おやぢの部屋2
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さすがにHD DVDは再生できません
 前回の「禁断」では「リゲティのレクイエムはほぼすべての音源を持っている」と豪語していましたね。この作品は、初演は1965年3月14日にストックホルムで、ミヒャエル・ギーレン指揮のスウェーデン放送管弦楽団と合唱団によって行われました。あいにく、この音源は今のところ公にはなっていないようですので入手は出来ません。そして、最初にレコードとしてリリースされたのが、同じギーレンの指揮で、フランクフルト放送交響楽団と、バイエルン放送合唱団によって1968年11月に録音されたWERGO盤でした。
 しかし、それ以前の1967年12月15日に、フランシス・トラヴィス指揮のバイエルン放送交響楽団と合唱団によってこの曲が演奏され、それがラジオでドイツ全土に放送されたそうなのです。この音源を、スタンリー・キューブリックが「2001年」のサントラに使用したのですね。このあたりの経緯はこちらと、そのあたりのリンクで詳しく述べられています。
 ただ、この音源はサントラ盤などには収録されていますが、単独でリリースされたことはありません。でも、私はそのCD-Rを持ってます。
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 これはかなりの「お宝」なのではないでしょうかね(「1968年」と書いてあるのは、間違いでしょう)。指揮者のトラヴィスのウェブサイトというのがあって、そこにメールアドレスも明記されていたので、ダメモトでそこにメールを出してみたら(もちろん、英語で)しばらくしたらこのCD-Rと彼の直筆のメッセージが届いてしまったのですよ。そこには、確かに「キューブリックがこの音源を映画の中で使った」と書いてありましたね。
 それ以降のものがリリースされるようになるのは、21世紀に入ってから。2002年録音のジョナサン・ノット指揮のベルリン・フィルによるTELDEC盤、2006年録音のフリーダー・ベルニウスの指揮によるCARUS盤、2008年録音のペーテル・エトヴェシュ指揮のケルン放送交響楽団のBMC盤と続きます。私が持っているのはのこの3種類だけですが、もしかしたら、他にもあるのかもしれません。
 この中のエトヴェシュ盤は、なんと2枚組になっていて、普通のCDの他に、今は亡きDVDオーディオが入っているのですよ。それを入手した時には、そんなフォーマットのソフトを再生できる環境になかったのでそのDVDオーディオは聴けなかったのですが、今回改めてそのパッケージを取りだしてみた時には、そんなソフトでも再生できる最強のプレーヤーを入手していましたので、さっそく再生してみましたよ。
 もちろん、これは私にとっては「DVDオーディオ初体験」となるものでした。ですが、やはり「初めて」の時はいろいろ不都合が起きるもので、これもカウンターは動いているのにモニターには何の画像も出ないし、音も全然出てきませんでした。やはり、さすがのマルチプレーヤーも、こんな落ちぶれたフォーマットには対応できないのかな、とあきらめかけましたが、リモコンのメニューあたりをいじってみたらやっとメニュー画面が現れました。そこには、音声フォーマットもきちんと「5.1サラウンド」が選べるようになっていたので、それを指定して再生を始めると、もうまぎれもないサラウンドで迫ってきましたよ。おそらく、最初からサラウンドでの録音を想定しての配置で演奏していたのでしょうね。合唱などはしっかりサイドから前面までを覆うかたちで半円状に定位しています。それで、あのリゲティのポリフォニーがそれぞれのパートから発せられるのをそのまま聴き取ることが出来るのですから、それはものすごいインパクトです。もうすっかり圧倒されてしまいました。
 これは、もしかしたら生の演奏より生々しい音が聴けるものかもしれませんね。よくぞこんなものを作っておいてくれたものです。
 でも、やっぱり「生」は聴いてみたいものです。
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by jurassic_oyaji | 2018-11-18 20:58 | 禁断 | Comments(0)
HARBISON/Requiem
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Jessica Rivera(Sop), Michaela Martens(MS)
Nicholas Phan(Ten), Kelly Markgraf(Bar)
Giancarlo Guerrero/
Nashville Symphony Chorus and Orchestra
NAXOS/8.559841


1938年生まれのアメリカの作曲家、ジョン・ハービソンが2002年に完成させた「レクイエム」です。アメリカの現代作曲家と言ったらレナード・バーンスタインとスティーヴ・ライヒぐらいしか思い浮かばないので、もちろん初めて聞いた名前の方です。ただ、その経歴を見ると「1987年にピューリッツァー賞を受賞」とありますから、アメリカ国内では有名な方なのでしょうね。
