おやぢの部屋2
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BACH/Solo
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Tobie Miller(Hurdy Gurdy)
RAUMKLANG/RK 3405



このジャケット写真、なんだか中世の絵画のようですね。確か、昔のエマ・カークビーのアルバムでこんな感じのがあったような気がしたので探してみたら、これが見つかりました。1981年に録音された最初期のCDのジャケット、モンテヴェルディの聖歌が収録されています。
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ここで天使が抱えているのはおそらくヴィオールでしょうが、今回のアルバムで同じようなカーリーヘアの「天使」が持っているのは、もっと大きな楽器でした。
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この写真だと、その楽器がよく分かりますね。これは「ハーディ・ガーディ」と呼ばれる古楽器で、その起源は11世紀にまでさかのぼれるのだそうです。香草畑ではありません(それは「ハーヴ・ガーデン」)。このような形になったのは中世あたり、ヴァイオリンのように弦をこすって音を出す楽器ですが、こするものが「弓」ではなく「円盤」であるのが大きな違いです。その円盤(ホイール)を、楽器のお尻についているハンドルで回し、その上にある弦を上から先の細い金具(タンジェント)で押し付けると、弦が回転しているホイールに触れて音が出る、という仕組みです。そのタンジェントは、ピッチに応じて並んでいて、それを鍵盤で押さえることによって特定の音程が作れます。
さらに特徴的なのは、このようなメロディを演奏するための弦のほかに「ドローン弦」というのが何本か付いていて、それで低音を持続的に出すことができることです。
この写真の主は、カナダで生まれ現在はスイスで活躍しているハーディ・ガーディ奏者、トビー・ミラーです。彼女がここで演奏しているのがバッハの作品、無伴奏ヴァイオリン・パルティータの3番と、無伴奏チェロ組曲の1番と2番、BWVでは1006番から1008番までの連番になっている3曲です。
バッハの時代にもハーディ・ガーディは使われていたのでしょうが、あいにくバッハがこの楽器のために作った曲はありません。ですから、ここで演奏されているのはミラーがこの楽器のために編曲したものです。
それがどんな音で響いているのかを初めて知ることができるのが、パルティータの1曲目の「プレリュード」です。バッハはこの曲を後に別の作品にも転用していますが、その中の一つ、カンタータ第29番の「シンフォニア」を、1968年にウェンディ・カーロスが世界で初めてシンセサイザーで録音していましたね。シンセサイザーとハーディ・ガーディ、ともにバッハが使わなかった(使えなかった)楽器によるアルバムの冒頭が同じ曲だなんて、面白いですね。
その「プレリュード」では、まるで普通のヴァイオリンのような音が聴こえてきました。さらに、驚いたことには、ヴァイオリンが右手で弓を使って作り上げるフレージングまでもが、しっかり伝わってきたのです。これはおそらくホイールの回転速度を微妙にコントロールして実現させているのでしょうね。こんなことがこの楽器で出来るなんて、想像もしていませんでしたよ。
この曲にはドローンは用いられていませんでしたが、続く曲には適宜ドローンの持続音の上で、いかにも軽快なダンスが奏でられていました。これは、今まで良く聴いていたこの楽器のキャラクターがそのまま表れたものですね。そういうのを聴いていると、この「パルティータ」や「組曲」といったものが、本来は踊るための音楽だった「舞曲」の集まりであることが再認識できますね。
無伴奏チェロ組曲になると、音域がぐんと低くなります。同じ楽器なのでしょうが、かなり広い音域をもっているのでしょうね。
ここでも、メロディだけのものと、ドローンで低音が補強されたものとが演奏されています。そして聴き進んで最後の曲、「2番」の「ジーグ」になったら、今度は高音でまるでトランペットのようなにぎやかなフレーズが聴こえてきましたよ。調べてみたらその名も「トランペット」という高音のドローンも、この楽器には備わっていることが分かりました。それこそシンセサイザーみたいに奥の深い楽器だったんですね。

CD Artwork © Raumklang

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by jurassic_oyaji | 2018-12-15 22:51 | ヴァイオリン | Comments(0)
BEETHOVEN/9 Symphonies
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Gwyneth Jones(Sop), Hanna Schwarz(Alt)
René Kollo(Ten), Kurt Moll(Bas)
Leonard Bernstein/
Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor
Wiener Philharmoniker
DG/479 7708(CD, BD-A)



DGが1970年代に制作した「4チャンネル」によるベートーヴェン全集の中で最も時期の遅い(1977-1979)バーンスタインとウィーン・フィルによるツィクルスまでもが、昨年「サラウンド」で復刻されていました。どうやら、この「4チャンネル音源によるサラウンド化」のブームは本物のようですね。ただ、世の「ブーム」はすべて「一過性」のものと決まっていますから、この間のカラヤンのツィクルスのように「ドルビー・アトモス」まで登場したのでは、あともう少しでこのブームは去ってしまうような気がしてなりません。
