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ROSSINI/Petite Messe Solennelle
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Eleonora Buratto(Sop), Sara Mingardo(Alt)
KennthTarver(Ten), Luca Pisaroni(Bas)
Tobias Berndt(Org)
Gustavo Gimeno/
Wiener Singakademie, Orchestre Philharmonique du Luxembourg
PENTATONE/PTC 5186797(hybrid SACD)


ロッシーニの最晩年にパリで作られた「Petite Messe Solennelle」というフランス語のタイトルの作品は、「小ミサ・ソレムニス」、あるいは「小荘厳ミサ」とも訳されます。「小」と「荘厳」という相容れない言葉がタイトルに混在していることについては、ロッシーニのジョークなのではないかなどと言われているようですが、そうではありません。
「荘厳ミサ」というのは、ベートーヴェンの作品で有名ですが、そのような大規模なミサのために作られた音楽です。そのためには、ミサの通常文がすべて含まれていることが必要になってきます。それに対して、前半の「Kyrie」と「Gloria」しかない「短い」ミサは「ミサ・ブレヴィス」と呼ばれています。
そして「小」というのは、そのような大規模な作品で、演奏時間は1時間半近くかかるというのに、編成はたった12人の歌手(ソリスト4人と、各パート2人ずつの混声四部合唱)と、ピアノ2台とハルモニウムだけという「小さな」ものだからです。
しかし、後にロッシーニはオーケストラのためのバージョンを作り、それに合わせて合唱も増員しています。このSACDで演奏されているのはその形、ですから、本当はタイトルから「Peteite」は外した方が良いのでしょうけどね。
これまでに最初のバージョンは何度か聴いたことがありますが、オーケストラ・バージョンを聴くのは今回が初めてです。それは、「Kyrie」が始まった時に、ヒメノが指揮をするルクセンブルク・フィルがとても起伏に富んだ雄弁な演奏を聴かせてくれたことによって、それまでのものがいかにショボいサウンドだったかが明らかになりました。この頃のロッシーニは、きらびやかなオペラの世界からはすっかり足を洗って、内省的な宗教曲の世界を追求していたのでしょうが、やはり聴いている人を楽しませようとする精神は失われてはいなかったのでしょうね。ここでは、真ん中の「Christe eleison」ではそのオーケストラが黙り、合唱だけのア・カペラになります。その対比も絶妙です。その合唱の中からは、ルネサンスあたりから脈々と受け継がれてきた合唱音楽のエキスまでをも感じることが出来ました。
そういえば、「Gloria」や「Credo」の最後の合唱などでは二重フーガも用いられています。これも、やはり古典やバロックへの回帰を目指したもの、あるいは、すでにそのようなことを行っていたハイドンやモーツァルトへのオマージュなのかもしれませんね。
4人のソリストたちも、アリアとアンサンブルで大活躍です。なんでも、ロッシーニがこの曲を作った動機の一つに、彼の昔の作品「セミラーミデ」がパリでリバイバル上演された時に歌っていた若い姉妹歌手、バルバラ・マルキジオ(姉・メゾソプラノ)とカルロッタ・マルキジオ(妹・ソプラノ)の存在があったということで、この二人のためのナンバーはとても美しいものです。最後の曲「Agnus Dei」では、バルバラを想定してか、とてもしっとりとした合唱との受け答えが用意されています。ここで歌っている二人は、ソプラノのエレオノーラ・ブラットがかなり暗めの声で、アルトのサラ・ミンガルドと区別がつかないほど、この二人がハープをバックに歌う「Qui tollis peccata mundi」は絶品です。
テノールを歌っているのは、以前モーツァルトのオペラで素晴らしいドン・オッターヴィオやフェランドを聴かせてくれたケネス・ターヴァーです。ここでも「Domine Deus」のアリアを、伸びのある声で楽しませてくれました。
ただ、バスの人はいまいち、他の3人のような流れが感じられませんでした。
この作品では、ミサ曲なのに1曲だけインスト・ナンバーが入っています。それが、「Credo」の最後の曲の次に演奏される「Preludio religioso - Ritornello」です。後半にはオルガンのソロもフィーチャーされていて、オーケストラ・バージョンならではの荘厳感が味わえます。この後アタッカでア・カペラの「Sanctus」が聴こえてきた瞬間には、極上の音楽に接した時の感動が確かにあったかな

SACD Artwork © Orchestre Philharmonique du Luxembourg & Pentatone Music B.V.

by jurassic_oyaji | 2019-04-30 21:11 | 合唱 | Comments(0)
VERDI/Requiem
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Dinara Alieva(Sop), Olesya Petrova(MS)
Francesco Meli(Ten), Dmitry Belosselskiy(Bas)
Yuri Temirkanof/
Bolshoi Theater Chorus(by Valery Borisov)
St.Petersburg Philharmonis Orchestra
DELOS/DE 3564