でも、その「ピューリッツァー賞」って、確かに有名ですが、普通はその賞はジャーナリズム関係者に対する賞だったような気がするので、作曲家がそれをもらったというのには、何か違和感がありませんか。いや、実際はだいぶ前からこの賞の「作曲部門」というのはあったそうで、それこそコープランドやアイヴズといった人たちも受賞していたようですし、最近ではさっきのライヒも受賞していましたから、それなりのステータスではあるのでしょう。ただ、今年の受賞者がラッパーのケンドリック・ラマーだったというのは、どうなんでしょうね。そもそもラッパーって「作曲家」なんでしょうか。ただ辛いだけじゃないですか(それは「ペッパー」)。個人的な印象では、彼らは音楽的な作業は何一つしていないような気がするのですが。というより、過去に受賞した「クラシック」の「作曲家」たちは、自分の業績がラップと同じ評価基準で審査されたことで、気分を害したりはしなかったのでしょうかね。
そんな過去の受賞者であるハービソンが「レクイエム」を作り始めたのは、1985年だったのだそうです。完成するまでに17年もかかっていたのですね。ただ、その間の1995年には、あのヘルムート・リリンクがシュトゥットガルト・バッハ・アカデミーで行った「和解のレクイエム」のプロジェクトに参加していたそうです。確かに、そのCDのジャケットには彼の名前がありますね。
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これは、世界中から集まった全部で14人の作曲家が分担して、第二次世界大戦の犠牲者を悼むために作られた、まさに「国境を越えた」プロジェクトで、日本からは湯浅譲二が参加していましたね。この中でハービソンが担当したのは、「Dies irae」の中の「Juste judex」から「Confutatis」の前までの部分のテキストです。前半はバリトン・ソロがバルカローレ風のオーボエのオブリガートに乗った穏やかなメロディを歌いますが、変拍子によるピアノ、グロッケン、ハープの間奏の後はメゾ・ソプラノのソロで無調っぽい旋律が歌われ、そのあと荒々しいオーケストラの間奏を挟んで、ソリが歌う、というものでした。
彼は、自らの「レクイエム」では、その前に「Ricordare」から始まるテキストを加え、それをソプラノとテノールのソロに歌わせ、最後のソリは合唱に直しています。
最終的には、ボストン交響楽団からの委嘱に応える形で全曲を完成させ、2003年3月6日にベルナルド・ハイティンク指揮のボストン交響楽団によって初演されました。
全曲は1時間弱の演奏時間、「Offertorium」の前で一旦音楽は終わり、その前後のパートは全く休みなく演奏されます。
始まりの「Introit」は、なんとも不安を誘われるような雰囲気です。というのも、ベースの音がとても気持ち悪いピッチで他のパートと合っていないんですね。これはおそらく意図されたもの、「多調」という手法なのでしょうが、その上で歌っている合唱はそれに合わせているのか、あるいはもともととてもヘタなのかは分からないような歌い方なので、聴くものにしてみればどのようなスタンスで対峙すべきかが分からなくなってしまいます。
全体の音楽は、ほぼそんな感じ。作曲家の目指しているものが今一つよく分からないために、最後までその音楽に浸ることが拒否されているような感じが付いて回ります。
そんな中で、たとえば「Sanctus」などは、とても分かりやすい7拍子の明るい曲調なので、さらに戸惑いは募ります。なによりも、合唱の主体性がまるで感じられないいい加減な歌い方が、もしかしたらあったのかもしれないこの曲の魅力をぶち壊しています。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

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by jurassic_oyaji | 2018-11-17 21:19 | 合唱 | Comments(0)
「モノリス」のテーマですね
 不思議な「事件」がありました。私がいつもニューフィルで作っている「かいほうげん」は、もちろん無料で団員に配られているものですが、私はそれによって「手間賃」としてなにがしかの金銭を団から頂いています。まあ、この仕事自体は全くのボランティアですから「報酬」として頂くわけではなく、「諸費用」として、コピー代などを請求しているだけなんですけどね。それは、毎回発行日に領収書を会計さんに提出して、頂いています。
 そうしたら、そろそろ年末だということで団の会計を締め始めていた会計さんが、「前々回の領収書がありません」と言ってきました。私は、印刷が終われば自動的に領収書を書いて届けているので、そんなことはあり得ないのですが、なぜか会計さんの手元にはないのだそうです。だいたい、その請求をするときには、「かいほうげん」だけではなく、その前後にかかった、たとえば練習会場の使用料なども請求しているので、何枚かの領収書をまとめて出しているのですが、私のところにはそれも全然残っていませんからね。
 でも、きっちりとした会計報告を身上としている会計さんとしては、やはり領収書は必要なので、新たにそれを発行してくれと言ってます。もちろん、その時にお金もいただけるので、なんだか得をした気分ですが、まあそれでみんなが納得するのであれば、別にかまわないでしょうが、謎です。「奇跡」です。
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 ですから、その領収書は、来週新しいのを発行する時の領収書と一緒に出すことになりますね。そう、少し早いペースになっていますが、実は今日、あたらしい「かいほうげん」がめでたく完成して、あとは印刷と製本だけ、ということになったのです。今回は思いのほかネタが集まって、特に発行を遅らす理由もなかったので、ほぼ1ヶ月の間隔で発行となりました。本当は今週出すことも出来たのですが、1枚だけ必要な写真が撮れてなかったので、それをきのう撮って晴れて素材が全部そろったのですね。
