おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
カテゴリ:合唱( 687 )
BACH/Motets
c0039487_20041227.jpg



Grete Pedersen
Nowegian Soloists' Choir
Ensemble Allegria
BIS/SACD-2251(hybrid SACD)


ほぼ毎年ニューアルバムをリリースしているペーデシェンとノルウェー・ソリスト合唱団の今年の新譜は、ちょっと今までとは様子が違っていました。これまでは、何かしらのテーマを中心にして、多くの作曲家の作品を集めたという「コンセプト・アルバム」が主体だったのですが、今回はバッハのモテット集という、ベタな選曲でした。しかも、前々作の中にあった音源をそのまま使いまわすという「手抜き」まで行われているのですから、ちょっと心配でご飯も食べれなくなってしまいます(それは「ら抜き」)。
つまり、ここでは収録曲をまとめて一度に録音したのではなく、一昨年、昨年、今年と3回に分けて録音しているのです。その一昨年の分が、すでにこちらのアルバムに含まれていたのです。
と、現象的には許しがたいことをやってはいても、このアルバムではそれがしっかり全体の中に納まっている、という結果にはなっているので、それはそれで許せるというのが面白いところです。つまり、同じ音源でも、コンテクストが変わると全くその役割が変わってくる、ということを、現実に体験できたものですから。
バッハの「モテット」に関しては、いったい何曲あるのかという問題はありますが、ここでは普通に「モテット」と言われているBWV225からBWV230までの6曲に、BWVではそのあとに記載されているBWV118を加えて7曲が演奏されています。さらに、伴奏の編成もはっきりしてはいないので、ここでのペーデシェンは、3回のセッションでそれぞれ異なった編成のアンサンブルを協演させていました。
アルバムの曲順では、まず2016年のセッションで録音された「Komm, Jesu, komm(来ませ、イエスよ、来ませ) BWV229」、「Fürchte dich nicht, ich bin bei dir(恐るるなかれ、われ汝とともにあり) BWV228」、「Der Geist hilft unser Schwachheit auf(み霊はわれらの弱きをたすけたもう) BWV226」の3曲が演奏されます。これらは全てソプラノ、アルト、テナー、ベースの4パートの合唱が2つ向かい合って歌う二重合唱の形で作られたものですが、その伴奏はオルガンにチェロとヴィオローネという編成の通奏低音だけになっていて、さらにピッチがほぼ半音低くなっています(A=415)。ですから、ここではほぼ合唱の裸の姿が披露されることになります。
それに続いては、2015年のセッションと2017年のセッション(これはモダンピッチ)のものが交互に演奏されますが、その前半の「Jesu, meine Freude (イエス、わが喜びよ)BWV227」と「Lobet den Herrn, alle Heiden(主よ讃えよ、もろもろの異邦人よ) BWV230」では、通奏低音の他にコラ・パルテ(合唱のパートと同じメロディを重ねること)で弦楽器が加わっています。そうなると、合唱は弦楽器に覆われることになり、豊かな音色が醸し出されるようになります。
そして、最後の2曲、「O, Jesu Christ, meins Lebens Licht(おお、イエス・キリスト、わが生命の光) BWV118」と「Singet dem Herrn ein neues Lied(主に向かいて新しき歌をうたえ) BWV225」では、弦楽器の他にオーボエやファゴットが加わって、さらに華やかなサウンドとなっています。BWV118などは、前奏や間奏など、合唱が入っていない部分までありますから、さらに充実したサウンドになります(お葬式の音楽なんですけどね)。
そんな感じで、以前はニューステットの作品との対比として使われていたものが、ここでは見事に同じ合唱が伴奏の形態が変わることによって、どれだけの違いが出てくるかということを見せてくれていました。
ただ、「同じ合唱」とは言っても、この合唱団のことですからメンバーは3年の間には大幅に変わっているはずです。それなのに、ブックレットではそれらを区別せずに、「1度でもこれらのセッションに参加したことのある人」を全員並べています。これはちょっと不親切。
でも、なんと言ってもこの合唱のメンバーはそれぞれにレベルが高く、ちょっと「普通の」合唱団が歌っているバッハのモテットとは次元の違う素晴らしい演奏を繰り広げてくれていますから、ぐだぐだと文句を言う必要なんか全然ないのですけどね。

SACD Artwork © BIS Records AB

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-12-14 20:13 | 合唱 | Comments(0)
Silence & Music
c0039487_22183868.jpg