ロシア出身で、世界的に活躍していたバリトン歌手、ドミトリー・ホロストフスキーが、まだ55歳の若さで亡くなったのは2017年11月22日のことでした。そんな予言があったのでしょうか(それは「ホロスコープ」)。美しい銀髪と端正な顔立ちというイケメンさと、理知的な歌い方で全世界のオペラハウスで引く手あまたの歌手でしたね。
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そんなホロストフスキーを追悼するために、それから一月も経っていない12月19日にサンクト・ペテルブルク・フィルハーモニアで開催されたのがこのコンサートです。演奏されたのはヴェルディの「レクイエム」ですが、この、まさに「ロシアの英雄」の追悼演奏を担ったのは、ロシアの指揮者とロシアの合唱団、オーケストラ、そしてソリストは一人を除いてロシア人でした。
オーケストラはサンクト・ペテルブルク・フィル、かつては「レニングラード・フィル」という名前で、ムラヴィンスキーの指揮の下で一糸乱れぬ演奏を披露していたスーパー・オーケストラですね。そのムラヴィンスキーも1988年には亡くなり、その後を継いだのがここで指揮をしているユーリ・テミルカーノフです。しかし、この指揮者には前任者のようなカリスマ性はなく、やがて来る「ソ連崩壊」という動乱の時期もあって、最近ではめっきり存在感が薄れているようでした。同じ街にはマリインスキー劇場管弦楽団という、こちらは現代のカリスマ、ゲルギエフに率いられたオーケストラもありましたからね。
今回の録音で久しぶりに聴いたこのオーケストラは、以前とはだいぶ様子が変わっているようでした。全体の響きがとても柔らかく、なにか温かみさえ感じられるものになっていたのです。管楽器などはかなり自由にそれぞれの歌いまわしを披露しているようでしたね。その分、迫力が少し薄れたような気がしますが、そのあたりはおそらく世界中の趨勢に従った傾向なのかもしれませんね。ですから、ロシアのオーケストラというよりは、インターナショナルなハイレベルのオーケストラ、という感じになってきているのではないでしょうか。
合唱は、モスクワのボリショイ劇場の合唱団です。こちらは、オーケストラとは対照的にもろ「ロシア的」な響きで迫ります。なにしろ、ダイナミックレンジがとてつもなく大きくて、ささやくようなピアニシモから、まさに大地を揺るがすようなフォルテシモまで、自由自在に出てきます。そのフォルテシモでのサウンドは、ベースあたりはもしかしたら「オクタヴィスト」が加わっているのでは、と思わせられるほどのものすごい低音を聴かせてくれていますからね。
しかも、決してそんな力で押し切る演奏ではなく、普通の合唱団のライブ録音だったら興奮のあまりリズムがいい加減になってしまうような楽譜の細かいところも、きっちりと歌っていますからすごいものです。
ここでの合唱指揮のヴァレリー・ボリソフは、レニングラード音楽院で合唱指揮と、オペラ/オーケストラ指揮を学び、1988年から2000年まではマリインスキー劇場の合唱指揮者を務めていました。2003年からはこのボリショイ劇場の合唱指揮者になっています。彼はボリショイで、「エウゲニ・オネーギン」の指揮者(もちろん全体の)を任されたこともあるそうです。
そして、ソリストたちもとても立派な声で、この音楽をまさに「劇的」に盛り上げます。一人だけイタリア人のフランチェスコ・メーリだけは、ほんの少しお上品なところが感じられますが、それはあくまでほかの3人のとてつもない存在感と比較してのことですから、全体としてはもう圧倒されっぱなしのソロ、そしてアンサンブルを味わうことができます。
中でも、ソプラノのディナーラ・アリエワは、高音はもちろん、「Libera me」では誰しも苦労している低音を朗々と響かせているのには脱帽です。
これは、そんな、とても威勢の良い「レクイエム」、そこにはホロストフスキーの死を悲しむような湿っぽさは、微塵もありません。

CD Artwork © Delos Pruductions, Inc.

