おやぢの部屋2
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RICHTER/ La Deposizione della Croce di Gesù Cristo, Salvator Nostro
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Kateřina Knĕžíková, Lenka Cafourková Ďuricová(Sop)
Philipp Mathmann, Piotr Olech(CT), Jaroslav Březina(Ten)
Roman Válek/
Czech Ensemble Baroque Orchestra & Choir
SUPRAPHON/SU 4204-2


フランツ・クサヴァー・リヒターと言えば、音楽史の上ではいわゆる「マンハイム楽派」の中心メンバーで、バロックから古典派への橋渡しを行った作曲家と位置づけられています。チェコのモラヴィアに1709年に生まれ、1789年にストラスブールで没した彼の生涯は、たしかにバッハの若い時からモーツアルトの没年までをカバーしています。
リヒターがマンハイムの宮廷に仕えていたのは1747年から1769年までです。マンハイムでは、毎年聖金曜日の礼拝の後に、イタリア語の受難オラトリオが演奏される習慣があり、1748年4月12日の聖金曜日には、このリヒターの作品が演奏されました。
リヒターの交響曲や室内楽曲は多くの作品が知られていますが、宗教曲に関しては未だにその全貌は明らかになってはいないようです。この作品もこれまでに録音されたことはなく、今回が世界で初めとなります。
ここで演奏しているロマン・ヴァーレク指揮のチェコ・バロック・アンサンブル・オーケストラは、以前もこちらで同じリヒターの「レクイエム」で世界初録音を行っていました。もちろんレーベルも今回と同じチェコのSUPRAPHONですから、「母国」の作曲家の知られざる作品を紹介したいという熱意のあらわれなのでしょうね。
「レクイエム」の方は、作られたのは作曲家の晩年、ストラスブールの教会の楽長時代のもので、演奏時間は30分程度のコンパクトなものだったのですが、今回の「我らが救い主イエスキリストの降架」というタイトルのオラトリオは全体が2部からできていて、正味の演奏時間はほぼ2時間という大作です。
テキストは、そもそもはウィーンの宮廷に仕えていたイタリア人の台本作家、詩人のジョヴァンニ・クラウディオ・パスクィーニが、1728年にヨハン・ヨーゼフ・フックスのオラトリオのために書いたものです。この台本は、彼がドレスデンの宮廷に移った1744年にヨハン・アドルフ・ハッセのために大幅に改訂され、その改訂稿がこのリヒターの作品のテキストの元となっています。
「降架」というのはトイレではなく(それは「後架」)、磔刑にあったキリストを十字架から降ろすことです。このオラトリオの登場人物は実際にその「降架」を行ったとされるアリマタヤのヨセフとニコデモ、十字架をここまで運んだキレネのシモン、それに福音書でおなじみの聖ヨハネと、キリストのカノジョ、マリア・マグダレーナの5人です。
彼らは、レシタティーヴォ・セッコでキリストが処刑された模様やこれまでの出来事を語り合い、それぞれが2回ずつ(シモンだけは1回だけ)長大なダ・カーポ・アリアを歌います。合唱第1部の最初と最後、そして第2部の最後の3回しか登場しません。そして、曲全体の頭には、3つの楽章から成る「シンフォニア」が演奏されます。
ハ短調で始まるそのシンフォニア、最初の楽章こそ重々しい響きの深刻さがありますが、次第にごく普通の「交響曲」(もちろん、当時のシンプルなスタイルの)のように聴こえてきます。そうなると、なんだか「キリストの受難」とはかけ離れた音楽のように感じられてしまうのですが。
アリアになると、そんな傾向はさらに強まります。ほとんどの曲が、いとも軽やかなイントロに乗って華麗に装飾を付けて歌われますし、時にはカデンツァなども披露されていますから、かなりシリアスな歌詞の内容とは何とも相いれられないのですね。
こういう作品を聴くと、もしかしたら、彼が修得した音楽様式は、そもそもそのような深刻な情感を時代を超えて普遍的に表現できるようなものではなかったのでは、という思いを抱いてしまいます。この頃はまだ存命だったバッハの受難曲では、決してそんなことを思ったりはしませんけどね。
ここでヨハネを歌っているフィリップ・マスマンというカウンターテナーは、とても素晴らしいですね。この方はお医者さんなんですって。

CD Artwork © SUPRAPHONE a.s.