Paul McCreesh/
Gabrieli Consort
SIGNUM/SIGCD 490


かつては「ARCHIV(アルヒーフ)」のアーティストだったポール・マクリーシュのCDを初めて聴いたのは、20年近く前のある日でした。すでにその頃は「アーリー・ミュージックの先駆的なレーベル」ではなく、単なるDGのサブレーベルという扱いになっていたこのレーベルですが、そこではマクリーシュは、当時は「これこそがバッハ演奏の本来の姿だ」ともてはやされていた「1パートは一人で演奏する」というジョシュア・リフキンの主張の実践者として邁進していたはずです。
最近になってSIGUNUMからCDを出すようになると、いつの間にか彼はやたらと大人数の合唱での録音に邁進するようになっていました。ベルリオーズの「レクイエム」では、なんと400人の合唱ですからね。なんか、極端から極端に走る指揮者だな、という印象がありましたね。
そんなマクリーシュの最新のアルバムでは、さらに意表をつくように、「普通の」合唱団としてのレパートリーで勝負してきましたよ。つまり、ここで取りあげられている作品は、全部ではありませんが基本的にアマチュアの合唱団が歌うことを前提にして作られています。ほとんどがソプラノ、アルト、テナー、ベースという4つのパートが伴奏なしで歌われるというシンプルな編成のものです。「パートソング」という言い方をされることもありますね。
とは言っても、ここで取り上げられているのは、エルガー、ヴォーン・ウィリアムズなどのイギリスの大作曲家が作ったものばかりです。マクリーシュはブックレットの中でのインタビューに答えて、「合唱専門の指揮者としてではなく、あくまで交響曲などの指揮もする一般的な指揮者として曲に対峙した」と語っています。さらに、この中で歌われているエドワード・エルガーの2つの合唱曲を引き合いに出して「私のようにエルガーの交響曲や『ゲロンティアスの夢』のような大曲を指揮したことがあれば、必然的にこれらの4分前後の作品に対して別の視野が開けてくるだろう」とも言っています。
なんか、それこそ「合唱指揮者」が聴いたら確実に「やなやつ」と思ってしまうような、高慢な発言ですね。でも、彼の場合はそれをきちんと演奏面で実践しているのですから、何も言えなくなるのではないでしょうか。確かに、このアルバムの中の「小さな」曲たちは、ただのパートソングには終わらない広がりと深みを持っていました。
最初に歌われているのは、エルガーと同世代の作曲家、スタンフォードが作った「The Blue Bird」という曲です。偶然にも、つい最近聴いたキングズ・シンガーズのニューアルバムでも、この曲が取り上げられていましたね。あちらの演奏は、少人数ならではの小気味よくハモるという楽しさが十分に伝わってきて、それはそれで完成されているものでしたが、そのあとにこのマクリーシュの演奏を聴くと、ほとんど別の曲ではないかと思えるほど、広がる世界が異なっていました。
なによりも素晴らしいのが、そのダイナミック・レンジの広さでしょうか。20人ほどの編成なので、特に大きな音で迫ることはありませんが、反対に弱音までの幅がかなり広く感じられるのですよ。超ピアニシモでのエンディングだけで、そのスキルの高さは存分に伝わってきます。
大半は、20世紀の前半に作られた曲で、もちろん作曲家は物故者なのですが、このなかに2曲だけ、ジェイムズ・マクミランとジョナサン・ダヴという、ともに1959年に生まれた、バリバリの「現代作曲家」の曲も歌われています。スコットランドの素材をクラスター風に重ねたマクミランの「the Gallant Weaver」、ミニマル風の細かいフレーズの繰り返しを多用したダヴの「Who Killed Cock Robin?」と、イギリス音楽の伝統を受け継ぎつつ、新しい時代のイディオムもふんだんに盛り込んだこれらの作品にも、たしかな命が吹き込まれています。
男声だけで歌われるヴォーン・ウィリアムズの「Bushes and Briars」と「The Winter is Gone」がちょっと大味なのは、見過ごしましよう。

CD Artwork © Signum Records

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-12-12 22:20 | 合唱 | Comments(0)
GOLD
c0039487_20090252.jpg





The King's Singers
SIGNUM/SIGCD 500


公式には1968年に結成されたイギリスの6人組のヴォーカル・グループ「キングズ・シンガーズ」は、来年の2018年には創立50周年を迎えることになります。その記念に2016年10月から2017年2月にかけて録音されたのが、この3枚組のアルバムです。「金婚式」という意味合いでしょう、そのタイトルは「ゴールド」、さらに品番が「500」というのですから、もうすべてがお祝いモードですね。あんまりはしゃぎ過ぎて、メンバーの間柄が冷たくなってしまうことはないのでしょうか(それは「コールド)。
50年の間には何度も何度もメンバーが変わっているこのグループですが、2016年の9月にカウンター・テナーがデイヴィッド・ハーレーからパトリック・ダナキーに替わった時点で、全メンバーが21世紀になってからの加入者となりました。そういう意味で、「長い結婚生活」ではなく、「新しいパートナーとの再出発」的な意味も、このアルバムには込められているのではないでしょうか。
3枚のCDにはそれぞれ「Close Harmony」、「Spiritual」、「Secular」というタイトルが付けられており、このグループのレパートリーの根幹をなす3つのジャンルの曲が演奏されています。「Close Harmony」は、元々は「密集和音」という音楽用語ですが(対義語は「開離和音(Open Harmony」)、ここでは音域が狭いのでそのようなハーモニーを使わざるを得ない無伴奏男声合唱のことを示す言葉として使われています。もっとも、このグループはカウンター・テナーで女声のパートを歌うことができるので、やっていることは「Open Harmony」なのですが。
ここでは、彼らのライブでの定番の、ポップスや民謡などを編曲したものが歌われています。今回新たに編曲されたものもありますが、この中の2曲のビートルズ・ナンバーは、1986年に録音された全曲ビートルズのカバーのアルバムで使われたものと同じ編曲で歌われていました。「And I Love Her」は、その録音時にテナーのメンバーだったボブ・チルコット、「I'll Follow the Sun」は、その前任者のビル・アイヴズの編曲です。30年前に録音されたこの2曲を、まさに「セルフ・カバー」である今回の新録音と比べてみると、その表現には全くブレがないことに驚かされます。彼らの伝統がしっかり演奏上の細かいところまで受け継がれつつ、メンバーチェンジが行われていたことに、改めて気づかされます。
とは言っても、ソロのパートではそれぞれのメンバーの個性の違いはしっかりと分かります。特に、30年前のテノールだったチルコットの悪声は、現メンバーの日系人、ジュリアン・グレゴリーでは完全に払拭されていました。
「Spiritual」では、広い意味での宗教曲が歌われています。その中に、男声合唱の定番、プーランクの「アッシジの聖フランチェスコの4つの小さな祈り」がありました。これは、テナー、バリトン1、バリトン2、ベースという4つの声部の曲ですから、彼らの場合はカウンター・テナーのパートを除くと残りの4人だけで完璧に歌える曲ですね。ということは、テナーを歌っているグレゴリーくんの声がはっきり聴こえてくるということになります。6人で歌っている時にはちょっと目立たない声でしたが、ここではとても芯のある声のように聴こえました。歴代のメンバーの中では最高のテナーだと思っているビル・アイヴズには及びませんが、それに次ぐ人材なのではないでしょうか。
3枚目の「Secular」は、文字通り世俗曲ですが、宗教曲以外の合唱曲のレパートリーということでしょう。お得意のマドリガルなどに交じって、1987年に武満徹に委嘱した「Handmade Proverbs(手づくり諺)」が入っていたのには驚きました。同じ年に日本で初演された曲ですが、もしかしたらこれが初録音なのでしょうか。いかにも武満らしいハーモニーが素敵です。
このアルバムを携えてのワールド・ツアーがすでに始まっています。丸1年以上をかけて行う大規模なツアーですが、あいにく日本でのコンサートはないようですね。