 そして、来週には来年秋の演奏会の曲目を決める会議が開かれるので、そのための資料も作らなければいけません。これも、各パートからの希望曲の締め切りが昨日だったのに、まだ届いていないパートがかなりありますね。もう明日中には完成させるつもりなので、それまでに届かなければ資料に載せませんからね。
 などと、忙しい毎日を続けていて、なかなか、たとえば東京までコンサートを聴きに行くなどということはできないようになっていますが、もう、これは無理にでも予定を入れないことには一生こんな状態が続きそうだなあ、と思っていたら、絶対に聴きに行きたいコンサートがあることを知って、ウキウキしているところです。
 それは、来年ジョナサン・ノット指揮の東京交響楽団の定期演奏会でリゲティの「レクイエム」が演奏される、という情報です。この曲はあの「2001年」のサントラとして有名になった曲で、私はほぼすべての音源を持っていますが、まだ生で聴いたことはありません。調べてみたら今までに2回ほど日本でも演奏されたことがあったのだそうですね。しかし、今回のノットは、すでに録音も出していますし、リゲティに関してはまさにオーソリティですから、リゲティ・ファンとしてはこの機会を逃すわけにはいきませんよね。
 ただ、実現にはまだいくつかのネックがあります。コンサートの日は7月の20日(サントリーホール)と21日(ミューザ川崎)の、土日の2日間なんですが、このあたりはニューフィルの指揮者練習が入る可能性が非常に高いのですね。まだ先方と交渉中だそうで、具体的な日にちは全く分からないのですが、ここでバッティングしていたら練習を休んで行くわけにはいきませんからね。まあ、堂々と代吹きを立てて休む人もいますが、やはり指揮者練習だけはどんなことがあっても休まないというのは、管楽器奏者としての矜持だと思っていますからね。私は。
 もう一つはチケット。去年行ったメシアンの「アッシジの聖フランチェスコ」のようなマニアックな曲でさえ、発売当日に完売してしまいましたから、これもどうなることか。ただ、もし取れなくても、当日券を当てにして行ってくるかもしれませんね。
 いちおう、会場も違うので両方とも聴いてきたいと思っていますから、当然東京でのお泊りとなるでしょうね。そんな非日常、考えるだけでそわそわしてしまいます。
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by jurassic_oyaji | 2018-11-16 21:57 | 禁断 | Comments(0)
ベートーヴェン捏造-名プロデューサーは嘘をつく-
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かげはら史帆著
柏書房刊
ISBN978-4-7601-5023-6


サブタイトルの下の「サブサブ」タイトルはドイツ語で「または、アントン・フェリックス・シンドラーの伝記」です。
そう、これは「ベートーヴェンの伝記を書いた人」とか「『交響曲第5番』を『運命』と呼ぶようにさせた人」として音楽史に登場するあのシンドラーの伝記なのです。かつては、彼が作り上げた「偉人」としてのベートーヴェン像は絶対的なものとして世の中に広まっていましたが、研究が進む中ではそれに対しての疑問も浮かび上がってきています。なんと言っても、ベートーヴェンの耳が不自由になった時にベートーヴェンと出会ったシンドラーは、会話の時に相手が筆談のために使っていた膨大な量の会話帳(ベートーヴェンは喋ることは出来たので、それは記録されてはいません)を盗み出し、その大半を破棄したり、自分に都合の良いように新たな「会話」を書き込んだりしていたのですからね。これは、まさに「窃盗」と「公文書偽造」、れっきとした犯罪です。
ですから、現在では彼は「ベートーヴェンの研究における最大の汚点」とまで言われてしまっています。今ではその伝記にしても、「運命」という呼び名にしても、もはやだれも信用しなくなったのは当然のことです。
この本は、シンドラーがそのような「犯罪」に手を染めるベースになったであろう彼のベートーヴェンに対する熱い思いを克明に語ったものです。
そこで著者が用いたツールが、その「会話帳」の現物です。なんでも、この本の元になったものは、著者が大学院を卒業する時に書いた修士論文なのだそうです。当然、その論文と同じようにこの本の巻末にもその「参考文献」の一覧が表記されていて、本文中では終始参照されていますが、その数には圧倒されます。
そんな、データ的には学術論文に匹敵するものをバックボーンとして著者が作り上げたのは、とことんエンターテインメントに徹した「物語」でした。なんせ、シンドラーを始めとする登場人物のキャラの立っていること。もう一人の主役のベートーヴェンや、フェルディナント・リース、カール・ホルツといった敵役など、まるで顔が見えるように生き生きと描かれています。これがもし実写化されるようなことでもあれば、リース役はさだめし中村倫也あたりでしょうか。
このあたりの手法は、著者が前作「運命と呼ばないで」の中で「なるべく等身大のリアリティを感じてもらいたいので、流行のワードを入れたり、現代に通じる比喩的なイメージをまじえたりというデフォルメを行っています」と語っていることを踏襲しているのでしょう。あちらはマンガでしたからよかったのでしょうが、ここではそれはちょっとやり過ぎのような気もしますね。ただ、この作品の最後の最後には、当のシンドラーが涙目でワンカットだけ登場しています。それは、もしかしたら本作への伏線だったのかもしれませんね。
