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ゲルギエフは2週間後でした
 こちらで書いた、バレンボイムの新しいブラームスの交響曲全集の不良品についての続報です。私が知りえた情報では、CDではなく、そのリリースに先行して配信が始まったNMLを聴いた人が、9月10日に「編集ミスがある」とTwitterで発信したのが、この「事件」の始まりのようです。
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 これは、実際はどういうものかというと、
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 ここの196小節のアウフタクトの部分(青い矢印)が、次の小節の同じ拍の部分と同じ音になっているそうなのですね。ただ、それもやはり他のTweetから得られた情報だけで、実際の音は聴くことは出来ていません。
 これを見たNMLは、あわててこの部分が修正された音源に差し替え、URLも上のTwitterのリンク先は無効として、別のURLを用意します。これが9月12日のことでした。ものすごい早業ですね。そんなに簡単にこの部分を差し替えるなどということが可能なのでしょうか。
 そして、このあたりから、CDの通販サイトからこのアイテムが「販売停止」となりました。HMVではその理由は明らかにされていませんでしたが、タワーレコードでは「不良品だったため」というようなコメントがありましたね。
 ただ、なぜか国内盤については何の措置も取られず、そのまま販売が続けられていたようです。ですから、私はよっぽどその国内盤を購入して、この部分がどうなっているのか確認しようと思ったぐらいです。ただ、ご存知のように国内盤は6480円もしますから、それだけのために買うのはいくらなんでもはばかられます。ただ、Amazonでも、同じような販売停止の措置が取られたようですが、中古物件に関してはその限りではなかったようで、同じものが新品で2745円、送料が350円で買えるようになっていました。スイスの業者のようですが、これだったら正規の新品よりも安いですし、このタイミング(9月16日)だったら間違いなく「不良品」のはずですから、さっそく注文してみました。
 そして今日、それが届きました。
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 ちゃんとあて名が日本語になっているのがすごいですね。
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 もちろん新品で、しっかりフィルムでシールされています。中身はこんな感じ、さっそく聴いてみましたよ。問題の個所はいったいどんな風に聴こえるのか、期待は高まります。ところが、それはNML、つまり修正後の音とまったくおなじものでした。
 いったい、これはどういうことなのでしょう。いくらなんでも、日本で不良が発覚した9月10日から、すぐ修正作業をしてカッティングやプレス、そして梱包などをやっていたら、9月16日にこんな製品が出来上がっているわけはありませんよね。実際、タワーレコードでは9月28日になって「良品が入荷しました」という告知を出していましたからね。ということは、だいぶ前にミスに気づいて、「正しい」製品が作られていたのでしょうか。もしかしたら、国内盤はそのマスターだったので、何の問題もなかったのかもしれませんね。真相は闇の中です。
 かえすがえすも、その「間違った」ところを聴き逃したのが、残念でたまりません。ただ、このCDでは、さっきのスコアの赤い矢印の部分で明らかに音源をつなげた跡が聴こえます。昔の「手貼り」ではないのですから、普通にクロスフェードをかけてつないでいれば、こんなみっともないことは起こらないはずなのに、よっぽどあわてて作業をしたのでしょうね。これは、NMLクラスの音でもはっきり分かります。
 それと、前にも書いたように「2番」の第2楽章の冒頭でホルンがとんでもない音を出していますが、それは全く「修正」されてはいませんでした。これはライブ録音ではないのですから、気が付けば絶対に直します。録音スタッフはよっぽど耳が悪かったのでしょうね。
 まあ、こんな「不良品」は世の中には掃いて捨てるほどあるのでしょうね。私が最近聴いたCDでも、こんなのがありましたからね。
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 シベリウスの2番なのですが、第3楽章の時間が長すぎませんか。これは、第4楽章の冒頭ではなく、それと同じ音楽が再現される、ずっと先のところが「トラック4」の頭になっているからです。
 だいぶ前ですが、ゲルギエフが指揮をしたショスタコーヴィチの「9番」で、同じような「不良品」がありましたね。たまたま私が見つけて、それをメーカーに知らせたら、あわてて回収して、これもかなり短い期間で「良品」を出していたようですね。
 でも、このシベリウスは回収なんかしないでしょうね。続けて聴いていれば、まず気づきませんし。
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by jurassic_oyaji | 2018-09-30 21:26 | 禁断 | Comments(0)
STRAUSS/Schlagobers, DEBUSSY/Jeux, LIGETI/Melodien
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Jonathan Nott/
Orchestre de la Suisse Romande
PENTATONE/PTC 5186 721(hybrid SACD)