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by jurassic_oyaji | 2018-01-30 20:52 | 合唱 | Comments(0)
訂正のシール貼りをしなくて済みました
 愚妻がスマホを買ったのは去年の末でした。案の定、もうほとんどパニック状態で、電話がかかって来ても受けられないほどの悲惨なことになっていましたね。メールを送るにも、入力のやり方が全然違いますから、もう大変です。
 そんな愚妻は、さる女声合唱団に入っていて、練習の時には必ずレコーダーを持って行って、しっかり録音をしています。毎回ですから、偉いですね。それも、以前はMDレコーダーだったのですが、それはもう壊れても修理できないし、MDのメディアもなかなか手に入らなくなっているので、ICレコーダーを導入したのですが、それも最初の頃は大騒ぎでしたね。そして、それを遠隔団員に送るために、マイクロSDにコピーしたりしなければいけません。当然そんなことは自分ではできませんから、私が代わりにやらされることになります。そのマイクロSDを毎週郵便で送っていましたね。
 でも、せっかくスマホにしたのだからと、他の仲間からの「スマホで音源を送れるよ」という言葉を真に受けて、音源のmp3データをそのまま送ることはできないかと聞いてきました。もちろん、愚妻にはいったいそれがどういうことを意味するのかは全く分かりません。ただ、中には「別の合唱団では、ホームページからダウンロードしている」などという人もいるのだ、というようなことも聞いているようです。そうなれば、私にとってはその方が手っ取り早いので、さっそくその手順を考えてやることにしました。データは1時間以上録音してありますから、8メガぐらいはザラにあるので、そのままメールに添付するのは無謀ですから、サーバーにアップしてそれをダウンロードできれば、一番楽でしょうね。
 そこで、まず私のサーバー(「ジュラシック」やニューフィル公式サイトの写真や音源がたくさん入っています)に、その音源をアップします。ICレコーダーにはUSB端子が付いていてそのままPCに接続できますから、アップロードは簡単にできます。でも、愚妻はそもそもそのあたりの仕組みが全く理解できないようで、レコーダーを借りようとすると「最初まで巻き戻すから、ちょっと待ってて」なんて言ってましたね。逆にそういう感覚の方が、私には理解できません。
 そして、その音源のURLを普通のメールにコピーして、愚妻のスマホに送ります。愚妻は、それを送り先に転送するだけ、簡単ですね。ですから、送った直後に、先方から「ダウンロードできました」という返事が来ていたようですね。これで、このミッションの手順は確定しましたから、それ以後は同じことを繰り返せばいいことになります。
 ところが、そんなメールを何度か送っていたら、今度は「前に送っていただいた音源が聴けなくなってしまいました」という連絡があったのだそうです。そんなわけはない、ダウンロードしたのだったら、あちらのスマホかPCには残っているのだろう、と思ったのですが、どうやらそういうことではないようなのですね。私は、「ダウンロードが終わった」という言葉を信じて、送り終わったデータはもう必要がないので即座に削除していました。ところが、先方はどうやら「ダウンロード」したわけではなく、単に「ストリーミング」で聴いただけだったのでしょうね。ですから、もう1度聴こうと思ってアクセスしても、もはやデータがないので聞くことはできなかったのですよ。つまり、その方は「ダウンロード」の正しい意味を把握していなかったのですね。
 まあ、これは当然と言えば当然。こういうことに関しては基本的に愚妻と同じレベルなのでしょうから、そんな人が「ダウンロードしてデータを保存」することなんてできるわけがないと考えるべきでした。ですから、しばらくはアップしたデータは削除せずにそのままにしておくことにしましたよ。
 なんて、他人のことはいくらでも笑えますが、私もとんでもないミスをしていたことに夕べ気が付きました。今度のニューフィルの定期演奏会のチラシの裏面に、重大なミスがあったことに今頃気が付いたのですよ。なんで今まで気が付かなかったんでしょうね。というか、正直これは間違いなんかないだろうと、読みもしなかったのかもしれません。ニューフィルの「校閲マン」たる私の、痛恨のミスでした。
 幸い、まだ印刷には入っていなかったようで、ちょっと納品は遅れますが、きちんと直ったチラシは出来上がるみたいです。
 ニューフィルのトップページからリンクしているPDFも、直しました。↓は直す前、さあ、どこが間違っていたのでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2018-01-29 22:06 | 禁断 | Comments(0)
ココスのメニューは笑えます
 今日は、「杜の都合」の練習だったのですが、フルートパートは5人のうちの3人がお休みということになってしまいました。そもそも、最初から他のオーケストラの練習日と重なっていたところに、ご家族がインフルエンザにかかってしまったという悪条件が重なって、そういうことになってしまったのです。そうなると、マーラーは出来れば一人はピッコロのパートを吹いてもらいたかったので、急遽パート譜をコピーしてくることにして、練習前に職場へ向かいました。そうしたら、坂道の登り口のJRのガードと別れるところで、なんだか事故が起こっているようでした。
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 近くに行ってみると、こんな風に大型トラックが斜めになっています。さいわい、車が通るスペースは空いていたので、そのまま左の道を行って職場には着けました。その時に見てみたら、どうやらガードをくぐれないでぶつかってしまったようですね。
