おやぢの部屋2
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カテゴリ:合唱( 687 )
SEASON
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Lalá Vocal Ensemble
HÄNSSLER/HC 17081


こちらで、そのファーストアルバムを聴いていた4人組のコーラス、「ララ」の、このレーベルからの2枚目のアルバムです。そもそも、前のアルバムはこのレーベルがらみでコンテストの「ご褒美」としてリリースされたものだったのですが、彼らはその前からCDは出していました。ですから、このアルバムは通算で6枚目のものとなっているようですね。
その間、ソプラノのイリア、アルトのユリア、テナーのペーター、ベースのマティアス、というメンバーはずっと変わっていなかったようです。というか、一時期テナーが別の人になっていたことがあったようですが、また元の人が復帰したのでしょうか。それと、ソプラノのイリアのラスト・ネームが前のアルバムとは変わっているので、ご結婚でもされたのでしょうかね(そんなことはどうでもいりあ)。
その4人の織り成すハーモニーは、まさに極上でした。今回も前半にはクラシックの「合唱作品」が並んでいますが、彼らはそれをとてものびやかに歌っています。もちろん、ソプラノのイリアの、さりげない歌い方の中に確かな情感を秘めるといういつものスタイルが徹底されていますから、それぞれの曲の持つメッセージはすんなりと伝わってきます。
特に彼女のピアニシモでの緊張感には、思わずハッとさせられるような美しさが感じられて、絶句すらしかねません。
エリック・ウィテカーの「This Marriage」などという多くの合唱団が取り上げている最近の「ヒット曲」なども歌っていますが、この曲の持つ細やかな情感は、4人という最小限の編成だからこそ、そのピュアな魅力が最大限に楽しめます。
その後に、なんとボビー・マクファーレンが作ったシリアスな曲「詩篇23」が取り上げられていました。もちろん歌詞は英語ですが、時折語りかけるような部分に驚かされます。
かと思うと、モーリス・デュリュフレの最後の作品「Notre Père」を、「Vater unser」とドイツ語のタイトルに直し、もちろんドイツ語で歌っていたりもします。不思議なもので、歌詞が変わるだけで音楽そのものまでドイツ的な雰囲気が漂ってきます。この曲の新たな側面ですね。
ソプラノが主導権を取って、他のメンバーはしっかりバッキングに務める、というのが、基本的なやり方なのでしょうから、例えば、イェイロの「Northan Lights」などでアルトのユリアがソロを取ったりすると、ちょっと物足りないと感じてしまうこともあります。
そして、後半には例によってビリー・ジョエルやジェームス・テイラーのような「ポップス」を編曲したものも演奏されています。こちらも、あくまで端正に歌い上げられているのは、いつもと変わらない姿勢の表れでしょう。
ただ、今回の最後の2つのトラックだけは、ちょっと趣向が変わっていました。メンバーに新たにビートボックス(ヴォイスパーカッション)のメンバーのゲオルク・ハーゼルブロックを加えて、いまどきの「ア・カペラ」を披露してくれています。しかも、両方ともメンバーが書いた曲というのも新機軸です。いや、正確には前アルバムでも「ララ」名義の曲はありましたが、きちんと個人名がクレジットされているのは、今回が初めてです。
ベースのマティアスが書いた「Peace in You」は、6/8のビートに乗ったバラード・ナンバー。あくまでキャッチーで癒される曲です。テナーのペーターは、ここでは彼のストリート風の外見をそのままに「Ella Stella」という、ロウ・ファイで始まる、まるで「スキャットマン・ジョン」のような曲を提供しています。
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この2曲と、ウィテカーの「This Marriage」の映像(Youtube)へのリンクが、QRコードでジャケットの裏に印刷されているというのも、新機軸でしょう。それぞれに手の込んだ映像を伴ってこれらの曲を味わうと、音だけ聴いた時とは微妙に異なるメッセージが伝わってきます。今の時代は、こういう伝え方が主流なのでしょうね。
これで見ると、ヴォイパの人がまっとうな外見のイケメンなので、ちょっと意外な感じがしてしまいます。

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by jurassic_oyaji | 2018-02-24 20:32 | 合唱 | Comments(0)
SCHUBERT/Winterreise
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Coco Collectief
ET'CETRA/KTC 1592