かつては現代音楽には定評のあるマニアックな指揮者として知られていたジョナサン・ノットは、今では日本のオーケストラの音楽監督として活躍するなど、ずいぶんイメージが変わってきました。そのノットが、2017年の1月に、なんとあのスイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者になったのですから、これはもう押しも押されもせぬ「大」指揮者になったということになりますね。
ただ、そのスイス・ロマンド管弦楽団は、創設者のエルネスト・アンセルメの元ではとても輝かしい活躍を見せていたものが、彼が引退してしまった後はなにかパッとしないオーケストラになってしまったような印象はぬぐえません。そもそも、1968年に初来日した時には、その生演奏に接した評論家たちは口をそろえてこき下ろしていましたからね。当時はDECCAが録音したおびただしいレコードによって聴くことが出来たアンセルメとこのオーケストラのサウンドはとても評価が高かったものですから、「録音とは全然違う」と怒っていた人もいましたね。
最近では、山田和樹が昨年まで首席客演指揮者を務めていて、日本ツアーやこのPENTATONEレーベルへの録音などもあったので、往年の栄光、というまではいかないまでも、オーケストラの力量は確実にアップしているはずです。
そこに、ノットが指揮をした初アルバムが登場しました。今年の6月に録音されたものがもうSACDになっているのですから、これは異例の早さのリリースです。
そして、その曲目が、なんともノットらしい挑戦的なものでした。リヒャルト・シュトラウス、ドビュッシー、そしてリゲティというラインナップですからね。
しかも、シュトラウスは、「バレエ組曲『ホイップクリーム』」という、とてもレアな選曲です。これは、1922年に完成され、1924年に初演が行われた、シュトラウス自身の脚本によるオペラから8曲を抜粋して1932年に作られた組曲です。そのお話は、お菓子好きの女の子がたくさんのお菓子を食べた後に、夢の中でお菓子たちが踊り出す、という他愛のないものです。チャイコフスキーの「くるみ割り人形」をモデルにして作ったのでしょうね。ただ、そのバレエ自体の公演は失敗に終わったようで、今ではこの組曲だけが細々と生き延びているという状況です。
この時期のシュトラウスは、すでに「ばらの騎士」などを作り終えた円熟の作曲家で、この組曲の中もまさに「シュトラウス節」が満載です。濃厚なオーケストレーションからは、そんな後期ロマン派の残渣がまざまざと感じられます。2曲目の「紅茶の葉の踊り」では、フルートの長いソロがフィーチャーされていますが、それは「ばらの騎士」で登場するテノール歌手のアリアのイントロを思わせるようなゴージャスな(したがって、とても演奏するのは難しい)ソロです。次の「コーヒーの踊り」の真ん中の「夢」の部分では、とても美しいヴァイオリンのソロも披露されます。これだけは単独でも演奏される「ホイップクリームのワルツ」は重量級。
そして、最後の曲では、やはり「ばらの騎士」の第3幕の前奏曲のようなドライブ感あふれるリズムに乗って、それまでの曲の断片が現れます。エンディング近くではバンダが加わって盛り上がるのですが、この録音をサラウンドで聴くと、その4本のトランペットとスネアドラムが後ろから聴こえてくるというサプライズが待っていました。
リゲティの「メロディーエン」は、まさにノットの十八番ですね。そこからは、堅苦しい「現代音楽」の姿は見事に消え去り、このオーケストラが持つ色彩感が存分に楽しめます。
ただ、その2曲の間に入っているドビュッシーの「遊戯」からは、かつての匂いたつような「おフランス」の色彩感は、見事に消えていました。まるでリゲティのような音色のドビュッシー、このオーケストラは、もはやアンセルメ時代の呪縛からは完璧に解放されているようです。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.