そのフォーマットですが、これに関してのデータはボックスの裏側では「24/192」、
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BDのディスプレイでは「24/96」です。
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いったいどちらが正しいのでしょう。
ただ、今回のリミックスと、サラウンドのために4.0から5.0へのミキシングを行ったのは「Polyhymnia」、そう、あのかつてのPHILIPSのエンジニアたちが作ったスタジオです。彼らは同じDGの4チャンネル音源であるラファエル・クーベリックのツィクルスでも、PENTATONEのために同じ仕事を行っていましたね。
そのためなのでしょうか、このバーンスタインの一連の録音は、この前のカラヤンによる録音とは、同じレーベルでありながらまるで異なったサウンドで聴こえてきました。もちろん、オーケストラも録音会場も、そしてエンジニアも違いますから当たり前なのですが、やはり、リマスタリングの際の趣味の違いがもろに現れた結果であることは間違いないはずです。
実は、録音会場に関しては、カラヤン盤でも「9番」の合唱の部分で今回のバーンスタインと同じムジークフェライン・ザールが使われていましたね。その時には、それまでのベルリンのフィルハーモニーでの録音との違いは全く分かりませんでした。
今回も、「1番」から「8番」まではムジークフェライン・ザールでの録音ですが、「9番」だけはウィーンのシュターツオーパーで録音されています。これははっきりその違いが分かります。それまでのものに比べて、オーケストラの音像が小さく感じられ、ホールトーンの中に埋没しているように聴こえます。
バーンスタインの演奏は、カラヤンと比べるとかなり演奏時間が長くなっています。それは、テンポが遅めのこともあるのですが、楽譜の繰り返しをほぼ全部行っているせいでしょう。そのために、このパッケージにはBD-Aのほかに5枚のノーマルCDが入っているのですが、その1枚目のカップリングが「1番」と「3番」になっています。それは仕方がないのですが、当然のことながら全曲が1枚に入っているBD-Aまでもが、その順番にカッティングされているのが、とても不思議。「1番」から聴き始めたら、次にいきなり「3番」が始まったので、びっくりしてしまいましたよ。
バーンスタインのベートーヴェンをきっちり聴いたのは今回が初めてのことでした。この、多少の劣化は認められますが、丁寧なリマスタリングでウィーン・フィルの美しい音色を存分に味わうことのできるアルバムを聴き通すと、今まで抱いていたこの指揮者のイメージを少し修正したくなってきました。そのイメージとは「大げさな身振りによる大時代的な演奏」というものでした。確かに、例えば「3番」の第2楽章などは、本当にこのまま息絶えてしまうのではないかというほどの息苦しさを感じさせられるものでしたが、それ以外ではいともオーソドックスなテンポ設定と過剰過ぎない表情付けに終始しているようでした。
そんな中で、「2番」だけは、なにか憑き物がなくなったかのような、ちょっとぶっ飛んだ表現が見られるのが、面白いところです。あくまで私論ですが、バーンスタインはこれほど有名で多くの指揮者がそれぞれの主張を繰り広げているベートーヴェンの交響曲では、あえて際立った特徴を出すことは避け、最も演奏頻度が低いと思われる「2番」で「勝負」に出ていたのではないでしょうか。この曲の第2楽章の美しさは絶品です。

CD & BD Artwork © Deutsche Grammophone GmbH

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by jurassic_oyaji | 2018-12-14 20:54 | Comments(0)
持ってきた部品が余ってしまいました
 我が家のストーブの買い替え、第2部です。なんとも雑な「担当者」は、私の都合も聞かずに勝手に据え付け工事の日を決めてしまって、「これでお願いします」と言ってくるという具合に非常識な人でしたね。その工事の前にまず支払いをしなければいけないので今度は私の都合の良い日(その工事日の前にはそんな都合の良い日は全然なかったのですが、かろうじて時間が取れそうな日)を指定すると、その人は、「その日は、私は出社しないのでだめですね」なんて言い出しましたよ。この人は、自分がいなければほかの店員さんに対応を任せるということを考えたことはないのでしょうかね。そのあと、しぶしぶ「では、私がいなくでも大丈夫なようにしておいてあげますよ」ですって。いや、それが普通の対応でしょうが。
 ですから、私がお店に行ったときには、当然その「担当者」は、そこにはいませんでした。代わりに対応した人は、その人が言及していなかった「10パーセント割引セール」にも、きちんと応じてくれましたよ。たぶん、「担当者」では、そんなことはやってくれなかったはずですから、こちらのほうが私にとってはラッキーでした。
 ただ、その時に工事予定を確認してみると、それは「13日の朝一番から午後5時まで」なんて書いてありましたよ。確か電話では「13日の朝一」だったはずなのに。またまた「担当者」の仕事に悩まされることになりました。下手をしたら、丸1日がつぶれてしまいそう。
 そうして迎えた工事当日、私は一応出社は少し遅れることだけを連絡して、家で待っていました。そうしたら、9月半に業者がやってきたので、まずは一安心です。これで無駄な時間を過ごすことはなくなりました。なぜか、業者は3人もやってきましたよ。でも、実際に動くのは一人だけで、後の人はただ見てるだけでしたけどね。これもちょっと不思議。それから40分ほどで工事は完了しました。
 これが工事前。
