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MADE IN BERGIUM/New Bergian Choral Music
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Helen Cassano/
Brussels Chamber Choir
ET'CETRA/KTC 1601


ベルギーの新しい合唱音楽を集めたアルバムです。はっきり言って、大好きなマグリットの「ゴルコンダ」が目に入ってしまった結果のジャケ買いです。なんたって、この作品は東京まで見に行ったマグリット展の図録の表紙でしたからね。
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もちろん、このアルバムにはベルギーの作曲家たちの作品が収められているので、この有名なベルギーの画家の作品をジャケットにした、ということなのでしょう。
ここで演奏されているのは、基本的に無伴奏の小さな曲ばかり15曲です。そのうちの11曲が世界初録音なのだそうです。作曲家は、1931年生まれの物故者から1981年生まれの若者まで、幅広い世代の人が14人、完璧に初めて名前を聞く人ばかりでした。
なんせ、ベルギーの「現代音楽」などはほとんど未体験ですから、恐る恐る聴きはじめると、最初のルディ・タス(1957年生まれ)の作品「Ave Maria」ではとてもやわらかく美しいハーモニーに乗って、女声ソリストの声が聴こえてきました。名前を見ると、それはヘレン・カッサーノ、サッカーのコーチではなく、この合唱団の指揮者ではありませんか。指揮者が自らソロを歌うというのは、かつてはダイクストラあたりがやっていたことがありますね。彼女は、合唱指揮者であると同時に、ベルギーの多くの合唱団の団員として活躍してきたというキャリアがあるのだそうです。そんな、合唱を知り尽くした人のソロが、美しくない訳がありません。いや、この方は、声だけではなく、その姿もとても美しいことは、ブックレットの写真からも分かります。
このブリュッセル室内合唱団は、彼女が王立ブリュッセル音楽院の学生などと2007年に創設したもので、アマチュアとプロの集まり、メンバーは10ヶ国から集まっているのだそうです。その演奏レベルはものすごいものがあって、なんと言っても全てのパートの声の均質性と、ハーモニーを形作るピッチの正確さは比類のなさを誇っています。言いかえれば、そのサウンドは女声も男声もほとんど区別がつかないほどで、合唱団はまるで一つの楽器のように聴こえてきますし、どんな不協和音でさえ美しく響かせる術を、全員が備えている、ということになります。
ここで聴くことができる曲たちは、すべて、古典的な和声をベースにしたものばかりです。とは言っても、個々の作曲家の個性は歴然としていて、べつに前衛的な手法に頼らずとも、確かな主張を持った音楽を作ることは可能なのだという、ごく当たり前のことが再確認出来ます。そんな中で、1954年生まれのリュック・デュピュイという人が作った「Stabat Mater」では、プレイン・チャントからミニマルまでの幅広い素材を駆使して、とても聴きごたえがありました。
もう一人、ピート・シェルツという1960年生まれの方の「戦争」という作品は、シンプルな反戦の思いが、とても美しいハーモニーで訴えられています。サスペンデッド4から属七に移行してもそれから先は常に解決しないという和声は、なにかのメタファーなのでしょう。
こうして実際に曲を聴いてみると、ジャケットのマグリットにも意味があるのでは、という気になってきました。マグリットは一応シュール・レアリスムの画家ということになっていますが、同じ作風のダリなどに比べるとその「写実」のあり方がずっと穏やかな印象があります。そこには決して恐怖感のようなものはなく、もっと安心して身を委ねられるような肌触りがあるように感じられるのですが、そんな雰囲気がこのアルバムの中のどれを聴いても伝わって来るのですね。そういう意味で、このジャケットは見事にアルバムのコンセプトを反映しているように思えるのです。
ベルギーは、独立国家として成立したのは19世紀のことです。しかし、かつて「フランドル」と呼ばれていたこの地方は、ルネサンス期からポリフォニー音楽の中心地として、多くの作曲家を輩出してきました。そんな合唱音楽の沃野が現代に於いて見せる豊穣は、あまりに美しすぎます。