by jurassic_oyaji | 2019-04-28 20:33 | 合唱 | Comments(0)
2本しか採れなかった年もありました
 もうすぐ年号が変わってしまうので、今まで使っていた年号はもうやめて新しいものを使うというのは、この国の国民全てに課せられた掟なのでしょう。誰もそれに逆らうことは許されません。ですから、私の職場でも、お客さんが年間の掃除料などを納めに来た時の領収証も、しっかりその新しい年号に変えなければいけません。しかし、まさかこんなことが起こるなんて予想もしていませんでしたから、その、もう使ってはいけない年号の入った領収証は大量に印刷されて倉庫に眠っています。いくら掟でも、一応「民主国家」なので、それを全部無下に廃棄することまでは要求されないでしょうから、こんな風に前の年号を塗りつぶして、その上に新しい年号を印刷することにしました。
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 印刷してあったのは下のように「年」とハンコが入っていないもの。それはどうせプリンターで印刷はするので、少し手直しをしたというだけのことです。なんか、こんなハンコも売られているそうですね。
 こんな手間がかかる作業が必要になってくるのは、天皇が代わるからです。ですから、その前後の何日かはすべての国民が仕事を休んでそれをお祝いしなければいけないのだそうです。その結果、「10連休」などというとんでもないものが出来てしまいました。これが、実際に国の政(まつりごと)や文化を担っている人が代わって、今以上に幸せな国になるというのであれば何日でもお祝いしたいと思うのですが、どうもそういうことでは全然ないようなので、私は以前からの祝日だけのお休みをとることにしています。
 そんなわけで、前半の「3連休」には、長命ヶ丘にオープンしたばかりの「ブランチ・ウェスト」に行ってみました。少し前に「ブランチ・イースト」がオープンしていて、そこのテナントの生協では魚売り場でお魚のプロジェクションマッピングをやっていたのに驚いていました。「イースト」では、本屋さんが出来るというので、楽しみにしていました。
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 こちらは、もっとびっくりするようなお店が出来ていましたね。これは、ブランチのサイトから拾ってきた写真ですが、とても開放的なレイアウトになっていて、お店の中にカフェや雑貨店なんかも混在しています。この写真の奥の天井のあたりに見えるのが、洋書の背表紙をデザインした装飾です。これが、とても知的なイメージを与えているんですね。時間がなかったので細かいチェックは出来ませんでしたが、そんな内装に背かないほどの品ぞろえがあることを期待したいですね。
 ただ、お粗末だったのはこの「ウェスト」のために作られた駐車場です。この本屋さんの上に確か4階まである自走式の立体駐車場なのですが、その出入り口が北環状線の五差路のすぐそばに設けてあるのですよ。ですから、赤信号になるとすぐ駐車場から車が出てこれなくなってしまいます。同時に、中に入ることもできなくなってしまうんですね。これは間違いなく設計ミス。せめて出入り口を別にするとか、環状線に面していないところから出入りさせるようにしておけば、こんなことは起こらなかったと思うのですが。
 この時期、気になるのはタケノコの具合でしょうか。去年は今頃はもうどんどん生えていたのですが、きのうの時点では全くタケノコの存在は確認できていません。たまに、全く出てこない年がありますから、もしかしたら、今年がそうなのかもしれませんね。いずれにしても、後半の「4連休」までには、結論は出ているはずです。
by jurassic_oyaji | 2019-04-27 21:38 | 禁断 | Comments(0)
MAHLER/Titan, Symphonic poem in symphonic form(Weimar version, 1893)
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Zsolt Hamar/
Pannon Philharmonic Orchesra
HUNGAROTON/HCD 30338



前回の「おやぢ」に続いて、マーラーの「巨人」がらみのCDです。
この作品については、3種類の稿が存在していることが知られています。「第1稿」は1889年にブダペストで初演された時の形。これは、2部、5つの楽章から出来ている「交響詩」で、タイトルは付いていませんでした。
次の「第2稿」は、1893年にハンブルク、そして1894年にヴァイマールで演奏された時に改訂されたもので、楽章の数は変わりませんが第1部と第2部、そしてそれぞれの楽章にタイトルが付けられ、さらに作品全体も「巨人」と呼ばれるようになっています。
そして「第3稿」は、1896年にベルリンで演奏された時に改訂されたもので、そこでは全てのタイトルが削除され、さらに第2楽章もカットされています。つまり、曲全体も単に「交響曲ニ長調」と呼ばれることになりました。これが、さらに「交響曲第1番」と改名されて出版されるのです。現在では、さらに細部で校訂が行われ、最終的には1992年に刊行されたマーラー協会の「新全集版」が最も新しい楽譜になっています。
このように、マーラー協会の全集は、常にアップデートされて「最新」の情報が盛られたものに置き換わるというポリシーが貫かれているようですね。
確かに、作曲家としては最後に残ったものを「決定稿」としたいという気持ちはあるのでしょうが、後世のリスナーにとっては、やはりそこにたどり着くまでのすべての過程を見てみたいという気持ちもあるでしょうし、結果的にはそこまで示されたときに初めて、その作曲家の全体像が明らかになるはずですから、そのような創作の全過程を明らかにするのは必要なことなのです。
ですから、マーラー協会も、この「交響曲第1番」の初期の形態の楽譜も出版しようとしたのでしょう。ただ、「第1稿」は、現在では自筆稿が失われてしまっているので、「第2稿」でその作業に着手し、2014年ごろにその校訂作業がほぼ終わった時点で、ヘンゲルブロックと北ドイツ放送交響楽団(現在のNDRエルプ・フィル)によって録音され、その全容が明らかになりました。
実は、マーラー協会がそのような作業に取り掛かるはるか前から、その「第2稿」の現物である1893年のハンブルクでの演奏で使われた自筆稿のファクシミリをそのままコピーした楽譜がTHEODORE PRESSERから出版されていて、それに基づく録音も何種類か出ていました。
ところが、マーラー協会が作った楽譜は、その自筆稿とは、多くの部分で異なっていました。そもそも編成も大きくなっていますし、聴いただけではっきり違いがわかる個所がたくさんありました。それは、ハンブルクでの演奏に際して手直しをした部分や、さらに翌年のヴァイマールでの演奏に向けて改訂を行った部分などが含まれた、別の楽譜をもとにしていたのです。ですから、その出版譜では「ハンブルク/ヴァイマール稿(1893-94)」という呼び方がされていました。つまり、現時点では「第2稿」には「ハンブルク稿」(THEODORE PRESSER)と「ハンブルク/ヴァイマール稿」(UNIVERSAL)という、全く異なる2種類の楽譜が存在しているのです。
さあ、そこで今回のCDです。これは新譜ではなく、2004年に録音されたものです。そもそもタイトルに「Weimar version, 1893」という表記があることからして怪しげなCDなのですが、これが発売された当時の代理店のインフォでは、その「ヴァイマール稿」というのを真に受けて「同じ第2稿とはいっても"ハンブルク・ヴァージョン"とは異なるらしいので、マーラー好きには見逃せないアルバムの登場といえるでしょう」などというコメントが載っていました。
実際に聴いてみると、これは「ハンブルク・ヴァージョン」そのものでした。つまり、現代のリスナーは、「ヴァイマール稿」がどんなものなのか知っているので、そういうことが即座にわかるのですよ。
このCDはすでに廃盤になっているので、騙されて買う人がいないのが救いです。そもそも、この演奏はなんとも気の抜けた、魅力に乏しいものでしたし。