そのシーンは、ベートーヴェンの「第9」の初演のアンコールの現場でしたね。これを読んだ時には、その意味がいまいち分かりませんでしたが、今回の著作を読み終えた時には、この時のシンドラーの心境は手に取るようにわかるようになっていました。
なにしろ、文章のキレが良く、展開が鮮やかなんですよね。チャプターの終わりにいかにも謎めいた「これから何が起こるのか」と思わせられるようなフレーズを挟まれては、嬉々として読み続けるしかないじゃないですか。それこそ東野圭吾のミステリーを読むようなノリで、一気に読破してしまいましたよ。
ただ、残念なことに、何箇所か校閲の手をすり抜けてしまった部分が残ってしまったようですね。34ページの6行目の「懸命な判断」は「賢明な判断」でしょうし、167ページの10行目の一番下にある「シンドラー」は、文脈から考えると「ヴェーゲラー」ではないかと思うのですが。どうでしょう?

Book Artwork © KASHIWASHOBO Publishing Co.,Ltd.

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by jurassic_oyaji | 2018-11-15 23:06 | 書籍 | Comments(0)
2日がかりでした
 職場の墓地の北のはずれに、大きな桐の木が立っていました。それが、もうすっかり枯れてしまっていたのですね。
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 葉っぱも生えていて、一見大丈夫そうですが、もう幹はすっかり枯れていて、このままでは倒れてくる危険性もあるということで、伐採してもらうことになりました。これは7月初めの写真です。
 実際に伐採工事が始まったのは、先週のこと。総勢6人のチームがやって来ました。
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 通路の前には、安全のために旗が立ってました。
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 まわりのお墓を傷つけないように、シートで覆ってあります。
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 一人が、ロープだけで木に登っていきます。
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 さらに上に上ります。
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 そして、もっと枝の先まで登り、
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 そこに滑車を取り付け、ロープを入れます。
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 そこから下に降りて、枝にロープをしばりつけます。
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 枝の根元をチェーンソーで切ります。
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 それを下から引っ張って、折ります。
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 あとは、縛ってあるロープを緩めて、
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 切った枝をゆっくり地上に下ろします。
 こんな作業を何回も繰り返して、枝から幹まで全て短く切って下におろします。
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 次の日現場に行ったら、すべての作業が終わっていました。
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 残っているのは切り株だけです。
 見事な職人技ですね。
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by jurassic_oyaji | 2018-11-14 21:31 | 禁断 | Comments(0)
ZANI, PIACENTINO, TORTI, SCHIATTI/Concerti per flauto, archi e continuo
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Raffaele Trevisani(Fl)
Natale Arnoldi/
Ensemble Baroque ≪Carlo Antonio Marino≫
TACTUS/TC720002


このジャケット、フルートのアルバムには昔から同じデザインのものがたくさんありましたね。ここでは横長の絵画をジャケットに合わせて両端をトリミングしていますが、オリジナルはこういうものです。