CD Artwork © Quintessence BVBA

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by jurassic_oyaji | 2018-03-31 21:24 | 合唱 | Comments(0)
使えなかったBLUETOOTHもつながりました
 自宅のキッチンに付けてあったふきん掛けが壊れてしまいました。こういう、Amazonで買ったアイテムです。
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 もちろん、実物を見て買ったのではないので、ちょっと心配でしたが、届いたらまあ希望通りのものだったので安心しました。ただ、その取り付け方が、基本は両面テープで壁に貼り付けるというタイプだったのが不安ではありました。こんなふきんを4枚も掛けるのではかなりの重さになるはずですから、はたして両面テープのようなやわなもので耐えることなどできるのでしょうか。
 案の定、タイルの壁に両面テープで固定したふきん掛けは、ものの3日で剥がれてしまいましたよ。ダメですね。でも、せっかく買ったのだから、そのまま捨てるのはもったいないですね。一応これはネジで板壁などに固定することもできる仕様にはなったいたので、それを試してみることにしました。もちろん、タイルにネジで止めるわけにはいかないので、ちょっと厚い板を2液混合のエポキシ接着剤でタイルに貼り付け、そこに木ネジで止める、という方法を使うことになります。
 ところが、このネジを止めるという作業は、このふきん掛けをまず分解しないとできないようになっていました。確かに、このままではドライバーを入れてネジを締めるのは不可能です。まずハウジングを外し、その中の、タオル掛け本体を支えているシャフトを抜かなければいけません。私はこういう作業は得意ですから難なくできますが、普通の奥様あたりでは絶対に無理でしょうね。
 それでずっと使ってきて、何事もなかったのですが、おとといちょっと無理なひねり方をして力をかけたら、ネジの下の板が割れてしまったのですよ。もう一度、何年か前にやったことを思い出して分解して、新しい穴をあけてそこにまたネジを入れるという作業を、汗だくになってやってしまいました。でも、これであまり力を入れるのはまずいことが分かったので、もう同じような壊れ方はしないでしょう。
 と、こういうものだったら現物を見て悪いところをチェック、そこを直せば元通りの機能を回復できるようになるのですが、最近の電子機器の場合はそうはいかないのが悲しいところです。最近買ったAVアンプが、突然音が出ないようになったのには焦りましたね。もう、何の前触れもなくBDプレーヤーでCDを聴こうと思ったら、全く音が出なくなってしまったのですよ。そのアンプには、プレーヤーからはHDMIで接続してありますが、ライン出力もあるので、それはアンプの別のライン入力につないでありました。そのライン接続の方はちゃんと音が出るんですよね。ということは、HDMIの先の回路に何か不具合があるのでしょう。
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 と、そこまでは分かるのですが、こればっかりは私の力ではとても直すことはできません。とりあえず、再起動でもしてみようと電源を外してみましたが、何の効果もありません。やはり修理してもらうしかないのでしょうか。でも、これもAmazonで買ったので持っていくわけにもいきません。そこでメーカーのサイトを見てみたら、送料は着払いで修理を引き受けるサービスがあることが分かりました。まだ保証期間中なので、全部タダでやってもらえそうです。まあ、私の手におえないのですから、ここに頼むしかありません。それで、その電話案内に連絡することにしました。
 対応してくれたのは、優しそうな男の人でした。一通り状況を説明すると丁寧にうなずいているようでした。そこで、彼は「まず、電源を抜いてみてください」といいましたね。予想通りです。そんなことは、私でもわかりますってば。ですから、「それはもうやりました」というと、さらに彼は、「では、次に申し上げることを試してみてください」といって、「初期化」の手順を教えてくれました。なるほど、その手があったか、と思いましたね。言われたように、本体の2つのスイッチを同時に押すと、見事に元通りの音が出るようになりましたよ。こんな簡単なことで直ってしまうなんて。
 あとでマニュアルを読んでみたら、この初期化の手順がちゃんと載ってましたね。まあ、こういうセンスが、今の時代は必要なんでしょうね。一応私は理系なのですが、なかなかすぐには対応できません。
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by jurassic_oyaji | 2018-03-30 21:52 | 禁断 | Comments(0)
SEBASTIANI/Matthäus Passion
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Collin Balzer(Eva), Christian Immler(Jes)
Ina Siedlaczek(Sop)
Paul O'Dette, Stephen Stubbs/
Boston Early Music Festival Chamber Ensemble
CPO/555 204-2