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by jurassic_oyaji | 2018-09-29 20:45 | オーケストラ | Comments(0)
「ぱど」や「なうてぃ」も、すぐにゲラを送ってきます
 ニューフィルの練習は、基本、旭ヶ丘の市民センターの大ホールでやっていますが、もちろんそこはうちだけが使わせてもらっているわけではありません。そこを借りるためには、何の特権もなく、毎月のネットによる抽選で「当選」しなければいけません。そういう制度になっても、最初のうちはほぼ毎回きちんと取れていたのですが、最近はけっこう「ハズレ」が多くなってきました。一つには、月曜日が休日になることが多くなったので、その翌日の火曜日が休館日になってしまうからです。ニューフィルの練習はずっと火曜日と決まっているので、その日が休みの週は別の曜日にシフトしなければいけません。そうすると、それだけ競争率も高くなって、「ハズレ」てしまうことも多くなってしまうのですね。
 9月は、そんな感じで3週目が取れませんでした。仕方がないので、そこはパート練習に替えて、パートごとに取れる会場を確保して練習していましたね。
 そんなわけで、きのうも火曜日から木曜日にシフトした練習日でした。これが、私にとっては実に3週間ぶりの旭ヶ丘となっていたのです。間に2回、別の会場でのパート練習が入っていたからです。指揮者練習もありましたし。
 まずは、演奏会のチラシとポスターを持って行ってもらうために、それを楽器倉庫から出さなければいけませんが、楽器を何度か運び出していたのでどこに行ったのか探さなければいけない程でした。あとは、やはり曜日が変わると途端に出席者が少なくなりますね。これは仕方がありません。でも、本番までもうあと3週間しかないんですよね。
 スーパーに行ったら、来月号の「りらく」が出てたので、チェックしてみました。この雑誌には、もうだいぶ前から企画書とプレゼント用のチケットを送っていて、その都度案内を出してもらっていますからね。ただ、送ったタイミングはこの前の月の号でも間に合う時期だったのですが、そこには掲載されていませんでした。ですから、これにはあるだろうと思ったのです。ところが、やはりどこを探してもニューフィルの記事は見当たりません。
 なんか、ずっと2か所のページに載せてくれていたものが春の時には一つしかなくなってしまっていたので、もしやと思っていたのですが、これはもうこちらがお願いしても載せてはくれないということなのでしょう。
 というのも、この雑誌にそのような案内を出してもらうためには、本当は定期購読の契約をする必要があるということを、やはりここに出稿していた他の団体の人に聞いたことがあったのですよ。うちではそんなことはしなくてもちゃんと載せてくれていたので、長いお付き合いだから特別にやってくれていたのかな、と思っていたのですが、やはり現実はもっとシビアだったようですね。
 そもそも、うちが企画書を送るときは、必要なところにプレゼント用のチケットを同封するだけで、それ以上のことはやるつもりは全くありませんから、そういうことであればもはや「りらく」には企画書を送るのをやめるだけのことです。同じような雑誌でも「S-style」さんあたりは、このやり方できちんと載せてくれていますから、そんな「賄賂」が必要なところはこちらから切ってしまいましょう。
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 不思議なことに、こういうことをお願いしてそれを掲載してくれるところは、まず原稿のゲラを送ってきてチェックさせてくれるようになっていますが、「りらく」ではそのようなことは一切ありませんでした。さっきの定期購読のことも直接言われたわけではありませんからね。いくらお金は払っていないと言っても、金券であるチケットを送っているのですから、普通は何らかのアクションがあってしかるべきではないでしょうかね。せめて、今まで載せていたものをなぜ今回載せなかったのかという説明ぐらいは聴きたいですよね。というか、まっとうな出版社だったらそういうことをきちんと相手に伝えるのではないでしょうか。いや、出版界というのはそんな「常識」も通用しないようなヤクザな世界なのでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2018-09-28 21:41 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Hohe Messe in h-Moll
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Gerlinde Sämann(SopI), Britta Schwarz(SopII)
Henriette Gödde(Alt), Falk Hoffmann(Ten)
Andreas Scheibner(bas)
Michael Schönheit/
Collegium Vocale Leipzig, Merseburger Hofmusik
QUERSTAND/VKJK 1808


バッハの「ロ短調ミサ」は、ドイツ語では現在はそのまま「Messe in h-Moll」と呼ばれています。これは、今出版されている原典版の楽譜では共通した呼び名です。もちろん、ご存知のようにそれはバッハ自身が楽譜に記したタイトルではありません。
この作品の全曲の楽譜が出版されたのは、作曲家が没してから100年近く経った1845年のことでした。その時に出版社が付けたタイトルが「Die hohe Messe in H-Moll」というものでした。「hohe」は英語では「high」ですから、「高いミサ」ということになりますね。なんか、人の名前にありそう(高井美佐、とか)。
ですから、かつてはそのようなタイトルが付いた楽譜もよく見られました。手元にある1950年代に出版されたペータース版のヴォーカル・スコアの表紙もそうなっています。
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しかし今では、少なくとも新しく発売されるCDなどでは、そのような呼び方はまずありませんでした。ですから、こんな2017年に録音されたばかりのCDに、その、もはや絶滅したかと思われた懐かしい名前が付けられていたのには、びっくりしました。
これは、以前ブラームスの「ドイツ・レクイエム」などで素晴らしい演奏を聴かせてくれたミヒャエル・シェーンハイトと、彼が作った「メルゼブルガー・ホーフムジーク」というピリオド・オーケストラのアルバムですが、合唱はその時とは別の「コレギウム・ヴォカーレ・ライプツィヒ」という各パート4~5人の団体です。
これも、演奏は期待通りでした。まずは、録音会場のメルゼブルク大聖堂の響きがとても暖かく、曲のポーズではその長い残響を存分に味わうことが出来ます。そのような音響を利用して、このオーケストラは見事なレガートを聴かせてくれています。特にトランペットなどは、決して派手に盛り上げるのではなく、程よく知的なアプローチで美しい音色を提供することに腐心しているようでした。
合唱は、もう脱力の極みです。もちろん、必要なアクセントなどはきっちりと決めたうえで、決して力むことなく、バッハの音楽の美しいところだけを抽出してくれています。もっとも、そのためにポリフォニーでのメリスマが多少怪しげなのは、ご愛嬌でしょう。
5人のソリストたちも、第2ソプラノがちょっと自身の響きのツボがつかみ切れていないもどかしさがありますが、他の人たちはとても伸び伸びとしたクセのない歌い方が、やはりバッハにはとても似合っています。
そんな、第1ソプラノとテノールの流れるように美しい「Domine Deus」に聴きほれていると、続く「Qui tollis」でいきなりアルト・ソロが歌い出したのには驚いてしまいました。ここは当然合唱で始まるもの、と思い込んでいましたからね。もちろん、この曲全体もソリストの四重唱で歌われています。
これは、確かにそのような可能性もありました。楽譜を見れば、どこにも「合唱」という指示はないのですよね。かつて、ジョシュア・リフキンがこの作品をソリストだけで演奏したというのも、このあたりが発端だったのでしょう。
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ですから、今の楽譜では、目次でもその編成は記されてはいません。
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(BÄRENREITER/2010)