CD Artwork © Hungaroton Records Ltd

by jurassic_oyaji | 2019-04-26 21:04 | オーケストラ | Comments(0)
いつも専用のドライバーを持ってます
 新しく入手したアルトは、本当に吹きやすく、長い時間吹いていてもそんなに右手が疲れません。前のサンキョウはこれがとても辛かったのですが、そんな思いはほとんど感じられないのは、なぜなのでしょう。楽器のサイズは全く同じなのですが、音が出しやすいと自然に腕も楽になるのでしょうね。
 そんな感じで、それこそ「ダフニス」とか「ハルサイ」のパート譜をDLして吹きまくっていたら、いきなり音が出なくなってしまいました。最初は、あまり吹いたので口がおかしくなってしまったのかな、とおもって、アンブシャーをいろいろいじってみたのですが、全く変わりません。ということは、もしや壊れた?やはり安物は壊れやすくなっているものなのでしょうか。ちょっとがっかりです。
 確かに、キーを調べると、左手の親指で押さえるキーがなんだか動きが変で、キーの開きが狭くなっています。そこには、スプリングがきいていない感じ、外れてしまったのでしょうか。よく見てみると、そのキーをポストに固定するネジが、飛び出していましたよ。
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 つまり、反対側のポストからネジが外れている、ということですね。たしかに、ここは全く固定されいない状態になっていましたから、キーが閉まらないのは当たり前でした。
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 こんなトラブルだったら、別にお店に持っていかなくても自分で直せます。抜けているネジをもとに戻せばいいだけですからね。
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 ただ、直接そこにドライバーは当てられないので、邪魔になっていたトリルキーをまず外します。
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 後はそのままネジを締めるだけですから、すぐに直りました。
 もちろん、吹いてみたら前と全く変わらない状態になっていましたよ。
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 もしやと思って、前回載せた写真を拡大してみたら、その時にはすでにネジが飛び出していたんですね。全然気が付きませんでした。出荷時にこの状態だったのでしょう。それが、急に過酷な使われ方をしたので、振動で緩んできて、とうとう外れてしまったのでしょう。
 さるアジアの国の人だったら、これを持ち込んで新しいものに代えてくれ、とか、工場見学をさせろとか言うのかもしれませんが、私は慎み深い人間ですから、そんなことはしませんよ。というか、この程度のことができないような人は、フルートを吹く資格はありません。自分の楽器なんですからね。
by jurassic_oyaji | 2019-04-25 21:32 | 禁断 | Comments(0)
MAHLER/Titan Eine Tondichtung in Symphonieform
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François-Xavier Roth/
Les Siècles
HARMONIA MUNDI/HMM 905299