ヨハン・セバスティアン・バッハではなく、ヨハン・セバスティアーニという、中途半端な名前の人が作った「マタイ受難曲」です。この方は1622年にワイマールで生まれ、1661年から1679年までケーニヒスベルクの宮廷楽長を務めます。その間の1663年に作られたのがこの「マタイ受難曲」、バッハの作品が出来る半世紀以上前のことです。
バッハが生まれるちょうど100年前に生まれた作曲家、ハインリヒ・シュッツの「マタイ受難曲」もやはり広く知られていますが、その様式はバッハとは大きく異なっていました。彼の場合は、ベースとなるテキストはバッハと同じくドイツ語訳の新約聖書のマタイ福音書ですが、その音楽は無伴奏で淡々とそのテキストを歌い上げる、というものでした。ですから、演奏時間も1時間もかかりません。そして、バッハみたいに、聖書の朗読の間に讃美歌や、まるでオペラのアリアのような独立した歌曲が挿入されることはまだありませんでした。
シュッツの37年後に生まれたセバスティアーニは、シュッツの受難曲のスタイルに、初めて讃美歌(コラール)を取り入れました。さらに、すべての曲に器楽の伴奏を加えたのです。これは画期的なこと、彼は若いころイタリアで音楽の勉強をしていますから、当時の最先端の音楽を知ることが出来たのでしょう。実際、シュッツの「マタイ」が作られたのは1666年ですが、セバスティアーニの曲はその3年前に作られていますからね。
ポール・オデットとスティーヴン・スタッブズという二人のリュート奏者が共同で音楽監督を務めるボストン・アーリー・ミュージック・フェスティヴァル室内アンサンブルがこの曲を演奏したのは、2014年の4月のそのフェスティヴァルの時でした。それから3年後、スタッブズとは縁の深いブレーメンでのセッションで録音されたのが、このCDです。
メンバーは、声楽のソリストが6人です。例によってエヴァンゲリストはテノール、イエスはバリトンが担当し、残りの歌手はそれぞれ他の登場人物と、コラールを歌います。そして、トゥルバ(群衆の合唱)は、この全員が歌っています。
器楽アンサンブルの編成は、ヴァイオリン2挺、ヴィオラ・ダ・ガンバ4挺に通奏低音というユニークなものです。通奏低音も、ここでは2挺のテオルボにオルガンとチェンバロというかなりの大編成になっています。もちろん、そのテオルボはオデットとスタッブズが演奏しています。つまり、ここでは「指揮者」というものは存在しておらず、お互いのメンバーが自発的にアンサンブルを作っているのでしょう。
その伴奏は、登場人物によってきっちりと楽器の割り当てが決まっているようです。エヴァンゲリスト(テノール)のバックはヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音、イエス(バリトン)のバックにはヴァイオリンと通奏低音、そしてトゥルバのバックは全部の楽器というのが、基本的なパターンです。コラール(ソプラノ・ソロ)ではヴィオラ・ダ・ガンバだけで、時折低音も入る、という形でしょうか。ですから、イエスが語りはじめるときには、ひときわ目立つ高音の響きに彩られることになって、いやでもありがたみが増す、ということになります。
さらに、最後にイエスがこと切れる場面、彼の「Eli, Eli, lama asabthani?」という言葉の時には、伴奏はオルガンだけになり、ひときわ引き締まったサウンドが響きます。それをエヴァンゲリストがドイツ語で復唱する時には、元はイエスの言葉だということでバックにはヴァイオリンが使われていますね。そして、その後に穏やかなコラールが続くというとても感動的なシーンを形成しています。
そのイエス役のイムラーが、ここではひときわ存在感を誇っています。エヴァンゲリストのバルツァーも、とても豊かな表現力で、真に迫った歌を聴かせてくれます。
1時間ちょっとで味わえる、シンプルでも中身の濃い「マタイ」です。ちょっと後味が残りますが(それは「マオタイ」)。

Artwork © Classic Produktion Osnabrück

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by jurassic_oyaji | 2018-03-29 20:49 | 合唱 | Comments(0)
すごい反響です
 もはや旧聞に属しますが、ニューフィルの定期演奏会の案内やらチケットプレゼントが掲載されたタウン紙などがリリースされるようになってきました。そんな中で、おそらく今まではずっと企画書とチケットを送り続けていたのに、今回になってやっと掲載していただけることになった「仙〇〇〇〇グ」さんは、事前に電話やメールで細かい原稿のチェックなどもやってくれて、気合が入っているようでした。ただ、そのゲラを見ると写真も画像も入っていない、ほんのちょっとしたテキストだけだったので、ちょっとがっかりしてはいたのですが。
 でも、これは購読者がかなり多いようで、案内の載った号が発行された直後に、私に電話がかかってきました。一応「連絡先」ということで私の携帯番号も載せてあったのですね。ところが、その電話の主は、いきなり「プレゼントに応募したいのですが」と言ってきました。その時点では、私の手元にはその掲載紙の現物はまだなかったので、「それでしたら、別のところに応募用の電話番号があるはずですから、そちらにお願いします」と、とても丁寧に教えてあげましたよ。ところが、その人は「冗談じゃないわよ!」といきなり電話口でののしりはじめましたよ。口調でわかる通り、それは女性のおばちゃんでした。とても思い込みが激しいようで、いくらこちらが誠心誠意説明をしても、全く聞く耳を持ちません。いい加減くたびれたので、「じゃ、よろしくおねがいしま~す」と言って、電話を切りましたよ。
 でも、気になったので、そのあと編集の方に電話してみました。そうしたら、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と平謝りです。ただ、プレゼントの案内に関しては、「QRコードを読み込んで、インターネットで申し込み」という形なのだそうです。うーん、それでは女性のおばちゃんにはちょっと無理かも。後日届いた掲載紙は、こんな感じ。確かに、「希望者は上記まで」というすぐ上に私の携帯番号がありますね。
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 いずれにしても、こんな不愉快な電話など二度と聞きたくないので、その番号は着信拒否にしましたよ。そうしたら、しばらくして別の番号から電話がかかってきました。その声は、さっきかかってきた女性のおばさんの声と酷似していましたよ。いや、間違いなく同一人物、そもそもこのプレゼントに関する問い合わせですから、間違いありません。再度かけてみたらかからなかったので、別の電話からかけたのでしょうか。どちらも固定電話ですからね、ご苦労様です。よっぽど腹が立ったのでしょうか。
 でも、間違いなく同じ声なのに、話し方は全然違って、えらくへりくだった感じでした。なんだかしおらしく、プレゼントのことには全く触れず、「チケットはどこで入手できるでしょうか?」などと聞いてきましたからね。そういえば、その前に編集の方に電話した時には、この女性のおばさんらしき人から問い合わせがあったようなことを言ってましたね。そこで自らの間違いを認め、改心して私に電話をよこしたのでしょうか。それでも謝るのはしゃくなので、自分だと分からない方法を選んだ、と。
 それからは、このプレゼントの問い合わせが来るわ来るわ。いや、そんなに多くはないのですが、5通は来ましたかね。もちろん、そのたびに私は懇切丁寧に対応させていただきましたよ。
 そして、たぶん6通目になる電話が来た時も、私はまず、「〇〇ですね?」とその掲載紙のことを尋ね、いつもの通り「あいにく、こちらではプレゼントについてはお答えできないんですよ」と言ってあげました。そうしたら、相手は、「いや、そうではなく、ニューフィルのコンサートのチケットはどこで買えるのか教えていただきたいんです」ですって。あの案内記事を見て、素直に「お問い合わせ」をしてくれた人だったんですね。
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by jurassic_oyaji | 2018-03-28 21:35 | 禁断 | Comments(1)
BEETHOVEN/Symphonies Nos. 5 & 7
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Jaap van Zweden/
New York Philharmonic
DECCA GOLD/00028948168569