CD Artwork © Signum Records

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-12-07 20:10 | 合唱 | Comments(0)
MOZART/Requiem(ed. Dutron)
c0039487_20290004.jpg

Sophie Karthaüser(Sop), Marie-Claude Chappuis(Alt)
Maximillian Schmitt(ten), Johannes Weisser(Bar)
René Jacobs/
RIAS Kammerchor
Freiburger Barockorchester
HARMONIA MUNDI/HMM 902291


今までモーツァルトの多くのオペラを録音してきたルネ・ヤーコブスが、満を持して「レクイエム」の録音を行いました。この作品の場合、どんな楽譜を使うのかが気になるところですが、ここではフランスの若い作曲家ピエール=アンリ・デュトロンというヒノノニトンみたいな名前の人(それは「デュトロ」)の懇願を受けて、2016年に作られたばかりの彼の修復稿が使われています。それはヤーコブスによって2016年11月25日(ちょうど1年前!)に、パリで初演されました。それを、2017年7月にベルリンのテルデック・スタジオで録音したものが、このCDです。当然のことですが、この楽譜による世界初録音ですね。
この「デュトロン版」は、まだ出版はされていません。というか、出版する意思はないのではないでしょうか。スコアは作曲家のウェブサイトからだれでも直接ダウンロードできるようになっています。それは、彼のコメントによると「この新しいバージョンは、個人的、芸術的な興味から作ったもので、なんの報酬も得てはいない」からなのだそうです。
c0039487_14251968.jpg
そんなわけで、居ながらにして145ページに渡るスコアを入手することが出来ました。タイトルには「Requiem/Süssmayer Remade, 2016」とあります。そして、「前半はモーツァルトの自筆稿、後半はジュスマイヤーが作ったものに基づいている」、ともあります。ということは、あくまでもジュスマイヤー版をベースにして、それに少し手を加えたものなのでは、という印象は持つことでしょう。実際、代理店のインフォにも「ここでのデュトロンによる補完は(中略)ジュスマイヤーが残した版に敬意を払って行われたもので(中略)あくまでもジュスマイヤーの版を尊重しながら、彼が犯したオーケストレーション上の作法の間違いなどを修正し改善する、というところにあります。」と書かれていますからね。
これだけ読むと、それこそこのような新たな修復版の先鞭を切った「バイヤー版」(1971年)と同じようなコンセプトですね。確かに、バイヤー版ではジュスマイヤー版の尺はほとんど変わっておらず、オーケストレーションだけが変更されていました。しかし、このデュトロン版は、そんな穏やかなものではなく、ジュスマイヤーの仕事を完膚なきまでに改変してしまっていました。
一番かわいそうなのは、ジュスマイヤーが作ったとされる「Benedictus」です。これまでに作られていたどんな修復稿でも、この曲のイントロと、歌い出しがアルトのソロという部分は変えられることはなかったのに、ここではイントロはなんとも陳腐なフレーズに変わっていますし、歌い出しもソプラノとテノールのデュエットになっていますからね。それ以後の構成もガラリと変わっています。
個人的には、この「Benedictus」はジュスマイヤーの最高傑作、もしかしたらモーツァルトをしのぐほどの美しさが込められているのではないか、とさえ思っていますから、こんな風に無残に改竄されてしまったことに怒りさえ覚えます。ここには「ジュスマイヤー版に対する敬意」などというものは全く存在していません。先ほどの「Süssmayer Remade, 2016」というクレジットは、「2016年に、ジュスマイヤーに成り代わってこれからのスタンダードを作り上げた」という、不遜極まりない決意が込められてものなのだ、とは言えないでしょうか。それならそれで、「ジュスマイヤー」などという言葉は使わず、ストレートに「デュトロン版」と宣言すればいいものを。
ヤーコブスともあろう人が、なぜこんな「ヤクザ」な仕事に加担したのかは知る由もありませんが、彼がここで演奏しているものでは、さらにこのスコアから「改訂」されている部分も見受けられます。決定稿を完成させるには、演奏家とのうるわしい共同作業も欠かせませんね。その結果、これは「v3.09」ですから、アップデートされた「v3.10」も、いずれはネットで公開されることになるのでしょう。便利な世の中になったものです。