ロトとレ・シエクルの最新アルバムは、なんとマーラーでした。これまでの彼らのレパートリーは、まずはフランス物でしたから、ほとんどフランス音楽のピリオド演奏に命を懸けている団体だと思っていたところに、いきなりドイツ音楽の登場です。
ということで、彼らが使っている楽器をチェックしてみると、確かに管楽器からは、かつてのフランスのメーカーのものは一掃され、ドイツ系と思われるもので占められていましたね。オーボエあたりはどうやらウィンナ・オーボエのようですね。なんたって、マーラーはウィーンで活躍したのですからね。もちろん、以前は「バソン」だけだったファゴットパートは、見事に「ヘッケル」に入れ替わっていましたよ。ウィーンと言えばモーツァルトですからね(それは「ケッヘル」)。いやあ、よくこれだけの楽器を集めたものだと、それだけで驚いてしまいます。
そして、そのマーラーの曲が、「交響曲形式による音詩『巨人』」です。これは、今ではよく「交響曲第1番『巨人』」というへんてこな名前で呼ばれている作品の元の形であることは、ご存知でしょう。マーラーが1889年にブダペストで初演したこの作品は、2つの部分、5つの楽章から出来ている「交響詩」で、タイトルはついていませんでした。それを、改訂して、1893年にハンブルクで演奏されたものが、さっきのようなタイトルが付いた作品でした。これには、さらに改訂が施され、1894年にヴァイマールでも演奏されます。
そして、この中から第2楽章の「花の章」がカットされ、さらに改訂が施され、「巨人」というタイトルも外されたものが、現在普通に演奏されている「交響曲第1番」ということになるのですね。
ハンブルクのコンサートのために使われた自筆稿は、現在はイェール大学に保存されていますが、それはこちらで見ることが出来ます。そして、それはその自筆稿のコピーという形で世の中に出回っており、その形で録音されたものが何種類もリリースされています。たとえばこちらのデ・フリエントのSACDなどです。
それが、最近になってマーラー全集の一環として、UNIVERSALからクリティカル・エディションが刊行されました。実は、実際にそれが出版される前に、その楽譜を使って録音されたものがあり、それがこちらのヘンゲルブロックのCDとして2014年にリリースされていました。その時には、その楽譜は「ハンブルク稿/1893年」と呼ばれていました。その演奏は、当然現行の「交響曲第1番」とは大きく異なってはいましたが、先ほどの自筆稿とも微妙に異なった部分も見つかりました。
実際にUNIVERSALからその「ハンブルク稿」が刊行されたのは、2018年になってからです。それはこちらで入手できます。さらに、そのサイトではその楽譜の現物も途中までですが見ることが出来ます。そこには、
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という文字がありました。
つまり、ここでマーラー協会が採用した資料は、「ハンブルク稿」そのものではなく、翌年のヴァイマールでのコンサートで使われたであろう、いわば「ヴァイマール稿」だったのです。これは、楽器編成も3管から4管に増えていますし、聴いてはっきりわかる違い(例えば第3楽章の冒頭のティンパニの有無)も数知れずです。
今回のロトのCDでは、この出版譜が使われました。実際、今回のジャケットにも「HAMBURG/WEIMAR 1893-94 VERSION」という表記が見られます。「ハンブルク/ヴァイマール稿」ですね。そして、出てきた音は、「ハンブルク稿/1893年」とされていたヘンゲルブロック盤と全く同じだったのです。ですから、そのSONY盤の表記は明らかに不正確です。
おそらく、「ハンブルク/ヴァイマール稿」としては2番目の録音となる今回の演奏は、ピリオド楽器ということもあって、とてもユニークな響きが聴こえました。フルートなどは全く聴こえないこともあります。それが「ドイツの楽器」なのでしょう。表現も、かなり極端。正直好きにはなれませんが、「レコード芸術」あたりでは絶賛されるのでしょうね。

CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s.

