おやぢの部屋2
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Abbey Road
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The Beatles
EMI/PCS 7088(LP)




最近のLPに対する新たな見直しは、なんだかすごいことになっています。なんでも、日本のUNIVERSALが材質やプレス、さらにはマスタリングなど凝りに凝ったLPを近々発売するのだとか、このブームはさらなる広がりを見せるのでしょうか。なんと言っても、ここではクラシックのアイテムが全くないというのがイマイチなところですが、とりあえずクラシックはシングルレイヤーのSACDに集中ということなのでしょうか。究極の再生音を求めた結果が、ハイレゾのデジタル音源と、昔ながらのアナログ音源という、全く反対方向を向いている二つの流れになって表れているというのが、実に面白いところです。
そんな流れの中で、今度は「ザ・ビートルズ」の全アルバムがLPとなって発売されました。例によって最初に聴いてみるのはやはり「Abbey Road」ということになります。
まず、このLPの品番を見て、驚きです。この「PCS 7088」というのは、このアルバムが最初に発売された1969年に付けられた品番なのですよ。驚いたのは、「そこまでこだわって復刻したのね」ということではなく、イギリスで今まで頻繁にリイシューされた時には、ずっとこの品番が付けられてきていた、という事実です。恐らく、イギリスでは今までもずっとこのLPは製造されていて、店頭でも販売されていたのでしょうね。それが、新しいマスタリングでまたリイシューされた(もちろん、同じ品番で)、今回のLPはそんな扱いなのですね。
しかし、これは今までのLPとは異なり、2009年に鳴り物入りでリリースされたデジタル・リマスターCDで用いられたデジタルのマスターが使われている、というのがセールス・ポイントになっているようです。もはや、オリジナルのマスター・テープは劣化が進んでいますから、現時点では、危なっかしいアナログ・マスターよりは、丹念に修復が施されたデジタル・マスターの方が、よっぽど信頼できるのでしょう。そのデジタル・トランスファーが、すべて24bit/192kHzで行われていたのも幸運でした。かえすがえすも、DECCAの「指環」のトランスファーが24bit/48kHz(あるいはそれ以下)でしか行われなかったことが悔やまれます。
今回のLPを、2009年のCDと比べてみると、とても同じマスターから作られたものとは思えないほどの違いがありました。それを「アナログとデジタル」の違いと言ってしまっては身も蓋もないのですが、LPの方がはるかにソフトで滑らかな感じがするのですね。CDは、ちょっと聴くととても細かいところまで精緻に再現出来ているような気がするのですが、LPを聴いた後には、それはなにか不自然なものに感じられてしまうのです。まるで、最初はなかったものを新たに付け加えたような感じでしょうか。それと、ヴォーカルの暖かさとか存在感は、間違いなくLPCDを凌駕しています。
そんな違いが特にはっきり分かるのが、A面の5曲目「Octopus's Garden」です。リンゴのヴォーカルは立体的に浮かび上がっていますし、それに絡むポールとジョージのコーラスの明瞭さも、全然違います。圧巻は間奏のギター・ソロ。LPでは突き抜けるような高音がまさに「浮き出て」聴こえてくるのに、CDではとても平板、音色までも全然地味になっています。
もう1曲、B面メドレーの最後の方の「Golden Slumbers」では、ポールが「Once there's a way」と歌い出すところで背後に流れるストリングスのテクスチャーが、まるで違います。LPではきちんと弦楽器のほんのり感が出ているのに、CDではまるでシンセみたい、そのあとのブラスも、やはり別物のように聴こえます。これらは、まさに16/44.1というCDのスペックから来る限界をまざまざと感じさせるものに他なりません。
今回のLPの盤質の良さも驚異的です。普通にスピーカーで聴いていると曲間のサーフェス・ノイズは全く聴こえないほどです。これで、盤面の経時変化さえなければ完璧なのですが、それはあと何年かしないことには分からないことです。

LP Artwork © EMI Records Ltd.
