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BEETHOVEN/Works for Flute・1
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瀬尾和紀, Patrick Gallois(Fl)
児玉光生(Fg)
瀬崎明日香(Vn)
小峰航一(Va)
NAXOS/8.573569


このレーベルからは2000年にホフマンのフルート協奏曲でデビューしたフルーティストの瀬尾和紀さんですが、その後も何枚かのアルバムをリリース、最近ではモシェレスチェルニーと、フルートの作品に関してはほとんど知られていない作曲家のアルバムも作ってきていますね。
デビュー当時にご本人と所属するアマチュア・オーケストラとの共演があったのですが、その時のまだ20代で初々しかった瀬尾さんも、ブックレットにある最近の写真を見ると、もはや40代、押しも押されもせぬ貫録が漂ってきましたね。
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この写真を見ると、最近は楽器を今までのゴールドから木管に替えたようですね。これはここでも共演しているパトリック・ガロワご愛用の「エイベル」というアメリカの楽器でしょう。
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今回瀬尾さんは、フルートの作品なんかあったの?と普通の人は思ってしまう大作曲家、ベートーヴェンの作品集を録音しました。しかも今回は「1」ですから、次は「2」もあるのでしょうね。
確かに、かつてはあのランパルが1964年にLP3枚分の「ベートーヴェン全集」を作っていますから、探せばCD2枚分ぐらいの曲はあるのでしょう。でも、実際に演奏されて耳にしたことがあるのは、「セレナード」と「フルート・ソナタ」しかないような気がします。しかも、「ソナタ」の方は今では完全に偽作とされていますから、そうなるとベートーヴェンのフルートのためのまともな作品は「セレナード」しかないのでは、と思ってしまいます。
このアルバムでは、その「セレナード」の他に、偽作の可能性がある3曲のクラリネットとファゴットのための二重奏曲を、フルートとファゴットのために編曲したものと、これは真作のフルート2本のための「アレグロとメヌエット」が演奏されています。
まずは、最近何かと縁のある「セレナード」から聴いてみましょう。フルート、ヴァイオリン、ヴィオラという珍しい編成の三重奏です。低音楽器がないので、いかにも軽やかなサロン風の作品に仕上がっています。全部で6つの楽章(最後の楽章は、ゆっくりした曲が序奏になっていて、それがアタッカでアレグロにつながっています)からできていますが、第2楽章の「メヌエット」と第4楽章の「ヴァリエーションを伴うアンダンテ」では、3人の奏者がそれぞれに技巧的なソロを披露する場面がありますから、フルートだけでなくすべてのメンバーが脚光を浴びられるようになっています。
瀬尾さんは、木管を使っているせいでしょうか、なにか音色にきらめきのようなものがあまり感じられませんが、それはアンサンブルとして他の二人をしっかり立てているからなのでしょう。先ほどのゆっくりとした楽章では、繰り返しでとても鮮やかな装飾を入れたり最後の楽章のアタッカの前で趣味のよいアインガンクを挟んだりして(この手があったか)、この曲の軽やかで瀟洒な味を強調していましたね。
それが、ファゴットとの二重奏になると、もっと音楽がアグレッシブなものに変わり、音色もきらめきが戻ってきたような気がしました。全く初めて聴いた曲で、確かにベートーヴェンの真作とは思えない陳腐なところはありますが、この二人の丁々発止のスリリングな演奏で聴くととても魅力が感じられます。
そして、師と仰ぐガロワとの共演による「アレグロとメヌエット」は、スリリングという点ではそれ以上のものでした。ここではおそらくガロワも瀬尾さんも同じ楽器を使っているのでしょうが、左チャンネルから聴こえてくる1番のパートは、そののびやかな音といい、音楽の自由度といい、2番のパートとは全く別物のフルートだったのですよ。そこでは、1番が仕掛けた装飾などに、2番が必死になって付いて行っているようなほほえましいところもあって、もう耳を離せなくなってしまいます。
さあ、この曲ではいったい誰がどちらのパートを吹いていたのでしょう。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