by jurassic_oyaji | 2019-04-24 23:09 | オーケストラ | Comments(0)
タピオ
 定期演奏会が終わったので、その曲目がデザインされていたFacebookのカバーを更新しました。
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 つまり、この焼肉屋さんの壁に貼ってあった3人の作曲家の写真を貼り換えた、というだけのことなんですけどね。
 このお店は、泉パークタウンにあるショッピングモールの2階のフードコートの一角にありました。数年前そこの写真を撮って、このような使い方をしていたのですね。
 ところが、つい最近久しぶりに同じ場所に行ってみたら、このお店はもうなくなっていました。そもそも、ここがオープンした時にはモスバーガーだったのですが、今では、次のテナントも決まっていないようで、なにもない状態になっていましたね。そういえば、1階にあった「ローラ・アシュレー」も、いつの間にか別のお店に変わっていましたね。
 ただ、駐車場からすぐのところにある楽器屋さんは、開店当時からずっと変わらないでそこにありました。お隣の本屋さんは、まだ本は売ってますが、その中には本屋以外のスペースの方が広くなってしまったようですから、そろそろ本屋さんもなくなりそうな気配ですけどね。
 その楽器屋さんでは、フルートも売っているので、ちょこっと冷やかしにのぞいてみました。そうしたら、そこにいた店員さんが「なにかお探しですか?」みたいな感じで声をかけてきました。いつもは相手にしないのですが、最近ちょっとアルトフルートが欲しいな、と思っていたので、「アルトはありますか?」なんて答えてしまいましたよ。そうしたらその人は、ずいぶん熱心に、別のお店にはないかどうか調べたりしていましたが、そんな特殊なものはそもそもこのお店では店頭にあるわけがないので、「なんだったら、見本をご用意しましょうか」などと言ってきました。「決して、それでお買い上げいただこうなんて思ってませんから、取り寄せだけでもいかがでしょうか」とまで言ってくれたので、その熱意に押されて、軽いノリでお願いしてしまいましたよ。
 というのも、実はアルトで安いものはないかネットで調べたら、パールの製品が他のメーカーに比べて大幅に価格が低く設定されていました。その中には、管体まで銀製の製品まで揃っていましたし、ここのフルートは評判が良かったので、それを実際に吹いてみたかったのですよね。まあ、7月には東京に行くことになっているので、その時にでも大きな楽器屋さんに行って試してみようかと思っていたのですが、ここでそれが出来るんだったら手間が省けますからね。
 彼は、すぐにでも手配できそうだったのですが、一応こちらの定期演奏会が終わるまではここまで来るような暇がないので、それが終わったら、ということにしておきました。そうしたら、演奏会が終わった次の日に「品物が届きましたので、いつでもいらして下さい」という電話が来ました。実は、その方は店員さんではなく、そこの音楽教室でフルートを教えているインストラクターだったんですね。それで、実際に彼もその楽器を吹いてみたいというので、昨日の午後に行ってきました。
 楽器は、まだ梱包されたままだったものを、その場で開いてくれました。そして、レッスン室に案内されて、そこで好きなだけ吹いてくださいと言われました。実は、楽器を試奏するスペースなんかなかったようだったのでちょっとその点が心配だったのですが、ちょっと裏手に、たくさんのブースがあったんですね。
 そこで、本当に好きなだけ試奏してみたら、この楽器はそんな値段とは思えない素晴らしいものであることが分かりました。アルトフルートは前から「仙台フルートの会」の楽器をずっと持っていた時期がありました(今は、もう会自体がほぼなくなってしまったので、そちらの会員さんに返してあります)。ですから、ニューフィルでも時折「惑星」なんかで吹いていたのですが、そのサンキョウの楽器より吹きやすいし鳴りはいいしピッチも正確だし、値段を考えればもうこれ以上のものはないと判断して、その楽器を買ってしまいましたよ。
 まあ、このところ大変な思いをしてきたので、それに対する「ご褒美」でしょうか。もしかしたらニューフィルでまた使う機会もあるかもしれませんしね。
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 さっそく、ジョリヴェの「呪文」なんかを吹いてみました。前は出せなかった高音のG(というか実音D)がちゃんと出たのには感激です。そう、前の楽器と、その頃の私の腕では、高音のE♭(実音B♭)以上はまともな音が出ませんでしたからね。
by jurassic_oyaji | 2019-04-23 23:18 | 禁断 | Comments(0)
あの時は「レリオ」でした
 ニューフィルの定期演奏会は、滞りなく終了しました。もうすでに録音も手元にあって、それを何度も聴き返したところですが、なんかとてつもなく完成度の高い演奏を聴いているように感じるのは、錯覚なのでしょうか。
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 これが、公式BDとCDのセットです。もう出来上がりました。このカバーの画像は、この記録担当のWさんのリクエストで、前にチラシを加工したものにさらに手を加えたバージョンです。こんな素敵なセットが一夜にして届いてしまうのですから、相変わらずのWさんの神業です。
 私などは、今回は何のトラブルもなく録音は出来たものの、最後の曲の長さを見誤ってハイレゾの最大録音時間を超えてしまって2つのファイルにまたがって録音されてしまったので、その修復作業で四苦八苦していて、やっと先ほど全曲を公式サイトの掲示板からリンクできるようにアップしたところです。
 そんなことになったのは、当日になって「幻想」の前にナレーションを入れることになったからです。私がゲネプロに間に合うように車を走らせていると、突然団長からメールが届いて、指揮者の指示で急遽ベルリオーズがこの曲の前に付けたコメントを陰アナにしゃべらせる、というプランが実行されることになったというのです。ついては、その役目を同じフルートパートの降り番の人にお願いしたいので、根回しをよろしくお願いしたい、というものでした。早速本人に連絡したのですが、当然のことながらそんな依頼には戸惑っていたようです。
 それでも、会場にやってきたらすぐに原稿を渡されて、「幻想」のリハーサルの前にぶっつけでそのMCをやらされてしまいました。そのあとは、出番前のギリギリまで、着替えもしないで練習していましたね。
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 今回は私は全乗りで、しかも1曲目から、曲の最初にほとんど裸で音を出さなければいけないという、とても緊張する場面がありました。さっきの「幻想」のリハーサルでは、そのMCが終わると、何の合図もなしに指揮者が曲を始めようとしたために、楽器を構える暇もなく、慌てて音を出さなければいけませんでした。でも、それでも何とかまともな音は出せたので、逆にそれで自信みたいなものが付きましたね。本番では、MCの最後の言葉も覚えましたから、余裕をもって構えられました。
 そのオープニング、篠崎さんは、いったん出てきてお辞儀をした後、オーケストラに向いたところで照明をおとすという演出をとりました。真っ暗な中でMCが流れ、それが終わった瞬間に明かりが入り、曲が始まるという段取りですね。これをやっている時に、私は3年前のサントリーホールを思い出していました。その時も、この曲は暗いところから始まっていたんですよね。もちろん、私はステージではなく、オルガンの前の客席の合唱団の中にいたんですけどね。
 その時に、最後に受けた拍手を、とても感銘深く味わっていたことを思い出しました。なんか、ちょっと隙間はありましたが、きのうの県民会館のお客さんは、あの時のような温かい拍手を送ってくれていたような気がします。
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 なんて、今になって振り返るとそんな感慨にも浸れますが、現場ではいつになく緊張していたような気がします。なんと言っても、第3楽章の最後のあたりのソロを、もしかしたら完全に落としていたかもしれないと思うと、ぞっとします。前の小節までちゃんと数えていたのに、なんかそこでソロを始めるのが間違っているような気になってしまいました。でも、瞬間的にそれが間違っていることに気づいて、慌てて吹き始めたんですよね。ですから、私の中では完全に頭の1拍は出遅れたと思っていたのですが、録音を聴いてみるとそんな躊躇のあとはほとんど分かりませんでした。ですから、「録音を聴いてがっかり」するよりは、ほっとすることの方が多いような気が、私はするのですけどね。
by jurassic_oyaji | 2019-04-22 00:07 | 禁断 | Comments(0)
DURUFLÉ/Complete Choral Works
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Ken Cowan(Org)
Robert Simpson/
Houston Chamber Choir
SIGNUM/SIGCD571