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 帰り道で反対側から撮ったのが、この写真です。前の白い車は事故車の前を通っていく普通の車です。確かに、トラックの荷台が見事にガードにぶつかっていますね。それにしても、このトラックの運転手は自分の車の高さがどのぐらいだったのか、把握はしていなかったのでしょうかね。通る前に分かりそうなものですが。プロドライバーのくせに。
 私は練習に行かなければいけませんから、そのままこの白い車のように左に曲がってガードをくぐろうとしました。と、前にいた警察官が、そのまま直進するように指示を出してきましたよ。もしかしたら、何か問題があるので、もうガードの下は通れなくなったので、そっちに誘導していたのでしょうか。ですから、私はそれに従ってそのまままっすぐ進みますが、ここは一方通行の道路なので、反対側から車が来て、先には進めませんよ。そうしたら、さっきの警察官が車までやって来て「ここは一方通行なので、通れません!」なんて騒いでいるではありませんか。
 私は、「あなたが誘導したんでしょう」と言ってやりましたよ。国家権力に向かって。いったい、この警察官は何を考えていたのでしょう。結局、元のところまでバックして、無事練習には間に合いましたけど。
 ですから、プロの人が自分の仕事を熟知しているかというと、必ずしもそうでないという事例が、ここでたまたま重なっていた、ということになりますね。
 そんな「事例」を、さるファミレスで、その前の日には体験していました。
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 これは、おそらく「おたる」という名前のワインなのでしょうが、普通の日本人がこれを読むと、だれでも「おるた」としか読まないはずですよね。プロであるデザイナーは、見た目を重視してこんなおかしなことをよくやりますね。
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 この2つは、メニューに書かれたコメント。当然これもプロのライターが書いた文章なのでしょうが、どちらもぱっと読んでものすごい違和感がありました。
 「牡蠣フライ」の方は、「揚がった」、「包まれた」、「詰まった」という、同じ活用形の動詞が3つ並んでいるのが、とても異様です。しかも、それがどの言葉を修飾しているのかが、あいまいになっています。つまり、「衣に包まれた旨み」なのか「旨みが詰まった牡蠣フライ」なのかがはっきりしないのですよ。「カラッと揚がった衣に包まれ、旨みが詰まった牡蠣フライ」だったら、きっちり伝わるのに。
 「海鮮丼」は「漬けタレに漬け込んであります」というのが、いかにも幼稚ですし。「タレに漬け込んであります」でいいじゃないですか。
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by jurassic_oyaji | 2018-01-28 21:35 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Kantaten BWV201, BWV207a
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Joanne Lunn(Sop), Robin Blaze(CT)
Nicholas Phan, 中嶋克彦(Ten)
Christian Immler(Bar), Dominik Wörner(Bas)
鈴木雅明/
Bach Collegium Japan
BIS/SACD-2311(hybrid SACD)


BCJのバッハの世俗カンタータも、これが9枚目となりました。数え方にもよりますが、このカテゴリーは全部で大体20曲前後でしょうから、ほぼ2曲ずつ入っているSACDではあと1枚で全集が完成するのでしょうか。今回は、世俗カンタータの中では一番好きな「急げ、渦巻く風よ(フェーブスとパンの争い)BWV201」が入っていますから、何をおいても聴いてみなければ。
「好きだ」というのは、最初に聴いたのがかなり昔だった、ということです。その頃はまだピリオド楽器の録音などはありませんから、ほとんどモダン楽器で演奏されたものばかり聴いていたので、そういう様式が刷り込まれています。ですから、今回のようなピリオド楽器による演奏だと、少し戸惑いが生まれてしまいます。
第1曲目の合唱が、まさにそんな感じでした。合唱が少なめなので、何か薄っぺらなサウンドに感じられてしまいます。それだけではなく、いつもこの曲を聴く時にはあってほしいと思っている切迫感というか、ウキウキするような感じが全く伝わってこないのには、ちょっとがっかりです。
アリアに進んでいくと、そのような不満は消えてしまいます。フェーブスのアリアでは、ダ・カーポで繰り返す時の前奏が、最初とはちょっと表情を変えられているので一瞬ハッとしますが、なかなかセンスの良いやり方ですね。モダン楽器の人たちはこんなことは絶対にやりません。常連のクリスティアン・イムラーは、ちょっとかったるい歌い方ですが、これはあえて退屈さを装って次のパンのアリアとの対比を出そうとしているのでしょう。ですから、パン役のドミニク・ヴェルナーも、ことさら粗野な振る舞いを前面に出すような歌い方に徹しているようでしたね。
そして、フェーブスを援護するトモルスを歌っているのは、日本勢の中嶋さんです。ちょっと周りの強者と比べると声が平坦かな、という気がしますし、ドイツ語のディクションにはかなりのハンデがあるのではないでしょうか。しかし、オブリガートのオーボエ・ダモーレも日本人の三宮正満さんですが、こちらはまるでソプラノ・サックスのようなぶっ飛んだ音色で存在感を誇示しています。