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 そして工事後です。
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 配管用のパイプを延長してあって、その長さも少し変えられるので、こんな風にテレビ台から離して置けるようになりました。これで、もっと大きなテレビを買うことができます。というか、このテレビは大きさよりも画面に無数の縦筋が出るようになっていて、もう買い替えるしかないのですよ。
 予定より早く工事が終わったので、ちょっとした贈り物を発送するためにヤマト運輸のステーションまで行ってみました。手提げ袋に入ったお茶とお菓子を、そのまま発送したかったのですが、ここだとちょうどいい大きさの袋に詰めて送れそうで、おそらくこれからも同じものを送ることがあるはずなので、試しに送ってみようと思ったのです。
 予想通り、ぴったりの大きさの袋があって、それが使えそうでした。そこで、送り状を書くことになるのですが、そこで差し出されたのが今までよく使っていた手書きの伝票ではなく、タブレット端末でした。そのディスプレイに伝票が表示されていて、そこに入力していくようになっているのですね。そういえば、最近受け取った荷物でも、普通の個人から発送したものにこんな印字されたラベルが付いていましたね。50音のキーボードなのでとてもやりづらいのですが、何とかそれで入力して、「印刷」をタッチするとそれで送り状の現物が出来上がり、そのころには梱包も終わっていた荷物に店員さんが張り付けてくれたので、あとはお金を払ってそれでおしまいです。
 後で調べたら、企業などではまとめて住所のデータを送ると、顧客用の送り状がすぐできてしまうのだそうですね。たぶん、そのぐらいのことはできるようになっているのでは、と思っていたのですが、実際にそれを体験して、現実にこのシステムが確実に広まっていることを自覚するのでした。
 でも、まだ世の中にはこういうものに慣れていないひとも、相当数いるのではないかと思うのですけどね。そういう人たちをきちんとフォローすることができれば、それはとても「品位」のある社会といえるのではないでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2018-12-13 21:49 | 禁断 | Comments(0)
「宗さん」の番組ですね
 今年も押し迫ってきて、職場でも恒例の年末に送るDMの準備が始まっています。顧客に今年1年の主な行事を紹介したり、来年へ向けてのグッズや送金用のアイテムを送るという作業です。
 それを、遅くても12月下旬までには発送を完了させるためには、その前の封筒詰めが大体1、2週間はかかることを見越して、メインの行事案内のお便りを11月中には完成させなければいけません。まあ、そんなものは私にしてみれば赤児の腕をねじるようなものですから、2日もあれば完成してしまいます。
 ただ、今年は例年行っていた行事が一つなくなってしまったので、ちょっと分量的に少なくて、ページが余りそうになってしまいました。そこで、何かいいネタがなかったか考えてみたら、格好のものがあったことを思い出しました。
 それは、10月に職場がテレビで紹介されたというニュースです。ミヤテレで平日の夕方に放送しているワイド番組「OH! バンデス」のコーナーで、まあ、「たまたま」紹介された、というものなんですけどね。実際、それは何のアポもなしにいきなりやってきて、撮影やインタビューをやっていったということでした。放送されたのが、その2週間後でしたね。
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 これがコーナーのタイトル。バックが当社の前の石段です。ちょうどこの日の前の日に大きな台風が来て、松の枝が折れて石段の上に落ちていました。
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 キャスターはティーナカちゃん、スタート地点が北仙台駅で、バックにはTさんのマンションも見えますね。
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 まずは「北山五山」をめぐるという趣向です。
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 石段を登ってきたティーナカちゃんを、副社長が出迎えるというヤラセですね。
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 お目当ては、敷地内にあるこの巨木です。
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 こんなキザなアングルで撮ってました。
 この日は私は休みだったので、現場にはいませんでした。いたら、生写真を撮ったんですけどね。あとで娘に「サインをもらってほしかった」と言われてしまいました。
 まあ、こんな写真を入れたら、見事に空いたスペースが埋まって、お便りは完成してしまいました。そして、ほかのものもそろえて、全部で1200通の郵便物の封筒詰めが始まりました。その作業は順調に進んで、300通まで行ったのですが、そこで、今年中に伝えておかなければいけない大きなことが起こりました。いまさら刷りなおすこともできないので、その件は「別刷り」にして追加することにしました。ですから、出来上がった300通の封筒を開いて、それを挿入するという作業が余計に入ってしまうことになっています。本当に、いくら時間があっても足りません。
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by jurassic_oyaji | 2018-12-12 23:46 | 禁断 | Comments(0)
Christmas is Here!