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これは、19世紀のドイツの画家アドルフ・フォン・メンツェルという人が描いた「サンスーシでのフリードリヒ大王のコンサート」という絵画です。大王はフルートをこよなく愛し、自らも演奏のみならず作曲家としてもかなりの量の作品を残していますが、それを支えた宮廷の音楽家がものすごいメンバーだったことでも知られていますね。この絵の中でチェンバロを弾いているのは大バッハの息子のカール・フィリップ・エマニュエル・バッハですし、ジャケットではカットされていますが、右端に心配そうに立っているのが、大王のフルートの先生で、当時の演奏様式を知ることの出来る教則本を著したことでも有名なヨハン・ヨアヒム・クヴァンツです。
とは言っても、この画家が生まれたころにはもう大王は亡くなっていますから、このいかにもリアルな作品も想像で描かれたものですが、今回のトレヴィザーニのアルバムはまさにこんな時代、18世紀の半ばごろにイタリアで作られたフルートと弦楽器と通奏低音のための協奏曲が集められたものです。
それらを作った作曲家は4人、アンドレア・ツァーニ、ロマーノ・ピアチェンティーノ、ジュゼッペ・トルティ、ジアチント・スキアッティという、誰一人として聞いたことのない名前の人たちです(最後の人は「じゃあちゃんと、付き合って」と言われそう)。当然のことながら、ここで演奏されている曲は全て「世界初録音」です。
それらの曲は、ドイツのさる図書館で見つかったパート譜をもとに復元されたスコアによって演奏されているのだそうです。そのパート譜は実際に演奏された時に作られたもののようですから、一度は実際に「音」にはなっていたのでしょうね。
その「初演」の時には、当然のことながらその当時の楽器が使われていたはずです。弦楽器はガット弦で駒が低いもの、そしてフルートはキーが一つしかついていないシンプルな楽器です。
それを、21世紀に「再演」したトレヴィザーニは、彼の楽器であるモダン・フルートを使っていました。ただ、一応その時代に敬意を表してか、いつものゴールドではなく木管(パウエル?)を使っていましたね。もちろん、バックのオーケストラもモダン楽器です。チェンバロだけはヒストリカルのようですが。
トレヴィザーニの演奏は、今まではDELOSという録音には定評のあるレーベルからリリースされたものを聴いていました。そこで聴こえていた彼の音は、師ゴールウェイ譲りのあくまでのびやかで輝かしいものでした。今回のTACTUSレーベルは、録音に関してはそれほど期待できないことは分かっていましたが、このアルバムはいくらなんでもそれはないだろう、と思えるほどのひどい録音だったのには、のけぞってしまいました。いくら楽器が違うとはいえ、トレヴィザーニのフルートからは、彼の持前の伸びやかさが全く伝わっては来なかったのです。あまりにオンマイク過ぎるので、ノイズばかりが聴こえてくるのですね。
しかし、しばらく聴いていると、それはあながち録音のせいだけではないような気がしてきました。彼のロングトーンは、伸ばしている間にどんどんピッチが下がっていくんですよね。ゼクエンツの繰り返しでも、なにか指は回らないしリズムはもたつくし、そもそも彼の演奏自体がかなりヤバくなっているように思えて仕方がないのですよ。彼は1955年生まれだそうで、還暦は過ぎていますから、もう衰えてしまったのでしょうか。もっと年をとっても立派な演奏をする人はいくらでもいるのに。
ここで初めて聴いた5つのフルート協奏曲は、そんな緊張感のない演奏のせいか、どれも同じように聴こえてしまいました。あるいは、こんなつまらない曲だから、演奏に熱が入らなかったのかも。

CD Artwork © Tactus s.a.s.

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by jurassic_oyaji | 2018-11-13 20:51 | フルート | Comments(0)
「バラード」という形式です
 「かいほうげん」向けに、ゲーテの「魔法使いの弟子」のオリジナルのテキストを和訳して載せようと思い、ネットを探したら、さる高名なドイツ文学者の翻訳が見つかりました。まあ、そんな権威のあるものですから、これをそのまま使わせてもらおうと思ったのですが、どうも文体は古臭いしところどころ誤訳、とは言いませんが、ちょっと不正確なところも見つかったので、この際だから自分で翻訳してみようと思いました。それだったら著作権などを気にすることは全くありませんからね。
 それで出来上がったのがこれです。
 これは定型詩ですから、きっちり8行と6行で出来た連が全部で7個あります。当然脚韻が踏まれていますが、そこまで考慮すると安っぽい日本語のラップみたいになってしまうので、逐語訳にとどめました。それでも、多分に意訳の部分もありますので、深くは追及しないでください。
お年を召した魔法使いのお師匠様は
今日はどこかへお出かけ!
だから今は先生の霊たちは
おれの命令に従わないといけないのさ
お師匠様の呪文やしぐさ
そしてその使い方はチェック済み
おれの精神力で
お前たちをびっくりさせてやる
溢れろ溢れろ
大きく波打て
目印のところまで
水よ溢れろ
たっぷりの湧水で
泉になるまで注ぎ込め
さあ今度はお前だ 古びた箒よ!
その汚いルンペンのようなぼろ布を着ろ!
おまえには下男あたりがちょうどいい
さあおれの命令を果たせ
2本の足で立ち上がれ
頭を高く持ち上げろ!
急いであそこまで行ってこい
水瓶を持っていくのだぞ!
溢れろ溢れろ
大きく波打て
目印のところまで
水よ溢れろ
たっぷりの湧水で
泉になるまで注ぎ込め
見ろ やつは走って水岸に近づいていく
本当だ! もう水際に着いてしまったぞ
まさに電光石火だ
すぐにこちらに来て水をあける
もう2回目だぞ!
なんと たらいはもう満杯!
あらゆる器がいっぱいだ
水であふれかえっているぞ!