フルート2本の華やかなオブリガートが素敵なメルクリウスのアリアは、トラヴェルソで演奏されると煌めくような軽やかさが出てきます。悔しいけれど、これはモダン・フルートでは絶対に出せない味ですね。ただ、歌っているロビン・ブレイズはちょっと時代遅れ(変な言い方ですが)のような歌い方で、今だったらもっとふさわしいカウンター・テナーはいくらでもいるのに、という気がしてしまいます。
カップリングは、「さあ、晴れやかなトランペットの高らかな音よBWV207a」です。シュミーダー番号を見れば分かる通り、これはBWV207の「鳴り交わす絃の相和せる競いよ」の「パロディ」です。つまり、元々は大学教授に就任した人のお祝いのために作られたものを、後にザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世(ポーランド王アウグスト3世)の命名記念日のお祝いのために作り変えたものです。
さらに、そのBWV207そのものが、最初の合唱ではさらに前に作られた「ブランデンブルク協奏曲第1番」の第3楽章をそのまま使っています。もう1か所、ソプラノのジョアン・ランとバスのヴェルナーとのデュエットがとってもかわいい5曲目のデュエットが終わるといきなり聴こえてくる「リトルネッロ」も、同じ協奏曲の第4楽章の第2トリオですね。
いずれの曲もおめでたい席で演奏されたものですから、トランペットが大活躍で華やかに盛り上げます。彼らのいつもの録音会場、神戸松蔭女子学院大学チャペルで録音セッションが持たれたのは2016年の9月でしたが、このために来日した第1トランペットのジャン=フランソワ・マドゥフは、仙台まで足を延ばしてレクチャーコンサートを行っていましたね。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2018-01-27 20:46 | 合唱 | Comments(0)
最近は筋肉痛もありません
 寒いですね。でも、なんだか東京とか埼玉の方がもっと寒いというのですから、笑ってしまいます。テレビでは、凍った道で転んでいる人の映像を連日流していますし、笑ってはいけないと知りつつもついほくそえんでしまいます。いつものことですが、こういうのを見てしまうと、この大都市の機能は、とても危なっかしい土台の上に成り立っていることがよく分かります。ほんのちょっとのことでもバランスが崩れてしまって、駅がパンクしたり高速が動かなくなるというパニックを起こしてしまうのでしょうね。
 仙台あたりでは、たとえいつもより大量の雪が降ったとしても、十分にそれに対応できるだけの「伸びしろ」を持っています。私は確実に雪が降るだろうと言われていた時点で、その時に備えて必要な仕事を前もって終わらせていましたからね。案の定、予想通りの雪が降った時には、全力で雪かきに邁進することになるのです。
 でも、火曜日の雪には腹が立ちましたね。20センチぐらいの雪が積もっていても、その日は青空が出てきていたので、張り切って全部の雪をかいて、もうこれで安心だな、と思ったら、夕方になって今度は雨が降って来たではありませんか。そして、それは夜更け過ぎには雪へと変わってしまったのですよ。これには焦りましたね。まず雨が降ったことで、軽く残っていた雪が融けたものが、完全に凍ってしまったのですよ。その上を新しい雪が覆ったものですから、もうこれはどうしようもありません。いつもだったら凍る前に日陰の雪もきちんと撤去するのですがこれはもう手遅れです。
 ただ、会館の裏側の搬入口のあたりは、そもそも大量すぎてほとんど手つかずだったので、まだ間に合いますから、きっちりアスファルトが見えるまで雪をかいて、それを空いたところに積み上げることが出来ました。夢中になってやっていたら、そこにはもう背丈を超えるほどの雪の山が出来ていましたね。
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 私は、今練習している曲にちなんで、これに「禿山」と名前を付けて、Facebookにアップしました。そうしたら、一枚上手の人がいて、「今度は『アルペン』に」というコメントが寄せられましたね。ということで、来年の春のプログラムは、リヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」に決まりです。
 もう一つFacebookにアップしたのは、こんな写真。
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 私の部屋のすぐ前の、ふつうは植木とか庭石が置いてあるところに雪が積もったので、それがつながってまるで一匹の亀のようになっていました。右側が頭部で、嘴や目がちゃんと見えますよね。
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 それが、丸1日経っても、ほとんど雪の量は変わりません。ただ、「目」の部分は少し融けてしまいましたね。
 雪はともかく、インフルエンザがものすごいことになっているのはちょっと心配です。なんせ、テレビやラジオでレギュラー出演している芸能人が軒並み「インフルエンザで番組をお休み」状態なんですからね。こんなことって、これまであんまりなかったような気がするのですが。おそらく、ワクチンが足らなかったからなのでしょう。早く収まってもらいたいものです。
 あ、そういえば、やっと「ジュラシック・ページ」のトップに、ブログとFacebookへの直リンクを付けました。