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Pentatonix
RCA/19075889432



街中ではイルミネーションが独特のイントネーションを奏で、各地からの初雪の便りが聞こえてくればいよいよクリスマス・シーズンの到来です。今年最初に取り上げるのは、Pentatonixのアルバムになりました。
デビューしてからコンスタントにクリスマス・アルバムを毎年リリースしてきた彼らですが、去年はメンバーチェンジのごたごたで、ちょっと「手抜き」のアルバムでお茶を濁されてしまいましたね。しかし、今年は違います。新しく加わったベースのマット・サリーとともに、さらにパワフルなアルバムを届けてくれました。
今回の聴きどころは、往年のオールディーズが多数カバーされているということでしょうか。まずは冒頭でスティービー・ワンダーが1967年にリリースした「What Christmas Means to Me」が歌われます。最初にヴォイパで鈴の音が聴こえてくるのが、いかにもクリスマスらしい演出です(実は、これはオリジナルのプラン)。ここでのベースの切れの良さは、新生Pentatonixの象徴ともいえるでしょう。いくぶん生真面目ですが、これほどのピッチの正確さは前任者にはなかったものです。
2曲目のブレンダ・リーの1958年のヒット曲「Rockin' Around the Christmas Tree」のカバーでは、そのベースが、オリジナルのイントロのコードからインスパイアされたのか、バッハの「G線上のアリア」のようなフレーズを聴かせてくれています。本体はいかにもキャッチーな歌い方。
3曲目はもっと古い、1951年のペリー・コモの「It's Beginning to Look A Lot Like Christmas」。これも、往年のビッグバンド・ジャズの雰囲気が存分に味わえるセピア色のアレンジです。ヴォイパの「ポカッ」という音がチャーミングですね。
4曲目は少し新しめのナタリー・コールの「Grown-Up Christmas List」です。ソロ・ヴォーカルにケリー・クラークソンが加わり、王道のバラードを聴かせます。
そして、5曲目に場面転換のような感じで、あの「グリーンスリーブス」がまるで聖歌のようなホモフォニック、ヴォイパなしの敬虔なアレンジで歌われます。
それがたった58秒で終わってしまうと、次はいきなり新しい曲が待っていました。アメリカのオルタナ・バンド、ザ・ネイバーフッドの2010年の「Sweater Weather」という、全然知らない曲です。ちょっと切れがありすぎの、このアルバムの中では異質なテイストです。
7曲目では、1998年のミュージカル・アニメ「The Prince of Egypt」のエンディング・テーマとして使われた「When You Believe」が、ゲスト・ヴォーカルにマレン・モリスを迎えてオリエンタルに迫ります。
そして、8曲目が、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の「花のワルツ」です。公開中の映画「くるみ割り人形と秘密の王国」にあやかってのことでしょうね。というか、以前のクリスマス・アルバムでは「金平糖の踊り」がカバーされていましたから、その流れでしょうか。なんせ、こちらも公開中の映画の中のクイーンの「Bohemian Rhapsody」を、ア・カペラで全曲完コピしてしまった彼らですから、そのクオリティのアレンジを期待していたのですが、いともあっさりしたワルツ本体だけのカバーだったのは、ちょっとがっかりでしたね。
9曲目が、アルバムのリード曲となっている、あまりに有名な「Here Comes Santa Claus(サンタクロースがやってくる)」という1947年のジーン・オートリーの曲のカバーです。これは、ラジオなどでも流れていましたね。
そして、10曲目に現れたのが、なんとティム・バートンの1993年のクレイ・アニメ「The Nightmare Before Christmas」の中で歌われていた「Making Christmas」です。「幻想交響曲」にも登場するグレゴリオ聖歌の「Dies irae」のテーマを使った不気味な曲でしたね。ここでは笑い声なども交えて、やはり不気味に迫ります。
10曲目にフィエス・ヒルの2000年の「Where Are You, Christmas?」のカバーを経て、最後はおなじみ「Jingle Bells」が、フル・オーケストラをバックにぶっ飛んだアレンジ(バーンスタインの「アメリカ」のようなヘミオラのリズム)で締めくくられます。このアレンジは、バーブラ・ストレイザンドのバージョンが参考にされているのだそうです。

CD Artwork © RCA Records

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by jurassic_oyaji | 2018-12-11 08:19 | ポップス | Comments(0)
ウォシュレットを買った時の店員さんとは大違い
 自宅の居間のストーブが壊れてしまいました。スタートさせてしばらくしたら「ピーピー」となりだしたかと思ったら、突然止まってしまったんですよね。ふつう、そういうことがあればなにかエラーのサインが出るはずなのですが、それも全くないまま、再起不能になっていました。「突然死」ってやつですかね。触るとものすごく熱くなっていましたから、これはもう肝心のバーナーの制御が聞きかない状態になっていたのでしょう。こうなっては修理してもかなりお金がかかりそうな感じなので、この際、新しいのを買うことにしました。
