おやぢの部屋2
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メニューは焼きそば、フランクフルトに焼き鳥
 連休の初日、面倒くさいものから片づけていこうと、午前中はまずニューフィルの「懇談会」の文字起こしをやってみました。極力「要約」はやらずに、しゃべったことを忠実に再現しようと努めました。やっぱり、改めて文字にしてみると、なかなか重いものがありますね。
 そのまま調子に乗って、その時に話に出た、末廣さんの打ち上げの時のスピーチも、さっさと文字起こししてしまおうとしたのですが、これはソースが音声ファイルではなく、BDになった映像ファイルなので、ちょっと面倒くさいことになっていました。音声ファイルだと、ワンフレーズを聴きとったあとでポーズにしてテキストを打ち込み、また次のフレーズを聴く、ということが出来るのですが、BDだと、ポーズから再生を始めた時に、頭の音声が欠けていることが多いんですよね。ですから、ちゃんと聴きとるためにいくらかリワインドをかけてから再生しなければいけないのですよ。これはとても煩わしいので、なかなか仕事がはかどりません。たまに、ポーズボタンと間違えてリワインドボタンを押してしまったりもしますし。ですから、半分ぐらい仕上げたところでもう我慢が出来なくなって中断してしまいました。残りは明日以降にとっておきましょう。
 そして、午後にはいよいよ「タケノコ掘りたいかい?」です。開始は一応午後3時ということにしてあったのですが、その前に近所に住んでいる妹(Sさんのお通夜に一緒に行ったら、愛人と間違われました)からその前に掘らせてほしいと連絡があったので、2時ごろまでに現場に行くことにしました。そして、2時に駐車場で落ち合って、スコップなどを運ぶのを手伝ってもらって先に竹藪まで行ってもらい、私は塀の鍵やその他のこまごまとしたものを準備して行ってみると、その塀の前にはすでにNさんが来ていて、バーベキュー・セットの組み立てを始めていました。気合が入ってますね。それよりも、妹は見知らぬ人を前にして不審な顔をして立ち尽くしていましたから、まずはお互いを紹介してあげて、張りつめた空気を和ませてやりました。
 妹は何本か掘ってすぐに帰りましたが、それと入れ替わりにもうほかの人がやってきましたね。まだ開始時間には30分ぐらいありますが、その時点で「掘りたいかい?」は開始です。結局、3時にはほとんどの人が竹藪の中で思い思いにタケノコ掘りを楽しんでいましたね。やはり今年は豊作だったようで、いくら掘ってもまだまだ「獲物」は残っているようでした。
 このイベント、いったいいつから始まっていたのか自分でも分からなくなっていたので、昔の「ニューフィル日記」のバックナンバーを調べてみたら、どうやら最初に何人かが集まって掘るようになったのは、1999年からのようですね。ほぼ20年も続いていたなんて。もっとも、その中には凶作の年で中止になったこともありましたから、回数はもっと少ないのですが、それでも結構なものです。その時にはほんの4、5人しか参加していませんでしたが、今日は集合写真の中を数えてみたら全部で37人いましたね(この後、もう2人加わりましたから、最終的に39人)。その中で、お子さん(6か月から中学生まで)が15人もいましたね。そんな、よちよち歩きで掘ったタケノコを抱えている小さなお子さんたちを見ているだけで、心が和みます。
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 そして、まだ1歳にもなっていない赤ちゃんを抱っこしている人も何人かいました。この子たちも、すぐにこんな風に竹藪の中を走り回るようになるのでしょうね。その中には、退団したメンバーもいて、久しぶりにみんなと話をしている光景も見られました。大げさですが、ちょっとした「出会い」の場を提供するようなイベントにもなっていたようですね。
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 この写真は、そんな元メンバーたちのほとんど「スクープ」と言ってもいいような貴重なショットです。彼女たちはいつの間にかこんなにかわいい赤ちゃんたちのママになっていましたよ。「かいほうげん」には、ぼかしを外して載せますからね。
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by jurassic_oyaji | 2018-04-29 22:20 | 禁断 | Comments(0)
MacMillan/Trombone Concerto, Knussen/Horn Concerto, Ali-Zadeh/Nasimi-Passion
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Jörgen van Rijen(Tb), Félix Dervaux(Hr)
Evez Abdulla(Bar)
Iván Fischer, Ryan Wigglesworth, Martyn Brabbins/
Netherlands Radio Choir(by Klaas Stok)
Royal Concertgebouw Orchestra Amsterdam
RCO/RCO 17004(hybrid SACD)


ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による現代音楽のシリーズ「HORIZON」の最新アルバムです。2017年に行われた3つのコンサートから、ジェイムズ・マクミランの「トロンボーン協奏曲」とフランギス・アリ=ザデーの「ナシミ受難曲」のそれぞれの世界初演、そして、1994年に作られていたオリヴァー・ナッセンの「ホルン協奏曲」が収録されています。
マクミランの「トロンボーン協奏曲」は、このレーベルとしては初めて出会ったDXDによる録音でした。正確なデータは記載されてはいませんが、最低でも24biti/352.8MHzという、この間の2Lレーベルでお馴染みのものすごいPCMです。
この協奏曲は、コンセルトヘボウ管弦楽団の首席トロンボーン奏者のヨルゲン・ファン・ライエンからの要請に応えて作られたものです。それは、単なる協奏曲というよりは、ほとんど「オケコン」のような、オーケストラの個々の楽器やセクションがソリスティックに大活躍するという作り方になっています。なにしろ、曲の最後近くに入っているカデンツァでは、もちろんソリストが即興的なフレーズを演奏するのですが、それに呼応してこのオーケストラのトロンボーン・パートの人たちも参加してバトルを繰り広げる、といったスリリングな場面まで用意されていますからね。この時は、ソリストのファン・ライエンは客席に背を向けて、トロンボーン・セクションと一緒にインプロヴィゼーションのやり取りを行っていたんだそうです。
それ以外に印象的なのは、曲が始まってすぐに登場してトロンボーンにとてつもないハイテクで迫るフルートです。おそらくこれを吹いているのはエミリー・バイノンでしょう。
まるで映画音楽のように山あり谷ありのスペクタクルな音楽(サイレンまで入っています)は、どこを取ってもとても魅力的でした。こういうものこそ、しっかりサラウンドで聴きたいものです。金管のコラールで安らかに迎えるエンディングも感動的です。
これらの複雑に入り組んだオーケストラのテクスチャーが、まさにDXDならではの精緻な音で迫ってきます。正直、BD-Aならいざ知らず、SACDでここまでのものが聴けるとは思っていませんでした。
もう一つの世界初演は、アゼルバイジャンの作曲家アリ=ザデーがこの年のイースターのために作った「ナシミ受難曲」です。
このオーケストラには、初代指揮者のメンゲルベルクの時代から、この時期にバッハの受難曲を演奏するという伝統がありました。それは代々の指揮者に受け継がれ、一時アーノンクールが「HIP(=historically informed performance)」で演奏していたこともありました。最近では、バッハの受難曲だけではなく、何年かに一度は現代に作られた受難曲を演奏するようになっていて、2009年にはジェイムズ・マクミランの「ヨハネ受難曲」、2013年には、フランク・マルタンが1949年に作ったオラトリオ「ゴルゴタ」が演奏されていました。そして、2017年に演奏されたのが、この「ナシミ受難曲」です。
「ナシミ」という馴染みのない言葉は、この受難曲で通常の新約聖書からの福音書の代わりにテキストとして使われている、14世紀のアゼルバイジャンの詩人イマードゥッディーン・ナシミに由来しています。もちろん、それはアゼルバイジャン語で書かれたものでした。
彼女の作品は、伝統的な西洋のクラシック音楽と、中東の民族音楽とを融合したものと言われていますが、それはとても高い次元でのクロスオーバーがなされていて、決して安直なオリエンタリズムに陥ることはありません。バリトンのソリストとして起用されている、アゼルバイジャン生まれで世界中のオペラハウスで活躍しているイヴズ・アブドゥーラが、テキストに命を吹き込んでいます。
この曲と、ナッセンの「ホルン協奏曲」は、96kHzPCMによる録音だからなのでしょうか、DXDによるマクミランとは明らかにワンランク下がった音に聴こえます。その違いがここまではっきり分かるとは。