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by jurassic_oyaji | 2018-05-31 23:33 | 禁断 | Comments(0)
音楽は全部で1時間
 今、秋の定期に向けて練習しているのは北欧の曲ばかりで、その中にデンマークに帰化したドイツの作曲家、クーラウの「妖精の丘序曲」というのがあります。指揮者の新田さんが提示されたもので、もちろん団員でこの曲を知っている人は誰もいませんでした。練習指揮者も「きっとそのうちYさん(私のこと)があらすじとか紹介してくれるでしょう」なんて言い出す始末ですからね。
 確かに、私はそんな痒いところに手が届くようなサービスを、今まで数多く提供してきました。もちろん、それは「かいほうげん」のネタになることを見越してのことですから、なかなかやりがいのある作業ではありましたね。でも、この「妖精の丘」は、あまりにも資料が少なすぎました。ネットでもこの話のあらすじを書いたものは、非常に不完全なものが1つあるだけでしたからね。
 ただ、一応「全曲盤」のCDは出ているようでした。NMLでそれは聴けるので、まあ参考にはなるでしょうが、あいにくブックレットまでは見ることはできません。
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 そこで、現物を入手しようと思いました。でも、リリースが1996年ですから、もう廃盤になっている可能性は高いのですが、HMVに注文したらそれはすぐに届いてしまいました。今でも「2-3日以内に入荷予定」とあるので、きっと代理店の倉庫にはまだ在庫があるのでしょう。
 そして、そのブックレットを見てみたら、お目当てのものがしっかりありました。それは、とても詳細にこの曲が出来た背景から、それぞれの幕のプロットと、そこで使われている音楽を解説してくれていたのです。
 そこで分かったのは、これは「オペラ」ではなかった、ということです。これは、コペンハーゲンの王立劇場が当時の国王フレデリク6世からの委嘱を受けて制作したお芝居(戯曲)で、1828年の11月に予定されているフレデリク6世の娘のヴィルヘルミーネ・マリーと、後にフレデリク7世となる王子との結婚式の時に上演することが決まっていました。その話があったのはその年の5月、劇場側はあわてて台本作家を探し、有名なヨハン・ルーズヴィ・ハイベアという人が引き受けることになりました。そのお芝居には序曲や劇中歌も必要とされていて、その音楽を作ったのがクーラウだったのです。
 そこでは、もっぱら昔から伝わる伝承歌、「バラード」と呼ばれるものが素材として使われています。それらは、おそらくは専門の歌手ではなく俳優が歌ったのでしょう。素朴なメロディで出来た短い歌が、歌詞を変えて何番も歌われるという形がとられています。ニューフィルが演奏する「序曲」には、そんな歌のメロディが何曲か引用されています。それについては、「かいほうげん」で細かくご説明する予定です。
 ここでは、そのお話のあらすじを簡単にご紹介するつもりです。・・・と思ってCDのブックレットを読み始めたのですが、登場人物の関係がとても入り組んでいて、理解するのにはかなりの時間がかかってしまいました。でも、なんとか作りあげたのが、この「相関図」です。

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 ご覧のように、登場人物の名前には「原語」を使っています。デンマーク語の発音はちょっと変わっているのでたとえばNielsenは「ニールセン」ではなく「ニルセン」になりますね。もっとすごいのだと、有名なAndersenは「アンデルセン」ではなく「アナスン」ですからね。ですから、ここでも真ん中の「Agnete」という人も、「アグネテ」ではなく「アウニード」となるそうなので、いろいろ面倒くさくなってこんな風にしてみました。
 ということで、この相関図をご覧いただくと、なんだか複雑な男女関係があることが分かりますね。近々村の近くのホイストルプ城でEbbesenとElisabethの結婚式が行われるのですが、新郎新婦はそれぞれ別に好きな人がいるのですよ。まだ結婚はしていないので「ダブル不倫」ではありませんが、そもそもなんでこんな結婚話が持ち上がったかということが、ブックレットのあらすじでは分からないのですね。
 しかも、この物語には、この相関図には登場していないもう一人のキャストがいるのです。それは、劇のタイトルにもなっている「妖精の丘」に住む妖精の王です。しかし、彼は実際に劇には現れず、登場人物の話の中にしか出てきません。それはどういう話かというと、両親が亡くなったために国王が名付け親となり、Waklendorffの城で育てられていたElisabethは、幼少のころにこの妖精の王に誘拐されていたのです。Walkendorffは、探すのをあきらめ、自分の姪をElisabethとして育てることにします。しかし、結婚式が近づいて彼女が国王から命名式のプレゼントにもらった指環をしていないことに気が付いて、焦っているんですね。
 なぜか、その指環をはめた幼い女の子は、かつて妖精の丘に捨てられていました。それをKarenが見つけ、Agneteと名付けて自分の娘として育てることにしたのです。その時に、女の子(つまりElizabeth)が身に付けていた指輪や宝石は、壺に入れ丘の中に穴を掘って埋めておいたのです。
 そのことを、結婚式の日にKarenはAgnete(つまりElizabeth)に打ち明け、Mogensとともに壺を掘出しに行きます。そこに国王も現れて、出てきた指環とAgnete(つまりElizabeth)を連れて城に向かい、全ては丸く収まってめでたしめでたしとなるのです。
 と、自分で書いていてもなんだかわけがわからないところがありすぎ。実は、このお芝居は2015年に日本で実際に上演されていて、その写真集とあらすじを「国際クーラウ協会」のサイトで見ることが出来ます。しかし、このあらすじが、今まで書いてきたこととかなり違っているんですよね。おそらく、あちらもあまりの煩雑さに、分かりやすく手直しをしていたのではないでしょうか。
 でも、このお芝居、本国ではとても親しまれていて、王立劇場だけでも今までに1000回近く上演されているのだそうですよ。もっとも、この劇で祝福を受けたカップルは、10年も経たないうちに分かれてしまいましたけどね。原因はもちろん夫の浮気。
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by jurassic_oyaji | 2018-05-30 21:57 | 禁断 | Comments(0)
GULDA/Piano Works
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Martin David Jones(Pf)
GRAND PIANO/GP759