シューベルトの「冬の旅」は、もちろん男声のソリストとピアノ伴奏のために作られた歌曲集です。とは言っても、これだけ有名な曲ですから、それ以外の編成、あるいは編曲によるバージョンはたくさん提供されています。
もちろん、ソロのパートを合唱で歌う、という試みもありました。男声合唱のものは良く聴く機会がありますし、ア・カペラの混声合唱で伴奏パートまで編曲したものも有りましたね。
ですから、「女声合唱」でこの曲が歌われた録音が出たと聴いた時には、さぞやさわやかな印象の仕上がりになっているのだろう、と思いました。これまでの男声や混声のバージョンは、ちょっと重たすぎるような感じがありましたからね。
そんな演奏を試みたのは、オランダの「ココ・コレクティーフ」というアンサンブルです。朝ごはんみたいな名前ですね(それは「コーンフレーク」)。デン・ハーグ王立音楽院で知り合い同士だった5人の女声歌手と1人のピアニストによって結成されたユニットです。この歌手たちは、リサイタル活動を主に行っている一人を除いて、あとの4人はすべてオペラ歌手としてのキャリアを持った人たちです。ピアニストのモーリス・ランメルツ・ヴァン・ビューレンは伴奏者として定評のある方で、ここでは編曲も担当しています。
その編曲のプランは、ブックレットのそれぞれの曲の演奏者を見てみると、様々に異なっているようでした。そもそも、全員が揃って歌うのは1/3ほどしかありません。それ以外はソロ、もしくはデュエットやトリオ、さらにピアノだけで歌はなし(雪融けの水流)とか、ピアノなしのア・カペラ(道しるべ)もありますから、全ての組み合わせをこの24曲の中で追及しているのでしょうね。
最初の「おやすみ」は、全員の演奏で始まります。最初は全くのソロで歌われ、次に二重唱からもっと人数が増えていく、というプランになっているようですから、「合唱」という感じはあまりしません。いや、冒頭から歌い出した人はとても伸びやかで澄んだ声でしたから、こういう人たちが集まっているのだったら、とてもきれいなハーモニーが聴けるのだろうと期待したのですが、その後で声が重なると、それはあまり溶け合わないような歌い方になってしまっているのですね。聴きすすんでいくと、どうやら彼女たちは、お互いの声をきれいに「ハモらせる」のではなく、それぞれに目いっぱい自分自身の声を主張する、といった歌い方に徹しているようでした。
こんな歌い方がデフォルトの場面を思い浮かべてみると、それはオペラのステージだったことに思い当たりました。彼女たちは、まさに「オペラ」のスタンスでこの「リート」と対峙していたのですよ。
別に、それはアプローチとしては新鮮なものであることは否定できません。この曲の中には、充分に「オペラ」として耐えうるだけのポテンシャルは秘められています。しかし、彼女たちがそのような新たな魅力をここから引き出しているとはとても思えないのです。
このメンバーの中には、さっきのきれいな声の方だけでなく、とても「個性的」な声の持ち主も混ざっていることが、それぞれのメンバーがソロを歌う曲で明らかになります。具体的に名前を挙げると、その「きれいな声の方」がニッキ・トゥルーニート。それに続いて、あくまで個人的なランキングですが、声の伸びはあるがちょっと弱いエレン・ファルケンブルフ、伸びはあるがビブラートがきついヴェンデリーネ・ファン・ハウテン、軽めの低音だがきつい音色のヤネリーケ・シュミート、そして、とんでもない悪声で、この人が入っただけでアンサンブルが完全に崩壊してしまうのが、メーライン・ルニアです。
ブックレットのプロフィールを読むと、彼女たちは「緊密なアンサンブルを作り出しているが、決して『合唱のサウンド』を真似することは目指してはいない」のだそうです。その結果生まれたこのおぞましい「サウンド」には、ちょっとついて行けません。

CD Artwork © Quintessence BVBA

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by jurassic_oyaji | 2018-02-22 20:59 | 合唱 | Comments(0)
KOKKONEN/Requiem, Complete Works for Organ
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Suvi Väyrynen(Sop), Joose Vähäsöyrinki(Bar)
Jan Lehtola(Org)
Heikki Liimola/
Klemetti Institute Chamber Choir
TOCCATA/TOCC 0434


シベリウス以後の最も重要な作曲家の一人とされている、ヨーナス・コッコネンという、1921年に生まれて1996年に亡くなったフィンランドの作曲家の「レクイエム」とオルガン作品が収録されたCDです。ラフランスみたいな名前ですね(それは「洋梨」)。
コッコネンは、この世代の多くの作曲家のように、「新古典主義」から始まって「12音」の波に揉まれたのち、「ネオ・ロマンティック」の路線に乗る、という、ありがちな作風の変遷を経ることになります。
とは言っても、コッコネンの場合、どっぷりとその「ネオ・ロマンティック」とやらに浸かっているわけではないことは、この「レクイエム」を聴けば感じることが出来ます。
「レクイエム」は、親友の指揮者ウルフ・ソダーブロムの勧めによって構想を練り始めた「ミサ曲」が母体となっています。しかし、その作曲が遅々として進まない中、1979年に彼の最初の妻のマイヤが亡くなってしまいました。そこでコッコネンは、ミサ曲ではなく、彼女に捧げる「レクイエム」を作ることを宣言します。
ところが、もうすでに初演の手配も始まっているというのに、彼は亡き妻のために何を作っていいか分からなくなってしまうような極度のスランプに陥ってしまいました。それを救ったのが、後に彼の2度目の妻となる女性の励ましだったというのは、なんとも皮肉な話です。
それでも1980年の秋ごろからは、少しずつ出来上がってきた楽譜を使っての合唱のリハーサルも始まり、1981年9月17日にソダーブロムの指揮で初演を迎えることになりました。オーケストラはヘルシンキ・フィル、合唱はアカデミック・コラール・ソサエティです。
今回の録音では、オーケストラのパートをオルガン用に編曲した、ヨウコ・リンヤマ(男性です!)によるリダクション版で演奏されています。
「レクイエム」は、演奏時間が36分という、たとえばフォーレの作品のような適度な長さを持っています。それは、テキストがほぼフォーレと同じサイズで、他の作曲家の作品では必ず入っている長大な「Sequentia(Dies irae)」がカットされているためです。ただ、フォーレと違うのは、「Libera me」が入っておらず、普通はあまり使われることのない「Tractus」が使われているのと、「Requiem aeteruam」の後半が、これも普通は使われない「Graduale」の後半に置き換わっている点です。曲順も、「In paradisum」の後に、「Lux aeterna」が入り、全体の締めくくりとなっています。
ソリストも、やはりフォーレと同じようにソプラノとバリトンの2人が参加しています。ただ、彼らはあまり「ソロ」の形で歌うことはなく、合唱と一緒になって登場する場面が多くなっているのも、一つの特徴でしょう。
ですから、曲の冒頭で不安げで瞑想的なオルガンの前奏に続いていきなり合唱がバリトン・ソロと一緒に現れた時には、ちょっと戸惑ってしまいました。それは、そのバリトンがあまりに合唱とは相いれない歌い方だったからです。実際には、ソロと合唱との呼び交わし、というシーンなのでしょうが、ソリストはとても熱く歌っているのに、合唱がなんとも醒めているのですね。しばらく聴いていると、それはこの合唱団の資質なのではないかと思えるようになってきます。はっきり言って技術的に未熟なために、的確な表現が出来ないようなのですね。
ですから、作品自体はとても興味深いものなのですが、その真の姿がまるで表現できていないもどかしさが、最後まで付いて回ります。後半の「Agnus Dei」以降などは本当に美しい音楽ですし、最後の「Lux aeterna」のエンディングで、合唱だけがホ長調の和音で「lux」と歌うところは感動的ですらあるのに、残念です。
余白に4曲のオルガン・ソロの作品が演奏されています。これが、コッコネンが作ったすべてのオルガンのための作品です。これらも、程よく刺激的な和声の中で、確かな安らぎが与えられる秀作です。「レクイエム」と同じ時期に作られた「Iuxta crucem」の、オルガンらしからぬppには惹かれます。