ストップ!ストップ!
おれたちは見届けたぞ
おまえの仕事ぶりを
よくやった!
あっ そうだった! なんてこった!
あの呪文を思い出せない!
ああ 魔法を終わらせる呪文
それは箒を元の姿にもどすもの
ああ やつはめまぐるしく走り回っている!
もうおまえは元の箒にはもどらないのか!
どんどん新たな水を
こっちに素早く運んでくる
ああ あちこちから水が襲ってきて
溺れてしまう
いや これ以上
放ってはおけないぞ
お前を捕まえなければ
いたずらにもほどがある
ああ!でも心配だ
なんて顔つきなんだ!なんて目つきなんだ!
おまえは悪魔だ!
この家全部を水に沈めるつもりなのか?
あらゆる入口から
水がすごい勢いで入ってくる
この邪悪な箒め
これが聴こえないのか!
おまえは元の棒にもどり
また静かに立っていろ
終わりにしたいのだが
そうはさせてくれないのか?
捕まえてやる
おとなしくさせてやる
そしてその古い木材の体を
鋭い斧で二つに裂いてやる
ほら また大急ぎでこっちにやって来た
おれはやつの上に飛び乗るだけさ
このいたずら小僧 すぐに倒れたな
この鋭い刃物をくらえ
やった うまく切れたぞ!
ほら 真っ二つだ!
これでやっと安心できる
一息ついたな
ああ! なんてこった!
二つに割れた箒が
すぐさま立ち上がって
下男になってしまった
それも 前よりでっかいやつに!
助けてくれ ああ!全能の神よ!
二人は走り回る! どんどん水を持ってくる
広間も階段も水浸しだ
なんて恐ろしい水攻めなんだ!
お師匠様! おれの叫びを聴いてください!
あ お師匠様がやって来た!
お師匠様 とんでもない災害です!
霊を呼び出したところ
もはや手に負えなくなってしまいました
(魔法使いの呪文)
「控えおれ
 箒よ!箒よ!
 元の姿に戻れ
 霊として動き回るのは
 目的があって この年老いた魔法使いに
 呼び出された時だけじゃ」
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 こんな挿絵も見つかりました。確かに箒は「二人」なんですね。
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by jurassic_oyaji | 2018-11-11 21:24 | 禁断 | Comments(0)
STRAVINSKY/The Rite of Spring, Funeral Song etc.
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Gustavo Gimeno/
0rchestre Phioharmonique du Luxembourg
PENTATONE/PTC 5186 650(hybrid SACD)


グスターボ・ヒメノは、いま最も注目されているスペイン生まれの若手指揮者です。「若手」とは言っても生まれたのは1976年ですから、すでに40歳を過ぎたおっさんですけどね。まだ萎びてはいません(それは「ヒモノ」)。
元々はロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の打楽器奏者として音楽家としてのキャリアをスタートさせたヒメノですが、やがて指揮者に転身、ヤンソンス、ハイティンク、アバドなどのアシスタントを務める中で、彼らから多くのことを学びます。
これまでにロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を始め、クリーヴランド管弦楽団、ボストン交響楽団、ウィーン交響楽団、スウェーデン放送交響楽団、サンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団、マリインスキー管弦楽団との客演指揮を果たし、2015年からはルクセンブルク・フィルの音楽監督に就任して、現在に至っています。
彼は2013年に日本でも指揮者デビューを果たしていますが、その時のオーケストラが仙台フィルだというのが、ちょっと興味をひきます。なんでこんな地方オケと、と思ってしまいますが、この時のコンサートは「ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ松島2013」というもので、震災復興のイベントとして、本来はクラウディオ・アバドが指揮をするはずだったものでした。ヒメノはアバドの代役に「抜擢」されていたのですね。そして、ルツェルン祝祭管弦楽団の「代役」が仙台フィル。
ヒメノとルクセンブルク・フィルとのアルバムは順調にこのPENTATONEレーベルからリリースされているようで、これを含めてすでにおそらく6種類のアルバムが出ています。もちろんすべてハイブリッドSACDでマルチ・チャンネルのサラウンド対応です。
今回のアルバムは2枚組で、ストラヴィンスキーの作品集です。このSACDを聴いてみようと思ったポイントは2つ。まずはそのハイレゾのサラウンドで「春の祭典」を聴いてみたかったこと。そして、ごく最近行方が分からなかった楽譜が発見されて話題を呼んだ若いころの作品を、実際に聴いてみたかったからです。
まずは、「春の祭典」です。これはもう、サラウンドで聴かれることを前提にして録音を行ったのではないか(もちろん、セッション録音です)と思わせられてしまうほどの、それぞれの楽器がくっきりと浮き上がってくるクリアな音でした。それは、手を延ばせばその奏者に届くほどのリアリティを持っています。