かつて「ウィーンの三羽烏」と呼ばれていた3人のピアニストがいましたね。モー、ラリー、カーリーじゃないですよ(それは「三ばか大将」)。その3人というのは、1927年生まれのパウル・バドゥラ=スコダ、1928年生まれのイェルク・デームス、そして1930年生まれのフリードリヒ・グルダです。一番若いグルダだけが、2000年に亡くなってしまいましたね。別に本人たちはあの「三大テノール」みたいにユニットを作って活躍していたわけではありませんでした。
その中でグルダだけは他の二人とはちょっと毛色が違っていたようです。もちろん、それこそウィーン古典派の作曲家の演奏には定評がありましたが、グルダの場合は単なる演奏に終わることはなく、当時としては珍しく、モーツァルトあたりでは自由な装飾を施していたこともありましたね。さらに、クラシックの枠にはとどまらず、ジャズ・ピアニストとしても名を馳せていたのです。
作曲家としても多くの作品を残しています。もちろん、ピアノのためのものが大半を占めていますが、「チェロ協奏曲」のようなものも作っていましたね。
今回のアルバムは、そんなグルダの作品を他のピアニストが演奏する、という企画です。演奏しているのは、アメリカ人のピアニスト、マーティン・デイヴィッド・ジョーンズ。彼は自身もクラシックを演奏するだけではなくジャズ・ピアニストとしても活躍しているのだそうです。
まず、最初に演奏されているのは、1970年に作られた「Variations on 'Light My Fire'」です。「Light My Fire」は、ドアーズの1967年のヒット曲で、邦題は「ハートに火をつけて」ですが、もしかしたらホセ・フェリシアーノのカバーの方が有名かもしれませんね。グルダはこの曲をテーマにして、演奏時間が15分にも及ぶ大規模な変奏曲を作りました。もちろん、それらはクラシカルな変奏から、ジャズのコードで味付けされたもの、さらにはロック・コンサートさながらの大げさな盛り上がりが演出された部分など、とてもユニークなものです。まるで、その5年後に作られることになる「不屈の民変奏曲」みたいですね。
そして、その後に30分以上の大作「Play Piano Play '10 Pieces for Yuko'(1971)」が続きます。タイトル通り10曲から出来ていますが、「Yuko」というのは彼の2番目の妻、ジャズ・ピアニストの「祐子グルダ」さんのことだそうです。
これは、ジャズ・ピアノのためのエチュードのような作品です。全10曲のうちで、全ての譜面がきっちり書いてあるのは4曲だけ、それ以外の4曲は部分的にインプロヴィゼーションが要求される場所が用意されていたり、残りの2曲ではコードが指定されているだけで、あとは全てインプロヴィゼーションで自ら曲を完成させなければいけないようになっています。
つまり、これらの曲ではそんなインプロヴィゼーション、言い換えれば「アドリブ・プレイ」のセンスが問われることになります。
とは言っても、1曲目などはバッハの曲のパロディになっていますから、ジャズとの相性は抜群、とても楽しめる曲に仕上がっています。この後演奏されている「Prelude and Fugue (1965)」なども、しっかりバッハ風、そのフーガはもしかしたらバッハよりも演奏するのは難しいかもしれませんね。
いずれもジャズのイディオム満載の3つの楽章から成る「Sonatine (1967)」に続いて、最後に1974年に作られた、グルダの2人の息子たちのために作られた小品「Für Paul」と「Für Rico」が演奏されています。そのうちの「Rico」というのが、先ほどの祐子さんとの間に生まれた息子の名前です。
この「Für Rico」も、もろにバロック風の曲ですが、中間部ではアドリブで演奏されるようになっています。その部分をグルダ自身が演奏していたものと今回のジョーンズのものとを比べてみると、ジョーンズは単に教科書的なパターンの繰り返しなのに比べて、グルダにはそんなものを超えたぶっ飛んだオリジナリティが感じられました。そのセンスまでもきっちりと再現したものでないと、きっと「グルダの作品」とはならないのでしょうね。

CD Artwork © HNH International Ltd.