CD Artwork © Toccata Classics

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by jurassic_oyaji | 2018-02-01 20:48 | 合唱 | Comments(0)
RICHTER/ La Deposizione della Croce di Gesù Cristo, Salvator Nostro
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Kateřina Knĕžíková, Lenka Cafourková Ďuricová(Sop)
Philipp Mathmann, Piotr Olech(CT), Jaroslav Březina(Ten)
Roman Válek/
Czech Ensemble Baroque Orchestra & Choir
SUPRAPHON/SU 4204-2


フランツ・クサヴァー・リヒターと言えば、音楽史の上ではいわゆる「マンハイム楽派」の中心メンバーで、バロックから古典派への橋渡しを行った作曲家と位置づけられています。チェコのモラヴィアに1709年に生まれ、1789年にストラスブールで没した彼の生涯は、たしかにバッハの若い時からモーツアルトの没年までをカバーしています。
リヒターがマンハイムの宮廷に仕えていたのは1747年から1769年までです。マンハイムでは、毎年聖金曜日の礼拝の後に、イタリア語の受難オラトリオが演奏される習慣があり、1748年4月12日の聖金曜日には、このリヒターの作品が演奏されました。
リヒターの交響曲や室内楽曲は多くの作品が知られていますが、宗教曲に関しては未だにその全貌は明らかになってはいないようです。この作品もこれまでに録音されたことはなく、今回が世界で初めとなります。
ここで演奏しているロマン・ヴァーレク指揮のチェコ・バロック・アンサンブル・オーケストラは、以前もこちらで同じリヒターの「レクイエム」で世界初録音を行っていました。もちろんレーベルも今回と同じチェコのSUPRAPHONですから、「母国」の作曲家の知られざる作品を紹介したいという熱意のあらわれなのでしょうね。
「レクイエム」の方は、作られたのは作曲家の晩年、ストラスブールの教会の楽長時代のもので、演奏時間は30分程度のコンパクトなものだったのですが、今回の「我らが救い主イエスキリストの降架」というタイトルのオラトリオは全体が2部からできていて、正味の演奏時間はほぼ2時間という大作です。
テキストは、そもそもはウィーンの宮廷に仕えていたイタリア人の台本作家、詩人のジョヴァンニ・クラウディオ・パスクィーニが、1728年にヨハン・ヨーゼフ・フックスのオラトリオのために書いたものです。この台本は、彼がドレスデンの宮廷に移った1744年にヨハン・アドルフ・ハッセのために大幅に改訂され、その改訂稿がこのリヒターの作品のテキストの元となっています。
「降架」というのはトイレではなく(それは「後架」)、磔刑にあったキリストを十字架から降ろすことです。このオラトリオの登場人物は実際にその「降架」を行ったとされるアリマタヤのヨセフとニコデモ、十字架をここまで運んだキレネのシモン、それに福音書でおなじみの聖ヨハネと、キリストのカノジョ、マリア・マグダレーナの5人です。
彼らは、レシタティーヴォ・セッコでキリストが処刑された模様やこれまでの出来事を語り合い、それぞれが2回ずつ(シモンだけは1回だけ)長大なダ・カーポ・アリアを歌います。合唱第1部の最初と最後、そして第2部の最後の3回しか登場しません。そして、曲全体の頭には、3つの楽章から成る「シンフォニア」が演奏されます。
ハ短調で始まるそのシンフォニア、最初の楽章こそ重々しい響きの深刻さがありますが、次第にごく普通の「交響曲」(もちろん、当時のシンプルなスタイルの)のように聴こえてきます。そうなると、なんだか「キリストの受難」とはかけ離れた音楽のように感じられてしまうのですが。
アリアになると、そんな傾向はさらに強まります。ほとんどの曲が、いとも軽やかなイントロに乗って華麗に装飾を付けて歌われますし、時にはカデンツァなども披露されていますから、かなりシリアスな歌詞の内容とは何とも相いれられないのですね。
こういう作品を聴くと、もしかしたら、彼が修得した音楽様式は、そもそもそのような深刻な情感を時代を超えて普遍的に表現できるようなものではなかったのでは、という思いを抱いてしまいます。この頃はまだ存命だったバッハの受難曲では、決してそんなことを思ったりはしませんけどね。
ここでヨハネを歌っているフィリップ・マスマンというカウンターテナーは、とても素晴らしいですね。この方はお医者さんなんですって。