世界最大の音楽レーベル、ユニバーサル・ミュージック・グループ(UMG)から、NYフィルの独自レーベルも含まれる「デッカ・ゴールド」という新しいレーベルが発足しました。このネーミングを聴いて、UMGのクラシック部門を「ドイツ・グラモフォン」とともに支えているあのイギリスのレーベル「デッカ」を連想する人は多いはずです。今ではもはや自社で録音を行うことはなくなっていますが、そのかつてのエンジニアたちは世界中のレーベルに素晴らしい録音を提供しています。そんな人たちによる「デッカ・サウンド」が、ニューヨーク・フィルの演奏によって聴けるなんて、すごいことなのでは。
というのも、以前こちらで聴いたニルセンの交響曲などは、まさにその「デッカ」で開発されたマイクアレンジを使って録音されていて、とても素晴らしい音が体験できましたからね。
しかし、どうやら、そんな期待は全く見当外れだったようです。この新しいレーベルのルーツは「アメリカ・デッカ」のようなのですね。ややこしい話ですが、イギリスの「デッカ」の子会社としてアメリカで設立された「アメリカ・デッカ」は、後に親会社とは全く資本関係がなくなって完全な別会社となり、主にジャズやポップスの分野で録音を行うようになります(クラシックでもルッジェロ・リッチの「クレモナの栄光」という名盤がありましたね)。
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名前もやがて「MCA」、さらに「ユニバーサル」へと移行します。そして、そこに「イギリス・デッカ」が属していた「ポリグラム」が吸収されるのです。したがって、その時点で「イギリス・デッカ」と「アメリカ・デッカ」は再度同じグループ内のレーベルとなりました。
ただ、もはや「アメリカ・デッカ」の名前はなくなっていましたから、ここに来てこの「ゴールド・デッカ」という名前で「アメリカ・デッカ」が復活した、ということでまちがいないでっか
というわけで、このNYフィルの場合は、今までこのオーケストラが配信用にライブ録音を行っていたのと同じスタッフが製作を行うことになっていました。
そんな、「名前」にまつわるややこしい話は、そのライブ録音の会場であるホールの名前にも及んでいます。今回のクレジットを見て、それが「デイヴィッド・ゲフィン・ホール」という名前だったので、NYに新しいホールでも出来たのかな、と思ったら、写真では今までの「エイヴリー・フィッシャー・ホール」と同じところのようでした。なんでも、2015年にホールの名前が変わっていたのだそうですね。「ネーミング・ライツ」というやつでしょうか。でも、フィッシャーはオーディオ・メーカーですから分かりますが、ゲフィンはクラシックとは無縁のプロデューサーですけどね。金さえ出せばいいということなのでしょうか。
つまり、このNYフィルの本拠地であるコンサートホールは、建設された当初から音響的には問題がありました。それを改善するために再三改修工事が行われ、その費用をこの人たちが(一部)出していたのですね。いや、実はいまだに改善されないので、来年からまた工事が始まるのですが、それをゲフィンが(一部)払ってくれたのだそうです。
そんな欠陥ホールの実態は、このCDを聴いてもよく分かります。低音が異様にブーストされているところに残響が乗り、明瞭さが全くなくなっているのですね。ただ、もちろん優秀なエンジニアであれば、そこを目立たせずにちゃんとした音で録音することは可能です。先ほどのニルセンがその好例、それに比べれば、このCDの録音はまるでシロートの仕事です。
そんなおぞましいサウンドだからこそ、今年の秋からNYフィルの音楽監督に就任するファン・ズヴィーデンのアグレッシブなベートーヴェンはインパクトを与えてくれるのかもしれません。そういう意味では、指揮者の音楽性を的確に増幅させたクレバーな録音と言えなくもありません。好きにはなれませんが。