SACD Artwork © Koninklijk Concertgebouworkest

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by jurassic_oyaji | 2018-04-28 21:05 | 現代音楽 | Comments(0)
公式サイトのデザインも変えないと
 いよいよ明日からゴールデン・ウィークですね。一応私はカレンダー通りの出勤なのでそんな何十日も連続休みなんてことはありません。そもそも、そんなに休んだって何もすることがありませんからね。
 まあ、とりあえず前半のお休みでは、あの「タケノコ掘りたいかい?」がありますね。今のところFacebookでの出席の通知は10人程度ですが、欠席の通知をいただいていない人はたくさんいますし、直接メールで出席の連絡をいただいた人もいますから、最終的には20人近くがいらっしゃるのではないでしょうか。それに、実際はご家族の方とかも一緒にいらっしゃいますから、総人数はやはり40人ぐらいにはなってしまうかもしれませんね。ということは、史上最高だった去年と同じぐらい、ということになるのでしょうか。
 去年の場合、タケノコの生え方が少なめだったので、もうあっという間に全部掘ってしまって、帰ったあとには草一本生えていなかったという状態になっていましたね。でも、今年は違います。なんせ、竹藪から離れたところからも、どんどんタケノコが頭を出していますから。これは大豊作だったおととしも見られた現象ですから、きっとみんなに行き渡るだけのタケノコが確保できるはずです。
 ただ、今年は、ちょっとしたハンデが設定されることになってしまいました。毎年ここでタケノコ掘りを行うのはニューフィル関係者だけではなく、他にもあります。ただ、その方たちは早めにやってくるので、よかったのですが、今年はうちの後に予定を組んでしまいました。そうなると、彼らが来た時にはもう一本もなくなっていたのではシャレになりませんから、その分を少し残しておくことにしたのです。
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 こんな感じで、まあ、掘る頃には10本ぐらいは出ている場所をロープで囲って、そこだけは「ご予約ZONE」に設定しておきました。こうしておけば、あとから来る人たちも十分に楽しめるはずです。
 私の場合は、連休中に仕上げなければいけない仕事を家に持って帰ってきています。まずは、この間定期演奏会が終わったあとの最初の練習の時に行われた懇談会の文字起こしです。今週はとにかく忙しかったので、とてもこんなことをやっている時間はなくて、とうとうこんなことになってしまいました。やりはじめればあとは早いのですが、取り掛かるまでが面倒で。結局、フリートークなので誰もそれを文字起こしする人のことを考えてしゃべってなんかいませんから、話があっちこっちに飛んでしまう人が続出、これは後で大変だな、と思っていましたからね。
 まあ、話の内容も言ってみれば毎回同じで、そんなに新鮮な内容はないのですが、今回はちょっと刺激的な発言もありましたね。まあ、私なども日頃思っていることなのですが、これをはっきり言ってしまうと何かと問題になってしまうことは分かっているので、絶対にこんな場所では言わないでおこうとしていることを、少し遠慮がちではありましたがかなりはっきり言い切っていた人がいたのですよ。もちろん、それはきっちりとその議事録に残すのが私の役目なんですけどね。
 しかしな~、なんせニューフィルのメンバーには女性がたくさんいますから、あんなセクハラ発言をそのまま載せたら、あの人はどうなってしまうのでしょう(多少捏造しています)。
 それと、これは本当の話ですが、打ち上げの時の末廣さんのスピーチも、ぜひ文字にして残してほしいという意見もありましたね。そんなことをするのは私しかいないので、これもやらなければいけないでしょうね。まあ「ぼろ雑巾」だったらセクハラにはならないでしょうから、いいかな。
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by jurassic_oyaji | 2018-04-27 21:15 | 禁断 | Comments(0)
PASSION
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Fritz Wunderlich(Ten)
Various Artists
PROFIL/PH17015


1930年に生まれて、1966年にまだ30代の若さで亡くなってしまったのが、ドイツのテノール、フリッツ・ヴンダーリヒです。幸い、その「晩年」にはDGなどのレーベルに多くの録音を残したので、今でもその伸びのある美しい声は、素晴らしい録音で聴くことが出来ます。ベームの指揮による「魔笛」全曲盤などは、ハイレゾのSACDもリリースされていますから、彼のタミーノを極上の音で味わえます。
そのような正規のレコード録音だけではなく、コンサートを放送用に録音したものなども、かなりの数のものが残っているのではないでしょうか。それらは、すでに海賊盤っぽいものでは出回っているはずです。もちろん、きちんとライセンスを取って正規盤としてリリースされているものも有ります。
今回は、ふつうヴンダーリヒと言って思い浮かべるオペラやリートではなく、主にバッハの受難曲などという珍しいレパートリーをそのような音源から集めて作った12枚入りのボックスです。何しろ、このジャンルのスタジオ録音盤は、1964年にカール・ミュンヒンガーの指揮するシュトゥットガルト室内管弦楽団とDECCAに録音した「マタイ」ぐらいしかありませんからこれは貴重です。
ここに収録されているのは、「マタイ」と「ヨハネ」がそれぞれ2種類、ヘンデルの「メサイア」と、宗教曲ではありませんが、1955年に録音されたベートーヴェンの「第9」全曲です。これはすでにLPでリリースされていて、そのジャケットのライナー(ジャケットの裏側のこと)がこれです。
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右下に「STEREO」と書いてありますから、リリースされたのは録音されてからかなり経ってからなのではないでしょうか。1955年にはまだステレオはありませんでしたからね。ですからこれはLPを作る時に電気的にモノラル録音をステレオにしたものです。たしかに、よく見ると「ELEKTRONISCHES STEREO」となってますね。
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いわゆる「疑似ステレオ」というやつで、「ブライトクランク」というのもありました(もはやだれも知らないでしょうね)。
これは、このボックスの中では最も古い録音、ヴンダーリヒはまだ24歳の時なのですが、例のピッコロが入るマーチに乗って出てくる彼のソロには驚いてしまいました。それは、例えば今超売れっ子のテノール、某フォークトのように、とても甘く美しい声なのにそこからは何のパワーも感じられないものだったのです。「第9」のこの部分はなんたって勇壮なマーチをバックに歌うのですから、そこにパワーがなければ何にもなりませんね(そういうこと)。
余談ですが、この録音でピッコロはこの部分派手にヘクってます。しかも、ど頭とオクターブ上がったところの2か所も。ということは、これもやはりライブ録音だったのでしょうか。
こんな「貴重」な声は、そんなに長くは続かなかったようで、その2年後1957年の「マタイ」と「ヨハネ」では、あのお馴染みの張りのある声が聴けるようになります。この2曲は、その年のアンスバッハ・バッハ音楽週間に聖グンベルトゥス教会で「マタイ」が7月24日、「ヨハネ」が7月31日に演奏されたもので、あのカール・リヒターがミュンヘン・バッハ合唱団&管弦楽団を指揮していました。フルート・ソロはオーレル・ニコレという豪華版です。ヴンダーリヒはここではアリアを担当、エヴァンゲリストは彼より20歳年上のピーター・ピアーズでした。
もう一つの1958年の「ヨハネ」は、テオドール・エーゲル指揮の南西ドイツ放送管弦楽団のフライブルクでのコンサートのライブで、ここではヴンダーリヒがエヴァンゲリスト、アリアはハンス=ヨアヒム・ロッチュでした。
そして、1962年の「マタイ」は、カール・ベーム指揮のウィーン交響楽団がムジークフェライン・ザールで行ったコンサートです。ここではヴンダーリヒはついにエヴァンゲリストとアリアを全部一人で歌っています。
いずれも、録音はあまりにひどいものですが、その混沌の中でもヴンダーリヒの声だけは豊かに響き渡っています。