# by jurassic_oyaji | 2012-11-15 20:23 | ポップス | Comments(0)
BACH/Mattheuspassie(in Dutch)
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Marcel Beekman(Ev)
Marc Pantus(Jes)
Jos Vermunt/
Haags Matrozenkoor, Residentie Bachkoor
Residentie Orkest
DG/00289 4769164




前にオランダのレーベルでシューベルトを聴いたときに、フルートのオブリガート付きのリートを歌っていたフランシーネ・ファン・デア・ヘイデンの声が素敵でした。そこで、ほかになにか録音していないかと経歴を見てみたらすでに「マタイ」を録音しているというので、ちょっと前のアイテムですが聴いてみることにしました。ところが、手元に届いたCDを見ると、それはなんとオランダ語で歌われているものでしたよ。こんなの、だれも聴いた人はおらんだ。以前英語版を聴いて、かなりの違和感を抱いたことがありましたが、オランダ語ではいったいどういうことになるのでしょう。
そもそもこのCDは、オランダのUNIVERSALが制作した、完全なオランダ仕様、ジャケットにもブックレットにもオランダ語のテキストしか載ってません。タイトルも、もちろんオランダ語ですね。まあこのあたりはすぐ分かりますが、エヴァンゲリストが「Verteller」となっているのは、なんだかちょっと軽い感じがしませんか?
ドイツ語や英語で歌われている時には、曲がりなりにも意味が分かりますが、オランダ語になってしまえばもう全くの「知らない言葉」ですから、そこから何か意味を感じ取ることはできません。となると、完全に「音」として聴くしかなくなってくるのですが、そうするとちょっと面白いことが起こりました。その「音」が、なんだか中国語みたいなアジア系の言葉のように聴こえてくるのですね。全く勝手な思い込みかもしれませんが、エヴァンゲリストを歌っている人がかなり甲高い声なので、なおさら中国っぽく聴こえてきたのかもしれません。
そうなってくると、この中国語によるバッハ(ちがうって!)が、とても滑稽な響きで伝わってくるのですから、困ったものです。例えば、第2部の後半にある「Komm, süßes Kreuz」などというしっとりとしたバスのアリアも、「コム、クラッケンド、クルイス」と、やたらとカ行が強調された上に「クラッケン」みたいな「促音」が入って、なんだかとても明るい感じに変わってしまうのですね。どうも、バッハを歌うにはもっともふさわしくない言語なのでは、と思ってしまいます。中国語は(ちがうんですけど)。
もっとも、「明るさ」は言葉だけではなく演奏そのものにも原因があるのかもしれません。楽器はモダン楽器を使用、編成もごく普通の豊かさが得られるほどの人数が揃っていますし、合唱もかなりの人数がいるようです。それがCD2枚、約157分に収まってしまうほどの軽快なテンポで演奏をしているので、全体的になんだか重みのないものに仕上がっているという印象があります。イエスを歌っている人もかなり軽い声で、さっきのエヴァンゲリストと一緒になって、重厚とはまるで無縁のレシタティーヴォを繰り広げていますしね。
オーケストラはそこそこ力のある団体のようなのですが、合唱がかなり雑なのが、ちょっと気になります。コラールなどはピッチが決まらずになんとも幼稚な感じに聴こえてしまいますし、対位法が使われた合唱などはあちこちで崩壊していました。唯一「バラバ!」の減七の和音だけが、びっくりするようなインパクトを持っていたのが取り柄でしょうか。
さらに、ソリストたちもなんだか危なっかしい人が揃っているようですね。20番のアリアを歌っていたテノールなどはかなり悲惨、さらに、そのバックの合唱がやはり雑なんですよね。
お目当てのファン・デア・ヘイデンは、声自体はとても立派なものを持っていて何の破綻もないのですが、あまりに立派過ぎてちょっとバッハの様式からは離れているかな、という気がしてしまいます。49番のアリアでも、オブリガートのフルートは精一杯バロック風に演奏しているというのに、歌があまりにもロマンティックなのですからね。
こういうのは、やはり「珍盤」と言うべきなのでしょう。

CD Artwork © Universal Music BV, Nederland
# by jurassic_oyaji | 2012-11-13 23:21 | 合唱 | Comments(0)
ベーレンライター版と、ブライトコプフ新版
 きのうは、篠崎靖男さんが指揮をする「第9」を聴いてきました。と言っても、普通のコンサートではなく、東北文化学園大学の学内行事のような感じ、ハガキを出せば普通の人も入れる、というものです。篠崎さんは今年の年賀状(メールで全員に送ったもの)で、「11月11日には、萩ホールで仙台フィルを指揮します」とあったので、どんな演奏会なのか楽しみにしていたのですが、こういう形のものだったのですね。もちろん、ハガキを出して、招待券をもらっておきました。