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(CARUS/2014)

新全集の「旧版」を除いては。
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(BÄRENREITER/1954)

シェーンハイトの「読み替え」はさらに続きます。これだけは合唱で歌ってほしい「Et incarnatus est」と「Crucifixus」がやはりソリストだけによって歌われていました。そこまでやるのなら、いっそリフキンと同じように「各パート一人」を全編で貫けばいいのに、と思ってしまいますね。
そして、二重合唱で作られた「Osanna」になると、その「合唱1」がソリスト、「合唱2」が合唱団という割り当てになっていました。これには絶句です。まあ、それこそ合奏協奏曲のような効果を狙ったのでしょうが、この違和感はただ事ではありません。
最後の「Dona nobis pacem」のとてもさわやかな合唱と、その二つ前の「Benedictus」での、とてもトラヴェルソとは思えない美しいピッチがなければ、このCDを叩き割っていたところでした。

CD Artwork © querstand

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by jurassic_oyaji | 2018-09-27 23:35 | 合唱 | Comments(0)
バルミューダという会社
 新しいウォシュレットに替えてから、1週間が経ちました。なにしろ、普通のホームセンターでは扱えないほどの最高級のグレードですから、なにかと戸惑うことがありましたね。そのことを1週間前に書いた時に、なかなか写真に撮れなかったのですが、やっとその「習性」が分かってきたので、どのタイミングでその現象が現れるかが予測できるようになり、こんな写真が撮れました。
 人がトイレに入っていくと、そこでやおらポンプが起動して清掃を始めます。そこで蓋を開けると、
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 こんな風に中が青いLEDで照らされます。「どうだ、きれいだろう」とアピールしているのでしょうね。ただ、これが点いている時間が短いので、なかなか写真が撮れなかったのでした。そのあとは、普通に暗くなります。
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 まあ、これは別に機能的には何の問題がないのでどうでもいいのですが、いざ温水を出そうとすると、座り具合のちょっとした加減でお湯が止まってしまうのには参りましたね。実は、同じメーカーでもっと普通のグレードのものを割と最近職場でも設置していたので、それと比較して使ってみると、職場のものはどんな座り方をしても止まることはありませんでした。
 それで、気を付けて聴いていると、座った時に本当に小さな音で「カチッ」と接点がつながるような音がしていることが分かりました。自宅に帰ってその音を聴いてみると、確かにそれが鳴ると止まってしまいますから、それがスイッチの音だということが分かりました。職場ではどんなことをしても、座ってさえいればその音はしないのに、自宅のはちょっと前後に動いただけでその「カチッ」が聴こえるのですね。その接点は、後ろの右側にあることも突き止めました。
 ですから、最初は接点に遊びがあるので、それが切れやすいのだと思い、ちょっとしたスペーサーを作ってその遊びを少なくしてみたら、その時は見事にうまく行きました。ところが、それで次の日になったら、愚妻が「なんてことをしてくれたのよ!」と激怒しているではありませんか。なんでも、使おうとしたらどんなことをしても温水が出なかったのだそうです。「さっさと元に戻してちょうだい!」と言われれば、私はそうせざるを得ません。きのうは確かに問題なかったのに。
 もう一度試してみると、そのやり方だと、さっきの「カチッ」はまだ出ていたのですね。ということは、問題は遊びではなく、別のところにあることになります。それを探すために、私はひたすらトイレにこもって、ウォシュレットに様々な負荷を与えて細かいデータを取りました。律くんが「そよかぜファン」のデータを取ったようなものですね。その結果、便座の前の部分に、わずかな隙間があることが分かりました。つまり、体を前に移動させると、その隙間が埋まると同時に、後ろの部分が持ち上がって、接点が切れてしまっていたようなのです。シーソーの原理ですね。
 ですから、それをなくすためには、その前の部分の隙間をなくしてしまえばいいはずです。そこで、厚めの紙を張り付けてみたら、見事、何の問題もなく使えるようになりましたよ。
 そんなのは、製造工程でチェックできなかったのでしょうかね。値段が高い割には、いい加減な品質管理でした。もちろん、国内で生産されたものではありません。
 その点、「そよかぜファン」は国内の工場で作るのでしょうから、安心ですね。しかし、「DCブラシレスモーター」が使われた扇風機なんて、今ではどこにでも売ってますけどね。
 と思ったら、これを実際に開発したメーカーがモデルになっていたんですね。「糸電話」もそうでしたし、この脚本家はなんかやることがせこくないですか。
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by jurassic_oyaji | 2018-09-26 21:10 | 禁断 | Comments(0)
SCHUBERT/Symphony 5, BRAHMS/Serenade 2
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John Eliot Gardiner/
Orchestre Révolutionnaire et Romantique
SOLI DEO GLORIA/SDG729