 これは、石油のFFという、今では珍しいタイプのストーブで、実際これを作っているのはもう3社ぐらいしかなくなっていることを、6年前にこれを買った時に知りました。おそらく、今ではこれと同じメーカー1社しか残ってはいないのではないでしょうかね。大きなホームセンターに行ったら、そこのカタログしか置いてありませんでしたから。
 結局、今のと同じような外観と性能のものにすることにしたのですが、その際に、FFでは置き場所が排気口の場所によって決まってしまうので、今の置き場所ではちょっと不自由なところがありました。でも、そのカタログによると延長管をつけてスペースを広げることもできそうだったので、据え付けに際してそれもお願いすることにしました。ただ、その場にいた店員さんはストーブ担当ではなかったようで、それを担当者に伝えてまた連絡させる、ということでした。
 しばらくして、その「担当者」から電話が来たのですが、なんだか話が全然伝わっていなかったようで、まず「マンションの壁に穴をあけることなんかできませんよ」なんて言い出しましたよ。いや、もうすでに穴は開いているので、そこにつけてもらうだけでいいんですけどね。それと、「配管の延長は、うちではできません」なんて言ってますから、いったい何を聞いていたのでしょうね。どうやら、今までのストーブの配管だけを延長するのだと思っていたみたいですね。こんないい加減な申し送りで、よく商売をやっていられるものですね。
 ですから、私はとうとうと、これは新しく買い替えるための注文で、カタログにはオプションの配管の案内もちゃんと書いてありますよ、みたいな、まるで私が店員で「担当者」がお客さんみたいなアホなやり取りをしなければいけませんでしたよ。そんなんでも、結局話がまとまったのですから、不思議です。いや、実際に据え付けが完了するまで油断はできませんよ。
 一応、同じ部屋にはエアコンもあるので、それを使えばとりあえず暖房はきくのですが、今までは冬場にエアコンを使ったことはありませんでした。ですから、昨日あたりはあまりに寒いのでまさに冬のエアコンデビューになってしまいました。結構温まるものなんですね。でも、私の部屋には電気ストーブしかないので、夕べはものすごく寒く感じましたね。
 ですから、明け方近くにマンションのすぐ下にある駐車場から、なにか雪を掻いているような音が聞こえてきたときには、「もしや」と思ってしまいました。窓を開けてみると
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 やはり、見事に雪が積もっていましたし、まだ薄暗い中、しんしんと降り続いていましたよ。早速この写真を撮ってみたのですが、今になって見返してみると、なかなか幻想的な風景に見えてきましたよ。車の轍が何本か見えますが、それが一つの物語になっているような気さえしてきます。
 ストーブよりもっと早くダメになっていたのが、私のノートパソコンでしたが、その後任は相変わらず素晴らしい動きを見せてくれています。やはり、なんたってプログラムがSSDに収納されているというのが大きいのでしょうね。とにかく、いままで使ったパソコンでは決して味わうことのできなかった立ち上がりには、感服し通しです。
 でも、SSD自体はiPadを使い始めたときに体験していたんですよね。要は、それと同じことがパソコンでもできるようになったということなのでしょう。Macあたりはすでにそうなっていたんでしょうけどね。いや、本当はすでにWinでもしっかり使われていたのでしょうね。私が知らなかっただけのことでした。
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by jurassic_oyaji | 2018-12-09 21:02 | 禁断 | Comments(0)
PAPANDOPULO/Flute Concerto, Harpsichord Concerto, Five Orchestral Songs
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Michael Kofler(Pic), Jörg Halubek(Cem), Miljenko Turk(Bar)
Timo Handschuh/
Südwestdeutsches Kammerorchester Pforzheim
CPO/777 941-2



ボリス・パパンドプロという、とても上手なおやじの楽団のような(それは「パパバンドプロ」)名前の作曲家のアルバムです。
この方は、1906年にギリシャ系の貴族の父親と、クロアチアの有名なオペラ歌手の間にドイツのボンの近くのホンネフ・アム・ライ(現在のバート・ホンネフ)というところで生まれました。しかし、3歳の時に父親が亡くなったため、母の実家のあるザグレブに移ります。
幼少のころから音楽的な環境で育ったパパンドプロは、地元のザグレブ音楽アカデミーを卒業しますが、そこの先生がストラヴィンスキーの知り合いであったことから、この大作曲家に会うことができ、そこでウィーンで学ぶように勧められます。彼は、1991年に亡くなるまでに450曲を超える作品を残しました。