CD Artwork © Profil Media GmbH

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by jurassic_oyaji | 2018-04-26 21:01 | 合唱 | Comments(0)
「菜の花畑のこちらがわ」とか
 春のテレビドラマの改編で、一応新しいドラマが揃いましたね。そこで、前もってチェックしておいたものを実際に見た後で、それを1クール見続けるかどうかを決めるオーディションが行われました。いや、別の私の中だけの独断的な選別なんですけどね。そんな中で、一番期待していた「ブラックペアン」は、見事に落選となってしまいました。二宮くんは好きなんですが全然その魅力が出せてないし、そもそも台本があまりにもいい加減。残念でした。
 逆に、あまり期待していなかった「コンフィデンスマン JP」は、完全にローテーション入り、間違いなく最終回まで見続けることになるでしょう。こういう話は、かつてイギリスで作られたドラマがありましたが、おそらくそこら辺をモデルにしているのでしょうね。徹底的にありえないどんでん返しがたまりません。
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 そして、朝ドラです。これは、新生児をかわいいのとあまりかわいくないのを2人並べていたあたりからちょっとすごいんじゃないか、という予感がありました。それで、あえて予告などのものを一切読まないで、全くの白紙の状態で見続けようと思っていたら、こちらもきっちり驚かせてもらえてます。なんたって最近の「いつもポケットにショパン」には本当に驚きましたね。見慣れたあの単行本なのに、作者が別の人なんですからね。どうなっているのかと思っていたら、きっちり作者にコンタクトはとっていたみたいですね。今日は「秋風先生」も登場したことだし、面白くなりそうです。
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 このマンガは、単行本になる前の雑誌連載の時からリアルタイムで読んでいました。「キシンくん」というお友達が出てくるのが印象に残っています。当時「キーシン」という本物のピアニストもいましたからね。あ、今もいるか。この頃は少女マンガに凝っていて、月刊誌を2冊定期購読していましたね。ただ、一番好きだったのはくらもち先生ではなく樹村みのりさんでした。それこそ、「こんな見方ができるんだ」というような驚きに満ちてましたね。樹村さんの作品は。
 そんな昔の話ではなく、最近の関心事はもっぱら今年のタケノコの伸び具合です。桜がとても早く開花したので、もしかしたらと早めに竹藪に行ってみたら、確かにありえないほど早い時期にもう収穫できるようなタケノコが見つかりました。ですから、今年は恒例の「たけのこ掘りたいかい?」もいつもの連休の頃ではなくもっと早くなってしまうだろうと思っていたのですが、それ以降ピタッと伸びが止まっていたんですよね。
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 それが、ここ2,3日のうちに続々出始めてきて、これだったら今週末ぐらいにはみんなが集まって掘っても大丈夫なぐらいのタケノコが出ているのではないか、と思えるようになってきました。そこで、今度の日曜日に集まって、伸びすぎる前に掘ってもらうという、いわば竹林のメインテナンスのお手伝いをしてもらうことにしました。もちろん、掘り出したタケノコはそのまま持って帰っていただけますよ。
 Facebookを通じて、主にニューフィルのメンバーに声をかけてみたら、どうやら毎年の常連さんは楽しみにしていたみたいで、続々出席の連絡が入っています。去年は参加できなかったNさんなどは、また焼きそばやフランクフルト持参でやってくるそうですから、楽しみですね。
 別に、ニューフィル人でなくても、実際にタケノコを掘る作業を体験してみたい方は、ぜひご参加を。場所はこちらです。午後3時ごろスタートの予定。あまり遅く来ると、もう掘るタケノコが残っていないかもしれません。でも、大量に獲れるはずですから、十分にお持ち帰りは出来ますよ。
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by jurassic_oyaji | 2018-04-25 21:35 | 禁断 | Comments(0)
FOLKETONER
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Anne Karin Sundal-Ask
Det Norske Jentekor
2L/2L-144-SACD(hybrid SACD)


