものですが、その豊かな表現力には圧倒されます。
そして、合唱も、それぞれの場面での歌い分けがとても見事、コラールはあくまで癒し系、群衆の声はあくまでアグレッシブです。歌い方もとても端正で、かなり高レベルです。
さらに、ソリスト陣も、特に女声の4人はやはり的確な様式感を持ったうえで、しっかり熱いものが込められたアリアを提供してくれていました。それに対して男声、特に第1コーラスのテノールと第2コーラスのバスの人が、ちょっと危なっかしいピッチだったのが残念です。
録音は、あのTRITONUSが担当していました。前作の「ヨハネ」も同じスタッフでしたね。さらに、録音会場は、この合唱団とオーケストラが、もう60年間もホームグラウンドとして使っている、マインツのクリストゥス教会です。ここは非常にすぐれた音響なので、南西ドイツ放送(SWR)も、録音スタジオとして使っている場所なのだそうです。たしかに、これは2つのオーケストラと合唱を持つこの曲の広大なパースペクティブを存分に表現している、素晴らしい録音でした。もはや「NAXOSだから音はいい加減」などとは言うことはできなくなってしまっているのでしょう。
バッハは、この「マタイ」では、「ヨハネ」ほどではありませんが改訂を行っています。現在普通に演奏されているのはその最終稿ですが、最近では改訂前の初期稿を使った録音も出てきています。このCDでは、全曲の演奏は最終稿によるものですが、それが終わった後に、56番と57番の初期稿が「おまけ」として演奏されています。これは、バスによるレシタティーヴォとアリア「Komm, süsses Kreuz」ですが、初期稿ではオブリガートがヴィオラ・ダ・ガンバではなくリュートになっていたことが分かります。少し流暢に聴こえますね。「マタイ」でこのような試みを行った録音には、初めてお目にかかりました。

CD Artwork © Naxos Rights(Europe) Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-03-16 21:46 | 合唱 | Comments(0)