CD Artwork © Harmonia Mundi Musique S.A.S.

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-11-25 20:31 | 合唱 | Comments(0)
FAURÉ/Requiem & other sacred music
c0039487_20110424.jpg




David Hill/
Yale Schola Cantorum
HYPERION/CDA 68209


イギリスの合唱界で名声を博した指揮者、デイヴィッド・ヒルは、現在はアメリカのイェール大学の合唱団「イェール・スコラ・カントルム」の首席指揮者を務めています。イェール大学と言えば、アメリカでは1.2を争うランキングを誇っていますから、政界、実業界、そして芸能界にも多くの人材を輩出していますね。
この合唱団は、2003年にかつてのキングズ・シンガーズのメンバー(バリトン)、サイモン・キャリントンによって創設され、その後多くの有名な指揮者と共演を果たしています。その中にはサイモン・ハルジー、ポール・ヒリアー、スティーヴン・レイトン、ジェイムズ・オドネルなどといったそうそうたるメンバーの名前が躍っているのを見ることが出来ます。バッハ・コレギウム・ジャパンの鈴木雅明も、首席客演指揮者として参加していますし。宴会にも出るんでしょうね(それは「酒席客宴指揮者」)。
そんなエリートぞろいの学生の中からオーディションによって選ばれた人たちが、これだけの指揮者によって鍛えられるのですから、その実力はかなり高いことが期待できるはずですね。
ただ、キャリントンが指揮者だった時代、2006年に録音されたこの合唱団たちの演奏によるバッハの「ヨハネ受難曲」を、こちらで聴いたことがありましたが、その時には、そんなに心を動かされるような合唱ではなかったような気がします。
今回、このHYPERIONという、ヒルが数多くの名演を残しているレーベルに、この合唱団のアルバムが初めて登場しました。ここで演奏されているのはフォーレの「レクイエム」を始めとする宗教曲です。合唱曲だけではなく、オルガン・ソロの曲なども入っているというユニークな選曲になっています。いや、もっとユニークなのが、その「レクイエム」でヒル自身が小アンサンブルのために編曲したバージョンが使われているということでしょう。この曲では、オリジナルでも何種類かの楽譜がありますが、ここでヒルは合唱パートはフル・オーケストラ・バージョンをそのまま使い、そこにヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスがそれぞれ2人ずつに、ハープとオルガンが加わった10人の編成による伴奏を付けているのです。
この編曲に対する違和感は、1曲目の「Introït et Kyrie」から気づかされます。「Requiem aeternam」と歌う時の、本来静かに漂うように流れてほしい合唱が、拍の頭でブツブツ切れて聴こえてくるのです。その原因は、その部分にオリジナルにはないハープのアコードが入っているためです。本来、この作品でのこの楽器の役割は「Sanctus」のようにアルペジオで曲を優雅に彩ることです。それを、こんな乱暴な使い方をすれば変なアクセントが付いてしまい、そこで音楽が区切られてしまうのは分かりきったことです。ヒルほどの人がなぜこんな愚かなことをやったのか、全く理解できません。
ここではソリストも全員合唱団のメンバーが担当しているように、その個々の技術的なレベルは非常に高いことは十分にうかがえます。ピッチは正確ですしユニゾンでのまとまりも素晴らしいものがあります。ただ、そのダイナミックスの変化は、まるでまるで前もってプログラミングされているかのように、なんとも機械的に推移しています。そしてテンポも、きっちりクロックに従って均一に刻まれているだけです。その中には、普通は「表情」と呼ばれている、心の中から湧き出てくる情感の反映が、感じられないのです。つまり、そこからは全く「歌」が聴こえてこないのです。
これが、単にこのエリート集団の合唱団員の責任だけではないのでは、と思えるのは、「Agnus Dei」の途中の「Lux aeterna」に移るところです。ここの素敵な転調はいつ聴いてもワクワクさせられるものなのですが、ヒルのこの演奏ではなんともあっさりと素通りしているのにはがっかりさせられます。この部分は、彼が1996年に録音したウィンチェスター大聖堂聖歌隊との録音(ラッター版/VIRGINE)でも、同じような感じでしたね。

CD Artwork © Hyperion Records Limited

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-11-18 20:13 | 合唱 | Comments(0)
So Is My Love
c0039487_19264946.jpg




Nina T. Karlsen/
Ensemble 96
2L/2L-140-SABD(hybrid SACD, BD-A)