ジョン・エリオット・ガーディナーのプライヴェート・レーベル、「SDG」は、そのジャケットがとてもぶっ飛んでいることで有名です。特に一連のバッハのカンタータ集のあまり美しくないジャケットのように、ジャンルごとに決まったコンセプトがあるようですね。
今回のジャケットは、ただ曲のタイトルの文字だけが入ったという、なんともあっさりとしたものでした。これは、「Live at ○○」というのがキーワードで、そのような由緒あるホールでのコンサートのライブだ、というのがコンセプトなのでしょう。これまでに、ベートーヴェンの交響曲が2枚ほどと、ヘンデルとバッハなどの作品を集めたものが、やはりこんなジャケットでしたね。
今回は「Live at The Concertgebouw」とある通り、アムステルダムの音楽ホール「コンセルトヘボウ」で行われたコンサートであるというのがウリなのでしょうね。ここで演奏されているのは、シューベルトの「交響曲第5番」とブラームスの「セレナード第2番」です。まあ、ブラームスの方は交響曲ツィクルスの補遺という意味はあるでしょうが、シューベルトはまだこのオーケストラとの録音はなかったところから、これが彼のシューベルト・ツィクルスの始まりだ、と思ってしまってもおかしくはない状況にあるのですね。
実際、お馴染みの代理店、キングインターナショナルのサイトではこのように「ガーディナーのシューベルト・チクルスがスタート」という文字が躍っていますからね。でも、おそらくこれも、単発で何枚かは出ることがあるかもしれませんが、結局ベートーヴェンと同じように「チクルス」としてまとまることはないのではないか、と思っているのですが、どうでしょう。
このCDでは、いかにも「ライブ録音」であることを強調するかのように、演奏が始まる前には会場のノイズがかなり派手に入っています。たしかに、それも含めての、この世界最高の音響を誇るホールの響きは、素晴らしいものであることが伝わってきます。
そんな豊かな響きの中で、このオーケストラはとても伸び伸びと演奏しているように聴こえます。フルートなどは最初のシューベルトはかなり不安定なところがあるのですが、それは十分に鄙びた響きとして受け取れる範囲内に収まっています。それよりは、ガーディナーの包み込むような指揮ぶりの中で、プレーヤーたちがしっかり気持ちを一つにして表現を繰り出している様子が、とてもよく伝わってきます。
シューベルトの「5番」は本当に好きでよく聴く曲なのですが、第2楽章の途中で聴こえてくるこういうフルートのフレーズの
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「D♯=Dis」の音が、今まで普通のオーケストラで聴いていた時にはとても「ヘンに」聴こえていたんでぃすね。もちろん、これは「アポジャトゥーラ」ですから、ごく当たり前の緊張感が与えられるものなのでしょうが、何か違和感があったのです。それが、このガーディナーのピリオド・オケで聴いた時には、すんなり収まっていたのですね。いったい何が違っていたのでしょう。
もう1曲は、最近ハマっているブラームスの「セレナード」の中の、まだ生では聴いたことのない「第2番」です。この曲は、弦楽器の中にヴァイオリンが含まれていないという、とても珍しい編成をとっています。ですから、たとえばアマチュアのオーケストラで演奏会の曲目になるということはまずありえません。当然、生で聴く機会も非常に少なくなってしまうはずです。
つまり、オーケストラの花形であるヴァイオリンがいない代わりに、木管楽器がほとんどメインのメロディを演奏することで、サウンドとしてはとてもユニークなものになっているのです。そこで、ヴィオラ以下の弦楽器の役割も、「弦楽器の中の縁の下の力持ち」的なものから、「管楽器に刃向う異端児」といった存在に変わります。この演奏では、真ん中の第3楽章で、その様子がはっきり分かります。