パリのノートルダム大聖堂の火災がらみで、ここのオルガンがこのところテレビのニュースなどによく登場しますが、1902年に生まれて1986年に亡くなったフランスのオルガニスト、作曲家のモーリス・デュリュフレもこのオルガンとは少なからぬ縁がありました。パリ音楽院で作曲とオルガン演奏を学んだデュリュフレは、1927年にノートルダム大聖堂のオルガニストで作曲家でもあったルイ・ヴィエルヌの助手となったのですね。ですから、彼はヴィエルヌが演奏する時に横にいてこのオルガンのストップ操作などを行っていたのです。さらにヴィエルヌはゆくゆくは自分の後継者にデュリュフレを、と考えていましたから、もしかしたらそのままここのオルガニストになれたかもしれませんね。
しかしデュリュフレは、1929年に同じパリのサン・テティエンヌ・デュ・モン教会のオルガニストに就任し、長くその地位にいてオルガニストとして活躍することになるのです。
彼は、プーランクがオルガン協奏曲を作るときには助言を行い、1939年の初演ではオルガン・ソロを演奏しています。さらに、彼の演奏は多くの録音で聴くことが出来ます。その代表的なものはジョルジュ・プレートルがサン・テティエンヌ・デュ・モン教会で1961年に録音したそのプーランクの協奏曲と、1963年に録音したサン・サーンスの「交響曲第3番」でしょうか。サン・サーンスの録音は、オルガンとオーケストラのピッチが全然合っていないということでも有名ですね。
さらに、彼の代表作「レクイエム」がデュリュフレ自身の指揮で初めて録音された時も、この教会のオルガンが使われていたのでしょうね。その時にオルガンを演奏していたのは、彼の妻で同じ教会のオルガニスト、マリー=マドレーヌ・デュリュフレ=シュヴァリエでしたから。このレコードには録音場所のクレジットはないのですが、ジャケットの写真もサン・テティエンヌ・デュ・モン教会の祭壇ですから、間違いないでしょう
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作曲家としてのデュリュフレは、作品はきわめて少なく、生前に出版されたものは14曲しかありません。今回のCDに収録されているのは、その中の合唱のための作品のすべてです。「レクイエム」が作品9で1947年に作られていますが、その次の作品10である「グレゴリオ聖歌の主題による4つのモテット」が作られたのは1960年ですから、職業作曲家としては「空き過ぎ」ですよね。
このCDで演奏しているのは、1995年にここで指揮をしているロバート・シンプソンによって作られた「ヒューストン室内合唱団」という、初めて聴くアメリカの団体ですが、プロデューサーが、すでに他の団体で「レクイエム」のアルバムも作っていたブラントン・アルスポーなんですね。果たして、その手腕は。もちろん左投でしょうね(それは「サウスポー」)。
最初に演奏されているのが作品11(1966年)の「ミサ・クム・ユビロ」です。これは、合唱のバリトン・パートだけがユニゾンで歌って、そこにオルガンの伴奏が入るという曲です。実際に歌っているのはバリトンだけではなくほとんどの男声パートのメンバーなのでしょう。その声は、あくまでもソフトでなめらかです。それが、デュルフレのとても手の込んだオルガン伴奏に乗って、とてもさわやかに流れています。
次は、無伴奏の混声合唱のための「グレゴリオ聖歌の主題による、4つのモテット」と、最後の作品である「われらの父よ」作品14(1978年)です。これはもう、ア・カペラのお手本のような全く隙のないハーモニーで迫ります。女声の音色もとてもピュアでうっとりさせられます。
ところが、肝心の「レクイエム」になると、そんな美点がすべて裏目に出ているという感じ。この作品はただきれいに歌っただけでは何の感銘も与えることはできないことを、如実に証明してくれました。
アルスポーは、先ほどのアルバムではもっと深みのある音楽をプロデュースしていましたから、これはあくまでこの合唱団の資質なのでしょうね。