このレーベルのオーナーでプロデューサーのモーテン・リンドベリの趣味には、時には付いていけないほどマニアックなところがあります。今回のアルバムもタイトルがこんな「So Is My Love」という抽象的なものですし、ジャケットを見ただけではどんな作品が入っているのかも分かりませんから、ちょっと戸惑ったのですが、とにかくアンサンブル96の久しぶりの録音なので、聴いてみることにしました。この室内合唱団は、「Immortal Nystedt」(2004年録音)と「KIND」(2010年録音)という2枚のアルバムがこのレーベルから出ていましたが、今回は2016年の録音なので、きっちり6年ごとにアルバムを作ってきたことになります。そして、その3回ともすべて指揮者が異なっている、というのも興味深いところです。このアルバムが彼らとの初録音となるニーナ・T・カールセンは、1983年生まれの女性指揮者で、2011年にアンサンブル96の指揮者兼芸術監督に就任しています。
そこで、まずはこのタイトルの「意味」を、リンドベリがどのように語っているのか、見てみることにしましょうか。彼はこの「So Is My Love」というフレーズに二重の意味を持たせたのだ、と言っています。一つは「私にとって、愛とはこういうものなのよ」、そしてもう一つは「私の最愛の人って、こんな感じよ」という意味なんですって(別に女言葉とは限りませんが)。いまいちその違いが分かりませんが、なんかロマンチックですね。
そんなコンセプトのもとに選ばれた曲が、全部で10曲収められています。登場する作曲家は全部で5人。その中で最も多い5曲を提供しているのが、こちらでこのレーベルにはおなじみの1974年生まれのノルウェーの作曲家トルビョルン・デュールードです。5曲のうちの3曲が、旧約聖書の「ソロモンの雅歌」の英訳をテキストにした「Lovesongs I-III」です。この作曲家らしい適度にハードなところがあっても聴くのは重労働ではなく、基本的に親しみやすい作風が、その3曲では様々なヴァリエーションとして現れています。その他の2曲は、ノルウェーの詩人のテキストによる、まるでシベリウスの「フィンランディア」のような美しいメロディを持つ「Mad en bukett(花束とともに)」と、ウィリアム・ブレイクのテキストによるとても楽しいマドリガル、「Loughing Song」です。
「雅歌」からは、フランスの作曲家ジャン=イヴ・ダニエル=ルシュールの作品も、こちらはフランス語訳のテキストによる「La Vois du Bien-Aimé(美しい恋人の声)」と「La Sulamite(シュラムの女)」の2曲が歌われていて、このアルバムのモットーとしての役割を果たしています。こちらの方はもろラヴェルのような印象派風の音楽です。
アルバムの冒頭を飾っているのが、1985年生まれのノルウェーの作曲家マッティン・オーデゴールの「Love me」という、トーマス・タリスの曲やブルーグラス風のフィドルまでフィーチャーした、「ごった煮」的な作品です。ノルウェーの作曲家ではもう一人、1969年生まれのフランク・ハーヴロイが作った「Rêve pour l'hiver(冬の夢)」という、プーランク風のテンション・コードが美しい曲も加わります。
さらに、なんとカールハインツ・シュトックハウゼンの作品まで。「Armer junger Hirt(あわれな若い羊飼い)」は、1950年に作られた彼の学生時代の習作で、後に彼の妻となるドリス・アンドレアにささげた「ドリスのための合唱曲集」という3つの小品の中の2曲目、ポール・ヴェルレーヌの詩のドイツ語訳がテキストになっています。もちろん、これは彼の後の作風とは無縁の、単に若いころにはいかに伝統的な技法を学んでいたか、というサンプルに過ぎません。5節から成る詩なのですが、なぜかブックレットの対訳では第3節と第4節が入れ替わっています。
指揮者が代わっても、彼らのサウンドは変わってはいませんでした。前2作同様、オスロのウラニエンベリ教会での録音は、熟れた果実のような瑞々しい声が、豊かな残響とともに迫ってくる素晴らしいものです。

SACD & BD-A Artwork © Lindberg Lyd AS.

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-11-11 19:28 | 合唱 | Comments(0)
BRITTEN/War Requiem
c0039487_20303264.jpg

Sabina Cvilak(Sop), Ian Bostridge(Ten), Simon Keenlyside(Bar)
Gianandrea Noseda/
London Symphony Chorus(by Joseph Cullen)
Choir of Eltham College(by Alastair Tighe)
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO0719(hybrid SACD)