CD Artwork © Monteverdi Productions Ltd

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by jurassic_oyaji | 2018-09-25 22:08 | オーケストラ | Comments(0)
1キロしか離れていません
 毎年、今頃はニューフィルの定期演奏会の指揮者練習と、秋のお彼岸が微妙なタイミングで重なっています。今年はもろにお彼岸の中日が練習日にあたってしまいましたから、なかなかスケジュールの調整が大変でした。とは言っても、なんたってニューフィルの予定が最優先ですから、あとはどの程度お彼岸の手を抜くか、という意味での「調整」となるのですけどね。
 さいわい、土曜日は午後の2時からですから、午前中は職場に行けます。問題は日曜日。ただ、練習は午前10時から始まるのですが、それは弦分奏の時間ですし、そのあとは協奏曲をちょっとやって昼休みになるので、その協奏曲を、私は2番なので他の人に頼めば、やはり午前中は仕事に行けます。でも、今回はその協奏曲で1番が代吹きになっているんですよね。2人とも代吹きというのはさすがにまずいので、ここは何とか10時ごろまでに仕事を片付けて行くしかありません。
 そうなんですよ。今回は、土曜日は管楽器と打楽器、日曜日は弦楽器の分奏が、最初の時間帯に設定されていたのですよ。新田さんの場合はそういうことをやるのは初めてのはずです。今回のニルセンはなかなか手ごわくて、合奏だけではなかなか細かいところまで徹底されないので、こういうことをやるようになったのでしょう。
 しかし、案の定、分奏をやると、合奏ではつかまらなかったようなところでボロが出てしまいましたから、より高度の課題を背負い込むことになってしまいましたね。でも、それもニューフィルを「スーパーオーケストラ」に育て上げたいという新田さんの熱意のあらわれなのでしょうから、それに応えられるように最大限の努力をしないといけないでしょうね。
 この間、新田さんのご本の購入希望を募ったら4人いたのに、7冊持ってきていただいたので、その残りのご本も売り切ったけど、さらにもう1冊の注文があった、ということを書きましたが、それもきのう持ってきていただいて、無事に私は8冊の売り上げに貢献させていただきました。その残りの1冊はサインを欲しがっているとお伝えしたら、さっそく入れたものをもってらしたのですが、私は、せっかくなのでそのサインを欲しがったご本人に直接渡してほしいとお願いしたら、そこで贈呈式が行われて、Hさんは大感激のようでした。
 そして今日は、やはり職場で突然の仕事が入って、もしかしたら出番に間に合わないかも、という事態だったのですが、なんとか時間前にはたどり着けて、弦楽器の分奏の写真と、
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 メガネ姿の新田さんの写真を
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 撮ることが出来ました。とても、チャーミングですね
 実は、今回、新田さんからあるお願いをされてしまいました。演奏会のプログラムには、新田さんに書いていただくプログラム・ノーツが掲載されることになっているのですが、そこで私が前に「かいほうげん」に書いた文章の一部を資料として参考にさせていただきたいというのです。もちろん、こんなうれしいことはないので、即OKと伝えました。というか、こんなところでお手伝いできるのが幸せです。
 きのうと今日の会場は、宮城野区文化センター。ここの駐車場はかなり広いのですが、場合によっては満車のこともあるので、用心が必要です。幸い今回はどちらの日もすんなり入れられました。そこで見つけたのが、こんな看板です。
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 この会場は、よく金管のパート練習で使うことがあるのですが、それがたまたま楽天戦に引っ掛かると、この駐車場が使えなくなってしまうので別の会場に変更したことがありました。確かに、ここは球場までは歩いても行けるぐらいの近さですから、そういうこともあって、おそらく苦情が殺到したのでしょうね。でも、こんな看板だけでそういう人がいなくなるようには思えませんけどね。まあ、会場としてはやることはやっているのだ、と言いたいだけなのでしょうからね。
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by jurassic_oyaji | 2018-09-23 21:49 | 禁断 | Comments(0)
KOSTIAINEN/Requiem
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Suvi Väyrynen(sop), Ena Pongrac(MS)
Simo Mäkinen(Ten), Tapani Plathan(Bas)
Ville Matvejeff/
Musica Choir, JyväSkylä Sinfonia & St. Michel Strings
ALBA/ABCD 417(hybrid SACD)