ここで最初に演奏されているのが、1977年に作られた「ピッコロと弦楽オーケストラのための小さな協奏曲」です。これは、確かに演奏時間は15分という「小ささ」ですが、曲の雰囲気もとてもかわいらしいものです。何よりも、このピッコロというちょっと協奏曲とはあまり馴染まない楽器が使われるようになったいきさつが、とてもチャーミングなエピソードとして伝えられています。
ある時、パパンドプロと一緒にコンサート・ツアーに加わっていた若いフルーティストが、この大作曲家が「俺が作った協奏曲に使われていない楽器などないぞ」と豪語しているのを聞いて、勇気を出して「ピッコロのための協奏曲は、ありませんっ!」と言ったそうなのです。パパンドプロは一瞬たじろぎますが、それから数か月たったら、こんな素敵な「ピッコロ協奏曲」を作ってきて、その若いフルーティストに演奏させたのだそうです。
パパンドプロは実はピッコロという楽器は彼の作品の中ではよく使っていて、その特徴は熟知していたのですね。ですから、この曲はまさにピッコロの持ち味を存分に発揮したものに仕上がっていました。
第1楽章では、ピッコロによるまるで鳥の声のような軽々とした感じの、しかし技巧的なカデンツァが何度も現れる中で、それとは対照的な沸き立つようなダンスが登場しています。
第2楽章は、一転して寂しげな抒情性を表に出した曲想、しかし、それもとても技巧的なフレーズが伴ったものです。
そして最後の第3楽章は、まさにイケイケの3拍子のダンス、エンディングではさらにスピードアップして盛り上がります。
ソリストのコフラーは、ピッコロとはとても思えないような正確なイントネーションと音色で、見事にこの難曲を吹ききっていました。ブラヴォーです。
続いては、1966年にドイツのチェンバロ奏者で音楽学者でもあったハンス・ピシュナーのために作った「チェンバロと弦楽オーケストラのための協奏曲」です。これは、もろバロック時代の音楽の模倣によってできているような作品です。第1楽章の「トッカータ」は、まさにバッハの作品を思わせるような自由な楽想でチェンバロが軽快なテーマを披露しますが、その中にシンコペーションが入っているのが、ちょっとモダンな雰囲気を加えています。
第2楽章の「アリア」も、やはりバッハ風の装飾がたっぷりつけられたメロディアスな曲です。その中に、ほんの少し無調感が漂っているのが隠し味でしょうか。ただ、時折ロシア民謡の「トロイカ」の「♪走れトロイカ」というフレーズが聴こえてくるのが気になります。最後にはその「トロイカ」のテーマでチェンバロ・ソロがフーガを弾いたりしています。
最後の「ロンドー」では、骨太な音色が強調されているようです。このCDには何の表記もありませんが、おそらくここではこの当時の楽器「モダンチェンバロ」が使われていたのではないでしょうか。
最後の「5つの歌」は、3つの重たい曲と、2つの軽やかな曲が交互に現れます。その淡々とした歌い口は、なかなか魅力的です。ただ、ブックレットの対訳では、最後の2曲が逆になっています。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück

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by jurassic_oyaji | 2018-12-08 22:27 | フルート | Comments(0)
ビートルズやカーペンターズも歌いました
 岡﨑光治さんが亡くなりました。行年83歳、まだまだ亡くなるのには早い年齢でした。
 私が岡﨑さんに初めて会ったのは、大学3年の時だったでしょうか。私が属していた男声合唱団のOBだということは知っていましたが、当時は仙台放送合唱団の指揮者を務められていましたね。そのころは、仙台の放送局が毎年芸術祭参加作品として、合唱曲を委嘱していて、一応そこの専属の合唱団だった仙台放送合唱団がそれを録音していました。その時に男声が足らないということで、我々後輩にエキストラとして参加が要請されたんですよね。
 面白半分に行ってみたら、そのなんともエネルギッシュな指揮ぶりには、とても圧倒されてしまい、とうとう大学の合唱団と掛け持ちでその合唱団にも入ってしまいました。ピアノを弾きながら各パートの音を的確に指示していく姿などは、ほとんど奇跡のように感じられましたね。
 岡﨑さんは作曲家でもあったので、そのほかのラジオの番組のために編曲も行っていました。ハワイアン・バンドと一緒にハワイアンを録音したこともありましたね。もちろん、しっかりした合唱のレパートリーもたくさん歌いました。今では私の最愛の曲となったデュリュフレの「レクイエム」を初めて知ったのも、岡﨑さんのおかげです。おそらく仙台初演だったはずのそのコンサートでは、今のようにヴォーカルスコアが簡単に手には入らなかったので、スコアをもとに岡﨑さんが自ら合唱譜を作り(手書き)、オーケストラのパートは確かピアノとハモンドB3、それにチェレスタとティンパニという編成で岡﨑さんが編曲したものを演奏していました。その時にチェレスタとティンパニの担当だったのが、今の合唱連盟の理事長、今井邦夫さんでした。今井さんは、岡﨑さんの元で副指揮者を務めていましたね。