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 篠崎さんの指揮は、ニューフィルを指揮していただいた12年前よりさらに進化していました。とても滑らかな音楽の運びで、サクサクと前へ進んでいきます。まさに、今の「世界の最前線」を聴いている思いでした。仙台フィルもしっかりついてきていましたし、その大学が主体となった合唱もとても素晴らしいものでした。
 篠崎さんには、Facebookのメッセージでは、終わったら楽屋で会えるような感じだったので、ステージの袖で待っていたら、とてもうれしそうに色んなお話が出来ました。たまにメールのやり取りはあったものの、お会いするのは12年ぶり、なんとも気さくな篠崎さんでした。写真まで撮らせてくれましたよ(その写真はFacebookで)。
 実は、この「第9」では、パート譜やスコアの表紙から、ブライトコプフの新版を使っているのが分かっていたので、そのことを聞いてみたら、ベーレンライターよりはこちらの方が良いようなことをおっしゃっていましたね。「ベーレンライターは、雑」と、私が思っていたのと同じようなこともおっしゃっていました。
 というのも、今は「かいほうげん」の方で、今度演奏するベートーヴェンの「1番」についての原典版の検証を行っているところなのですが、まさにそんな「雑」なところを発見してしまったものですから。
 そもそもは、第3楽章の11小節目の「f」の場所の違いから、旧版と最近の原典版を比べていたのですが、
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一番上が1862年のブライトコプフの全集版、アウフタクトなしの3小節目が問題のところなのですが、ここではfは2拍目についていますね。ところが、その下のふたつでは、1拍目にfがあります。上がベーレンライター版、下がブライトコプフ新版です。今は、こちらの方が正しいfの位置とされています。つまり、昔の全集版はミスプリントだったのですよ。
 ただ、原典版を作るにあたって参照しているのは、実は自筆稿ではありません。ベートーヴェンの自筆稿は、スコアもパート譜も現在では失われてしまっています。そこで、最も自筆稿に近いものとして、スコアでは1809年に出版された初版が資料となっています。それが、一番下の楽譜ですね。ここでは、確かにfは1拍目にあります。この後1822年に出版されたジムロック版で2拍目に変わったものが、全集でも踏襲され、それがそのままいろいろな楽譜に使われていたのですね。
 ところが、この初版では、その前の音形を繰り返す時に本来なら次の小節の3拍目に「p」があるべきなのに、それはさらに次の小節の1拍目についています。これは明らかなミスプリントだと思えるのですが、ベーレンライター版ではそのまま初版がコピーされています(この楽譜の次の小節の頭がpです)。しかし、ブライトコプフ新版では、きちんと「正しい」位置にpが来ているのですよ。
 こんな感じで、たとえ「原典版」と言っていても、そこでは校訂者の解釈によって様々な形のものが現れるものなのですね。楽譜だけではなく、演奏者の知恵も試されることになるのでしょう。試しにベーレンライター版が使われているCDで確かめたみたら、楽譜通り次の小節の1拍目からpで演奏している人など、誰もいませんでした。
# by jurassic_oyaji | 2012-11-12 21:29 | 禁断 | Comments(0)
TCHAIKOVSKY/Symphonies Nos.4,5
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Vladimir Jurowski/
London Philharmonic Orchestra
LPO/LPO-0064




ロンドンのオーケストラのうちで、最初に自分のレーベルを持ったのはロンドン交響楽団だったのでしょうか。2000年に発足した「LSO Live」というレーベルは、録音スタッフも有名な人を集め、録音のクオリティにも神経を使っていて、すべてのアイテムをハイブリッドSACDでリリースするほど、その音には自信を持っています。それから少し遅れて2005年に自主レーベルを立ち上げたのが、ロンドン・フィルです。こちらは「LPO」という素っ気ないレーベル名ですし、特に新録音にはこだわることなく、アーカイヴ的なものもまぜこぜにしてリリースしていましたから、音に関してはそれほどこだわってはいないような印象を受けていました。しかし、最近の新録音などは、たまにすごい録音に巡り合えることもあるので、ちょっと気になりかけているところです。
今回のチャイコフスキーの4番と5番の2枚組のCDも、ちょっと耳をそばだてられるような良質の録音でした。それは、LSOの、とてもナチュラルなのだけれど、ちょっとおとなし目のサウンド・ポリシーとは対照的な、それぞれのパートがくっきり浮かび上がってくるようなとても派手なサウンドだったのです。例えてみれば、1960年代のアメリカCOLUMBIAのような音ですね。時代の流れとしては、そのようなある意味「不自然」な音づくりは、最近では慎まれる傾向にあります。もっとオーケストラ全体、さらにはホール全体の自然なバランスを大切にしようという流れでしょうか(LSOがまさにそんな好例)。