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by jurassic_oyaji | 2018-01-26 21:10 | 禁断 | Comments(0)
STRAVINSKY/The Rite of Spring
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Marc-André Hamelin(Pf)
Leif Ove Andsnes(Pf)
HYPERION/CDA68189


ストラヴィンスキーの「春の祭典」は、オーケストラ曲としては非常に有名な曲ですね。録音もたくさん出ていますし、近頃ではアマチュアのオーケストラでもやすやすと演奏してしまいますからね。
この曲が初演され、歴史に残るスキャンダルとなったのは1913年のことですが、その前の年に作曲者はピアノ連弾のためのリダクション・スコアを作り、彼とドビュッシーの2人によってごく内輪の仲間のために演奏しています。ですから、この曲が最初に音になったのは、オーケストラではなくそのピアノ連弾版だったのですね。
この楽譜は1913年に出版されます(現在ではBoosey & Hawksから、1947年に改訂された楽譜が入手できます)が、それはあくまでバレエの練習などに使うようなものという認識でしたから、作曲者はそもそもコンサートでの演奏などは念頭になかったのでしょう。実際、マイケル・ティスソン・トーマスとラルフ・グリアソンによる「世界初演」が、1967年11月6日にロサンゼルスで行われるまで、誰もそんなことをしようとは思っていませんでした。
そして1972年には、その二人によって初めて録音されたLPがリリースされています。それは、かつてはこちらのCDとして入手できました。余談ですが、1968年にはタングルウッド音楽祭で、MTTは高橋悠治とこの編曲を演奏しています。しかし、録音の時に選んだ相手は悠治ではなく、初演の時のグリアソンでした。
いずれにしても、これを皮切りに多くのピアノ・デュオのチームがこの「連弾版『春の祭典』」を「堂々と」演奏するようになりました。さらには、ファジル・サイのように多重録音によって「一人で」演奏する人まで現れます(1999年の録音)。もっとも、サイの場合は音を増やしたりところどころで「プリペアリング」を行ったりしていますから、ストラヴィンスキーの楽譜を大幅に「イジル」という演奏でした。
ただ、ストラヴィンスキーが行ったのはあくまで「連弾用」のリダクションでしたから、それを「2台ピアノ」で演奏する時にはある程度音を加えることは可能です。
今回の最新録音で演奏しているのはマルク=アンドレ・アムランとレイフ・オヴェ・アンスネスという、いずれ劣らぬヴィルトゥオーゾの二人です。彼らももちろんこの楽譜を2台ピアノで演奏しているのでしょうが、少し手を加えている箇所はあります。
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たとえば上の楽譜の「春のきざし(乙女たちの踊り)」の部分では、こんな風に「セコンド」だけでこのパルスを演奏するようになっていますが、この録音ではアクセントが付いている音符を「プリモ」が重ねています。オーケストラ版ではここにはホルンが加わりますから、それと同じことをやっているのでしょう。ただ、先ほどのMTTの録音(こちらも2台ピアノ)では楽譜通りに演奏しています。
CDには何のクレジットもないので、二人がどちらのパートを弾いているのかは全く分かりません。ただ、「春の祭典」では左チャンネルから「プリモ」のパートが聴こえてきます。ブックレットの写真では向かって左のピアノにアンスネスが座っているので、彼が「プリモ」なのでしょうか。
演奏は胸のすくような颯爽たるものでした。さらに録音がとても豊かな響きに仕上がっているので、まるでオーケストラを聴いているような壮大さを感じることが出来ます。
カップリングは、全てストラヴィンスキーの作品で、新古典主義のスタイルの「2台のピアノのための協奏曲」と、「マドリード」、「タンゴ」、「サーカス・ポルカ」という3曲の小品です。それぞれに、絶妙のアンサンブルと洒脱さが魅力的です。
この録音が行われたのは、2017年の4月初め、そのあとこの二人はこれらの曲にドビュッシーの「白と黒で」とモーツァルトの「ラルゲットとアレグロ」を加えたプログラムで、アメリカやヨーロッパを回る大規模なツアーを敢行します。最後の3曲はアンコールとして演奏されました。

CD Artwork © Hyperion Records Limited

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by jurassic_oyaji | 2018-01-25 20:53 | ピアノ | Comments(0)
エアコンだけでは暖まらないので、石油ストーブも出しました
 公式サイトやFacebookではもう公開してありますが、今度の定期演奏会のチラシのデザインが出来上がりました。作ったのは、いつものOさん。もう、常に期待をはるかに上回るものを作ってくれるので、毎回出来上がるまでとても楽しみです。
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 まわりを囲んでいるそれこそクリムトみたいな装飾が良いですよね。デザイン自体はこのOさんのもので最初から大好評でした。ただ、この画像では、上半分の中央にあるべきキャッチコピーが見えなくなっています。というのも、私はキャッチも含めて最初にできたデザインでOKだったのですが、そのキャッチにいちゃもんをつけた人がいたのです。その前に、それも含めて、全部の候補がこちらです。