CD Artwork © SUPRAPHONE a.s.

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by jurassic_oyaji | 2018-01-30 20:52 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Kantaten BWV201, BWV207a
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Joanne Lunn(Sop), Robin Blaze(CT)
Nicholas Phan, 中嶋克彦(Ten)
Christian Immler(Bar), Dominik Wörner(Bas)
鈴木雅明/
Bach Collegium Japan
BIS/SACD-2311(hybrid SACD)


BCJのバッハの世俗カンタータも、これが9枚目となりました。数え方にもよりますが、このカテゴリーは全部で大体20曲前後でしょうから、ほぼ2曲ずつ入っているSACDではあと1枚で全集が完成するのでしょうか。今回は、世俗カンタータの中では一番好きな「急げ、渦巻く風よ(フェーブスとパンの争い)BWV201」が入っていますから、何をおいても聴いてみなければ。
「好きだ」というのは、最初に聴いたのがかなり昔だった、ということです。その頃はまだピリオド楽器の録音などはありませんから、ほとんどモダン楽器で演奏されたものばかり聴いていたので、そういう様式が刷り込まれています。ですから、今回のようなピリオド楽器による演奏だと、少し戸惑いが生まれてしまいます。
第1曲目の合唱が、まさにそんな感じでした。合唱が少なめなので、何か薄っぺらなサウンドに感じられてしまいます。それだけではなく、いつもこの曲を聴く時にはあってほしいと思っている切迫感というか、ウキウキするような感じが全く伝わってこないのには、ちょっとがっかりです。
アリアに進んでいくと、そのような不満は消えてしまいます。フェーブスのアリアでは、ダ・カーポで繰り返す時の前奏が、最初とはちょっと表情を変えられているので一瞬ハッとしますが、なかなかセンスの良いやり方ですね。モダン楽器の人たちはこんなことは絶対にやりません。常連のクリスティアン・イムラーは、ちょっとかったるい歌い方ですが、これはあえて退屈さを装って次のパンのアリアとの対比を出そうとしているのでしょう。ですから、パン役のドミニク・ヴェルナーも、ことさら粗野な振る舞いを前面に出すような歌い方に徹しているようでしたね。
そして、フェーブスを援護するトモルスを歌っているのは、日本勢の中嶋さんです。ちょっと周りの強者と比べると声が平坦かな、という気がしますし、ドイツ語のディクションにはかなりのハンデがあるのではないでしょうか。しかし、オブリガートのオーボエ・ダモーレも日本人の三宮正満さんですが、こちらはまるでソプラノ・サックスのようなぶっ飛んだ音色で存在感を誇示しています。
フルート2本の華やかなオブリガートが素敵なメルクリウスのアリアは、トラヴェルソで演奏されると煌めくような軽やかさが出てきます。悔しいけれど、これはモダン・フルートでは絶対に出せない味ですね。ただ、歌っているロビン・ブレイズはちょっと時代遅れ(変な言い方ですが)のような歌い方で、今だったらもっとふさわしいカウンター・テナーはいくらでもいるのに、という気がしてしまいます。
カップリングは、「さあ、晴れやかなトランペットの高らかな音よBWV207a」です。シュミーダー番号を見れば分かる通り、これはBWV207の「鳴り交わす絃の相和せる競いよ」の「パロディ」です。つまり、元々は大学教授に就任した人のお祝いのために作られたものを、後にザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世(ポーランド王アウグスト3世)の命名記念日のお祝いのために作り変えたものです。
さらに、そのBWV207そのものが、最初の合唱ではさらに前に作られた「ブランデンブルク協奏曲第1番」の第3楽章をそのまま使っています。もう1か所、ソプラノのジョアン・ランとバスのヴェルナーとのデュエットがとってもかわいい5曲目のデュエットが終わるといきなり聴こえてくる「リトルネッロ」も、同じ協奏曲の第4楽章の第2トリオですね。
いずれの曲もおめでたい席で演奏されたものですから、トランペットが大活躍で華やかに盛り上げます。彼らのいつもの録音会場、神戸松蔭女子学院大学チャペルで録音セッションが持たれたのは2016年の9月でしたが、このために来日した第1トランペットのジャン=フランソワ・マドゥフは、仙台まで足を延ばしてレクチャーコンサートを行っていましたね。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2018-01-27 20:46 | 合唱 | Comments(0)
REGER, BRAHMS/Requiem
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Jana Reiner(Sop), Marie Henriette Reinhold(Alt)
Tobias Berndt(Bar), Denny Wilke(Org)
Michael Schönheit/
Ukrainischer Nationalchor DUMKA
Merseburger Hofmusik
QUERSTAND/VKJK 1717