大分前にリリースされていた、2011年録音のブリテンの「レクイエム」ですが、資料的に面白いものがブックレットに載っていたので、紹介してみることにしました。
c0039487_14401178.jpg
それは、こんな、この録音に参加した合唱団のメンバーの一人が持っていた、この曲のヴォーカル・スコアです。たくさんの人数の合唱が必要ですから出版社はうれしいでしょうね(それは「儲かるスコア」)。ここには多くの人のサインが書き込まれていて、この楽譜の持ち主が今までにいかに多くのこの曲の演奏に携わってきたことがよく分かりますが、それはさておいてまず気が付いたのが、このスコアのためのリダクションを行ったのが、イモジェン・ホルストだということです(そこ?)。
ご存知でしょうが、彼女は「惑星」で有名なグスターヴ・ホルストの娘さんです。父親の影響でしょう、音楽学者、指揮者、作曲家として生涯独身で過ごした方で、もちろん父親の作品の編曲や管理なども行っていました。そのイモジェンさんは、ブリテンの親友でもあったのですね。ただ、ブリテンには別の「恋人」がいましたから、それ以上の関係に進むことはなかったのでしょうね(でも、彼女のお墓はブリテンのお墓の脇にあります)。彼女がブリテンの合唱曲にオーケストラの伴奏を付けたのは知っていましたが、こんな形で「戦争レクイエム」にも関わっていたのですね。
サインの話に戻りますが、なにしろ皆さん達筆ですから、写真では誰のものかは分かりません。でも、ちゃんと注釈が付いているので、誰が書いていたかは分かります。その中には、もちろんこの録音の時のソリストの名前もありますが、中にはピーター・ピアーズとかガリーナ・ヴィシネフスカヤなどといった、1963年の初録音の時のメンバーなどもいるので、このスコアの持ち主はそんなころから合唱をやっていたのでしょうね。持ち主の名前も分かるのでメンバー表を見てみたら、確かにベースのパートにいましたね。おそらく、彼はピアーズと共演したころは少年合唱として参加していたのでしょう。
彼が所属しているのはロンドン・シンフォニー・コーラスですから、オーケストラはほとんどロンドン交響楽団だったのでしょう。確かに、ヴィシネフスカが歌ったDECCA盤はロンドン交響楽団でしたからね(指揮はブリテン自身)。ただ、その前に行われた初演では、オーケストラはバーミンガム市交響楽団でした。ですから、その時のソリストだったヘザー・ハーパーのサインもあったので、そちらにも出ていたのかな、と思ったら、その後にロンドン交響楽団がリチャード・ヒコックスの指揮でCHANDOSに録音した時に、彼女は歌っていたので、サインはその時のものだったのでしょう。
ということで、このSACDはこのオーケストラが「戦争レクイエム」を録音した3枚目のアルバムということになります。もちろん、指揮者は全て別の人です。
この曲は、全曲演奏すると80分以上かかります。ですから、普通はCD2枚が必要になっています。先ほどの初録音のDECCA盤も、LPはもちろん2枚組でしたし、1985年にCD化された時も2枚組でした。その頃は、まだ1枚に74分しか入りませんでしたからね。しかし、2013年BD-Aによるハイレゾ音源がリリースされた時は、同梱されていたリマスタリングCDでは全曲が81分22秒が1枚に収まっていましたね。
今回のSACDでは、演奏時間は83分48秒ですから、シングル・レイヤーのSACDでしたら楽々収まるのですが、ハイブリッド盤でCDの規格に合わせると、ギリギリのところで1枚には入りません。仕方がありませんね。
ソリストは、テノールのボストリッジは今までに何度もこの曲を録音していますが、ソプラノのツビラクとバリトンのキーンリーサイドはこれが初めてなのではないでしょうか。二人ともなかなかの好演、特にキーンリーサイドは、とても懐の深い歌い方が印象的で、正直あまり面白味のないアンサンブルのパートを、意外なほど魅力的に感じさせてくれました。それと、少年合唱のレベルの高さにも、驚かされます。

SACD Artwork © London Symphony Orchestra

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-11-04 20:33 | 合唱 | Comments(0)
WOOD/Requiem
c0039487_20201126.jpg


Rebecca Bottone(Sop), Clare McCaldin(Alt)
Ed Lyon(Ten), Nicholas Garrett(Bas)
Paul Brough/
L'inviti Sinfonia & L'invini Singers
ORCHID/ORC 100068