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by jurassic_oyaji | 2018-05-29 21:06 | ピアノ | Comments(0)
市内には3店しかありません
 まだまだ先の話ですが、8月の末にニューフィル恒例の「アンサンブル大会」が開かれることになっています。私は、これまで弦楽器の人と一緒にモーツァルトのフルート四重奏曲を取り上げて来ていて、今年もイ長調の四重奏曲を演奏する予定でした。しかし、日程が決まった時にメンバーの一人が都合が悪くて参加できないことが分かったんですね。ですから、そこで別のメンバーを加えて予定通り演奏するという選択肢もあったのですが、やはりずっとこのメンバーでやって来ているので、今回はお休みして来年またチャレンジすればいいんじゃないか、ということになりました。
 ただ、私は弦と一緒のアンサンブルは出来ればやりたかったので、全く別のメンバーを集めて、モーツァルトではなく他の作曲家の曲をやってみようと思いました。その曲は、ベートーヴェンの「セレナーデ」です。フルート、ヴァイオリン、ヴィオラという珍しい編成の曲ですね。これはベートーヴェンがまともにフルートを使った唯一の室内楽なので、フルート奏者にとってはマスト・アイテムですから一度はやってみたかったので、この際取り上げてみることにしたのです。まあ、けっこう長い曲なので全部は無理ですが、全6曲の中の3曲ぐらいだったら規定の時間に収まりそうですね。
 そうなると、あとは他のメンバー探しです。早めに頼んでおかないと、他の人にとられてしまうかもしれませんから、これは、という人に話をしてみたら、二つ返事でOKがもらえましたから、さっそく楽譜を用意して、スコアとCDも付けてお願いしました。もう後には引けませんよ。
 いや、もちろん後に引けないのは私の方で、そんなに難しくないだろうと思っていたのですが実際に吹いてみると結構な難所があちこちにありましたから、まずはそれをきちんと吹けるようにしておかないと、他のメンバーに嫌われてしまいます。
 ですから、このところ、定期の曲と一緒にそのベートーヴェンを集中的にさらっているところです。この週末も、午前中に2時間ぐらい、パフォーマンス広場でしっかり練習をしてきました。あそこはまわりがやかましいので、逆に伸び伸びと吹くことが出来ますから、なかなかはかどりますね。
 ふと気が付いてみると、なんだか前より指が楽に回るような気がしてきました。そこで、指をチェックしてみると、きれいな「3点支持」が無理なく出来るようになっていましたよ。
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 これは、一つの目標でした。大昔にゴールウェイのマスタークラスを見に行った時に、「これでなくちゃだめだよ」と言っていましたからね。ただ、その時の通訳さんは「個人差があるので、こだわることはありません」とか言っていたのですが、私はこれがきちんとできるようになれば、間違いなく運指が改善されると確信していたので、ずっと挑戦し続けていました。でも、これは右手の親指をまっすぐ伸ばして楽器を押すことになるので、けっこう指が疲れます。最近はなんだかルーズになって、知らず知らずに親指が下に下がってしまっていたのですね。それが、いつの間にか意識しなくてもこれが出来るようになっていたみたいなのですよ。ここまでくれば、もう元に戻ることはないでしょう。
 練習が終わると、家には誰もいないのでどこかで昼食を食べなければいけません。せっかくなので、新しく泉のアウトレットに出来たフレッシュネスバーガーに行ってみることにしました。もちろん、お目当てはベーコンオムレツバーガーです。
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 ところが、ここでそれを注文すると「当店では扱っておりません」ですって。ないんですね。他の店ではどこでもあるのに。仕方がないので他のものを頼んで、フライドポテトも一緒に頼みました。その時に「塩をかけないでください」と言ったのに、出てきたポテトにはしっかり塩がかかっていましたね。もう、ここで食べることはないでしょう。
 ですから、今日は北環状線沿いの別のフレッシュネスでリベンジです。もちろん、ここではちゃんと注文通りのものを食べることが出来ました。ポテトも塩抜き、しかも、それを持ってきたバイトの青年が「こちら、お塩を抜いております」ときちんと説明してくれましたし。同じ泉区内のお店なのに、この温度差は何なのでしょうね。
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by jurassic_oyaji | 2018-05-27 20:07 | 禁断 | Comments(0)
ROSE/Choral Compositions and Arrangements
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Gregory Rose/
Latvian Radio Choir
TOCCATA/TOCC 0482