しかし、このLPOのような言わば昔のHi-Fi風の音には、なにかとても魅力が感じられます。実際にホールでは聴くことのできない、管楽器奏者の息遣いなどもくっきり聴きとれる、言ってみれば「禁断」の味に引き込まれるのですね。さらに、音がものすごくゴージャス。まさにきらびやかな音の洪水で窒息させられそうになるほどです。
そんな華やかな音で聴くチャイコフスキーが、気持ちよくないはずがありません。チャイコフスキーには、先日のダウスゴーのような禁欲的な扱いなんか必要ありません。こんな風にひたすら華やかで豪華、これが醍醐味ですよ。
そんな音の中で、ユロフスキは、まさに「禁欲」からは対極にある技を繰り出してきます。彼はまるで野獣、どんな時でもその力を緩めることはしません。ひたすら突いて突いて突きまくり、相手には瞬時の休みも与えず、絶頂が訪れて果てるまで、体の最も敏感な部分に刺激を与え続けるのです。
なんて言ってると、果てしなくエロに近づくので(エロフスキですね)もう少し音楽的な言い方に翻訳すると、彼の音楽には老練な指揮者がよく用いるような「タメ」がほとんど見られないのですね。フレーズの終わりをきちんと納めるなどというようなチマチマしたことはせず、たたみかけるように次のフレーズを重ねてきます。これで、音楽はとてもダイナミックな生命力を持つのです。しかも、そのようにただ煽っているだけではなく、必要なところではじっくりと舐めまわすように(またエロだ)ていねいに音楽を聴かせようとします。「4番」のフィナーレに現れるフルートの細かい音符のソロが、そんなところ、ここではただの早業には終わらない、もっと落ち着いた情緒が味わえます。しかし、そんな甘い気持ちに寄っているのも束の間、やがて押し寄せるクライマックスは、まさにエクスタシーのほとばしりです。
両方の交響曲の第2楽章のような、切なくこってりと歌って欲しいところでも、この「攻め」の音楽は貫かれます。べたべた付きまとうオンナはうっとおしい、とでも言いたげ、ほんと、メランコリーを排したチャイコフスキーは、なんてカッコいいんでしょう。
あ、ジャケットの「★」は最近難易度が低すぎ。

CD Artwork © London Philharmonic Orchestra Ltd
# by jurassic_oyaji | 2012-11-11 20:42 | オーケストラ | Comments(2)
写真の修正
 「かいほうげん」のコンテンツは、きのういっぱいですべて完成しました。これで、予定通り今度の火曜日には新しい号を発行することが出来そうです。今回は事前に作っておいたものはなかったので、たった3日間で16ページが出来てしまったことになります。これは、おそらく新記録。
 今回は、写真を多く使ったので、それぞれの画像を作るのに少し手間がかかってしまいました。つまり、その映像が伝えるメッセージをより強調するために、ほんの少しだけ写真に手を加えたのですよ。最初のものは、青年文化センターのコンサートホールのリニューアルの写真です。こちらが元の写真。
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 本当は、誰もいないところで新しくなったステージを撮りたかったのですが、私が行った時にはもうホールは開いていて、すでに他の人がたくさんいたので、そんな人も写真に入ってしまいました。ただ、山台だけはしっかり見せたかったので、ステージ上にいた余計な人間だけは消えていただきました。
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 もう一つ、「消えて」もらったのは、末廣さんのあいさつの時に、後ろの壁に貼ってあったチラシです。だいぶ前のことですが、新田さんがやはりこの同じ中華料理店で打ち上げのあいさつをなさったときの写真で、頭のすぐ上に「冷やし中華始めました」みたいなポスターがはっきり写っていたことがあって、大顰蹙を買ったことがありました。その時は、その字だけを消して、差し替えたんですよね。今回は書いてある文字は分かりませんがなにも頭のすぐそばにある必要はないので、しっかり消しておきました。
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 その他にも、いろいろやってます。これなんかは、ある意味バレバレですけどね。
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 こんなことばかりやっていたら、きのうの「おやぢ」に使ったジャケットの写真で、指揮者の顔がすごく気になってきました。おそらく、右指を立ててなにか指示を与えているのでしょうが、その指が鼻の穴をほじっているように見えてしょうがないのですね。それなら、いっそのことほじらせてしまえと、こんな風にしてみました。
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 こんな指揮者がいたら、いやですね。
# by jurassic_oyaji | 2012-11-10 22:48 | 禁断 | Comments(0)