2012年に初演と同時に録音された、新しい「レクイエム」です。正確には2012年12月12日というゾロ目の日に録音セッションがもたれ、その日の夕方に同じ場所でお客さんの前で初めてのコンサートが行われました。
この曲を作ったのは、1945年生まれのクリストファー・ウッドというイギリスの「作曲家」です。いや、この方は決してプロフェッショナルな作曲家ではありません。「本職」は腕のいい外科医、さらには癌の新薬を開発する製薬会社の社員として、世の中のため働いている人なのです。
そんな人が2002年に仕事でアメリカに行った時にテレビで報道されていたエリザベス王太后の崩御を伝えるニュースを見て、何千人という人たちが悲しみにくれている情景に心を打たれ、こういう時に歌うものとして自らの手で「レクイエム」を作ろうと思い立ったのです。
それはあくまで彼自身が満たされるための作業でしたから、いつまでに作り上げる、といったような期限もありません。一日の仕事が終わった夜中にピアノに向かって心から湧き出てきたメロディを奏でて楽譜に書き起こすという時間は、まさに至福の時だったのでしょう。結局、彼は8年かかって「レクイエム」の全てのテキストにメロディをつけ終わりました。
もちろん、そんなものは世間に公表するつもりはさらさらなく、単に作曲上の誤りを指摘してもらってこれをさらに良いものに仕上げるために、知り合った音楽コーディネーターのデイヴィッド・ゲストという人にこの楽譜を見せました。ゲストは、自分で「こうでないといけないよ」というような助言はせず、彼に作曲家でオーケストレーションの仕事をしているジョナサン・ラスボーンという人を紹介してくれました。ところが、ラスボーンはこの楽譜を見るなり、いきなりオーケストレーションのプランを語り始めたのです。彼はこのメロディの中に、しっかりとした可能性を見出したのですね。
それから2年かかって、オーケストレーションは完成しました。ここでゲストが実際のレコーディングを仕切りはじめます。BBCシンガーズの首席客演指揮者のポール・ブローを指揮者に招き、この曲を録音するだけのために、イギリス国内からオーケストラと合唱団のメンバーを集めてしまったのです。
全曲を演奏すると1時間ほどかかるこの「ウッド・レクイエム」は、通常の典礼文のテキストをもれなく使って、全部で10の曲によって構成されていました。混声合唱に4人のソリストと、フル編成のオーケストラが加わります。
何よりも魅力的なのが、その、1度聴いただけで心の底に響いてくる豊かなメロディです。それを彩るハーモニーも、まさに古典的、5度圏や平行調の範囲を超えることはまずない、予定調和の響きが続きます。唯一、「Sanctus」と「Libera me」で出現するのがエンハーモニック転調ですが、それはフォーレのレクイエムの中で印象的に聴こえるものですから、おそらく作曲者はそのあたりを参考にしていたのでしょう。
全体の印象は、もちろんそのフォーレの雰囲気もありますが、ジョン・ラッターの作品にもとても似通ったセンスを感じることが出来ます。何よりも、そのオーケストレーションの甘美なこと。時折金管楽器のファンファーレで華やかになるところもありますが、基本のサウンドはハープと弦楽器が織りなす繊細なサウンドです。さらに、そんなオーケストラや合唱をシルキーにまとめた録音も手伝って、そこにはまさに天上の音楽が鳴り響きます。
ただ一つの欠点は、普通の「レクイエム」ではちょっとありえないほどのスペクタクルなサウンドで盛り上がって終わるというエンディングです。ただ、ウッドはしっとりと消え入るように終わるエンディングも考えていたのですが、その両方を彼の妻に聴かせたところ、即座に「賑やかな方!」という答えが返ってきたので、この形になったのだそうです。
その時、コンスタンツェやアルマと並ぶ「悪妻」が誕生しました。

CD Artwork © Orchid Music Limited

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-11-02 20:22 | 合唱 | Comments(0)
MENDELSSOHN/Symphony No..2 'Lobgesang'
c0039487_22371547.jpg

Lucy Crowe(Sop), Jurgita Adamonyte[](MS)
Michael Spyres(Ten)
John Eliot Gardiner/
Monteverdi Choir
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO0803(hybrid SACD, BD-A)


ガーディナーとロンドン交響楽団によるメンデルスゾーンの交響曲ツィクルスは、声楽が入っていないものだけで完結していたと思っていたら、ちゃんと「賛歌」も出してくれました。もはやこの曲は最新の目録では「交響曲」のカテゴリーには参加を許されなくなっているのですから、原典志向を貫くのなら「出してはいけない」ものになるのですが、やはり今のガーディナーにそこまでの偏屈さはありません。
とは言っても、この曲のタイトルは「Sinfonie-Kantate Lobgesang」、普通は「交響的カンタータ」などと訳していますから、あくまで「カンタータ」の仲間だと思ってしまいますが、「Sinfonie」と「Kantate」の間にハイフンがあることを考えれば、「交響曲とカンタータが合体したもの」と解釈することもできます。実際、これは前半は紛れもなく交響曲の第1楽章から第3楽章までの形をとっていて、その後に9曲から成る「カンタータ」をくっつけたものなのですから、これを「交響曲」から外してしまったMWVはちょっと荒っぽいやり方をとったな、という印象はありますね。ですから、この曲を聴く時には、「交響曲」と「カンタータ」の両方の魅力を一度に味わえるものとして接する方が、より楽しみが広がるのではないでしょうか。
メンデルスゾーンは、この曲を1840年に初演を行った後にすぐ改訂しています。1841年に出版された時は、もちろんこの改訂稿が印刷されているので、この曲の場合その「第1稿」はほとんど話題にはなりませんが、そういうゲテモノが大好きなリッカルド・シャイーが2005年にそれを録音してくれていました。しかも、NMLで簡単に聴くことが出来るようになっているので、どんなものなのか聴いてみましたよ。
そうしたら、なんとすでに第1楽章の5小節目でトロンボーンのテーマが変わっていて「交響曲」の部分でもかなりの改訂個所が見つかりましたが、とりあえず「カンタータ」の部分の方がより大きな改訂がなされているようですから、しっかり比較してみました。その結果、この部分の改訂箇所はどうやら5箇所ほどあるようでした。
3曲目:テノールのレシタティーヴォとアリアですが、第1稿にはアリアがありません。
6曲目:これもテノールのアリア。全く別の音楽です。最後のソプラノの一言も第1稿にはありません。
8曲目:最初のア・カペラのコラールは、第1稿にはオーケストラが加わっています。
9曲目:テノールのソロの後ソプラノのソロになりますが、第1稿ではテノールの部分だけで終わっています。
10曲目:終曲の合唱ですが、後半のフーガが第1稿ではちょっと違います。
もちろん、この改訂に関するWIKIの記述は、かなり不正確です。
メンデルスゾーンの場合、改訂を行うと元のものよりつまらなくなってしまう、という、他の交響曲における真理は、この曲の場合は全く通用しないことが分かりました。シャイーの録音の場合、合唱があまりにひどいということもあるのですが、特に6曲目のテノールのソロによるナンバーが、現行の改訂稿に比べると全く魅力が欠けているのですよね。
と、長々と改訂稿について語ってみたのは、もちろん改訂稿で演奏されている今回のガーディナー版では、この6曲目からのインパクトがとてつもないものだったからです。ここでのマイケル・スパイアーズのソロの素晴らしいこと。カンタータというよりはまるでオペラのような豊かな表現力です。そして、それに続く合唱は、たとえばさっきのシャイー盤の合唱に比べたら全く別の次元のものでした。こちらもほとんどオペラかと思えるほどのドラマティックな歌い方、8曲目のコラールでもその生々しい表現はこの曲全体のイメージまで一新させてしまうほどのものでした。
そんな合唱の豊潤さは、SACDよりもBD-A(24bit/192kHz)の方がより顕著に味わうことが出来ます。やはりこれは、SACD(DSD 64fs)では元の録音のDSD128fsは完全には再現できないからでしょう。