グレゴリー・ローズという1948年生まれのイギリスの作曲家の、ア・カペラの合唱曲を集めたアルバムです。なんでも、彼は今年生誕70周年を迎えることになるので、自らそれをお祝いするためにこのアルバムを作ったのだとか。なんだか可愛いですね。
録音が行われたのはラトヴィアのリガにある聖ヨハネ教会です。歌っているのはラトヴィア放送合唱団、そして指揮者はローズ自身です。
彼の父親は、教会音楽のフィールドで作曲家、指揮者、教育者として活躍していたバーナード・ローズという人です。グレゴリーは彼の影響で作曲家をめざし、実際に20歳前後の数年間オクスフォード大学のモードレン・カレッジで父親にも師事しています。その父親は1996年に80歳で亡くなってしまいましたが、グレゴリーは生誕100周年記念の2016年に、父親の宗教的な合唱作品を集めて自分が指揮をしたアルバムを、同じTOCCATAレーベルから出しています。周年を祝うのが好きな人なんですね(そういう人は執念深い)。
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そんな経歴から、彼の作風は穏健なものを連想してしまいますが、そうではありませんでした。そもそも、その父親の作品を聴いてみても、普通に教会で演奏するにはかなり尖がった感じがしましたからね。彼はウィーンの音楽院とオクスフォードではシェーンベルクの弟子だった作曲家の教えを受けています。そして、年代的にも第二次世界大戦後の「前衛音楽」の洗礼をもろに受けていて、ケージ、シュトックハウゼン、ライヒといった人たちとは実際にコラボレーションを行っていたこともあったのだそうです。
ここではそんなローズの1972年から2017年までの40年以上に渡る作曲活動のスパンの中で作られた曲を聴くことが出来ます。すべてが初録音です。
その、最も初期の1972年の作品「It's snowing」は、まさにあの頃の「前衛音楽」そのものでした。おそらく「偶然性」の要素もかなり取り入れられているのでしょう。その結果現れたクラスターの響きは、まさにあの時代を象徴するものです。
そのような作風は、1997年に作られた「Fragments for Four」という作品にまで影を落としています。これはもろジョン・ケージ風の「即興音楽」、それぞれのパートがあるフレーズをその場限りの即興で出し合い、予期されない効果を生むという試みです。ただ、そこにはケージのような乾いたテイストはなく、ある意味「きれいすぎる」という印象を持ってしまうのは、やはりローズ自身の内面の変化によるものなのではないでしょうか。
そして、2009年に作られた「Missa Sancti Dunstani」には、明らかにスティーヴ・ライヒ風の「ミニマル」の要素が入っていることが分かります。ただ、それは冒頭の「Kyrie」だけで、それに続く楽章ではもっと「美しさ」が際立ったシンプルさが前面に押し出されるようになっています。おそらく、このあたりから、彼の作風は、様々な現代的な手法を踏まえた上での、適度の抒情性を持った彼なりのスタイルにたどり着いたのではないでしょうか。それは、とても無理のない健全な変化のような気がします。2017年に作られた「Ave Maria」などは、それがとても美しく結実したものなのではないでしょうか。
一方で、彼はそのような「純音楽」とは別の、コマーシャルなシーンでの活躍もあったことが、最後に収録されている何曲かの編曲作品によって知ることが出来ます。彼は、ダイアナ・ロスやリンダ・ロンシュタットなどのアルバムでは編曲を担当、バックのオーケストラの指揮もしていました。
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ここでは、ダイアナ・ロスが2006年にリリースした「 I Love You」というアルバムのために編曲された、ビートルズの「ホワイトアルバム」の1枚目のB面にあったポールの曲「I Will」のア・カペラ・バージョンが歌われています。それは、オリジナルの味をそのまま残した素直なアレンジ、このあたりにはまさに「職人」としての手堅さが覗えます。
そんな、様々なスタイルの作品とアレンジを、この合唱団は見事に歌い分けています。

CD Artwork © Toccata Classics

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by jurassic_oyaji | 2018-05-26 20:10 | 合唱 | Comments(0)
みたらしだんご
 朝ドラの中のオーディオ、今日の放送分でもう少し詳細が分かってきましたね。まずは、仕事部屋のオーディオ。
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 まあ、以前もこういうアングルはあったかもしれませんが、再度確認ということで。メトロノームの下にあるのがCDプレーヤーでしょうか。そしてその向って右に真空管のメインアンプらしきものが。でも、スピーカーがどこにあるのかは、まだわかりません。
 そして、秋風先生のお部屋。
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 左端にアンプの一部分が見えますし、別のアングルではその左にCDプレーヤー(?)さらに左にはレコードプレーヤーがありましたね。不思議なのは、そのアンプ群とタンノイとの位置関係です。いったい、このシステムのリスニングポイントはどこなのでしょう。つまり、もう一つのタンノイがどこにあるかが全く湧かないので、レコードをかけた人がどこでそれを聴くのか、全然分からないのですよ。いくらなんでも、このタンノイをモノーラルで使っているわけはないですよね。
 そんな流れとは全く関係なく、突然出てきたのがこんなお名前でした。
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 「みのごんた」とか言ってましたよね。まあ、名前ですから「ごんた」の方が収まりはいいでしょうが、人によっては「ごんだ」と読むこともあるかもしれませんね。
 というのも、私はだいぶ前から「しらたみ ごんだ」さんというお名前の方をよくお見かけするのですよ。白民権太さん、でしょうかね。よく、西洋人風に名前と苗字をひっくり返して「ごんだ しらたみ」と言ってたりしました。
 この「ごんださん」は、よく神社のお祭りの時なんかにお見かけするんですよね。
 確か、きのうと今日は近くの青葉神社の秋祭りでした。この間やっていた「青葉祭」の本来の形になるお祭りです。ですから、ことしも「ごんださん」がいないか覗いてみることにしました。
 そうしたら、お目当ての「ごんださん」は今年はいないようでしたが、お仲間がたくさん来てましたね。
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 「トテポ」さん。この方は利府町の出身なのでしょうか。
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 「まとい」さんとお読みするのでしょうか。
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 「ムーゲツーダ」さん。外国の方でしょうか。イスラム圏には、こんなお名前が多いのかもしれません。
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by jurassic_oyaji | 2018-05-25 21:01 | 禁断 | Comments(0)
POLARITY
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Jan Gunnar Hoff(Pf)
Anders Jormin(Bas)
Audun Kleive(Dr)
2L/2L-145-SABD(BD-A, hybrid SACD)