マックス・レーガーとヨハネス・ブラームスの「レクイエム」がカップリングされた最新のCDです。有名なブラームスの方は「ドイツ・レクイエム」というタイトルで、テキストはドイツ語の典礼文を自由に組み合わせたものですね。一方のレーガーは「ヘッベル・レクイエム」と呼ばれることもある、シューマンのオペラ「ゲノフェーファ」の原作を作ったことでも知られる19世紀ドイツの詩人フリードリヒ・ヘッベルが書いたドイツ語のテキストが使われています。
このCDは、2016年9月16日にミュールハウゼンの聖マリア教会で行われたコンサートのライブ録音です。2枚のCDに当日の演奏が全て収録されています。まずレーガーの「レクイエム」、続いてその教会のオルガンによってレーガーとブラームスのコラール前奏曲が演奏された後、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」というプログラミングです。
このコンサートの主役は、ウクライナから参加した「ウクライナ国立合唱団『ドゥムカ』」です。その発端は2013年にこの合唱団がドイツのミュールハウゼンとメルゼブルクでラフマニノフの「晩祷」を演奏した時に、オルガニストのデニー・ヴィルケがそれを聴いたことでした。この合唱団の演奏にいたく感動したヴィルケは、彼らと共演したい旨を申し入れ、2014年にキエフでマルセル・デュプレの「フランスの受難」という、4人のソリストと混声合唱とオルガンによる1時間を超える長大なオラトリオを演奏することになります。
その後もヴィルケとこの合唱団との交流は続き、ウクライナ、ドイツの両国で様々なコンサートを実現させてきました。そこに、ヴィルケがキエフで行った自身のコンサートの時に知り合ったドイツ人のオルガニストで指揮者、ミヒャエル・シェーンハイトとの共演も加わり、2015年にはウクライナで、シェーンハイトがこの合唱団とウクライナ国立管弦楽団を指揮したブラームスの「ドイツ・レクイエム」のコンサートが開催されます。
そして、このコンサートをドイツでも実現したいということで2016年に開催されたのが、このCDに収録されているコンサートなのです。
このコンサートでは、さらに注目すべきポイントが加わります。ここで演奏に加わっているのが、シェーンハイトが1998年に、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーや、フリーランスの音楽家を集めて設立した「メルゼブルガー・ホーフムジーク」というピリオド・オーケストラなのですが、彼らはレーガーやブラームスの時代の楽器を使って演奏しているのです。具体的には、フルートなどはテオバルト・ベームが現在の形の楽器を作る前に制作していた円錐管(現在は円柱管)の楽器のコピーが使われています。もちろん、弦楽器はガット弦です。
最初の曲、レーガーの「レクイエム」は初めて聴く曲です。ほんの15分ほどで終わってしまう小品ですが、起伏に富んでなかなか魅力的な作品ですね。オーケストラの渋い響きに乗って出てくるアルトのソロで、まず敬虔な思いにさせられます。そこに合唱が加わると、それはオーケストラの渋さと見事にマッチした音色であることに驚かされます。音楽はその後嵐の描写に変わって盛り上がるのですが、そこでもその渋さは貫き通されています。
そして、ヴィルケのオルガン・ソロに続いて、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」が始まります。ここでも、合唱の渋さは変わりません。冒頭の「Selig」のなんという静謐。これを聴いただけで、この演奏がとてつもない深みを持っていることが予感できてしまいます。
その予感通り、これは恐ろしいまでに心の琴線に触れるものでした。お金には代えられません(それは「金銭」)。ハープやフルートといった、普段は華やかさを演出する楽器が、きっちりと愁いのある音色を提供している中で、この合唱団が放ついぶし銀のようなオーラ。これはまさにこの作品の神髄に接することが出来る演奏とは言えないでしょうか。

CD Artwork © QUERSTAND

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by jurassic_oyaji | 2018-01-20 19:59 | 合唱 | Comments(0)
SCHNITTKE/Psalms of Repentance, PÄRT/Magnificat, Nunc Domittis
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Kaspars Putninš/
Estonian Philharmonic Chamber Choir
BIS/SACD-2292(hybrid SACD)