そんな音像の中で、ヒメノは実に巧みなバランスを保ちながら、それらの音をコントロールしています。それは、「指揮者」というよりは「バランス・エンジニア」の仕事ぶりのようにさえ感じられます。ですから、確かに音響的には非常にエキサイティングな振る舞いが聴こえてはくるのですが、なにか音楽的に感興をそそられることがあまりないのですね。この演奏からは高揚感のようなものがほとんど感じられず、したがってそれによって心が振るわせられることは決してありませんでした。
「春の祭典」より前、1909年に、師であるリムスキー=コルサコフの追悼のために作られた「葬送の歌」という曲は、初演は行われたものの出版はされず、その楽譜は行方不明になっていました。それが、2015年になって改修工事が行われていたサンクトペテルブルク音楽院の図書館で偶然発見され、翌年ゲルギエフ指揮のマリインスキー管弦楽団によって甦演が行われました。録音は2017年の8月にシャイー指揮のルツェルン祝祭管弦楽団によって行われています。今回のヒメノは、それに次ぐ録音でしょうか。
これは、何とも渋い曲で、ワーグナーのような響きがあちこちで聴こえてくる興味深いものでした。
ここまでが1枚目、2枚目になると作曲年代がずっと先になって、「カルタ遊び」、「バーゼル協奏曲」、「アゴン」といったアイロニーあふれるこじゃれた作品が並びます。こちらの方が、なにかヒメノのいいところが発揮できているような気がするのですが。

SACD Artwork © 0rchestre Phioharmonique du Luxembourg/PENTATONE Music B.V.

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by jurassic_oyaji | 2018-11-10 22:11 | オーケストラ | Comments(0)
かつての仙台社会保険病院
 1か月前にこんなことを書いていました。長年、腎機能の検査値、つまりクレアチニン値が高く、それから推算できるeGFR(推算糸球体濾過量)が低いという異常状態が続いていたので、2年前に腎臓病の権威であるさる大病院を受診したところ、腎臓自体には異常が見つからないのに、検査値だけが高いのは理由が分からないと診断されました。ですから、その結果を受けて、かかりつけの病院では特に大きな数値の変化がなければ、そのまま減塩食などを続けるようにとの指導を受けていたのですね。
 それが、ずっと横ばいだったその数値が、急にかなり悪くなったので、もう1度その大病院で診察を受けることを勧められました。その結果も2年前と同じことで「理由が分からない」ということだったのですが、そこで提案されたのが、今まで続けてきた塩分制限を一旦解除して、「塩分を気にせず食事をする」ことを1ヶ月続けるという「実験」だったのです。その時には、塩分を増やすと血圧も上がるので、今まで飲んでいた薬に加えてもう1種類の薬を追加されました。
 まあ、考えてみればずいぶん大胆な話で、世間の常識に真っ向から刃向うわけですが、これはとても興味があったので、それをしっかり実践させていただきましたよ。今まで残していた味噌汁は全て飲み干しますし、わざわざ「塩抜き」と注文していたフライドポテトも普通に塩がかかったものに変えます。さらに、大好きだったのにもう何年も食べることを「封印」していたスナック類、えびせんとか柿ピーなども、もしかしたらこんなものが食べられるのもこの1ヶ月限りになってしまうかもしれないと、心置きなく食べまくりました。
 その間に、自宅で血圧のチェックです。血圧計は薬を飲み始めた時に買ってあったのですが、その機械で測ると病院で測ったのよりかなり高めの数値が出るようでした。ですから、それを見てがっかりするのが嫌なので最近はもう使うことはありませんでした。でも、今回はどうなのか一応測ってみると、この機械ではありえないような低い数値が出るようになっていましたよ。それからは毎日測っていますが、一度として高い数値が出ることはありません。新しい薬のせいなのでしょうが、確実に血圧は下がっているようですね。
 そして1ヶ月経って臨んだのが、きのうの検査です。予約は午後3時だったのですが、1時半には病院に着いて、まずは採血と採尿を行い、その検査結果が出るのを待ちます。
 そこで、自分で血圧を測るようになっているので測ってみたら、
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 こんな、自宅では決して出ることのなかった値でしたよ。やはり、自宅の血圧計は高めに表示されていたようですね。
 そして、予定より30分ほど遅れて、先生に呼ばれました。そこでまず血液検査のデータを見せてもらうと、腎機能の数値が明らかに改善されています。誤差の範囲をはるかに超えて、間違いなく良好な数値に変わっていたのです。
 先生もこの結果には納得のよう。説明によると、腎臓の血管に塩分が含まれるようになると、そこに水分が集まってきて血液の流れがよくなり、腎臓の機能も向上するのだそうです。ただ、これはそうなる人もいるというだけで、すべての人に当てはまるわけではありませんから、もちろん塩分は控えるというのは一般的な治療法ではあるんですね。まあ、私の場合はお酒は全く飲みませんし、もちろんタバコも喫いませんから、そんな体質になっていたのかもしれませんね。来週もう1回検査をして確認するようですが、これでおそらく食生活はこんな塩分制限なしのものに変わることでしょう。