アルバムタイトルの「FOLKETONER」というのが、ちょっと曲者でした。「Folkemusikk」が「民族音楽」という意味のノルウェー語なのは分かったのですが「Toner」が分かりません。でも、おそらく英語の「Tone」ではないかということで、勝手に「民族の音」とすることにしました。
それを、日本の代理店は「人々の心の調べ」と訳しました。これは、元の言葉の直訳ではなく、それこそその「心」までも含めて意味を伝えようとした気持ちのあらわれなのでしょう。半世紀前に「I Want to Hold Your Hand」というタイトルを「抱きしめたい」と訳した精神が、この業界には時代を超えて脈々と伝えられていることがよく分かる事例です。
実際は、ここではとても素晴らしい女声合唱団によって、ノルウェーのまさに「民族音楽」から、ロマン派の作曲家によるクラシックの「作品」、あるいは中世から伝わる聖歌など、様々な曲が歌われています。その女声合唱団は、初めて耳にした「ノルウェー少女合唱団」という名前の団体です。
この合唱団の起源は、1947年に作られた「ノルウェー放送局少女合唱団」まで遡れるのだそうです。やがて合唱団は放送局からは独立した団体となり、今に至っています。その間には、多くの音楽家、芸術家がここから巣立っていき、それぞれの分野で活躍しています。そもそも、ここは音楽だけではなく芸術全般に関するプロフェッショナルなスキルを身に付けるという目的を持った教育機関としての側面もあるのだそうです。さらに、そのような啓蒙はここで学ぶ少女たちだけではなく、その演奏を聴く聴衆に対しても行われているのだとか。
この合唱団のメンバーは6歳から24歳までの年齢層で成り立っています。そして、その中にはそれぞれのスキルに応じて4つの合唱団があります。それは、初心者のための「リクルート合唱団」、もう少し高いレベルの「アスピラント合唱団」、そしてメインの合唱団、さらに、おそらくそこから選抜されたメンバーによる「スタジオ合唱団」です。このSACDで演奏しているのは、その「スタジオ合唱団」です。
いつものように、DPAのマイクを使ってDXD(24bit/352.8kHz)で録音されたこのレーベルの音は、2.8MHzDSDというしょぼいフォーマットにダウンコンヴァートされたSACDであっても(今回はBD-Aは同梱されていません)、とびっきりのインパクトを与えてくれました。バランス・エンジニア、モーテン・リンドベリが選んだ録音会場の教会の豊かな残響に囲まれて、この合唱団の瑞々しいサウンドは、まるで乾ききった砂地に水がしみ込むようにたっぷりの潤いを届けてくれていたのです。彼女たちの声は、普通は「無垢」という言葉で表現される透明性を持ちつつも、そこにはほのかな「汚れ」すらも漂っていて、それがえも言えぬ味わいを出しているのですね。サラウンドで体験するこの音響空間は、まさに至福のひと時を与えてくれます。
歌われているのはさまざまなソースをア・カペラに編曲したものですが、ノルウェーの大作曲家、エドヴァルト・グリーグが作った曲も4曲歌われています。その中から、いきなり弦楽合奏のための「2つの悲しい旋律」からの「過ぎにし春」が聴こえてきたのには驚きました。おばあちゃんの名前(それは「杉西はる」)ではありません。これは、オリジナルは「ヴィニエの詩による12の旋律」という歌曲集を編曲したものですが、それがさらに合唱に編曲されていたのでした(ここでは同じ曲集からの「ロンダーネにて」も歌われています)。
弦楽合奏バージョンには、いかにもな濃厚な表現の正直うざったい曲のような印象があったのですが、このア・カペラ・バージョンはそれとは全然異なる爽やかさと明るさを持っていました。歌詞には、「これが私にとって最後の春だ」みたいな深刻な心情が現れているようですが、少女たちにとってはそこまで踏み込まずともこの音楽の神髄は伝えられるだろうという解釈なのでしょう。そう、明るさの中に込められた哀感の方が、時として鋭く伝わることもあるのです。