エストニア・フィルハーモニック室内合唱団は、かつてはECMで1981年にこの合唱団を創設したエストニア人のトヌ・カリユステの指揮によるトルミスやペルトといった自国の作曲家の作品を幅広く録音していましたね。
それから20年経って、2001年になると、指揮者がイギリス人のポール・ヒリヤーに替わります。レーベルもHARMONIA MUNDIが中心となり、「Baltic Voices」のようなユニークなアルバムを数多く作りました。さらに、2008年になると、今度はドイツ人のダニエル・ロイスが指揮者になります。
そんな、「中央ヨーロッパ」の指揮者の時代を経て、2014年には、エストニアとはバルト三国として近しい関係にあるラトヴィア人のカスパルス・プトニンシュという聴きなれない指揮者に替わっていました。覆面はしていません(それは「ニンジャ」)。
ただ、この1966年生まれのプトニンシュは、1994年からラトヴィア放送合唱団の指揮者を務めていて、今ではそこの「終身指揮者」という称号を得ているほどの実力者、合唱界に於いてはすでに「聴きなれた」人物だったのです。これは2017年1月に録音されたもので、彼がエストニア・フィルハーモニック室内合唱団を指揮した初めてのアルバムとなります。
ここで取り上げられているのは、アルフレート・シュニトケとアルヴォ・ペルトという、ともに、「ソヴィエト連邦」の時代から活動を始め、その国家体制の崩壊も体験しているほぼ同じ世代の2人の作曲家の作品です。
1934年に生まれ、1998年に亡くなっているシュニトケの作品は、1988年に作られたレント(四旬節)と言われる復活祭前に行われる 40日の悔悛の聖節のための16世紀の詩(作者は不詳)をテキストにした、「悔悛の詩篇」です。
ペルトは1935年生まれですが、まだご存命、少し前に生誕80周年ということでかなり盛り上がったことがありましたね。ここでは、1989年の「Magnificat」と、2001年の「Nunc dimittis」という、いずれもルカ福音書の中のテキストが用いられている作品が歌われています。
今回は、せっかくですので、SACDのマルチチャンネルレイヤーを、サラウンドで再生して聴いてみました。もはや、SACDによるこのフォーマットは再生機器のサイドからはほとんど見捨てられているような状況にありますが、サラウンドそのものはまだまだ可能性を秘めた録音手法として、真剣に追及しているエンジニアがいますからね。
まずは、シュニトケの「悔悛の詩篇」から。12の部分から出来ていて、演奏時間は45分という大曲ですが、それぞれの曲がヴァラエティに富んでいるので、退屈とは無縁です。まずは、男声だけでとても深みのある響きが味わえるのが、1曲目の冒頭です。録音会場は非常に豊かな響きを持つ教会ですから、その残響がまるでドローンのように常に持続して、リスニング空間を埋め尽くしています。これは、おそらくこの作品ではかなり重要なファクターとなって聴き手には迫ってくるはずです。この、「響きにとり囲まれる」という体験は、2チャンネルステレオでは味わうことはできません。
そのようなサウンド空間の中で、時にはテノール・ソロのピュアな声とか、とても力のある女声パートのエネルギッシュな叫びなどが、それぞれにしっかりとした存在感をもって聴き分けることができます。
さらに、それらがホモフォニックにまとまって聴かせてくれるハーモニーにも、立体的な音場の中では、とてつもない重さが感じられるようになります。それがクラスターになろうものなら、もう、その圧倒的な力にはひれ伏すしかありません。
そして、最後の12曲目では、全てがハミングで歌われるこの上なく澄み切った世界が広がります。これは、合唱音楽の可能性をとことんまで追求した傑作ではないでしょうか。
ペルトの作品になると、その様相はガラリと変わります。同じ合唱団が歌っているとは思えないほど、こちらからは、もう最初からクリアでピュアな響きが満載。無条件で至福の時が過ぎていきます。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2018-01-16 23:05 | 合唱 | Comments(0)
HAMILTON/Requiem
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Ilona Domnich(Sop), Jennifer Johnston(MS)
Nicky Spence(Ten), David Stout(Bar)
Ian Tindale(Org)
Timothy Hamilton/
Cantoribus, Rosenau Sinfonia
NAXOS/8.573849