この、超弩級の録音を誇る2Lレーベルは、もっぱら合唱曲や器楽曲といったクラシックのレパートリーで制作を行っていますが、ほんの少しジャズのアルバムもリリースしています。それは、自国ノルウェーのジャズ・ピアニスト、ヤン・グンナル・ホフのアルバムです。これまでに、4枚ほどのアルバムが出ています。
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これが、録音会場の写真。今回は、ホフにとっては初めてとなるトリオの編成でのセッションです。ベースはアンデシュ・ヨルミン、ドラムスはアウドゥン・クライヴェ、いずれも北欧圏では最高と言われているミュージシャンだそうです。そして、ホフはここではピアノの他に、チャーチ・オルガンとシンセサイザーも演奏しています。おそらくこれはオーバーダビングで重ねているのでしょう。彼の右手にあるのがシンセサイザー。これは往年の名器、「プロフェット6」です。6声のアナログ・ポリフォニック・シンセですが、この前の5声の機種「プロフェット5」は、あのYMOも使っていて一世を風靡しましたね。もう1台、左手にあるオルガンはドローバーが付いているのでハモンドっぽいのですが、こんな一段鍵盤の機種はないはずなので、別のメーカーの製品でしょう。
それと、この教会でのセッションでは、楽器や録音機材以外にいろんなものが見えますね。ドラムスの後ろには、無数の座布団が敷かれていますし、この3人の間にはなんと多量の薪が撒き散らされていますよ。これは、なにか音響的な意味があるのでしょうね。特に木材は良い影響を与えるはずです。
もちろん、このレーベルですからこれはハイ・クオリティのサラウンド録音です。そのためのメイン・アレイがさっきの薪のそばにありますから、再生される時はその位置での音場が感じられるはずです。たしかに、正面の左寄りにピアノ、右寄りにベース、そして後ろからはドラムスが定位しています。
この3人が奏でる楽器たちの音はあくまでクリアでナチュラルでした。ピアノは刺激的なタッチは全くなく、暖かいハーモニーが柔らかく漂っています。ベースもなんというリアルな聴こえ方なのでしょう、時折登場するアルコによるフラジオレットには、この世のものとは思えないほどの妖艶さが漂っています。そして、ドラムスの驚異的なテクニック。基本、使っているのはノーマルなドラムセットなのですが、そこから奏でられる様々なテクスチャーは、まるで魔法のように全体の音色を操作しています。そう、このドラムは「歌って」いるのですよ。
ここで演奏されている曲は、ホフのオリジナルが12曲、それぞれに英単語一つのシンプルなタイトルが付いています。曲調はバラードあり、アップテンポあり、さらにはもろインプロヴィゼーションというハードなものありという多彩さですが、いずれもキャッチーなテーマが使われているのでとても親しみがわくものばかりです。ホフという人は、稀代のメロディ・メーカーなのではないでしょうか。
中でも、なにかとても懐かしい思いに誘われる北欧感のようなものが漂っている曲が、印象に残っています。最初に演奏されている「Innocence」あたりが、そんなテイストの曲。まるであの「Frozen」のテーマ曲のようなイントロで始まるとてもかわいい曲です。最後の「Home」という曲も魅力的ですね。まるでコラールのようなテーマが何度も繰り返され、その間に全く別のテイストのフレーズが入りますが、最後にはそのコラールに戻ってくるあたりが「Home」なのでしょうか。「Sacred」という曲では、ピアノは全く登場せず、オルガンだけになっていました。これも意味深。
これをサラウンドBD-Aで聴くと、いつまでもこんな音に浸っていたいという至福の時間が過ぎていきます。ところが、同じ音源をSACDで聴くとそんなアナログ感満載のソフトな雰囲気が全くなくなり、なにかとげとげしい感じの音になってしまいます。改めて、SACDのスペックの不十分さが体験できてしまいました。