SACD Artwork © Lindberg Lyd AS

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by jurassic_oyaji | 2018-04-24 23:46 | 合唱 | Comments(0)
どちらも、出版元はウィルヘルム・ハンセン
 前回のニルセンの「交響曲第4番」のパート譜の間違いは、単にピッコロのパートをフルートのままにしていたというちょっとした不注意が招いたものでしたが、それ以外にも音そのものが間違っているところも見つけてしまいました。それは、練習番号「18」の2つ前の小節(231小節)から始まるピッコロのトリルの音です。下のスコアの赤枠で囲った部分の後半ですね。
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 そこを拡大すると、こうなります。
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 このトリルは、上に♯が付いているので、「E-Fis」という全音のトリルです。
 ところが、パート譜ではそれが「E-F」の「半音」のトリルになっています。
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 これは、前後の和声などを考えても、「Fis」の方が正しいのは明らかです。ここはこのトリルを吹いているのはピッコロだけなので、間違えたままで吹いたりしたらかなり恥ずかしいことになりそうですね。合奏が始まる前にちゃんとチェックすることが出来て本当によかったな、と思いました。
 でも、これは本当にピッコロだけの音ですから、他の誰とも重なっていないので間違っていても本人は気が付かない可能性もありますよね。もしかしたら、指揮者もそれに気が付かないなんてこともあったかもしれませんから、ちょっと今までの録音を調べてみました。
 最初は、おそらく最も最近のアラン・ギルバートとニューヨーク・フィルが2014年に録音したSACDをチェックしてみました。でも、なんだかこれが「半音」のように聴こえるのですよね。まあ、このオーケストラや指揮者がニルセンを演奏することなどあまりないので、そんなことになってしまったのでしょうかね。
 でも、その他にもカラヤン/ベルリン・フィルとか、メータ/LAフィルなどを聴いてみても、やはり「半音」にしか聴こえないんですよ。カラヤンやメータって、そんなに耳が悪い指揮者だったのでしょうか。
 その謎は、すぐに解けました。私が持っているこの曲のスコアは2000年に出版された最新のニルセン全集による新しい楽譜なのですが、この曲が出版されたのは初演と同じ年、1916年で、その楽譜は今の楽譜と一緒にIMSLPで見ることが出来ます。その初版のスコアでは、しっかりここが「半音」のトリルになっているのですよ。
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 今回のニューフィルが使っているのは、この初版を元に作られたパート譜のリプリントであるKALMUS版ですから、間違っていたのは当然だったのですね。新しいパート譜は入手できなかったのでしょうか。
 つまり、カラヤンやメータの時代には、スコアそのものが間違っていたのでそれ以外に演奏のしようが無かったんですね。ニューヨーク・フィルの場合には新しい楽譜はもう出ていましたが、オーケストラのライブラリーにはまだ古いパート譜しかなくて、それを使ったからこうなったのでしょう。指揮者のギルバートも古いスコアしか持っていなかったのか、新しいスコアでも気が付かなかったのか、どちらかなのでしょうね。
 こんな間違いは、他のパートでもたくさんありそうですね。一応前もってスコア(もちろん新版)と見比べて、チェックしておいた方がいいのではないでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2018-04-22 21:49 | 禁断 | Comments(0)
FELD, WEINBERG, THEODORAKIS/Flute Works
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Kathrin Christians(Fl)
Ruben Gazarian/
Württembergisches Kammerorchester Heilbronn
HÄNSSLER/HC19099