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 初稿は「珠玉のロシア」でした。私は、「そうきたか」と思いましたね。ホカ弁の「天丼よ、そうきたか」みたいな意外性があって、とても素敵なキャッチだと思えました。本来、理屈で考えるとちょっと意味不明でも、このような意外性があった方が人を引き付ける力はありますからね。ところが、悲しいことにこれを理論的に受け取って、「何か違和感がある」と言い出した人がいたのですよ。まあ、まじめに考えればこの曲目に対して「珠玉の」と形容するのはちょっとおかしいかもしれません。でも、世の優れたキャッチは、そんな理知的な思考を超えたところで何か引きつけられるところがあるものです。
 とは言っても、そういう意見を受けてまっとうに話し合いを始めたら、これには勝ち目がありません。そこで、別の案を考えようとそれぞれが出し合ったところ、「ロシアの息吹き」と「ロシアの魂」という2点に絞られたのですが、どちらにも決定的なものが欠けています。仕方がないので、これは末廣さんに決めていただこうということになって、しばらく様子を見ることになりました。
 ところが、数日経っても末廣さんからは何の返事もありません。やはり、これではちょっと決めかねるとことがあったのでしょうね。私が提案したのは「息吹き」の方だったのですが、これも自分でもイマイチだな、という気がしていましたからね。と、突然私の中で「ロシアの至宝」というキャッチがひらめきました。これはいけるんじゃないかな、と思いましたね。「珠玉」のフィーリングに通じるものもありますからね。そこで、それも候補の一つとしてキープしてもらいましたよ。
 結局、印刷へ進むデッドラインになっても返事はなかったので、めでたく「『至宝』で行きましょう」ということになりました。これが、紆余曲折の顛末です。
 それで最終稿が出来上がったので、それをネットに公開したのが、きのうの午後のことです。きのうの朝はかなりの積雪だったので、半日かけて雪かきを終えたら、夕方になったらまた降りだした、という最悪のコンディションでした。木管のパート練習の会場が職場だったので、坂道に融雪剤をまいたりしていましたよ。
 きのうは、「火の鳥」をやることになっていたのですが、そのピッコロ担当がインフルエンザで欠席することが分かっていたので、私はその代吹きとして出席しなければいけませんでした。昔やった時は1番フルートだったので、ピッコロ持ち替えの2番は吹いたことがありませんでした。というか、その時のピッコロがとても上手な人だったので、こんなの絶対吹けないな、と思っていましたね。でも、今回は代吹きの可能性はあるので、一応さらってはいましたよ。たしかに、楽器も変わって昔よりも吹けるような気にはなっていましたが、果たして合奏でみんなと合わせられるかは全く未知の世界でした。それが、恐る恐るやってみると、一応吹けてしまったんですね。高音のHなんか、絶対に無理だと思っていたのに、きちんと出てくれましたし、難しい譜読みもちゃんと出来ていたようでした。もしかしたら、少しだけスキルが上がっていたのかもしれません。ちょっとうれしいですね。
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by jurassic_oyaji | 2018-01-24 21:53 | 禁断 | Comments(0)
DEBUSSY/Pelléas et Mélizande
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Magdalena Kožená(Mélizande), Christian Gerhahel(Pelléas)
Gerald Finley(Golaud), Franz-Josef Selig(Arke()l)
Simon Rattle/
London Symphony Chorus(by Somon Halsey)
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO0790(hybrid SACD, BD-A)


サイモン・ラトルは、2002年に芸術監督に就任したベルリン・フィルのポストはまだ今年のシーズン終了まで続きますが、それと兼任という形ですでにロンドン交響楽団の音楽監督としての活動も開始しました。それが、2017年9月14日にバービカン・ホールで行われたシーズン・オープニング・コンサートです。その時のプログラムは、すべてイギリスの作曲家の作品という徹底したもの、イギリスのオーケストラが迎えた初めてのイギリス人の音楽監督を祝福する意味合いがあるのでしょうか。それは、このオーケストラのために委嘱した新作、ヘレン・グライムの「ファンファーレ」から始まり、クリスティアン・テツラフのソロでハリソン・バートウィスルの「ヴァイオリン協奏曲」、ラトルがバーミンガム市交響楽団時代に委嘱したトーマス・アデスの「アサイラ」、オリヴァー・ナッセンの「交響曲第3番」と続き、エドワード・エルガーの「エニグマ変奏曲」で締めくくるというものでした。
今回のSACD(+BD-A)には、2016年1月9日と10日に行われたドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」のコンサート形式の上演の模様が収められています。このコンサートは、その直前1月5日に亡くなったピエール・ブーレーズに捧げられていたということです。
コンサートとは言っても、ここではベルリン・フィルとの「マタイ」や「ヨハネ」と同じく、ピーター・セラーズが演出を担当していました。ラトルはベルリン・フィルと2015年12月に、やはりセラーズの演出で同じ作品をほぼ同じソリストたちと演奏していたのですね。二股、というやつでしょうか。いや、たまたまでしょう。