1944年生まれのフィンランドの作曲家、ペッカ・コスティアイネンの「レクイエム」の世界初録音盤です。この曲はここで演奏しているユヴァスキュラ・シンフォニアからの委嘱で作られ、2014年に初演されました。しかし、作曲家が「レクイエム」を作ろうと思い始めたのは2000年代の初めのこと、さらに、2006年に母親が亡くなった時に、真剣にその作曲に取り組もうと思ったのだそうです。結果的に、その母親が生きていればちょうど100歳を迎えたであろう日の1週間後に、この「レクイエム」は初演されることになりました。
作曲にあたっては、これまであった有名な「レクイエム」、例えばモーツァルト、フォーレ、ヴェルディ、ブラームス、そして自国のコッコネンなどを詳細に研究したのだそうです。さらに、ポルトガルのルネサンス期の作曲家、マヌエル・カルドーソのア・カペラの「レクイエム」の中で使われているグレゴリオ聖歌もそのまま借用したと言っています。
出来上がった曲は、演奏時間がほぼ1時間という大作です。テキストはもちろんラテン語の典礼文が使われていますが、彼は「Sequentia(Dies irae)」は、「あの世の暗い情景描写」ということで割愛し、最後の「Lacrimosa」だけを例外として残しています。その結果、コッコネンの作品の「Tractus」を「Lacrimosa」に置き換えたという形になっています。
最初の「Requiem aeternam」では、低音によるロングトーンがとても静かに聴こえてきます。それはまるであの「ツァラトゥストラ」のオープニングを思わせるものでした。それは次第にクレッシェンドしてきて、まるでオルガンを模倣したかのような木管の響きの中から、グレゴリオ聖歌の旋律が聴こえてきます。ただ、それは前半だけはそのままですが、その後には異様に捻じ曲げられた別のメロディがくっ付いていましたね。やはり、丸ごと引用したのでは、先ほどのリストにはなかったデュリュフレの作品と同じになってしまうと思ったのでしょうか。
その部分の最初のフレーズが「et lux perpetua luceat eis」と歌われた後に、テノールのソロで「Kyrie eleison」と始まったのには驚いてしまいました。まだ、お前の出番じゃないぞ、と思ってみても、それを無視するかのように大いに盛り上がります。
その後、後半の「Te decet hymnus」が演奏された後で、又改めて「Kyrie eleison」が始まります。それは、先ほどのものとは全く異なったモティーフで作られていますよ。いったい、あれはなんだったのでしょう。まさか「切り絵」ではないでしょうね。
このあたりの音楽は、とにかくやたらと盛り上がります。それはティンパニのロールを伴ってとても分かりやすいクライマックスを何度も繰り返すというものです。そして、「Lacrimosa」が始まると、なにか電子音のようなものが聴こえてきました。いくらなんでもそんなことはないとしっかり聴きなおすと、それはどうやらビブラフォンのようでした。この部分では、それが頻繁に使われています。「レクイエム」とビブラフォン、それはかなりの違和感を伴うものですが、これは作曲家が「オーケストレーションのニュアンスとコントラストには、とても気を使った」と言っていることの表れなのでしょう。なんたって、次の「Domine Jesu Christe」では、ニルセンのようなティンパニのグリッサンドまで登場するのですからね。
「Sanctus」と「Benedictus」は連続して演奏されますが、もちろんここでも賑やかな前者としっとりとした後者という「コントラスト」は目いっぱい効いています。ただ、それぞれの後に続く「Hosanna」のバカ騒ぎには、引いてしまいますが。
それ以降の曲では、幾分節度が保たれているでしょうか。「Lux aeterna」あたりは、おそらくこの作品の中で最も美しく感じられます。そして、流れるような6/8のリズムのピチカートに乗った最後の「In paradisum」では、夢みるようなメロディにうっとりさせられます。
ソリストたちの歌にもう少し繊細さがあって、合唱がよりセンシティブであったなら、この曲の魅力はさらに伝わっていたことでしょう。

SACD Artwork © Alba Records

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by jurassic_oyaji | 2018-09-22 21:48 | 合唱 | Comments(0)
私の苗字の読み方は1種類だけ
 最近Facebookで、自分の苗字を入力するとそれが全国で何人いるのか教えてくれるアプリが好評のようです。なんか、年賀状に関連して郵便局が提供しているようですけどね。
 それで、私の苗字を入れて見たら、「100人」ですって。いや、意外と多いな、というのが正直な感想でしたね。
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 なんせ、前に東京の電話帳(死語)を調べたら載ってませんでしたから、よっぽど珍しい苗字なのだな、という印象がありましたからね。でも、どうやらこれはかなり珍しい名前になるようなんですね。
 つまり、最近「朝ドラ」に登場している「津曲」という苗字を入れて見ると、これが「4200人」もいるというのですからね。最初にこの名前を聞いた時には、フルネームで「津曲雅彦」でしたから、間違いなく「津川雅彦」のもじりだと思いましたからね。「川」に横棒を3本足して「曲」にして「津曲」、そんなありえないような苗字をでっち上げて得意がっている脚本家の顔が目に浮かんだものです。そうしたら、結構ありふれた苗字だったんですね。絶対私より少ないと思っていたのに、あてが外れました。
 あとは「仙台」も530人いるのだとか。「四郎」さんしかいないと思っていたのに。
 そこで、私のよりも少ないのは何かな、と、検索しまくりました。そうすると、たとえば「死人」とか「愛人」なんてのは
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 こういうのが出てきて、ここでは見当たらないというのですよ。もしかしたら、本当にレアな苗字はデータベースに入っていないのかもしれませんね。結局、いろいろ探して「100人」より少ないのは「右」さん(20人)と「銀」さん(60人)だけでした。「左」さんだと410人ですし、「銅」さんだと150人になって、私を超えてしまいます。あと、さっきの「愛人」さんはいませんでしたが、「愛」さんは160人ですって。
 意外なのは「日本」さん。たった160人しかいませんでしたよ。あ、これはあくまで漢字表現ですから、読み方は関係ないのだそうです。だから、「日本」だったら「にほん」、「にっぽん」、「ひのもと」、「やまと」、「ひもと」などという読み方を全部含めて160人ですから、本当かな、と思ってしまいます。
 ただ、「昭和」は40人、「大正」は80人、「明治」だと300人もいるんですね。ところが「平成」だとさっきの「わからない」になってしまいます。ですから、世の中には「平成太郎」さんなどは一人もいないことになり、「元号」という意味ではこの「平成」は大成功だったといえるのでしょうね。「昭和」さんなどは、なにかといじられて辛い思いをしていたのではないか、と心配してしまいます。
 ですから、今度出来るはずの元号は、まずこのアプリで苗字がほとんど見つからないものであることを確かめてから公表しないといけないでしょうね。
 とは言っても、最近はやたら「平成最後の○○」というのが聴こえてくるのが、おかしくてたまりません。だからなんなんだ、って思いませんか?こんな、まるで元号が変わると世の中のことがすべて変わってしまうような言い方は、やめにしませんか。たとえば「昭和歌謡」というようなやつ。これなんかは、文化の様式が元号によって変わることを前提にした言い方ですよね。便利な言い方だとは思いますが、こんな気持ちの悪いカテゴライズは本当にやめてもらいたいと思っています。
 というより、そもそも単なる「象徴」にすぎない天皇が代わることで、世の中までが変わると思いこませる風習が、いかに不気味なものであるかを、この際考えてみられてはいかがでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2018-09-21 21:50 | 禁断 | Comments(4)
BYE-BYE BERLIN
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Marion Rampal(Voc)
Raphaël Imbert(Sax)
Quatuor Manfred
HARMONIA MUNDI/HMM 902295