CD Artwork © New York Philharmonic

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by jurassic_oyaji | 2018-03-27 20:58 | オーケストラ | Comments(0)
スタジオホールには冷房が入ってました
 本番まであと3週間となったニューフィルでは、きのうと今日、指揮者の末廣さんとのリハーサルが行われていました。ただ、フルートパートではそれぞれの日に都合が悪くて出席できない人がいるので、私はその分の代吹きをやらなければいけないことになっていました。そのパートが、土曜日は「火の鳥」のピッコロ、日曜日がやはり「火の鳥」の1番ですから、大変です。
 ニューフィルではだいぶ前、あの下野竜也さんがブレイクする前に指揮に来られて(末廣さんの推薦だったような)、この同じ1919年版の組曲をやったことがありました。その時には私は1番を吹いたのですが、今回久しぶりに吹いてみようとすると、ほとんど覚えていませんでした。というか、こんな大変なパートを吹いたのが本当のことだとはとても信じられませんでした。ですから、指揮練での代吹きはだいぶ前から分かっていたので、もう一度譜読みから始めてみましたよ。
 ピッコロのパートの方は、確実に普段の練習でも代吹きがありそうだったので、こちらもさらっていましたが、これは逆に昔は絶対に吹けないと思っていたのに、それほど難しくなかったのは、その間にピッコロの腕が上がったせいなのでしょうか。実際、木管のパート練習の時に1回代わりに吹かなければいけなかったのですが、まず普通に吹けてしまいましたね。
 ですから、土曜日の代吹きは、特に心配なことはありませんでした。というか、本吹きはずっといないのではなく、途中で抜ける、という予定だったので、実際には最後のあたりをちょこっと吹いただけで済みましたから、楽勝でした。
 問題は、今日の1番の方。それは午前中に予定されていたので、まずは最後のあがきということで、合奏が始まる前に会場に行って練習をしておきましょう。ただ、この会場は仙台のさるデパートのフロアを借りている設備なので、デパートの開店時間の10時前には普通のルートでは入れないはず。そこでネットで調べてみると、こんな案内が見つかりました。今年の予定などがリンクされているので、最新の情報のはずです。
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 ここは、車で行くと駐車場がバカ高いので、地下鉄で行くつもり。そうなると、改札からまっすぐ行けるルートから9時には入れるはずですね。合奏開始は10時ですから、たっぷり練習が出来ます。
 そして、今朝はその「南1番出口」に9時5分前に着きました。でも、そこはまだシャッターが閉まっていて、入れません。でも、9時を過ぎても開く気配が全くありませんでした。仕方がないので地上に出て、「アーケード側入り口」に行ったら、確かに入り口からエレベーターまで行けるようになっていましたよ。こういう間違った情報は、即座に更新しておいてほしいものです。
 そこでしっかり練習しておいたせいか、その「火の鳥」はそれほどヤバくはない出来でした(あくまで私の感覚ですが)。始まる前はもう逃げて帰りたいほどの気分だったものが、終わってみたらとても楽しく練習が出来ていたのは、意外でしたね。まあ、きちんと準備をしておけば、それなりの結果が得られるものなのでしょう。もちろん、吹けないところはまだまだたくさんありました。
 末廣さんの練習は、厳しくも楽しいものでしたね。きのうのチャイコフスキーなどはどうなることかと思ってしまいましたが、今日は終始いつもの冗談が出てご機嫌でしたし。最後にアンコールをやった時には、フルートパートのソロがあって、急にそこで止まった末廣さんは「そこ、楽譜になんて書いてありますか?」なんて質問されたので、焦ってしまいましたが、実は末廣さんはスコアを持っていなかったので練習番号を知りたかっただけなのでした。そう、今までごく普通に各パートに指示を出していたのに、末廣さんの手元にはスコアはなかったのですよ。すごいですね。
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by jurassic_oyaji | 2018-03-25 21:02 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Solo Works for Marimba
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加藤訓子(Mar)
LINN/CKD 586S(hybrid SACD)