カトリン・クリスティアンスという、全く聞いたことのないフルーティストのアルバムです。甘いお菓子ですね(それは「カリント」)。演奏しているのがフェルトとワインベルクの協奏曲というので聴いてみることにしました。まあ、このジャケットもインパクトがありましたけどね。何しろ、海の中の桟橋で、裸足になってフルートを吹いているのですから。もうしぶきが当たるぐらいのほとんど海の中、楽器に悪影響はないのか心配になってしまいます。まっ、合成かもしれませんがね。
彼女の現在のポストはハイデルベルク交響楽団の首席奏者ということなので、そのサイトに行ってみたのですが、なぜかメンバー紹介のページがどこにもありませんでした。アマチュアならいざ知らず、プロのオーケストラで全員のメンバーが公開されていないサイトもあるんですね。なんでも彼女は23歳でこのポストに就いたのだそうです。
ここで共演しているのは、そのオーケストラではなく、ハイルブロンにあるヴュルテンベルク室内オーケストラという団体です。ここは、かつてゴールウェイと一緒にバッハ親子やクヴァンツなどのアルバムを作っていたところですね。
余談ですが、ゴールウェイの場合、デビュー・アルバムこそケネス・ウィルキンソンという大物エンジニアが担当していたものの、その後マイク・ロスという人がメインで録音を行うようになると、なんともポリシーが見えてこない残念な録音ばかりになっていました。そんな中で、このヴュルテンベルク室内オーケストラとの録音では、リリンクのカンタータ全集などを手掛けていたテイエ・ファン・ギーストがエンジニアだったので、いつものゴールウェイとは一味違う納得のいく音が聴けたような印象があります。
それは1989年から1993年にかけてのこと、今では指揮者も変わっていますから、音も全然違っているようでした。というより、最初に聴こえてきたインドルジッヒ・フェルトの「協奏曲」が、弦楽合奏にピアノとハープと打楽器が加わるというユニークな編成だったので、そんな風に感じてしまったのかもしれません。フェルトと言えば、そのゴールウェイも録音していた「フルート・ソナタ」が有名ですが、こちらの「協奏曲」の方は初めて聴きました。
この協奏曲は1954年に作られているので、1957年に作られたソナタとは作曲時期はそんなに違っていないのですが、その作風はかなり異なっているような印象を受けます。なによりも、この変な編成で特にピアノや打楽器がもたらすリズムが、彼が影響を受けたというバルトークとそっくりなんですね。これはソナタには見られないものです。さらに、第2楽章になるとティンパニの連打に乗って弦楽器がねっとりとした音楽を奏でるという、ほとんどブラームスの交響曲第1番の冒頭のような重々しさがあります。3楽章になってやっと、ソナタと同質の軽さが見られるようになるでしょうか。それは殆どハチャトゥリアンやプロコフィエフを連想させるテイストです。
そんな中でソリストのクリスティアンスは、ちょっと不思議な音を聴かせてくれています。なんか焦点のぼけた芯のない音なんですね。高音には変な倍音が混ざっていてクリアさがないというか。逆に低音は殆どサインカーブのようなピュアな音なので、迫力がまるでありません。指はとても回るので爽快感はありますが、なにかイマイチ物足りません。
ミェチスワフ・ヴァインベルクの「フルート協奏曲第2番」は、今まで何度も聴いてきましたが、ここではそれを弦楽オーケストラのために書き換えたバージョンが演奏されています。なんでも、その形での世界初録音なのだとか。この曲には、ソロのフルートがオーケストラの中の管楽器と絡む場面が数多く登場しますが、ここではそれらが全て弦楽器に置き換わっているので、かなりの違和感があります。それが、このソリストのモノクロームな音色には合っているのでしょうが。

CD Artwork © Profil Medien GmbH

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by jurassic_oyaji | 2018-04-21 21:00 | フルート | Comments(0)
クーラウの「妖精の丘」
 定期演奏会が終わっても、ニューフィルの活動は続きます。今週こそはお休みでしたが来週の火曜日にはもう普通に練習が始まりますからね。そこでやるのが、おそらくほとんどの人が弾いたことがないと思われるニルセンの交響曲ですよ。下手をしたら「弾いたことがない」だけではなく「聴いたことがない」という人さえいるでしょうからね。
 私の場合はさすがに聴いたことはありましたが、もちろん演奏するのは初めてです。ですから、渡されたパート譜をまずはしっかりさらっておかなければいけませんね。その最初の練習の時には、おそらく他の人たちもしっかり譜読みをしてきているはずですからきっと1回で通ってしまうでしょう。そんな中で弾けなくて取り残されるなんて最悪ですからね。
 と思って譜読みを始めてみましたが、私の場合は今回は3番フルートでピッコロ持ち替えというポジションですから、意外と楽。2回ぐらい全部通して吹いてみたらそんなに大変なところはないことが分かってしまいました。この間のニューフィルのエルガーなんかは、いつまで経っても全体像がつかめなくて大変だったのに、こんなに簡単に出来てしまうのは、私のスキルが上がったせいではないはず、本当にあまり「ヘン」なことをやっていないので、きちんと読みさえすればすぐにできるようになってしまうからなのでしょう。ですから、その「きちんと読む」というのが大事なんでしょうね。確かにちょっと変わったシンコペーションとかがありますから、いい加減に数えていたのではいつまでかかってもマスターできないでしょうね。ただ、休みが異常に長いので、それを数えてきちんと入るのがちょっと大変そうな気はします。
 あとは、なにかとっかかりがあると、親しみがわいてやる気になってくることってありますよね。エルガーの時はそれが「ダースベイダーのテーマ」でしたが、今回のニルセンは「そだね~」です。
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 これは1番の譜面ですが、第3楽章(実際は切れ目なく全曲を演奏するようになっています)に相当する部分でフルートがソロで「そだね~」と言ってますよ。これがもうちょっと先に行くと、
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 もう「そだね、そだね、そだね・・・」のオンパレード。ここはちょっといやかも。というか、ピッコロの場合はこういうところはありませんから。
 譜読みが結構進んだので、スコアもちゃんと読んでみようと思って読み始めたら、なんだかピッコロに吹いたことのないような部分があるのに気が付きました。パート譜と見比べると、スコアでは「Piccolo」と指定されているところが、パート譜では「Fl. grande」になっているではありませんか。このパート譜は手書きですから、写譜屋さんが間違えたのですね。早く気が付いてよかったです。あるいは、知らないふりをしてパート譜の通りにフルートを吹いてみて、練習指揮者がそれに気が付くかどうか試す、という手もありますね。やりませんけど。
 ニルセンを演奏する定期では、北欧特集で序曲にはデンマークの作曲家の、これこそ絶対に誰も演奏したことがない曲が決まっています。それも一緒に譜読みをする前に小節番号を入れておこうと、ちゃんと調べてくれた人がいたのでそれを元に数え始めたら、なんだかどう数えてもその資料と合わないところが出てきました。資料では練習記号事の小節番号が書いてあるのですが、その「D」だけが1小節違うんですよね。
 それは、やはりピッコロのパート譜でしたが、2番フルートのパート譜だときちんと資料通りのところにあります。ですから、これも写譜屋さんが記号の場所を間違えたんですね。それだけではなく、1番フルートのパート譜だと、それは30小節近く前に付いてましたよ。長いことオーケストラをやってますが、これほどいい加減なパート譜は初めてです。
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by jurassic_oyaji | 2018-04-20 21:15 | 禁断 | Comments(0)
REICH/Drumming
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Colin Currie Group
Synagy Vocals
COLIN CURIE RECORDS/CCR0001