CD Artwork © Signum Records

by jurassic_oyaji | 2019-04-20 09:57 | 合唱 | Comments(0)
国際コンクールの世界です
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 これがやっと文庫化されたので、遅まきながら読んでいるところです。ハードカバーが出たときには各方面で絶賛されていたので期待して読み始めましたが、その途中でこれがもう映画化されているという情報が入ってきたので、そんなことも併せて読んでいるところです。その映画版では、主役の4人だけが公表されているようですが、私が知っているのはそのうちの2人だけです。でも、その2人はまさに適役という感じですね。特に松岡茉優ちゃんは、まるで彼女をモデルにした書かれたのではないかと思われるほどのはまり役なのではないでしょうか。もちろんそんなことはなく、作者は「映像化は絶対無理」と言っているのだそうですから、そもそもあり得ないのですが、もう読んでいても茉優ちゃんの表情やしぐさが浮かんできてしまうのですから、すごいですね。
 今のところ、第3次予選のところまで読み終えました。とにかく、作者の音楽に対する愛がいたるところにあふれていて、圧倒されっぱなしです。ですから、これに実際の演奏で音が加わったものを映画で見たりすれば、さらに圧倒されるのか、あるいはあまりのしょぼさにがっかりするのかどちらかなのでしょうね。本当に、この世界を映像や演奏の音だけで表現するのは、絶対に無理だと思ってしまいますから、おそらくがっかりするでしょうね。
 無理だと思うのは、この登場人物たちが演奏して受けた印象を、作者はものすごい語彙で描写しているのですが、映画を見た人がそれと同じ体験を得られることは絶対にありえないからです。まあ、そんなことも含めて、どの程度この小説の世界に迫れるのかを見ること自体は、とても興味はありますけどね。
 そんな、音楽を演奏することについて突き詰めて考えさせられるものを読んでから、私は明日の本番のためのリハーサルに臨むことになるのです。
 駐車場のこともあるので、少し早めに裏口の前に行ったら、搬入口の前に車が停まっていて、楽器を運んできたトラックが駐車するところがなくて困っているようでした。でも、それは実は今回使う特殊楽器を運んできた車だったんですね。
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 まずは、「幻想」につかう鐘です。終楽章に登場しますね。
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 そして、似たような形の鍵盤楽器が2台です。「チェレスタが2台ある!」なんて言っていた人がいましたが、向かって左は確かにチェレスタですが、右側は「キーボードグロッケンシュピール」です。わたしはこんなトークを書いていたことがありますが、実物を見たのはこれが初めてです。これは「魔法使いの弟子」に使います。実際に演奏の中で聴こえてくる音は、とてもキラキラしていてチェレスタとは全然違いますね。
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 これは、「スペイン狂詩曲」のリハーサル。ここでは、ハープの向こう側にチェレスタがあります。
 こんな珍しい楽器を見るだけでも、明日の演奏会は価値がありますよ。本番は6時から県民会館です。全席自由、当日券も前売りと同価格、1枚1000円です。よろしく!アンコールもありますから。
 アンコールと言えば、先ほどの本では「アンコール」という言葉の使い方がちょっと、ですね。演奏のプログラムが終わって、いったん引っ込んでから拍手にこたえてまた出てきてもう1曲演奏するのが「アンコール」、なにも演奏しないで拍手だけ受けるのは「カーテンコール」です。
by jurassic_oyaji | 2019-04-19 23:51 | 禁断 | Comments(0)