 そして、何よりも楽しかったのが、これもおそらく仙台では初めての試みだった、合唱団による「ポップス・コンサート」です。もちろん編曲は岡﨑さん、それを、団員がそれぞれ楽器を演奏してバックを務めます。私はそのころはまだフルートはやっていなかったので、ギター(フォークギター)を弾いてましたね。
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 これは集合写真。
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 岡﨑さんのアップです。
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 それ以来、仙台からも合唱からも遠ざかっていたのですが、少し前にはまた岡﨑さんのそばで演奏するようなこともありました。こちらはひたすらご無沙汰を決め込んでいたのですが、あちらから駆け寄ってきて「やあやあ〇〇くん!」なんて握手してくれるんですから、うれしかったですね。
 お通夜は9日(日)の6時から、お葬式は10日(月)の2時からだそうです。会場は北四番丁の「斎苑」です。
 私も参加したいのですが、どうなりますか。というのも、私の身内が岡﨑さんが入院されていた病院と同じところに入院しているのです。しかも同じフロアの3つ隣の病室でした。身内の看病の時にそのことに気が付いてびっくりしましたね。岡﨑さんの病室の前まで行ってみると入り口が開いていたので、中を覗いてみたら、カーテンの陰で姿は見えませんでしたが、軽い寝息のようなものが聞こえてきました。それが昨日の4時頃だったのですが、そのあとの9時45分に鬼籍に入られたのだそうです。
 晩年こそ不義理を通してしまいましたが、若いころに私の音楽性を育んでくれた岡﨑さんの御恩は、忘れたことはありませんでした。安らかにお眠りください。
 その身内も、もうしばらくしたら天に召され、56年前にこの世から去った最愛の夫に再会できるはずです。
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by jurassic_oyaji | 2018-12-07 21:28 | 禁断 | Comments(0)
BEETHOVEN/Symphoniy No.3 'Eroica'
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Maxim Emelyanychev
Nizhny Novgorod Soloists Chamber Orchestra
APARTE/AP191



1988年生まれ、まだ30歳になったばかりのロシアの指揮者、マキシム・エメリャニチェフのCDです。ジャケットの写真を見ると、なにかエキセントリックな感じがしますね。なんとなく、あのギリシャのカリスマ指揮者、テオドール・クレンツィスとよく似た雰囲気を持ってはいないでしょうか。
確かに、このエメリャニチェフはクレンツィスとは浅からぬ因縁がありました。というか、実際にその演奏を聴いたことだってあったのです。彼は指揮者であるとともにピアニストとしても活躍しているのですが、クレンツィスが録音したモーツァルトの「ダ・ポンテ三部作」ではフォルテピアノで参加していました。その中の「フィガロ」では、そのフォルテピアノについても言及していましたね。
もちろん、指揮者としても、彼はクレンツィスの教えを受けていますし、それ以前にはロジェストヴェンスキーにも師事していたのだそうです。そして、すでに世界中のオーケストラとの共演を果たし、今年の春にはなんと日本で東京交響楽団にも客演したのだそうですよ。
そんなエメリャニチェフが、去年の9月に、ニジニ・ノヴゴロドで録音したのが、この最新アルバムです。ベートーヴェンの「交響曲第3番」と、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」が収録されています。オーケストラは、その街のニジニ・ノヴゴロド・フィルのメンバーによって組織された「ニジニ・ノヴゴロド室内管弦楽団」です。
その名前の通り、メンバー表などは付いていないので正確な人数は分かりませんが、ここではかなりの少人数の弦楽器で演奏されていることがはっきり分かります。一瞬、それらはピリオド楽器を使っているのかと思ってしまいますが、どうやら使われているのはモダン楽器のようでした。ピッチもモダンピッチです。ただ、弦楽器は徹底したノン・ビブラートで演奏していますし、奏法やフレージングも限りなくピリオド楽器に近くなっているようです。
管楽器も、ホルンあたりはモダン楽器のような気がします。それで、時折ゲシュトップなどを使って「ピリオドっぽい」テイストを加えているのでしょう。フルートは最後までもしかしたらトラヴェルソかな、とも思ったのですが、やはり終楽章のソロを聴けば、モダンフルートに間違いないでしょう。それにしても、音色はとてもまろやかですから、少なくとも木管の楽器には違いないでしょうね。
そして、エメリャニチェフの指揮ぶりは、とても颯爽たるものでした。1楽章から3楽章まではもうまるで他の指揮者と速さを競っているのでは、と思えるほどのものすごいスピードで駆け抜けます。ただ、それは例えばカラヤンあたりがやっているように、フレーズの切れ目を、まるで映画の編集のように細かく切り詰めて否応なしに速さを感じさせるという手法ではなく、きっちりと自然の流れを保ったうえでのスピードアップですから、そこにはカラヤンのような「息が詰まる」感覚は全くありません。それは、まさに至芸のひと時でした。