BD & SACD Artwork © Lindberg Lyd AS

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by jurassic_oyaji | 2018-05-24 20:21 | ポップス | Comments(0)
かつての「4チャンネル」のソースが、今ではサラウンドで出ています
 私の「アフター・サラウンド」には、「ビフォー・サラウンド」では聴けなかったSACDでのサラウンド体験という楽しいことが待っていました。なかなか時間は取れないのですが、たまにポカっとフリーの時間が出来た時には、今まで買いためたCDの中からSACDをほじくり出して、それをサラウンドで聴き直しています。
 SACDがデビューしたのは確か2000年ごろでした。その頃はそんなものが出ても全くなんの興味もわかなかったことを思い出します。それまでのCDの音に満足していましたから、これ以上良くなくてもいいと思っていましたし、もちろん普通のCDプレーヤーでは再生は出来ませんからそこまでして聴くこともありませんし。
 しかも、その頃はもっぱらSACDは「よい音が聴ける」という点ではなく、「サラウンドが聴ける」という点が強調されていたような気がします。当時の私としては、サラウンドには何の興味もありませんでしたから、どうせならピュア・オーディオとしてのメリットを広く知らせた方がいいのにな、と思っていましたね。
 ですから、やがてSACDプレーヤーを買ったのも、あくまで音の良さを体験したいということでしたから、それはオーディオ用の2チャンネルの出力しかない機種でした。知り合いにSACDでサラウンドを聴ける環境にある人がいたのですが、その人は、ヴェルディの「レクイエム」の「Tuba mirum」でバンダのトランペットが「後ろから聴こえる!」と自慢げに話していましたね。でも、私はそんな子供だましで喜ぶなんて、愚かなやつ、としか思っていませんでしたよ。
 それから10年以上経って、私のSACDに対するスタンスは今までとはガラリと変わってしまいました。その後に登場したBD-Aを聴いたことで、SACDの音はそれほど良くはないことを感じ始め、結局そのスペックをきちんと調べてみると、実はCDとそれほど違うわけではないことが分かってしまったので、もはやピュア・オーディオとしてのSACDには何の魅力も感じなくなっていたのですね。
 その代わりに、魅力となったのがサラウンドだったのです。もう、昔の知り合いをバカにすることは出来なくなってしまいましたね。まあ、人の好みなんか、時が経てば間違いなく変わっていくものなんですよ。
 ということで、その「ヴェルディのレクイエム」でのサラウンド体験を、しっかりやってみました。探して見たら、手元には全部で4種類のSACDがありました。
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 左上からカンブルラン、ビシュコフ、ムーティ、アーノンクールです。アーノンクールの場合はSACDとBD-Aの両方がありました。
 まずは、その2つのメディアの違いを確認することも含めて、アーノンクールから聴いてみました。おそらく明日の「おやぢ」で紹介できるでしょうが、やはり両方のメディアが出ているアイテムで比較したら、BD-Aの方が明らかに優れた音だったものですから。でも、このアーノンクールの場合は、逆にSACDの方がいい音でした。ただ、これはBD-Aのマスタリングにちょっと問題があって、トランスファーされたレベルがかなり低いんですよね。これは、このレーベルがほんの気まぐれに出したBD-Aで、これ以降は完全にこのメディアからは撤退していますから、そもそも大した意欲もなかったのでしょう。おそらく、先ほどの知り合いが聴いたのはこのSACDだったはず、確かにバンダは後ろから聴こえてきましたね。ただ、ライブ録音なので、最初の音があまり大きくない時には、そのバンダの定位はあまりはっきりしていなくて、はっきり後ろだと分かるのはフォルテで吹き始めてからでした。
 この中で唯一セッション録音だったのが、ビシュコフ盤です。こちらに書いたように、これは2チャンネルで聴いてもサラウンド感が伝わってくる素晴らしい録音でした。その時には、ソリストが指揮者の後ろで歌っていたので、もしかしたらサラウンドでは彼らも後ろに定位しているかもしれないと思っていましたが、そこまではやっていませんでした。その代り、オーケストラからはしっかり離れた少し手前の位置にきっちり定位していましたね。バンダのトランペットも、最初から後ろ、しかも1、2番と3、4番がそれぞれ見事に左右に分かれて聴こえます。
 ムーティ盤とカンブルラン盤では、やはりライブならではの曖昧な定位でしたね。
 現在のサラウンド事情というのは、はっきり言っていつなくなってもおかしくないような状況なのではないでしょうかね。とは言っても、間違いなくこれを推し進めている小さなレーベルは存在するので、彼らの頑張りを期待したいところです。
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by jurassic_oyaji | 2018-05-23 22:27 | 禁断 | Comments(0)
SCHUBERT/Oktett
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Isabelle Faust, Anne Katharina Schreiber(Vn)
Danusha Waskiewicz(Va), Kristin von der Goltz(Vc)
James Munro(Cb), Lorenzo Coppola(Cl)
Javier Zafra(Basson) ,Teunis van der Zwart(Hr)
HARMONIA MUNDI/HMM 902263