かつて、このレーベルは非常にクオリティの高い録音で有名でした。なんたって、母体はあのハイエンド・オーディオのメーカーですからね。ほとんどのタイトルはSACDでリリースされていましたし、さらに45回転のLPなどという、現在のオーディオ・パッケージでは最も高音質の製品まで出していましたからね。ところが、いつのころからか、このレーベルはSACDから完全に撤退していました。いや、ハイレゾをやめたわけではなく、配信によるハイレゾ音源はきちんとリリースしているのですが、パッケージとしてはすべてノーマルCDになってしまったのです。残念ですね。ハイブリッドなのだから普通のユーザーにも迷惑をかけることはないはずなのに、やはり「リン」は無駄なものは作りたくないのでしょうか(吝嗇家)。
もちろん、2チャンネルのステレオでしたらハイレゾが欲しい時には配信で入手できるのですから構わないのでしょうが、困るのはサラウンドの音源です。これは、今のところレーベルのサイトでは入手できませんからね。
しかし、うれしいことに、実質的に日本のスタッフが製作している一連の加藤訓子のアルバムは、国内盤に限ってはしっかりSACDで出ています。
今回のバッハのアルバムも、やはりSACDでしたから、ホッとしました。しかし、今までのライヒ、ペルト、クセナキスという路線から一変してバッハというのは、ちょっと意外な気はしましたね。
実際、このアルバムを入手した時にはまだサラウンドを聴ける環境にはなかったので、2チャンネルで聴いてみたのですが、そこで聴こえてきたバッハにはなにかとてつもない違和感がありました。そこからは、これまでのアルバムでの真摯なスタンスがまるで感じられず、さらにはバッハに対するリスペクトも完全に欠如しているのではないか、とすら思ってしまいました。
しかし、最近思い立ってこれをサラウンドで聴き直してみたら、そんな印象が全く変わってしまったのですから、驚いてしまいます。まず最初に聴こえてきたのは、「平均律」の「第1番前奏曲」、あの「グノーのアヴェ・マリア」の下敷きになった曲です。それはもう、マリンバの巨大な音像が浮かび上がり、音を放つ鍵盤の1個1個が空中にさまよいながらそれぞれを主張しているという感じでした。これこそがサラウンド録音でしかなしえない音の聴こえ方なのでしょう。はっきり言ってそれは殆ど子供だましのようなものなのですが、考えてみればオーディオ再生そのものが、間違いなく子供だましのテクニックで作り上げられた偽物の世界。だとしたら、だまされたふりをしてそれを楽しむのも悪くはありません。
それは、まさに、単なる「前奏曲」、それに続いて聴こえてきた「無伴奏チェロ組曲第1番」では、さらなる驚きが待っていました。この曲は、もちろんチェロという一つの楽器だけで、低音の声部と高音の声部を同時に演奏しようという大胆なコンセプトのもとに出来上がっているのですが、その同じ音域で放たれるマリンバの「バス」の、とてつもないエネルギーにとことん圧倒されることになります。それは、まるで地の底から響いてくるようなサウンド、それがサラウンドでは、まるで大地に開いた大きな穴から聴こえてくるような「錯覚」に陥ります。
これは比喩ではなく、最近読んだこちらの中に書いてあったことで、マリンバの起源というのは実際に地面に穴を掘って、その上で木片を叩いてその穴に共鳴させていたということを知ったのですが、そんな、リアルに「地の底」からの音のように感じられるのですね。
まさか演奏家や録音スタッフがそれを意図していたわけではないのでしょうが、ここには、そんなアフリカの自然や文化までが内包された、桁外れに巨大なバッハの姿がありました。
後半は、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、ここでの「バス」は、もっと都会的な軽やかさで響いていました。

SACD Artwork © Linn Records

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by jurassic_oyaji | 2018-03-24 21:34 | 室内楽 | Comments(0)
フェアウェル・コンサートの配信を始めました
 「杜の都 合奏団」のコンサートはおとといが本番でした。その打ち上げの時に、マエストロから私に何やら紙袋に入ったものを渡されました。これまでの私の働きに対するお礼のプレゼントなのでしょうか。今さらそんな他人行儀なこと、照れくさいじゃないですか・・・と思って中を見てみると、その中には何枚ものCD-Rが入っているではありませんか。マエストロは恐縮したように、「すみません・・・またよろしくお願いします」ですって。なあんだ、プレゼントじゃなくて、CD編集の仕事を振ってきただけのことでした。
 もちろん、それはそんなにすぐに手を付けるつもりはありませんでした。まあ、ニューフィルの定期でも終わったら始めようかな、ぐらいの感じだったのですが、考えてみたら、この録音はマエストロを差し置いて私が最初に聴くことができるんですよね。そうなると、まずは一通り聴いてみてもいいな、という気になってきましたね。聴くだけ聴いて、あとはヒマが出来たら仕事をしようかな、と。
 正直、録音を聴いたらがっかりしてしまうのではないか、と思っていました。でも、そんなことは全然ありませんでしたよ。一応スコアを見ながら聴いてみると、演奏している時には出番前の休みの小節を数えるのに集中していたので殆ど気づかなかった他のパートが、やたら難しいパッセージをきっちりとこなしているのがはっきり分かります。みんな、すごいことやってたんですね。そんな積み重ねで、マーラーはとても立派に聴こえてきましたよ。
 そうなってくると、これを私の一人占めにしておくのはもったいなくなってきて、もう、そのまま編集してしまおうと思ってしまいました。
 そのCD-Rは、今回のコンサートと、その前、去年の夏のコンサートの2回分の録音でした。去年はマーラーの5番でしたね。ですから、交響曲はそれぞれ1枚のCDに収められるとして、残りの2回分の前曲をもう1枚、全部で3枚のCDを作るのが、私に与えられた仕事です。元になったCD-Rは会場のスタッフが録音したもので、普通こういうのはベタに回しっぱなしにしてあるものですが、これはどちらもきちんと曲ごとにトラックが分けられていましたね。これはすごく助かります。結局私は、曲の前と後を少し削るだけしかやることはありませんでした。こんなのは、ほんの30分ぐらいで出来てしまいます。
 ただ、問題は、おとといのマーラーの9番が、果たして1枚に収まるか、です。手元にあったヤンソンスのCDだと、1枚になっていましたが収録時間は80分45秒ありました。これは、プレスのCDではできるのですが、CD-Rでは一応最大80分と言ってますが、正確には79分55秒ぐらいなんですよね。果たして、ある程度の余裕を持たせて仕上げてあった4つの楽章を合わせてみると、10秒ほどオーバーしていて、「2枚必要です」ということになっていました。そこで、それぞれの楽章を2~3秒ずつ削ったら、見事に1枚に収まりましたよ。もちろん、きちんと前の楽章の余韻がなくなってから次の楽章が始まるようにしてありますからね。
 もしかしたら、去年のマーラーの5番だったら、そんなに長くはないので、その時の序曲「ヘンゼルとグレーテル」も一緒に入るのではないか、と思ったのですが、これはあいにくトータルで2分オーバーですから、どう頑張っても無理でした。結局、予定通りの3枚組になりました。
 これが、きのうまでの作業。ただ、これから先はマエストロの仕事になってきます。なんでも今頃はお引越しの最中のようですから、出来たマスターCDを送っても、それをダビングして、さらにそれをメンバーに配布するのはかなり先のことになるはずです。だったら、これをまずネットにアップしてみんなに聴いてもらうのもいいな、と気づきました。
 ですから、今日になって、そのままのwavでは重すぎるので、mp3に変換して(10分で終わりました)、いつもこういうことに使っている私のレンタルサーバーにアップしてしまいましたよ。そこへのリンクをFacebookに書き込んでありますが、一応ここからも。
シュトラウス:「ジプシー男爵」序曲