スティーヴ・ライヒのごく初期、1971年に作られた「ドラミング」の最新録音です。足の長い鳥ではありません(それは「フラミンゴ」)。この曲は、1974年にライヒ自身も加わったアンサンブルによって録音されていましたね。
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もちろん、まだCDは出来ていなかった頃ですから、これは、他の2作品とカップリングされて、LP3枚組のボックスとしてリリースされていました。レーベルが、そのような「現代音楽」とは無縁のように思われていたドイツ・グラモフォンだったのがとても意外だった思い出があります。
これはその後同じ曲目で2枚組のCDとしてリイシューされましたが、その時もこの「ドラミング」は1枚には収まらず、4つのパートの中の最後の1つが2枚目のCDに入っていました。しかし、今回は全曲が1枚のCDに収まっていました。かつては1時間半かかっていたものが今回は1時間弱にまで短くなっていたのです。
それは、この曲の演奏のされ方を考えれば納得できます。これがこの曲の基本的なリズムパターンです。
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ご存知のように、これは「ミニマル・ミュージック」の黎明期のもの。全ての演奏者が、このリズム全体、あるいは一部をそれぞれの楽器に応じたピッチや音色で演奏するだけなのですが、その際にほんの少しずつ他の人とはズレて演奏することによって、音の間に新たな音が生まれます。その結果、一人一人は全く同じリズムで叩いたり歌ったりしているだけなのに、時間とともにとても多彩で複雑なリズムパターンが現れることになります。そして、その時の「ズレ」のタイミングは演奏者に任されていますから、かなり自由度が高くなり、その結果演奏時間も大幅に変わってしまうことになるのです。
「ドラミング」というタイトル通り、ここでは最初に「調律されたドラム」が登場します。実際には「ボンゴ」と呼ばれる2つの小さな太鼓がペアになった楽器ですが、それがきちんと「gis-h」と「ais-cis」とに「調律」されたものが2組ずつ使われています。ただ、それだけが使われるのは、4つのパートに分かれているこの曲の最初のパートだけです。ここでは、4人の打楽器奏者が全部で8個の「ドラム」を叩きます。
「パート2」になると、「ドラム」はなくなって9人の打楽器奏者が演奏する3台のマリンバと2人のヴォーカルが登場します。「パート3」では3人の打楽器奏者による3台のグロッケンシュピールと2人のヴォーカリストによる口笛、そこにピッコロが加わります。「パート4」ではすべての楽器が12人の演奏者によって演奏されます。
これらの「パート」は、続けて演奏されるので、その変わり目は前の楽器に次の楽器が重なってきて、いつの間にか変わっている、という状態になります。そのような「いつの間にか」という感覚が、この曲の場合は重要になってくるのですが、これが最初にLPでリリースされた時には、2枚のそれぞれA面とB面に1パートずつ収録されていたために、その切れ目では一旦演奏を止めて盤を交換しなければいけませんでした(その変わり目はフェイド・アウトとフェイド・インになっていました)。これでは、せっかくのライヒの目論見が台無しですね。
それがCDになった時も、その演奏では1枚には収まらなかったので、「パート3」と「パート4」 の間で止めなければいけませんでした。それがやっと、中断なしに全曲を聴くことが出来るようになったのですね。それが今回のCDの最大の利点です。
もちろん、それだけではなく、40年以上の時間が経って世の中が全く変わってしまえば、演奏自体が大きく変わってしまうのは当然のことです。かつて、ひたすらパルスを生み出すことに専念していたストイックさはここでは姿をひそめ、内から湧き出るエクスプレッションに満ちていると感じられるのは、そんな一例です。「ミニマル」は、コリン・カリーによって確かな「変貌」を遂げていました。
第4部の途中で「食べてなかった」と聴こえるのが面白いですね。

CD Artwork © Colin Curie

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by jurassic_oyaji | 2018-04-19 21:35 | 現代音楽 | Comments(0)