SACD & BD Artwork © London Symphony Orchestra

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-10-21 22:39 | 合唱 | Comments(0)
EŠENVALDS/The Doors of Heaven
c0039487_20564723.jpg




Ethan Sperry/
Portland State Chamber Choir
NAXOS/8.579008


エリクス・エシェンヴァルズは、1977年にラトヴィアに生まれた作曲家です。ラトヴィアは、エストニア、リトアニアとともに「バルト三国」と呼ばれ、合唱が盛んな国として知られています。このエシェンヴァルズもおもに合唱のための作品をたくさん作っているまさに「売れっ子」の作曲家です。
手元には、2010年に録音されたレイトン指揮のポリフォニー盤(HYPERION)と、2015年に録音されたクリャーヴァ指揮のラトヴィア放送合唱団盤(ONDINE)がありました。それらを聴いて、この作曲家の作品には、かなり惹かれていました。もはや「アヴァン・ギャルド」と呼ばれるような音楽とは無縁になっている世代ですから、技法的にはとてもオーソドックスなものなのですが、ハーモニーの表現ツールとしてかなり細分化された音の塊を扱う、まるでリゲティのようなところがあるのが魅力的でした。
ただ、それを歌う合唱団はかなりのポテンシャルを要求されるのではないか、という気はしました。この2枚のCDで歌っている団体は、どちらも非常に高水準のテクニックと音楽性を備えていましたから、そんなエシェンヴァルズの音楽を、それぞれに方向性は異なるものの、しっかりと聴く者に使えることに成功していました。と同時に、これはアマチュアが手を出したりするのはかなり危険なのではないか、という印象も強く持ちました。
今回、2016年に録音されたNAXOS盤では、アメリカのポートランド州立室内合唱団という合唱団が歌っています。フーゾクではありません(それは「ソープランド」)。設立されたのは1975年、ポートランド州立大学の優秀な学生だけをピックアップして、このような名前のハイレベルな合唱団が結成されたのです。それ以来、ロバート・ショーやエリック・エリクソンなどの大指揮者との共演もあり、この合唱団のレベルには一層の磨きがかけられ、多くのコンクールに入賞したり、世界的なツアーを敢行したりするほどになりました。ポートランドで生まれた合唱作曲家、ローリゼンにも絶賛されています。レコーディングも数多く行っており、その中にはあのトルミス直々に指名されて録音したものも有るのだそうです。凄いですね。
とは言っても、基本的にアマチュアの合唱団ですから、エシェンヴァルズでは、果たしてこれまでの合唱団と対等に渡り合えるほどの演奏を聴くことはできるのでしょうか。なんせ、このアルバムでは収録されている4曲中の3曲までが、すでにさっきの2枚のCDに収められているのですから、ハードルはかなり高くなります。
それ以前に、この「The Doors of Heaven」というアルバム・タイトルに、ちょっと引っかかります。これは、ここで演奏されている作品のタイトルではないんですね。調べてみると、「Rivers of Light」という曲の歌詞の一部だと分かりました。「冬の夜には空一面が光の川であふれ、天国への扉が開く」とオーロラに彩られた北欧の夜空が歌われています。そんな美しい光景をイメージしたタイトルだったのでしょう。たしかに、そんなカラフルなイメージは、この中のどの曲からも受け取ることはできます。
ただ、それだけには終わらない、もっと強靭なメッセージが彼の音楽には込められています。それは、このアルバム・タイトルの元では決して伝わって来ることはありません。
そんな風に思ってしまったのは、この学生合唱団のレベルが、明らかにこれまでのCDの団体よりも数段劣っていたからです。どちらにも入っていた「A Drop in the Ocean」では、後半になるとぼろぼろになっているのがはっきり分かりますからね。ここで初めて聴くことが出来た先ほどの「Rivers of Light」も、前の2つの団体だったらもっと精緻なハーモニーが味わえるのに、と思ってしまいます。テナーに、とても目立つ悪声の人がいるんですよね。プロだったらありえないことです。
その程度のものでも構わないのでは、と思ってこのようなタイトルを付けたのであれば、それは作曲家に対する冒涜以外の何物でもありません。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-10-17 20:59 | 合唱 | Comments(0)