19世紀と20世紀をちょうどまたぐ形で作曲されたこのオペラは、あらゆる面でそれまでのオペラの概念を覆すものでした。台本には「青い鳥」で有名なメーテルランクの戯曲がほぼそのまま使われていますから、それらは基本的に「お芝居のセリフ」です。ですから、そこからは「アリア」のようなものを作り出すのは困難ですから、歌手たちが歌うものは限りなく「セリフ」に近づきます。考えてみれば、それまでのオペラではアリアが始まるとそこで物語の進行はストップしてしまうのですから、「劇」としてみればそちらの方がかなり不自然なものなのでしょうが(ミュージカルなどは、まさにそのような「お約束」の上に成り立っています)、やはり当時の人は戸惑ったことでしょうね。
その代わりにドビュッシーが目指したのは、音楽自体で物語を進めるという手法でした。彼のオーケストラのパートは、そんな平坦な「言葉」のバックで、とても雄弁に「物語」を伝えてくれているのです。あるいは、「言葉」では伝えきれない情感までも、きっちりと「音楽」が伝えていると感じられるところもたくさん見つかるはずです。たとえば、ペレアスとメリザンドが愛を確かめ合う第4幕第4場などは、「トリスタン」の第2幕第2場にも相当する道ならぬ恋の高まりの場面なのですが、ワーグナーのようにストレートに燃え上がる情念はドビュッシーのオーケストラからは決して味わうことはできません。そこにあるのは、背徳の影を落とした、突き刺さるように繊細な和声とオーケストレーションなのです。
そんな音楽の中では、歌手たちにはオーケストラの細やかな情感に決して逆らわない表現が求められるはずです。その上に、フランス語のエスプリが存分に込められていれば申し分ありません。そういう意味では、ペレアスのゲルハーエルは合格、メリザンドのコジェナーは不合格です。
このオペラでは、合唱の出番もあります。でも、彼らは第1幕第3場の途中でほんの数回オフ・ステージで「ヘイホー!」という水夫の叫び声を発するだけです。SACDやBD-Aのサラウンド・モードで聴いてみるとその声が後ろから聴こえてきますから、ここでは客席で歌っていたのでしょう。

SACD, BD Artwork © London Symphony Orchestra

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by jurassic_oyaji | 2018-01-23 22:58 | オペラ | Comments(0)
ミュージカル映画メドレーもありました
 小田和正が毎年行っている「クリスマスの約束」の録画を、やっと見終わりました。放送されたのはもちろん去年の末ですが、その時にまず再生してみて、しばらくするとちょっと見続けるのが辛くなったので、年が変わってから改めて残りを見た、ということですね。
 なぜ「辛くなった」かと言うと、とても贅沢な悩みですが、彼の率いるミュージシャンが奏でるハーモニーが、あまりに素晴らしすぎたからです。なにしろ、小田さんのコーラスのセンスといったらまるで魔法のようで、どんな人と一緒に歌ってもきっちりとハモるツボがおさえられているんですね。それに加えてギターもピアノもとても上手で、絶対間違えたりしません。まあ、当たり前のことなのでしょうが、これが70歳を迎えた人のやることか、と、ちょっと腹が立ってきましたね。というか、信じられない思い。同じ世代のミュージシャンでやはり同じように頑張っている人はいますが、その人たちはどれももう聴いていられないほど声も演奏も見る影もなく「劣化」しています。ところが、小田さんはまったく変わっていませんからね。つまり、私が小田さんと同じ年になった時に、今と同じ演奏面でのクオリティを保てるのか自信がなくなってきたのですよ。
 それは去年のこと、年が変わって、なんと今日が誕生日となってしまいました。そうすると、何の根拠もないのに、その頃まで今のフルートの腕を保てるのではないかという自信が湧いてきたのですよ。声の方はもうずっと前にどうしようもなく「劣化」していることを自覚していますから、絶対に小田さんには勝てませんが、フルートだったら(確か、小田さんはフルートも吹けるはず)勝てるのではないかという気がしてきたのですね。
 それで、改めて録画を見る気になって、今度は少し冷静に見てみました。そうすると、やっぱり凄いな、という思いは変わりませんが、今度は確かに勇気づけられるところをたくさん見つけることが出来ました。この分だと、80歳ぐらいになってもまだ若い人を相手にハモりあっているのではないか、とさえ思えてきますね。同じ世代として、ぜひ頑張ってほしいものです。
 いつも感じるのですが、このコンサートのためのリハーサルは、とても時間がかかっているようですね。こういう、普段は一緒にやっていないゲストと歌う時には、どうしてもそれぞれの歌い方のクセが出て、ピッタリと合うことはまずないのですが、小田さんの場合は、おそらくフレージングとかシンコペーションの入れ方などを、完全に相手と合うまで繰り返し練習しているのではないか、という気がします。そしてそれを本番できっちりとできるまで覚えるのでしょうから、やはりすごいですね。
 この番組は毎年会場が別のところになっているようですね。最初に、まわりの知り合いが出るということで見た時には舞浜のシルク・ド・ソレイユの跡地でしたが、今回は、後ろにも客席があったので、同じようなアリーナ型のホールなのかな、と思いました。かなり広くて、おそらく1000人以上は入っている感じでしたね。調べてみたら、これは「千葉ポートアリーナ」というところでした。