イギリスの作家クリストファー・イシャウッドが1939年に発表した短編集「Goodbye to Berlin(さらばベルリン)」は、1930年代のベルリンを舞台にして彼自身の体験をもとに書かれた小説です。これは1951年に「私はカメラ」というタイトルで戯曲化されますが、さらに1966年にはロッテ・レーニャがキャスティングされたミュージカル「キャバレー」となり、それが1972年にライザ・ミネリ主演で映画化されることによって、多くの人に知られるようになりました。
今回のCDのタイトルは、そのオリジナルのタイトルに対するリスペクトのあらわれでしょう。これは、「さらばベルリン」で描かれた時代に実際に作られていた曲を集めて、そのころ、つまりヒットラー政権前夜のなんともゆがんだ、ということは芸術的には極めて実りの多かった時代の空気を再現しようとしたものです。
ここでの主役は、フランスのシンガー・ソングライター、マリオン・ランパルです(ブックレットにはわざわざ「ジャン=ピエール・ランパルとは無関係!」とありました)。そしてそのバックを務めるのはマンフレッド・カルテット(弦楽四重奏)と、サックス界の鬼才ラファエル・アンベールです。
登場するのは、ワイル、シュルホフ、アイスラー、そしてヒンデミットにベルクと、まさにある時期「退廃音楽」とカテゴライズされた作曲家たちの作品です。これらは、ランパルのけだるいヴォーカルと、アンベールなどによって施されたぶっ飛んだ編曲によって、オリジナルをはるかに超えた「あぶなさ」を見せています。なにしろ、そのアンベールときたら、最初のうちはバス・クラリネットでワイルの「ユーカリ」などをしゃれっ気たっぷりにサポートしているのですが、同じワイルの「ベルリン・レクイエム」の中の「溺れた少女のバラード」では、サックスで「溺れる少女」が水の中でもがき苦しむ様子を狂ったように描写したりしているのですからね。
中には弦楽四重奏のオリジナルの作品も取り上げられていて、それらは「素」のままで見事なメッセージを伝えてくれています。特にシュルホフの「弦楽四重奏曲第1番」の第4楽章からは、不安だらけの音楽が切ないほどに聴こえてきます。同時に、同じシュルホフでもピアノ曲を編曲した「5つのジャズ・エチュード」からの「シャンソン」や、ワイルの「弦楽四重奏曲ロ短調」の第2楽章などからは、それとは正反対のロマンティシズムたっぷりの熟れた音楽さえ味わえます。
そんな文脈の中で、なんとヒンデミットの「さまよえるオランダ人」が登場します。これもオリジナルの弦楽四重奏のための作品ですが、正式なタイトルは「朝の7時に、湯治場の二流の保養楽団が初見で演奏しているような、『さまよえるオランダ人』の序曲」という、これだけでワーグナーを完全におちょくった曲であることが分かるものです。ですから、このCDではヒットラーのお気に入りだったワーグナーに対する痛烈なアイロニーとして、この曲を扱っているのですよ。私見では、これはそれほどのものではなく、もっと軽い冗談として受け取った方が良いような気がするのですが、ここでのマンフレッド・カルテットはあまりにまじめにそんなプロテスト感を込めて演奏しているものですから、その暑苦しさが逆に滑稽に思えてしまいます。というか、こんな演奏ではヒンデミットが仕掛けたおかしさは絶対に表現できないと思うのですけどね。
悪いことに、ここではそれを、ランパルたちに言わせれば「ダダイズム風のコラージュ」として使っているのですよ。つまり、この曲は最初と最後の一部分しか演奏されず、その間にアルノ・ビリング(ミシャ・スポリャンスキー)の「ラヴェンダー・ソング」という歌が歌われているのです。これで、ヒンデミット版「オランダ人」の中で一番面白いところが見事にカットされてしまいました。そんなの、おら、やんだ(東北弁)。その結果、このCDはしょうもないクズとなったのです。

CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s.

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by jurassic_oyaji | 2018-09-20 21:05 | 現代音楽 | Comments(0)