フィナーレになると、テンポはぐっと落ち着いてきます。ただ、テーマが終わって最初の変奏になった時に、とてつもないサプライズが待っていました。エメリャニチェフは、その44小節目からの弦楽器を、それぞれ「一人で」弾かせていたのです。同じようなことをやっていたのは、こちらの、ベーレンライター版が出始めたころのデヴィッド・ジンマンですが、それはあくまでその楽譜に指示のあった(他のパートですが)その次の変奏(60小節目アウフタクトから)からの話ですから、こんなことをやったのはエメリャニチェフが初めてなのではないのでしょうか。
カップリングのブラームスでは、おそらく弦楽器の人数も増やしているのでしょう、ベートーヴェンのような鋭角的なサウンドではなく、もっとロマン派寄りのまろんやかなサウンドに変わっていました。これもすごいことです。

CD Artwork © Aparte Music

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by jurassic_oyaji | 2018-12-06 20:04 | オーケストラ | Comments(0)
「バスのうた」とか
 最近、90歳を少し超えたあたりの人の訃報が目につきませんか?ちょっと前だと80歳を超えれば、もうそろそろ、という感じだったのに、なんだかとても寿命が延びたような気がするのは、気のせいでしょうか。こういうデータに関しては割と身近な私の職場の資料でも、もはや100歳を超えてからお亡くなりになるような人も珍しくなくなっていますからね。
 94歳でお亡くなりになったのが、大中恩さんです。だいぶ前から健康を害していたようなうわさは聞いていたので、ついに、という感じですね。そんなころから思っていたのが、この方がもし亡くなった時に報道で付けられるのは、絶対に「『サッちゃん』と『いぬのおまわりさん』の作曲家」という「肩書」なのではないか、ということでした。本当にその通りになりましたね。どちらの曲も、おそらく知らない人はほとんどいないほどの超ヒット曲ですが、おそらく曲は知っていてもその作曲家の名前を知っている人はあまりいなかったのではないでしょうか。
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 これらの曲は、言ってみれば昔の「小学唱歌」のような「パブリック・ドメイン」として広く認識されているような気がします。「サッちゃん」は矢野顕子もカバーしてましたからね。
 もちろん、小学唱歌にしてもきちんと作曲家は存在していますから、それよりずっと新しいこれらの曲では、その気になればそれを作った大中恩さんの名前はすぐにわかるはずです。さらに、この方は、あの「椰子の実」の作曲をした大中寅二の息子だということもわかるでしょうね。
 大中恩さんがこれらの、いわゆる「童謡」を作った時には、その前の世代の専門の童謡作曲家とは一味違う質の高い、言い換えれば鑑賞に堪えうるだけの「童謡」を目指していたのではないでしょうか。「ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね」という「ぞうさん」を作ったのが團伊玖磨、「♪ブランコ揺れる、お空も揺れる」という「ぶらんこ」を作ったのが、芥川也寸志といった重鎮たちですし、「インディアンがとおる、アッホイアッホイアッホイオイ」という「インディアンがとおる」を作ったのは「前衛作曲家」の湯浅譲二でしたからね。
 そんな中にこそ、大中恩さんの多くの子供のための作品が位置付けられるはずです。何より、大中さんはそんな作品を、大人が歌える「合唱曲」としても世に問うたのですからね。かつて彼が主宰していた「コール・メグ」という合唱団でそれらの曲を聴いた時の衝撃は、今でも忘れられません。もちろん、それは大中さんの中ではそのほかの合唱曲と同じスタンスで作られたものだったのでしょうね。そう、合唱関係者であれば、彼の名前を知らない人は誰もいなかったはずです。
 その大中さんに、実際に会ったことがありました。大学の時の合唱団の連絡組織のようなものが、そのコンサートの指揮者として、大中さんを招待したのです。その時には、混声合唱団の合同演奏を指揮したので、私たち男声合唱団は実際に指揮をされたわけではありませんが、その前に公開リハーサルのようなものがあって、それに参加することはできました。
 そこでの大中さんの指導ぶりにも、とても驚かされましたね。その曲の「楽しさ」を、体をもって表現してくれて、歌っていた人たちの意識がまるで変ってしまったのを、つぶさに感じることができました。
 ちょっと記憶があいまいですが、その時の男声合唱の指揮が、あの多田武彦さんだったのではないでしょうか。彼の指揮、というか指導は、大中さんに比べるとあまりに杓子定規で全然面白くなかったことだけは、よく覚えています。
 まあ、90歳を超えれば、誰しも自分のやりたかったことはあらかたやり終えているのではないでしょうか。そのあとは、だれにも迷惑をかけることなく、ひっそりと世の中から消えていくような生き方(死に方)ができれば、幸せではないかと、しみじみ思います。
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by jurassic_oyaji | 2018-12-05 22:44 | Comments(0)