1973年生まれのイギリスの作曲家/指揮者、ティモシー・ハミルトンが作った「レクイエム」の世界初録音です。これは、第一次世界大戦の勃発から1世紀となる2014年に、その犠牲者の追悼のためのセレモニーが行われるにあたって、2012年にロンドンのセント・ジョンズ・ウッド教会から委嘱されました。
初演は2014年にその教会の音楽監督のマイケル・ケイトン指揮で教会の聖歌隊が歌って行われましたが、その時には全12曲の中の7曲だけしか演奏されませんでした。
全曲が初演されたのは2015年の11月12日のこと、その時には作曲者自身が指揮をしました。彼が創設した合唱団「カントリブス」(田舎の醜女)など、その時のメンバーがそのまま2週間後に再集結して録音されたのが、このCDです。
編成は、4人のソリストと混声合唱に、オルガンと小編成のオーケストラ、テキストは、基本的にラテン語の典礼文ですが、それは例えばフォーレの作品のように、「Dies irae」の部分は全てカットされていますし、その後の「Donime Jesu Christe」も、前半はカットして後半の「Hosteas」から始まっています。そのカットされた部分に挿入されているのが、「戦士の詩篇」と呼ばれている第91篇の英訳のテキストです。
さらに「Prelude」と名付けられた第1曲目では、アイザック・ウォッツの有名な讃美歌「Give us the wings of faith」のテキストが使われています。そこの冒頭にはホルンによってB♭-Fという5度跳躍の音型が現れます。それは、まるでマーラーの交響曲第2番の終楽章の、合唱が始まるちょっと前の神秘的な部分のよう。あの曲のような深淵を味わわせてくれることを期待してもいいのでしょうか。
ただ、その後に「モア」という有名な映画音楽とよく似たメロディで讃美歌がア・カペラの合唱によって歌われると、俄然音楽は俗っぽいものに変わります。これがこの作曲家の持ち味なのでしょうが、なにか小手先だけで感動を引き出そうというあざとさが、チラチラと垣間見られます。
それは、この合唱団の資質によるものなのかもしれません。確かに、歌が上手な人たちが集められてはいるのですが、ピアニシモで歌っている時にはハーモニーもとてもきれいなのに、盛り上がってくるとそれぞれのソリスティックな声がだんだん目立ってきて、結果的に合唱としての重みのある盛り上がりを作ることが出来なくなっているのですよ。
2曲目の「Introit」では、「Requiem aeternam」のメロディには、酔いしれるものがあります。それが「exaudi」からは一転して激しい音楽に変わるのですが、最後にもう一度「Requiem aeternam」が繰り返されるところが、フォーレの作品の冒頭そっくりなのにはがっかりさせられます。
「Kyrie」を経て4曲目が、「戦士の詩篇」です。かなり長大なテキストなのですが、ここで作曲家は、もはやそれに美しいメロディを付けることをあきらめてしまったのでしょう。まるでラップのような、陳腐な抑揚の中にたくさんの言葉を詰め込んだ、全く魅力を感じることのできない音楽です。
「Sanctus」と「Benedictus」の後には、型通り「Hosanna」が続きます。それがなんとも大げさでハイテンションなんですね。さらに、後半にはフーガまで作られています。それがこの合唱団によって歌われると、なんともおぞましいものに変わります。
「Pie Jesu」と言えば、フォーレでもデュリュフレでもラッターでもロイド=ウェッバーでも、ソリストは女声(もしくは少年)と相場が決まっていますが、ここではなんとバリトンで歌われています。まるで女湯に飛び込んだじじい、みたい。
ハミルトンは、この「レクイエム」が委嘱された背景を考慮したのでしょうか、曲の中にさまざまな「戦争」に関するモティーフを取り入れているように思えます。1曲目の冒頭の5度跳躍は軍隊の就寝ラッパなんですって。さらに、後の曲で音楽が盛り上がる時に決まって現れるのがスネア・ドラムのロールです。気持ちは分かりますが、なんか低次元という気がしませんか?

CD Artwork © Naxos Rights Europe Ltd

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by jurassic_oyaji | 2018-01-09 21:50 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Goldberg Variations
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Maria van Nieukerken/
PA'dam
Collegium Delft
COBRA/COBRA 0050


バッハの「ゴルトベルク変奏曲」には、「印刷」された楽譜が残っています。バッハの時代には、作曲家が書いた楽譜を写譜屋さんが手書きで書き写すという「写筆譜」の形が、流通させるメインの手立てでした。もちろん、これは大量に作り出すわけにはいかないので、ごく限られた人しか手に入れることはできません。
しかし、この頃はすでに銅版画の技術を応用した楽譜の印刷技術は確立されていました。そして、バッハも晩年に4巻の「クラヴィーア練習曲集」というものを印刷させて出版します。1731年には第1巻として「6つのパルティータ」、1735年には第2巻として「イタリア風協奏曲」と「フランス風序曲」、1739年には第3巻として「ドイツ・オルガン・ミサ」が出版されました。そして1741年に出版された「第4巻」がこの「ゴルトベルク変奏曲」です。
その、印刷された楽譜はIMSLPで現物を見ることが出来ます。表紙はこんな感じ
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そして、肝心の楽譜はこんな感じです。
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職人技、ですね。いったいどのぐらい出版されたのでしょう。
タイトルには「vors Clavicimbal mit 2 Manualen」とあるように、2段鍵盤を持つチェンバロ(クラヴィチェンバロ)のために作られていますが、もちろん現代ではチェンバロだけではなくピアノで演奏されることもありますね。なんたって、この曲のレコード(CD)で最もたくさん売れたのはグレン・グールドがピアノで演奏した録音ですからね。
その他にも、オルガンとか、さらには弦楽合奏などへの編曲も広く演奏されています。となれば、今度は声楽による編曲だってあっても構わないはずです。おそらく、そんなノリで製作されたのが、この「16人の合唱とバロック・アンサンブル」のためのバージョンだったのでしょう。
バッハの器楽曲を合唱で演奏するというアイディアは、古くはあの「スウィングル・シンガーズ」あたりでも見られました。そこで問題になるのは「歌詞」です。オリジナルにはもちろんテキストは付いていませんから、彼らはそれを「ダバダバ」というスキャットでごまかしていました(いや、「解決」していました)。
ですから、今回のCDでも同じような解決法を採るのだろうと思っていたら、この編曲を作ったグスタヴォ・トルヒーリョという人は、しっかり歌詞を「でっちあげ」ていましたよ。例えば第13変奏は「Ruhe sanfte, sanfte Ruh!」という歌詞、なんだか受難曲みたいですね。
最初のテーマでは、耳慣れた旋律はなかなか出てきません。まずは半音低いピッチで(バロック・アンサンブルですから)チェロが低音だけを演奏しています。そこにハミングの合唱が静かに入って和声を重ね、リコーダーがソロを加えたりします。そんなことがしばらく続いた後におもむろに合唱でテーマが始まります。何回か繰り返すたびに他の楽器も加わる、という構成です。ただ、バロック・アンサンブルとは言っても通奏低音としてのチェンバロなどは入っていません。
変奏に入ると、余計な前置きはなく楽譜通りに音楽が始まります。時折、合唱などに新たな旋律線が加わってゴージャスな響きとなったりして、かなり柔軟な編曲の方針が取られているようですね。中には、合唱は全く参加しないで、楽器だけで演奏するという変奏も、全部で7曲ほどあります。
なかなか変化にも富んでいて、編曲自体はとても楽しめるものになっているのですが、聴きはじめてしばらく経つと、合唱の人たちがかなりいい加減に歌っているのが耳についてきます。発声はほとんどアマチュアのレベルで、それだけで引いてしまうのですが、なんせバッハですからあちこちで出てくるメリスマの早いパッセージが、まるで歌えていないのですよ。第11変奏などは、楽器が入らずア・カペラでフーガを歌っているのですが、これは最悪。
この合唱団は、一応「プロ」が集まって様々なジャンルで活躍しているのだそうですが、「バッハ」に関する「プロ」でないことだけは確かなようです。