シュトラウス:常動曲

シュトラウス:ワルツ「美しく青きドナウ」

マーラー:交響曲第9番第1楽章

マーラー:交響曲第9番第2楽章

マーラー:交響曲第9番第3楽章

マーラー:交響曲第9番第4楽章
 去年と今年の音を比べてみると、かなり違ってました。同じホールなのに、と思ったら、マイクが違っていました。
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 これが去年のマイク。ワンポイントが1本ですね。
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 これが今年のマイク。4本のマイクがアレイに固定されています。
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 こちらのマイクの方が、繊細で伸びやかな音のように聴こえます。

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by jurassic_oyaji | 2018-03-23 21:44 | 禁断 | Comments(0)
CROSSING BORDERS
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Paul Hillier/
Ars Nova Copenhagen
DACAPO/6.220626(hybrid SACD)


「ヒリヤード・アンサンブル」を創設したポール・ヒリアーは、現在ではそのグループを離れていますが、それ以後アメリカで創設した「シアター・オブ・ヴォイセズ」という混声アンサンブルの指揮者がメインのポストなのでしょう。女声アンサンブルではありません(それは「シスター・オブ・ヴォイセズ」)。ヒリアーは2003年にはコペンハーゲンに移住するので、このアンサンブルのメンバーもデンマーク人なども加えてデンマークで再結成されています。その頃には、彼はエストニア・フィルハーモニック室内合唱団の首席指揮者も務めていましたね。
現在ではエストニアのポストは降りて、デンマークの「アルス・ノヴァ・コペンハーゲン」、アイルランドの「アイルランド室内合唱団」、ポルトガルの「コロ・カーサ・ダ・ムジカ」と、ヨーロッパ各国の合唱団の首席指揮者を務めています。
今回は「アルス・ノヴァ・コペンハーゲン」を指揮したアルバム、デンマークの作曲家の作品が集められています。
アルバムタイトルは「境界を越えて」というような意味なのでしょうか。ヒリアーのライナーノーツによると、こじつけも含めて、地理的、文化的、思想的な境界がテーマになっているのだそうです。ということで、ここで登場するうちのウィルヘルム・ステンハンマルだけはスウェーデン人なのですが、ここで歌われているのはデンマーク語のテキストなので、そういう意味での「境界」も含めて取り上げられているようです。
まずは、デンマークを代表する作曲家、カール・ニルセンの「3つのモテット」です。彼の作風はいまいち不思議なところがありますが、この曲はもろルネサンス期のポリフォニーを現代に再現したという、明解なコンセプトが伝わってきます。とは言っても、そこにはペルトのような風通しの良さは見られず、かなり屈折した和声に支配されてはいますが。
次は、「北欧音楽の父」と言われて、最近評価が高まっているニルス・ゲーゼの「Som markens blomst henvisner fage(野に咲く花のように消え去っていく)」という葬礼のための讃美歌を下敷きにした作品です。単旋律で歌われたものが次にはハーモニーが付けられ、さらに最後には短調だったメロディが長調に変わる、というあたりに「境界」を見出してほしいということなのでしょう。
先ほどのステンハンマルの「3つの合唱曲」は、美しいハーモニーのパートソングです。テキストは、シェーンベルクの「グレの歌」やディーリアスのオペラ「フェニモアとゲルダ」にも使われているデンマークの詩人、イェンス・ペーター・ヤコブセンのものです。3曲目の「もしも娘がいたのなら」などは、マドリガル風の囃子言葉も入って、陽気に盛り上がります。
20世紀になってすぐ生まれたヴァン・ホルンボーの「2つの境界のバラード」は、スコットランドの領土の境界を歌った作者不詳のテキスト(英語)によって作られた、やはりパートソングで、快活な1曲目と、暗い2曲目との対比が見事です。
最後に歌われているのが、このアルバムのメイン曲、1960年生まれのリン・ティエルンヘイがこの合唱団のために作った「Vox Repotage(報道の声)」です。彼女がここでメインに使ったのはエリアス・カネッティの代表的な著作「群衆と権力」の中のテキストです。  さらに、そこには様々なメディアからの引用が加わります。新聞記事やインターネットの記事(なんとWikipediaまで)、さらには、アインシュタインの言葉も。そこから生まれたのは、まるで柴田南雄が作り上げた一連の「シアターピース」のような世界です。そこでは、言葉たちは時に歌われ、時に語られて、強烈なメッセージを放っています。
なによりも素晴らしいのは、このレーベルの看板エンジニア、プレベン・イワンによる卓越した録音が、SACDのサラウンドで聴くことが出来ることです。教会のたっぷりとした残響を伴うアコースティックスの中で、キリッとした合唱団の硬質のサウンドが響き渡っている空間をリアルに感じられるのは、とても幸せです。