シューベルトはその31年と10か月余りの生涯で1000曲以上の作品を産み出しました。もちろん、その中で大多数を占めるのは600曲ほどの歌曲ですが、それ以外にも幅広いジャンルで作品を残してくれました。ただ、ロマン派の作曲家の常で、独奏楽器ではピアノや弦楽器のための作品に比べると、管楽器のためのものは極端に少なくなっています。シューベルトよ。管楽器のための「ソナタ」を、そなたは1曲も作っておらぬではないか(江戸時代か)。
確かに、1813年には八重奏「メヌエットとフィナーレ」(2Ob,2Cl,2Hr,2Fg)と九重奏「アイネ・クライネ・トラウアームジーク(小さな葬送曲)」(2Cl,2Fg,CFg,2Hr,2Tb)というマイナーな曲はありますが、普通に多くのCDが出ているものしては、フルートとピアノのための「しぼめる花変奏曲」と、弦楽五重奏にクラリネット、ホルン、ファゴットが加わった「八重奏曲」の2曲しかありません(これらは、1824年の1月と2月に続けて作られました)。ですから、オーボエ奏者と金管楽器奏者にとっては、シューベルトが作ったまともな曲はないということになりますね。
この「八重奏曲」は、クラリネットの名手だったフェルディナント・トロイヤー伯爵からの委嘱によって作られました。彼のリクエストはその頃大人気を誇っていたベートーヴェンの七重奏曲をモデルにしてくれ、というものでした。シューベルトは、そこで同じような楽章編成をとりますが、楽器はヴァイオリンを2挺にしています。
大好きな曲なので、今まで多くの演奏を聴いてきましたが、今回のイザベル・ファウストたちの録音では、全てピリオド楽器が用いられている、というのがポイントです。もちろん、今まで聴いてきたのは全てモダン楽器による演奏でしたから、楽しみです。
ブックレットにはしっかりそれぞれの楽器や製造された年が書いてあります。もちろん管楽器はこの曲が初演された当時に作られた楽器か、そのコピーですね。中でも、お馴染みのクラリネット奏者のロレンツォ・コッポラは11キーのB管と6キーのC管を使っています。聴く人が聴けば、その音色の違いも分かることでしょう。
ファゴットのハヴィエル・ザフラが使っている楽器は「バスーン(bassoon)」と書いてありますが、製作者が「Triebert(トリエベール)」というフランス人なので、「バソン(basson)」なのでしょうね。
この二つの楽器がモダン楽器とは全く別の音色です。バソンは今のファゴットのような存在感は少ない代わりに、見事にアンサンブルに溶け込んでいます。5曲目のメヌエットのトリオで、最初にバソンがソロを吹いて、それがクラリネットに引き継がれるのですが、その違いがほとんど分からないほどでしたからね。さらに弦楽器もガット弦のノン・ビブラート、もう今までとは全く異なる世界が広がります。
もちろん、音色だけではなく、その表現も今まで聴いてきたものとは全然違います。なんと言っても最初に聴いたのが「ウィーン情緒」たっぷりのものでしたから、そんなものとは全く無縁のファウストたちの演奏は、刺激の連続です。いや、基本的に彼らは楽譜に忠実に演奏しているだけなのですけどね。ただ、それこそ「情緒的」なオブラートでくるむようなことは一切せずに、その楽譜の指示を誰が聴いても分かるように演奏していることで、「今まで」とは違ったものが生まれている、という不思議なことが起こっているわけなのですよ。
具体的には、徹底したアクセントの強調とダイナミクスの変化です。特にコッポラの本当に聴こえるか聴こえないほどのピアニシモと、ファウストのすすり泣くようなノンビブラートは、それこそ涙が出てくるほど魅力的です。
ところで、いつも言ってますが、最後の楽章のテーマは、絶対この赤枠の部分が余計です。
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カップリングで、珍しい弦楽四重奏のためのメヌエットをこの八重奏の編成に直して演奏していますが、その編曲がとても素敵です。

CD Artwork © harmonia munde s.a.s.

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by jurassic_oyaji | 2018-05-22 22:54 | 室内楽 | Comments(0)
もちろん、お店の中はスタジオです
 朝ドラの公式サイトを覗いてみたら、スタジオのセットの写真などがたくさん掲載されていましたね。特に、前にも書いた萩尾家のリビングのセットなどは、なかなか興味深いものでした。ただ、そこにはステレオの再生装置はまだ置かれていなくて、壁に「レコード」だけが飾ってありましたね。その「レコード」は、まぎれもないSP盤、レーベルは「POLYMBIA」ですって。分かる人は分かりますよね。
 ですから、そのうち秋風先生のお屋敷のセットもここに登場するのでは、と期待しているところです。
 それと、オープンセットも紹介されていましたね。あの商店街は絶対にスタジオではないと思っていましたが、あれほどのオープンセットを作るのは大変だったろおなあ、と思っていたのに、あれは実際の商店街を模様替えして使っていたんですって。最近はそういうこともやるんですね。もちろん、普段はその家の人は生活しているのですから、いろいろ問題がありそうですが大丈夫だったのでしょうかね。あるいは、それこそ「聖地巡礼」の観光客のためならば、と、説得されたとか。
 その商店街がある場所がちゃんと書いてあったので、その岐阜県まで行って、同じ場所を写真に撮ってきましたよ。
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 これがセット。
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 これが実際の場所です。地味ですね。
 あとは、新聞販売店の看板についてかなり触れられていたので、そのセットと
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 現物です。
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 もう一品。
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 この雑貨屋さんは、
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 民芸品屋さんでした。
 お気づきでしょうが、こんな飛騨の山奥まで実際に行くわけがなく、ちゃんとGoogleのストリートビューがあったのでそれを使っただけです。まあ、ここで撮影が行われていたころのこの商店街の喧騒は、すごかったのでしょうね。
 でも、今頃は本当に観光客が押し寄せているかもしれませんね。
 このサイトでは、Twitterで最新の情報を流しているようでした。これにだけは手を出すまいと思っていたのですが、ここまで一般化してしまうとアカウントぐらいは持っていないと何かと不便なのでは、と思うようになっています。
 実際に、コンサートの感想などを集めるのには重宝するだろうな、とは思いますね。そこで、さるブログで新国立劇場でのカタリーナ・ワーグナーの演出がひどすぎるという書き込みがあったのでTweetを集めてみたら、確かにみんながひどいと言っていましたね。私も、これは出来たら見に行きたいな、と思っていたのですが、わざわざ行かなくて正解だったようです。
 それにしても、Tweetの中にあったカタリーナの写真にはびっくりしましたね。
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 昔はこうでしたよ。
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 それが、いつの間にこんなただのデブになってしまったのでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2018-05-21 22:26 | 禁断 | Comments(0)