CD Artwork © Cobra Records

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by jurassic_oyaji | 2018-01-04 20:29 | 合唱 | Comments(0)
DURUFLÉ, HOWELLS/Requiems
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Kirsten Sollek(MS), Richard Lippold(Bar)
Frederick teardo(Org), Myron Lutzke(Vc)
John Scott/
Saint Thomas Choir of Men & Boys, Fifth Avenue, New York
RESONUS/RES10200


「ニューヨーク五番街の聖トーマス教会男声と少年の合唱団」という長ったらしい名前の、文字通りアメリカの団体のアルバムです。彼らはこのレーベルからはフォーレの「レクイエム」など何枚かのCDを出していますが、実際に聴いたのはこれが初めてです。そもそも、この「Resonus」という2011年に発足したばかりのイギリスのレーベルのものを聴くのも初めてですし。
名前の通り、この教会の聖歌隊である合唱団は、少年と成人男声だけによる編成という、よくある形のものです。そして、たとえばイギリスのキングズ・カレッジ聖歌隊と同じように、少年、つまり「トレブル」のパートの人数が非常に多いのが特徴になっています。あまり多いと、問題も多いのでしょうね(それは「トラブル)」。ブックレットのメンバー表では、トレブルが24人に対して、他の3パートはアルト(もちろん成人のカウンターテナー)6人、テナーとベースは5人ずつですからね。成人のパートのメンバーは、すべてプロフェッショナルな歌手たちなのだそうです。
この合唱団の少年団員は、1919年に創設された聖歌隊養成のための学校(そういう学校は、ここを含めて全世界で3つしかないのだそうです)の生徒の中から選抜されています。そして、このような混声合唱の編成としての活動だけではなく、少年合唱団としてもコンサートや演奏旅行を行っているのだそうです。
指揮をしているジョン・スコットという人は、イギリス出身のオルガニスト、小さいころは聖歌隊で歌っていました。オルガニストとしては世界中でコンサートを開いていて、バッハやメシアンでは、全ての作品を演奏していますし、ブクステフーデ、フランク、ヴィドール、ヴィエルヌといった、全ての時代の有名な作曲家のオルガン曲も、ほぼ全曲レパートリーとしているという、ものすごい人です。2004年にこのニューヨークの聖トーマス教会の音楽監督に就任しましたが、2015年に59歳の若さでこの世を去ってしまいました。このCDには、2011年に録音されたハウエルズとデュリュフレの「レクイエム」が収録されています。
ハーバート・ハウエルズが1936年に作った「レクイエム」は、通常の典礼文ではなく、「Requiem aeternam」という冒頭のテキストだけはそのままラテン語で2回使われるほかは、詩編などの英訳が使われている無伴奏の作品です。これまでにも多くの録音がリリースされていますが、今回のものはおそらくそれらの中でもかなり高い順位にランキングされる演奏なのではないでしょうか。なによりも、この合唱団の少年たちによるトレブル・パートが、少年合唱にありがちな「はかない」ところが全く感じられない、とても強靭な声として聴こえてくる点が、最大の魅力です。
デュリュフレの「レクイエム」は、オルガン伴奏と、チェロのソロが入る第2稿による演奏です。これは、オリジナルのフル・オーケストラのバージョンよりも合唱の実力がもろに問われる形態ですが、ここでもこの合唱団はその魅力をいかんなく発揮してくれていました。トレブルだけでなく、他のパートも充実した響きで、この作品に相応の重みを与えています。
ちょっと面白いのが、トレブルの扱い方。普通のところは全員がソプラノのパートを歌っているのですが、例えば2曲目の「Kyrie eleison」では、「Christe eleison」という歌詞の部分のように、ソプラノとアルトだけで歌われるところではトレブルが2つのパートに分かれて歌っているのです。「Sanctus」や「Agnus Dei」でも、やはり女声パートだけになるところではトレブルだけで歌われています。同じ個所を先ほどのキングズ・カレッジ聖歌隊のようにアルトのパートを成人アルト(カウンターテナー)が歌うと、どうしても音質がまとまらないものですが、ここでは見事にピュアなハーモニーが生まれています。
正直、アメリカの聖歌隊でこれほどのクオリティの高さが味わえるとは思っていませんでした。とても素晴らしい録音とあわせて、脱帽です。

CD Artwork © Resonus Limited

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by jurassic_oyaji | 2017-12-21 21:32 | 合唱 | Comments(0)