SACD Artwork © Dacapo Records

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by jurassic_oyaji | 2018-03-22 21:59 | 禁断 | Comments(0)
杜の都合奏団が、終わりました
 夕べは、ニューフィルの練習の後に、来年の春の定期のための会場日程とか指揮者についての話し合いがあったので、家に帰ってきたのはほぼ12時でした。それからお風呂に入って1時頃に寝て、今朝は「杜の都」の楽器運びに間に合うように、8時半までに旭ヶ丘という予定になっていました。でも、同じ話し合いに出ていて、もっとずっと遠くの自宅まで帰って同じ時間に旭ヶ丘に来た、という人もいたので、それに比べればそんなに大変なことではないんですけどね。
 会場の青年文化センターのステージは、最初から山台が設置されていたので、もう椅子を並べるだけというとても楽なセッティングでした。結局ヴァイオリンは最後まで欠員を埋めることが出来なくてかなり少ない人数のままでしたから、そんなに狭苦しくもなく、フルートパートの5人分の椅子と、さらにピッコロ用の椅子も楽々並べることが出来ました。
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 ゲネプロは、本番と同じ曲順で淡々と進みます。
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 今回は誰も写真を撮ってくれる人がいなかったので、本番での写真はありません。でも、私が降り番の時にこんな感じで何枚かは撮れたので、これは後で事務局に送っておきましょう。
 いつも、このコンサートはニューフィルのコンサートの少し前なので、チラシを挟ませてもらっています。そのために、この前の練習の時に300枚ぐらい持ってきてありました。それ以外に、メンバーがあちこちから頼まれたチラシが、全部で6種類もありました。その中には、私が前に入っていた合唱団のチラシもありました。これは、この間チラシを入れさせてほしいという連絡があって、挟み込みに参加させてほしいというお申し出だったのですが、時間がはっきりしていなかったので、適当な時間にホールに持ってきてもらえば、あとはこちらでやっておきます、と言ってありました。それで、ゲネプロが終わってロビーの中を探したら、ちゃんとそれが置いてありましたね。
 結局、チラシの中ではその合唱団の分が一番少なくて250枚ぐらいでしたから、プログラムへの挟み込みの作業の段階で6種類全部のチラシが入ったものは、それだけしかできませんでしたが、あとで受付の人に聞いたら、実際に入場した人は249人だったそうで、ちょうど、その全部が入った分がすべてなくなったのだそうです。ですから、奇しくもこの前同じ会場に別の合唱団を聴きに行った時とほぼ同じぐらいの人が入っていたことになります。たしかに、ホール内の残響はあの時と同じでとても豊かでしたね。
 しかし、人数はそれほど多くはありませんでしたが、そのお客さんたちはなにかとても暖かい感じがしました。私たちの演奏も、まあ、私も含めてかなりの傷はありましたが、マエストロの熱い思いにくらいついてなかなかの情熱的なものは伝えることは出来たのではないでしょうか。私も、演奏してとても楽しい気持ちになれました。それは、完全ではないものの、自分が出したいと思えるような音が、かなり出せていたせいなのかもしれません。
 4年間もこのオーケストラに付き合ってきて、自分で言うのもなんですが、明らかにスキルアップしているような気がします。それは、ニューフィルにいただけではちょっとできなかったことなのではなかったのでは、という気がとてもします。打ち上げの時に、この間ブラームスの1番を演奏したコンサートを聴きに来ていた今回のメンバーが、「あの時のフルートは、すごく鳴ってました」と言ってくれたのが、とてもうれしかったですね。
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by jurassic_oyaji | 2018-03-21 23:49 | 禁断 | Comments(0)