 となると、今までのずっと塩分控えめという辛い生活は、いったいなんだったんでしょうね。でも逆に、そんな辛さから解放されたという喜びの方が、何倍も勝っています。辛かった時期が長かっただけに、それはひとしおです。
 ほかのことでも、こんな風に喜べるようになればいいのですが。
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by jurassic_oyaji | 2018-11-09 21:28 | 禁断 | Comments(0)
BACH/The Brandenburg Concertos
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Lars Ulrik Mortensen/
Concerto Copenhagen
CPO/555 158-2(hybrid SACD)


こちらの「ロ短調ミサ」で、情感のこもった演奏が印象的だったモーテンセン率いるコンチェルト・コペンハーゲンが、同じバッハの「ブランデンブルク協奏曲」の全曲を録音してくれました。前回は合唱の方に惹かれたのですが、今回はもちろん合唱はありませんから、楽器ばっはりで演奏する時のこの団体の力がもろに感じられるはずです。
ご存知のように、この6つの協奏曲ではそれぞれに使われている楽器が異なっています。すべての曲に入っているのはヴィオラ、チェロと通奏低音だけですからね。オーケストラの定番であるヴァイオリンですら、「6番」では参加を許されていません。もっとも、今もそうですが普通のヴァイオリン奏者でしたら、まずヴィオラも弾けるはずですから、バッハの時代の楽団ではここでヴァイオリン奏者の出番がなかったわけではないのでしょうけどね。
「ロ短調」の時には弦楽器のパートは複数の奏者が演奏していましたが、今回はきっちり「1パート1人」という編成をとっているようです。もちろん、「3番」ではヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのそれぞれの弦楽器が3つのパートに分かれていますから、それぞれ3人で演奏しています。そこに低音が2人加わって総勢が14人、このアルバムの中では最大の人数となっています。
その次に多いのが「1番」の13人ですが、こちらはソリストの人数では最大を誇っています。オーボエが3人、ホルンが2人、普段は低音しか弾かないファゴットにも独立した声部が用意されていますし、そこに「ヴィオリーノ・ピッコロ」という小さなヴァイオリンも加わって、総勢7人ですからね。この「ヴィオリーノ・ピッコロ」のちょっとプリミティブは味わいが、和みます。
この人たちが演奏する時には、何か常にクレッシェンドとディミヌエンドを繰り返すような表現をとっています。ピリオド楽器の団体ではあまりこんなことはしないような気がするのですが、おそらくこのあたりがこのコンチェルト・コペンハーゲンの持ち味なのでしょう。そこからは、全員がそれぞれの熱い思いを込めて演奏している様子を感じることが出来ます。
その半面、アンサンブルとしてはなんとなくユルいところも見られます。ホルンなどは元々演奏が難しいのでしょうが、いくらピリオド楽器でももっと上手に演奏している人はほかにいくらでもいるな、という感じ。でも、そのあたりも含めたうえでの、指揮者であるチェンバロ奏者のモーテンセンの、それぞれに伸び伸びと演奏させている姿勢も、しっかり伝わってきます。ですから、そもそもこの曲自体がハチャメチャな作られ方をしているということが、如実に分かってしまうというユニークな演奏に仕上がっているのでしょう。
「2番」では、ソロ楽器はトランペット、リコーダー、オーボエ、ヴァイオリンという、やはり多彩なラインナップです。その中で、トランペットとリコーダーが、同じ土俵でのアンサンブルを披露しているのですから、ちょっとすごいことです。確かに、ここでのリコーダーはあり得ないほどの存在感を示しています。
「3番」は弦楽器だけですから、やっと落ち着いたアンサンブルを聴くことが出来ます。早めのテンポでグイグイ迫るグルーヴはなかなかのものです。両端の楽章の間を埋めるモーテンセンのチェンバロ・ソロもよいセンスです。
「4番」ではリコーダーもさることながら、ヴァイオリン・ソロを担当しているコンサートマスターのフレドリク・フロムのほとんどヘンタイとも言える演奏には度肝を抜かれました。彼が登場すると、すっかり持って行かれます。
「5番」の第1楽章などは超ハイスピード。そこで繰り広げられるモーテンセンの「速弾き」には圧倒されます。
「6番」では、脱力感すら味わえる穏やかな演奏に好感が持てます。
そんなさまざまな味わいを、とても安らぐ素敵な録音で楽しむことが出来ました。

SACD Artwork © Classic Produktion Osnabrück

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by jurassic_oyaji | 2018-11-08 20:46 | オーケストラ | Comments(0)