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 確かに「アリーナ」、もろ体育館でしたね。こんなところがあれだけのセットで見違えるように素敵なホールに変わっていたのですね。
 ということで、誕生日なのでFacebookには恒例のメッセージが寄せられるようになっていました。今年も、たくさんの暖かいメッセージをありがとうございました。私は、正直こういうことをやるのが恥ずかしくてしょうがないので、他の人にはあまり送ってはいないのですが、やはりいただくのはうれしいので、これからは極力送るようにしましょうね。
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by jurassic_oyaji | 2018-01-21 21:20 | 禁断 | Comments(0)
REGER, BRAHMS/Requiem
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Jana Reiner(Sop), Marie Henriette Reinhold(Alt)
Tobias Berndt(Bar), Denny Wilke(Org)
Michael Schönheit/
Ukrainischer Nationalchor DUMKA
Merseburger Hofmusik
QUERSTAND/VKJK 1717


マックス・レーガーとヨハネス・ブラームスの「レクイエム」がカップリングされた最新のCDです。有名なブラームスの方は「ドイツ・レクイエム」というタイトルで、テキストはドイツ語の典礼文を自由に組み合わせたものですね。一方のレーガーは「ヘッベル・レクイエム」と呼ばれることもある、シューマンのオペラ「ゲノフェーファ」の原作を作ったことでも知られる19世紀ドイツの詩人フリードリヒ・ヘッベルが書いたドイツ語のテキストが使われています。
このCDは、2016年9月16日にミュールハウゼンの聖マリア教会で行われたコンサートのライブ録音です。2枚のCDに当日の演奏が全て収録されています。まずレーガーの「レクイエム」、続いてその教会のオルガンによってレーガーとブラームスのコラール前奏曲が演奏された後、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」というプログラミングです。
このコンサートの主役は、ウクライナから参加した「ウクライナ国立合唱団『ドゥムカ』」です。その発端は2013年にこの合唱団がドイツのミュールハウゼンとメルゼブルクでラフマニノフの「晩祷」を演奏した時に、オルガニストのデニー・ヴィルケがそれを聴いたことでした。この合唱団の演奏にいたく感動したヴィルケは、彼らと共演したい旨を申し入れ、2014年にキエフでマルセル・デュプレの「フランスの受難」という、4人のソリストと混声合唱とオルガンによる1時間を超える長大なオラトリオを演奏することになります。
その後もヴィルケとこの合唱団との交流は続き、ウクライナ、ドイツの両国で様々なコンサートを実現させてきました。そこに、ヴィルケがキエフで行った自身のコンサートの時に知り合ったドイツ人のオルガニストで指揮者、ミヒャエル・シェーンハイトとの共演も加わり、2015年にはウクライナで、シェーンハイトがこの合唱団とウクライナ国立管弦楽団を指揮したブラームスの「ドイツ・レクイエム」のコンサートが開催されます。
そして、このコンサートをドイツでも実現したいということで2016年に開催されたのが、このCDに収録されているコンサートなのです。
このコンサートでは、さらに注目すべきポイントが加わります。ここで演奏に加わっているのが、シェーンハイトが1998年に、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーや、フリーランスの音楽家を集めて設立した「メルゼブルガー・ホーフムジーク」というピリオド・オーケストラなのですが、彼らはレーガーやブラームスの時代の楽器を使って演奏しているのです。具体的には、フルートなどはテオバルト・ベームが現在の形の楽器を作る前に制作していた円錐管(現在は円柱管)の楽器のコピーが使われています。もちろん、弦楽器はガット弦です。
最初の曲、レーガーの「レクイエム」は初めて聴く曲です。ほんの15分ほどで終わってしまう小品ですが、起伏に富んでなかなか魅力的な作品ですね。オーケストラの渋い響きに乗って出てくるアルトのソロで、まず敬虔な思いにさせられます。そこに合唱が加わると、それはオーケストラの渋さと見事にマッチした音色であることに驚かされます。音楽はその後嵐の描写に変わって盛り上がるのですが、そこでもその渋さは貫き通されています。
そして、ヴィルケのオルガン・ソロに続いて、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」が始まります。ここでも、合唱の渋さは変わりません。冒頭の「Selig」のなんという静謐。これを聴いただけで、この演奏がとてつもない深みを持っていることが予感できてしまいます。
その予感通り、これは恐ろしいまでに心の琴線に触れるものでした。お金には代えられません(それは「金銭」)。ハープやフルートといった、普段は華やかさを演出する楽器が、きっちりと愁いのある音色を提供している中で、この合唱団が放ついぶし銀のようなオーラ。これはまさにこの作品の神髄に接することが出来る演奏とは言えないでしょうか。

CD Artwork © QUERSTAND

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by jurassic_oyaji | 2018-01-20 19:59 | 合唱 | Comments(0)